第8話 マンバーサスワイルド
破壊騒動からしばらく経過したスクンサス。
街には活気が戻りつつあった。避難した人々は使徒が退けられたという報を耳に、あるいは人伝に知り、それぞれのペースで以前の生活を取り戻し始めた。
それと併せて黒騎士の話題が活発に人々の間を行き交うようになっており、俺はそれのあおりを受け、以前に比べて変身能力を気軽に発動できないでいた。
こうなると冒険者ギルドの仕事も慎重に選ばざるを得なくなり、明らかに収入が減ってしまった。
だがそれがいい。
簡単に能力を行使できないなんて、いやはや実に変身ヒーローっぽくないだろうか。これは一種のロールプレイである。限られた瞬間にこそ、変身ヒーローの魅力があると俺は考える。だがタイミングを間違えると生命の危機にも繋がりかねないから、そこの見極めが重要だ。摩耶のこちらの世界でのライフスタイルに近い。
そんな日々を過ごす内に、素の状態でもそこそこやれるようになってきたように思う。
ベレンとの闘いで思い知らされたのは、前の人生での経験値などはそんなに役に立たないこと。本物の前では現代の付け焼き刃では到底敵わない。異世界は想像より非情で、実に現実的な世界なのだ。弱肉強食の世を地で行く世界。そんな世界をチート能力抜きで生き抜くには自らの研鑽を重ねるしかない。いっそ基礎さえ身につけておけば、変身の能力引き上げで、戦闘力は比例して上がると見込んでいる。
ベレン並みの使い手がそうそういては困るが、色々なことを想定して生きていかなければ、それは弱みになる。
「……」
もう一人の使徒が残していったコロッセオの前を過ぎる。メインの入り口には看板が立てられており、そこには冒険者ギルドの係員が集団を為した人々を案内している光景があった。
もう一人の使徒――ホシの言うとおり、コロッセオは預かり手のない物件となり、しかし建造物の規模からしてそのままにしておくわけにもいかず、結局冒険者ギルドが管理することになった。
使徒ホシの正体はなんと転生者であり、異世界においては俺や摩耶の先輩に当たるような存在だ。そんな彼がチート能力で作り上げたコロッセオがそう簡単に朽ちたりしないだろうが、何度も言うが規模が規模であるから管理は必要だ。
スクンサス冒険者ギルドの最高責任者は頭を悩ませ、使徒が作り上げたもの、使徒が決闘をした場所、そんなうたい文句で、観光地として運用することを決めたという。こうしてコロッセオは世界を超えた観光地と化した。噂では今のところウケは上々らしい。
観光者は地元民っぽい人と、他所からの人とで半々くらいだった。
ちなみにギルドに併設されている食事処も、実は冒険者ギルドの運営らしい。元の世界で言えばグループ企業みたいなもので、今回の件で冒険者ギルドは純粋な観光業にも手を着けたことになるから、事業規模はさらに広がる可能性を得たわけだ。このことがギルドにとって良いことなのか悪いことなのかは、知らん。ただただアイリスさんにとって不必要な負担にならないことを願うばかりだ。
※
さて、今日の仕事は前述の通りに変身しなくても遂行できそうな依頼を選んでおいた。
内容は害獣駆除の依頼だったが、蓋を開けてみれば、群れからはぐれたゴブリンが畑を荒らしていたのでそれをさっくり片付けておいた。
街中を行き、ギルドに到着する。
ベレン襲撃における破壊の跡はあらかた修繕され、残るは俺がベレンを蹴飛ばしてぶっ壊したギルドの壁だけだった。大工がレンガを積んでる最中だ。
窓口で依頼の顛末を報告して、報酬を受け取る。当初ただの獣と目されていたところがゴブリンだったので、ささやかな追加報酬が出た。
やはりチートで好き放題やれた頃に比べてしまうと報酬に対して寂しさを禁じ得ない。生身であることに臆して少々安パイを取り過ぎている気がする。自分がどこまで出来るのかまだ掴めてないので、どうしても慎重になってしまう。
通常なら等級がその目安になるんだろう。だがチート能力で依頼をこなしていたので、多分実力より評価は高くなっているはずだから、下駄を履かせた結果になるはずである。
チートの条件付けがこう響いてくるとは思わなかったなぁ。
問題は使いどきだ。生身で少しやれるようになり慢心してタイミングを見誤ったら最後、最悪死亡である。
バレの能力変化がどのくらいなのかを知っていればもっと上手く立ち回れそうなもんだが、能力の下降が想定以上のものだとしたらそう簡単にバラすわけにいかない。せっかくのチート能力がパーになってはもったいない。
……うーん、このジレンマ。
でもこれも変身ヒーローぽくて悪くないけどな。
なんだかんだ楽しめてるから良しとしよう。
些か心許ない報酬を手に、依頼掲示板へと足を向ける。今日はまだ時間がある。内容によってはあと1つか2つは依頼をこなせるかもしれない。
確か期日が今日いっぱいという依頼もあったが、ちょっとリスクの高い内容だった。
期日には2つある。依頼者が定めたもの、もう1つがギルドが定めたもの。後者に関しては、依頼者が期日を設けずに依頼しそれが掲載されている期間。要はギルドがその依頼を取り扱う期間である。
では期限を越したらどうなるか。
再度依頼を提出するか、ギルドによる解決を諦めるかになる。依頼請負が付かない場合というのは大体割の合わない依頼内容だとか、期日がギリギリだという場合。冒険者にとって厄介なのがギリギリのパターンだ。例えば期日を過ぎてしまえば、報酬はいくらかダウンしてしまうし、これが割の合わない依頼だった場合だったら、そのほかにも損失は生じることになる。
「……」
そんな雰囲気の依頼が1件、意図したわけではないだろうが、掲示板の中央に貼り出されていた。
内容は、オオガエルの駆除。
名が示すとおりオオガエルは巨大カエルであり、その大きさは成体の象ほどもある。単なる大きなカエルと侮るなかれ。
このオオガエル、繁殖期以外は単体で行動し、それ以外は休眠して過ごすという大変大人しい生物だが、産卵時期になると、休眠期の大人しさはなりを潜めてその活発さは人に害をなす。
食性は元の世界と同じくほぼ肉食性であり、しかしその巨体故に、野生の(それ以外がいるのかは知らないが)オオガエルの捕食対象は中型から大型の獣とされる。
そう。中型から大型となると、家畜も充分ターゲットとなり得る。もちろんか弱い人も、だ。ただし家畜と違って、人はそんなカエルの生態を熟知しているため、大人しく餌になることはない。生き延びるために必死に逃げるし抵抗もする。そのことを本能か習性で知っているのだろう。カエルも積極的に人を襲うことはないが、残念だが被害はゼロではない。好奇心や身体能力が原因で逃げるのが遅れることがあるらしいし、自ら向かっていくオオガエル愛好者もあるというのだ。果たしていかような理由でそうとなったのかは、俺にはとんと想像も付かない領域の話である。
とにかく、下手な獣より巨体であること、強い生命力を持つことで駆除が面倒で、むしろ冒険者からは忌み嫌われる存在だと言うが……。実のところ、俺も1回だけ遠目で見たことがあるだけだ。目を疑いそして大きさに距離感をバグらされたのを覚えている。
この依頼、報酬は額だけ見れば悪くない。そもそも変身すれば苦も無く達成できよう。
どうやら依頼元は牧場のようだから、出来ることなら助けてあげたいが、この金額で他の誰も手を着けていないことがオオガエルの面倒さを物語っている。
「……」
他のは誰かがやるだろうし、ひとつこれでいくか。俺結構頻繁に肉とか食べてるし。供給元がひどい目に遭っているなら助けるのが人の道だ。持ちつ持たれつである。ましてや冒険者なのだからなおさらであろう。
依頼書を剥がして窓口に向かった。
「あ。クラタさん、この依頼なんですけど」
最早顔なじみとなった職員の一人が依頼書を見て言う。
「なんか面倒ですか?」
「いえ、そういうわけじゃないですけどオオガエルなんで明日の午前一杯まで終了報告受け付けてますからね」
「そうなんですか?」
「ほら、オオガエルって基本夜行性じゃないですか。今から行ってもそう簡単に遭遇しないと思いますよ」
ということはあのとき見かけることができたのは、運が良かった……?
窓口の人は続ける。
「それがあるのでこの期限にしたんですけど、やっぱり皆さんやりたがらないですねぇ。だからこれ、受けてもらえて助かりますよ。それにクラタさんだったら安心です」
これまでの実績を見ての発言だろう。ギルドからの信頼はそこそこ積み上がっている様子。真面目に取り組んできて良かった。
「……受理しちゃっていいですよね?」
職員もオオガエルの厄介さを知っているのだろう。念のため、という感じで訊ねてくる。
「はい、大丈夫ですよ」
「あ。ちなみにオオガエルも食材になるので、もし綺麗に倒せたら買い取りできますから」
えっ。
「あいつデカいじゃないですか。だから結構可食部分は多いし、それに意外と評判良いんですよね、はまる人ははまるというか。鶏肉みたいだっていう感想はよく聞きますね」
いや、確かに元の世界でもそういう食文化はあったし、食べようと試みれば不可能でもなかった。しかしまさかこんなところまで似通った部分が世界を通じて来るとは思いもしなかった。
人の食に対する執念は異世界でも似てるらしい。
「ちなみに最高でいくらまで出るんですか?」
「3万レデットですね」
結構でるじゃん。ていうか買い取りするくらいだから本当に需要があるということだ。
「……努力してみます」
「ああ、でも無理しないでくださいね。たまにパクッとやられちゃう人もいますから」
金を取るか命を取るか。両立できるのが真に腕利きというところか。
「ではこちら、依頼元の地図です。ここのチーズ、美味しくて評判良いんですよ」
地図では、牧場までは遠くない。近すぎず遠すぎず。バイクを出しても良さそうだったが、万が一にオオガエルを持ち替えることになったときのことを考えて、歩いて向かうことにした。
そうしてギルドから去ろうとすると、入り口でラウラさんとすれ違った。
「アキラ、今日も仕事か?」
「はい。ラウラさんも?」
「ん、いや、なんというか。今日は休みなんだが、ちょっと手持ち無沙汰になってしまって。ちょっとうろうろしてたんだ」
腕を組んで困ったような顔を浮かべる。
冒険者というのはあくまで肩書きのようなものであり、確とした職業ではない。端的に言い表してしまえば自由業であり個人事業主でもある。好きなだけ働いても良いし、休みたいなら好きなだけに休んでもいい。そこらの案配を自分でコントロールしながら営んでいく。
装いはラフな格好で、切った張ったをやり遂げようという風ではないラウラさん。本当に散歩がてらやって来た感じだった。
「そうだ」
ひとつ思い付いた。
ポケットの中に手を突っ込んで目的のものを取り出す。
「バイク乗ります?」
「いいのか!?」
若干食い気味でラウラさんは反応した。
「これからオオガエル討伐行くんで、歩きの方が都合が良いですし」
それを言うとラウラさんの表情が少し変化した。
「オオガエル? 1人で行くのか? ……アキラなら大丈夫だろうが、初めてだろう?」
「そうです」
「そうか……いや……その、気を悪くしたらすまないが、良ければ私も付いていって良いだろうか?」
あのバイクに取り憑かれたラウラさんが、打って変わって真剣な表情で言う。もしかしてまさかの愛好家なのだろうか。いやさ、それならば討伐の手伝いなどにわざわざ付いてこないだろうが、愛の形など人それぞれである。斃すことで表現するものもあるのかもしれない。
と、そんなことを考えているのが面に出てしまったのか、
「待て、他意は無いからな。単純にこの時期のオオガエルの厄介さを考えると1人では手に負えないかもしれないと思って」
早口でまくし立てるラウラさん。
まあカエルとかペットにする人もいるし、引くほどのことでもないんだけど。いや、オオガエルは別か。あの大きさじゃさぞかし飼育に骨の折れることだろうよ。
それはともかく。
「いいんですか? せっかくの休みじゃないですか」
「構わないさ。最近ちょっと身体がなまってる気がしてな。少し動きたい気分なんだ」
「ラウラさんが良いなら全然問題ないですよ。むしろ心強いです」
「ならば決まりだな、私は準備をしてくるから少し時間を貰えると助かる」
「わかりました。それじゃ1時間後にまたここで」
「ああ。ではまたな」
手を振り別れ、ラウラさんの背中を見送った。
さて、では食事処で待たせて貰うことにしよう。
※
刻限を待たずにラウラさんは戻ってきた。装備がいつもと違い、最も目に付いたのは、ラウラさんのつま先から頭の先まで覆わんほどの、いっそ高いと形容した方が相応しいまでの、盾であった。まるで建物に添え着けてあるドアにでも使えそうなそれは中々に存在感を放っていた。
「ラウラさん、それ……」
「ああ。オオガエルにはこれがあれば安心だ」
軽々と扱ってみせる。よく見ると装飾もあり、盾の下部はノコギリほどではないがギザギザになっており、それとこの盾は木材ではなく、きちんと金属で拵えてあるようだった。
それを片手で扱うラウラさんの膂力とは果たしてどれほどのものか……。
「それ持たせて貰えません?」
つい好奇心が勝ってしまう。
「いいぞ、ほら」
ヒョイと渡されて、しかしてその軽さに驚いた。厳密に言えば軽いのではなく、大きさの割に重さを感じない、だろうか。感覚的には3キログラムから5キログラムくらい。筋トレ用のダンベルを取り扱っているかのようだが、これを振り回すだけでも充分凶器になりうる。
「便利なんだが大きすぎたらしくて、ナタリーから邪魔だと言われて小さい盾に交換したんだ」
「あー……」
盾をラウラさんに返した。その意見もなんとなく理解出来る。先ほどまで持っていた間、視界が結構制限されていたのだ。ここが屋内で、この大きさのものを扱うのが自由にならなかったと言え、だ。
パーティの前衛でこれを構えられたら確かに状況把握がしづらくなるだろう。
それなのにそんな品が今日持ち出された理由はどういったものなのか。
「なに、単純さ。さしものオオガエルでもこれごと人を丸呑みできないだろう? それにあいつらは食べられないものを吐き出すからな。これごとやられれば生還率が上がる」
確かに単純明快だった。
「さ。そろそろ行こう。地図は貰ったのか?」
「これです」
「この牧場か。土産にチーズを買えるといいな。ところで討伐したオオガエルはどうするんだ?」
「それは状態によりけりですね。買い取って貰える程度なら運ぼうかと」
「なるほど……うん。ちょっと外で話そう」
「え? はい」
導くようにラウラさんは歩き出す。
食事処を抜けてギルドのエントランスエリアを過ぎる。
扉の脇にちょっとズレて、ラウラさんが立ち止まった。
「オオガエルの買い取りの件だが、今回の依頼主ならギルドより色が付くはずだぞ」
「え? 本当ですか」
「ああ。だから依頼の受け付けのとき、荷車の貸し出しのことで何も言われなかっただろう? まあ他にも諸々理由はあるんだが」
「なるほど。大人の事情とかそういうことですね」
「そういうことだ。あそこの牧場は肉の加工が上手くてな。オオガエルもその例に漏れず、上手にやってくれるからギルドに下ろすより美味しく食べられる」
「……カエル、食べたことあるんですか!?」
「冒険者なら誰だってあるだろう」
えっ、そんなメジャーな食物なの? カエルですよ?
「そこまで驚くことないだろう。冒険者なら食べられるものならなんでも食べられるようにしておかないとだぞ? 仕事が長引いて、用意しておいた食料が足らないなんてこと、珍しくもないからな」
「もっ、もしかして虫とかも……」
「虫か。あれは当たり外れが大きいし、ちゃんとした知識が無いと危険だな」
ぅぅうワイルドぉぉぉぉぉおおおお!!!
「あとは生食だけは、基本避けた方が良いから気を付けるんだぞ」
苦々しい表情でラウラさんは後付ける。
まさかこういう面でもチート能力の恩恵を感じることになろうとは……。今のところ食料が足りなくなるほど煮詰まった状態になったことがない。
しかしラウラさんが雑食系だとは思いも寄らなかったなぁ。いや、ラウラさんだけじゃなくて、ナタリーさんもマルタさんもなのか。なんなら待ってる間に過ぎ去っていった名も知らぬ方々も。
ディスカバリーなチャンネルめいたことをする身分になるとは予想だにしなかった。あー、でも俺は日本で暮らしてたから食事には困らなかったけど、世界的に見れば、雑食めいた食事をしている地域もあったんだ。
チート能力をくれた神様に、心の底から感謝せねばなるまい。
「さて、そろそろ向かおう。運が良ければ明るいうちに駆除できるかもしれないしな」
「あ。じゃあバイクで行きましょうよ、荷車必要ないならそっちのほうが楽ですよね」
なんて提案をしたらラウラさんは、喜色を満面に浮かべた。
この人バイク好きすぎだろ。
「わ、私に運転させてくれないか!?」
「もちろん」
なんだかんだ貸し出し回数も多いし、乗車時間もかなりのものになっているだろうから、運転に関して心配は無い。元の世界の乗り物なのに異世界人のほうが乗りこなしてるのは、やっぱり身体能力が根本的に違いがあるのだろう。さっきの食事の件と言い、異世界の人は生物的に強靱だ。
俺はラウラさんにバイクのキーを渡した。
「取ってくるからアキラはここで待っていてくれ!」
ここスクンサスで腕利きで知られているという彼女が、今にもスキップしそうな足取りでバイクの元へ去って行った。あれで自分のバイクなんて手に入れた日にはあっという間に乗り潰してしまいそうだ。ナタリーさんは上手くコントロールしている。
そしてラウラさんはあっという間に来た。オーバースピードというわけでもないのに、それこそ器用にバイクの特性を理解して、石畳のこの街中をスムーズに走ってきた。
「待たせたな」
か、格好いい……! もうすっかり自分の手足のように取り扱っている。ラウラさんのスタイルの良さも相まって、プロモーション写真のようだ。
「さあ、速く出発しよう」
緊張の一瞬である。
バイクの2人乗りというのは、思った以上に運転手と同伴者の距離が近い。
姉という年上の存在があり、こと年上の女性に対する畏敬の念を抱く俺に、この2人乗りは少々勇気がいったのだが、相手がラウラさんだとそれが和らぐ。むしろ優しさと頼もしさを併せ持ったラウラさん相手だと恐れ多さも感じてしまう。
タンデムシートに跨がり、バーを掴んで用意が出来たことを伝える。
「よし、じゃあ行こう」
発進はスムーズ。これもしかして俺より上手くなってないか?
街中なのでスピードは出せないが、その見慣れない機械仕掛けの馬のような存在に、すれ違う人々は好奇の視線を送ってくる。
目的地方面の門まで来ると、
「アキラ、実は面白い走り方を編み出したんだ」
自信満々にラウラさんが述べる。
いったいなんだ?
「私の身体にしがみつけ!」
「はい!?」
微妙なお年頃の男児に、女体にしがみつけと!?
「いいからまかせるんだ」
覚悟を決めてラウラさんの腰に手を回す。
「アキラ、それじゃ不十分だ。しがみつくようにして腕をまわせ」
はあ!? そ、そんなのもう抱きついているようなもんじゃないですか!
悩んでる内に門を抜け街を出、バイクのスピードが上がる。俺は意を決して言われたとおりにラウラさんの腰にしっかりと腕を回して身体を密着させた。
女性特有の清々しい香りが鼻腔をつく。
「よし! いくぞ!」
フワリとした浮遊感、背中が後ろに引っ張られるというか、これは落下感。
「ああああああああああ!!」
ウィリーしてるよこの人!!!
しかも結構なスピードで!!!!!
「あははは! すごいだろ、この乗り物こんな走り方も出来るんだ!」
「いやだああああああ! 落ちるぅぅぅぅ!」
「絶対手を離すなよぉぉぉぉ!!」
ドスンと身体が揺れる。
浮いていた前輪が地に着いた。
「本当はもっと長く走れたんだが、人を乗せているとバランスを取るのが難しいな」
心底楽しそうなラウラさんだが、今の発言から推測するに、1人のときはもっとアグレッシブな乗り方をしているのか?
「ラウラさん! バイクって転んだら痛いじゃ済まないですからもっと安全に乗ってくださいね!」
「安心しろ! バイクは傷つけないから!」
そういう問題でも無いんだよなぁ!。
「いや、ラウラさんが怪我したらもっと大変じゃないで、すかっ――!?」
尻がぐぐっと持ち上げられ、なぜか視界が高くなった。
「こういうことも出来るぞ、ほら!」
ジャックナぁぁぁぁぁぁぁイフ!!
あまりに唐突にするものだから、すぐに気がつけなかったが、ジャックナイフやんけ! 王都のバイク屋、フィリッポさんに見せて貰ったことだけある。
くくっと、まだ視界が上昇を続ける。
「なんでこんなこと出来るんですかぁ!」
「やってみたら出来たんだ!」
確かにフィリッポさんも難なくこなして見せてくれたけれども、知識ゼロの状態からこんな曲乗り思い付くか? フロント持ち上げてみようとか、リア浮かせてみようとか、どういう思考パターンを繰り広げてこの結果に至るのだろう。
もしかして俺が安全に配慮しすぎて臆病なだけか?
そんなことを思っていたら身体が衝撃を感じた。リアタイヤが地面に戻ったショックだった。
「いやはや、ついつい気分が乗ってしまったよ」
「ラウラさぁん! 人を乗せてる時にやったらダメですよ! バランスの取り方とか違うんですから、下手したら事故ですよ!」
「そ、そうか……案外簡単にできたものだから」
「ていうかもう1人のときでも止めてくださいね」
「えっ……」
常習犯か、この人!
「普通に走ってください」
この世界でスタントマンにでもなるつもりか。
「う……。持ち主にそう言われては仕方ないな」
背中越しにでも残念がっている心情がひしひしと伝わってくる……。
「……」
いかん。
あまりの怖さにすっかり気を奪われて、ラウラさんの身体にしっかりとしがみついていたことに気付いていなかった。正直後ろ髪を引かれる思いで密着状態を解消する。
ジャックナイフで止まったバイクが再び走り出す。
俺はタンデムバーを握り直して体勢を整えた。
……やっぱ結構スピード出てるな。
ラウラさんが速い乗り物とか好きというなら、是非元の世界でジェットコースターにでも乗せてあげたいものだ。
「見えてきたぞ、アキラ」
遠くに大きな看板が聳えていた。
牧場とは殆ど縁の無い人生だったので、予想以上の規模がありそうでちょっと驚いている。
大看板を過ぎると柵が列挙し、その向こうに牛や馬が放牧され、気ままに過ごしているように見えた。
なんか和むなぁ。仕事できたことなんて忘れてしまいそうだ。
「到着だ」
一際大きい、目を引く建物の前でバイクが静かに止まる。アイドリングの静かな振動が身体を巡った。
「ここですか」
「ああ、主人に話を聞きに行こうか」
バイクのエンジンを止めてスタンドを出す、という一連の動作をスムーズにこなすラウラさん。
車体が安定したのを確認して先に俺が降りる。今回のライディングの印象が強すぎて、今まで普通に乗ってきたことが夢のようだ。
「ラウラさんは来たことあるんですか?」
「ああ。よく乳製品や加工肉を買いに来るん、だっ」
サッとラウラさんの表情が固まる。
「アキラ、すまない」
「どうしたんですか?」
「……盾を忘れた」
「あっ!」
そういえばあのデカいのが無い!
「今どこに……」
「おそらく厩だ……バイクに乗るからと立てかけてそのまま……」
ラウラさんは天を仰いだ。
「い、いやほら! ラウラさんのミスじゃなくって、俺がバイクで行こうなんて言ったから」
「いや、完全に私の注意不足だ……バイクに乗れるからと浮かれきっていたからな……」
「気にしないでくださいよ! 盾が無くてもオオガエル退治は出来ますよね。ね?」
「あ、ああ、そうだな。忘れたものはしょうがない……。それならそれで作戦を変えればいいだけだ。……いや……本当にすまない」
「盾はまた次の機会ってことで」
「不甲斐ないことだ……」
消沈しているラウラさんを促して建物に足を踏み入れた。無いものは無いでしょうがないだろう。
中は商品陳列棚が並び、ここが人のよく来る場所だということを思わせる作りになっていた。
目に付いたのは元の世界でも目にしたことがある、外国のあの円形のチーズだ。色々な大きさが揃っている。
ラウラさんは慣れたように棚の間を歩いて行くので、俺は遅れないよう着いていく。
「失礼。スクンサス冒険者ギルドから来たものだが、責任者はいらっしゃるかな」
精算カウンターのような所にいる少女に声をかける。
「ぶっ、ぼ、依頼の件ですか!?」
「あ、ああ」
面食らったような反応を返されて、ラウラさんが狼狽えた。
「おとうさ、あ、父を呼んでくるので少々お待ちください!」
そう言い残して、少女は足早に奥に引っ込んでいった。
静かな店内には乳製品の匂いが立ちこめている。それを吸っていると食欲が刺激された。
ふと思い出す。
そういえば、あれはもっと小さい頃だったかに、牧場に連れて行ってもらったことがある。雰囲気があそこと少し似ている。これでソフトクリームでも売っていれば、もうそのままあのときの牧場の売店だ。しかし残念ながら機械が発達していないこの異世界ではそれは敵わないようだ。それらしきものは全く見当たらなかった。
「いやー、どうもお待たせしました!」
少女が消えたカウンターの奥から、人の良さそうな中年の男性が現れた。少女はその後ろに着いている。
「おや。ラウラちゃんじゃない」
「どうもご主人。オオガエル討伐依頼を請けて来たぞ」
「助かるよー。今年のはやけに凶暴で、うちの奴らじゃ歯が立たなかったんだ」
「犠牲者は出なかったのか?」
「幸いね。牛は何頭かやられてるけど」
「何頭……。そのオオガエル1体に?」
「そう。凶暴で食欲旺盛で、手に負えないよ」
心底参った風な表情で主人は溜息をついた。
「ではあとは任せて貰おう。買い取りはもちろんして貰えるんだろう?」
「ああ、任せとくれ。ギルドより高値で買うよ、綺麗ならなお良い」
「わかった。出没時間帯はどんな感じだ?」
「日が落ちきってから少しってところかな。2,3日前に来たから今夜あたり来るだろうね」
「わかった。では見張り小屋を借りる」
「うん、頼んだよ」
話があっという間に済んでしまった。どうやらラウラさんとここの主人は面識があるらしい。依頼を引き受けたはずなのに、俺は完全に蚊帳の外だった。
「行こうアキラ。見張り小屋はこっちだ」
「あっ、はい」
テキパキと行動するラウラさん。勝手も知らない身としては、赤の他人より知人に先導して貰うほうが気が楽だ。
売店から出るとのどかな風景の中、牛舎のような建物のほうへ歩いて行く。よく見ると一部崩落を起こしている箇所があった。オオガエルの被害の一部だろうか。
「ここだ」
掘っ立て小屋のような簡素な建物。人が住むにはさっぱりしすぎている。一緒に転がしてきたバイクは小屋の隣に止めておいて、早々に中に入る。
中は6畳間ほどの広さで、板張りの、よく言えばベッドのように見えるものと簡単なデスクのようなものが据え付けられていた。ここで一晩過ごすのはちょっとしんどそうだ……。
「さっきの牛舎を見たか?」
「見事に壊れてましたね」
「意外と手こずるかもしれないな。油断は出来ないぞ。そういえばオオガエルの仕留め方は知っているか?」
「弱点とかあるんですか?」
当初変身してさっさと終わらせようとしていたので、こうなることまで考えていなかった。
「ちょっと外に出よう。大きさに目が行きがちだが斃しかたさえ分かっていれば、それほど煩わされることは無いだろう」
外に出ると、ラウラさんはそこらに落ちていた棒きれで地面に何かを描き始めた。
これは……カエルか。
「最高の品質で買い取って貰うには、無駄に相手の躯に傷を付けないほうが良い。これは分かるな?」
頷く。
「だからこの部分」
カエルを横から描いた図で、ラウラさんが棒きれで示したのは、頭の後ろの少し下の部分。人間で言うと首だろうか。
「ここにケイツイと呼ばれる器官があるが、そこを上手く狙えれば、殆ど本体に傷を付けずに絞めることが出来る」
ケイツイ……ケイツイ……そうか。カエルは脊椎動物だから頸椎を狙えば余計なダメージを与えずに制圧できるということか。
「でもラウラさん、オオガエルの大きさを考えると、この位置を狙うにはちょっと難しくないですか?」
「うむ。だから1人が正面で引きつけておいて、もう1人が背後に回ってそこを狙う」
横向きに描かれたオオガエルの前後に、簡易な人の図が書き入れられた。
「引きつけるコツはだな、細かく素早く動くことだ。カエルの本能として、そういう物体に反応しやすいんだそうだ。と言ってもオオガエルになると、動くもの全てに対して反応するから特段気を付けること無いんだけどな。今回は私が引きつけ役になろう」
「いいんですか?」
「ああ、むしろ経験の無いアキラでは危険かもしれんからな」
確かに。納得するところしかない意見です。
とは言えど、頸椎を狙って攻撃を仕掛けるのも中々難しそうなんだけどな……。
そうして一抹の不安を残しつつ、オオガエルの出現を待つことになった。
見張り小屋に戻ってその時を待つ。日が傾き初めて斜陽が室内を照らす。時折ラウラさんと言葉を交わす。
しかしこういうときの時間の立ち方は遅く感じてしまう。
ふと病院で過ごしていた生前(?)の感覚がフラッシュバックした。遊び盛りの高校生に日がな一日ベッドの上だけで過ごせというのは酷な話であろう。しかしあのときは気持ちだけが先走って、身体のほうが追いつかなかった。だから尚更時間の遅さにじれったさを抱いたものだ。
「灯りを付けようか」
気付いたら小屋内は薄暗くなっていた。ラウラさんが立ち上がって、ランプに歩み寄っていく。
ランプに火が付くと、オイルの微かな匂いが漂い、室内が橙色に彩られた。その光でラウラさんの姿が浮かび上がる。
「……」
なんか……なんか……ムードあるな。
明かりというほど強い光ではない。これからのことを考えると、怪談じみた雰囲気を想起させる光量。影が強く強調されて、それだけを見ていると不気味ささえ覚える。摩耶だったら失神していたかもしれないシチュエーションになりそうだ。
「まだしばらく待ちそうだな」
窓の外を眺めたラウラさんが小さく零した。
※
日が完全に落ち、小屋内がまた少し薄暗さを取り戻してきた頃だった。
「ん?」
地鳴りがした。
「来たな」
立てかけていた武器を手早く取ったラウラさんが小屋から飛び出す。俺もそれに続いた。
外に出ると、断続的に何かが叩きつけられているかのような音が低く鳴り響いていた。
「向こうだ! 急ぐぞ!」
「はい!」
音がするのは牧場の奥の方。牛舎のあるあたりからだ。
近づくにつれて、ドス、ドス、と連続した、何かがぶつかり合う音が大きくなっていく。それにつれて鼻が何かの生臭い匂いを嗅ぎ取っていた。
「アキラ、このまま私が正面を取る。隙を見て背後に回れ」
「うす」
大きな影。それが視界に入ると、ラウラさんは行く速度を上げる。
夜空の下、満月の光に照らされて顕れたのは、今回の討伐対象であるオオガエルだった。その巨体から長い舌を勢い良く射出し、牛舎の壁に叩きつけていた。
ラウラさんが武器を振り、オオガエルの注意を引く。
本能からかオオガエルは、ヒラヒラと揺れる目標に気を向けた。
ゲェコ、とその巨体に相応しい重低音で鳴きながらラウラさんに向き直るオオガエル。
近くで見るとその大きさに圧倒される。これがカエルなのか? 月明かりに照らされた巨体がてらてらと、のっぺりした異彩を放っていた。
ラウラさんは頭上に武器を掲げそれを左右に振り、オオガエルの意識をさらに引きつける。オオガエルはのっそりとした動きで、ラウラさんへと身体の向きを変えたと同時に、その口から細長い舌をムチのように繰り出した。
あまりの速度に、一瞬、ラウラさんが食べられてしまうのではないかと心臓が跳ね上がったが、しかし彼女はその舌を、武器を持たない手で掴み取ってしまった。
「今だ。回り込むんだ」
「は、はい!」
あの巨体であること、そして捕食対象から考えるに舌の力は相当なものだということは想像に難くない。だのにラウラさんは片手でそれを押さえ込んでいる。
引きつけるどころか釘付けじゃないか。この世界の住人の身体能力は、俺が考える以上に高いらしい。
俺はオオガエルの背後に回り込むと、その背中をよじ登って、おおよそ首の位置かと思われる部分に辿り着いた。
剣を抜いて、適当に見当を付けて突き刺す。感触は肉厚でぶよぶよしていた。俺は力を込めてさらに深く剣を突き刺す。
「ま、待ったアキラ!」
舌と身体への異常でオオガエルが身を捩り始めた。
しっとりとした体表面では踏ん張りが効かない。俺は突き刺した剣を支えにして、振り落とされないように身体を保持した。
「アキラ! 舌が離れた!」
ゲェェ、と長い声を発し、オオガエルが動き始める。カエルという例に漏れず、跳ねながら牛舎から離れていく。どうやら今夜のハンティングを諦めたらしいが、俺を乗せたままオオガエルは巨体を揺らしながら跳ねていく。
「アキラ! 手を離せ!」
後方からラウラさんの声が聞こえる。さすがのラウラさんでもオオガエルの跳躍移動に追いつくのは難しそうだった。徐々にその距離が開いていく。
「うわっ!」
なんて日だ!
今日は何かに乗ると危ない目に遭う日だったのか!?
オオガエルの乗り心地は大変エキサイティング。腕の力だけでこの状態を維持するにはかなり大変だ。それに跳躍の着地の衝撃で、徐々に剣が抜け始めている。
「くっ……!」
このままでは対象を逃してしまう。ここまで傷つけたのならこの個体が牧場を襲うことはないかもしれないが、それでは報酬が出ない。あくまでも討伐が条件だ。こんな思いまでして無報酬なんて割に合わなすぎる!
念のため後方を確認する。
声がもう届かない。姿も見えない。
ならばこういうときのチート能力だ。
「変っ身っ」
全身に力が漲る。
俺は腕に力を込め体勢を整え、剣を支点にしてオオガエルの身体に両足を着けた。
ビームセイバーと変身の力の前ではオオガエルなど最早敵ではない。
ビームセイバーを押し込むと、オオガエルが周囲に轟く断末魔を上げた。咆哮にも似たそれは、身体の芯まで震わせてくるようなものだった。
よし、変身解除!
ビームセイバーも俺の身体能力も元に戻ると、剣先に硬い感触があるのに気付いた。これが頸椎だろうか? なんて数秒気を取られている間に、オオガエルの巨体が崩れ落ちた。俺はカエルの身体の上に投げ出された。
うへっ、生臭い。あとヌルヌルしてる気がする。
痙攣しているオオガエルの上。あんまり気の良いものではなかったので、さっさと剣を抜き身体から降りた。
ビクビクと痙攣している、もう死体に近いオオガエルの身体を見ていると、少々心が痛む気がした。
こうして他の生き物の命を奪うことはもう珍しいことではないのだが……。
「おーい、アキラー!」
暗闇の向こうからラウラさんの声が飛んでくる。
「ラウラさーん! こっちでーす!」
足音が近づいて、朧気ながらその姿が闇の中に浮かんがで来る。
「おお! 1人で仕留めるなんてさすがだな」
もう動かないオオガエルの亡骸を見て、賛嘆の声をかけてくれる。まあチート能力のおかげですけどね。
「回収は牧場の人達がやってくれるそうだ。あの鳴き声だ、すぐに来てくれるだろう。それにしても初めてにしては綺麗に仕留めたな。これなら満額で買い取って貰えそうだな」
いや、それはラウラさんのお膳立てがあったからこそだろう。単独ではカエルの締め方なんてわからんかった。
やはりベテランについて貰って仕事に臨むのは得るものが多くて、スキルアップに繋がって効率がよい。
「ちなみに最初に気絶させて動きを止めてからなら、さらに絞めやすくなるぞ。今回は存外相手の動きが速くてそうも行かなかったが」
ブンブン、とラウラさんが得物を振り回す。
よくよく見るといつも使っている剣ではなくて、メイスのような武器だった。
なるほど。鈍器で思い切りやるのが良いのか。
「おーい」
遠くから男性の声が聞こえる。昼間話した牧場主の声だ。
彼は幾人かのスタッフを連れてやって来た。
「あー、やっぱでかいねぇ。それに……綺麗に仕留めてくれたから色着けておくよ」
やったぜ。
これでギルドからの報酬とオオガエルの買い取りでそこそこの稼ぎになる。
「よーし、それじゃあみんな、荷台に積み込むぞ!」
あとは牧場の仕事である。
「いやぁ、こりゃまた本当に綺麗に絞めてくれたね」
動かなくなったオオガエルの死骸を眺めて牧場主のおじさんは言った。
「買い取り金を渡すから付いてきてくれるかい?
おーい、じゃああとの処理はいつも通りやってくれ!」
一緒にやって来た牧場夫らしき人々に言い残して歩き始めた。
俺とラウラさんはそれに着いていく。そうして案内されたのは、売り場のあるあの大きな建物だった。明かりはもう落とされていて、牧場主のおじさんは入り口の鍵を開けた。
「悪いね。もう営業時間過ぎてるから」
おじさんはすっかり慣れたもので淀みなく歩を進めていき、俺たちは差し込む月明かりを頼りにおじさんの背中を追う。
「じゃあここで待ってて」
精算カウンターの奥に消えていくおじさん。
「うっ……」
特に話すこともなく黙って待っていると、ラウラさんが声を上げた。
「どうしました?」
「これ……」
おずおずと差し出される左手。
「う……」
生臭い。
「舌を直に掴んだからな、これは……う」
言いながら左手のにおいを嗅いで消沈するラウラさん。
渋々といった様子でガントレットを外すと、また匂いを確認していた。
「アキラ、匂うか?」
おずおずと差し出されたラウラさんの左手。
えっ。
なんかそんな感じでやられると指輪をはめるみたいな雰囲気が。それに手とは言え、女性の体臭を確認するなんて、年頃の男子にはちょっとしたイベントですよ、もう。
「……」
あくまで平静を装いながら鼻を近づける。
「……大丈夫ですね、ええ、はい」
なんか良い匂いだった気もする。
これはもうあれか。手のにおいを嗅いで動揺するなんて俺は変態なんだろうか。
「そうか、よかった。獣臭さが移ると中々とれないから難儀するんだ。……こっちは臭い消しでも使わないとだな」
ガントレットに鼻を近づけてしかめっ面を見せる。
「……」
あの内側――あっ、これ以上はいけない。真性の本物の域に到達してしまう。
そんなことをしてると、奥からおじさんが戻ってきた。
「待たせたね。じゃあこれ、オオガエルの料金」
ナイスタイミング! 思考をきっちり切り替えよう。
「2,3日したら加工も終わって店に並ぶから気になるなら買いに来てね」
畜産のプロがこう言うのだから、食えないということはないだろう。しかしカエルである、その事実がフィルターとしてかかってしまうと、少々気後れしてしまう。
報酬を受け取って、挨拶を交わしてから俺たちは牧場から去った。
帰り道、バイク上にて。相変わらず運転はラウラさんだ。
「もうこんな時間だ。ギルドも閉まっているな」
「そうですね。報告は朝まで受けてるって言ったから報酬も下がらなくて済みますよ。ラウラさん明日は何時くらいにギルドに行きます?」
「明日は休みじゃないからいつも通りの時間だな。アキラは?」
「朝一に行っときます。完了報告遅れたらもったいないですし。ラウラさん達が来るの待ってますから、報酬はその時に山分けでいいですか?」
「わかった。それなら私だけ少し早めに顔を出すことにするよ」
「わかりました。待ってますね」
と、言ったもののラウラさんのことだから、きっと朝一で来るだろうな。逆にこっちが遅れないようにしないと。待たせたら悪いってのももちろんだが、完了サインを貰った依頼書は俺が持ってるから、俺が行かないと何も進まない。
その後はポツポツとたわいない会話を繰り返しながらスクンサスへ戻った。
ちなみに。
スピードは速めだったが、それ以外は異常なく安全運転であった。
―了―




