第26話 話をしよう
「お、おお……、お主ら……」
突然現れては麤乱鬼の腕を一本もぎ取った女性は、言葉を紡ぐことができずに口をパクパクとさせている。
そんな中、まゆりが手でちょいちょいとクロエに呼びかけ、耳打ちをする。
「ねえクロエちゃん、あの人誰? さっきクロエちゃん、“天ちゃん”とか言ってたけど、まさかあの狐さんなんてことないよね……?」
まゆりの言う狐さんとは、ブックの中に入る前、収容旅行中にずっとまゆりが抱えていた白狐のことである。
「うん、そうだよ」
「ああ、そうなんだぁ……」
まゆりはクロエの当たり前のことを当たり前に言うような口調に思わず受け入れる。
「そうなんだあ!? そうなの!?」
こともなく、目をひんむいて驚く。
「えぇ!? 狐さぁん!?」
「いやはや、こうして話せるとは思わんかったぞ、まゆり。お主も妾のことを気軽に天ちゃんと呼んでくれて構わんぞ」
天ちゃんはそう言ってまゆりに微笑みかける。
「あ、天ちゃんさんよろしくお願いします。じゃなくて、人間だったの!? いやそんなわけないか。じゃあ何なの!? と言われても天ちゃんさんは天ちゃんさんか……」
まゆりは驚きと疑問と回答をひとりで立て続けに呟く。
「随分と愉快な情緒をしておるな……。コホン、これまゆり、さんはいらぬぞ、天ちゃんでよいぞ」
天ちゃんはまゆりを宥めるように言うと、自分たちの頭上に居る麤乱鬼を見上げる。
「待たせてしもうてすまなかったの」
「……あー、もうええか?」
「よいぞ……と、お主いつの間に腕を付け治したのじゃ?」
「己らが話している間しかないやろうが」
麤乱鬼はまゆりたちが話し終わるのを待っていたらしく、その代わりに待つ間に自身のもがれた腕を治していたらしい。
「さて改めて、我は麤乱鬼」
「知ってる」
「ほう? そこの黒い装いの小娘、我を知っているとはなかなか見所があるじゃねえか」
麤乱鬼はそう言って一番上の腕で顎髭を擦りながらクロエを見る。
「いや、さっきこの本が名前言ってたから、名前だけは知ってるって意味。君のことは読んだような気がしなくもなくもないけど、残念ながらこのクロエさんの記憶には残ってないね」
クロエは手に持っている本を見ながら言うと、すぐに腰につけたポーチにしまおうとする。しかし、
「おい待てクロエ、お前が読んだ書物の三十一冊目にこいつの情報がちょろっと書いてあったろ。お前のご自慢の記憶力はどうしたよ」
と、突然クロエの手に持っている本からそう声が発せられる。
「ほ、ほほ……」
「ん?」
背後から声がし、クロエが振り返ると、まゆりがクロエの持つ本を指差してわなわなと震えている。
言葉に出さずとも言いたいことの察しは大体つく、というか十中八九アレだろう。そう──、
「本が喋ったああぁぁぁぁぁ────!?」
そう叫ぶほど驚くのも無理はない。そもそも、つい先ほどまで狐の姿をしていた天ちゃんが人になっていたことに驚いており、漸く気持ちが落ち着いてきたかと思えば今度は本が喋り出したのだ。
「ほう? 化け蜘蛛もころもさきのヤマノケとやらのころも気になっておったが、そやつ言葉を話すことができるのか」
「んじゃそれぁ? それが我の毒霧を払ったもんか?」
まゆりに比べ、自身が希有な存在である天ちゃんと麤乱鬼は、驚くことなくクロエの持つ本に興味だけを向けている。
「喋れるのって、そうだけど? 今までずっと喋ってたじゃん。ひきこさんのときとかもずっと……」
クロエはなぜそんな疑問を投げかけてきたのかと首を傾げる。
「妾は知らぬが。まゆりはどうじゃ?」
天ちゃんは聞く。
「え? いや、私も知らない」
まゆりは天ちゃんに聞かれ、ハッと意識を戻すと、クロエの持つ本を見て答える。
「でなければ驚かぬものな。それもそうじゃ、いらぬ問じゃったな」
天ちゃんは言い、麤乱鬼を見上げる。
「もうちと待ってはくれぬか?」
「せっかくだ、ええぞ」
麤乱鬼は考えることなく即答する。
「ほう、随分と応答が早いのう」
あまりに早い答えに、天ちゃんは目を見開き思わず聞き返す。
天ちゃんの問いに麤乱鬼はため息を付くと、自身の下にある透明な床を叩いてみせる。
「これを作っているのは己やろ? これほど頑丈なもん我には破れん。とまでは言わんが、破るのは少々骨が折れそうやからな、それなら大人しく待って情報を聞かせてもらう方が得策やろが」
「ほお~、面と向かって言うその気概は妾も嫌いではないぞ」
そう言って風を仰ぐように麤乱鬼に向けて手を振ると、天ちゃんは「ふむ……」と黙り込み思考を巡らせる。
そして、
「のうクロエよ、先に一度その汚らしい本について聞いたとき、お主は拾ったと言うたよな?」
「そう言ったね。実際そうだし」
「して──」
「おいちょっと待て」
天ちゃんが話を続けようとしたとき、クロエの手に持つ本が口を挟む。口など無いが。
「お前今汚えつったな? それ言う必要なかったろ」
話しを遮ってまで言うブックに、クロエは眉をひそめてブックに視線を落とす。
「ブック、今それ気にする必要ある?」
「……まあいい。天ちゃん、聞きたいことがあるならクロエじゃなくオレに直接聞けば良いだろ」
ブックはため息を付き、天ちゃんに言う。
「お主も気が利くようじゃ、よいのう」
天ちゃんは微笑み、「では」と言葉を紡ぐ。
「お主の知っておることを全て吐け」
「随分と直球だな」
ブックは含み笑う口ぶりで言う。
「回りくどいのは面倒じゃろ」
「狐のくせにか?」
「たわけ、たぶらかすことなど、とうの昔に辞めたわ」
そう言ってふんと鼻息をつき威張る天ちゃんに、ブックは呆れてため息を付く。
「やってはいたのかよ……」
「……コホン。して、早う説明せい。まゆりも先ほどからこのとおり、口を開けたまま固まってしまっておるではないか」
そう言って天ちゃんが指差す先では、いまだにまゆりが口をあんぐりと開けて、ブックを指差しわなわなと震えていた。
「ったく、化け狐や鬼なんかが目の前にいんのに、本が話した程度でそこまで驚くなよ」
「いや、逆にそれがいっぺんに集まってるから余計驚いてるんでしょ」
クロエは呆然とするまゆりの顔の前で手を振る。
そのクロエの手でまゆりは漸く意識を戻す。
「く、クロエちゃん、その本何? 持ってて大丈夫なやつなの?」
まゆりはブックを恐る恐るつつきながら、クロエの顔を見上げる。
「なぁおい、お前らよ、話しを聞きてえんじゃねえのかよ?」
一向に話の進まない雰囲気にブックは苛つき始め、口調が荒くなる。
そんなブックを宥めようと、クロエは無言でブックを閉じたり開いたりとしている。
「何してんだお前」
「いや、怒ってたから……」
「で、なんでパタパタしてんだよ」
「これで落ち着くかなって思って」
そう言いながら、なおもクロエはブックの開閉を続ける。
「これで……、落ち着くのかと思ったのか……?」
「うん」
「…………」
何もふざけた様子のない、ただ純粋にこれで落ち着くと思っているクロエの言葉を皮切りに、その場に長い沈黙が流れる──。
そして漸く、口を開いたのは……、
「お前はずっと……。もういい、今更気にしても無駄だ。話を戻そう」
ブックは諦めたように深くため息を付くと、拍子の抜けた場の雰囲気を戻そうと、コホンと咳払いをする。
「じゃあ話そうか、この本、オレについて」




