第30話 כוחו של אלוהים
火災旋風は炎を纏う竜巻だ。
その暴風は人や物を軽々と吹き飛ばし、さらに炎の種を周辺あちこちにばらまくので、延焼は急速に進む。
「無理だ、もう、おしまいだ」
ついに、一人の兵士の心が折れた。
「こんなの聞いてない! くそ、さっさと逃げればよかった……!」
後悔したって変わらない。
過ちという字が過ぎてからと書くのはそれが所以。
いまさら気づいたってもう遅い、全て、手遅れ。
「まだだ!」
大将が激励を飛ばす。
「まだって、大将、あの炎の竜巻が見えないわけじゃないでしょう⁉ あんなの、どう対処するんです!」
「油だ」
「油⁉ これ以上注いでどうするんです!」
「説明している暇はない! 指示するポイントに全員で配置だ! 急げ!」
つまり、作戦はこうだ。
(確かに、あの炎の竜巻が直撃してしまえば一巻の終わりだ。俺たちでは防ぎようがない)
天災は、人の力では抗えないから天災と呼ばれているのだ。
それは21世紀と呼ばれる未来時空を参考に作られたアルカヘイブン、もといアルカディアも同じ。
まして、技術的な面で大量の妥協が見られる文明レベルはせいぜいが紀元前。
日蝕が狼の仕業だと考えられている頃と大差無いのである。
当然、抗えるはずもない。
(だが、その進行方向を誘導できれば?)
川の水は、川の形状に従って流れる。
それと同じことをしてやれば?
あらかじめ、横方向にそれるよう、炎の通り道を作っておけば?
(わかってる! これは、賭けだ! だが、やらずに手をこまねいているわけにはいかねえ!)
大聖堂と火災旋風を結んだ直線上から始まり、わずかに東へそらしつつ、油の壺を並べていく。
一部の兵たちは、大将の意図に気付き始めていた。
「そうか。竜巻を東にそらすつもりなんだ。いわばこの油は、竜巻をおびき寄せるための餌」
素早い判断が、ほんの少しの工作時間をもたらした。
すべては無理でも、一部の油の壺を通路に配置できた。
(人事は尽くした。あとは天命を待つのみ)
頼む、成功してくれ。
大将は本気で祈った。
「おお! 竜巻が、わずかに東に……!」
目論見は成功した。
わずかに、だが。
「だ、ダメだ。炎の竜巻の勢いが強すぎる」
川の水は、川の形に沿って流れる。
だがそれは、あくまで許容範囲においての話だ。
大雨などで勢いを増した水流は時折、蛇行する川の流れを無視して直進する。
不可能、人の手で災害を操ろうなど。
「やっぱり、無理だったんだ」
「ここまで……か」
ここに、バルテリス軍の終焉が決定した。
もはや打つ手は無い。
火災旋風の足は速く、もはや逃げ惑うだけの猶予もない。
そのための貴重な時間を、彼らは焼け石に水同然の、油の壺を並べるために使ってしまった。
盤面は詰んだ。
逆転の一手は存在しない。
少なくとも、盤上には。
「……?」
始まりは、一人の兵士だった。
空に、光が差し込んでいることに気付いたのだ。
夜明けだろうか。
いいや違う。
夜明けは東の空からやってくる。
翻って、いま、夜の闇を引き裂いて、天から降り注いでいる光は天の中心に端を発している。
夜明けではない。
男は最初、それが何であるか気付かなかった。
だが、すぐに、それが何であるかに気付く。
「オ、オルレリア、様」
そこに、人がいた。
聖女と意外に表現のしようがない、神聖さを放つ女が目の前に立っていた。
聖女は彼女の代名詞ともいえる旗を天に掲げると、音波の体を成さない言語で、いま挫けそうな兵士たちに語り掛けた。
『私に続け』
聖女が、身の丈よりも大きい旗を振る。
その瞬間、不思議なことが起きた。
「……ッ⁉」
「突風が!」
「み、見ろ、炎の竜巻が、押し返されていくぞ」
繰り返すが、天災とは、人の手では抗えない、だから天災と呼ぶ。
ではもし、その天災を押し返す者がいれば、それはきっと――
「これが、神の御業……!」
人知を超えた、天の遣いに他ならない。
「うおぉぉぉぉっ! オルレリア様ぁ!」
「聖女様が駆けつけてくれたぞぉぉぉぉ!」
「やはり、天は我らに味方した!」
「おおっ! おおっ! なんたる、なんたる幸せ。まさか聖女様の御尊顔を、お目に掛かれる日がくるとは……!」
大歓声が、巻き上がる。
すると聖女の旗振りによって発生した神風が、さらに勢いを増す。
続けざまに、聖女がもう一度旗を振る。
先ほどよりも強い風が吹き付けた。
その風は、強大な火災旋風を一瞬にして消し飛ばした。
否、火災旋風だけではない。
「す、すげぇ」
「アルカディア中の火の手が、消えていく」
「これが、神の力……」
火が消えると、やがて国に夜の闇が戻った。
そこに来て、聖女オルレリアがアルカディアに生きる者たち全員に、平等に微笑みかける。
天から差し込む光芒の下、慈愛に満ちた笑顔を向ける聖女に、人々は涙を流した。
「ああ、我々は、なんと愚かなことをしていたのだろう」
「バルテリスも、アルカディアも、みな等しく、人の子」
「我らに、聖女様は手本をお示しくださったのだ。争い合うのではなく、手を取り合う、手本を」
国中、あちこちから、大歓声が巻き起こった。
いや、中だけではないか。
「ふ、ふざけるな! 貴様ら、もう一度だ! もう一度火矢を放て!」
「もう、もうやめましょうよ、教皇」
「な、なにぃぃ」
防壁の外へ逃げ出していた者、バルテリス兵を討ち取るべく、防壁の外で弓を構えていたもの。
誰もがもはや、戦いの意志など失っていた。
「こんなやり方、間違っています」
「貴様、ただの一兵卒が教皇に口答えする気か!」
「お言葉ですが、たかが教皇が、どうして聖女様の意志にお背きなさるのですか」
聖女オルレリアは神の声を聞いた。
天の御心の代行者。
それは、民が広く知る話だ。
アルカディアが天を崇拝する教義ならば、
天の遣いである聖女こそが絶対。
彼女の意志に背くそれすなわち天に弓引くこと。
「くそぉぉぉぉぉっ!」
バルテリス兵による、大聖堂奪還作戦。
その結果は、奪還の成功と、そして和平という結末をもって、終幕を迎えたのだった。




