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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪役令嬢、最強の英雄へ下賜される

 私はいわゆる悪役令嬢だ。

 乙女ゲーム『ブランシュネージュの初恋』。私は自分のことを誰よりも美しく、誰よりも王妃にふさわしいと思い込んでいる、銀髪碧眼の王太子の婚約者にして公爵令嬢メイベル・フォン・デミレツァー。……に転生した、フツーの社会人。

 悪役令嬢に転生したのだから、当然断罪回避に挑んだ。ここはその総仕上げ、王立学園の卒業祝賀パーティーだ。


「確かに残念なことに余罪についてはリヴの証言以外の証拠が出なかったが――少なくとも、リヴの教科書を破いたり、リヴの靴を盗んだりするように指示したのは君だろう?」

「いいえ。私はしておりません」

「しかしこの便箋は君の特注品だ」

「私の筆跡でもインクでもありません」

「筆跡やインクなんていくらでも変えられるだろう」

 ――ため息が出そうになる。

 アリバイづくりに朝に晩に必死に王宮まで足を運んで、私の所在を知る人を増やした結果がこれ。

 おそらく寮仕えのメイドあたりが、私が不在の間にこっそり1〜2枚盗んでいったんだろう。庶民上がりの男爵令嬢である原作ヒロインのリヴの手元に、握らせる金があったのは意外だ。それとも弱みを握ったのか。

「私は王妃教育で放課後不在にすることが多かったので、その間に入ったどなたかが怪しいと思うのですが」

「これ以上そのような白々しいことを言うならば、牢に繋いでもいいのだが?」

「……とにかく再調査をお願いします。私ではありません」

「見苦しいぞ、デミレツァー嬢。衛兵、彼女を連れて行ってくれ――西の塔まで」

 ――西の塔。

 何代も前の王の蟄居に使われて以来、罪を犯した貴族を断罪の日まで幽閉してきた恐るべき場所だ。

 そこに行くということは、少なくとも私の命はこのへんで終わりということだ。

 せっかく転生したのに短い人生だったな。


 そうして私は、原作ヒロインのリヴ・マイフェルトの中に入った過激派王太子推し(推測)の涙ぐましい捏造で、念入りな根回し虚しく婚約破棄&処刑と相成った次第であった。


 様子が変わったのはそれから二日後のことだった。

 偉そうな態度の兵士が一人駆けつけて曰く。

「調査の結果、処刑まではすべきでないということになった。貴様には庶民として生きてもらう」

「へー」

「貴様そんなキャラだっけ? まあ庶民となるのだから、そのくらいの方が生きていきやすかろう」

「そだねー」

 捨て鉢になってなにもかも面倒になっていた私は、キャラすら放り投げて西の塔でゴロゴロだらだらしていた。どうせ死ぬんや。うん? 今庶民として生きろって言った?

「えっ処刑されない? 庶民として放逐? わたくしが?」

「今? 遅すぎない?」

「ありがとうございます。お陰様で命を長らえさせることができました」

「うわっカーテシー美しすぎる……さっき『そだねー』とか言ってたやつとは思えない……貴族……」


 突然存命が決まった。

 そのあと別の王宮勤め達が、西塔にわたわたと集まってきて言うことには――

「デミレツァー嬢は何も悪いことをしていなかった」

「王宮の者達は皆気づいているが、家族の命が惜しいから誰も上奏できない」

「貴方は茶番劇の生贄にされたのです」

「我々の命を守りながら貴方の命を守るのは、これが精一杯だった」

 ――などなど。

 私は悪くないが、悪いと言わないと体面が悪いというような、そういう風潮になっているらしい。

 そしてもう一言、聞き逃せない言葉があった。

「お嬢様は、揺光竜ベネトナシュを倒した英雄に下賜されることになりそうです」

 ……なんて?


 ――この大陸には七頭の竜がいる。

 定期的に、あるいは不定期で蘇り、人々に甚大な被害をもたらす。

 そのうちの一頭が、我々の国に住んでいる揺光竜ベネトナシュ。五十年周期で目覚める国の悪夢だ。

 この竜が目覚めて早々、大した被害が出る前に単独で討伐したというのが、S級冒険者ラルフ・ビアステッド。この件で英雄とも称されるようになった、この国最強の冒険者である。


 急遽英雄に下賜されることが決まり、さらに王妃教育時代に担当してくれていたメイド達がわいわい集まってくる。

「ラルフ様に嫁がれるって本当ですか!?」

「素敵……私、腕に寄りをかけて磨かせていただきます!」

「お嬢様はお肌が繊細でいらっしゃいますから!」

「わかっております! 垢すりはほどほどに、保湿オイルはしっかりと!」

「お爪もツヤツヤにしなくては!」

 メイドがキャッキャウフフとばかりに楽しそうに私の体を磨いている。『英雄』に憧れがあるらしく、そこに私という見知った令嬢が嫁ぐのをそれはそれは喜んでくれているようだ。


 突如決まった婚姻。ラルフ・ビアステッドと顔を合わせることもないまま準備が整えられ、報告のあった日から三ヶ月後には結婚式が執り行われた。

 平民に落とすことで王太子殿下とヒロインのリヴ・マイフェルトの、その上で平民から出た英雄に嫁がせることで王城勤めの貴族や召使達の溜飲をまとめて下げたつもりらしい。国王陛下は国民の機嫌取りがずいぶん上手いことで。


 結婚式が終わった夜。

 彼のために現地の侯爵ハーマン・フォン・エスターライヒによって用意された、それなりに大きな邸。簡素なテーブルが置かれたリビングで、改めて向き合って挨拶をする。

「改めまして、私がメイベルです。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」

「俺は結婚をまだ認めてない」

 いきなり随分なことを言われた。もう国王主催で結婚式しましたけど。

「好きなタイミングで出てけ。俺もなるべく帰らん」

「申し訳ございませんが、私から出て行く訳には参りません。ラルフ様にとっては単なる不要な褒美かもしれませんが、私にとっては王命ですので」

「じゃ、留守番しながら好きにやってろ」

「ありがとうございます」

 ちょっとぼさついたダークブラウンの髪に、明るめのライトブラウンのややタレ目。凛々しいけど恐ろしくはない、絶妙なバランス。う〜ん、イケメン! 確かにこれはメイド達がキャッキャウフフするわけだ。

「……一応聞くけど、飯とか作れるのかお前」

「……材料がありましたら」

「貴族の女なのにか?」

「……一応」

 とはいえ作れるのは前世で作っていた一般的な日本人家庭料理だ。貴様には出汁味の飯を食わせてやるからな。そんな態度をとっていられるのも今のうちだぞ(?)。

「厨と食糧庫はそっちだ、明日の朝からな」

「わかりました」

 英雄ラルフはそう言って自分の寝室につかつか歩いていってしまった。

 これは完全に飯炊きとして雇われた人間の扱いだ。ちょっと切ないが、まあ、DVよりマシか。


 あまりにも特に何もないという、鼻で笑ってしまうような新婚初夜が明けた翌朝。

 早朝目が覚めたので食糧庫を確認すると、砂糖と塩以外何も入っていなかった。よくこれで食糧庫がそっちとか言えたな。

 慌てて朝市に買い出しに行き、米と人参、玉葱、馬鈴薯、甘薯、玉菜(キャベツ)、猪肉、干し椎茸、干した昆布、醤油、味噌を買ってきた。山一つ向こうの隣の国がやや中華っぽい文化圏だから、その辺の関係で味噌と醤油があるらしい。ちょこっと高かったけど、ジャパニーズ家庭料理しか作れない私はこれらがないと大したもの作れないからしょうがない。

 英雄ラルフが起きてくる前に米を炊き、肉じゃがとキャベツの味噌汁、塩結びを作る。あいついつまで寝てるんだ。

「……飯の匂いがする」

「おはようございます。朝ご飯できてますよ」

「……」

 目を丸くしているな。初めて食べる和食に驚くがいい。


 ラルフは手を一度合わせた後、無言で食事を始めた。私も彼から見て三時の方角に座り食事を取る。

 精悍な顔の凛々しいイケメンが、むっしゃむしゃ塩結びにかぶりついているのは見ていて気持ちがいい。作ってよかった。

 そうこうしているうちに、ラルフは私の作った和食をペロリと平らげた。


「お前、この飯どこで習った」

「えっ?」

「……いや、いい」


 不機嫌そうに紅茶を呷ると彼は「行ってくる、19時には帰る」と言って出発していった。

 それはもしかして、和食を気に入って夕飯にも食べたいということか。可愛いやつじゃないか。なるべく帰らんと言った口で、19時には帰ると。

 そこまで言われればしょうがない。腕に縒りをかけて飯を作ることにした。


 洗濯、掃除、昼食と買い出しを終わらせ、夕食までの間に邸を見て回る。

 夕食は半牛半蛇(オピオタウロス)の上半身の肉(ようするにほぼ牛肉)がミンチで安く売られていたので、醤油ベースの和風ハンバーグ。味噌汁は大根があったからそれにしてみた。喜んでくれるだろうか?


「……」

 宣言どおり18:30ころに帰ってきた彼は、ハンバーグを一瞥して――味噌汁とご飯を美味しそうに食べた。

「ハンバーグはお気に召しませんでしたか」

 私がそういうと、しぶしぶフォークを向けた。一口食べて、目がぱ、と明るくなる。

「醤油だれか」

「は、はい」

「……」

 がつがつと食べ始める。気に入ってくれたのかもしれない。

「朝飯が……美味かった。初めて玉ねぎをうまいと思ったかもしれねえ」

「ほんとですか」

 玉ねぎ苦手だったのか。早く言え。

「明日も味噌汁と、白飯と……弁当に握り飯と、饅頭も」

「おまんじゅうですか?」

「ないならいい」

「いえ、多分作れますよ。頑張ってみます」

 小豆(しょうず)はスープにたまに入ってるし、今朝八百屋に並んでいるのを見たばかりだ。ケーキがあるのだからふくらし粉くらい探せばあるだろう。

 しかし、彼はなぜ饅頭を知ってるんだろうか? ……というか、なぜ味噌汁、握り飯という名称を知っているんだろうか?


 こうして私の作るジャパニーズ家庭料理+饅頭を、彼は毎日文句も言わずぺろりと食べ続けた。

 次第に食べ終わると「ごっそさん」とボソリと言うようになり、たまに「醤油だれのハンバーグ」とか「牛蒡の入った煮物」とかリクエストすらするようになった。

 たまに頼まれてもないのに饅頭にアレンジして出したりすれば、

「饅頭に草入れたのか?」

「ヨモギがたまたまあったので」

「俺は臭い草はあんまり……ん」

 とか言いながらもぐもぐ食べて、結局完食して「ごっそさん」と言っていたり。


「……今日は遅くなる」

 結婚から三週間。毎日特に何も言わずに19時に帰ってきていたラルフは、ポーチを確認しながらそう言った。

「わかりました。夕食はどうしますか?」

「……どうしたらいい」

「食べるなら時間に合わせて作っておきますよ、日付変わる時間とかでも」

「……」

 ばつがわるそうにキョロキョロとあちこちを見回すラルフ。別に元々なるべく帰らんとか言ってた人間なんだから、そんなに気にしなくて良いのに。

「……カラアゲだったか、酒を持って帰るから、あれを23時に頼む」

「唐揚げですね、わかりました」

「……お前の」

「?」

 ラルフはまだ何か言いたそうに口を尖らせて、言いたくなさそうにゆっくりと口を開いた。

「お前の飯は美味い。他の冒険者連中との飲みよりも、お前の飯を食いたい」

「……ふふふ、ありがとうございます。なによりも嬉しいです」

 その晩、私は彼と初めて晩酌をした。

 話した内容はラルフが揺光竜ベネトナシュを討伐した時などの話だった。私の唐揚げと、ラルフが持って帰ってきた酒を飲みながら、彼はその時の活躍をぽつぽつと話してくれた。

 私の作るご飯を美味しそうに食べて、辿々しくも自分の話をしてくれようとしている彼は、なんだか、とてもかけがえのないもののように感じた。


 結婚から二ヶ月ほど経ったある日。

 彼はいつも通り夕食のご飯と味噌汁とおかずをぺろりと平らげて一口茶を飲むと、ふと喋り出した。

「お前、出身はどこだ」

「……え、私、デミレツァー公の娘って」

「違う」

 言いませんでしたっけ、とつづける前にピシャリと止められる。

「……お前、前世日本人だろ」

「……」

 薄々気付いていたけど、彼もまた、やはり、異世界転生者なんだろうか。

「故郷はどこだ」

 ってことは、原作を知っているんだろうか? ちょっとニッチなスマホ乙女ゲーだし、前世も男性なら知らなそうだけど。

「……北海道の札幌です」

「東海道?」

「北海道です」

「なんだそりゃ。南海道なら俺もそうだが、北海道は初耳だ」

 ……?

「南海道ってなんでしたっけ……」

「土佐、阿波、讃岐、伊予、紀伊、淡路だろ」

「……」

 ギリわかるのはかの有名な坂本龍馬の出身地の土佐と、讃岐うどんの讃岐。あと動画配信サイトで人気の淡路島の方がいたのもギリ覚えてた。

 てか旧国名って。もしかして、もしかするのか。

「……お前、年号で数えて何年生まれだ?」

「平成の初期ごろです」

「……いつだ、へーせーは」

「明治、大正、昭和、平成、令和、の平成です」

「めーじはいつだ」

「た、多分慶応……? の後だったかと」

「……ふん……ふふふ」

 にや、とラルフは笑う。――こういう笑い方を見たのは初めてかも。

「お前、未来の人間なんだな」

「そうなんですか?」

「俺は生まれは天保だからな」

「天保……」

「天保、弘化、嘉永、安政、万延、文久、元治、慶応……の次がめーじだったか? だからお前よりちょっと先輩だな」

 ちょっとどころの騒ぎではない。やっぱり江戸時代人じゃねえか。

 ラルフはくつくつ笑っている。彼にとっての私が、「王から押し付けられた公爵家の女」から、「同じめんどくさいことを押し付けられた同郷の未来人」に変わった……のだろうか。

「どんな暮らししてたんだ?」

「え、えーと……仕事して、ご飯食べて、遊んで……」

「平和か?」

「あ、平和はそうですね、そこそこ平和でした」

「いいじゃねえか。酒は? 美味かったか?」

「お酒は……シュワシュワの甘口の日本酒が好きでした、サイダーとかシャンパンみたいで美味しくて。国産のワインやビールもありましたよ、私はビールはここの方が好きかもしれません」

「そりゃそうだ、この間持ってきたビールは侯爵のハーマンにゴブリン集落の壊滅の褒美ってもらったもんだからな」

 話が弾む。この人と会って初めて、話が弾んでいる。

 見たことない笑顔で、茶を時々啜りながら、ラルフは楽しそうに話してくれる。

「剣術道場はまだあったのか?」

「剣道っていうのはありましたから、剣術道場もありましたよ」

「へえ! 一刀流や鏡心明智流は?」

「さすがに流派までは……」

「刀は? どの刀工が好きだ?」

「刀……あんまり詳しくなくて……私の周りで持ってる人はいませんでしたね。ていうか銃刀法ってのがあって銃も刀も所持するのに許可が必要で……」

「銃はともかく刀もか? 武士には必須だろ」

 ぱち、と目を丸くするラルフ。

「えっと、私たちの時代は武士はいませんよ」

「あー…………」

 ラルフは顔を仰いで、ちょっと遠い目をする。

「成程な……平和もただでは作れんってことか……」

「まあ江戸時代から見れば明治45年で大正が15年に昭和が64年に平成が30年に令和が数年なのでだいぶ経ってますからね」

「待て待て待て長いな!? 改元って5〜6年でするもんじゃねえのか!?」

「え! 天皇陛下が譲位なさったり崩御なさったりして変わるからけっこう長いのがフツーだと……」

「あー……まあ俺の時代は火事だのなんだのの凶事がそこそこあったからな、凶事が起こるごとに変えたりしてたから早かったのか」

 そう言ってさらに茶を一口。私もちょっとだけお茶を飲む。

「……ってことはアレか? お前も前世知識でやりたい放題しようとして爪弾きになったクチか?」

「ラルフさんはそうなんですか?」

「おーよ、10歳頃に一刀流と鏡心明智流と直指流混ぜたオリジナルの俺流剣術道場作ろうとしたらガキから習う剣はねえって言われてな。じゃあ俺の剣術を生かすなら冒険者しかねえのかと思って始めたらコレよ」

「私はこの世界がお話になってて、私がお話の中で断罪確定だったので……頑張って回避しようと王妃教育頑張ったりしてたらとりあえず死なずにすみました」

 目をぱち、と瞬きして見開くラルフ。流石に乙女ゲーの概念はわからなそうだと思ったけど。

「断罪って、もしかして斬首か?」

「斬首の予定でした」

「晒し首か?」

「です」

「いやあ、首が繋がっててよかったじゃあねえか。俺も前世斬首」

「何したんですか……」

「……ま、おいおいな」

「はあ」

 断罪の方が気になってたのか。てかラルフの前世、どんなやつだったんだよ。

「薄々思ってたが、ハーマンの周りの貴族どもが言ってたお前の悪い噂も、ありゃ嘘だな」

「悪い噂?」


「お前が今の王太子妃のことをむちゃくちゃにいじめまくったって話」


 ぽた、と涙が出てきた。

「おっ、おまえ、なんで泣いてんだ!?」

「わ、わたし、私……ほんとに、いじめてない、ですよね、」

「お、俺に聞くな! お前がやってないってんならそうだろうよ!」

「わたし、王妃教育、たいへんで、まいにちがんばって、」

「わかった! わかったから落ち着け! お前に泣かれると俺はどうしたらいいか解らん」

 涙が止まらなくなってしまった私の背を、ラルフは剣だこだらけの大きくて暖かな手で、不器用そうにごしごしさすってくれた。


 ――だれにも言わなかったが、やっぱり王妃教育はキツかった。前世の知識がある分、まっさらのところに覚えるわけじゃないから変な癖のせいで間違えるマナーとか。聞いたこともないような帝王学とか、人間の細かな動きから人の気持ちの機微を察する方法まで。

「再調査を頼んでも、結局私の冤罪は晴れないままで」

「そうか」

「生きていられるだけラッキーで、毎日好きなことだけやってて楽しいけど」

「おう」

「道行く騎士様とかから睨まれたり、剣を向けられたりするのが、つらくて、こわくて」

「そうか」

「ら、ラルフさんが信じてくれたら良いなって、ずっと思ってて……」

 ぎゅ、と抱きしめられる。暖かい。

 涙が彼の服をじわりと濡らしていく。

「もう、お前が噂通りのやつだなんてちっとも思ってねえ」

「……」

「お前は良いやつだ。俺の妻になってくれて本当にありがたく思ってる」

「……ラルフさん、」

「お前は俺の妻だ。誰に紹介しても恥ずかしくなんかない、最高の妻だ」

「……ありがとう、ございます」

 ――彼の胸に顔を埋めていた私は、彼が薄暗い顔でなにやら決意しているなんて、ちっとも気が付かなかった。


 翌朝。

 昨日の今日なので別々に寝た私たちは、廊下で顔を合わせた。

「おはようございます、ラルフさん」

「はよさん」

 にへ、と笑うラルフ。なにやら嬉しそうで私も嬉しい。

「メイベル、そういやお前名前は」

「メイベルですが」

「違う、日本人時代の諱と呼び名だ」

 諱! そういえば江戸時代はまだ諱文化だったのか。

「私たちの時代は諱文化はなかったので、本名の芽衣子と呼ばれてました。ちなみにあだ名はメイでした」

「今とあんまり変わらんな」

「まあ、奇跡的に……」

 洗面台までの道すがら、二人でくすくす笑いながら歩く。穏やかな日の始まりに心があたたかくなる。

「まあ俺も諱が宜振(よしふる)で、ちょこっとラルフと似てるからな。いい偶然だ」

「そうですね」

 ささっと朝食を作る。その間にラルフは何やら荷物をまとめていた。今日は仕事とは別件の用事で王都へ行くらしい。

「前から言っていたが、今回はちっと長くなる。まあでも長くても来週には帰る」

「まあ王都に用事となれば行きだけで何日かかかりますし、そうもなりますよね。のんびり待ってます」

「戸締まりしっかりしろよ。結界も張っとくからな。お守りも作ったから、出かける時持てよ」

「ふふふ、ありがとうございます」

 そんな話を聞きながら朝食を並べる。手を合わせて食べ始めたラルフは、大根の葉の味噌汁をずびびと啜る。

 ひとしきり食べ終わって食後の茶を啜り、饅頭を一口齧って、ちょこっと言いづらそうにぽそりと話し出す。

「この世界に生まれてこの方、お前の飯が一番美味い」

「ますます美味いって言ってもらえるよう精進します」

「これ以上うまくなったら俺は出掛けられんぞ」

 ははは、とラルフは笑う。


「いってらっしゃい、ラルフ」

「行ってくる」

 王都で何もありませんように。私を信じてくれた優しい彼が、傷つけられることがありませんように。

 そんな私の見当違いの祈りを背に、ラルフは王都へと旅立っていった。


---


 ラルフは胸糞悪かった。

 明るくて、へこたれず、懐かしくて旨い飯を出す女。――俺の女。かけがえのない女。

 それを傷つけて平然としている奴がいるのが許せなくなった。ラルフにとっては、ただそれだけだった。


 ハーマン・フォン・エスターライヒ。この地方の侯爵で、この世界におけるラルフの幼馴染で、乳兄弟だった。

 竜退治も善行でもなんでもない。竜をのさばらせておけば、ハーマンやその他の友人らが危険らしいと聞いた。だからとりあえず単独で仕事を受けて、そのまま討伐しただけ。一人の方が早いから、ただそれだけだった。

「ハーマン」

「ラルフ! ……良い顔だね、メイベル嬢と仲良くなれたのかい?」

「おう、前世関係で、ちょっとな」

「なんだって!? 前世ってたわごとじゃなかったのかい!?」

「お前ってなんでそんなにナチュラルに酷いことを言うんだ?」

「私と君の間柄だからじゃないか!」

 軽口を叩きながら、ハーマンが用意した馬車に乗り込む。数日がかりで王都へ向かう馬車の座席は、侯爵家自慢の柔らかさだった。

「ハーマン」

「なんだい?」

「俺は事が終わるまでは帰らん」

「何日かけるつもり?」

「可能な限り早く終わらせる。もう今晩にも」

「早すぎない?」

「生まれてこの方前世の飯なしで生きてきたが……前世と同じ飯がある生活は、もう他が考えられんくらい良い」

「中毒性〜!」

 この王都行きは、実は元々社交会への道行であった。王太子妃からの、メイベル宛の招待状もあったので、本来は三人揃って王都へくる想定をされていただろう。

 それをラルフはもみ消した。メイベルの――芽衣子の涙を見たラルフは、渡すか渡さないか悩んでいた手紙を、跡形もなく燃やしたのだった。

「そういや手紙、王太子妃には『手紙は妻には見せませんでした』と速馬で返報を送ったから大丈夫だろうと思うんだが」

「まあそれで大丈夫と許されるのは当代唯一のドラゴンスレイヤーだからだよね……」

「本人を焼き潰して斬り殺しても良いんだけどな」

「良くないんだよ、ちゃんと法で裁かないといけないからね」

「面倒だな、なんで天誅じゃダメなんだ」

「死ぬより辛い目に合わせた方がいいって考えた方がいいよ」

「ああ成程、そりゃいい考えだ」


 ラルフはどこか即断即決がちな男だった。

 この王都行きは以前から決まっていた事であったが、ラルフはこれを機に当時の様子を全て詳らかにして、王太子妃の罪を問いたいと思ったのだ。

 ちなみにこれは昨日涙するメイベルを胸に抱いた時に決めた。大切なことなので二度述べるが、即断即決がちな男なのだ。


「ところでそんな君の愛する妻君に以前冷たい態度をとっていた悪い男はどう処すんだい?」

「責任を持って妻を大切にする刑に処す事にした」

「物はいいようだなあ」

 勿論ラルフ本人のことだ。自分には甘い男である。


「で、どうするつもり?」

「俺にできんことはない」

「大きく出たねえ〜」

「もうここに遠隔で集めておいた証拠映像がある」

 ぱ、と手のひらの上に水晶が現れる。

 水晶が天井に証拠映像を写している。

『ちょっと! 便箋を盗んでこいって言ってるのにまだ盗めてないの!? 一週間も前なのよ! 予定ではもう教科書が破けてる予定だったの!』

『申し訳ございません! ゆ、許してください! 命だけは!』

『ふーん、命だけで良いわけ? じゃあ服も髪も実家もいらないわね!』

『そ、そんな、』

『嫌だったら一刻も早く便箋を盗んで、リヴの教科書を破きなさいって書きなさい! 週末までに出来なかったら本当に服と髪と実家を消してからお前を消してやるから!』

『はいっ、間違いなく!』

 寮の一室でメイドに怒鳴り込む男爵令嬢リヴの様子だった。

「これは酷いねえ! 傑作だ」

「まだある」

「まだあるの! 楽しすぎるから()()()()()()()()()()見ようよ」

「おう」

 ラルフはぐっと握り込んで水晶を時空間収納(インベントリ)にしまった。

「ポーチがないからインベントリを隠せないね」

「バレても構わん」

「まあ、気持ちはわかるけど」

 クスクス、とハーマンは笑った。

 楽しいパーティーは、明後日に迫っている。


 王城で行われる盛大な舞踏会。

「王太子殿下、妃殿下。今宵お誘いいただけましたこと、誠に恐悦至極にございます」

「こんばんは」

 ハーマンとラルフは王太子夫妻に挨拶をする。

「よく来てくれた、英雄ラルフ。あの女を娶らされて苦労していることだろう。今日はゆっくり羽を伸ばしてくれ。エスターライヒ侯もあの女には苦労させられているだろう」

「……」

 リヴはラルフの手を取ろうとする。それとなくスッと引っ込めるラルフ。

「えっ? あ……えへへ! 今日はゆっくりしていってね、英雄様? あのね、英雄様……あの女が死んだら、私の護衛になって欲しいの! 良いよね?」

 聞いてもいないのにリヴはぺらぺら喋り始めた。ラルフはなるべくそうとは見せないようにしつつも、機嫌が急降下していった。

 ハーマンはそんなラルフをそれとなくフォローして、二人から引き離す。

 二人に声が聞こえなくなる距離まで辿り着いてから、ぼそ、とラルフはつぶやいた。

「良いわけねえだろクソアマ」

「不敬〜」


 ハーマンとラルフはシャンパンを片手に壁際に立っていた。

「さて! 王族の皆様へのご挨拶も終わったし、そろそろどうだい?」

「おう、始めるか」

「じゃ、頼むよラルフ」

「おう」

 ラルフはす、と魔力を掌に集めて水晶を取り出す。きゅ、と握り込むと天井一面に光が広がった。

「見えるか?」

「見えてるー」

 それを合図にラルフは()()()()を天井に投影し始めた。


『ちょっと! 便箋を盗んでこいって言ってるのにまだ盗めてないの!?』

「何事だ!?」

「えっ何!?」

 急に天井から王太子妃の声が降ってきて慌てる人々。

 当然王太子も、王太子妃リヴもだ。

『一週間も前なのよ! 予定ではもう教科書が破けてる予定だったの!』

『申し訳ございません! ゆ、許してください! 命だけは!』

「なんだこれ?」

「なんの演出?」

「王太子妃様?」

「破けてる予定って何?」

 人々は口々に、上空に映る映像に感想を述べる。王太子妃がとんでもないことを言っている、その様子を。

『ふーん、命だけで良いわけ? じゃあ服も髪も実家もいらないわね!』

『そ、そんな、』

「そんな」

「何を言って……」

『嫌だったら一刻も早く便箋を盗んで、リヴの教科書を破きなさいって書きなさい! 週末までに出来なかったら本当に服と髪と実家を消してからお前を消してやるから!』

『はいっ、間違いなく!』


「……」

「……リヴ、これは一体?」

 王太子がリヴを見る。縋るような、試すような目。これはお前ではない、そうだな、と言外に確認されている。

「これはお芝居のワンシーンですよ。本人出演でちょっと過激なのを作りたいと言われて……」

 リヴはたおやかな仕草で微笑む。ヒロインとしてふさわしく見えるように。


『殿下……その、実は、私、昨日もメイベル様に、突き飛ばされて……』

「!」

「……この発言は間違いなく私も聞いたが」

「はい」

「映っているのも間違いなく私のようだが」

「よく似てますよね?」

『そんなことが……私の婚約者が……すまない……』

『いえ、私もきっと至らないところがあったのです……』

 目を丸くして見ているのは宰相令息にして次期宰相候補筆頭の男。

「この場面、見たことが……一言一句違いません」

「でしょう? よく出来ているでしょう」

「……そ、そうですよね」

 それとなく笑顔で宰相令息に圧をかけるリヴ。


『ちょろ〜!! 殿下ちょろすぎる〜! チョロインならぬチョーローってか!? あはははは!』


 全く場面転換なしに、人々が出ていった直後に壁にサイレンスをかけてリヴが大爆笑している。

『はー、こんなに簡単なら、メイベルが転生者でもあっという間に追い落とせちゃうんじゃない?』

「なんなんだ? なぜ空中にこんな……どういう仕組みなんだ?」

「誰の魔法だ?」

「メイベル様を追い落とすって……?」

 人々はそれを見て口々に不安や疑いを口にした。

 リヴは全力で誤魔化すことに決めたらしく、不思議なくらい堂々としている。

「リヴ……これは本当に、芝居、なんだな?」

「芝居ですよ。予告編です、勿論です!」

「……ヨコクヘン、とは、何だ?」

「映像作品に対して広告として作る映像です!」

「ではリヴ、」


「それを映しているのがメイベルを下賜したラルフなのはなぜなんだ?」


 リヴははっとしてラルフを目で探す。慌ててはいけないタイミングで慌てたリヴを王太子は()()()()()()()


「何故慌てるんだ、リヴ。……ラルフと共に魔法で動く絵の芝居を作っていると、どうして言ってくれないんだ」


「……ユリアン、さま、」

 ぽそり、とリヴは王太子の名前を呟く。

「……映っているメイドを調べてくれ」

「はっ」

「……リヴ」

「私、」

「君が罪人だとしても、メイベルを追放したのは私だ」

「……ちっ違うんです! 本当にお芝居で! これはメイベルが作ってたって聞いてて! だから私は!」

 ばっ、と音を立ててドレスを翻し、リヴは王子に訴える。

「これは全て真実なんだろう、リヴ」

「……」

「王太子命令である。ラルフ、天井に映し上げられたこれは全て真実か、答えよ」

 憎々しげな顔を浮かべ、王太子はラルフに声をかける。


「当然だ」


「っ嘘つき! 無礼者を処刑して! 早く!」

「リヴを西の塔へ――話は後で聞く」

 錯乱するリヴの周りを騎士たちが取り囲み、粛々と西の塔へと向かっていった。


 去っていったリヴと王太子を眺めて、ぼそ、とラルフはつぶやく。

「思ったより賢いんだな、殿下は」

「不敬〜」

 ラルフのつぶやきを耳聡く聞きつけたハーマンは、極めて爽やかな笑顔でラルフに話しかけた。

「さっき何人かメイベル嬢……じゃないね、メイベルさんの話を聞きにきたよ。貴族たちは王城に出仕している人以外はメイベルが冤罪だと知らなかったからだろうね」

「そうか」

「で、どうしてこれをしようと思ったの?」

 ハーマンはニヤリ、と笑ってラルフに問いかける。


「メイは俺の女だからだ」


 真剣な顔で、ラルフはそう答えた。

「しょうもないクソアマに泣かされた顔は見たくない」

「そうかい、仲良くなってくれてよかったよ」

「誰にもやらん、地獄の閻魔にもだ」

「エンマ?」

「地元の神さんみたいなもんだ」

「そっか」


---


「おかえりなさい」

「おう」

 私がラルフを出迎えると、ラルフは私のことをぎゅ、と抱きしめてくれた。

「何事もなくてよかった……」

「あった」

「――!」

 何事かあったというのだろうか? 一体何が? 呪いをかけられたとか?

「お前の名誉を回復した。メイはもう、誰にも怯えなくて良い」

「……わたしの、」

「お前は俺の妻だ」

「……」

「俺は難しいことはよくわからん。お前が怖い思いをしてることだけ聞いた」

「……はい、」

「だから全部バラした。王太子妃は今はまだ西塔に閉じ込められてる。いや、俺が帰る頃には地下牢に移されたんだったか? まあ……罪を償うことになるだろうよ」

 極刑か終身刑かは教えてもらえなかった。

 ……断罪されたくないのなら、断罪されるようなことをしなければいい。そんな当然のこともよくわかっていなかったから、彼女はこういう末路を辿ったのだろうか。

「……どうして私の名誉回復を?」

「お前が怯えてるのが我慢ならなかった、それだけだ」

「……ふふ、ありがとうございます」

 もう一度ハグをする。彼のすこしだけ伸びた無精髭が頬をちくりと刺した。


「ああ、お前も安心したことだし、これで大手を振ってお前と同じ布団に入れるな」

「……寝ちゃうんですか?」

「寝るもんかよ」


 私だけの世界一やさしい夫は、いたずらに笑ってそう言った。

ご覧いただきありがとうございました。

あらすじ欄でも歴史上の人物の登場について触れていたのでお気づきとは思いますが、ラルフの前世はかの有名な天誅上手のあの方のつもりで書きました。

ちなみに彼の今世はいわゆる知識チート、思考力チート、成長力チート、魔力無限、魔法創造などがついています。わりと普通のチート主人公みたいな能力値です。


ちなみに主人公は小豆のことを「しょうず」と呼んでいますが、これは方言で、エリモショウズなどの「しょうず」です。

誤字報告もいただきましたが、これについては意図的なものですのでご安心ください。


もし気に入っていただけましたら下部☆☆☆☆☆から★★★★★でのご評価をよろしくお願いします。

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