第26話 כוס דם
「やった! やりましたよ!」
兵士の一人が歓喜のあまり舞い踊る。
「やつらの超再生能力見たでしょう? 聖女様の遺骨があれば、俺らはまだ戦えます!」
「ダメだ」
ぴしゃり、と大将は男の言葉を遮る。
「た、大将。聖女様の遺骨に手を出すのが畏れ多いのはわかります。けど、そうしないと俺たちここで終わりっすよ⁉ 聖女様の遺体を奪還するなんて夢のまた夢! それでいいんすか⁉」
「そういう話をしているんじゃない」
「ならどういう」
「体格だ」
男は、自分が随分昂奮していることを客観的に分析していた。
なにせ、悲願だった聖女の遺体が目の前にあるのだ。
冷静でいられる方がおかしい。
だが、それはそれとして、戦場で指揮官が冷静さを失えば終わりだ。
彼だけは常に、慎重さと豪胆さの中庸にいなければならない。
だから、気付けた。
「気付かなかったか? 教皇が抱きかかえてる不死身集団、どいつもこいつも背格好が似通っていやがった」
「そ、それがどうしたんです?」
「あいつらは、適合した側の人間ってことだ。つまり、適合の条件は」
「あ」
兵士の顔から血の気が引いていく。
そう、彼も気づいてしまったのだ。
「聖女オルレリアと、似通った体格でないといけない……?」
教皇は、適合しなかったものは犠牲になったとも言っていた。
「聖女オルレリアが死んだのは16か17の頃」
つまりとっくに第二次性徴が終わり、男女の性差が如実に表れてからのこと。
「俺たちじゃどうあがいたって不死者にはなれやしねえってこった」
活路を見出したと思ったら、一転、絶望に叩き落された。
兵士たちの表情に影が落ち、一様に、消沈している。
ただ一人、大将だけを除いて。
(考えろ。ここに導いたのはあの男だ。何かしら思惑があるはずだ。まさか、絶望に叩き落すためとか、冥途の土産とか、そんな理由じゃないだろ?)
確信はない。
むしろ、ただの希望的観測だ。
そうであってほしい。
「神よ、神よ」
男は虚空に語り掛けた。
「もし、聖女オルレリアに祝福を捧げた神がおられるなら、どうか我々に救いの手を」
男は祈りを捧げる。
片膝をつき、額の前で指を折る姿勢は、その辺の敬虔な信徒より信心深い様相を呈していた。
「いま、あなたの祝福を受けた聖女の遺体を弄ぶ者が、我が物顔で猛威を振るっております」
捧げる祈りのポーズに、ぐっと力が加わる。
目じりに涙が溜まって、次から次へと零れ落ちていく。
「彼女を救う術を、どうか我らに……!」
その時、不思議なことが起きた。
「な、なんだ、何が起きているんだ」
聖女の眠る棺が、突然煌々と輝き始めたのだ。
すると室内にもかかわらず天井から光芒が差し込み、どこからともなく、一人の女性が現れる。
「お、おお……! まさか、あなた様は!」
その神々しい御姿に、兵士たちは膝をつき、ぼろぼろと涙を零し始めた。
「間違いございませぬ……! あなた様こそが、聖女様でございますね……!」
大将が皆を代表し、その女性に声をかける。
神々しい女性はしかし、困ったように眉をハの字に曲げて微笑むばかりだ。
「まさか、声が出せないのですか?」
神秘的な女性はおもむろに目を閉じ、静かに頷いた。
(死者、だからか。いやあるいは火刑という最後で喉を焼かれたから?)
男には理由を推し量ることしかできない。
だが、どんな理由があったとしても、些事なことだった。
いま、大事なのは、天への祈りが届き、こうして聖女オルレリア様の御魂と立ち会うことができたということ。
それ以上の至福があるだろうか。
「……え?」
あった、のである。
「こ、これは」
大将は困惑した。
いや、大将だけではない。
その場にいた全員が、目を丸くした。
聖女は懐から小さなナイフを取り出すと、その指先を切り裂き、グラスに注ぎ始めたのだ。
聖女の血がなみなみと注がれたグラスが、その場にいる兵士の人数分用意され、彼らの前に置かれる。
「こ、これを呑めば、よろしいのですね?」
聖女はにこやかに笑った。
だから、彼らは一切の躊躇なく、呑み干した。
「う……っ⁉」
激痛が、全身を駆け抜けた。
(なんたる、痛み……! まるで体の構造を、内側から書き換えられるかのような……!)
彼らは、笑った。
(ああ、なんたる行幸)
彼らは理解した。
これは聖女様がわれわれに下した試練なのだと。
この激痛を超えた先に、祝福が待っているのだと。
上等である。
彼らは、兵士だ。
やせ我慢なら得意分野である。
「ぷはぁ」
最初に、血の注がれた盃を呑み干したのは大将だ。
そのころには、自らの体が変異を完了していたことに気付く。
「わき腹の傷が、ふさがっている」
つまり、彼らは手にしたのだ。
聖女が有していたといわれる超再生能力を。
期せずして、不死の軍勢と立ち向かう術を。
一人、また一人と、血の盃を呑み干し終えた者が増えていく。
誰一人として脱落者はいない。
そのことが、彼らの思い込みを加速させた。
「聖女様は望んでおられる、我々の勝利を、その御神体を我々が奪還することを」
折れかけていた心が立ち直る。
沈みかけていた士気が、限界を超えてバーストする。
「行くぞ! 勝利を、聖女様のもとに!」
「「「「うぉぉぉぉぉっ!」」」」
◇ ◇ ◇
人里離れた集落、崑崙。
そこで、一人の女性がうすら笑いを浮かべ、男にもたれかかった。
「師父、手筈通りに」
「ご苦労だった。ハク、お前がいてくれて助かるよ」
「あぁ……、そんな、もったいなきお言葉」
ここで、ネタ晴らしをしておこう。
聖女がいた墓に現れたのは、聖女の魂ではない。
ハクが遣わした、彼女の、分体だ。
つまり、正確にはこう。
不死の軍勢を前に窮地に立たされたバルテリス軍が見た影。
あれがそもそもハクの分身体だったのだ。
ハクはそのまま、大聖堂と地下通路で結ばれた施設へ赴くと、物陰に隠れて衣装替え。
バルテリスの一兵卒にまぎれて、あたかもたったいま見つけたと言わんばかりに隠し通路を報告する。
つまり、謎の影はその施設内で消えたのではなく、一般バルテリス兵として紛れ込んでいたのだ。
そして首尾よく案内したあと、再び物陰に隠れて衣装を変更。
今度は、聖女オルレリアと誰もが勘違いするような、神聖な衣装で登場するのだ。
天井から差し込む光芒は、彼女がこの50年で会得した炎魔法の応用技術。
ここまで神聖さを演出して、さらに聖女オルレリアの遺骨まで用意してやれば、後は勝手に本物の聖女の魂と出会った、と勘違いしてくれるってわけだ。
「師父、一つよろしいですか?」
「なんだ」
「何故、わざわざ人の手でオルレリアの遺体を回収させることにしたのですか?」
ハクは質問が一つといい、実際に一つの質問文で終わらせたが、そこに含有される疑問は三つある。
一つは、何故自ら、あるいはハクに行わせなかったのか。
そして二つ目が、何故いまなのか。
最後に、何故奪還しようと思ったのか。
ハクは質問は一つだといったのだから、どれか一つに答えればお願いは叶えたことになる。
だが、せっかくなので丁寧に、一つ一つ答えることにした。
「一つ、オルレリアは俺が生み出した作品だからだ。後世の人間が蛇足を付け加えるのが気に食わなかった」
オルレリアは救国の聖女であるべきなのだ。
腐った教会が、手駒として使役していい代物ではない。
「二つ、穏健派を黙らせられる絶好の機会だったからだ」
かつてとある哲学者が言った。
――幸福で安全だった時代は歴史のうえでは白紙になる。
穏健派の、平和至上主義は大層ご立派な思想ではあるが、英雄譚の観点から見れば非生産的な思想であると言わざるを得ない。
だから、個人的には過激派の方が好みなのだ。
「そして最後に、その方が面白いからだ」
ハクが言う通り、俺が出向くのが一番早い。
それが煩わしいならハクを使えばいい。
だが、それではあまりにあっけない。
「多少予測不能なくらいが丁度いい。すべてがわかり切った物語ほどつまらないものはないだろう?」
ハクに問いかければ、彼女は全肯定の笑顔を浮かべてみせた。
「ふふっ、さすが師父。スケールが違いますね」
さて。
舞台は整えてやったぞ、人類ども。
「この後どうなるか、せいぜい楽しませてもらうよ」
さあ、紡げ。
まだ誰も知らない、神話を。




