第28話 לֶהָבָה
故郷を捨てた教皇は、前もって行っていた募兵の成果といえる集団とともに、駐屯地で夜を越そうとしていた。
「ああっ、寒い! くそ、何故私がこんな目に!」
家の作りやうは夏をむねとすべし、冬はいかなる所にも住まる、とは言うが限度がある。
防寒具で隠し切れない目のあたりの隙間から、肌がひび割れそうな冷気が伝ってくる。
それでも教皇はまだマシな方で、衣服もほかの者より分厚く着こめたし、貴重な木材も使用して、優先的に暖をとれた。
だが、文字通り温室育ちの教皇には厳しい環境であることに変わりはない。
「……炎」
ぼんやり、かがり火を見ていたから、思いついた。
「超人的な再生力を持つ聖女を殺したのも、炎だった」
どんな手段を用いたかはわからない。
だが、バルテリスの兵どもが聖女オルレリアと同じく超再生能力を会得したことは間違いない。
同時に、不死殺しの術も得たようだが、聖遺物移植者が全員もれなく殺されたいま、一番の脅威は彼らの再生力。
重要なのは、それを超越する方法。
「焼き討ち」
教皇がぼそりとつぶやいた。
本来、夜の静けさに呑まれて消えていくはずだったその言葉は、しかし一介の兵士が聞き返したことで、具体性を帯びることになる。
「きょ、教皇様、いま、なんと」
「焼き討ちと言った」
「や、焼き討ちとはまさか、大聖堂を、ですか?」
「否」
教皇が、犬歯をむき出しにするような醜悪な笑みを浮かべている。
「アルカディアそのものを、一度焼き払う」
ざわ、ざわ、と兵士たちの間に緊張が走る。
「し、しかし、アルカディアにはまだ多くの国民が残されたままです」
「構うものか。恐れるべきは、資源がバルテリス側に流入すること。阻止するための手段は、焦土作戦を行うこと。何故それがわからぬ!」
資源というのは、何も食糧庫に蓄えてある穀物だけの話ではない。
国民という、労働人口。
あるいはアルカディア教の運営費の捻出元である、信徒。
そして、聖女オルレリアの超再生能力の再現技術。
それら全てを含有したものだ。
「もはや我々は資源を失った。ゼロ、振り出しに戻された! ここから大事なのは逆、いかに相手の戦果を無に近づけるか!」
国をまるまる奪われるのが、一番の痛手。
それならば。
一度奪われてしまった国ならば。
「終焉を招き、国を新たに興し直す」
◇ ◇ ◇
一方、アルカディア国内、兵舎。
バルテリス兵たちは一時の喜びを分かち合っていた。
今回の交戦で、死人は出た。
決して少ないとは言えない数だ。
しかし、奪還した、聖女オルレリアの眠る地を。
そのうえ、聖女の魂から直々に、再生能力まで授かった。
そんな話を聞かされて、人々の信仰パワーは天元突破状態だ。
食糧庫から奪った飯がうまい。
酒が進む。
ここ最近、寒い原野で夜を明かし続けてきたから、温かい住環境というのが荒んだ心にしみる。
「そこで俺は聞いたんだ。『私を探して』。どこからともなく聞こえてくる不思議な声は奇妙以外の何物でもなかったが、どこか安心できる声だった。だからその声に従って施設内を探索していると、なんと隠し扉があるではないか」
当然、始まる、兵士たちの自慢話。
いつの時代も見栄を張りたがる者はいるもので、今回もまた一人の兵士が手柄を大げさに主張して嘘八百を並べ立てている。
彼は声など聞いていない。
既に聖女は死んでおり、脳波ネットワークは機能していない。
聖女の声など聞けるはずがない。
もし仮に、彼が本当に、幻聴か何かを聞いていたとしよう。
隠し扉を見つけたのは彼ではない。
だから、男は誰かから「扉を見つけたのは俺だ!」と苦情が来ることを予想していた。
そこで言い返してやるのだ、「いいや見つけたのは俺だ」と。
そこまでくれば水掛け論。
後は弁舌に強い自分が手柄をかっさらえるという算段だった。
だが、しかし。
意外なことに我こそが隠し扉を見つけた者であると主張する者が出てこない。
当然だ。
なにせ、隠し扉を見つけたのはハクが遣わせた分身体。
正規の兵士ではなく、また、既にこの場にはいない人間なのだ。
男は少し不思議に思いながらも、彼にとっては都合がいい話だったので、ありがたく手柄を横取りすることにした。
これが後に予言者として名を遺す兵士、バルトロメオ爆誕の瞬間である。
「隠し通路の先で見つけたのは聖女オルレリアの眠る棺。そこで大将が信心深い祈りを捧げると、天井から光が差し込み、神々しい御姿の聖女様の姿が!」
「おお!」
「それから? それから?」
「聖女様は我々の前に盃を差し出すと、自らの指を先、盃を聖女様の血で満たしたのだ。我ら聖女様に心臓を捧げし者、聖女様の体液を吞めるならと喜び勇んで呑むと……なんという神の御業、我々の傷はふさがっていた!」
「おおっ!」
彼らは羽目を外していた。
敵軍をアルカディアから追放したいま、恐れることは何もないと思っていた。
何せこの城は、攻める箇所が無い難攻の要塞。
たまたま、アルカディア国内からバルテリスに組する内通者が現れたから勝てたものの、そうでなければ飢え死にするか、凍死するか、病死するかしか残されていなかったのは明白だった。
そこを、今度は守る側に回るのだ。
多少気を抜いていても問題はない。
と、いう発想が許されるのは一般兵までだ。
大将格ともなれば話が違う。
内通者、その恐ろしさを彼は身をもって知った。
既に敵と款を通じている者はいないか。
今後敵と秘密裏に接触する物が現れるのをどう防げばいいか。
また、情報が漏洩した際にどのように検知すればよいか。
考えることは山ほどある。
だから、彼は、何か妙案を思いつかないものかと、探索を兼ねて町を練り歩いてみていた。
……ふと、気付く。
(うん? さきほどから、何人かと頻繁にすれ違っている気がするな)
違和感。
街を歩いているのだ。
人とすれ違うことに不思議なことは無い。
だが、そのすれ違う人物の顔に、何度も見かける顔があるとなれば話は別。
(そうだ、あの男、この周辺をぐるぐるとせわしなく駆けまわっている)
何か、きな臭いものを嗅ぎ取った。
(どうする、問い詰めるべきか? だが、のらりくらりとはぐらかされてしまえば?)
少し悩んで、後を追うことに決めた。
尾行は気づかれていないようだった。
だから、男の後を簡単に探れた。
(食糧庫? 何の用だ?)
泥棒だろうか?
いや、それにしては犯行に及んでいる時間が長過ぎる。
初めて彼を街で見かけたのは、もう一刻以上前の話だ。
犯罪行為は時間をかければかけるほど発覚しやすい。
ただの泥棒と考えるには、リスクが高すぎる。
ならば、兵舎に食糧配達でもしているのだろうか。
いや、それも怪しい。
先ほどから、何度もすれ違っているな、と感じているのは彼一人ではない。
全員が同じ目的とは限らないが、複数人で行動していると仮定すれば、明らかに搬出量が消費量を上回る。
だから、食糧配達の線も消える。
いったい、何をしているんだ。
不思議に思って、男が食糧庫から出てくるのを待っていると、壺を抱えて出てくるのが見える。
(油? それも、壺ごと?)
壺を大事そうに抱えて、男は走り出した。
細い路地を駆けていく。
そして。
バシャ。
壺の中身が、ぶちまけられる。
通路が油に塗れる。
男は一息つくと、壺を物陰に隠し、何食わぬ顔で大通りに出て行った。
「……しまった!」
内通者の今後を考えている場合ではなかった。
「敵は既に、防壁内部で工作活動を開始している!」
大将は慌てて兵舎へ引きかえした。
知らせなければ、敵は侵攻の準備を虎視眈々と進めていることを、火の手はすぐそこまで迫ってきていることを。
大将は走った。
幾度となく、めまいを感じた。
もう何日も寒い原野で夜を超す生活を続けていたのだ。
いくら壮健で知られる彼でも体力は落ちていたし、まして日中に大きな戦を終えた後であればなおさらだ。
それでも、こんなところで膝を突いてはいられない、と気を取り直しては、重たい足取りで兵舎を目指す。
兵舎にたどり着いたときには足が棒になり、膝が笑っていた。
情けない、だが、間に合った。
間に合ったのだ。
「お前ら、よく聞け!」
彼の怒声は、辛うじて彼らのどんちゃん騒ぎを掻き消した。
「敵が反撃の機会を窺っている! やつら、町中に油を放ち、火を放つつもりだ! 全員、いますぐ持ち場につき、これを鎮め――」
兵舎の窓から突然、強い光が差し込んだ。
日光ではない。
もっと赤々しく、生物が、根源的に恐れる代物だ。
熱エネルギーと光エネルギーの集合体。
その名は、炎。
「くそっ!」
宗教国家アルカディアに、火の手が迫る。




