第9話 可能性
土蜘蛛を収容しようと巣に踏み込んだクロエは、巣の外から水流を掻き分け顔をのぞかせる土蜘蛛と対面する。
「気持ち悪っ! 土蜘蛛の見た目って……いや、まあ虎の顔に蜘蛛の体だけどさぁ、流石にそのパーツの配置は趣味が悪すぎるでしょ! 誰だよこんな見た目のバケモン考えたやつ、頭湧いてんじゃないの?!」
土蜘蛛の見た目に嫌悪感を抱き、クロエは土蜘蛛の作者にまで愚痴を言い始める。
「作者不詳の妖怪の作者に文句言ったってどうにもならないだろ……。どうするんだクロエ、入るか?」
「入る! 入るます!」
ブックの問に、噛みながら食い気味に即答する。
次の瞬間、クロエの目の前から土蜘蛛が消え、巣の外から出されて渓谷の中心でたちずさんでいた。
「お前、ああいったの苦手なんだな……八咫烏捻り潰したりするくらいだから、てっきりそういう感情ないのかと思ってたぜ」
ブックは驚き、笑いながら聞く。
「いや、私だって基本的には生物は好きだよ? でも流石に薄暗いところで突然あんな巨体のあんな顔を見せられたら……流石にゾワッとするよ」
両手で肩をさすり、身震いしながら答える。
「そいえばさ、八咫烏の時はすぐ捕まえて終わったけど、ブックの中にいる場合は“可能性の発現・強化”をしてくれるって言ってたよね? 例えばどんな事が出来るの?」
クロエの問にブックは少しの間考える。
「簡単に言うと、“自分はこういうことができる、この人ならあんなことだってできる”ていう気の持ちようだな。本人の気持ちの強さや、自分と他人の解釈が一致していれば更にその可能性は強くなって発現する。
潜在能力なんかは本来、鍛えればできるようになることとかを言うが、可能性は……そうだな、魔法が使いたいって思っても、実際に使うことはできないだろ? だが、オレの中であれば自分は魔法が使えるんだ、この人は魔法は使えそうだって心の底から強く思えば、本来使えなくても“物語の登場人物であれば、魔法を使える可能性”があるってことだ。それから──」
「ちょっと待って」
その後も話を続けようとするブックを止め、クロエは話の中でふと気になったことを聞く。
「物語の登場人物って? まるでブックの中に入ると、お話の中に入り込んでるみたいに言ってるけど……」
クロエの問をブックは肯定し話を続ける。
「オレの中は本の世界で極端な話、やろうと思えばどんなことでも際限なく出来る。
さっきも言った通り魔法を使うことだって、何ならこの場所を創り変えることだって……まあ、大抵ひとりの人間が強く思うことができるのは、本当になりたいものただ1つだけだけどな。
それと、本の中故に難点もある。例えば、多くの者が知っている話、特定の人物が特定の武器、道具を使って……とか、討伐の方法が固定化された話なんかはその特定の手順、方法で対象を仕留めなければならないことがある。
いつか遭遇するであろう物語形式での攻略はその代表例だ」
「討伐の方法が固定化……今回の土蜘蛛は何か縛りとかはあるの?」
「いや、今回は特に指定はないみたいだから好きにやっていいぞ。ただ1つ、見た目がきついからって油断して死んじまわないように気をつけて戦えよ? 帰れなくなるからな」
「分かってるよ。それにあの見た目にももう慣れた。仕事中もっと変わった顔見たりすることもあったし、それにあの顔もよくよく見れば可愛いかもね。壊したくなっちゃうくらいに」
クロエたちが話し終えると、渓谷の壁が崩れる音がする。
音のした方を向くと、土蜘蛛が壁に張り付き巨大な牙を震わせながら、クロエとの距離を測るようにひっそりと近付いて来ていた。
「あの巣は、巣に見せかけたただの囮だったのかな。今隠れずに自分から来るってことは……そういう狩りをするタイプってことだよね」
刻一刻と迫りくる土蜘蛛に、クロエは薄く笑みを浮かべながらブツブツと呟くだけで微動だにしない。
土蜘蛛は壁の中腹まで降りて止まり、第1脚をクロエに向けて上げ、第3脚を自分の体に寄せると──。
壁を叩く音が鳴ると共に、一瞬にして土蜘蛛がクロエの下へと迫る。
「やっぱり、自分の足で狩りをするタイプか。本で読んだ通りだね」
クロエは後方に跳んで躱すと同時に、ブックの中に入る時に持っていた握り拳程の石を土蜘蛛目掛けて投げる。
石は土蜘蛛が地面に着地した際に高く上げた水柱を突き抜けて、右第3脚の脛節と膝節の節目に直撃。
土蜘蛛は水柱が落ち切るよりも速く、地面を蹴り再びクロエに向かって突き出した牙を広げながら跳ぶ。
「図体がでかい割にはかなり俊敏。でも逆に、大きすぎて避ける隙間は十分なんだよ、ねっ!」
再び素早く体を後ろに反らして牙を躱すと、その勢いのまま土蜘蛛の脚を蹴り上げる。
土蜘蛛は頭から壁に激突するも、すぐさま立ち上がる。
「俊敏性、耐久性ともに高いのか……でも、流石にその脚は無事じゃなかったみたいだね」
先程クロエが石を投げつけた脚が関節から千切れ、地面に転がり落ちる。
「勢いよく着地した衝撃と同時に関節へのダメージ。透かさずその巨体で飛び掛かるために踏ん張りを利かせる。八本もあるのに3本目の脚しか使って跳ばないんだもん……耐えられるわけないよねぇ?」
クロエの緋色の双眸が、鮮やかな青色へと移り変わる。
「うーん……まともに跳べなくなっただけじゃ、流石にまだかぁ。ちょど良いや、“私の可能性”。どんな事ができるのか試してみたいし」
そう言うとクロエは土蜘蛛を横目で見るようにして、傍にあった岩に足を組み肘を付いて座る。
土蜘蛛は負傷した脚を残った脚で補いながら、岩に腰を下ろしたクロエに向かい、強く踏み込んだ脚で土を抉りながら走り出す。
「私にできること、そうだな……際限なくできるなら……ふふっ。今は会うこともできないし、次の場所を示したり連れて行ってあげたりもできないけど……また、“みんな”と一緒に……」
土蜘蛛がクロエの直ぐ側まで迫り、毒牙を広げ突き立てようとようとする。
「《無面舞踏会》」
まばたきをしたコンマ数秒、再び瞼が上げられた時に周りに広がっていた景色は──。
「良かった。みんなも応えてくれたみたいだね」
クロエの館の中に造られた、舞踏場のような……いや、今は多くの人々が集まって舞い、装飾が低く吊り下げられたシャンデリアの光を反射して色とりどりに輝いている舞踏場。
その光景を眺めるように大きな背もたれのある椅子に座る自分。
そして、その中央にはクロエに毒牙を突き立てるすんでのところで氷漬けにされた土蜘蛛。
目元のみや口元のみ、顔の半分や顔全体と思い思いに仮面をつけた人々は、中央で氷漬けにされている土蜘蛛には目もくれず、周りを囲い男女問わず手を取り合って、それぞれ好きなように舞っている。
「君にはちょっとここは寒過ぎたかな? さあみんな、そろそろ今日のディナーの時間だよ。ちょっと硬いかもしれないけど、まあ砕けば大丈夫だよね? それではみんな、召し上がれ」
そう言ってクロエはそばに置かれたグラスを手に取ると、キスをするようにそっと口に触れ、中に注がれている液体を1口含む。