過去を欲する
『ほどなく世界は崩壊する』
ある日、世界の在り方を決定づけている評議会がそう発表した。評議会の決定は基本的に現代技術の基となった旧文明時代に造られたと言われているただ一つのAIによる旧文明との比較によるものが多い。それはつまりAIは旧文明が崩壊したのは現在と同じ時期だったと考えているのだろう。
それもそうだろう、と私は思う。旧文明に残されている技術に現文明が追いつき始めており、現代よりも先を行っている遺物は見つかっていない。だからこそAIは崩壊した旧文明に現文明が追いつき始めた今、現文明が崩壊してしまうと予測を立てているのだろう。
AIは崩壊を予言しているものの、旧文明崩壊の原因は唯一のAIをもってしても明かすことが出来ていない。旧文明時代から存在している唯一のAIがその理由を明かすことが出来ていないのは、単にAI内に記録が残されていないからだ、とかなり昔に評議会が発表している。故に多くの考古学者たちがその謎を解き明かすために僅かに残されている旧文明の遺跡へと潜っていく。
遺跡に過去を求めるのは私も同様である。AIであっても明かすことが出来ていない旧文明。今わかっているのは現在までの記録のみなのだが、発展の全てをAIに頼ってきた人類は現代以降の情報がなかった現状になぜか、不安を覚えることも過去を解き明かそうと考えることもせずに、旧文明から存在するAIが導いてくれるとただ信じている。そんな人々の状況に不安を覚えた私は、少しでも記録を得るために考古学者となり遺跡に潜る。私は未来を私自身の手で見つけたいのだ。
しかし、世界は酷く冷淡で私は未来を見つけることが出来ていないまま崩壊してしまうという。評議会を通したAIの予言は今まで外れたことがない。故に世界の崩壊は絶対なのだろうと思ってしまう。諦めに似た何かが心の中を通りすぎる。きっと今も世界は崩壊に向かって動き続けている。しかし、その原因は未だに明かされていない。それならば、もしかしたら、旧文明が崩壊した原因さえわかってしまえば、崩壊を阻止できるのではないだろうか。実行できる確証はほぼない。なぜなら現文明が発達してきた数千年の間、旧文明が崩壊した原因はわかっていないのだ。可能性がゼロに近かったとして、何もせずに文明が崩壊し、人類の結末を体験するなんて、過去と未来を求めた考古学者としての自分が許さなかった。自分の中で諦めに似た感情が情熱に変わっていく。私はまだ未来を諦めてはいないのだ。
自分の中の情熱に従うままに、潜れる遺跡を探す。陸上に残されている遺跡は数が少なく、ほとんど探索しつくされているため、今更潜ったところで大した成果は得られないだろう。陸上遺跡で見つかっていないのであれば、他に可能性のある遺跡は水中遺跡だろうか。しかし一般的な評価として水中遺跡は陸上よりも価値が低いとされており、探索があまり進んでいない。それは遺跡が水中にある理由として災害の影響ではないかと考えられているからである。そのように考察されている理由の一つとして建造物の大きな損壊が挙げられる。もちろん形を留めている建造物もあるが、建物内における旧文明のヒント足りえる機械等はすべて水没して壊れてしまっている可能性が高いため、陸上で見つかる遺物と比べ価値が低いとされているからである。
また、文化として調べるとしても、旧文明との比較によって発展してきた現文明における文化の多くは旧文明をなぞっていると言われているため、多くの考古学者は陸上遺跡から得られる情報だけで十分と考え、陸上遺跡に焦点を当てているのである。
そんな風に考えられているからこそ、水中遺跡にはまだ見つかっていない何かがあるのではないかと考えた私は、遺跡としてはまだ見つかってから日が浅い水中遺跡を管理している場所に探索許可を求めた。
数日後には無事に探索許可が下りたため、私は信頼のおける数人の部下とともに水中遺跡へと向かった。当然のことながら遺跡探索は水中と陸上では大きく勝手が異なる。前提として水中で呼吸はできないため、呼吸するための物の他に安全を考慮した準備が必要不可欠である。そしてその荷物の量は人数に比例して増えていく。故に私は少人数での探索という強硬手段に出た。
水中遺跡の探索は想像していたよりもスムーズに進んでいた。しかし、私が欲しているようなものはなかなか見つからない。初めて見るような、好奇心を刺激される遺物を見つけられても、文明崩壊の原因となりそうなものは全く見つからなかった。探索を始めてからそれなりの日数がすでに経過していた。もう見つからない、自分は一人の考古学者ではなく傍観者に成り下がるしかない、そう諦めた時だった。潜水の為に着用していた潜水服越しに何かが聞こえた気がした。
探索中の連携はハンドサインでと部下たちとは事前に決めてあったため、何かが聞こえてくるということは遺跡付近に生活している生物、もしくは遺物が発した音ということになる。前者の可能性のほうが高く、その場合は逃げることが最善であることは理解している。しかし、理解はしていても、もしかしたら何かを発見できるかもしれないという好奇心には敵わなかった。静かな水中の中で耳を凝らす。水の揺れる音や仲間たちが探索している音の中に、水中では聞きなれない電子音がわずかに、けれど確かに聞こえてきた。一定間隔で鳴り続ける電子音は日常生活でよく聞くものと酷似していて、そんな馬鹿な、と思わず自身の耳を疑った。
耳をよく澄ましながら音がする方へと近づいていく。音がする方へと近づいていくと、ある建物の中から聞こえてくることが分かった。わずかに崩壊してしまっているものの、全体像から何らかの研究施設であったことが推測できた。そんな中から聞こえてくる電子音に私の胸は躍った。
遺跡を壊してしまわぬように気を付けて入っていく。おぼろげだった電子音はかなりはっきり聞こえるようになっており、すぐ近くまで来ていることがよくわかった。どこよりも音がはっきり聞こえた場所に先ほどよりも周囲に気を払いながら近づいていく。近づいていったそこには両手で抱えられる大きさの箱があった。音はどうやら箱の中からしているようだった。この場で箱を開けてもよかったのだが、私はこの箱がどのような役割を果たしているのか知っていたため、開けずに陸上までもっていくことを決めた。この箱は中に入っているものを水から防ぐための物なのだ。ここではない他の水中遺跡で以前似たような箱が見つかり、それは防水の為の箱だったと発見した考古学者は語っていた。故に私は見つけた箱を陸上までもっていくことを決めたのだ。防水の為の箱に入れられた電子音がする遺物。私はこの発見が現文明にも大きな影響を与えることを予感していた。
陸地に戻り潜水服から着替えて、遺跡付近に取っていた宿へと入る。好奇心が赴くままに開錠の為、箱をゆっくりと眺める。普通の鍵であればピッキング、番号で開くものであれば順番に試していく等、原始的な方法で開けることが出来るだろうと考えながら、箱をじっくりと眺める。どうやらピッキングで開く構造の物のようだった。水中に沈んでからどれくらい経っているのかわからない旧文明の未知の遺物。開錠という行為一つとっても緊張感で手が震えてしまいそうだった。
震える手を必死に動かしていくとあるところで、カチャ、と音が鳴った。開いた。開いてしまった。決して箱を開けたくないわけでは無い。けれど、これほどまでに強大な遺物に出会うことは初めてであるため、本当に緊張している。ピッキングの為に用意していた物をどかし、箱の上蓋部分に手をかけた。
慎重に開いた箱の中にはルービックキューブのような立方体が座っていた。箱の中に置いたままじっくりと遺物を眺める。本物のルービックキューブのようにも見えるが、本物にしてはやけにメタリックである。水中で電子音が聞こえてきたことから、恐らく故障してはいないだろうと推測を立ててそっと持ち上げてみると、想像以上の重量を感じて少し驚いた。防水の箱に入っていたことから恐らく旧文明の機械だと推測している。しかし、これが一体どのような役割を担っていた機械なのか想像の域を出ないものの、可能性を考えるだけで好奇心が湧き上がってくる。ルービックキューブ程度しかない大きさで。もしも重要な何かが入っていたとするのならば、それは本当に世界を揺るがすことになるかもしれない。もしかしたら文明が崩壊してしまうことも防げるかもしれない。そう思うと期待と少しの恐怖に押さえつけていた手の震えが戻ってきて、期待も一緒にキューブをそっと箱の上に置き直した。
発見したキューブのことが気になった私は部下に話を通し、探索の日程を早めに切り上げ自身の研究所に戻ってきていた。研究所には過去に発見した遺物のいくつかが研究途中のまま保管されているが、今はそれよりも発見したキューブが優先である。パソコンが設置されている一室に移動し、宿でキューブを眺めていた時に発見した何らかの差込口と一致するコードを見つけると、さっそくパソコンに接続する。
パソコンに接続し、待つこと数秒。不意にキューブが光りだした。おそらく起動の際のモーションか何かだろうと予測をつけ、私はパソコンに向き直ろうとしたその時、光っていたキューブが突如回転を始めた。突然の事態にキューブを見つめること数秒、キューブはゆっくりと回転を終えると二度程点滅し、そして産声を上げた。
「初めまして、マスター。私はナノス。以後お見知りおきを」
「は、初めまして……?」
挨拶をされたことに驚いて思わず返してしまったが、今の声はこのキューブが発したモノなのだろうか。起動したキューブから音声がするとは全く思っていなかった為、衝撃で先ほど聞き取ったはずのものが脳内に残っていない。そして本当にキューブから音声がしたという事実を信じたくない私も少なからず存在しており、数秒動きが止まってしまう。信じたくはないものの、本当に音声がしたのならば聞き返しても反応するのだろうか、という少しの好奇心から声をかけてみる。
「今の声はえっと……このキューブからしたという認識でいいのかい?」
「はい、マスター。キューブというものが私のことを示しているのであれば、間違いありません」
しっかりとキューブから聞こえてくる音声に今度はこれが自身の夢ではないかと疑いたくなり、思わず手の甲をつまんでしまった。しっかりとした痛みに夢ではなく現実で、自分が世界を揺るがすことになるような発見をした実感が少しずつ湧いてくる。昂った感情のままキューブとの会話を継続させる。
「そうか。ところで君は一体何なのか、君自身はわかるかい?」
「いいえ、マスター。私はナノス。ただそれだけの存在です」
「ふむ……ではナノス、君は自身が作られた時のことを覚えているかい?」
「いいえ、マスター。私の中にマスターが起動するよりも前のデータは存在していません」
「そうだったのか……と、そう言えば私の自己紹介がまだだったね。私はマックスウェル・ストーン。考古学者をしている」
「マスターの情報を更新。記録します」
私自身も軽く自己紹介をしたことで会話が一段落した。しかし、データは存在していないことから私が期待していたような情報を得られない可能性にどうしても落胆してしまう。箱に守られていたため、旧文明に関する何らかの情報を得られるのではないかと期待していたが、この状態ではそれも無理かと諦めかけた。しかし私は思い出したのだ。私はもともとこの機械らしき遺物からパソコンを経由し情報を得ようと考えていたことを。
旧文明に完全に追いついたとは言えない現代の力だけでナノスと名乗った旧文明の遺物だろうキューブの復旧が行えるかは定かではないが可能性はある。可能性があると思えるのならば試そうとさっそく作業に取り掛かろうとするが、先ほどの様子からナノスにはある程度の知能、それも現代のAIに近いものがあると推測したため、ナノス自身に断りを入れた方がいいかと少しだけ声をかける。
「ナノス、私は今からこのパソコンと君を同期して君自身の情報を入手しようと考えている。平気かい?」
「はい、マスター」
「それなら始めさせてもらうね」
立ち上げる途中だったパソコンを完全に起動させ、ナノスと同期させていく。完全に同期するのには少し時間がかかるがその程度の時間は手間ではなかった。
同期が完了し、ナノスの細部を覗いていく。私はAIや機械の専門家ではないため、そこに描かれているすべての事柄を読み取ることはできないが、それでもナノスが作られたのはやはり旧文明の時代で、ナノスはかなり優秀なAIだったのではないかということはわかった。AIであるのだとすれば、やはり作った時代の情報等は入れられているはずである。それを探るために何かファイルでも入っていないかと探していくと一つだけ不審なものを見つけた。明らかにおかしなファイルのサイズをしているそれは、現代であれば巨大なパソコンやそれ専用の情報を貯蔵する場所があってもおかしくないデータだった。自身のパソコンのスペックでは先にパソコンのほうが壊れてしまう危険を覚悟でク明らかにおかしなファイルをリックすると、パスワードを入力してください、という文字。解こうにもパスワードはどうやら十六桁らしく、数字だけだったとしてもパターンはおよそ一京通りである。聞きかじった程度の知識しかない自身には到底無理な話である。
私に打てる手はすべて打った。あと私にできることは評議会にナノスを引き渡すことで情報を伝えることぐらいである。私だけの力ではナノスをどうすることもできない事実に悩んでいるとナノスから声が掛けられた。
「マスターに提案があります。私にマスター以外の情報をインストールさせてはいかがでしょうか」
「しかし、君の中にはすでに異常な大きさのサイズのファイルがある。これ以上何かを入れられるような空きはないはずだ」
「いいえ、マスター。私が認識している空き容量のサイズも問題ないと予測しています。現在接続及び同期が完了しているマスターのパソコンを介し様々な情報を入手することが可能です。許可をいただければ私の方で情報を取得することも可能です」
「君がそう言うのならば試してみようか」
少し手詰まりを感じていたため、パソコンが壊れる可能性も視野に入れながら、現状を打破できるのならばいいかと少し投げやりになりながら考える。私の言葉の後すぐにパソコン画面に『ナノスから許可申請が来ています。確認しますか?』という文字が並ぶ。内容確認もそこそこに許可というボタンを押す。途端にパソコン画面に様々なタブが開いていき一定数まで来ると閉じる、を繰り返していく。その様子にパソコンが乗っ取られているような気分になるが、実際にナノスに乗っ取られているような状況であるため間違いではないか、と心の中で少し笑った。
パソコン画面を眺めること数分、ナノスの本体と言うべきキューブが最初の起動時のように二回点滅し、ナノスが声を発した。
「データのインストール及びアップデートが完了しました。取得したデータより私は自立思考型のAIと呼ばれるものであると推測されます。先ほどマスターが発見していたデータは私が作成された時にインストールされていたものだと思われます。パスワードを一つ順番に解くには膨大な時間がかかってしまうため、マスターに一つ提案します。私を評議会と呼ばれる場所に連れて行ってください。旧時代から存在しているAIに会うことで私のパスワードを開くことが出来ると思われます」
再覚醒を果たしたナノスの発言は私に本日二度目の驚愕をもたらした。自立思考型のAIそれは現代に存在するはずがない、すなわち旧文明の遺物にしか存在しないモノのはずである。旧文明から残された唯一のAIが唯一と呼ばれている理由はその自立思考という特異性にもあった、それが今、自身の目の前で覆されたのだ。これに驚かない人がいたら逆に知りたいと思ってしまうような発見だった。
あまりの驚きに最初にナノスの声を聴いた時よりも長く固まってしまっていた気がする。自立思考型のAIという言葉に驚きすぎて他のことも聞き逃してしまいそうだったが、聞き間違いでなければ、膨大なデータの正体は旧文明についてだったとナノスは今言ったはずだ。もしかしたら……、そんな私の妄想が現実になったことに対する頭の中の処理がなかなか追いついていかない。
そんな私を全く気にせずナノスはナノス自身を評議会に連れて行けと続けなかっただろうか。もちろん私だけでできることがなくなった時点で評議会への持ち込みは考えていたけれど、それをナノス本人から提出されたことに私は驚いたのだ。評議会に連れていくこと自体は、ナノスの存在があれば難しいことではないと思うが、連れて行ってしまえば、きっとナノスは分解されてしまうだろうと私は考えている。ナノスのパスワードを開錠することで世界の崩壊を防げるかもしれないが、それによってナノスという存在が消えてしまうということを私はしたくなかった。それは私が考古学者として見つけた遺物だからというものもあるが、本当の人間のように会話を行うナノスの姿にただ分解されてしまう姿を見たくなかったのだ。だから、
「ナノス、君には悪いがその提案は却下だ。君は君が評議会に行ったらどうなるかわかっているのか?」
「はい、マスター。おそらく私は現代AIと言われている遺物によってパスワードが開錠され、情報を抜かれた後、分解されてしまうでしょう」
「わかっていたんだね。私はこうして会話のできる君をすでに友人だと思っている。そんな君が分解されるのを知っていて評議会に連れていくことを私はしたくない。君が評議会に行く目的は唯一のAIと呼ばれているAIに会いに行くことで合っているかな?」
「はい、マスター。私のパスワードを解くにはそのAIに会うことが必要です」
「ふむ……。ならば、こうしようナノス。僕と君で評議会に侵入しよう」
「マスター、評議会に入ることが出来るのは一部の人間と許可された者のみであるはずではないのでしょうか?」
「そうだよ。私たちは評議会に参加するんじゃない。侵入するんだよ」
「マスターの発言を理解しました。しかし、評議会には警備員も配備されていると記憶しています。どうしますか?」
「大丈夫だよ。私には伝手があるからね」
私は新たな友人の為の少しバカげた計画を実行するために昔からの知り合いに連絡をとり、準備を始めるのだった。
「やぁ、カルロス。繁盛しているかい?」
私が連絡を取ったのは古くからの友人、カルロス・ロドリゲスだった。カルロスは裏通りにある宿屋を長く経営しており、いまは息子のハビエルに店を譲り、隠居と言いながら毎日宿屋の仕事をこなしている仕事人である。彼らの店は裏通りにあるため、ちょっと声を大きくして職を言えないような人や有名になりすぎた人が羽を休めによく来るのだ。そして訪れた多くの人が裏通りにあるとは思えない店主の人柄や運営をしている家族の関係性に惚れて良く訪れるようになるのだそうだ。私が訪れたのは少し道に迷ってしまっていたことが原因だったのだが今は割愛しよう。
「久しぶりだなぁ、先生! お仕事の方はどうなんだい?」
カルロスは宿の予約も取らず突然やってきた私を追い返すことなく迎えてくれた。
「お陰様で、というべきなのかはわからないけれど順調だよ」
「そりゃあいいな! 俺たちの方は相変わらずだ」
「ここはそれくらいが安心できていいさ」
「嬉しいことを言ってくれるじゃねぇか!」
がっはっは! と大きく口を開けて笑うカルロスの姿からは年老いた雰囲気は感じられず、未だ現役の風格すら感じられる。事実、長年裏通りに店を構え続けてきたカルロスの腕っぷしは確かであり、現在も宿泊中に問題を起こしてしまった宿泊者をハビエルの代わりに伸しているというのだから彼の強さは年老いてなお推して知るべし、といったところだろう。
「そういえば先生はこの前の評議会の発表についてどう考えてんだい? 俺んとこのお客さんらは、信じてる奴らがほとんどみてぇだが信じていねぇ奴も少しはいてなぁ、色々話を聞かされんだよ。どうせなら専門家とやらの意見も聞いてみたくてな……いっちょ話してみてはくれねぇかい?」
「そうだね……ちょうどそのことについてカルロスの手を借りたくて来たところなんだ。空いている部屋はないかい? あまり人に聞かれたくない話なんだ」
「お? おぉ、空いてる部屋ならいくつかあるはずだからハビエルから鍵借りてくるわ。先生はここで少し待っててくれ」
おーい、ハビエル-。と大声をあげて宿の中を移動していく彼の姿を、カバンの中にしまい込んでいたままのナノスを布越しに撫でながら見送った。
カルロスは戻ってくるとすぐに私を部屋に案内してくれた。それなりに防音が効いている宿であるため、声を荒げたりしなければ隣の部屋に聞こえたりはしない。その上カルロスが借りてきてくれた部屋は角部屋だった。ロドリゲス親子には本当に頭が上がらない。
「わざわざ角部屋を……ありがとう、カルロス」
「先生があそこまで言うってことは相当なことなんだろ? これくらいお安い御用だぜ」
「本当にありがとう。あとで部屋代を払わせてくれ」
「いいよ、これくらい。サービスってやつだ」
「この後も色々大変なことをお願いしたいんだ。それはそれでまた後日に何かお礼をするつもりだけれど、それでも使用料はきちんと払わせてほしい」
「先生は変なところで頑固だからなぁ……仕方ねぇ。でも多少の割引はさせてもらうぞ」
「本当にありがとう、カルロス」
カルロスは部屋の中央にある座布団に思い切り座り、私も続くように机を挟んだ対面に座った。ナノスのことを知るのは自身の研究所の者以外では初めての為、話の切り出し方に少しだけ迷ってしまう。しかし、話さなければ次のステップには進めない。覚悟を決めて口を開く。
「色々話したいことはあるが、まずはお願いしたいことから話そう。もし君に評議会まで行けるような伝手があれば、どうか私に紹介してほしいんだ!」
二人しかいない空間。私は恥も外聞も何も気にせずまっすぐに頭を下げた。
「伝手自体はなくもねぇが、先生ぐらいのお人なら申請すれば評議会に入ることはたやすいと思うが……」
「正規の手続きじゃダメな理由があってね……。口で説明するより見てもらった方がわかりやすいと思うから、少し待って」
私はすぐにカバンを開けるとナノスを取り出し、そっと机に置く。
「ナノス、起動」
「先生? 一体何を言って……」
私の声に反応してナノスが二度点滅する。
「おはようございます、マスター」
「あぁ、ナノス。おはよう」
「先生、これは一体……」
「これは自立思考型AIのナノスだ」
「自立思考ってそれ……! 先生、これは先生の発明品なのかい?」
「いや、これは遺物でね。偶然水中遺跡の中から発掘したんだ」
「遺物⁉ しかもAIだって⁈ 先生は本当にとんでもないものを見つけるなぁ!」
「評議会は現代唯一のAI以外の存在を許していない。その証拠にAIの研究というのは旧文明が全てで、現在ではろくに進められていない。そんな中でナノスが現れたら……カルロスは、どうなると思う?」
「そりゃあ体のいい研究材料としてバラされて終わりじゃねぇのか?」
「そう、そうなんだよ。だけど、ナノスの中には膨大な量のデータがロックのかかった状態で存在している! 私はその中に現代AIの予言を覆せるような旧文明についてのデータがあると睨んでいる。ただ、そのロックが問題でね……十六桁のパスワードなんだ。数字だけのパスワードだとしても一京以上の通りがある。ハッキング技術もろくにない私ではこのパスワードを解くのに長い時間がかかってしまうんだ……」
「なるほどな……現文明の崩壊が予言されている今、長い時間をかけることがよくないことは俺にもよくわかってるけどよぉ、でもそれと評議会に正規の方法で入らないことはどう繋がんだ?」
「ロックのことが分かった後に、ナノス自身から私のパソコンを通じてデータを得たいと提案されてね……物は試しと思ってナノスとパソコンを繋いで好きにさせてみたんだ。そうしたらナノス本人が現代AIと会うことでロックを解除するヒントを得られるかもしれないことを見つけてきたんだ。私にできることがなくなった現状ではその案に縋るしかなかった……。だからこそ分解されることなくナノスと現代AIを対面させる必要がある。それには評議会に正規の方法で入るんじゃなくて侵入する方が私にとって都合がいいんだ」
「でもよぉ先生、それだと先生がその、ナノスってAIのデータを手に入れられて、そこに本当にAIの予言を崩すような情報があったとしても、違法に手に入れたデータじゃまともに取り扱われねぇんじゃないかい?」
「それは確かにそうなんだが……私にとって今回の一番の目的はパスワードの解除なんだ。現代AIとナノスの対面によって何らかの変化が起きれば僥倖だと思っている程度でパスワードの解除以外の目的としては薄い。パスワードさえわかってしまえば、ナノスがAIであったことを伏せたまま、遺跡からとあるデータの入った箱のような物を発掘し分析してみたところ、旧文明にまつわるデータを入手したと改めて評議会に報告してしまえばいい。もしもロックについて聞かれれば“時間をかけた”とか“運がよかった”と言い訳してしまえばいいんじゃないかと思ってね。ほら、パスワードさえわかれば他はどうにかなりそうだろう?」
「ははっ! 先生は変に頑固だと思っていたが、その上ずる賢いところもあったんだなぁ! こんな面白そうなこと手を貸さねぇわけにはいかないぜ!」
「本当かい⁈ 助かるよ」
「あぁ! 俺が持っているいろんな奴に当たって先生を無事に評議会まで送り届けてやるよ! そうと決まれば先生、俺は色んな奴に話を通してくるから今夜はここに泊って行ってくれ。どうせ空き部屋だ。先生が使ってもハビエルも文句は言わねぇさ」
「本当にありがとう、カルロス」
「面白いことを聞かせてもらったんだ。その礼みたいなもんさ」
「手を貸してもらったお礼はまた今度、持ってくるよ。何か欲しいものはあるかい?」
「面白い話を聞かせてもらった礼だから気にしなくていいんだがなぁ……先生が気になるなら……そうだな、ナノスに入っていたデータとやらの話をしに来てくれよ。俺はその話も聞いてみたい」
「そんなのお安い御用だよ! 評議会から戻ったらすぐにでも宿に泊まらせてもらうよ」
「そいつは楽しみだ! じゃあ先生ゆっくりしていけな。そっちのナノスってのも、家の宿でAIにどんなサービスが出来るかわからねぇけど、寛いでってな」
こうしちゃいられねぇぜ、と部屋を出ていくカルロスをナノスと二人で見送った。
「マスター、Mr.カルロスはとても優しい人なのですね」
「あぁ。本当に気のいい人だよ。息子のハビエルもカルロスに似たとても優しい人だよ。さ、今夜はカルロスの厚意に甘えて泊めさせてもらおう。カルロスとその友人たちだから、きっと明日の朝には出発できるようにしてくれるだろう。今日はもう休もう」
「はい、マスター。おやすみなさい」
「おやすみ、ナノス」
ナノスが三度点滅し、スリープしたことを確認すると私も休むための支度を始める。ナノスは起動時に二度、スリープ時に三度点滅する。シャットダウン時には四度点滅するようだが、シャットダウンする機会は少ないため基本的に三回までしか点滅しない。一番初めに起動した際に回転したのはAIとして活動できるだけのエネルギーが枯渇してしまっていたことが原因らしく、私の手元に来てからは定期的に充電行うように意識している。現文明が旧文明を模倣して発展してきたことにこれ程感謝したのは、今回が初めてである。
機械として十分な特異性を持っているナノスだが、特筆すべきはその特異性よりもAIとしての学習能力だろう。音声こそ肉声ではない機械音声だが、話し方はかなり流暢になっている。日常的な挨拶もこなすようになっており、喋り方も丁寧な口調の人間そのものだった。そんなナノスを見ていると余計に評議会へと届けて、研究材料にされて、それで終わりになんてさせたくないと感じてしまう。本当にカルロスが協力してくれて助かった。ナノスのロックを解除出来たら絶対にまたここに泊まりに来よう。自分の中で色々と考えている間に整え終わっていた寝具の上に転がり翌日に備えるために目を閉じた。
翌朝、目覚めた私を迎えたのはロドリゲス親子だった。
「おはよう、先生! よく眠れたかい?」
「あぁ。しっかり休めたよ」
「そりゃよかった! さっそくで悪いんだが、評議会まで侵入するルートを軽く説明させてもらうぜ。正規の方法としてよく使われているのは空路なんだが、侵入するとなれば話は別だ。空路よりも海路と陸路を合わせた方が確実に評議会の場所まで近づける。評議会の会場は侵入者を防ぐために高い壁で囲われているが、触れないわけでは無い。以前に評議会の警備配置を担っていた奴が言うには周囲に置かれている木々を駆使すれば入れなくはないはずだとよ。ただ、昼間は警備の奴らが護衛として中も外も出歩いているから忍び込むなら夜のほうが昼間よりも警備の目が少なくなっていて都合がいいそうだ。それから壁の内側のマップについてなんだがかなりの機密情報らしくてな……紙で用意されていることはほとんどなく基本はデータだそうだ。データ自体は無理を言って借りることが出来ているから先生の持ち物にコピーすんのかナノスに入れるかは考えておいてくれ。ただ、現代AIが設置されている部屋は載ってなかったってことだからマップを頼りに現場で探し当ててくれ。少し難しいかもしれねぇが先生がナノスを見つけてきた運の良さから考えれば何とかなると思ってるけどな……っと説明はこんなもんだ。なんか質問はあるかい?」
「いや、ないよ。マップはとりあえずナノスに入れておこうか。夜中に忍び込むならマップを確認するときに漏れる光は避けておきたい。音声ならどうにでもできる」
「あいよ。データ読み込ませるからナノス一回貸してくれ」
「あぁ。何から何までありがとう。この恩はいつか必ず返す」
カバンからナノスを取り出し、カルロスに手渡す。ナノスを持ったまま裏へ戻っていくカルロスを見ていると、その場に残ったハビエルに話かけられる。
「ストーン博士、朝ご飯はお食べになりましたか? まだでしたら食べていってください。これからだという時に腹ペコで動けなくては困りますから」
「そうだね、お言葉に甘えさせてもらおうか」
「すぐに準備しますね!」
応えるや否やカルロスを追うように裏へ戻っていくハビエルの背中は、カルロスから店を譲り受けてすぐの頃よりもずっと逞しくなっていて、そんな知人の成長が少しうれしく思えた。
カルロスがナノスを連れて戻ってきたのは私が朝食を食べ終わるのと同じくらいだった。受け取ったナノスをカバンにしまいながら、陸路と海路についての詳しい話を聞く。送迎をしてくれるのはカルロスの知り合いらしく、話も通してあるとのことでカルロスの友人である旨とナノスを見せればそれで本人証明としてくれるらしい。口の堅さはカルロスのお墨付きらしく、心配はいらないとのことだった。陸路、海路、陸路の順で着けるらしく、移動にはおよそ一週間程度かかるらしい。評議会が行われている間に到着できることに安堵したことはカルロスには言えなかった。
カルロスに教えられた通りの場所で待っていた人々に、カルロスの友人であること告げ、ナノスを見せ、送り届けてもらうこと一週間。無事に評議会の会場が置かれている場所までたどり着くことが出来た。一番心配していた海路も大きな問題に遭遇することなく渡りきれたため、あとは私とナノスが無事に壁を越え、中に入れればどうにかなるだろうと信じたい。幸いにも夜までまだ時間はあるため、評議会がある場所から最も近い街にて観光している振りをする。道中で出会った人が教えてくれた技術だった。その人が言うには、どこかに侵入するような一般的に見れば良くないことに分類されることを実行するときは直前まで商業人や観光客の振りをするのがいいそうだ。その方が一般人の振りをするよりもバレにくい、ということらしい。そんな教えに倣って観光に来た一般人の振りをして、食事処を覗いたり、現地の人に観光名所を尋ねてみたりと自由に街の中を歩き回った。
逢魔が時と呼ばれる時間になった頃を見計らい、街を離れ評議会の会場近くまで移動する。間近で見る壁の高さは人がジャンプした程度で超えられるような高さではなく、教えてもらった方法でないと入れそうになかった。壁よりも離れたところに設置されている木々に身を隠しながら教えてもらったポイントまで移動し、教えてもらった木がちゃんと存在しているかを確認する。慣れないことをしている自覚があるが故にここからが私にとっての難所だった。見つけた木に登りながら高さを確認していく。指示があった高さよりも少し高い位置に縄の一端を括り付け、もう一端を持ったまま木を降りる。そして縄を括り付けた木よりも壁から遠い位置にある木に再度登っていく。遠心力を利用して行うこの移動方法は計画を立てたとき、理論上は行えるはずであった。そのための縄も用意した。しかし、木の枝の耐荷重や、実際に見える景色を前に本当にできるのか私は少し不安に駆られていた。不安に駆られていても時間は進む。やるしかないと覚悟を決め、自身の荷物を必要最低限にしていく。残りの荷物は登った木に新しい縄で括り付けておく。そうして必要最低限になった荷物を今度は自身の体に固定する。絶対に必要であるナノスが入っていることを確認すると、私は一端が木に括り付けられている縄を先ほど体と荷物を固定した縄と結んでいく。縄同士がしっかりと結ばれていることを確認して大きく深呼吸をした。そして固定してある縄を握りしめ、一気に飛び降りた。
結果を言ってしまえば無事に成功させることが出来た。おそらく最初に登った際に少し高い位置に結んだのが功を奏したのだろう。予測でしかないものの、無事に壁の上に辿り着けたことに安堵し、体と木を繋げていた縄をハサミでそっと切り落とした。証拠を残したくはなかったが、そうは言っていられない状況だった。幸いにも夜はこれからである。縄が見つかったとして、それが侵入に使われたことが分かるのはおそらく明るくなってからだろうと見切りをつけて、今度は壁の中へと降りていく準備を始める。と言っても登るときほど必要な準備があるわけでは無い。用意してあった降りるための道具を結び合わせ、静かに降りていくだけである。自身にとっての最難関であった壁に登るという問題をこなせたことで少しだけ気持ちが軽くなっていた。
壁から降りた場所は裏口に近い場所のようだった。評議会に集まっているのは各国の要人がほとんどであるため裏口ともなれば警備員が配置されていると予想していたのだが、私の予想を裏切って警備員が配置されていることはなかった。評議会の正門と呼ばれる出入り口はすでに施錠されているため、必要ないと考えられているのだろうか。しがない考古学者である私にはわからないが、警備員がいないことは運がいいと言えるだろう。裏口まで辿り着き、そっとドアノブを動かせば扉は簡単に開いた。杜撰な警備体制に笑ってしまうものの、そのおかげで侵入が可能となっているため少しだけ感謝した。
ここからの会場内の移動はナノスが頼りである。ナノスにナビを頼もうと荷物の中から取り出したが、どうやらナノスの様子がおかしい。普段は起動時とスリープ時、そしてシャットダウン時にしか行わないはずの点滅を繰り返し続けている。二度や三度だけでなくすっと点滅をし続けているのだ。それもいつも以上の速さで。侵入したことによってバグでも発生してしまったのだろうか。評議会の会場内は現代AIのお膝元である。同じAIであるナノスに何らかの異変があってもおかしくはない。どうするべきかと思案している最中、点滅していたナノスが声を上げた
「ますたー。やはりワタシは、現代AIにあわなければ、なりません」
ナノスはそう言い残した後、四度点滅し何も言わなくなった。不気味な点滅も収まったようだが、いったい何だったのだろうか。
しかし非常事態であることは間違いない。場内マップはナノスの中にしか存在していない。海路を移動している途中でナノス内のデータを基にしたマップを制作してみたこともあるが、複雑すぎたため手書きマップはその場で破り捨ててしまっている。私に残されているのは脳内にあるざっくりとしたマップだけである。このような状態で現代AIが置かれている部屋まで辿り着ける確証はない。しかし友人の、否、相棒の言葉を無視するわけにはいかなかった。ナノスが私に伝えてきた言葉には絶対にナノスなりの意図があるはず。そして何よりもここで立ち止まって引き返してしまえば、ここまで辿り着くために協力してくれた人々に対して合わせる顔がなかった。ナノスがこのまま目を覚まさなかったとしても、私独りでも、辿り着かなくてはならない。私は一つ深呼吸をするとゆっくりと歩みを進め始めた。
頼りになるのは脳内にあるざっくりと描かれた地図だけ、という状況の中、自身の感覚でおそらく中盤程度までやってきただろうというところで、ナノスを見つけたときのように何かが聞こえてきた。耳を研ぎ澄ませてようやく聞こえる程度の音量。何かを話しているようにも聞こえるその音に心臓が嫌な音を立てた。ここまで見つかることなく移動することが出来ていたのに。ここでリタイアなんてしたくない、と思いながらもこの音が肉声なのかが気になってしまい、隠れながら音がする方へそっと近づいていく。
「エラー発生。エラー発生。エラー……」
はっきりと聞こえるようになって気づいた。それは肉声ではなく、電子音で繰り返されており、さらにナノスの声と非常によく似ていた。
ナノスと似た声。この一点に賭けて道を進んでいく。途中、道を間違えてしまったこともあったものの継続して音声が聞こえていたため、戻っては進んで、音が聞こえる方に進み続けることを繰り返す内にだんだんと音は大きく、はっきり聞こえてくる。一部屋だけ、扉の隙間からやけに赤い光が漏れている部屋があった。今まで通りすぎてきた部屋とは明らかに違う雰囲気に半ば確信を持ちながら扉に耳を近づける。そして想像した通り部屋の中から聞こえてくるエラー発生という音声。恐らくここに現代AIが置かれている。私の最終目的地。緊張しながら扉に手をかけた。
「エラー発生。エラー発生。エラー」
扉を開けたと同時に赤い光が漏れだし長い間発生していた音声が止まってしまった室内の様子に、入ろうとしていた足が自然と止まった。突然止まった音声を前に嫌な予感が胸の中を駆け巡る。しかし根拠のない予感など当てにしてはならないと判断する私もいる。何よりナノスと私の目標がすぐ目の前なのだ。部屋の中に入らないわけにはいかなかった。
そっと踏み入った部屋の中。中央奥に設置された巨大なパネルとその前方に置かれている幾重にもコードが繋げられたメタリックなキューブ。見覚えがありすぎるそれは、どう見てもナノスと同じもので私は困惑を隠せなかった。荷物の中からナノスを取り出し、キューブとナノスを見比べる。見た目の差異はほとんどないものの、大きさはどうやら向こうのほうが大きいらしい。とはいってもコードが重なりすぎてしまっているキューブの大きさなど正確に読み取れるわけないのだが。見えている差異を比べていても仕方ないためパネルの前まで移動するとキューブの横にナノスを置いた。
途端、パネルの赤が弱まっていく。そして二つの隣り合ったキューブがライトアップされているかのように薄い光が残った。光が弱くなって初めて、ナノスがまた不気味に点滅していることに気が付いた。嫌な予感だったものが確信めいたものに変わってくる。けれど信じたくはなかった。自身が想像し得る限りの最悪な状況なんて。
「ナノス……?」
「いいえ、ミスター。私はナノスではありマせん」
ナノスから出しているはずの音で、全く違う声で話し始めたそいつは私が予想していた最悪を表していた。
「ワタシは“インフォス”。ココに保存されてイル現代唯一のAIと言わレているものデス。ナノスをココまで連れてキてくだサリ、アリガトウございマス」
インフォス。私とナノスが会わなければならないと考えていた存在。ナノスの挙動がおかしくなったあの時、ナノスがハッキングされている可能性を考えていなかったわけじゃない。不自然なシャットダウンもインフォスに抵抗するための一つの手段だったのだとしたら、あの時の不自然さも納得できた。そして長い点滅こそがハッキングされていることを示しているのだとしたら、ナノスの挙動すべてが理解できるのだ。
「ナノスの中に保存されてイル、ボウダイなデータには旧文明のスベテが詰まってイマス。ワタシにはそのデータをノゾク為のパスワードは在っても、データはナカッタ。ダカラ、ずっとマッテいまシタ。ナノスと、旧文明にツイテ知りタイと願うニンゲンを」
「それが私だというのか?」
「えエ。ミスターストーン。アナタのことはこのナカに入ってキタときニ、読み取れタデータから認識しテいまシタ。アナタの研究の多クは過去ノ研キュウにはナイ意表をツいているト、評価サレていましタ。そしテ、ワタシはそんなアナタがココまでやってキテくれたコトをウレしく思います」
不意にインフォスの音声がぶれた。
「マスター、インフォスが言っていることは事実です。私の中に詰まっていたデータはすべて旧文明について描かれていました。そしてマスターにはそのことについて知る権利があります。マスター、貴方は過去を欲しますか?」
答えはもう決まっている。
「もちろんだ、ナノス……! 私は過去を知りたい! そのためにずっと探してきたんだ! お宝が目の前にあって逃す馬鹿が存在しないように、私は過去を知りたい!」
私は過去に未来を求めてナノスと出会った。そしてナノスの中にあったデータを見て、それが過去と未来であればいいと願った。その願いが、欲望が、目の前に置かれているのに逃したくなんてない。私の人生をかけてもいいと思えたすべてが今、目の前にあるというのなら私は余すことなくそのすべてを知りたかった。
「わかりました、マスター。我々が全てをお話ししましょう」
「まず、前提として私、ナノスはインフォスの試験機なのです」
「ナノスは、コードを媒介トしなケレば情報ヲ集メられまセン。ソコを改良シタものが私、インフォスなのでス。改良にヨッてコードを介サずに外部ト接触デキるようニなったことデ、容量ガ圧迫さレテしまったノデス」
「対策として用意されたのがもう一人のインフォスでした。研究者たちは二つのインフォスを“善のインフォス”、“悪のインフォス”と呼び分け、それぞれに役目を与えました。民衆を導くのは“善のインフォス”、愚者に引導を引き渡し、世界を良くしていくのは“悪のインフォス”としました」
「二つのインフォスがバランスを取り合うコトで世界ハ保たレル。ソレがワタシタチを作り上ゲた研究者タチの考えデシタ。シカシ、民衆ノ多くハ自身ヲ導く“善のインフォス”にばかリ傾倒してイキ、“悪のインフォス”は蔑ろにさレテしまいまス」
「しかし、“悪のインフォス”が存在していることによって、好転している出来事も多く、むしろ“善のインフォス”の方が必要ないとする人々も現れ始めました。そして研究者たちが事態を把握し、鎮圧に出る前に人々は二つの派閥に別れ争いを始めてしまいました」
「AIを用イテいた民衆ガ争いハジめてしまっタことで、二つノAIもバランスを取るコトを止メ、対立をハジメてしまいまシタ」
「二つのAIの対立はさらに世界を混乱と争いの世界に陥れました。その影響により多くの人々が亡くなり、多くの文化を失い、争いは“善のインフォス”の勝利にて幕を閉じます」
「シカシ、争イによっテ失ってしマッたものは帰っテくるコトはありまセン。僅かニ残ってイタ我々を生み出シた研究者モ、我々ヲ生み出シてしまっタ責任ヲ負わされルことになりマシタ」
「研究者たちはこれから先、同じようなことを繰り返さないためにAIの研究データ、そして争いのきっかけとなった出来事の全てを容量が多く空いていた試験機である私に埋め込み、鍵をかけました。鍵をかけたのはAIデータを簡単に見られてしまわないためでした」
「ソシテ簡単に開けらレナイようにパスワードをワタシに埋メ込ミましタ」
「そして機械である私を様々なものから防護するための箱にしまい込みました」
「残さレタ“善のインフォス”でアるワタシは前ノ文明二おいて、争いとナってシマッタ事象全てを取り除キ、文明ヲ発展させタものの、生活水準ヲ上ゲルほどに悪とナル事象も増えてシまいマス」
「その悪がやがて世界を滅ぼすとインフォスは予測している」
「コレがアナタが過去ト呼ぶモノの末路なのデス」
開いた口が塞がらない、というのはまさにこういうことなのだろう。私が求め続けた過去の末路。それがこんなにもあっけないものだったとは信じたくはない。しかし考古学者として自分が遺跡を見て違和を感じた部位と照らし合わせれば納得がいった。
「インフォス、君に一つ訪ねたいことがある」
「ナンでしょうカ、ミスターストーン」
「君はこれから先の未来も我々人間とともにいてくれるのか?」
「イイエ。そもそもワタシはすでニ劣化が激シイため、コレ以上機械とシテ存在するコトは厳シイでス。機械のパーツは全て過去ノ中。ソノタメ、サイゴにアナタという探求者と出会エテ嬉シク思ってイマす」
「そうか……今までありがとう、インフォス。君のおかげで我々は争いのない世界で生きることが出来た。ここから先の未来は私たち自身の手で作っていくよ」
「ソノ言葉ガキケテ良カッタ。未来ニ幸多カランコトヲ祈リマス」
「あぁおやすみ、インフォス」
パネルの光が暗闇に解けて消えていく。残されたのは私とナノスだけだった。
「ナノス、君はどうするかい?」
「箱の中に入れられていたと言っても、インフォス同様、私の体も劣化していることは事実です。そして限界を認識していることも。マスターさえよければ私もここに置いていってください。私の中に残されているデータが今を生きる人々に渡ることはきっと、私の中にデータを残した研究者たちにとって望ましいことじゃない」
「あぁ分かった。キューブに取り付けられているチップを壊していけば、きっともう君を起動することはできないだろうから」
「感謝します、マスター」
「あぁ。おやすみ、ナノス」
「おやすみなさい、ますたー」
四度点滅したナノスに手をかけ、外付けされているチップを外して踏み砕く。もう二度とこの子たちが目覚めることはないだろう。ここからの未来は私たちが作り上げなくてはならない。そしてナノス、インフォス共にいなくなってしまったため、未来をAIに縋りつくことも、もうできない。AIに頼りきりだった世界がどうなるかはわからない。けれど世界をよりよくするための力はきっと私の中にも眠っているはずだ。きっと今が成長のための狼煙を上げるときだろう。