第5話 神隠しの森
大物主大神を還し終えたクロエたちは、禁足地を出て山を下っていた。
クロエが口に手を当てて軽く欠伸をしていると、ブックが伺うように聞いてくる。
「クロエ、大物を収容したばばかりで悪いんだが、もう一軒行く気力はあるか?」
クロエはブックの問に少しだけ考える素振りを見せ、すぐさま答える。
「うん、ただお話しただけだから余裕あるよ」
ブックはクロエの返事を聞くと、「よし」と幻想生物について話し始める。
「ここ最近、子供が行方不明になっては数カ月後に汚れた服を着てふらっと戻って来る、所謂“神隠し”ってやつが起こっているらしい」
「ほう? それは私に、その神隠しをしている幻想生物を収容して欲しいってことだね?」
「ああ、その通りだ。それと先に言っておく、無茶な真似はするなよ?」
「分かってるって、それじゃあ行こっか……で、何処に?」
「……お前の館から少し離れた場所だな」
「え?」
思わず進もうと踏み出したした足を止めると、クロエはポーチに入れているブックに視線を落とす。
「……マジ?」
驚くクロエを気にする様子もなく、ブックはクロエを促す。
「大マジだ。何してんだよ、早く行くぞ」
──クロエは、ブックに言われた神隠しの起こっている山へとやって来た。
「つまり、私にその幻想生物とやらを誘き出してほしいということですね?」
クロエの隣には、そう言って軽く微笑む少女が立っていた。
「流石レトだね、理解が早くて助かるよ」
クロエが感心している中、レトは淡々と行動に移し始めていた。
「それではクロエ様、早速行動に移りましょうか」
「そうだね、じゃあ私は少し離れたところから見てるね──」
クロエはレトの元から離れ、身を潜めて見守る。
「はあ、やるかぁ……」
レトは小さくため息を付くと、目を見開いて満面の笑みを浮かべる。
「わあ! いろんなお花が沢山。キレイ〜……あれ? ママ? ママどこー?」
神隠しを引き起こしている幻想生物を誘き出すため、レトは純粋な子供のフリをし始める。
「ねえママー? どこにいるのー? ママぁ……?」
母親と別れてひとりぼっちになってしまった幼い子供のフリを続ける。
恥ずかしさで顔を真っ赤にしつつも、クロエにやると言ってしまったのでレトは引くに引けなくなっていた。
「ママぁー! ひっぐ……ここどこぉ? 怖いよぉ……」
風が強くなり、森がざわめき始める。
「来たかな?」
辺りに吹いていた風が止むと、ソレが姿を表す。
赤い顔に長い鼻、山伏のような着物を着て一本歯の高下駄を履き、手に錫杖とヤツデのようなのような団扇を手に持つ。
「天狗?」
「ほう? ワシの姿を見てビビらんとは着物座った娘よのう? にしても随分と顔が赤いようだが、鼻を伸ばせばお主も天狗になれるのではないか? カカカッ」
レトは拳に力を込め、天狗への苛つきが漏れないように抑え込んでいると、クロエの隠れて行った茂みの方向から声がする。
「幻想せ──天狗を確──直ちに収よ──さい」
レトが天狗にバレないよう視線をクロエの居る茂みに向けると、慌てて本を押さえ込むクロエの姿が見え隠れしていた。
幸い、天狗には聞こえていなかった様子で、レトが突然静かになったのを不思議そうに見下ろしていた。
「何か言いたげだな、娘っ子」
「私のママ知らない?」
レトは天狗への殺意を必死に抑えながら、うぶな声音で天狗に聞く。
「お主の母親なら、先ほど花に夢中になっているお主をおいてどこかへ去っていってしまったぞ?」
(──そこから見てたならさっさと来いよこの野郎)
レトは天狗から見えないよう拳に力を込める。
「ママに会いたいよぉ……」
「のう娘っ子、ワシとともに来い」
「一緒に行けばママに会える?」
「ん? ……ああ、運が良ければまた会えるかもしれぬな」
天狗に担がれると辺りに強風が吹き空へと舞い上がると、ものすごい速さで風切音と共に進んでいく。
「どうだ、速いだろう? カカカッ、もう少しで着くからそれまで我慢しておれ娘っ子」
「うん」
──程なくして天狗は、奥の見えない洞窟の前に降り立つ。
「さあ、ついて来い」
レトを肩から降ろすと、洞窟の中へカツカツと足音を立てながら歩いて行く。
「ここが棲処?」
レトは天狗から少し距離を取ってあとに続く。
その間洞窟の内部を見回しなしながら歩くが、これといったものは無いただの一本道に、ある程度歩いたところから松明が壁に点々と付けられているだけだった。
「かなり深い……自然にできたものじゃなさそうね」
そのまま洞窟を歩き続けていると、開けた空間に出る。
「ここは?」
「ほれ、お主もそこのちびっ子らとともに隅にでも座っておれ」
そう言って天狗が指を指した先には、3人の子供が身を寄せて固まっていた。
子供たちはレトに気付くと、おいでおいでと手招きをする。
「ワシはもう一度外に出る。外は“狒々”がふらついておって危険じゃて、絶対にここから出るでないぞ」
そう言うと天狗はこちらに背を向け、洞窟の外へと向かって歩いていく。
足音が聞こえなくなるとレトは子共たちに近寄り微笑むと、柔らかい声で問う。
「私はレト、あなたたちはどうしてここへ?」
「僕は優陽、こっちは妹の朝音。僕達は山で妹と歩いてたら迷子になっちゃって、暗くなるまで歩いても全然出られなくて、どうしようかと思ってたらあの天狗さんが現れて親を探してやるから見つかるまでここに居ろって言われて連れて来られたんだ」
朝音と呼ばれる女の子を庇うように座る、他の二人より少しばかり大きい男の子が答える。
「あなたが朝音ちゃんね。なら、そこのあなたは?」
今度は兄妹の後ろに隠れて縮こまっている身なりの整った子に問う。
「な、この僕に対して何なんだその口の聞き方は! 僕はかの有名な金蔵財閥の息子、金蔵米造だぞ!」
「そう、知らないわね」
「ふっ、お前知らないのか? まあどうせお父様の手も行き届かないくらいの田舎もんだろうし、仕方な──」
「はいはい分かったから、金くれはちょっと黙っててもらえる? それで、あなたたちはいつからここに居るの? 他の子は?」
憤慨する金蔵と名乗る子供をよそに、レトは兄妹に話しかける。
「ちょっと前まで他の子も居たんだけど、親が見つかったからって天狗さんに連れて行かれたんだ」
レトは優陽の言葉を聞くと、口に手の平を当ててブツブツと考え始める。
「そうなのね……。つまり、あの天狗は子供たちを保護している? いやでも、ならなぜ町ではなく洞窟の中に連れてきたの? それに、帰ることができた後も風の音で怖がるっていうのは? さっき天狗が言っていた狒々ってやつに襲われて? だとすると、天狗は別に子供たちを送り届けてる訳じゃない……何なら──」
「どうしたの?」
考え込むレトに朝音が心配そうな眼差しを向ける。
「あ、いえ、なんでもないわ。ちょっと考え事をしてただけ」
そんな話をしていると、入口の方からカツカツと足音が近づいてくる。
「帰って来たみたいね」
奥から天狗が沢山の木の実を乗せた大きな葉を抱えて姿を表す。
「ちびっ子ども、たんと食うがいい」
天狗が葉をレトたちの前へ置く。
「そうだ、お主らにいいことを教えてやろう。これらの酸味のある果物を食べたあとにこちらの甘い果物の順に食べると美味くなる上に、消化の面で腹に負担をかけぬ」
朝音は天狗の言葉の通りに酸味もある果物、甘い果物の順に食べる。
「……あ、ほんとだ! いつもより美味しいかも! ほら、お兄ちゃんとレトお姉ちゃんも!」
「お、おう……ん、確かに美味しい」
「ありがとう。頂くわね」
天狗が金蔵に果物を差し出す。
「ほれ、お主も食わぬか」
「こ、こんな下劣なもの、この僕が口にいれるわけ無いだろ!?」
金蔵は差し出された果物を天狗の手からはたき落とす。
「そうか、要らぬか……。では、もう外は日も暮れて来た、それを食い終わったら大人しく寝ていろ。ワシはもう一度外に出る」
そう言うと天狗は再び洞窟の外へと歩いて行く。
──それから暫くしても天狗は戻って来ず、レト以外の3人はいつの間にか眠りについていた。
「はあ、ガキの御守りしに来たんじゃないんだけどな……。久し振りに睡眠、取ってみるか」
──それからどのくらいの時間が経ったのかは分からないが、レトはカツカツという音で目を覚ます。
「おいちびっ子ども、目を開けろ」
「んん~、なぁに?」
天狗の呼びかけに朝音、続いて優陽たちも目を覚ます。
「そこの小僧、お主の親が見つかったぞ。付いて来い」
そう言って金蔵のことを指差す。
「やっとか……遅いんだよ、さっさと連れてけ!」
天狗は金蔵を連れて、洞窟の外へと歩いて行くとある程度距離が離れたところで、レトは天狗たちのあとをつけていく。
「お姉ちゃん、どこ行くの?」
朝音が不安気に聞く。
「ちょっとお手洗いに行ってくるだけだから、そんなに心配しないで。あ、そうだ、このあと大人の綺麗なお姉さんが来るかもしれないけど、私のお知り合いだから安心していいわよ。それまでは優陽がちゃんと朝音のこと守ってあげてね?」
一通り言い終えると、レトは再び天狗たちのあとを追って洞窟の出口の方へと進んでいく。
洞窟を出た後も天狗は金蔵を連れて山の中をひたすら歩いていく。
「……本当に送り届けてるのか?」
山の中を歩き続けていると、ふと天狗が立ち止まる。
「ここらでいいか……。おい小僧、このまま真っ直ぐ歩き続ければ、人里に降りられる。さあ行け」
金蔵を先へ行かせると、姿が見えなくなるまでその場で立ち止まっている。
「もういいか……おい、出て来てよいぞ」
「っち、バレてたか……」
レトが木陰から姿を現そうとした時、天狗の横に巨大な何かが木の上から落ちてくる。
鋭い牙、黒い肌に厚い体毛、2mは優に超えるであろう巨体を持つ大きな猿。
「──っ!? アレが狒々か!」
レトは再び木陰に身を潜める。
「のう狒々よ、お主腹が減っておるだろ?」
天狗は狒々に微笑みながら聞く。
狒々は天狗の問に答えるようにゴフッゴフッと息を荒げる。
「そうかそうか、では……喰らって良いぞ」
天狗の合図で狒々が唸るような雄叫びとともに勢いよく走り出す。
「けたたましいな……さてワシは人の子でも補充しに行くとするかな。狒々の餌が少なくのうてしもうた」
狒々を見送ると、天狗は風とともに空へ舞い、どこかへ飛んでいってしまった。
「まさか、ガキどもをアイツに食わせるために攫ってたのか!? 今すぐ助けに……いや、あいつはクロエ様の担当ではないだろうから放っておくか。今は優陽と朝音が優先だ」
天狗の姿が見えなくなると、レトはすぐさま洞窟の方へと森の中を駆けていく。
──その頃、優陽と朝音は天狗の後に出て行ったきり戻らないレトの帰りを心配していた。
「レトお姉ちゃん遅いね」
「そうだな、無事だと良いんだけど……」
そんな会話をしていると、洞窟の奥から微かに足音らしきものが近づいてくる。
「あ、レトお姉ちゃんが帰って来たのかな?」
「あ、朝音、待てって!」
──天狗は山の中に子供が紛れ込んでいないかと探していたが見つからず、洞窟の入口まで戻ってきていた。
カツカツと足音を立てながら、洞窟の奥へと進んでいく。
「ちびっ子ども、無事あやつは送り届けて……お主、誰じゃ?」
天狗の目線の先には、3人の子供ではなく、見ず知らずの女が立っていた。
天狗に呼びかけられると、女は不敵な笑みを浮かべながら首をひねって振り向く。
「よぉ、遅かったなクソ天狗」