危機と甘い香り ランベルトside
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ルティーナ嬢からは、ほのかに薔薇と果実の甘い香りがする。
それは、サーシェス辺境伯領を立つ直前に届いた手紙と同じ香りだ。
香料の匂いではないそれは、おそらくルティーナ嬢の魔力が感じさせているに違いない。
「……く。こんなに離れているのに、どこにいるかわかるほどか」
ルティーナ嬢に友人だと宣言してしまった俺は、王都での用事を済ませるべく、知り合いの屋敷へと向かっていた。
ルティーナ嬢の香りは、決して強いわけではない。
本当にかすかで、ほかの人間にはおそらく感じることができないだろう。
だが、この姿になった幼い頃から、魔力が醸し出す香りにものすごく敏感なのだ、俺は。
魔力を感じれば、その人間がどんな性質をしているのか、ある程度わかってしまう程度に。
けれど、ルティーナ嬢の香りだけは、特別だ。
こんなにも、焦がれてしまうことに目を背けるのが難しいほどに。
「はあ……。早々に距離をとるべきだ」
ルティーナ嬢からは、ほかの人間から感じる、俺に対してのさげすみや悪意、拒否を感じない。
ただ、彼女は、気づかないうちに咲いていた可憐な花のように、穏やかで甘い香りを漂わせて、ふわふわとした好意を向けてくるだけだ。
「…………しかし、ルティーナ嬢からの好意は、恋とか愛とか、そういうものともどうも違うようだ」
ルティーナ嬢が、俺に対して嫌悪感を持っていない、どちらかといえば好意を持っているのは間違いないだろう。
大概の人間から嫌悪感を感じてしまうせいで、人付き合いが苦手なのは事実。
だが、それだけではない。この姿も、抱えた事情も、ルティーナ嬢からの好意に素直に答えるには複雑すぎた。
「――――ん?」
その時、ルティーナ嬢の香りが、なぜか近付いてくるのを感じた。
屋敷から出るなんて危険だ……。今、王太子妃候補ではなくなったルティーナ嬢は、間違いなく危険にさらされている。
それなのに、外に出るなんてよほどのことがあったのか。
俺は、はやる心を無視することができずに、細い路地から引き返し、街中を走っていく。
どんどん近付く香り。
この先の展開をなぜか知っているような、それでいてその理由が見つけられない焦燥感。
勢いよく走ったせいで、認識阻害がかかっているマントのフードが外れ、周囲から驚愕と恐怖の声が上がる。
普段であれば、立ち止まってフードをかぶり直し、周囲から隠れただろう。
だが、そんな余裕もないまま走り続ける。
見つけたルティーナ嬢は、なぜか黒づくめの男に担ぎ上げられていた。
……その姿を見た瞬間、魔力があふれかえり自分自身の血流すら凍らせてしまいそうになる。
「……ルティーナ嬢」
自分の声が、地を這うように聞こえた。
これは、本当に俺の声なのだろうか。
足元が、冷たく凍り付いていく。
「…………」
危うく魔力暴走を起こして、自分だけではなく周囲を氷の世界にしかけた自分に困惑しつつ、黒づくめの男性の足と手を凍らせて無力化する。
駆け寄って抱き上げた体は、驚くほど軽かった。
いつも、あれほど毅然と、時に子どものように純粋にぶつかってくるルティーナ嬢は、今この瞬間から俺にとって、なんとしても守りたい対象になった。
「……無事か」
震えた腕が、俺の首筋に巻き付いて、あらがう事なんてできないほど魅惑的な甘い香りを吸い込んだ。
「そんなに震えて……。怖かっただろう? ところで、どうして、屋敷の外にいる」
「――――それは」
答えられない質問だったようだ。
間違いなく、ルティーナ嬢は何か重大な秘密を抱えている。
この世界の根幹に関わるほどの。
「まさか、こんな白昼堂々と。王妃か、それとも神殿からの差し金だろうな……」
「ランベルト様、ご迷惑をおかけしました」
止まることがない震え。それは、もしも間に合わなかったら、と震える俺の心中のようだ。
考えただけで、周囲を凍り付かせ、破壊してしまいそうな衝動は、震えるルティーナ嬢を落ち着かせようとその背中を撫でた手先から、徐々に落ち着きを取り戻す。
「……もう、大丈夫だ」
「はい、ありがとうございます」
涙に濡れた美しい金色の瞳は、一番輝く星よりも美しい。
そして子どものように純粋だ。
気がつけば、極上の絹のようになめらかな髪を指先で撫でていた。
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