王太子から愛することはないと言われた侯爵令嬢は、そんなことないわと強気で答える
「よく聞いて欲しい、オリヴィア」
王太子カミーユが妃となったオリヴィアに静かな声で言ったのは、婚姻の儀を終えた晩のことだった。
彼の端正な横顔を燭台で揺らめくロウソクの灯りが照らしだす。白銀の髪に、同じ色の長いまつ毛。うっすらと赤く色づいた瞳。血色が悪いことを除けば、カミーユは完璧な美男子だった。
「なにかしら、殿下?」
初夜にうきうきしている若い妃は、薄暗い寝室に不釣り合いなほど明るい顔で振り返った。
「僕が君を愛することはない」
カミーユは妃の笑顔から目をそらし、小さな声で告げた。だが、
「そんなことないわ。カミーユ様は私を愛していらっしゃいますもの。よーっく存じ上げておりますのよ」
オリヴィアは自信たっぷりに答えた。
なぜなら二人は幼馴染で、何年も前から相思相愛だと信じていたから。
それはオリヴィアの父親であるデュレー侯爵の策略だった。
サクリフィア王国では聖女の力を持つ貴族令嬢が王家に嫁ぐのが慣例となっていたが、どういうわけか代々の王妃が早世している。王妃教育の中でこの不吉な歴史を知ると、婚約者の令嬢は怯え、王太子に婚約破棄していただけるよう適当な男爵令嬢を仕向けるのもまた慣例だった。
権力に目がないデュレー侯爵は、なんとしても娘のオリヴィアを王太子妃にしたかった。
彼はまず、幼いオリヴィアに毎日祈りと沐浴を徹底させ聖女の力を目覚めさせた。それから社交の場では王太子以外の男に会わせなかった。
王太子以外の殿方といったらお禿げになったおじさましか知らずに育ったオリヴィアは、美しいカミーユ王太子に心を奪われていった。
一方、病気がちで社交の場にほとんど顔を出さないカミーユもまた、愛らしい笑顔を絶やさないオリヴィアと会う日を心の支えに生きてきた。
幼い二人はデュレー侯爵のもくろみ通り着実に愛をはぐくみ、邪魔者の男爵令嬢など現れる隙もなく婚姻へと至ったのだ。
父の教育のおかげで、オリヴィアは王妃としてのマナーは怪しいものの、聖女としては優秀だった。
「と、とにかく僕は君と一つのベッドでは寝ないからな!」
天蓋付きベッドの前でカミーユは宣言した。天蓋から下がるカーテンには金糸が織り込まれ、燭台のあえかな灯りにさえ煌いていた。
「まあ!」
オリヴィアが青い海のように美しい目を見開いている間に、カミーユは次の間――彼の書斎に引っ込んでしまった。大きな寝室の左右には次の間があり、それぞれ王太子と王太子妃のプライベート用の間がしつらえてある。
(書斎の仮眠用ベッドでお休みになるつもりかしら)
仮眠用と言っても使用人用のベッドより遥かに立派なものだが。
(カミーユ様ったら初夜を恐れていらっしゃるの?)
オリヴィアは大胆にも次の間の扉を開けると顔をのぞかせ、
「その気になったらいつでもいらっしゃって下さいね~! お待ちしておりますわ!」
ひらひらと手を振った。
痩せた肩にガウンを羽織ったカミーユは、少し寂しそうにほほ笑んだ。
「行くことはないだろうけれど。おやすみ、オリヴィア」
「おやすみなさいませ、殿下!」
寝室に戻ったオリヴィアは、一人で寝るには大きすぎるベッドの上で首をかしげた。
「うーん、さすがにお世継ぎを残す立場なのだから、いくら繊細なカミーユ様でも怖いなんてことはないわよねえ……」
それに扉を閉める前に見た、彼の悲嘆にくれた表情も気になる。何かあったかしら? と記憶をたどっていたオリヴィアは、ハッとした。
(婚姻の儀のあと、陛下に呼ばれてから様子がおかしいのだわ)
儀式の前も最中も、愛し合うふたりがようやく結ばれることに有頂天だったカミーユ殿下。日光に弱い彼にいつものように日傘を傾けて差し上げると、
「オリヴィア! もっと近寄って!」
と楽しそうに抱き寄せてくれた。
だが儀式が終わり、カミーユだけが国王陛下に呼び出された。オリヴィアは両親や、参列した貴族たちと料理を囲み談笑していた。そこにカミーユが、いつもの白い顔を真っ青にして戻って来たのだ。
「どうなさいましたの!?」
オリヴィアは慌てて飲み物を差し出したが、カミーユは何も言わず首を振るだけだった。
「そんな……、殿下の大好きなトマトジュースすらいらないなんて――!」
オリヴィアは冷や汗をかいたカミーユを日陰に連れていった。
身体の弱いカミーユは社交も苦手だから、人の多さに具合が悪くなったのかと思っていたのだが――
陛下から何か重大なことを聞かされた!?
「ああっ、もう! 寝ていられませんわ!」
オリヴィアは勢いよく起き上がると、ベッド下にそろえた靴を履き立ち上がった。クローゼットにかけてあったガウンをネグリジェの上に羽織り、手燭片手に寝静まった王宮の廊下へすべり出た。
「まずは殿下の侍従をたたき起こして問いつめましょう! 何かご存知かも知れませんわ!」
しかしオリヴィアは方向音痴だった。えんじ色の絨毯を敷いた王宮の廊下はどれも同じように見えて、使用人たちの棟へ向かっているはずがすっかり迷ってしまった。
「困りましたわね」
結婚初日から夜の宮殿をうろつくとんでもない妃は、さして困ってもない口調でのたまった。
暗い城内を見回すオリヴィアの目が、廊下の突き当たりから細く漏れる光に釘付けになった。
「どなたかまだ起きていらっしゃるわ! 道を訊けるわね」
近付いて手燭で照らすと、大きな両開きの扉は金で装飾されている。
「妙に立派な扉ですけれど――」
カミーユの部屋より重厚な扉にオリヴィアは戸惑った。この宮殿で王太子より身分の高い者は一人しかいない。
開ける前に念のため、こっそりすき間からのぞくと――
(あら、まあ! 陛下ったら!)
オリヴィアは両手で目を覆った。だがすぐに疑問が頭をもたげた。
(王妃殿下はすでに亡くなられているのに、お相手はどなた!?)
好奇心には勝てず指の間からこっそりのぞき見ると、侍女と思われる若い女がぐったりとしている。
(様子がおかしいわ――)
ベッドの脇からだらんと垂れ下がった青白い腕には生気がない。
(わたくしの聖女の力なら助けてあげられるのに……! 終わるまで待ちましょう!)
あろうことか豪胆なオリヴィアは、国王陛下がお楽しみになっている部屋の前で突っ立っていた。
しかしすぐに見回りの兵士に見つかった。
「ここで何をしている!?」
声を荒らげて手燭をかざすが――
「えっ、オリヴィア様!?」
光の輪の中に浮かび上がったのは、明るい陽射しのごときハニーブロンドの髪に、夏の海のような青い瞳を持つ少女。今日、婚姻の儀を終えたばかりの王太子妃だ。驚くのも当然である。
「しーっ、お静かに!」
オリヴィアが人差し指を口に当てたとき、うしろでゆっくりと重い扉が開いた。
「見てしまったな、オリヴィア嬢。我が一族の秘密を……!」
ただならぬ雰囲気を感じ取った兵士は、倒けつ転びつしながら暗い廊下を走り去っていった。
「陛下?」
だがオリヴィアは動じない。いつもと変わらぬ調子で首をかしげたとき、国王の唇の端からうっすらと垂れる一筋の血に気が付いた。
「そんな―― 吐血されるほどお体が悪いなんて! すぐに治療して差し上げますわ!」
首から下げた聖なるペンダントに祈りを捧げる。
そのとき廊下の向こうから執事が走って来た。うしろには状況を報告したらしい兵士も付き従っている。
「オリヴィア様、いけません! 陛下に浄化魔法は――」
だがオリヴィアは聞いていない。幼児のころから積んだ鍛練のたまもので、あっという間に聖魔法を完成させた。
夜の宮殿に白い光が広がる。
「う、うぅぅ……!」
国王は苦しげに胸をかきむしり、がっくりと膝をついた。
「な、なんということを――」
執事は、毛足の長いじゅうたんの上に倒れた国王の姿に愕然としている。
だが白い光が収束したころ、国王はむっくりと起き上がった。
「む……。これはどうしたことか。身体が軽いぞ」
口を開きかけた執事より早く、オリヴィアがひざまずいた。
「良かったですわ、陛下!」
さきほどに比べずいぶん血色の良くなった国王の両手を、彼女のあたたかい手がぎゅっと握った。
「お次は侍女さんを治す番! 失礼いたしまぁっす!」
元気に声をかけると誰の許可を得ることもなく、国王の寝室に駆け込んだ。舞い踊る蝶のように身軽なオリヴィアを止められず、執事はその背中に必死で声をかける。
「オリヴィア様! お戻りください! 勝手に陛下のお部屋へ足を踏み入れてはなりませぬ!!」
だがすでに時遅し――
「キャァァァァッ!」
ベッドに倒れる侍女を抱え上げたオリヴィアが悲鳴を上げた。
「く、首に牙の跡が!!」
「話す時が来たようだな」
国王がゆらりと立ち上がった。
「息子から聞いた方がよいと思っていたが、仕方ない」
ゆったりとした足取りで近付いてくる国王に、オリヴィアは恐れながら申し上げた。
「陛下、大変です! お屋敷に巨大な蚊がまぎれこんでいるようです!」
「蚊!?」
執事があんぐりと口を開ける。
「無礼な!」
国王が吠えた。
「我らは由緒正しき吸血一族の末裔であるぞ!」
「あちゃー」
執事は頭を抱えるしかなかった。
「陛下、もうちょっと順序立ててお話しされないと……」
オリヴィアはぽかんとしている。
「オリヴィア嬢、そなたに言わねばならぬことがある。サクリフィア王家は古代の吸血種族の血を引いているのだ」
国王は低い声で話し始めた。
「聖女の力を持つ乙女と親密になることで、我々の気力と体力は充足し、老いから無縁となる」
「でも陛下、御髪もお肌もお歳相応にお見受けしますわ」
絶妙に失礼なことを言うオリヴィア。国王は気にしている頭をぺたっとさわりつつ、
「口をはさまず皆まで聞け。相手が聖女でなくとも我々が命を長らえることは可能なのだ。だが若さとみなぎる力を保つには、聖女の血が必要ということだ」
それでこの国の王は代々、聖女を妃としてきたのだ。
「ですがなぜ王妃様は皆、短命なのです?」
「毎夜愛し合う日々の中で聖女は生命力を吸い取られ、早くに命を落としてしまうからな」
国王の声に苦渋がにじみ出た。
オリヴィアは十年以上前、母を失ったカミーユが深い悲しみに沈んでいたのを思い出して、胸が張り裂ける思いだった。
「そのお話をカミーユ様はご存知なのですか?」
オリヴィアの問いに、国王は深いため息をついた。
「息子は母親の死を長い間悼んでおったからな…… わしはあれに今日まで一族の秘密を打ち明けられずに来てしまったのだ。だが閨で関係を持つと古い血が湧きたち、吸血本能が目覚める。その欲望を受け入れられるよう、初夜を迎える前に何が起こるか話さねばならなかった」
カミーユは婚姻の儀を終えたあとで、恐ろしい事実を聞かされたのだろう。
オリヴィアは深刻な表情のまま、
「もっと早く分かっていたら、どこぞの男爵令嬢でも餌食にできましたのに」
「オリヴィア様、ひどいこと言いますね?」
ちゃっかり突っ込む執事を無視してオリヴィアは、悲しげな瞳を遠くに向けた。
「それであの方は、私を愛さないなどと――」
「あの馬鹿め、そんなことを言っておったか。乙女の精気を吸わねば我々は生きられぬというのに、よほどオリヴィア嬢を愛してしまったのだな……」
「生きられないですって?」
オリヴィアの声が跳ね上がった。
「ああ、今のままでは倅はあと数年の命だろう」
「そんな……!」
息をのんで両手で口を押さえたオリヴィアに、国王は目を伏せた。
「それほどまでに君が大切なのだよ、オリヴィア嬢。自分の命を削っても、息子は君に生きて欲しいのだ」
「死んでしまったらなんにもならないわ!」
オリヴィアが叫んだとき、ベッドの上で気絶していた侍女がもぞもぞと起き上がった。
「陛下、もう一口吸われますか?」
生気のない顔で、血管の透けて見える首を指さす。
「いや、食指が動かん」
顔をしかめた国王に、侍女が目を見開いた。
「一体どうなされたのですか!? いつも一晩に何回も――」
「なぜだろうか。さきほどオリヴィア嬢の浄化魔法を受けてから身体が軽く、全くといっていいほど渇望感がないのだ。聖女であった妻が生きていた頃以来の感覚だ」
「もしかしたら――」
執事が小声でつぶやいた。
「古い文献で読んだのですが、何代も何代も人間と交わるうち薄くなった吸血種族の血は、強い聖魔法で浄化できると――」
「わしもそれは父から聞いておる。だからわしらは何代も人の中で生きているのだと」
国王が重々しくうなずいたのをさえぎって、オリヴィアが大きな声を出した。
「それならカミーユ様も――」
部屋を飛び出し、どたばたと廊下を駆けてゆく。そのうしろ姿を見ながら執事が、
「陛下、オリヴィア様が長生きされるとなると―― 教育係を雇って王妃教育をし直した方が良いのでは?」
「う、うむ…… どうせ世継ぎを生むまでの命と思っておったが、そうでもなさそうだな……」
「カミーユ様、お目覚めになって!」
善は急げと言わんばかりにオリヴィアは、熟睡していたカミーユをたたき起こした。
「ん…… オリヴィア? どうしたの?」
どんなに眠くても、愛する妃のために身を起こすカミーユ。
「陛下からすべてうかがったのよ!」
オリヴィアは愛おしさがこみ上げてきて、たまらずカミーユを抱きしめた。
「あなた、私を愛さないなんて―― 私のために……!」
涙があふれてきて言葉が続かない。
「父上が―― そうか……」
カミーユの声色がやわらかくなる。やせて骨の浮き出た長い指で、そっとオリヴィアの背中をなでた。
「私はカミーユ様に生きて欲しいのです! できればこんなご病気がちなお身体じゃなくて、お元気になられて――」
「だけどそのために君が自分の命を犠牲にすることはないんだ。僕は愛する人の時間を奪ってまでして生きたくはない」
「カミーユ様……」
透明な雫がオリヴィアの紅潮した頬をすべり落ち、カミーユの白いうなじを濡らした。
オリヴィアの強い祈りに反応してペンダントが白い光を放ち、二人を包み込んだ。
「オリヴィア、一体これは――?」
身体を離して、オリヴィアは両手をカミーユの肩に置いたままにっこりとほほ笑んだ。
「あなたの中に流れる吸血一族の血を浄化させていただきます」
「そんなことができるのか!? この忌まわしい血を浄化だって?」
「はい」
オリヴィアが聖女のほほ笑みを浮かべ、清らかな光はいよいよ強くなる。
少女のやわらかい指先が、血の気の失せたカミーユの頬をすべった。
「カミーユ様、もう苦しまなくていいのよ」
「オリヴィア…… なんだか身体が軽くなってきたよ」
カミーユはうれしそうに、自分の頬に添えられた少女の手を優しく握った。
白い光が静まったころ、天井から下がるカーテンの間から、うっすらと朝日が差し込んできた。
「夜明けだ!」
ベッドから立ち上がるカミーユの声は、今までオリヴィアが聞いたこともないほど活力に満ちていた。
彼は自ら窓に近づき重いカーテンを引くと、窓を開け放った。
「カミーユ様!? 陽射しを浴びて大丈夫なの!?」
オリヴィアは焦って彼の元へ走り寄る。
「まったく問題ないよ。朝日を見ても気分が悪くならない」
透き通る陽光に目を細めるカミーユは、今までで一番美しく見えた。
(カミーユ様の儚げなお姿に惹かれていたけれど、若者らしく無邪気に笑っているともっと素敵だわ!)
彼の新しい魅力を発見して、オリヴィアの胸は高鳴った。血色の無かった彼の頬に赤味がさしている。
「ありがとう、オリヴィア! 君のおかげだよ」
「よかったわ! これで今夜からは愛していただけますわね?」
オリヴィアは満面の笑みを浮かべて、いたずらっぽく首をかしげたが――
「ふぇっ!?」
カミーユ殿下は端正な顔立ちに似合わぬ間抜けな声を出した。
(やっぱりそっちは本当に怖かったのね)
オリヴィアは笑いをこらえながら、彼の首に両手を回した。
「でもそんなかわいいカミーユ様だから私、大好きよ!」
「僕もそういう積極的な君が大好きだよ、オリヴィア! だ、だから、その、頑張るからね!」
黄金色の朝日に照らされた窓際で、カミーユ王太子は愛おしい妃をしっかりと抱きしめた。
「もう僕は二度と手放さないだろう。愛する君をこの腕に抱きしめられる幸せを――」
オリヴィアの耳を彼の優しい囁きがくすぐった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
ブックマークや評価で応援していただけると、大変励みになります。
評価はページ下の☆☆☆☆☆からできます。もちろん正直なご感想で構いません!!
作者の他作品『精霊王の末裔』シリーズも、のぞいていただけると嬉しいです!
第二章まで完結済みです。
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