第8話 狂々
ハクの魂を転写した方の女の子も肉体年齢操作で妙齢に作り替え、アルカヘイブンを崩落させるべく王国に送り込むことにした。
「師父、一つ問題点が。一般庶民は、王城に立ち入りできません」
「問題無い。潜入の計画なら立案してある」
「いつの間に」
俺が基盤を作った国だ。
脆弱性については俺が一番把握している。
「まず、食糧庫から食料を奪う」
「それは、大変な労力ですね……」
「すべて盗む必要はない。一大事として取り上げられればひとまずは目的達成だ」
「そうなのですか?」
俺は食糧庫を早い段階で制作した。
それは、貨幣システムを導入するためだ。
「現状、国の貨幣は食糧庫に保管してある穀物を担保に信用が成立している。食料が減ればどんな問題が起こると思う」
「えーと……貨幣を持って行っても穀物と交換してもらえない人が出てくる?」
俺は首肯した。
正確に言えば、一度の襲撃で盗める程度で財政破綻するほどアルカヘイブンの食料貯蔵量は甘くない。
だが、繰り返しの襲撃があればそこにたどり着く。
「そうならないよう、国は警備を強化する必要があるんだが、そうするとさらなる食料の余剰が必要になる」
「警備をしている人は農耕に携われないですからね」
つまり貯蓄を守るために人手が必要になり、人手を増やすために貯蓄を増やす必要がある、というわけだ。
「つまり、現在国にいる人間の役割の割り当て比率を変えるだけではダメなんだ」
ちなみに、俺が国王をしていた時はその辺のバランスをきちんと考えていた。
だがそれはあくまで、魔法というとんでもチートの不在を前提とした防衛であり、ハクが魔法を習得したいまその均衡は崩れている。
「この問題、ハクならどうやって解決する」
「……国の内側で解決できないなら、外に目を向ける必要がありますね。遠征させて、移住民を国に招待するのはいかがでしょう?」
「頭の回転早いな、正解だ」
ハクは「褒められました」と顔を赤らめた。
「だがここで問題となってくるのは、移住民との交渉が決裂した場合だ。争いの危険性が考えられる。なら、誰を遠征に出せばいい?」
「あ、始まりの7人の誰か、ですね」
そういうことだ。
つまり作戦はこうだ。
食糧庫を襲う。
防衛力の強化を迫る。
国外の人手に目を向けさせ、始まりの7人の誰かを誘き出す。
ハクのコピー体が取り入る。
「一度7人の誰かと繋がりを持てれば、そこから国王と接触するチャンスが到来するはずだ」
◇ ◇ ◇
さすがです、師父。
ハクは師父と慕う男の深謀遠慮に感嘆した。
(まさかここまで完璧に師父の思惑通りに事が運ぶとは)
事の始まりはひと月前。
師父の指示通りに食糧庫を襲撃したところから始まる。
国王は師父の読み通り防衛力の強化に力を入れる必要に駆られ、そして人手を増やすべく始まりの7人のうち数名を派兵した。
そして今日、少し離れた果樹園で過ごしていたところ、ハクは声をかけられたのだ。
「あ、あの! おひとり、ですか?」
そこにいたのは一人の青年だった。
見覚えのある姿だと思ってよくよく観察してみれば、ハクが本体を使って魔法のことを探りに向かった時、べらべらと秘密をしゃべった男と同一人物だと気づく。
「はい。母は私を生んで死に、父と暮らしていたのですがその父も昨年の寒冷期を乗り越えられず」
「な、なるほど。それはさぞ、寂しかったことでしょう」
青年は少しどぎまぎした様子だ。
彼がハクの体に興味津々なのは手に取るように丸わかりだった。
だから彼のお望み通り、ハクは悲劇のヒロインのごとく困ったように笑いながら、
「いえ、もう、慣れましたから」
精一杯の、強がりを見せた。
もちろん演技である。
だがあまりに高度な次元で行われたそれは、彼女に絶賛片思い中の男に見抜けるわけもない。
彼女の思惑通り、彼は『ありもしない悲痛の記憶』に胸を痛め、共感し、強く思った。
――彼女の助けになりたい。
――いや、彼女を支えてあげられるのは僕だけだ。
甚だ傲慢である。
「あ、あの! いま、僕たち、仲間を探しているんです。えと、その、お亡くなりになられた両親の代わりになるとはとても言えません。ですが、もし、もしご迷惑でなければ」
彼は飛び出した、一世一代決死の告白に。
彼は、気付いていない。
「僕たちの国に、身を寄せません、か?」
お前が選び紡いだその言葉は、お前が選択したものではない。
「いいん、です、か」
その言葉は彼女の筋書き通りに導き出された結末でしかない。
「こんな私でも、受け入れて、くださるんですか……」
彼女の瞳に堪えられた涙に真実などありはしない。
すべては謀略だ。
彼を手玉に取り、思い描いたシナリオを展開するために巡らされた権謀術数に過ぎない。
「もちろんですよ」
彼女は笑った、日に照らされて咲く花のように可憐な笑顔で。
「ありがとうございます、とても、とっても嬉しいです!」
内心で、愚かなやつめと舌を出しながら。
◇ ◇ ◇
人類史最古の国家アルカヘイブン。
革命によりその支配権を手中に収めた7人には、暗黙の上下関係が存在した。
まず、頂点に君臨するは原初の魔法使い。
始まりの7人は彼が組織した集団であり、他の6名の力を覚醒させたのは彼だ。
故に、皆彼がリーダーだと認めている。
次に、2組のカップルだ。
彼ら7人の中に女性が2名いるのだが、それぞれ同じ魔法使いに恋人がいる。
7人の話し合いで意見が対立する場合に、彼らは票を合わせられる分発言力が強い、と言える。
残った2名のうち、1名は教皇をしている。
民の反乱を抑えるためには「王は特別」であり、「いまの暮らしこそ至高」であり、「異を唱えれば天の怒りを買う」と思い込ませるのが効率的だ。
その役割を担っている彼は、一人ひとりの発言力を比べれば実質2番手につけているといっても過言ではない。
問題は、序列最下位の男だ。
彼は気が弱く、のろまだ。
魔法の力は覚醒させてあるため、指示を出せば人並み以上の成果を挙げはするものの、他の6名と比べれば明らかに劣る。
だから、そんな役割は彼に集まった。
国の外へ移住民族との交渉に出向かされたのがその最たる例だ。
誰もが疑っていなかった。
今後どれだけパワーバランスが崩れても、彼が上に上り詰めてくることはないだろうと。
しかし、この日、つり合いを保てていた彼らの力関係に一石が投じられる。
「……」
彼が国の外から連れ帰ってきたのは一人の女性。
「はじめまして、お招きいただき、心より感謝申し上げます」
一見した印象は清廉潔白。
切れ長の瞳だがおっとり目という、気の強さと穏やかな人柄を兼ね備えた瞳。
ぷっくらと膨らんだ唇、そして豊満な双丘。
「私は……ブランと申します」
その美貌に男は閉口し、女は嫉妬した。
「以後おみしりおきを」
「あ、ああ」
最初に忘我の彼方から帰ってきたのは、彼らを束ねるリーダーだ。
しかしいまだに、くらくらと酔いしれるような魅惑の色香に意識は完全な覚醒には至らしめず、半ば夢見心地のまま、口を滑らせてしまう。
「その、なんだ。困ったことがあればなんでも申せ。力になると約束しよう」
麗しい女性は胸の前で指先を合わせるように手を合わせ、目を大きく見開いた。
瞳はきらきらと輝いて、口元は嬉しそうにしている。
(しまった、失言だった)
ここに来てようやく、彼は己の愚を悟る。
(一国の王であるこの俺が、たかが一介の娘に肩入れすると口約束してしまうなど、なんたる失態……!)
悔恨に眉根を寄せる彼の表情は、苦虫を噛み潰したようだ。
だが、そんな後悔が、
一瞬で吹き飛んでしまう。
「ありがとうございます!」
魅惑の女性は男のもとへと駆け寄ると、大層嬉しそうに、彼の手を取り太陽のように微笑んだ。
「不安でいっぱいだったのですが、ここにいる皆さん優しそうで安心しました! これから、どうぞよろしくお願いいたしますね!」
リーダーである男は、ため息を吐いた。
(まあ、いいか)
彼は、優秀な男だった。
同じ轍は二度踏まない、非常に聡明な男だった。
彼の幸運は、その冴えわたる明晰な頭脳をもって生まれてきたこと。
そして彼の不幸は――、
彼が先駆者であり、学ぶべき歴史が、統治者の失態という教訓が不足していたこと。
(こんなに美しい女性の喜ぶ顔が見れたのだ。良しとしよう)
この日を境に、アルカヘイブンの命運を握る歯車は狂いだす。
破滅に向かって着実に、くるくる、くるくると――。