第8話 渓谷の八束脛
ライとレトと別れ、クロエが来ていたのは、陽の光を遮る程の高所からの水流が滝つぼに流れ落ちて地面を叩いている、人が立ち入ることのできない渓谷。
「ブック、クロエさんは今、再びライとレトと離れたことで、ほぉむしっくってやつになってしまっているよ!」
「そうか、なんか変なもんでも食ったか? そこらに生えてたキノコとか……」
唐突にふざけ出すクロエに、ブックは淡々とした対応を取る。
「悪いがこれが私の素だぜ? ブックくん。……ていうのは置いといて、いやね、今までずっとふたりがつきっきりで仕事してたから、やっぱりなれなくてね。
それと正直に言うと私、ブックのことあんまり信頼してなかったんだよね。本が喋るとか意味分かんないし……それでずっとお仕事してるときよりちょっと崩したくらいの対応をしてたの。でもね、流石に仕事外も続けるのは疲れる。何より……」
クロエはそこまで言って一度止めると、握り拳を作り小さく深呼吸をする。
「おふざけの自給自足が足りないんだよぉッ!」
今言うか? ということと、意味の分からないことを立て続けに話し出すクロエに呆気にとられ、声を出すことすら忘れているブックに一言付け足す。
「あ、今はブックのこと、ある程度頼りにしてるよ! 私を騙して幻想生物に食わせたりするつもりならさっさと済ませてるはずだし……。
まあ、さっきも言った通り、本が喋ってることはいまだに意味分かんないけどね!」
クロエは腰のポーチに入れているブックに向けて、グッと親指を立てる。
「…………はぁ、そうか……それで、今回はどんなヤツを目当てでこんな辺鄙な場所に来たんだ?」
勢いの収まらぬクロエにブックは聞く。
「調べた感じ大物であろうヤツを収容しに来ようと思ってね。人を2000人位食べたっていう……多分この辺に居ると思うんだよね“土蜘蛛”ってヤツなんだけど……危険度ってどのくらい?」
「土蜘蛛か、ほとんどどの個体は危難級、収容レベルⅢで、危ないっちゃあ危ないが、数人がかりで機関銃でも使えば倒せないことはない。基本サイズは1、2mで大きいものは5m程と言われているな。
そんなのでも十分大物だが、お前の言ってるヤツは全長15mを超えるほどのデカブツだぞ? したがって、戦禍級、収容レベルⅤに引き上げられる」
ブックは土蜘蛛の個体差について細かく説明をする。
「15mか……ならすぐに見つけられるよね。だけどその前に、お腹空いたからご飯食べる」
クロエは引き上げられた危険度を気にする様子もなく能天気に答え、大きな岩に座ると、ライに渡された小包みを開く。
「ライ特製のパン、これすごい美味しいんだよね」
そう言ってパンを少し千切り頬張ると、「ブックも食べる?」と聞いて差し出す。
「オレは食えねえよ……というか、ずっと思ってたんだが、お前暑くねえの? いくら陽の通らないような場所だからって、今は真夏だぞ? そんな厚手でよ」
ブックはふと疑問に思ったことを聞く。
すると、クロエはパンをほおばりながら答える。
「ん? 大丈夫大丈夫、私元々体温低めだからさ、あんまり暑さとか感じないんだよね。それに、レトが私のこと選んでくれたものだよ? 熱くなるわけないじゃん。あ、心はぽっかぽかだけどね!」
クロエは決まったと言わんばかりに謎に決め顔をかますと、食べ終わったあとの小包みをポケットに仕舞い立ち上がり、お尻についた砂を払う。
「お前のそのハイテンション慣れねえな」
ブックは溜息をこぼしながら呟く。
「それで、どこに土蜘蛛が居るのか見当はついてんだろうな? まさか、この広い渓谷を手当たり次第に探す、なんて言わねえよな?」
冗談めいた声色で聞く。
「え? そうだけど……? 両側が崖になってる渓谷なら、探してればどこかしらに穴でも空いてて、その中にでも潜んでるんじゃないかなって思ってたんだけど、もしかしてブックは見当ついてたりするの?」
「お前なあ……はぁ、知らねえよ。そこの滝の裏とかでもみてればいいんじゃねえか? なんか奥に空間があるみたいだから、もしかしたらそん中に巣でも張って潜んでるかもな」
ブックは呆れて思いつきで回答をする。
「滝の裏に空間って……あるわけないじゃん、何いってんの? もうちょっとまともな回答を期待してたんだけど、やっぱりここの差かな?」
「そうかよ、じゃあ試しに行ってみろよ。ほんとに空間もなくて、土蜘蛛のいる痕跡すらなかったら、手当たり次第に探すのに賛成してやるよ」
小馬鹿にしたように言いながら頭をトントンと指で叩くクロエに、ブックは苛立ちを覚えたが、乗せられないようあえて冷静に対応をする。
「言ったね? 滝の裏に空間なんて絶対ないよ。そもそも、空間があったとしても滝を浴びながら中に入っていくなんて考え難いね。絶対痛いよ」
自信満々にクロエは滝の方へと歩みを進めていく──。
止め処なく流れ落ちる水流を潜ると、布状の糸がに張り巡らされた丸い空洞が奥深くまで広がっていた。
「…………」
「どう考えても巣としか思えない空間あったな」
ブックは得意げに言う。
「ここだって何か……何かあったのかもしれないし……はあ、ほぼ居ること確定だよね」
反論しようと必死に言葉を考えるが何も思いつかず、観念してブックの意見を認める。
「蜘蛛だから水に濡れてでも滝の裏に隠れる、なんてこと絶対ないって思ったんだけどな。そもそも、こんな隠れるように巣を作ってたら獲物なんてほとんど捕まらないだろうに……。でもどうしようかな、これだけ糸がはりめぐらされてちゃ、進みにくそう」
クロエが考えていると、ブックが簡易的な作戦を提案してくる。
「危険度が高いって言っても所詮本能で獲物を襲うケダモノだからな、糸を棒とかで叩いて土蜘蛛を奥から誘い出せばいいんじゃないか? 勢いよく突っ込んでくるだろうから、そのまま外まで連れ出せればいいだろ」
「それ、採用。逃げられないようにすれば、外のほうがやりやすそうだからね。今回はブックの中に入ってやるから、よろしくね」
クロエは傍に砕けて転がっていた石ころをいくつか拾い、蜘蛛の巣にまとめて放り投げる。
「……来ないね、振動が弱かったのかな? もうちょっと大きめのやつのほうがいいの──」
クロエが先程よりも大きめの石を取ろうと振り向いたとき、既に土蜘蛛は水流をかき分け顔を覗かせていた。
ツヤツヤとして先端は丸みを帯びている太い脚。虎模様に細かい毛が生えている腹。そして、顔は虎の形を象っているが、付いているのは黒く丸い大小の八つの目に、口を隠すように正面から盛り上がる程の大きな牙。
その姿を見た瞬間、クロエの背筋に悪寒が走り思わず身震いをする。
「へっ? えっ、なにコレ! 聞いてた話と違うんだけどッ!?」