第6話 山都
レトが連れ去られた後、クロエは夜通し山の中を探し回っていた。
「クロエ、丸1日探し回って見つからないってことは、もうあの小娘はこの山には居ねえんじゃえねか?」
「そんなこと言ったって、まだ全部は見切れてないでしょ? ちゃんと探し切るまで私は諦めない。それにまだこっちの方は探してない、もしかしたら居るかも」
そう言うとクロエは宛もなく山の中を駆けていく。
「レト……ごめんね……」
木の中や川の中、滝の裏と隅々まで探していると──、
「──うわぁァァァ! 何だよコイツ、来るなあぁ!」
子供が叫び声を上げて走ってきており、子供は後ろから涎を撒き散らし満面の笑みを浮かべながら襲い来る、黒い体毛を持つ大きな獣に追われていた。
「そ、そこのお前! 僕を助けろ!」
子供はクロエを見つけると、クロエを指差して声を上げる。
「大きい猿……? えーっと……あ、狒々かなぁ。狒々って話せるのかな?」
「何呑気に考えてんだ、あのガキ助けてやんなきゃ食われるぞ」
「え? あぁ、そうだね」
クロエは子供に襲いかかろうとする狒々の前に立ちはだかる。
「はえー、こう見るとほんとに大きいね。2、3mくらい?」
「な、何してんだよ、早く僕を助けろよ!」
クロエの後ろに隠れた子供が喚く。
「なんだこのガキ、すげえ態度でけえな」
「まあまあブック、そう怒らないの。ほら、君は先に山から降りな」
クロエが道を示すと子供は悪態をつきながら去っていく。
「ちゃんとそいつ殺しとけよ! ったく何なんだよここは、あの鬱陶しい天狗に“レト”とか言う生意気な奴まで……」
「……ちょっと待って、今なんて?」
呼び止められ、子供は「なんだよ」と不満げに振り返る。
「今レトって言ったよね? その子、どこに居るか知ってる?」
「ああ知ってるよ、昨日天狗に連れてこられた生意気な奴がいたな」
「君、ちょっと待ってて。後で案内してもらうから」
「は? ふざけるなよ、なんでこの僕がそんなことしなくちゃいけないんだよ!?」
子供が声を荒げると、狒々がその声に触発されるように背後からクロエに襲い掛かる。
「はぁ……せっかく大人しくしてると思ったのに……静かにして」
噛みつこうと顔を近づけた狒々の頭の毛を掴み、地面に叩きつける。
「案内、してくれるよね?」
クロエは子供に笑顔を向けて再び問う。
「は、はい……」
子供は背筋をピンと伸ばして答える。
「じゃあそこで待っててね。私はこの子収容してくるから」
そう言うとクロエは顔を向き直し、逃げようと這っていく狒々の後をつけていく。
「君もう用ないから収容するね」
トドメを刺そうとした瞬間、狒々が腕を振り回し暴れ始める。
「……私、今急いでるんだよね。変な時間掛けさせないでよ」
「クロエ、やる気か? さっきは上手くカウンターできてたが、コイツは危難級、収容レベルはⅣだ。入って戦うか?」
「いや、時間がもったいないからこのままでいいよ。それに、騒がしくしてれば天狗の方から来てくれるかもしれないしね」
「そうか、気を付けろよ」
「大丈夫、ちゃんと分かってるよ」
ブックに念を押されると、クロエは暴れる狒々へと近寄っていく。
狒々は近付くなと言わんばかりに雄叫びを上げ、地面をバンバンと叩く。
「あれ? 笑ってはくれないの? “狒々は人を見たら笑う”って読んだんだけど……恐怖で逃げ出して、今度は近寄るなと怒って……そんなに嫌わなくたって良いんじゃない?」
威嚇しても足を止めないクロエに、狒々は傍にあった岩を掴み投げつける。
「危ないなぁ、怪我しちゃうじゃない……。それに、私急いでるって言ったよね? 余計なな時間掛けさせないでくれるかな?」
クロエの進行を阻止するべく投げつけられた岩を躱し一歩、また一歩と狒々の元へと歩いていく。
荒れ狂い振り回された腕とその衝撃で飛散する岩や割れた木の破片掻い潜り、狒々の懐まで来ると、
「君はこの世界では異物なの、さよなら」
そう言って狒々の体にそっと触れ、そのまま通り過ぎていく。
「あ、そうだ一つ良いこと教えてあげる。君が散々暴れたお陰で、そこの大木だいぶボロボロになってるから危ないよ……って言っても、もう遅いか」
クロエが告げ終わる頃には、大木は狒々の体の上にのしかかるように山中へと響き渡る轟音とともに、頭の上からその幹を叩きつけていた。
「グギャア」
大木の下敷きにされた狒々が、悲痛な叫び声を漏らす。
狒々は木下から抜け出そうと必死にもがくが、土に指跡を付けるだけで木は微動だにしない。
「あれ? まだ生きてたの? まあ、その様子じゃすぐ潰れて終わりかな」
狒々の肉体が大木の重さに耐えきれずミシミシと骨が潰れていき、砕けた骨は狒々の内臓へと突き刺さる。
臓器から溢れ出した血が血管という流れの行き場を失い口や鼻、目の隙間から止め処なく噴き出してくる。
「あらら〜すごい音と血の量。沢山出てるのに全然止まんないね」
狒々を型取っていた肉体が徐々に崩れていき、跡形もなくなる頃には狒々の指はピクリとも動かなくなり、狒々の体の中を流れていた血液は、地面へと広がり赤い血の海を作り出していた。
「もう良いかな? ブック、収容して良いよ」
「ああ、終わったな」
「幻想生物。狒々の“完全討伐”を確認しました。収容を実行します」
大木の下で潰れている狒々の残骸と、辺りに広がった血液がブックの中へと取り込まれていく。
全て取り込まれると、そのページには五体満足の狒々の絵が描かれていた。
「収容完了だ。にしてもクロエ、よくあの木が折れるって分かったな?」
収容し終えたブックがふと疑問に思ったことを問う。
「ん? ああ、ちゃんと周り見てたからね。折れそうだなって思っただけ。さ、さっきの子供のところに戻ろう」
そう言うとクロエは狒々から助けた子供のところへと戻っていく──。
「あ、良かったちゃんと待ってたね。それじゃ、案内してもらおっか」
木陰に身を潜めるよううずくまっていた子供は、クロエに呼びかけられビクッと体を震わせる。
「は、はい……えっと、こっちの方に洞窟があって、その中に……」
子供の案内でレトと、神隠しを引き起こしている天狗のいる洞窟へと歩みを進めていく。
幻想生物データ『狒々』
危難級
収容レベルⅣ