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5月―魔術師、温泉に行く―




 五月中旬。

 大型連休も過ぎた頃、私とルークは温泉街へとやって来た。

 私は本来インドア派だから、先月お花見で外に出たのでしばらくは出かけたくないのに、まさかの二ヵ月続けて外出。


「ユリさん、煙が出ていますよ!」

「温泉地だからね」

「ユリさん、向こうにアシユって書いていますよ! アシユって何ですか?」

「前から思っていたけど何で漢字読めるの? 魔法?」


 移動ですでに疲れきっている私とは対照的に、ルークは初めての温泉街に大興奮していた。

 そもそもなぜ温泉街に来ているかといえば。

 ことの始まりは、大型連休にさかのぼる。

 近所のスーパーでくじ引きが行われていて、ガラガラ回して玉が出てくるあのくじ引きを見たルークが、予想通りやりたいと言った。

 買い物をしてちょうどくじ引き券を一枚貰っていたので、まったく期待しないでさせたら、何と一泊二日ペア温泉旅行を当てた。

 くじ運良いね。

 そんなわけで、電車に乗ってバスに揺られて、はるばる温泉街へとやってきた。


「あ! ユリさん、ソフトクリーム売ってますよ! 緑色ですよ!」

「はいはい。とりあえず旅館に行くよ」


 荷物を持ったまま観光は疲れるので、最近ソフトクリームにはまっているルークを引っ張って、まずは宿泊予定の旅館へ向かう。

 スーパーの人が親切に書いてくれた地図を見ながら歩いていった先には、見るからに老舗という雰囲気の旅館があって、くじで当てたにしてはかなり豪勢だった。

 案内された部屋も旅館らしい和室で、窓の向こうには山の緑が広がっている。


「ユリさん! これがタタミというものですかっ?」


 ルークなんて初めて日本に来た外国人観光客のように大はしゃぎだ。

 はしゃぎすぎて急須の蓋まで開けて見ている。

 そんなことより私には気がかりなことが一つあった。

 それは、今晩どうやって寝るかということだ。

 何度も言うけれど、ルークは異世界に召喚された友人の代わりにいる、いわばルームメイト(代理)。

 異性と同じ部屋で布団を並べて眠るわけにはいかない。

 となると、旅館ならあると思っていた窓際のちょっとしたあのスペース、通称広縁。

 予想通りこの部屋にもあったので、ルークの布団を敷けないか考えてみる。

 でも温泉旅行を当てたのはルークだから、さすがに広縁で寝かせるのは申し訳ない――そう思っていたら。


「ユリさん、ここにも部屋がありますよ! もしやここは、ニンジャの隠れる秘密部屋ですか? ぼくもここに住みたいです」

「良いんじゃない」


 最近、同じアパートに住む学生から忍者の漫画を借りてはまっていたルークは、嬉しそうに広縁を陣取った。

 即座に問題が解決した、良かった。

 気がかりなことが解決したので、緑色のソフトクリームを食べたがっているルークに引っ張られ、温泉街を散策することにした。

 ルークは真っ先にソフトクリームを売っているお店へ飛んでいき、ポケットからいそいそと財布を取りだしている。

 財布の中には、ルークが占い師として稼いだお金が入っており、それはお小遣いとして自由に使わせている。

 まあ、大半は食べ物に消えているらしい。


「ユリさん」


 呼ばれて振り返ると、緑色のソフトクリームを二つ持ったルークがいて、片方を渡された。


「どうぞ」

「ありがと……」


 私の分も買ってくれたらしい。

 緑色のソフトクリームの正体はお茶のソフトクリームで、私も初めて食べる味だった。


「美味しいですね」

「美味しいね」

「あ、さっきのアシユがありますよ!」

「ちょっと待って! ソフトクリーム食べ終わってから!」


 すぐに飛んでいこうとするルークを押さえて、まずはソフトクリームを食べ終わらせる。

 そのあと足湯を試し、お花見のときと同じようにのんびりと温泉街を散策した。

 そして日が暮れて旅館へ戻ると、いよいよ旅の目玉でもある温泉。


「温泉のマナーは覚えた?」

「はい、大丈夫です」


 ルークに温泉の入り方を教えてから、男湯へと送り出す。

 けれど、初の温泉に戸惑っていないか気になって、私はゆっくり湯に浸かっていられず早めに上がった。

 するとルークは、コーヒー牛乳を買ってマッサージチェアまで満喫していた。

 私はそこまで教えていない。


「あ、ユリさん。オンセンって最高ですね」


 うん、全身から最高に楽しんでいる雰囲気があふれているよ。

 その後は旅館らしい豪勢な夕食を部屋で頂き、ルークはそのときも大はしゃぎしていて、食べ終わるとテレビを見ながらくつろいだ。

 ルークじゃないけれど、私も最高の気分だった。

 温泉に入って食事をして、眠くなってきたしもう寝ようかな……。


 ――そう思っていたときだった。


 旅館の部屋の中に、突然魔法陣が現れた。


「……!」

「な、何っ?」


 光りながら現れた魔法陣に、私だけでなくルークまで驚いている。

 魔法陣からは何か言葉が聞こえてきたけれど、私には何を言っているのかよく分からなかったので、魔法陣の前でやり取りをしているルークを後ろから見ていた。

 しばらく話していたルークが、こちらを振り返って教えてくれる。


「聖女様たちが、無事に魔物を倒したようです」

「えっ! すごいじゃん!」

「あと聖女様が第一王子殿下と恋仲になったようです」

「待って待って、情報量が多い」


 いきなりの話題に思考が止まる。

 魔物を倒したことは意味が分かる。

 すごいよ。

 そこからどうやったら王子と恋仲になるのか分からない。

 第一王子って、確か勇者だよね。

 え、恋仲ってカップルになったってこと?

 魔物を倒して王子を射止めたの?

 あっけにとられていると、ルークの表情がとても硬いことに気付いた。


「どうかしたの……?」

「……聖女様は、そのまま向こうの世界に留まり第一王子殿下と一緒になることを選んだようですが、こちらの世界にぼくがいることを知ると、帰るという話になったらしく……」


 その言葉に、ルークがこちらの世界にいる理由を思い出した。

 異世界に召喚された友人が戻るときのために、代わりにこちらの世界に来ている。

 それはつまり、友人が戻らなければ、ルークは元の世界に帰ることができない。

 そのことを知った友人なら、きっと王子と別れてでも帰ると言うだろうことは、長い付き合いの中でよく知っている。

 でも、それでは友人と王子は……。


香織(かおり)……」


 思わず友人の名前を呟いた。

 どんな思いでその選択をしたのか。

 行動力のある友人は、「やってみないと分からないから」と言って何事も全力投球するタイプだった。

 きっと何でもないように笑って帰ってくるかもしれない、けれど、そのあとはきっと……。

 友人が戻ってくることは嬉しいけれど、手放しで喜べなかった。


 そして……。

 ルークがこちらの世界から去る。

 最初から分かっていたことのはずなのに、あまりにも突然なせいか、その事実に動揺してしまった。

 この半年間、イルミネーションを見に行ったり、近所のスーパーへ買い物にでかけたり、桜を見に行ったりと、一緒に出かけた思い出がよみがえってくる。

 不本意な始まりだったけれど、振り返ると楽しい思い出ばかりだった。

 まさかこの温泉旅行が最後になるなんて、思ってもいなかった。

 でも、向こうに戻るときは、ちゃんと見送らないと……。


「師団長」


 そのとき、突然ルークが私の肩を引き寄せて、魔法陣に向かって呼びかけた。


「実は私、こちらの女性を好きになってしまいました」

「は?」


 いきなり何言ってるの?

 こんなときにそんな冗談……と思ったけれど、見上げたルークの表情は、声と同じくらい今までにないほど硬かった。


「なので私はこちらの世界に残ります」

「ルーク……!?」

「どうか、聖女様にはお気になさらないようお伝えください」


 ルークの言葉に息を飲んだ。

 それは、ルークが二度と自分の世界に戻れないということ。

 どうして突然そんなことを言い出したかなんて、聞かなくても分かる。


「ルーク!」


 ルークの腕を揺らしたけれど、まっすぐ魔法陣を見つめたまま身動き一つしなかった。

 その視線の先で、魔法陣はまるで了承するように一瞬だけ淡く光って、そのまま薄くなって消えてしまった。

 部屋の中に静けさが戻る。


「……ルーク。本当に良かったの……?」


 聞いてもどうにもならないと分かっているし、私は召喚された聖女でも、召喚した魔術師でもない、ただの外野だと分かっていても聞かずにはいられなかった。

 少しだけ無言が続き、しばらくしてからルークがこちらを向いた。

 いつもと変わらない表情を浮かべながら。


「ユリさん。お腹いっぱいになりましたし、少し散歩しながら話をしませんか?」




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