第29話 לְהַגֵן
酔いも覚めるような惨劇。
夜を煌々と照らす、灼熱の海。
兵士の一人が酷く狼狽した様子で指示を仰ぐ。
「大将、ど、どうしますか」
大将は動かない。
「大将!」
返事がないことに不安を感じた兵士が、語調を強めて問い直す。
大将はそれでも沈黙を続けたが、やがて、ろくな手が残されていない、と悲嘆するように宣言した。
「今日この土地が墓標になっても構わない。その覚悟が無いものは、バルテリスへ逃げろ」
ざわめき止まぬ兵士たちに、大将は補足する。
「火の手は北側から迫っている。南門からなら、脱出も可能だ。しかし猶予はない。覚悟が決まらぬもの、悩むものは、命令だ。疾く、去ね」
兵士たちが固唾を呑む。
「た、大将は?」
「俺は、大聖堂を守る」
その一言で、いままで、隊長の言葉に耳を傾けていた者たちが口々に騒ぎ立て始めた。
「大将、正気ですか⁉」
「大聖堂はアルカディア教の総本山ですよ⁉」
「そんなところを守ってどうするんです!」
「無駄死に! そんなことしたって、何の得にもならない! やる意味がない!」
大将がおもむろに、右手を挙げる。
大仰な仕草はいらない。
ただそれだけの動作で、兵士たちが一様に、押し黙った。
事前に取り決められたハンドサインではなかった。
しかしいまの大将には、物言わさぬ、凄みがあった。
統率者を失った虫の軍隊のように取り乱していた兵たちが、鎮まる。
「意味なら、ある」
大将は続ける。
「我々は聖女オルレリア様の遺体を発見した。大聖堂内部でだ」
「で、でしたら、聖女様の眠る棺を引っ張り出して持ち帰りましょう!」
「ならぬ。聖女様の安眠を妨げるなど、絶対にあってはならぬ。無論、二度の灼熱地獄を体験させることもだ」
故に、大将が下した決断は、大聖堂の死守。
より厳密に言うならば、聖女オルレリアの安息の防衛。
「これより大聖堂周辺の建造物の解体作業を開始する」
火の手が早い。
町中にばらまかれた油が、延焼を加速させているのだ。
「死地だ」
火傷を負うだけがリスクではない。
喉や肺が焼ければ窒息死するし、そうでなくても一酸化中毒で死ぬリスクもある。
もちろん、彼らはそこまで論理的に理解できてなどいない。
しかし、火災現場がいかに危険化は、生物として生まれ持つ本能が理解していた。
「故に、強制はしない」
兵士となった者ならば、戦場に生き、戦場で散ることこそが誉れ。
「愚かな上官のわがままに付き合わされ、炎の海に飛び込むなど出来ぬという者もいるだろう」
それを咎めるつもりなど、毛頭ない。
「だから、これはお前たちの上司としての命令ではなく、一人の、聖女を信奉する者としての、頼みだ」
大将は、惜しげもなく、深々と頭を下げた。
「ともに、聖女様の安息を、守るために尽力してほしい」
……大将は、ここにいる兵士たちの憧れだった。
誰も彼の槍の前には歯が立たなかった。
ここにいる兵士たちだけの話ではない。
大将がまだ一兵卒で、年若いころからの話だ。
幼いころから神童の名を欲しいままに、才能に陰りを見せることなく天才へ。
自らの才能に驕ることなく鍛練を続け、他に類を見ない速度での昇進に次ぐ昇進。
いわゆる生きる神話という男で、若い兵士たちには彼の後を追って兵士を志望したものも多い。
だから、始めて見た。
これほどまでに情けない彼の姿を。
「何言ってるんすか、大将」
だから、口を挟まずにはいられなかった。
「ここにいる全員、大将が上官だから命令に従ってるわけじゃないっすよ?」
「そっすよ。俺たちは、大将が大将だったから、進んでついてきたっす!」
「大将は、俺たち全員の憧れなんです」
「だから、そんなみっともねえ姿見せないでください」
「いつも通り、胸を張って、堂々と言ってくれたらいいんですよ」
大将が、頭を上げる。
彼が予想していたのは、失望し、立ち去る彼らの姿。
だが、実際にはまるでそんなことはなく。
「『俺についてこい』と」
温かい笑顔で、大将を励まそうとする、仲間の姿だった。
(ああ、なんという、勘違いをしていたのだろう)
大将は感動で、涙をこらえきれなかった。
(そうだ、こんなところで弱気になっている場合ではない)
火の手はますます苛烈さを増している。
時間の猶予は、わずかもない。
「全員に告ぐ!」
迷いは振り切った。
後は全身全霊を注ぎ、天命を待つ。
「これより大聖堂防衛作戦を開始する。俺に、続け!」
「「「「うおぉぉぉぉぉっ!」」」」
ちなみに、この時兵士たちは酔っていた。
シラフだったら、こう簡単に命を預けるなどいかなかったかもしれないが、後の歴史にそんな間抜けな話は残らないのが幸いだったと言えるだろう。
◇ ◇ ◇
大聖堂周辺の建造物の取り壊し作業が突貫で行われている。
「そぉれい!」
取り扱う作業具は、手ごろな工房から拝借、もとい略奪した木槌や鉄槌などの鈍器。
それで壁をタコ殴りにする。
しかし、作業は遅々として進まない。
「くぅ、硬ぇ」
「もう一回だ。せーのっ!」
宗教国家アルカディア。
その基盤となるのは人類最古の国家、アルカヘイブンだ。
その技術力は、時代を千年先取りしたと後の歴史に書き記されるほどである。
そしてそれは建築技術においても同様だ。
作業を遅らせる要因はそれだけではない。
「ヴ、あ、頭が」
「お、おい! 大丈夫か⁉」
「また一人倒れたぞ!」
「くっ、それもこれも、全部この、舞い散る火の粉のせいだ!」
否。
真に彼らを苦しめているのは、先ほどの酒盛りのアルコール。
なのだが、そのことに気付いていない兵士たちは、火の粉を吸って倒れたと思い込み、プラシーボ効果でさらに隊長を悪化させるという悪循環に陥っている。
それだけでも死屍累々の様相を呈している火災現場だったのだが、さらに悪いことが重なる。
「ぐぁっ!」
「お、おい、無事か⁉」
「肩を、射貫かれた……っ!」
「なんだって⁉ まさか……アルカディア軍⁉」
兵士が予想した通りであった。
防壁の内側に火の手を放った後、アルカディア軍は防壁内側に残っていた仲間と矢文で連絡を取り合い、バルテリス兵が大聖堂に終結することを掴んでいた。
アルカディアは彼らの勝手知ったる庭みたいなものだ。
だから大聖堂の位置をきちんと把握していたし、防壁越しでもおおよその位置はつかめた。
そこで、大聖堂に最も近い防壁付近に陣取ると、弓兵部隊を使って、曲射。
大量の矢が、空から雨のようにバルテリス兵を襲う。
士気が落ち、臆病風に吹かれた兵士たちが逃走を考え始めた、まさにそのとき。
「うろたえるな!」
大将の檄が、大気を震わせた。
「おおよその狙いを定めようと、所詮は物量に物を言わせた運頼みの攻撃! 天は、聖女の安眠を守るべく働く我らに味方する! 矢の雨など当たらなければ恐れるに足らぬ!」
理屈はわからなかったが、パッションは通じた。
なんとなく、敗走しづらい空気がバルテリス兵の間で共有される。
ひとまずは、それでよかった。
大将の本命の訴えは、次の言葉。
先のお題目は、兵士の気を集めるための布石。
「それともなんだ! 貴様らの聖女様を守りたいという気持ちは、この程度の矢で恐れなし、吹き飛んでしまう者だったのか! とんだ臆病者よのぉ!」
がはは、と大将が笑い飛ばす。
空元気、ではなかった。
彼は本気で、本心で、それを本望と思っていた。
ここが墓場になる?
大いに結構。
聖女様の安息を守れるならば。
その、信念が、言語にできない強い思いが、兵士たちの間に、共感を揺り起こす。
「冗談じゃねえっす! 俺っちはまだやれるっす!」
「そうですよ! あんま見くびらないでください!」
「言っておきますが、言われなくてもそのつもりでした。本当ですからね。本当だって言ってるじゃないですか、疑ってるんですか⁉」
大将は今度は、小さく、笑った。
ああ、本当に、頼もしい仲間を持った。
(俺は、幸福モンだ)
再度取り壊し作業が開始される。
掛け声を出し、息を合わせ、横から強い衝撃を加える。
まだ間に合う。
そう信じ、祈り、解体作業に全神経を捧げる。
しかし。
いくつもの危難と直面しながら、辛うじて戦意を保っている彼らの前に、さらなる困難が押し寄せる。
空に、極大の火柱が立った。
油だ。
確かに、この焦土作戦において、食糧庫からは大量の油が持ち出され、町中――主に北側だが――にばらまかれていた。
だが、全部ではない。
食糧庫にはまだまだ大量の油が残されており、それがいま、時間差で引火した。
極大の炎が、天へと駆け上がる。
「……なん、だよ、これ」
◇ ◇ ◇
その現象は、関東大震災でも観測されている。
大規模な火災の際、局地的に吹き付ける強い風が、炎の竜巻を生み出す災害。
名を、火災旋風。
「冗談だろ、おい!」
それがいま、大聖堂めがけて肉迫してきていた。




