第31話 אל מכני
崑崙、人里離れた山間部を切り開いて作られた村落。
そこに、一組の男女が暮らしている。
男の名前はロギア。
人類が文字を持つようになった当初から生きている、現状、もっとも長い年月を生きる男だ。
その男のそばに仕えるのは魔性の女、名をハクという。
男に拾われ、英才教育を施されて以来、付き従うようになって50年以上の歳月が過ぎている。
しかしその肉体はいまだうら若いころのままで、人里に下りれば老若男女問わずに彼女の姿を追いかけてしまう美貌をしている。
ロギアがハクに問いかける。
「どういうつもりだ」
酷く平坦な声だった。
怒るでもなく詰るでもなく、興味を示すわけでもなく、探求心に溢れるわけでもない。
強いて言うなら、極めて希薄な関心だけがあった。
「どう、とは?」
「最後の演出だ。あれはハク、お前の分身体だろう?」
男、ロギアにとって、ハクがバルテリス軍に味方しようとも、見捨てようとも、どちらでもよかった。
彼に関心があるとすれば、面白いか否か。
そのことをハクはよくわかっている。
「ご不満でしたか?」
答えはわかっている。
「いや、面白い結末だった」
ハクが恭しく頭をさげる。
ロギアは娯楽に飢えている。
より正確に言うなら、神秘的な物語を欲している。
そのことを、ハクは既に理解している。
ハクは、ロギアの行動指針が理解できないと思うたびに疑問を呈してきた。
その結果、かなりの高精度でロギアの思考パターンを脳内でシミュレートできるように進化を果たしている。
だから、わかることがある。
(師父は物語を紡ぐ割に、予定調和を嫌っている)
地球史において、人は政治と報道の二側面から成り立ってきた。
デマという言葉の語源は古代ギリシア、煽動者を意味するデマゴゴスという言葉から来ている。
ロギアがやっているのは、まさにそれだ。
民衆に情報の種をまき、発芽する感情を操作し、時代を動かす。
まるで世界を巨大な遊戯版に見立てているかのように、ほんの少しの変化を加え、理想の盤面を描いている。
いわば、一人遊戯。
ロギアは最初に介入しようと決めた時点で、途中式と結末におおよそ見当がついている。
たとえるなら、ミステリー小説のタイトルを見た瞬間に犯人からトリックまで全てわかってしまうようなものだ。
それは、なんとつまらないことだろう。
ロギアは彼の思惑から外れた結末を望んでいる。
予想外の展開に、驚きと感動を覚えたいと考えている。
彼が運命として敷いたレールは、いわば試練なのだ。
誰の目にも明らかな、人の手に負えない困難を、人が、どうやって乗り越えるのか。
それを目撃するためにロギアは世界を観測している。
だから、今回はハクが手を打った。
ロギアは彼女を自らの忠実な従者として教育を施した。
彼の思考が読めずに疑問を呈することはあっても、それは真意を知るため。
彼女は彼の絶対信者である。
故に、今回の件はロギアにとって完全な想定外だ。
彼はハクの前で、「バルテリス軍に肩入れしすぎたな」、「死んでもらうか」、と口にしていた。
この時点でハクはロギアが思い描いている最終局面がバルテリス軍の壊滅であると知っているはずで、まさか介入してくるとは思わなかったのだ。
それも、彼が自らの作品だと主張した聖女オルレリアを盤面に引っ張り出して、だ。
ロギアが想定していなかった結末。
ああ、やはりハクは賢い。
ロギアの思考をトレースし、言語化していない部分を汲み取り、楽しませるために趣向を凝らしてくれる。
いい従者を育てたものだと、ロギアが自画自賛する。
(が、しかし)
ロギアはこうも思った。
(最終局面を神が解決しようとする展開は、どんな世界でも共通なんだな)
デウス・エクス・マキナ。
機械仕掛けの神。
地球史において紀元前500年頃からおよそ千年にわたり、脚本家がこぞって使用した超展開による物語の閉幕だ。
アリストテレスは「何故劇作家はロクな結末を作れないのか」と嘆いたと言われている。
今回、ハクが取った結末も、だいたいこれと似たようなものである。
(まあ、人類史における最初の神話としてはありか)
クリシェは繰り返し使われるからクリシェになるのだ。
今日ありふれていると揶揄される異世界転生だって、仏教が死後の世界観を語っていたころはもの珍しく、誰もが耳を傾けたことだろう。
苦難を用意するだけ用意して、人が困難に抗う様子をせせら笑うロギアと、ぎりぎりまで傍観を決め込み、最後の最後でおいしいところをかっさらっていくハク。
ここに人類史上最強で最悪のマッチポンプ機構が完成したのである。




