第1回カツ丼チャレンジ(中編)
「さあ~、がんばって作っちゃうよ~」
材料を買い終えた俺たちは、いよいよ真白の家でカツ丼の製作に挑む。
あらためてピンクのフリフリエプロンを身にまとい、腕まくりをしてやる気を見せる真白。
ちなみに、俺は黒いバンダナと黒いエプロンで、いわゆるラーメン屋の店主スタイルだ。
まずはカッコから入んねーとな。
「手順としては、まずツユから作った方が良いかもな」
俺たちはスマホでカツ丼のレシピを検索する。このサイトが分かりやすそうだ。
◯カツ丼のツユ 1人分
ダシの素 小さじ1/2
水 1カップ
醤油 大さじ2
みりん 大さじ2
砂糖 小さじ1
「2人分だから、水は2カップだね~」
るりるりら~と、真白は鍋に計量カップ2杯分の水を入れる。
なみなみと注がれたその量に、なんとなく嫌な予感が。
「なんか、水多くねえか?」
「ん~? でも、レシピにはこう書いてあるよ~」
「たしかに間違っちゃいないが」
「次に、しょうゆとみりんと砂糖を入れて、そして大事な昆布ダシ~」
真白は鍋を火にかけて、次々に材料を入れていく。
軽く煮立った後、真白が味見をすると。
「うや~? 味がうす~い?」
「マジか?」
俺は、真白が持っていた小皿を借りて、味見をしようとしたが。
「あ、間接キスになっちゃうよ~?」
真白の言葉に脊髄で反応した俺は、すかさずお玉でダイレクトにツユをすする。
ジュッ!
「熱っちい!」
「あおいちゃん、味見は小皿に取らないと火傷するよ~」
「お前がいらんこと言うからだろ……」
俺はあらためて、新しい味見皿で味見をする。
「なんか微妙だな。お前、ちゃんとレシピどおりに入れたか?」
「入れたよ~、たぶん」
「ホントか?」
まあ、たまにレシピが適当に書かれてて、鵜呑みにしたらひどい目に遭う事があるもんな。
俺は、さらに醤油大さじ1と砂糖を小さじ1を追加した。
「これで、まあまあ旨いツユになったんじゃねーか?」
「うん、美味しいから良いと思う~」
とりあえず、ツユは出来上がり。
次は、トンカツ作りだ。
買ってきた超高級(?)国産豚肩ロースをまな板に並べる。
俺が塩コショウで下味を付けようとすると。
「うや~! あおいちゃん、ダメだよ~」
「何でだ? 肉は揚げる前に下味を付けるんじゃねーのか?」
「普通のトンカツならそれでいいけど、カツ丼のカツは下味を入れちゃダメらしいよ~」
「そうなのか?」
そういや、どっかで食ったチャンポン屋のカツ丼は、カツに塩コショウが効いてたせいで、ツユの味とケンカしてたような気がしたが、そういうことか?
だったら、次の工程だ。
薄力粉、溶き卵、パン粉がそれぞれ入ったパットを3つ並べ、まずは豚肉に薄力粉をまぶす。
そして、溶き卵のプールに豚肉をじゃぶじゃぶ浸ける。
最後にパン粉のパットに豚肉を入れて、パン粉をペタペタと貼り付ければ、トンカツの下準備は出来上がり。
「油の準備ができたよ~」
さっそく、フライパンで熱したサラダ油の中に、肉をダイブ!
「揚げる温度は170度だったね~」
IHのコンロを中火にしたまま、しばらく待つ。
あんまり早く上げると、肉が半生になってしまうから、時間をかけてゆっくり揚げようと思ったものの。
「うや~!」
「どうした真白!」
「トンカツが真っ黒になっちゃったよ~」
「何だとっ!?」
真白がひっくり返したトンカツの表面が、キツネ色をとうに超えた焦げ茶色になっていた。
「なんで~? ちゃんと170度にしてたのに~」
「マジかー。レシピどおりにやってたはずなんだがな」
とりあえず、もう片面も揚げないといけないのでひっくり返してみたが、ほどほどでキッチンペーパーに取り上げる。
うーん、なんだろう。理想のトンカツからは程遠いな。
実に美味くなさそうだ。
「ううう~、国産の豚肉さんごめんなさ~い」
と、真白はうるうると瞳を潤ませる。
「まあ、最初は誰でもこんなもんだろ。これは俺が食うから落ち込むなよ」
「ううん、これはわたしが食べるの~。これはわたしの罪だから、甘んじて罰をうけるよ~」
しゅ~んと、すっかりへこんでしまった真白。
困ったな。トンカツを揚げるのがこんなに難しいとは思わなかった。かき揚げみたいに簡単にはいかねーな。
もう1枚の肉を完璧に仕上げて、真白を元気付けて やりたいところだが、まったく上手く行きそうな感じがしないぞ。
「くんくんくんー、なにやらいい匂いがするわー」
「「?」」
俺と真白が振り向くと、黒髪ロングの美女が台所に入ってきた。
「あ、おか~さん、おかえり~」
「美雪さん、お邪魔してます」
「あらあらー、まあまあー」
美雪さんは一通りキッチンをキョロキョロ見渡すと、ぱああっと表情を輝かせ、ガバッと真白を抱きしめる。
「きゃあー、とうとう、わたしの真白ちゃんが花嫁修行を始めたのねー! 嬉しいわー!」
「おか~さん、ちがうよ~。わたしは、あおいちゃんとおやつを作ってただけだよ~」
聞いてねーぞ? カツ丼がメシじゃなくておやつだと?
美雪さんはひとしきり真白の顔をむぎゅむぎゅと胸の中にうずめた後。
「きゃあー、青くんも花婿修行をしてるのねー! 感謝感激よー!」
ひゅっ、すかっ!
俺の方に向かって来たので、俺は残像を描きながら体さばきで美雪さんのハグをかわした。
「ええー? そんなに本気でよけなくてもいいじゃなーい」
「いや、俺ももう高校生なんで、そういうのはちょっと」
「うふふー、やっぱりわたしよりも真白のお胸の方がいいのかしらー?」
「人聞きの悪いこと言わないでください」
いきなり現れたこのエキセントリックな女性は、真白のおふくろさんの『黒田美雪』さん。
一児の母ながら、シュッとしながらも出るところは出ている見事なスタイルの持ち主。
そして、トロンとしたタレ目とおっとりしたしゃべり方はあい変わらず真白とそっくりだ。
「へえー、トンカツを作ってたのねー」
「うん。でも、なかなかキレイに揚げられなくて~」
「そーお? もう一回、衣をつける所から見せてもらえるー?」
美雪さんに促され、俺はもう一回トンカツを作る工程をやってみるが。
「あ、パン粉はもっといっぱい付けた方が良いわよー」
美雪さんは俺から豚肉を受け取ると、まるでおにぎりを作るかのように、肉にパン粉を押し付ける。
「お肉を潰さないように、それでいてまんべんなく付けるのがコツよー」
隙間なく衣を覆った豚肉は、それだけですでに美味しくなりそうな雰囲気をかもし出す。
美雪さんは、フライパンの中の油にスッと肉を滑らせる。
「あと~、温度を170℃にしてたんだけど、焦げちゃったんだよ~」
「1枚ずつ揚げてたから、温度が上がり過ぎちゃったのかもねー。そういう時は、いっそ火を止めちゃうのも手よー」
言いながら、美雪さんはフライパンをIHコンロから外す。
なるほど、中まで火を通すためとはいえ、火をかけ続ける必要はないんだな。
「そして、カラッと揚げるために火力を上げるのは、最後だけでいいのよー」
そう言って、美雪さんはトンカツを油から上げる。
絶妙な火加減で揚げられたそれは、まるで食品サンプルのように完璧な仕上がりを見せた。
「すげえ。同じ事をやってるのに、全然違うな」
「さすが、おか~さん。美味しそうだね~」
次に真白が、トンカツを煮込む前に一口サイズに切ろうとするが。
「うや~、衣が剥がれてきれいに切れないよ~」
ぐちゃぐちゃ。
「あららー、普通に切っちゃだめよー。トンカツはこうやって切らなくちゃ」
美雪さんは包丁をトンカツの真上から押し当てると、ザクッザクッと小気味良い音を立てて、衣を崩さず断ち切った。
どう? と、誇らしげに笑顔を見せる美雪さん。
さすがは調理師と栄養士の資格を持つ料理のエキスパートだ。アドバイスも的確で分かりやすい。
けど。
「最初から、美雪さんにカツ丼を作ってもらった方が早くなかったか?」
と、俺は真白に問いかけるが。
「うう~ん。わたしは美味しいカツ丼を、自分の力で作れるようになりたいんだよ~。あおいちゃんと一緒に」
「さすがわたしの真白ちゃん! 独り立ちがしたいだなんて、しっかりしてるわー!」
「俺もがっつり巻き込まれてるんですが」
独り立ちの意味、分かってんのかな?
「あらー、青くん。そんな野暮なことは言いっこなしよー」
「『信長の野暮』だよ~」
「どんな戦国シミュレーションゲームだよ」
コーエーテクモゲームスにあやまれ。
「青くん、ちょっとちょっと、こっちにおいでー」
美雪さんは俺に、真白からは聞こえないように耳打ちする。
「お菓子しか作ったことのない真白が、せっかく料理にやる気を見せてるんだから協力してあげてー。結婚するにしても料理下手なお嫁さんは嫌でしょー?」
「いや、俺たちはまだ付き合ってすらいないんですが……」
「そもそも、美味しいカツ丼を食べたいからって、わたしに作ってもらおうなんて虫が良すぎますよ。そういうことはお店やスーパーをかけずり回って学びなさい。2人で修羅場をくぐりなさい。ココココー」
なんか、『天下の大将軍』みたいなこと言い出したぞ。
「それに、カツ丼ってめんどくさいのよー。トンカツを揚げるだけで十分な主菜なのに、さらに煮込んで丼にするなんて二度手間の極みだわー」
「それが本音ですね」
「とりあえず、これ以上『愛の共同作業』を邪魔する気はないから、あとは2人で頑張ってねー」
うふふふーと笑いながら、美雪さんはあっという間に台所から去って行った。
やれやれ。
俺んちも真白の家も一人っ子なもんで、俺も美雪さんには息子のように可愛がってもらってたから、どうにも頭が上がんないんだよなあ。
「あおいちゃん、おか~さん何て言ってたの~?」
真白がきょとんとした顔で近寄ってくる。
まあ、お互い料理上手になるに越したことはないんだろうが。
「別に。美味しいカツ丼を作るなら、地道に試行錯誤しろってさ」
「なるほど~」