第24話 אַלְמוֹתִי
「ほ、本当なんでしょうか、あの話」
夜明け前のバルテリス兵駐屯地で、一兵卒が今後について不安そうに呟いた。
それに、大将が答える。
「信じるしかあるまい」
先刻、アルカディア国からやってきた男が持ち込んできた取引は耳を疑う内容だった。
(城壁から縄梯子を下ろすから、攻城の足掛かりにしろ、か。こんなにもこちらに都合がいい話があるのだろうか)
確かに、それができてしまえばあとはたやすいことだろう。
内側に忍び込めてしまいさえすれば、中から門を開いていけばいいだけなのだ。
バルテリスの兵士が一気になだれ込めば、いくらアルカディアといえど崩れる。
勝利は決まったも同然だ。
そんなことを手引きして、あの男にいったい何の得があるというのだろうか。
(いや、考えても仕方あるまい)
疫病のおかげで兵士の五分の一が既にダウンしている。
彼らを率いて撤退はできない。
撤退をするなら、彼らを見捨てるしかない。
仮に、その辺のもろもろの事情を非常になることで解消したとしても、『大群を率いて進軍したにもかかわらず戦うこともせず多くの兵を失って敗走した臆病者』という風評が流れる。
そういった理由から、棚から落ちてきた牡丹餅だろうと意を決して食らうしか彼には選択肢が無かった。
もしその牡丹餅に毒を盛られていたならそれまで。
せめて一矢報いて華々しく散る。
それが最善の選択。
「き、来ました!」
東の山が紫色に燃え始めると、城壁に、何人かのシルエットがぼんやり浮かんで見えた。
その何人かが、投網するような動作で一斉に何かを放り投げる。
縄梯子だ。
あの胡散臭い男が提案した通り、本当に、アルカディア攻略のための糸が垂らされたのだ。
大将は自らの心に問いかけた。
本当にいいんだな?
こちらをおびき出し、のこのこやってきたところを集中砲火する罠かもしれない。
それでも。
「これよりアルカディア攻略作戦を開始する」
作戦はひっそりとすすめられた。
垂らされた縄梯子を使い、バルテリス兵が城門によじ登ると、敵軍の協力のもと門の開閉を取り仕切る装置へ。
そして、門が開かれる。
「全軍、突撃」
「「「「うおぉぉぉぉぉっ!」」」」
兵士の咆哮が、大地を揺らした。
ここで、一時休息をとっていたアルカディア軍に驚愕が走る。
「なっ! バルテリス兵⁉ いつの間に……なぜ城門が開いている⁉」
「敵襲! 敵襲! 総員、直ちに迎撃態勢を取れ!」
完全なる奇襲だった。
アルカディア兵の中には、わけもわからないままに死んでいった兵士も数多くいた。
そのうえ、不測の事態に統率も取れず、陣を敷く前に各個撃破されていくものだから、被害はさらに甚大になった。
守護の一角は瞬く間に陥落した。
並行して、城壁にそって左右両隣の門を目指し、バルテリス兵が進軍している。
彼らが同じ要領で門を開くと、さらにそこから、外で待機していたバルテリス兵が一斉になだれ込んでくる。
崩壊した戦線に、対角からの同時攻撃。
アルカディア兵は混乱の境地に立たされ、戦況はますますバルテリス優位に進んでいく。
(こ、こうもあっさり進むものなのか……)
大将はあっけにとられていた。
確かに、この作戦の決行をかじ取りしたのは彼だ。
しかしその案は敵国の者からもたらされたものであり、いざ開戦する直前まで、彼は罠を警戒していたのだ。
しかし、蓋を開けてみればどうだろう。
敵は罠を張るどころかまるで警戒が足りておらず、奇襲は大成功。
あれほど難攻不落に思えた要塞が、いとも簡単に内部への侵略を許してしまっている。
(敵に内通者がいるというのは、こうも恐ろしいことなのか)
もし、自軍に裏切者がいたらと考えるとゾッとする。
(いや、いまはそれどころではない)
味方を疑うのは味方を疑う余裕がある時にするべきだ。
もう戦は始まってしまった。
後戻りはできない。
信じて、前に進むしかない。
「かかれっ! かかれぇぃ!」
この好機を逃すわけにはいかない。
勢いそのままに陥落まで推し進めるのだ。
その他一切は悪手。
簡明で明白な真実。
故に侵攻を急かす。
しかし、ここに来て、予想外の出来事が起こる。
彼らの前に、10人ほどの武装集団が突然現れたのだ。
(……なんだ、あいつら。十代半ばくらいの、娘?)
男はいぶかしんだ。
そこに並ぶ女たちは、誰も彼もが似たり寄ったりな背格好をしていたのだ。
一応、顔の形や髪を見れば個性豊かであり、見分けはつく。
しかし、薄気味悪いことに、その女たちは一様に、無表情なのだ。
侵略に来た彼らを恐れる気配もなく、かと言って彼らを追い返すべく必死の形相で食らいつくでもなく、ただ虚ろな表情で、彼らの方をじっと見つめている。
「っ! 情け容赦は無用だ! 大聖堂への道を阻むものは誰であろうと退けろ!」
ぶんぶんと槍を振り回し、大将が先陣を切る。
槍の穂先が女の肩口から、斜めに、わき腹へ駆けて深い傷を負わせる。
真っ赤な血飛沫が上がり、地面が血みどろの様相に染まる。
(ハッ、こけおどしか)
不気味な様子に戸惑ったが、この程度の雑兵であれば何の脅威もない。
そう思い、斬り殺した娘の横を駆け抜けようとして――、
「……あ?」
わき腹に、熱い痛みが走った。
「が、……あっ⁉」
反射的に、拳を振るっていた。
ぐちゃりと、肉をつぶす、あるいは頬骨を砕く感触が拳越しに伝わった。
女の顔面を砕いて、突き飛ばしたのだと理解したのはそれからだ。
一旦の安全マージンを確保したうえで、男はわき腹の激痛の正体を探る。
(ナイフ……? 刺されたのか? そんなはず……)
嫌な汗がじわじわと噴き出した。
(確かに殺した。肩口からわき腹にかけての傷は致命傷だったはずだ。反撃なんざできるはずが……)
男は、驚愕の光景を目の当たりにする。
「……嘘だろ?」
女を突き飛ばした跡にできたがれきの山。
そのがれきを粉砕し、砂煙をかき分けた先から、10代半ばの女がゆらりと姿を表す。
その女の衣服は、肩口からわき腹にかけて、斜めに切り裂かれていた。
その引き裂かれた衣服の下からは真っ赤な筋繊維や臓物が顔をのぞかせており、間違いなく、男が槍で切り裂いた女だと断定できる。
しかし。
「どうなってんだ、これは、不死身か?」
その傷口は、みるみる内にふさがり始めていた。
ぐしゃぐしゃに押しつぶしたはずの顔も、気付けば復元されていて、もとの無表情の虚ろの瞳が、男の姿を捉える。
「侵略行為を確認」
抑揚のない、淡々とした口調で女が声を発する。
「排除します」
男は何か悍ましいものを感じ取った。




