黒猫と後日談
「平井さん、すごく喜んでたよ」
喫茶店、カウンターの奥でコーヒーを入れながら春乃はそう呟いた。
「もしかしたら気付いていたのかもな」
「なにが?」
「だって、ストーカーって言われたらもっと怖がるものなんじゃないか?それなのに平井はどこか安心しているような、少なくとも怖がってはいなかった」
「気味は悪がってたけどね」
苦笑する春乃。
「それに私のことを見る目が優しかった。構って欲しくないという猫の本性を分かっていて、私を見ていた。喫茶店のカウンターで眠りこける猫なんて普通の人間だったら毛嫌いするだろ、普通は」
「それこそ毛が入るかもしれないしね」
「私はそんなへまはしない」
あれから平井は仏壇にあの白猫の写真を置き、毎日手を合わせているそうだ。その顔はどこか朗らかで憑き物が落ちたような晴れやかな顔だったという。
「悩み事が無くなってほんとによかった」
「そうだな」
「また猫を飼うことにしたみたいだよ」
「そうなのか」
「猫ロスだって、笑ってた」
猫一匹いなくなった空白は他の何物でも変えることはできない。猫がいなくなった穴は猫で埋めるしかないのだ。
「というか、ほんとにあるんだね。死後にまた会いに来てくれるなんて」
「あるぞ、普通にな」
「あるんだ?」
「人間が気付いていないだけだ。私たちはいつでもどこでも見守っている。気付かれたくないからそんなに表立って現れることは無いが、わりとすぐ近くにいるかもな」
「そんなもんなの?」
「そんなもんだ。人間は猫の幸せを祈り、与えてくれるが、それをないがしろにしないのが猫だ。人間が猫の幸せを祈ってくれるように、猫も人間の幸せを願っている」
一つ伸びをしてから座りなおす。
「いい関係だね」
「私たちは人間ほど寿命が長くないからな。できれば一生を添い遂げたいと思ってはいるが、そうもできないのがこの世の常だ。いなくなった後も幸せを願うのは当然のこと」
「君もそう思ってくれてるの?」
「さぁ、どうかな」
「そこまで言っといて」
私の耳が何か感じるようにぴくりと動いた。
「さぁ、私はひと眠りするぞ。お前は仕事をしろ」
「お客さんいないのに?」
「いや、そんなこともないぞ」
「え?」
喫茶店の扉が上部に取り付けられている大きめの鐘をからんからんと鳴らしながら開いた。
その男子学生は店内をおずおずと見渡しながらカウンターの前まで来た。
「すみません、こちらで猫の相談ができると聞いたのですが」
春乃は持っていたコーヒーカップをカウンターへ置き、名刺入れから一枚取り出してその学生の前に置いた。
「こんにちは」
そう、この喫茶店は他にもう一つの顔を持つ。それがこの。
「猫のことならなんでもお任せ。猫探し、ペットシッター、猫の散歩、なんでもござれ。猫専門のなんでも屋にようこそ」