黒猫と愛情
また翌日。私たちは昨日と同じくオフィスビルの一角にいた。
「じゃあ今日も尾行しますか」
そう言ってビルから出てきた平井の後を追う春乃。私はそれについていきながら辺りを見渡した。昨日よりも気配が強い。昨日は分からなかったが、これは敵意だ。私に対しての。私の予想は当たっているかもしれない。
「どうしたの?行くよ?」
先で春乃が振り返り、私に声をかけている。それに返事をするでもなく私は静かに歩みを進めた。
アーケードを抜け、住宅街へ。敵意はさらに強まった。平井の家に近付くにつれ、それはさらに増していた。体中に突き刺さるそれに思わず身震いする。
「今日も何も無さそうだね」
小声で春乃は隣にいる私に話しかける。
「どうかな」
平井の家まであと数十メートルの所で急に平井が立ち止まった。キョロキョロと辺りを見渡している。
「どうしたんだろ」
咄嗟に身を隠す春乃。スマホを取り出し、平井にメッセージを送っているようだ。私も平井の視線を追う。そこで気付いた。さっきまでの敵意はどこに行った?
「猫の鳴き声が聞こえたんだって」
平井と連絡がとれたのか、春乃は私にそう言った。
「やっぱりか」
私は一人で納得した。
「やっぱり?」
「あぁ。そろそろ、現れるんじゃないか?」
「え?」
通りの向こう、もう暗くなった道の先、街灯に照らされたその一角にそれは現れた。
「あいつが正体だ」
私は前足をそれに向けた。
真っ白の、それはそれはとてもきれいな猫だった(私には及ばないが)赤い首輪に鈴がついており、歩いてもいないのにそれがりん、と鳴る。一定のスピードで鳴るその音に平井も気付いたようでそこから目を離すことはない。
「行くぞ」
私と春乃は平井の隣に立った。
「あの子が、今回のストーカーの犯人みたいです」
春乃は平井の方を向き、言った。平井は、顔を手で隠しながら、泣いていた。
「りん・・・」
そう呼ばれた白猫はそれに答えるように「にゃんっ」と短く鳴いた。
「りん?」
春乃はまだ状況を掴めないようだったので説明することにした。
「平井は以前、猫を飼っていた。ただ、おそらくここ2.3か月の間にその猫はいなくなってしまった。その証拠にそこの電信柱に迷い猫の張り紙があった。ストーカー被害が、もとい、視線を感じるようになったのがいつなのか正確な日付は分からないが、きっと今日だったんだろう」
私に敵意を表していたのは嫉妬だったんだろう。飼い主の周りに猫がいるなら排除しようと思うのが当たり前だ。
「帰ってきて、くれたの・・・?」
平井はその白猫に向かって歩み寄る。私は春乃の肩に乗り、こう呟いた。「私の言うとおりに話せ」春乃は静かに頷いた。
「残念ですが、その子はもう、亡くなっています」
振り向く平井。
「どうして!?こうやって目の前にいるじゃない!きっと帰ってきてくれたんだわ!」
「えぇ、帰ってはきてくれました。最後のお別れを言いに来てくれたんです。きっと今日だったんですよ」
「え・・・?」
「四十九日が」
平井はゆっくりと白猫に向き直る。
「そう、なの・・・?」
白猫はまた短く「にゃん」と鳴いた。
平井はその猫の元までゆっくりと歩いていき、膝をついた。
「本当はそうなんじゃないかって思ってた。窓際に大好きなおやつを置いて、張り紙もして、ずっと待ってたけど帰ってこなくて、でも信じたくなくて、ずっと、待ってた」
平井は白猫に手を伸ばすが、白猫はそれを拒むように一歩後ずさった。
「よっぽど愛されて育てられたんでしょうね。こんな姿になってまで会いに来てくれることなんてないですよ。本当に幸せな人生だったのでしょう。猫は死に際を飼い主に見せないというのは有名な話です」
平井はそれでも手を伸ばす。最後に、もう一度、その背中を撫でであげたかった。
白猫は今までと違い、長く、「にゃあん」と鳴いた。目を細め、仰ぐように、そう鳴いた。鳴き終わった瞬間、そこにいた白猫は見る影もなく、姿を消した。どこにもいない。どこにもいなくなってしまった。平井の手は空を切り、行く宛もなく地面に落ちた。
「本当に綺麗な子でしたね」
春乃は平井の脇にしゃがみ、平井の手をとり、立ち上がらせる。
「言ってましたよ、最後に」
力無く立ち上がった平井の目を見て、できる限り優しく、柔らかく、春乃は言う。
「いままでありがとうって」
平井は大きな声で、泣いた。