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転生するなら変身ヒーローで!  作者: 東雲藤雲
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第3話 恐ろし時限ダンジョン

 目が覚めてそのまま身なりを整え荷物を準備し、そのままギルドへ赴く。

 いの一番で依頼掲示板を見に行くと、


『クラタ・アキラヘ 例の取引の件について進展あり。鍛冶屋まで来られたし』


 そんな用紙が貼られていた。

 クラタ・アキラ。

 多分俺だよな?

 用紙を剥がし取る。例の取引というと……先日のゴブリンキングの武器の話のことか。

 最低でも15万レデットの取引。果たして結果やいかに……!

 俺は急いで鍛冶屋へ駆けた。

 15万! 15万! 15万!

 15万という金額は、チート能力を持ってすれば、ギルドの依頼で簡単に稼げる数字ではある。実際、もうそのくらいは稼げている。でも、まとまって15万レデットともなると嬉しさも一入である。

「こんにちは!」

 鍛冶屋の入り口を勢いよく開く。

「らっせ。ってお前か。ギルドの伝言見たんだな」

「はい」

 カウンターにいたのはやはりレイラさんだった。

「ちょっと待ちなよ……えーと、鑑定額と仲介料だっけ?」

 こちらが息つく暇も与えず、レイラさんは話をポンポン進めていく。

「それを差し引いて、はい。

 ――100万レデットね」

「は?」

「100万レデット」

 ひゃく、まん?

 ぽん、とカウンターに札束が乗せられた。

「一応さ、金額が金額だから、確認してくれる?」

「……」

 思考停止してしまった。

 ぽんと湧いた大金は、俺の脳の処理能力を完全に奪ってしまった。

「おい」

「っはい!」

「確認して」

 レイラさんが声をかけてくれなければ俺はフリーズしたままだったろう。

 視界がグワングワンする。足下はフワフワだ。

「……」

 札束を目前にして、生唾を飲み込む。

「か、確認します」

「おう」

 俺は札束を手に取ると、一枚ずつ数えて、10枚で一組の束を作るようにして数えていった。

 そして出来上がる10万レデットの束が10個。

 ひゃくまん!

「た、たたた確かに100万ありますぅ……」

「はいよ、じゃあここに受け取りのサインね」

 レイラさんが突き出した用紙に、自分の名前を書く。

「確かに。それと親父が言ってたけど、ああいうものを手に入れたら気軽に持ってきていいってさ」

「ふぁい」

 俺は震える手でお金をしまい込む。

「おい。大丈夫か?」

「はい」

 グッと唾を飲み込むこと2回。

 ……どうにか落ち着いた。

「それでは、また来ます」

「あいよ」

 店から出て、またフリーズした。

「……」

 俺は今100万レデットを持っている。俺は今100万レデットを持っている。俺は今100万レデットを持っている。俺は今100万レデットを持っている。俺は今100万レデットを持っている。俺は今100万レデットを持っている。

「はぁ……! はぁ……っ!」

 駄目だ。道行く人皆々強盗に見えてしまう。

 誰もが俺のこのお金様を狙っているのだ。

「はっ、はっはっはっ」

 呼吸が短く浅くなる。上手くコントロールできない。どうすればいいんだ。

「アキラじゃないか、どうしたんだ?」

「ほぁああああああああああああああっ!?」

「ひっ!?」

 尋常ならざる心持ちの今、ただ声をかけられただけでどれだけの衝撃を受けようか。

「……」

「……」

 ああ、ラウラさんだ。

「おい、店の前でなんだ」

 ギィと扉が開かれて鍛冶屋からレイラさんも参戦する。

「あはぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 今だ冷静になれない俺は再度叫ぶ。

「店の前で騒いでんじゃねえよ!」

 無慈悲な一撃が俺の尻に食らわされた。前につんのめり、そのまま地面とキスする。

「……」

 じゃりじゃりする。

「アキラ!?」

「ったく、なんだよ一体」

 砂を食み、落ち着きを取り戻せた。

 しかしこの俺の身体の下にある大金を衆目に晒したくはない。

「ほら、起きるんだ」

「ふぁい」

「全く頼むぜ。その額でいちいち騒いでたら、冒険者なんて出来ねーだろ……」

「ふぉんと、すいまへん」

 ラウラさんに抱え立たされる。

「ああ……唇が切れてるじゃないか」

「らいじょうぶれふよ」

 ラウラさんの親指が唇を這う。傷を窺うように覗き込むものだから、その顔が驚くほど近い。

 ……こうして間近で見ると、やっぱり美女だ。なぜこんな美女が、冒険者なんていう荒事を生業とする仕事をしているのだろうか。

 あと、並んでみて気付いたが、俺より上背があるようだ。ほどよい筋肉にこのルックスの良さ、俺の世界にいれば間違いなく芸能の世界でトップクラスだろう。

 癒やし・エロ要員の面目躍如たるものがある。

「あっ、すいませ、もう大丈夫ですっ」

「こら。まだ血が止まってないぞ」

 かすり傷程度だろうが、口の中の傷だったので出血が多く見えるのだろう。

 ハンカチのようなものを取り出し、血を拭おうとする。

「あっ、そんな、大丈夫ですから!」

 この程度の傷でわざわざ汚す必要は無いと、慌てて口を押さえる。

「いいから。動くんじゃない」

 年上の女性から叱るような雰囲気で来られると、どうにも分が悪い。姉との過去が思い出されてしまう。

 なので大人しくハンカチを汚すことにする。

「すいません……あとで新しいのを買って返します」

「気にするな。どうせ仕事中に汚れる。使い道は一緒さ」

「ラウラさん……」

「悪いんだけど、そういうのは他所でやって貰える?」

 俺はレイラさんのことをすっかり忘れていた。

「重ね重ね申し訳ないです」

「ラウラの姉貴も頼むよ、本当」

「悪いなレイラ。すぐ場所を移るよ」

 ラウラさんに言葉に、レイラさんは手を振り振り店の中に戻っていった。

「とりあえずギルドに行こうか、アキラ」

「はい……」


  ※


 ギルドの食事処のテーブルを挟んで、2人で腰掛ける。

 とりあえず何があったのか、俺は声を控え気味に説明をした。

「なるほど。そんな大金になったのか」

 摩耶のパーティメンバーであるこのラウラさん達と初めて会ったのは、ちょうどこの100万レデットの元となった品を手に入れたあとだった気がする。

「確かに。初めてそんな大金を手にすれば驚いてもしょうがないな」

「ラウラさんは慣れてるんですか?」

「依頼の中には高額な報酬のものもあるから、長く冒険者をやっていると、何度かそういう依頼にも巡り会うさ」

「そんな依頼があるんですねぇ」

「そうは言っても、アキラの今回の金額はこの街じゃ本当に珍しいけれどな。王都の方へ行けば、そう珍しくないぞ」

 王都。

 この世界へ来て初めて聞く単語だ。そういう都市が存在するのか。

 高額報酬の依頼……。大抵が危険と隣り合わせの命がけの内容だったりするんだろう。チート能力がどこまで通用するのか試すにぴったりじゃなかろうか。

 ……考えただけでワクワクしてくる。

「冒険者の懐事情は浮き沈みが激しいからな。大事に使うといい」

「そうですね、そうします」

「それと冒険者なら、ギルドが銀行代わりに預かってくれるから利用するといいな。ギルドなら大抵の村や町にあるから、銀行より使い勝手がいいぞ」

「冒険者ギルドってそんなことまでやってるんですか」

「ああ。大きな組織だからな、意外なところでギルドの名前が出てきたりする」

 やはり先達の話は為になる。ましてやラウラさんは10年ものキャリアを持つベテランときた。

「このあと早速預けることにします」

「ああ、それがいい。そうすればさっきみたいに怯えることもないだろう?」

 さっきの俺の様子を思い出してか、薄く笑みを浮かべながら言った。

 このとき俺は気付いた。ラウラさんは酔うと駄目になるのだと。

 今日出会ってからこっち、いつものひょうきんな様子は見られない。筋肉の話も無いし、俺相手に照れもしない。この女性は普段はしゃんとした美人なのだ。

「おーっす。今日はデートの予定だったかなーん?」

 軽快な声が響き、肩をポンと叩かれる。

 ナタリーさんだ。その後ろには眠そうな摩耶と……見覚えはあるが知らない人がいた。どこで会った人だったか……。

「おはようございます。デートじゃないです」

「はー。2人きりで会うのはデートではないと言うのかね、この男は」

 実に楽しそうにナタリーさん。

「そうさ。鍛冶屋の前でたまたま会っただけだ」

 何があったかまでは伏せてくれる辺り、やはり大人の女性なのだと意識させられる。

 しかしあの調子のナタリーさんのからかいに動じないとは、酔わなければ実は本当に無敵なんじゃないか?

「誰?」

 話に割り込んできたのは、見覚えのあるあの女性だった。

 動きやすそうな軽装備で露出の高い格好をしている。露出した肌は褐色で、褐色で……耳が尖っている。

 まさかダークエルフだろうか。

「そうか、マルタは初めてだっけ」

「いや。前にあったことあるよ。馬鹿でかい武器持ち歩いてた」

 やっぱりあのときの人だったか。

 しかしだ。ダークエルフという、俺の琴線を刺激する存在に気づけなかったとは。

「マヤと同郷の、クラタ・アキラ。物好きなやつでパーティを組まないのを信条としてるやつ」

 いや、そういうわけでは無いですけどね。

「アキラ、この子はマルタ。見ての通りダークエルフ。怒らせると怖いから気をつけな」

 ダークエルフというと、その身軽さを生かして暗殺なども生業にする者もいる、というのが元の世界でのイメージだ。

 マルタという人物は、やはりどこか隙の無い人物と感じる。俺を見る目も興味なさげだ。

「よろしくおねがいします。といってもあんまりご一緒することは無いとは思いますけど」

「うん。よろしく」

 このクールさ、格好いい。

「何かいい依頼あった?」

「すまない。アキラと話していてまだ掲示板は見てないんだ」

「オッケ。こっちで見繕っていくよ。マヤとマルタはどうする? ここで待ってる?」

「私はここで待ってるッス」

「私は行くよ」

 そう残してナタリーさんとマルタさんは掲示板に向かった。

「ところで失礼な質問かもしれないんですけど、ラウラさんって、貴族出身だったりしませんか?」

「え!? 私が貴族!? そんなことはない! 私は平民の出だ」

 意外だった。物腰や芯のある自信は、なにかバックボーンがあるのかと思った。

「恥ずかしい話なのだがな……その、冒険者になりたてのころ、他の冒険者に舐められまいと、こういう態度で今まで来たから癖になってな」

 それでもラウラさんの心の強さは生来のものに由来していると思う。生き方がそれを強くしているのだ。

「ラウラ、行くよ」

 ナタリーさんが声をかける。

「それじゃアキラ、またあとでな」

「はい。いろいろと教えてくれてありがとうございました」

 ラウラさんは、眠そうな摩耶を連れて、他のみんなとギルドを出て行った。

 1人になった俺は早速ギルドにお金を預ける手続きをとった。当面の生活費は足りているから、100万レデットだけ預けることにした。

「それではこちらで確認します」

 職員はどこかでみた機器に、俺が出した札束をセットした。するとどうだろう、その機器は恐ろしい勢いで札束を数え始めた。

 あれはなんだっけ……マネーカウンター? あんなものまで普及しているのか?

「はい。ではギルドカードをセットして下さい」

 いつもの慣れた動作。リーダーにギルドカードをセットする。

「これで終了です。現金の引き出し、預け入れは、ギルドカードさえあれば、どこのギルドでも可能ですから有効に活用して下さい」

 そのあとはギルドカードで残高が照会できることを教えてもらった。中世ファンタジー風世界にしては、本当に高機能なカードである。

 さて、これで資産を守る術を手に入れた。といってもお金には執着はないので、がむしゃらに稼ごうとは考えていない。

 俺の当面の目的はこの世界観を満喫することだ。そうするにはやはり、簡単な依頼より難度の高い依頼を請け負う必要がある。となると必然的に報酬は上がり、所持金は増えていく。

 ……付加価値として認識しておこう。

 さきほどのラウラさんの言を鑑みると、目的を達するには王都に行くのが手っ取り早そうではある……。

 王都がどこにあるのかわからないが、出不精の俺にとって、遠出というのは気が引ける。

 行くのは機会があればということで先送りにしよう。しばらくはこの街を拠点に動くことにする、そういうことで。

 この街でもそれなりに高額の討伐クエストは見かけたことがあるのだから、急ぐこともない。転生してからこっち、チート能力のおかげで、現段階で衣食住に困ったことはないので焦ることもない。気ままに異世界を堪能しよう。

 意図せず今後の方針も大まかに決まったことだし、早速今日も依頼を探しに掲示板に足を向けた。

「……」

 たまに見る、この「魔術被験者募集」とか、こういうのは果たして冒険者の仕事の範疇に収まっているのが恐ろしい。掲示板にある以上はそういうことなのだろうが……万が一の時はどうするんだ?

 一応、注意書きで「高魔力耐性必須」とあるが、変身すれば行けるか……。

 報酬は――

「っ、50万……!?」

 この額にどれだけの妥当性があるのか疑問だ。

 依頼書を剥がして眺めてみる。他に重要なことが極小の文字で書かれてたりしないよな……。

「クラタさん、それ請けるんですか?」

「うぇっ?」

 用紙の隅々に視線を巡らせていて気付かなかった。いつの間にか隣に見知った人物が立っていた。

「アイリスさん。おはようございます」

「おはようございます。今日も精が出ますね」

「いえ、そんなことは……」

「それで、その依頼請けます?」

 ギルドマスターだと知ってから、こうして話すのは初めてだ。少し緊張する。

 俺が返答に困っていると、

「……大きい声じゃ言えませんけど。あんまりこういう依頼は請けない方がいいですよ。命がいくらあっても足りないですから」

 声を潜めて、そう囁いた。そのウィスパーボイスが耳に気持ちがいいのなんの。

 ……それはともかく。

 歴戦の冒険者がそう言うのだから、間違いはないのだろう。

「この依頼者の方、なかなかの腕前の魔術師ですから、気軽に行くと本当に痛い目を見ます」

 きっぱりと断言しているが、まさか経験者なのか。「アイリスさん、やったことあるんですか?」

「いいえ。わざわざ危険に身を投じる必要はないですからね。危険予知能力も、冒険者には大事なスキルですよ。

 もしこういう類いの依頼を請けなければいけないなら、引き受ける前に依頼者を確認するのがセオリーですね。ちなみにこの依頼は1週間近く貼り出されています」

 50万で受理されていないのなら、その危険性は推して知るべしということか……。

「でも冒険者なら何事も経験ですから、クラタさん次第です」

 ……ぬーん。

 今日はすでに100万レデットという大金を手にしたばかりだ。何も危険を冒して……ってこれ、大金を手にした人がする、破滅パターン思考では!?

 ――100万あるから。

 ……100万あるから。

 そういう思考で働かなくなったら終わりだ。

「ちょっと考えてみます……」

「はい、そうしてください。命あっての物種ですからね。それでは」

 アイリスさんは微笑みながら受付カウンターの向こうに消えていった。

 今の俺は癒やし系美人に何かと縁があるようだ。

 さて、では今日の仕事を決めるとしよう。


  ※


 俺は地図に示された、街外れの民家にやってきた。

 手にあるのは……魔術被験者募集の依頼書。結局引き受けてしまった。理由の大部分は好奇心である。

 我が『変身能力』、攻撃方面でのパフォーマンスは気軽に確認できるが、防御面の確認は意外と簡単ではない。モンスターや動物の攻撃を受ければ、それはそれで確認できるが、殺意の籠もった攻撃をノーガードで受けるというのは、精神衛生上中々難しい。きっと身体が反応してしまうと思う。

「……」

 ちなみに既に人気のないところで変身済みだ。

 扉をノックする。

「はぁい……」

 覇気の感じられない女性の声だ。

 扉が開くとそこにいたのは、いかにも魔術師然とした女性だった。

「どちら様で……?」

 変身状態で喋ると、正体バレに繋がりかねない。

 俺は黙って依頼書を差し出した。

「……あ、これ……」

 依頼書を受け取って、微かに喜色を表した。

「ありがとうございますぅ。新しい魔術を習得したのはいいんですけど、使う場面がなくて困ってたんですよぉ」

 先ほどと打って変わって、はっきりとしているが、おっとりとした喋り方で女性はそう述べた。

 雰囲気はあるが、この人が凄腕の魔術師には見えない。

「じゃあ、早速ですけどぉ、場所を変えましょう~。準備をしてくるので~、少し待って下さいねぇ」

 一旦中に引っ込み扉を閉める女性。

 俺は黙って待った。

 時間にして5分ほど。女性が扉を開けて出てくる。その様相はやはり魔術師らしいものだが、先ほど身につけていたものと質が違うことが一目で判別できた。

 それと手には先端に宝石らしいものがあしらわれた杖だった。

 その姿はもう完全に魔術師である。

「じゃあ行きましょう~。こっちですぅ」

 念願だったのか、本当に嬉しそうだ。

 俺は女性のあとについて歩く。もともと街外れだったが、このまま行くと確か街から出てしまう。

 一体どんな魔術の試し撃ちなのだろうか。

「この辺でいいですかねぇ」

 徒歩で10分ほど街から離れた場所で女性は立ち止まった。

「えぇっとぉ、それでは、お願いしますぅ」

「……」

 おっと、うっかり喋ってしまうところだった。

 俺は頷き返した。

「ではぁ、向こうにぃ、私が合図するまで歩いてくださぁい」

 女性が街とは反対の方向に指をさし、それに従い歩き出す。

「そろそろかなぁ」

 女性との距離は15メートルほど。

「はぁい! 止まってくださぁい!」

 そこで声がかかった。女性の方に振り向いてこちらの準備は問題ないとジェスチャーで伝える。

「では行きますねぇ」

 女性はボソボソと詠唱を開始した。

 そうか。本来魔術はこうして行使されるんだな。摩耶の指パッチンを最初に見てたから、詠唱からの魔術行使は目新しい。

 女性が持ってきた杖の先を俺に向ける。

 その先端に付いた宝石が爛々と光り輝いていた。

 そして俺を中心に光が集まり始める。この光に当たってもなんともない。

 光はどんどん収束していき。1本の光の線となる。「……」

 あれ……これは……どこかで見たような……!?

 モアン、という表現が正しいだろう。俺を中心にしてまた別の光が広がる。それは膜のように俺を封じ込めるようで……。

 最初に収束した光が急激に熱を帯び始めているのがわかった。

 ああ、これ、摩耶が使ってへばった魔術だわ、これ。ああ、これ、ああ――。

 光の膜が広がった時点で手遅れだ。ああ、もう。

「ちょ――」

 瞬間、爆発的な熱量と風圧が身体を襲った。

 気休めにはなるだろうか。俺は頭を守るために顔の前に腕を持ってきた。

 全てを焼き尽くす熱、全てを押しつぶす風。

 驚異的な破壊がここに顕現する。

「ぐぐぐぐ……!」

 最後の爆発で腕を弾かれ、頭がむき出しにされ、首が後ろに引っ張られるような錯覚。暴風が身体を叩く叩く叩く――。

「……」

 辺りに静寂が漂う。

「あれぇ?」

 魔術は発動し終わった。

「……ふぅ」

 生きている。『変身能力』は上級の魔術にも耐えられることがわかった。

 四肢に異常はない。五体満足である。

「っし!」

 勝ったとばかりに俺は静かにガッツポーズを決めた。

 この場で1人納得を得ていないのは、あの女魔術師だけだろう。しかし、摩耶が一発でMP切れを起こしていた魔術を使ってもまだ余裕がありそうだ。

 本物とチーターの差、だろうか。

「すいませぇん。もう一回いきまぁす!」

 精一杯の大声でそんな無慈悲なことを宣言してくる魔術師。

「え、ちょぉぉ!?」

 ついつい声が漏れてしまったが、こんな短い言葉で正体を特定――って今はそれどころじゃない。

 第二波が来る!

 致命的にはならなくても、多少はダメージがあるし、何より、魔術に巻き込まれるという、精神衛生上よろしくない状況がいやだ。

 しかし、止める間もなく――

 2発目が発動し始めていた……。

 変身してなかったら一発でアウトな威力。変身状態だと、気分だけなら絶叫マシーンだ。

 俺は腰を落として2発目を受けたのであった。

「すごいですねぇ! どうなってるんですかぁ?」

 おっとり魔術師は、ゆっくり駆け寄ってくると俺の身体をペタペタと触り始めた。

「この鎧の素材はいったい何でしょうか……」

 物珍しそうに、分析し始めた。しかし答えは得られないだろう。多分この世に存在しない物質で構成されている。

「……」

 未だ身体をまさぐられながら、俺は魔術師の手を止めた。

「あっ、今ので依頼完了ですぅ。依頼書にサインしますねぇ」

 女は懐から依頼書を出すと、裏のサイン欄に手をかざした。すると、赤い光が走り、黒い文字になっていった。

 こんな魔術もあるのか……。

「それにしても~、こんなに魔力耐性のある鎧なんて初めてですぅ。まだまだ知らないことがたくさんありますねぇ」

 偏に。素材の力ではなく、純粋に『変身能力』による能力値強化のおかげだろう。素材を探ったところで何も見つかりはしない。

「それじゃあ、ここでお別れですねぇ。またよろしくお願いしますぅ」

 フラフラと手を振りながら、女魔術師は姿を消した。

「……」

 最後までマイペースというか……。

 まったく、自由な魔術師だ。

 俺は震える両足に活を入れると、辺りを確認してから変身を解いた。

 もう絶対この手の依頼は請けない!


  ※


 精算まで終わらせ、報酬50万をまるっと預金とし、精神的に疲弊した俺は食事処で伸びていた。

「おいおい、どうしたー。少年」

「うー……心が疲れました……」

「そうかー……そういうときはな、飲むんだよ。大人はみんなそうする」

「でもまだ昼だし……」

「少年。周りを見てごらん」

 食事処には結構利用客がいる。冒険者らしい人達がちらほらと、ジョッキ片手に盛り上がっていた。

「なー?」

 今日は暦上で休日か何かだったか? 利用客のほとんどが飲酒をしているようだった。

 確かに現世でも、海外では水の代わりにワインやアルコールを飲むという地域もあるわけだし、ここ異世界において、そういう風習があってもおかしくない。「……じゃあいつものください」

「オッケー」

 しかし、本当に疲れたというか……。平気だろうとわかっていても、あの威力の魔術に巻き込まれるとこんなにも疲弊するのか。……いや、普通は死ぬんだわ、あんなのに巻き込まれたら。

 それを2発って、おい。

 冷静に考えたら目立つ行動だったな。魔術師なんて基本頭のいい人がなるような職業だろうし、そういう人が論理立てて考えてしまえば、俺が黒い鎧の騎士だとすぐにばれてしまうに違いない。

 あの依頼を請けたことは黙ってよう。

「へい、お待ちー」

「ありがとうございます」

 目の前にジョッキが置かれる。来てしまったか。

「ご飯はー?」

「もうちょっと考えます」

「んじゃー決まったら呼んでねー」

 いつものように、ヒラヒラと手を振りながら仕事に戻るヘルミーネさんであった。

「……」

 これは背徳感か? 罪悪感か?

 日も高いうちからお酒をいただくなんて、まったくもって不良の行い……というのは現世での話。

 俺は元々法治国家で育った人間だったが、17歳にして飲酒するという行為自体への、罪悪感は薄れた。

 しかしこれを昼間からとなるとやはり……。

「……ごく」

 んまーい! 昼間から飲むと言っても、一仕事終えてからの一杯だからか、リンゴジュースもどきが沁みるぜ!

「……」

 そうだ。これは逃避なのだ。――上級攻撃魔術を食らうという、攻撃的な時間を忘れ去るための逃避。

 そう考えてきたら……腹が減ってきたなぁ。これは心が落ち着き始めた証拠だろう。

「ヘルミーネさーん!」

「はーい」

 ちょうど手の空いたような感じだったので名指しする。もちろん他にもウェイトレスのような店員さんはいるが、慣れた人がいい。

「これと、これとこれを」

 料理の詳細は不明だが、名前で想像し、メニュー表を指さしてオーダーしていく。

「おっけー」

 軽い足取りでキッチンまでオーダーを伝えに行く、脱力系お姉さん。

 でも本当にひどい目に遭ったもんだ……。アイリスさんの言ったとおり、確かにあれは勧められるような依頼ではない。

 死んでたらどういう事務処理が為されるのだろうか。過失か故意か。責任の所在等はどうなるのか。そういう法があるとして、裁かれるのは誰なのか。あるいは自己責任となるのか。

 冒険者って危うい職業……職業なのか?

 どちらかというと肩書きとかそういうものに近いような。



 ――「仕事何してる?」

 ――「うん、冒険者!」



 こんな会話が成立するのか。

 冒険者の中でも戦士とか騎士とか、俺たちの世界のゲーム的に言うとジョブに当たるものはあるらしい。今回で言うと魔術師なんてのはわかりやすいかもしれない。



 ――「仕事何してる?」

 ――「うん、戦士!」

 ――「冒険者?」

 ――「そう!」



 こうなるのか。

 もしかして冒険者って、いわゆるフリーターなのでは? そう考えると一気に不安感がやってきた……。 でも待てよ。俺なんか今日だけで半日も経ずに50万レデットを稼いだわけだ。宿代だけで考えるとこの街で今まで通りなら1000泊出来るわけで……しかしどれもこれもチートのおかげだなぁ。転生特典がなかったらもう、野垂れ死ぬしかないな。これは断言できる。

「はい、おまたせー」

「どうもー」

「で、少年。何を難しい顔をしてるのかな」

 一品目の料理を持ってきたヘルミーネさんは、ごく自然に対面に座った。

「いえね、この先冒険者稼業でやっていけるのかと考えてしまってですね……」

「あー、それは誰もが通る道ー。安定した生活が欲しかったら、それなりの仕事を見つければいいしー。でも一発デカいのを求めるなら冒険者だねー」

 確かに。俺は一発デカいのを引いたばかりだ。固定給の職ではそういうことはないかもしれない。

「少年はー、まだそういうの考える年でもないんじゃなーい?」

「そうですかねー。今日ちょっと怖い目に遭って考えちゃって」

「あるあるー。それ、冒険者には避けて通れぬ道だかんねー。そこからどうするかは少年が決めなきゃだけどねー」

 そこまで言って、ヘルミーネさんは仕事に戻っていった。

 どうすると言われても、選んだチート能力は冒険者向きだと思うし……。もちろん違う仕事でも力は生かせるだろうけど、肉体労働に励む騎士とか、事務仕事にあくせくする騎士は見たくない。

 俺の憧れはそういうのとは違うのだ。

 俺のチート能力は、やはり切った張ったの世界で活用してこそ輝くと思う。

 まだ冒険者を辞める段階ではない。と断言する。

「……」

 料理に手を付けると、食感が豚肉に似ていた。退治されたワイルドボアだったりするんだろうか。

 美味しい。

 あと頼んだのは、野菜の料理と魚の料理。ちょっと頼みすぎたかもしれない。

 リンゴジュースもどきとよく合う。ちなみに今更だが、この「リンゴジュースもどき」の正式なメニュー名は「シセラ」という。

 このシセラ、本当にジュース感覚で飲めて、まるでお酒を飲んでる気分にならない。

 ――それが危険なことであることがこのときの俺はまだ知らなかった。



「倉田さん、倉田さん」

「……んぅ」

「おーい、アキラー?」

 遠くで誰かが呼んでいる気がする。

「おい、アキラ、起きるんだ」

「んぇ?」

 誰かが呼んでいる。

 頬が痛い。

 誰かが身体を揺すっている。

 頬が痛い。

 自分が目を閉じていることに気付くのに数秒を要した。

「あ。起きましたよ」

「んぬ……」

「しっかりしろ、アキラ。大丈夫か?」

「ふぁい、もうお腹いっぱい食べました」

 背中を撫でられている気がする。

「何言ってんだこいつは」

 ケラケラと、軽妙な笑い声。

「しっかり、しろ!」

 バスン、と背中に衝撃が走り、俺は覚醒した。

「えっ? えっ」

「倉田さん、ここギルドですよ」

「あれ、摩耶?」

「はい、そうですよ。ていうかみんないるッス」

 みんな?

 首を回すと確かに、ナタリーさんがいて、ラウラさんがいて、摩耶がいて、あとダークエルフの……ええと、マルタさんだ。

「はい、おはよう」

 おはようございます、と状況を飲み込めない俺は頭を下げる。あれ? いつの間に朝になった?

「アキラ。一体いつから飲んでいたのだ。もう夜だぞ」

「夜ですか? あれ??」

 一体何が起きた?

「しょうねーん。お迎えのお姉さん達と帰るー?」

 ヘルミーネさんが顔を出す。

「すいません。状況がよくわからんです……」

「飲み過ぎて潰れたんだよ、少年ー。いつ起きるか見てたんだけど全然起きないからさー。死んだのかと」

 ……やってしまった。これが酔い潰れるということか。

 ヘルミーネさんはそう残して仕事に舞い戻る。

「アキラー、ほっぺたにテーブルの跡が付いてるよ」

 先ほどからナタリーさんは笑いっぱなしだ。

「まあいいや。アキラ、一緒に座っていい?」

「はい、もうどうぞどうぞ」

 対面にナタリーさん、摩耶とマルタさん。俺の隣にいつも通りラウラさん、という席順になった。

 俺は酔い潰れた気恥ずかしさで苦い顔をしていたに違いない。

「で、アキラ。注文どうする? 何飲む?」

 にへら、としか形容できないからかうような笑顔でナタリーさんは言う。

「いえ、もういいです……」

「安心しろぃ。今度潰れたら隣のお姉さんが介抱してくれるぞ」

 隣の……ラウラさんに介抱……それはいいかもしれない。

「おいアキラ。顔に出てるからな」

 照れたようなラウラさんの一言に、俺の顔はまた苦い顔に変わった。

「でー? いつから飲んでたのよ」

「仕事が午前中で終わって……少し早めのお昼にしたから……それから?」

「ほぼ半日とは。まぁ実に冒険者らしいじゃないの」

 ……いや、お恥ずかしいことで……。

「俺帰ってもいいですか?」

「は?」

 ナタリーさん怖っ。

 俺は恥ずかしさから居たたまれなくて言っただけなのに。

「いいからいいから、いろ、な? 飲まんでもいいからさ」

「はあ……はい」

 それから俺以外のメンツはそれぞれお酒を注文し、俺はというとムストという飲み物を注文してみた。曰くこれにはアルコールは含まれない、とラウラさん。 そうして全員の飲み物が到着して、乾杯の段と相成った。

「それじゃあ今日も全員無事であること、そしてアキラのほっぺたの年輪にかんぱーい!」

 がこっ、とジョッキがぶつかる。

「しかしアキラ、浮かれたとは言え、昼間から酔い潰れるのはちょっと……」

 隣のラウラさんが少し呆れ顔だ。

「申し開きはございません……」

 俺はただただ身を小さくして、目立たないようにした。

「でも昼間から飲みたい放題で酔い潰れて寝るなんて、王や貴族の器とも言える」

 と無表情で言うマルタさん。

「何百年前の時代だよ……」

「割とよくある話」

「ないだろー」

 ノリが違ううえに、男1人という状況でとても場違い感満載で居づらいったらない。いつもの俺、すごいな。

「……」

「どうしたアキラ。気分でも悪いのか?」

 隣のラウラさんが顔を覗き込んでくる。

「あっ、はい、大丈夫です!」

 なんかいつもと反応が反対だ。

「そうか。気分が悪くなったら遠慮せずに言うんだぞ?」

「お気遣い痛み入ります……」

 穴があったら入りてええええええ!

 いやそうじゃない! 落ち着け! 落ち着くんだ!

 俺は今寝起きという状態にあって状況を上手く把握出来ないでいるだけなんだ。

 落ち着けば大丈夫。クールに行くぜ……。

 ムストを一口含み、口中を潤す。期せずしてテイスティングする形になって気付いたのだが、このジュース、葡萄の香りが芳醇で実にまったりとした舌触りが心地いいじゃないか。

「……」

 いや駄目だ。全然落ち着けねえ。……肌色の多い本を見ているところを、姉に見られた時の心境によく似ている。恥ずかしさとやるせなさと後ろめたさが、心を支配しているのだ。

 俺は悪くないのに! いや、飲み潰れたから俺が悪いのか。

「……」

 二口目のムストを口に含む。シセラはリンゴの風味が軽く飲み口がライトだが、ムストはやはり葡萄が濃厚だとか考える。

 こうして飲み物に集中することで、場の空気を壊さないように気配を殺すのだ。

「本当に大丈夫か? アキラ」

 お酒が入ってほんのり赤くなった顔をこっちに向けるラウラさん。

「だ、大丈夫ですって! もう酔いなんて覚めちゃいましたよ!」

「そう言って無理はするなよ」

 あぁ、この癒やし・エロ要員め……。心が浄化されていくではないか。

「そういえばさんざ俺のことを、好き放題いじってくれましたけど。皆さんは本日はどんなお仕事をされてきはったんどすか?」

「いんや、私たちはこれから仕事だよ」

「え? でももう夜ですけど……」

 窓の外は暗い。

「ちょっと遠い迷宮(ダンジヨン)に潜りに行くんだよ」

 ほう。ダンジョンとな。

 ナタリーさんが言うには街から離れた場所にダンジョンが出現したらしく、その攻略に行くのだとか。

「ダンジョンの出現、って……。ダンジョンって何ですか?」

「そういうのはマルタが詳しい。マルタ、説明してあげて」

「今回みたいな迷宮(ダンジヨン)はマナの澱が生み出す、魔術的な要素の強い空間のこと。珍しい魔物が出現したり、貴重な鉱石が手に入ることが多い。そしてごく希にではあるけれど、星造装備が手に入る」

「へぇ……」

 セーゾーソービってなんだろ。

 単純な地下迷宮ってわけではないのか。

「まあそういうわけで、これから出発して、迷宮(ダンジヨン)付近で野営して、日が昇ったら攻略を始めるんだ」

「これから出発するのにお酒なんか飲んで大丈夫なんですか」

「にひひ。駆け出しのひよっこに心配されるほどやわじゃないよ」

 言うだけのことはあるのか、ナタリーさんもマルタさんもお酒が入っている割に顔色一つ変えていない。

 摩耶もなんだかんだで強かったな。

 赤くなっているのはラウラさんだけだ。

「ラウラさんは、大丈夫ですか?」

「私はその、すぐ顔に出るだけだから、1杯だけなら問題ない」

 なるほど。確かにすぐに顔が赤くなる人がいる。

「色っぽくて可愛いですよ」

「んなっ!?」

 何言ってるんだ俺。これじゃあ年下が恋愛対象のラウラさんを煽るだけだ。

 ……いや、でもそれって問題あるか?

 病魔で早逝した俺にとっては、ささやかなモテ期なのではなかろうか。

 でも、1人の女性に好意を寄せられてるだけでモテ期と言えるのか?

 ……うーん?

 それからラウラさん率いるパーティはダンジョン攻略に向けて出発していった。

 俺は宿をとって寝よう。

 ……眠れるかな。すっかり眠ってしまったからな。

 食事処もこの時間だとずいぶん人が多い。

 普段はもうちょっと早い時間に利用していたから気付かなかったが、ピークはこれからのようだ。

 あのヘルミーネさんがやや早足で動き回っているのを横目に、ギルドをあとにした。

 内部の喧噪が嘘のような静けさの中、俺は宿屋へと足を向けた。

 その途中であった。

「クラタさん」

 雑貨店のアシュリーと出会った。久しぶりな気がする。

「アシュリーじゃないか。久しぶり」

 雑貨店はそれなりの頻度で通っていたが、アシュリーが店番をする時間帯とは合わなかったのだ。

「クラタさんはこれからお仕事ですか?」

「今日はもう休もうと思ってるんだ。だから宿屋に行く途中。アシュリーは?」

「私は……散歩です」

 いたずらを見つかった子供のように、はにかみながらそう言った。

 忘れていた。アシュリーも、俺にとっては癒やし要員なんだ。

「暗いのに散歩? また危ない目に遭わないように気をつけないと」

「うふふ。大丈夫です。これがありますから!」

 アシュリーは左の腰の辺りを指さす。

 あれはダガーか? 鞘の装飾がずいぶん凝っているな。

「この前のことがあってから、お父さんに持たされるようになりまして。使い方も冒険者の人に教わったんですよ」

 そういうとアシュリーは慣れた手つきでダガーを抜刀して見せ、それで留まらず、くるくると手の上で弄び始めた。

「すご。ずいぶん慣れてるね」

「楽しくなっちゃって。家でたくさん練習したんですよ」

 そう言いながらも、アシュリーはダガーを手を這うようにして動かす。

「こういうテクニックだけでも、脅しには使えるって、教えてもらいました。

 もちろん実用的な使い方もばっちりです」

「そっか……。アシュリーもとうとう冒険者の道に……」

「違いますよ、冒険者なんて私ごときじゃとてもできません!」

 そうは言うものの今の手さばきは素人目から見ても見事だった。

「武器があっても、危険なことから避けられないこともあるから十分気をつけてよ?」

 こんなにいい子が傷つけられたりしたら、犯人をとっ捕まえて『変身能力』でボッコボコにしてやる。

「もちろんです。夜の散歩も人通りの多いところを選んだり、家からなるべく離れすぎないように気をつけてます」

「何かあったら呼んでよ? すぐ駆けつけるから」

「あはは。クラタさん面白い」

 まあ何かあったら、元冒険者の親父さんが黙ってはいまい。

「それじゃ、俺は行くよ。気をつけてね」

「はい。またお店に来て下さいね」

 2人して手を振って別れた。

 刃物、というか得物の扱いに関しては、アシュリーに抜かされたような気がする。俺はあんな滑らかな刃物の取り扱いは出来ない。彼女に教えたという冒険者がよほどの使い手だったのかもしれないな。

 数こそ覚えてないが、俺が剣を抜いた回数は、両手の指の数で数えきれる程度な気がする。

 考えている以上にチート能力に頼りきりだが、しょうがない。俺の生命線なのだから。

 そうこう考えているうちに宿屋まで来てしまった。

 俺は扉を開けて中に入って、もう慣れた手続きを済ませると、さっさと部屋に向かった。

 嗚呼、なんかゴタゴタした1日が終わる……。


  ※


 朝一番、日課となったギルドの依頼掲示板を眺める。

 昨日の反省点を踏まえて、仕事を吟味する。ちょっとしたお金を手に入れた今、そうあくせくと働く必要はないとは思うのだが、怠け癖を付けたくなかった。

 怠けてギリギリになって行動した失敗を幾度したことか。

 おっ、マンドラゴラ採取、これ面白そうだな。確か引き抜くときに叫び声を上げ、それを聞くと死ぬという、あれ。

 採取数10で報酬が20万レデット……。

 さすが命がけなだけあってなかなかの報酬だ。これにするか。

 依頼書を剥がして詳細を読むと、

  ・採取したら直接依頼主に届ける

  ・報酬は依頼主から受け取る

 今までとは違い、依頼主との直接のやりとりになっている。

 その他詳細も依頼主まで、となっているので早速依頼主の元へ向かうことに。

 そして、依頼書の裏にある地図を頼りに、俺はある人物を訪ねることになる。先日、上級魔術を2発もぶち込んでくれた、あの女魔術師の家だ。

「…………」

 言葉にならない。俺はあの魔術師に対して危険人物判定を下している。

 地図を見てまさかとは思った。そしてその「まさか」は当たった。

 扉の前でしばらく逡巡したが、決心を固めて扉を叩いた。

「……」

 反応はない。もう一度叩く。

 すると中から、ドタドタと何かが崩れるような音が近づいてくる。

「はいぃ」

 ガチャリとゆっくり扉が開くとそこにいたのはやっぱりあの魔術師だった。

「……ギルドの依頼で窺ったんですが」

 俺のテンションは必要以上に低い。なぜならこの女への危険意識のためだ。

 仕事とは言え、躊躇なく攻撃魔術を問答無しにぶっ放してくるのだから、そうなっても仕方あるまい。

「あ、ああぁ~、マンドラゴラですねぇ! 助かりますぅ。中へどうぞぉ。依頼について説明しますぅ」

「はあ、失礼します」

 家の中は嵐でも過ぎ去ったのかと思えるくらい散らかっていた。中でも目立ったのはそこらに転がっている本の数だ。それだけでなく、壁際にも本棚が佇んでおり、ぎっしりと本が詰まっている。

 先ほどのドタドタはこの本の山が崩れる音だったのだろう。部屋にはインクと紙の匂いが充満している。

「こちらへどうぞ~」

 そう促されたのは、やはり本が積まれたテーブルだった。椅子も4脚あるうち、3脚が本で埋まっている。「どうぞ座って下さいぃ、今説明しますぅ」

 積まれた本を押しやって、魔術師は地図を広げた。「まず、ここがスクンサスで~」

「スクンサス?」

「スクンサスですぅ。……そうですよねぇ?」

 俺の反応に自信がなくなったのか、不安げな魔術師。 そういえば俺、この街の名前知らなかった――!

「ああ、すいません。スクンサスです」

「そうですよねぇ。それでぇマンドラゴラなんですけどぉ、ここの森の奥に群生地があるので~。この辺りならぁ、そこが楽だと思いますぅ」

 マンドラゴラの群生地とか、まるで地獄。

「マンドラゴラは採取したことありますかぁ?」

「いえ、ないです。今回が初めてですね」

「そうしたらぁ……ええとぉ」

 棚から葉っぱの入った瓶を持ち出してきた。そうして1枚取り出すと、俺に差し出した。

「この葉がぁ、マンドラゴラの葉っぱですからぁ、同じものをみつけてください~」

 なるほど。

「それとぉ、これを~」

「これはなんですか?」

「耳栓ですぅ。私が作ったぁ、マンドラゴラ採取に使える特製のものです~。試しに着けてみて下さいぃ」

 なるほど言われてみると確かに耳栓の形をしている。

「……」

 装着すると――街外れでもともと静かな区画であったが――急に音が遮断される。

 すると、女魔術師が急に顔を寄せて、耳に息を吹きかけてきた。

 俺は慌てた。

「な、なんですか!?」

「――――?」

 あれ? 何か言ってる? 聞こえないぞ? 耳栓のせいか?

 息を吹きかけられた左耳の耳栓を外した。

「どうですかぁ? 何か聞こえましたぁ?」

「……いえ、何も聞こえませんでした。さっき耳元でなんて言ったんですか?」

「聞こえますかぁ? って言ったんですよぉ」

 女魔術師は満足げな顔だ。

「すごいですねこれ。普通の耳栓じゃないんですね?」

「はい~。魔術で補強されてますぅ。マンドラゴラの叫び声に対抗するにはやっぱりこれですねぇ」

 何事にも「専用」というものが存在するのか。

 しかしすごい耳栓だ。あんな耳元で声を出されて何も聞こえないとは。本当にただ息を吹きかけられただけかと思って、正気を疑ってしまったくらいに。

 それと、参考になるかわからないが、その……接近されたときに、すごいいい匂いがした。

「あ~。ちなみにその耳栓なんですけどぉ、私の特製で今のところ非売品なのでぇ、大事に使って下さぁい」

 え、マジ? すごい技術力。

 これがあれば、入院したときとても助かる。大部屋のときのおじさんの鼾は公害レベルだからな。この耳栓なら……。なんて、今は不要の悩みか。

「それではぁ、マンドラゴラの採取お願いしますねぇ」

「わかりました。それでは」

 俺は崩れた本を避けながら歩き、玄関に辿り着いた。これどうやって片付けるんだろ。

 魔術師の家をあとにして、俺は地図を広げた。

 地図を広げて教えられた森の場所を確認する。この距離だと……日帰りくらいになりそうだな。変身しなければ。

 急ぐ用事もないし、散歩がてら普通に歩いて向かうことにしよう。

 あと出発前に昼飯を調達しにレデット雑貨店に行って……。

 ん?

 なんか違和感があると思ったら、右耳の耳栓を抜くのを忘れていた。もう片方は手に持ったまま。

 取り外して2つ揃ってしまい込んでおいた。非売品で特製品と言われたら簡単に失せ物とするわけにはいくまい。価値はわからんが、お金を請求されても困る。

 女魔術師の家から、徒歩で10分ほど。レデット雑貨店に到着。この時間帯の店番はアシュリーの親父さん、つまり店主さんだ。

 どこの誰が言ったかは知らないが、店はこの街の冒険者にとっての生命線とも。さすが元冒険者が店主を務めるだけあって、普段使いなら見事な品揃えなのだった。生活雑貨も揃っているので、一般の利用も多いそうな。

 なにげに利用頻度は多いので、親父さんとは顔見知りになり、その娘のアシュリーとは世間話はする程度の関係になっていた。

 親父さんと軽い挨拶を交わし、俺は必要なものを買って店をあとにした。

 マンドラゴラの森までは結構歩くことになりそうだが、馬車の定期便とか……あるわけないよな。わざわざ危険な場所を目的地にする必要がない。まかり間違ってマンドラゴラの群生地に足を踏み入れて、興味本位で抜いてしまったりするという事故も考えられる。いや……考えすぎか?

 どうも病気の影響で、悪い方悪い方――いや違うな、ネガティブな考えをしてしまいがちになる、病床に伏せっていたころの癖が染み付いている。

 この街は地図上で見ると、いわゆる田舎と称せる立地だ。ここ意外の街に行くには、一番近くても馬車便で2日かかるという。途中で野宿を挟むわけだ。

 その割に街の規模があるのは、偏に冒険者ギルドのおかげという話だ。

 なにせスクンサスという街は、ギルドありきの街で、冒険者ギルドが勢力拡大のために街を作り上げたのだとも。幸いなことに冒険者が生計を立てるための仕事も事欠かないことから、定住する冒険者の数は増えていったと。

 王都や大都市と比べれば、もちろん報酬額は目に見えて下がるが、そういう目的でない冒険者たちにとっては安全に穏やかに暮らせる街だという。

 転生の際に説明された、魔王という存在も、わざわざこんな田舎町まで侵攻の手を伸ばすこともないだろうし。

 駆け出しの俺のような冒険者が――チート能力はあるが――未だにほとんどトラブルに巻き込まれないのが良い証左だ。

 荒くれという勝手なイメージを抱いていた冒険者も、意外と統制がとれているようで一人一人の意識がしっかりしてるようにも思えた。

 街を出て2時間ほど歩いた。ゲームと違ってランダムエンカウントはない。旅人らしい人とすれ違っただけだ。

「おっ、あれかな」

 一面草原だったところに、いかにもな森が見え始めた。ワイルドボアを狩ったときの森より規模がある。なるほどこれならマンドラゴラの群生地があってもおかしくない。

 森から少し離れたところに、ちょうど良い岩があったのでそれに腰掛けて昼飯を摂った。

 摩耶お気に入りのサラミみたいな肉が美味しい。それとパンを食べた。こちらのパンは日本のパンと違って堅い。元の世界でも、ワールドワイドな視点で見ると、日本のパンは柔らかい部類なのだそう。これは日本人の好みらしい。

 革の水筒から水を飲みながら食べ進める。この組み合わせはサラミの塩気がちょうど良くなり、食が進む。

 病院食とは全然違う、味の濃さが癖になる。

「さて、と」

 食事を終え、荷物をまとめて、森に向かう。はて……森の奥というざっくりした場所の指定だったが、無事に見つけ出せるだろうか。

 安全を重視するなら、変身してからのほうが間違いはまず起きない。しかし毎度毎度そうしていては風情というものがない気がする。それに変身ヒーローはいざというときに力を発揮するものだからな。

 森に足を踏み入れる。やはり生身は心細いもので、俺はまだ何も起きていないというに、抜刀して歩を進めていた。

 20分ほど。歩いていると辺りが鼻につく匂いが漂い始めた。

「これ……アンモニアか?」

 動物の排泄物でも近くにあるのだろうか。いや、それにしてもアンモニアが強すぎる。鼻の奥が刺激される。

「くっさ……」

 どんどん臭気は強くなっていく。なんなんだ一体。 そういえば悪魔は出現すると硫黄の匂いを残していくという。某海外ドラマで知った。事実かどうかは知らないが……。

 もしアンモニア臭を伴って出現する何か危険なモンスターだったら、依頼は出ていないがさっさと退治してしまった方が街のためになる。

 俺は臭気が強くなる方へ歩んでいく。その行程は道なき道を進むものだった。

 臭気は強くなる一方だ。

 そうしてより鬱蒼とした一角に辿り着くと、アンモニア臭がそれはそれは強い場所だった。

「くっせぇ……!」

 これ大丈夫か? 何が起きているんだ?

 魔物やモンスターはいないし、どちらかと言えば環境的には清浄な部類に見える。

 匂いを我慢して足を踏み入れると、それは同じ植物が密集して生えていた。

「うげ。この植物か……」

 出来るなら触りたくない。

「ん? ……この葉っぱの形……まさかな」

 女魔術師から預かった、サンプルの葉っぱを取り出す。生えている草と比べてみると、正しく一致した。「マジかよ、嫌だよこの臭いの!」

 森の中、一人で頭を抱える。しかし長居はしたくない。このアンモニア臭の中に長時間いたら衣服に匂いが移ってしまう。

 こういうことも教えておいてもらいたい。耳栓もだが、鼻栓も必要だったんじゃないか。

 というわけで耳栓を着けてから、俺は最初の1株目を抜くことにした。

 これが意外と難儀で、実に強く根を張っているようだ。

「ああ、もうくせええ! ――変身!」

 変身して一気に片付けてしまおう。1株、2株。

 底上げされた筋力のおかげで難なく抜けていくマンドラゴラ。預かった耳栓の効果は抜群で、なんとも静かなものだった。

 ――はい、最後の1つ!

 ズボッと抜けるマンドラゴラを確認して、俺は変身を解除した。すると微かに名状しがたい悲鳴のようなものが微かに聞こえた。

 そうか、耳栓は装備して変身したから強化されていて、完全に音を遮断出来ていたのか。

 抜いて何秒かしてまで絶叫を発していたとすれば、この一帯はしばらくの間、マンドラゴラの叫び声に包まれていたはずだ。

 しかし、あれだけの遮音機能を持つ耳栓の効力を上回って、絶叫で耳朶を刺激するとは、直接訊いたら確かにまともではいられないだろう。


「ォォォォォオオオォ……」


 耳栓を外すと最後の1株はまだ呻いていた。気持ち悪っ! しぶとすぎる。

 鬱蒼とした森に響く叫び声。そして鼻をつくアンモニア臭。俺は気味が悪くなって、引っこ抜いたマンドラゴラをリュックに詰め込んだ。

「変身!」

 そして一刻も早くマンドラゴラを手放したくて、帰り道は変身して全速力で帰ることにした。これなら時間はかなり短縮できるだろう。


  ※


 ええと、モノの引き渡しも報酬の受け取りも本人同士でやるんだったな。

 街の手前で変身を解除した俺は、まっすぐに女魔術師の家へと向かった。

 扉をノックする。気の抜けそうな返事が返ってくる。出発前より早く、女魔術師は扉を開けてくれた。

「んー、匂いますねぇ。マンドラゴラの匂いです~」

 満足そうにうんうん頷く女魔術師。

「それではぁ、数を確認させて下さいぃ」

 金属製の大きめのバットのような容器を本の山から引っ張り出し、わずかに空いた机の上に置いた。

 俺はさっさと背負った荷物を下ろして、マンドラゴラを手早くそれに移した。

「えぇと~、いち、にぃ、さん……」

 おっとりした喋り方とは裏腹にしっかりした手つきでマンドラゴラを取り扱う。

「確かに依頼通りの数、確認しましたぁ。今報酬をお持ちしますのでぇ、待っててくださぁい」

 またしても本の山に突っ込んでいく。

 杜撰な管理方法だが、仮に泥棒がこの家に入ったとしても本という壁が守り切るだろう。

「はい~、確認して下さいねぇ」

「はい」

 ひい、ふう、みい……あれ?

「10万も多いですよ」

「ああ、それはですねぇ。耳栓の試験運用の被験者になってもらったので~」

 ……なん、だと?

 俺は慌てて耳栓を取り出し、

「これまだ実用段階じゃないんですか!?」

「日常生活でなら使ったことはあるんですけど~、マンドラゴラには使ったことなかったんですよぉ」

 ……マジかよ! この狂気の魔術師め!!!

「それでぇ、こうして無事に帰ってこられたということは~、効果はばっちりだったんですよねぇ」

 変身しておいて本当に良かっだぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛。

「……もうちょっと実戦で試した方がいいと思いますよ」

 変身能力で強化された状態の耳栓では、他の人での安全性は不明だ。

「そうですかぁ……。特許取得して販売を開始しようと思ったんですけどねぇ」

 残念そうに魔術師は言う。

「ところで、あなたは冒険者じゃないんですか?」

 摩耶が一発でへばったあの魔術を、2回連続で繰り出せるくらいのMP容量を持った人だ。冒険者として活躍していてもおかしくない。

「ギルドには登録してるんですけどぉ、私~、新しい魔術や魔道具の開発で生活してるんですねぇ。ですのでぇ、冒険者としては活動してないんです~」

 魔術の開発か……魔術。

 俺はピンときた。

「あの、声を変える魔術ってありますか? ……いや違うかな、変えるって言うより、普通に喋ってる声より低く聞こえるようにするくらいでもいいんですけど」

「声を変えるですか~。そうですねぇ、詠唱させないようにする魔術があるくらいですからぁ、声を変えるくらいならぁ、それを応用すれば作れるかもしれませんねぇ」

 俺は考えた。変身後の意思疎通。それが今のままだと出来ないのだ。

 寡黙な黒騎士。

 それも良いが、意思疎通を言語で行っている文化圏において、言葉を用いることが出来ないのは不便だった。

「お願いがあるんですけど。その声を変える魔術作って貰えませんか? あとついでに使い方も教えて下さると助かるんですが……」

「いいですよ~、少し時間を貰えれば多分出来ますぅ」

「じゃあ出来たら、ギルドに伝言を……」

「ああ、いえ、そのくらいなら1時間か2時間貰えればすぐに~」

「そんな簡単にできるんですか?」

 魔術ってそんな気軽なものなのか。

「はい、その辺の本でも読んで待ってて下さい~」

 崩れたままの本の山を指さす。

 きっと専門書やら魔術の教本だろう。

「報酬は……今回の分でトントンでどうですか?」

「えぇ!? マンドラゴラの採取の方が危険性もありますし~……」

「じゃあ20万レデットでお願いします」

「はぁ……そこまで言うならぁ、それで承りますね~。それじゃあ~私は2階でちょっとやってきますからぁ、お待ちくださぁい。誰か訪ねてきても居留守しちゃっていいですよぉ」

 狂気の魔術師は崩れた本の山から、手早く数冊抜き取って階段を上っていった。

 さて、それじゃあ待つとしましょう。

 まず試しに足下に散乱しているうちの一冊を手に取る。

 『魔術構成理論・上』

 うん、読んでも理解出来そうにないな。

 例えば小説とかそういう類いのものはないのだろうか。あったとしても、探しているうちに時間が来てしまうか。改めて見るとものすごい本の量だった。

 崩れた本は後回しにして、俺は壁際の本棚から何か読めそうなものを探すことにした。

「……んー」

 どれもこれも難しいタイトルばかりの並びの中に、気になったタイトルがあった。


『こども が ならう まじゅつ』


 これなら俺にも読めそうだ。

 開いて目次を眺めてみると、魔術の使い方と言うより、魔術そのものがどういう概念なのかを説明している入門書のようなものだった。ずいぶん年季の入った本だったが、汚れや傷も少なく、大切に扱われていることが窺える。

 大事なものなのだろう。俺はその本を手にして椅子に腰掛けた。



「お待たせしましたぁ。出来ましたよ~」

 すっかり読み耽っていて、時間を忘れていた。

 階段をトコトコ降りてくる女魔術師。

「すいません、急なことお願いしちゃって」

「いえいえ~」

 女魔術師は手ぶらだった。

「それではぁ、まず私が使ってみますのでぇ、みててくださぁい」

 女魔術師は喉元を覆うように手のひらをあてがうと、

「変質せよ」

 と呟いた。そうして、

「あ~、あ~、あ~」

 次の瞬間に女魔術師の声は、変成器を通したような、不思議な声に変わっていたのだ。

「この声だけじゃなくてぇ、調節すればぁ、他の声にも出来ますよ~。解除するときはぁ、」

 さっきと同じく手のひらで喉元を覆い呪文を唱える。

「――解けよ。

 あ~、あ~、これでできます~」

 おお、すごいな。

「こんな感じでよろしいでしょうかぁ」

「はい。ばっちりです」

「ではぁ、使い方をお教えしますねぇ」

 その後、魔術が使えるまでになるのに3時間。

「あー、あ、あー」

「そうですそうですぅ」

 まともに声を変えられるようになるまで1時間ほど、計4時間、魔術の訓練に要した。

 女魔術師は嫌な顔一つせず最後まで付き合ってくれた。

「好きな声に変えるならぁ、このあとも練習を続けてくださいねぇ」

「わかりました。ありがとうございます」

 変化したままの声で礼を述べる。自分で喋ってるのに違う声がするというのは、実に複雑怪奇な心地だ。「解けよ……。あーあー。あー、戻った……。それじゃあ報酬の方を。これで」

 20万レデットで良いという話だったが、俺は受け取った30万をそのまま渡した。

「あ~……ですからそのぉ」

「待ってください。まず、魔術の作成の報酬。それでもって、魔術訓練の報酬ということで」

「う~ん……それでも多いですよぅ」

「それはまだ魔術に慣れてないので、今後アドバイスをいただくときの分の先払いと言うことにしておいてください」

「……ではぁ、そういうことで頂戴しておきますぅ」

 困り顔の女魔術師は、俺が差し出した30万レデットを受け取った。

「長居してしまってすいません。俺、帰りますね」

「はい~。今日はおつかれさまでしたぁ」

 散らかった本の山を慎重に進んで玄関扉まで歩く。

 扉を開けると、すでに日が沈みかけていた。

「ありがとうございました」

「はい~、お気を付けて~」

 扉を閉めて、歩き出す。

 ちょっと早いが宿屋へ向かおう。教えてもらった魔術の感覚を忘れないために、練習しなくては。


  ※


 魔術の練習に丸々2日間費やした。

 そのおかげで好き放題に声を変えることが、拙いながらも可能になった。元の目的は、変身時に言葉を発せないのをどうするかという問題を解決するためのもの。

 もはや別人とも言える声にまで変化させられるようになったのだから十分な成果だろう。

 最初のころのように、元々の声を数段低くして喋れば、ばれることもあるまい。

 試しにやってみよう。

 部屋の鍵を閉め万全を期す。

「変身」

 鎧に包まれた首に手を当てて、俺は呪文を唱える。

「あー、あー。……うん、ばっちりだな」

 ヒーローっぽい。

「解けよ。……あーあーあー。戻った」

 自分の声が変わることより、いろんな声が出せることが面白くなってきた。

「そうだな……。よし。変質せよ」

 ある人物の声を思い浮かべて魔術を行使する。

「どうっすか、倉田さん」

 摩耶だ。摩耶の声だ!

「やばっ。これ楽しすぎる。――解けよ」

 これで俺の変身ヒーローライフの安寧はさらに守られる。

「さって、それじゃ2日間休んだ分、今日はしっかりと働きますか!」

 ウキウキで荷物を準備して部屋をあとにする。


 ギルドにて。依頼掲示板に気になる依頼が貼り付けられていた。

 依頼人は、スクンサス冒険者ギルド。内容は行方不明者の捜索、救出。

 詳細は、「数日前に発生した迷宮(ダンジヨン)にて、当該ギルド登録冒険者の捜索。必要ならば救出」

 心がざわつく。数日前、発生した迷宮(ダンジヨン)……。俺はその募集用紙から目が離せなかった。期日は1日!?

 この2日間、俺は宿から一歩も出ず魔術の練習をしていた。

 食事処に駆け込んだ。ヘルミーネさんは……いた!

「ヘルミーネさん!」

「おーす、少年。なんか久しぶりー」

「ちょっと聞きたいんですけど、この2日間、摩耶たち見かけましたか!?」

「マヤ……。ああ、ナタリーとラウラのとこの。……あれー、そういえば見てないなー。あそこのパーティは仕事終わりは必ずうちで一杯やっていくんだけどもねー」

 やっぱり……!

「ありがとうございます!」

「あーい」

 俺は掲示板に駆け戻った。早速依頼を……と思ったけど、必要等級が設定されている……! 4等級以上じゃ全然届かない。

「どったの、少年」

 尋常じゃない気配を察知したのか、ヘルミーネさんが隣に立つ。

「……これ」

 俺は動悸がして、上手く喋れずに、依頼募集用紙を指さした。

「捜索かー……なるほど。こりゃまずいかも。日数的にも迷宮(ダンジヨン)の崩壊までギリギリだね」

「崩壊って、そうなったらみんなは!?」

「ほぼ永久に迷宮(ダンジヨン)に閉じ込められる」

 苦虫をかみつぶしたような表情。ヘルミーネさんにしては珍しい、表情の変化。それだけ事態は逼迫しているのか。

「……俺、行きます」

「やめときなよー、少年。巻き込まれても何もいいことないよ。……冒険者なんだ。迷宮(ダンジヨン)の危険性は承知してる。それでも探索に行ったのは自己責任だよ。事実この依頼が受理されてないのが、いい証拠。

 それに、これがナタリー達のことかどうかはわかんないでしょ」

 ぽん、と優しく俺の肩を叩いて、ヘルミーネさんは自分の持ち場へ帰っていった。

 ヘルミーネさんの言うとおりだ。この依頼書がナタリーさん達のことだという確証はない。

 確証はない、そう自分に言い聞かせても……嫌な予感は消えない。

 報酬なんていらない。

 等級がなんだ。

 依頼を請けられないなら、そのまま行けばいいんだ。

 俺は募集用紙を引き剥がし、裏面を確認した。こういうパターンのときは大体裏に地図が記されている。

「よし……!」

 自分の地図にダンジョンの場所をマークして、俺は駆け足でギルドを飛び出した。

 向かうはスクンサスの西。

 西側の門まで一目散に駆けていく。

 こんな時に限って人通りが多い……!

 さっさと変身してしまえば、ダンジョンまでの距離なんてゼロに等しいのに、もどかしい。

 西門を過ぎて、街の門が見えなくなったのを確認して、

「変身……変質せよ」

 能力を解放した。

 そして再び走り出す。軽くなった身体は飛ぶように前へ進む。

 ヘルミーネさんは言っていた。崩壊までギリギリだと。

 この能力なら大丈夫、間に合う――!

 俺はそう自分に言い聞かせた。



 同じ頃、スクンサス西門の守衛は、街の西側から途轍もない爆音がしたという。

 それが倉田彬達の世界で言う、ソニックブームであることはもちろん知らない。



 俺は脇目も振らず街道を駆け抜ける。

 地図だとそろそろのはずだ……。

 街道。その脇に大岩が見えた。一部が虹色の門のようになっている。そこに1人の人物がうずくまっていた。

(摩耶……!!)

 俺が近づいたことにも気付かないくらい憔悴していた。

「大丈夫か?」

 声をかける。変声魔術は効果を発している。

「ぇ……」

 膝を抱えてうずくまった摩耶の目は虚ろだ。

「助けに来た」

「たすけ、……」

 顔色もひどい。摩耶は俺の言うことがすぐには理解出来ないというより、言葉として脳が認識をしていないようだった。

「た、助け……! 助けてください……! みんなが……! みんなが!」

 漆黒の鎧に身を包んだ、素性もわからぬ人物に摩耶は縋る。

 状況は相当逼迫しきっているらしい。

「他のみんなは中に?」

「は、はい。奥の、一番奥のおっきな悪魔みたいなやつと戦って……!」

「ここで待つんだ。助けてくる」

「で、でも中は迷路みたいになってて……」

 徐々に血の気が戻って行く摩耶。目も生気をを取り戻しつつある。

「行きます……! 私も行きます! 案内します!」

 俺に捕まって摩耶はゆっくりと立ち上がる。膝が笑っているのがわかる。手は震えて……これは恐怖か。「……わかった。だが無理はするな、道案内だけでいい」

「任せてください」

 摩耶は活を入れるためか、ほっぺたをペシペシ引っ叩いていた。

「行きましょう!」

 ふんと一発、鼻息を吐いて摩耶は虹色の門の前に立つ。俺はその後ろに続く。

 摩耶は後ろを振り返らずに虹色の空間に足を踏み出していた。足が消える。

 たしかこのダンジョンは魔術的要素があると説明された。この虹の門は、文字通りゲートの役割を果たしているのだろう。

 摩耶が虹色に飲み込まれてすぐ、俺も続く。すると身体が浮遊感に包まれたと思ったら見知らぬ場所にいた。上下左右を囲まれた、正にダンジョンという名にそぐわない場所。街の地下水路とはまた違った趣のダンジョン。

 壁は白を基調としていて、模様が描かれている。一番身近なもので言うと、遊園地の迷路のような……これで軽妙な音楽でも流せばそのままアトラクションとなり得そうである。それが不可解さと不愉快さ、そして不気味さを増長させる場所だった。

 振り向けば虹色のゲートがあった。ここがスタート地点となり、そしてゴールとなるらしい。

「こっちです!」

 摩耶が駆け出す。ともすれば方向感覚すら失わせそうなそのダンジョンを、摩耶は迷いなく進んでいく。

 魔術的空間と聞いていたから、入るたびに構造などが変わったりする、ミステリアスなダンジョンみたいなものを想像していたがそうではないらしい。

 分岐点すら迷いなく進む摩耶に不安を覚えた。本当に大丈夫なのだろうか。

 しかし黙ってついていくしかない。初めて訪れたこの地下迷路のような場所で、残りの3人をピンポイントで見つけるのは不可能だ。それに摩耶は以前言っていた。一度行った場所なら迷わない、と。今はそれを信じるしかない。

 何度も曲がりながらも摩耶の足は止まらない。既に息も上がって荒くなっているにもかかわらず、速度は落ちない。

 進む。ただひたすら、仲間の元へと。仲間を助けるために摩耶は走り続けていた。

「大丈夫か? 無理はするな」

「問題ありません!」

 また顔色が悪くなってきている。摩耶は足を緩めない。

「……」

 摩耶のナビゲートは、正確なようだ。何か大きな肌を刺すようなプレッシャーに近づいている。

 あの3人に何が起きている……?

「この先に何がある」

「モンスターと、戦って、います……ナタリーさんがグレーターデーモンって呼んで、いました」

 悪魔。なるほど手こずるのも無理はないだろう。

 しかし不眠不休で数日も戦い続けているのか?

 本当に急がないと危ない……!

「こ、このさきに……!」

 摩耶が掠れた声で最後の曲がり道を指さす。左に折れた通路の先が一際明るくなっている。

 俺は摩耶を抜き去って、一歩先に出る。

 辿り着いたその場所は、円形の広いドーム状になっており、さながらコロッセウムのような光景だった。観客のいない闘技場。――そこで

「くそっ! 新手か!?」

 駆け込んできた俺を見て、ラウラさんが吐き捨てるように言った。

 3人は、異形の化け物と退治していた。有機的であるが生物ではない化け物。体躯は高さにして8メートルほどで、羽根を広げて闖入者である俺を威嚇してきた。

「……」

 足を踏ん張り一飛び。俺はグレーターデーモンの顔に跳び蹴りを食らわせた。

「なになになに……?」

 グレーターデーモンは不意の一撃に吹き飛ぶ。

「みなさん! 助けが! 助けがきまひた!」

 やや遅れて摩耶が偽闘技場に駆け込んでくる。

「マヤ! 無事だったか!」

 最後の力を振り絞ったか、摩耶は3人の無事な姿を見るとへたり込んでしまった。

「マルタ! マヤのカバーに回って!」

 投げつけるようなナタリーさんの指示。

「了解」

 グレーターデーモンはやがて立ち上がってまた襲ってくる。

「おい、そこの黒騎士」

 ナタリーさんだ。正体を知らないからだろうが口調がキツい。

「誰だか知らないけど――」

「……話はあとだ。ダンジョンの限界が近い」

 声を変えてはいるが口調でばれる可能性もある。俺は慣れない口調で言った。

「くっ、もうそんな時間がたっているのか……。ナタリー! 話は脱出したあとだ! 

 誰だか知らないが、助太刀感謝する……」

「俺が隙を作る。トドメは任せる」

 ラウラさん、そしてナタリーさんに告げる。

 俺がトドメを刺すと、のちのち正体バレに繋がってしまうからしょうがない。

「オッケー! その自信、本物かどうか見てやるよ」

「よし! 行くぞ!」

 俺は地面を蹴って2撃目を打ち込む。悪魔の名は伊達ではない。拳が硬いものにぶち当たる感覚があった。 敵は轟音を発して壁にめり込んだ。

 偽闘技場に打撃の音が響く。通常ならこれでお終いだが、さっきの感触からするとまだ足りない。

「……」

 壁から抜け出そうとしている、グレーターデーモン。その頭に俺は飛び乗った。その威容、実に名前負けしていないじゃないか。

 頭に生えた大きな角を折ろうと試みる。……なかなかに丈夫じゃないか!

「ふんっ!」

 気合い一発込めると、べぎらっという音を響かせて角が折れた。

 そいつは顔に張り付かれているという不快感を露わにし、両手で俺の身体を鷲づかみにしようとしている。

「食らえ! このくそでかコウモリやろう!」

 折った角の先を目玉に突き刺してやった。

「グアァアアアアアアアアアアァァアアアアア!」

 痛みにもだえている隙に俺は離脱する。

 地面に着地すると、グレーターデーモンが立ち上がっていた。意外と素早い……!

 その身体から、憤怒の気と、名状しがたい不気味な気配を発しながら、巨体をいきり立たせている。

 さすが悪魔と言うべきか。

「オノレ ゼイジャク ナ ニンゲンフゼイガ!」

 喋った!?

「その人間にお前はやられるんだよ!」

 一歩踏み込み、二歩目で跳躍。悪魔の顎に強烈なアッパーカットをめり込ませる。

「ヌガッ……!」

 悪魔は三度倒れる。

「今だ! 行くぞナタリー!」

「オッケー!」

 だらしなく手足を伸ばしきって倒れたその隙に、2人の女冒険者が迫る。

 俺は悪魔が立ち上がるのを阻止するために、準備して待っている。

 前方からは肉を裂くような音と、悪魔の漏らす、形容しがたいうめき声が聞こえる。2人は順調に敵の体力を削っているようだ。

「ニンゲンガ! ニンゲンガ! グォァォアオアァオアァオァオアァオアァアオア!」

 一際大きな悲鳴にも似た声は断末魔だったのだろう。

「よっしゃぁ!」

 ナタリーさんの雄叫びが聞こえた。さっきまで偽闘技場を満たしていた、悪魔の嫌な気配が薄らいでいく。「おーい、黒騎士! ちょっと手伝って!」

 ナタリーさんに呼ばれたので、悪魔の頭の方へ向かう。

「ちょっとこの角さ、取ってくれない?」

 目玉に刺さった……うわっ、自分でやっといてなんだけど、グロいわぁ……!

 長く見ていたくなかったのと、近くにいたくなかったのとで、言われたとおりにさっさと角を抜き取った。先端には、紫色の気持ち悪い液体がぬめっていた。

「あと、ついでにそっちの角も折って」

 残った方を指さす。

「……」

 俺は力任せに、角の根本付近に手刀を落とした。

「悪いね。ありがと!」

 ナタリーさんは嬉しそうに2本の角を抱えていた。「ナタリー、戦利品を漁ってる暇はないぞ! すぐに脱出しないと閉じ込められてしまう!」

 そうだ。そのために、そうならないために俺はみんなを助けに来たんだった。

 俺は摩耶に駆け寄った。

「……」

 マルタさんが摩耶を庇うように短剣を構えて前に出た。

「マルタさん、大丈夫です……この人は味方、です」

「……わかった」

 鋭い視線を残して短剣を納める。しかしいつ抜刀したのか見えなかった……。

「帰りの道案内も頼む」

「わ、わかりました」

 俺は摩耶を抱え上げると3人を促した。

「もう行くの?」

「時間がないと言っただろう! 行こう!」

 2人が駆け出したのを確認して、俺はゆっくりと進み始めた。

「あ、あの」

 焦燥しきった摩耶は、抵抗の体を見せるが、変身した俺に力で敵うはずもない。

「安心しろ。必ず脱出させる。だから道案内を頼む」

「……わかりました」

「ナタリー急げ!」

「わかった! 待って待って!」

「マルタも行くぞ」

「うん」

 全員の準備が整ったところで俺は走り出す。

 摩耶のナビゲートは入ったときと同じく正確無比だった。一度も道を間違えることなく、俺たちを導いてくれる。

 そして最後の曲がり角を曲がると、

「まずい! ゲートが閉じ始めている!」

 ラウラさんが叫ぶ。

 最後の直線上、虹色がダンジョンに突入したときより小さくなっていた。

 行軍速度を上げる。摩耶を抱えているせいで、いつもの急加速は出来ない。後ろの3人を置いていかない、付かず離れずの距離を保ちながら走る。

「ああっ!?」

 また虹色のゲートが小さくなる。大丈夫なのかあれは通れるのか!?

 ええい! ままよ!

 1歩強く踏み込んで飛び込む俺。

 身体はスルリと虹の門を抜けてくれた。

「……」

「うわ、ちょ、止まるなって!」

「うわっ!?」

「あー」

 やっと外に出て、摩耶を下ろそうと身体を屈めたところに、ちょうど同じタイミングで残りの3人がゲートから飛び出してきた。

 迂闊。もっと余裕があると思ったのだが。

 バランスを崩して前のめりに倒れ込む。もちろん摩耶にのしかからないよう、己を支える。

 その上に3人が倒れ込んだ。

「出入り口で止まるなよ……」

「どうやら間に合ったようだな……危なかった」

「はぁ」

 声の具合からして、ナタリーさん、ラウラさん、マルタさんの順番で俺の上で重なっているようだ。

「迷宮が消える」

 一番上のマルタさんが退くと、残りの2人もそれに続いた。

「全員無事か?」

 立ち上がって4人を見回す。

 正体バレを防ぐためとはいえ、この人達相手にため口というのは違和感を覚える。

「ありがとう。助かった」

 ラウラさんが、警戒することなく礼を述べる。

「気にするな。助けを求められたから助けた、それだけだ」

「で? どこのどちらさん?」

 これはナタリーさんだ。ラウラさんほど俺――いや、黒い騎士を信用できているわけではないらしい。

「……名前は、無い」

「はぁ?」

「……いや、覚えていないのだ」

 なんかメチャクチャ怖い顔するからつい嘘ついちゃったよ……。

「ふーん……」

 デリケートな問題だと捉えたか、あるいは面倒ごとだと捉えたか。ナタリーさんはそれ以上追求してこなかった。

 マルタさんは一言、「ありがとう」とそれだけだった。

 さあ、目的は達した。俺はさっさと街に戻ろう。

「では俺は行く」

「あ、あの! ありがとう、ございましだ……」

 泣き声で、嗚咽を隠そうともせず摩耶が口を開いた。「……」

 俺は摩耶の頭を撫でて駆け出した。

 街に戻ったら何もなかったかのように振る舞おう。というかそうでもしないと正体バレしてしまう。

 4人から離れたことを確認して、一気に駆け出すと景色が一気に流れ出す。

 よかった。

 みんなを助けられて本当に、よかった。


  ※


 街に戻ると、俺は女魔術師の元を訪れた。

 どうにもあのダンジョンが気になっていたのだ。ダンジョンのことなら同じ冒険者に聞けばいいだろうが、あいにく俺は冒険者の知り合いが少ない。

 それに何より、あのダンジョンが魔術的な空間ということで、魔術のことなら、と彼女の顔が最初に浮かんだのだ。

 扉をノックする。

 返事はない。

 ノックする。

 反応がない。

 いないのかな。……急ぐ用事でもないから、また日を改めて訪問してみよう。

「どうしましたぁ?」

 身を翻すとそこに女魔術師がいた。

「うおっ」

 何故この距離か。

「す、すいません、ちょっと教えて欲しいことがあって……」

「は~、そうですかぁ、では中にどうぞ~」

 女魔術師は扉をそのまま開けた。

「鍵かけてないんですか?」

「かけてますよ~。魔術を使ってるんですぅ」

 ほう。魔術で……。

 中に入ると、この前来たときよりはだいぶマシな状態になっていた。

「空いてる椅子使ってください~。何のお構いも出来ませんけど~」

 確かにこの様子ならキッチンも本で埋め尽くされてそうだ。

 ちなみに言うと空いてる椅子は2脚しかないのでどちらかに座るしかない。俺はこの前世話になったときの椅子に腰掛けた。

「それで~、どういうご用件でしょうかぁ」

「はい。ダンジョンのことで教えてもらいたくて」

「……そうですかぁ、私のところに来たと言うことは~……生成型の迷宮のことですね~?」

「俺もまだダンジョンに行ったことないので、どう呼ぶかわからないんです」

「なるほど~、そこからですかぁ。

 それでは簡単に説明しますねぇ……えっとぉ」

 女魔術師は何かを思い出すように、人差し指をこめかみに当てて目を閉じた。

「すみません~。お名前はどちらさまでしたっけ~?」

 はたと気付く。忘れたのではなく知らないのだ。お互いに。

「自己紹介がまだでしたね。倉田彬です」

「あら~、そうすると私のことも~?」

「そうですね。存じ上げませんです」

「そうですかぁ、私、魔術協会・正協会員のエレーヌと申します~。よろしくお願いします~」

 俺たちは数度目にしてようやく自己紹介を果たしたのだった。

「それでは迷宮について軽く説明しますねぇ。私も専門家ではないので大雑把な解説ですが~。

 まず迷宮は2種類存在しますぅ。まず天然型、そして生成型ですね~。

 天然型というのは人工的に作られたものだったり~、自然に出来た洞窟などがこれにあたりますね~。特に特徴はありませんがぁ、こちらは時間で消滅したりすることは無いと思いますぅ。

 次に生成型。こちらが今日の本題ですね~。

 この生成型というのはぁ、大気中のマナの澱が原因で発生すると見られていますぅ。天然型と比べるとダンジョンとしての規模は小さいのですがぁ、内部は複雑なうえ、タチの悪いことにぃ、時間経過によって消滅――これは厳密には違うのですけど一般的にこう言われます~――してしまうと2度と攻略できなくなりますぅ。生成型の特徴としてぇ、この消滅することと~、それと内部と外部では時間の流れが違うことでしょうかぁ」

 それだ。俺があのダンジョンで4人と会ったとき感じた違和感の正体。時間の流れが外と中で違うというのなら違和感を説明できる。

 まず摩耶の様子と、中で戦っていた3人の疲労度が違いすぎる。

 中の3人、ラウラさん、ナタリーさん、マルタさん。不眠不休であのグレーターデーモンと何日間も戦い続けられるはずがない。それに合流したとき、3人ともまだ体力に余裕があった。

 1人外にいた摩耶の様子、そしてダンジョン内部で戦っていた3人の様子、そこから考えるに生成型ダンジョンの内部は、時間の流れが遅い。

 なんということだ……そうなると摩耶は数日間野ざらしで恐怖に怯えながら過ごしていたことになる……。

「そんな時間の流れを狂わせるような魔術があるんですか?」

「少なくとも私は聞いたことがありません~。時間という概念を捻じ曲げるなんて、それこそ魔法の領分ですぅ」

 この世界の住人が口にする魔法、という言葉の重み。 ……まさか生成型のダンジョンに関わっているのは転生者なのでは――。

 時間という概念を覆しかねない異質な空間。ダンジョンの奥深くで待ち受ける強大な敵……一体どんなやつがどんな目的でこんな能力を得たというのだろう。「そういえばぁ、聞いたことがありますぅ。消滅したはずのダンジョンから、生還した冒険者がいるとかなんとか~」

 消滅、というが実のところ、ゲートが閉じ、出入りが出来なくなるだけで、あの空間――ダンジョン自体は崩壊することなく形をとどめて、違う次元に彷徨っている。中と外の時間の流れが歪曲しているなら、生還も不可能ではないはずだ。

 消滅ではなく、隔絶した同じダンジョンがどこか違う場所を漂い、やがて条件が合えば同じダンジョンが発生する可能性もある。そうしてその冒険者は帰還できた。

「参考になりましたかぁ?」

「ええ、大いに。何度も押しかけてすいませんでした」

 立ち上がって玄関に向かう。

「また何かあったらぁ、いつでも来て下さいねぇ」

 挨拶を残して俺はエレーヌさんの家を出た。

 頭を使ったら少し小腹が空いた。ギルドの食事処へ向かおう。

 道中、レデット雑貨店のアシュリーと出会った。腰には鞘が下がっていて、また散歩中なのだろう。

「クラタさん、大丈夫ですか? なんか顔色が悪いというか悪い顔というか……」

「ちょっと面倒な依頼を請けちゃってね、それでかな」

「気をつけて下さいね」

「うん。ありがとう。それじゃあ俺はこれからギルドに行くから。アシュリー、1人歩きは気をつけてね」

「はい。それじゃあまた」

 アシュリーの服装は普段着だ。それに帯刀しているという格好は、やや危険人物、あるいは相当のやり手に見える。先日のように簡単に絡まれる心配は少なそうだ。

 その後は何事もなくギルドに到着してしまった。……いや、何もトラブルを求めているわけではない。

 扉を開けると、この時間帯は食事処が賑わっていた。

 どこか席は空いて――

「おーいアキラ!」

 聞き覚えのある軽快な声! ナタリーさんだ。

 首を巡らせて声の出所を探し出す。

「こっちこっち!」

 これだけ声が溢れているというのに、ナタリーさんの声が凜々として響いたおかげで見つけることが出来た。

 ここにいると言うことは……無事に帰ってこられたんだ……ひとまず安心だ。

 他の3人も一緒のテーブルに着いている。

 俺は人混みをよけながらみんなの元へ駆け寄った。「捜索依頼出されてたじゃないですか」

「いやー、つい時間を忘れて探索に時間かけ過ぎちゃったんだよ。まあそれはいいから座りなって」

 席順は、テーブルを挟んで、ナタリーさん、摩耶、マルタさんが並ぶ。

 そして何故か3人掛けの椅子にラウラさんが1人で座っている。

「ラウラさん、いじめられてるんですか」

「人聞きの悪いこというなぁ!」

「ラウラの隣はもう指定席だからさ。……誰だかわかるだろう?」

 悪い顔をしたナタリーさんがのたまう。

 俺ですね、わかりました。

 大人しく座ると、ラウラさんはちょっと腰をずらして俺から距離を取った。酔っていると照れ屋になるということを知ってはいますが、その反応はちょっと傷つきますよ。

「少年ー、よかったな。お姉さん達が無事で」

 めざとく俺を見つけたのか、ヘルミーネさんが給仕の合間を縫ってみんなに聞こえるように言い残していった。

「あ、そだ。少年泣きそうになってたよー」

「なってませんよ!」

 行ったと思ったら余計な一言を付け足して、改めて仕事に戻っていった。

「そうか……アキラ、そんなにも私たちのことを……」

「泣いてませんて。少し心配しただけです。それよりも何かいいものは手に入りましたか?」

 彼女たちがギリギリの状態だったことは知っている。

 だが、そのことを想起させる質問において、表情を変えたのは摩耶1人だった。

 他の3人は涼しい顔だ。

「んー? 悪魔の角くらいだね。これはこれで売り物になるから、成功かどうかと訊かれたら、普通」

「最後はすこし手こずったがな……。摩耶があの黒騎士を連れてきてくれなかったら危なかったさ」

「いやっ、連れてきたっていうか、来てくれたみたいです」

「あー、そういや捜索依頼出されちゃったんだっけ? まあ帰ってこられたから良かったけど」

「いや、それがだな、私たちの捜索依頼は受理された記録が無いと言うことだ」

「じゃああの黒いのはいったい」

「さてな。グレーターデーモンを圧倒した力といい、一体何者だったのか」

「通りすがりの冒険者だったんじゃないですか?」

 正体を隠しているとは言え、話題となるのは気恥ずかしい。

「どうかねぇ。飛竜の時も黒い鎧のやつが戦ってたって目撃情報もあるし……。でも、この街にはそんな鎧を使ってるやつなんて見たことないしなぁ」

 早く話題を切り替えたい。

「すいませーん! 注文お願いしまーす」

 場の空気を転換しようと俺はわざとらしく声を上げた。

 ウェイトレスが小走りで寄ってくる。俺はシセラと肉料理を注文した。

「今回我々は助けてもらったんだから、よしとしようじゃないか。それに飛竜の件を含め、悪人という感じはなさそうだしな」

 ラウラさんは黒い騎士にネガティブな印象を抱いては無さそうだったが、ナタリーさんはまだ腑に落ちていない表情をしていた。

「でもさ、わざわざ顔まで隠す必要ある? そこまでしなきゃならない理由って何よ」

「そういう装備。全身鎧なんてよくある」

 興味の無さそうなマルタさんは、素っ気なく言い放つ。

 そこへちょうど、俺の注文したシセラがやってきた。

「アキラは気にならない?」

「え、俺ですか? 確かに噂だけは聞いたことありますけど、なんとも……」

 まあ本人なんですけどね。ばれないように適当に話を合わせてしまえ。

「……」

 はぁ、シセラうめえ。

「マヤはどうだった? 一緒に迷宮を歩き回ったでしょ」

「いやぁ、悪い人ってことはないと思うんですよ、正体不明ってのが怪しいとは思いますけど……。まあ私の場合、最初から最後まで助けてもらった恩がありますので悪く言うことはしないッスよ」

「私も悪く言うつもりはないのよ。なんか引っかかるっていうか……」

 うー、と唸ってナタリーさんは腕を組んで考え込む。

「同じ冒険者ならまたいつか出会うこともあるだろう。何か気になるなら、その時に訊けばいいさ」

 宥めるようにラウラさん。

「なーんか、どこかで会ったことがあるというか、そんな気がするのよねぇ」

 心臓が跳ねる。なんだろう、ナタリーさんの勘は野生動物並みなのだろうか。あるいは魔物か……こんなこと口が裂けても言えない。ていうか言ったら口を裂かれそう。

「あ。でも私もそんな感じはしたッスよ」

 お前までそういうことを言うのか。そろそろ話が終息しかかってたというのに……。

「なんかこう、接し方が、他人ではあるんですよ、だけどずいぶん私たちになれている、ような……」

「皆さんベテランだからいろんな人に会うじゃないですか、それでどこかで面識があったんじゃないですかね」

「あー……」

 お? 納得するか?

「あ。でも記憶が無いって言ってた」

 そういえば言ったな……忘れてた。

「……あー、じゃあそれが原因じゃないですか? 記憶が無いからこそ、距離感があやふやとかで」

 これ正体ばれたら、ナタリーさんにボコボコにされそう。

「なるほど、アキラの言うことも一理あるな」

 ラウラさんのバックアップが付いた! これで勝てる。

「えぇい! 次会ったら冑引っぺがしてやる!」

 そんな宣言を叫び、ナタリーさんはジョッキを呷る。

 黒い騎士の何が、どう、ナタリーさんの心に触れたのだろうか。仮に正義の味方だとしても、それは万人に受け入れられるということはない。

 そのあり方に疑問や反発を抱くものも当然出てくるだろう。

「……なににせよ。俺は皆さんが無事に戻ってきてくれたことが嬉しいです」

 当事者だったが、まるで他人事のように零れ出たその呟きは、テーブルの空気を停滞させてしまった。

「アキラ……そうだな。無事に帰れた、それだけで十分だ」

「そういえば乾杯しないで酒の飲み始めたやつがいたよなぁ……」

「え。だってほらみんな黒騎士に夢中だったじゃないですか」

「そんな言い訳は通用しないっ! さあジョッキを持て! 高く掲げろ!」

 ナタリーさんは結構出来上がっている。いつも通りと言えばいつも通りとも言えるのだが、昼間の戦いの影響でまだ浮き足立っているのだろうか。

 すでに半分ほどに減っていたジョッキを掲げる。

「よーしみんな! 無事に迷宮を抜けられたことを祝して乾杯だぁ!」

 ジョッキが酌み交わされ、乾いた音が響いた。


  ※


 食事を終わらせた俺はラウラさんを担いで、ナタリーさん達の家まで歩かされていた。

 ……女性にこんな感想抱くのは失礼かと思うが、この人重い。自称するだけのことはあって、筋肉の重さと、装備した重鎧の重量が相まって、足腰にズンとくる。

「ラウラもアキラに介抱されたとあれば本望だろ」

 あのラウラさんがいつもよりお酒を多めに召しており、前後不覚に陥ったようだった。

「ところで皆さん一緒に生活してるんですか?」

「そうだよ。私らはこの街を拠点に動いているから、毎回宿を取る額と、家を買う額を比べてみたら3人でなら払いきれると思ってさ。摩耶も誘ってるんだけど、あいつはまだ宿屋が気に入ってるみたい」

 シェアハウスみたいなものか。

「んん……アキラぁ……そこは駄目だぁ……」

 重量級癒やし・エロ要員は寝言を漏らす。その内容もそこはかとなくエロスを感じさせる辺り、生粋の男殺しなのでは。

 姉がいたという身としては年上にそれほど魅力は感じていなかったし、むしろ忌避感すら覚えていたというのに、この人はなんか気になるんだよなぁ。

 やはり年の割にはどっしりと構えていて頼りがいがあるからだろうか。

「着いたよ。あそこだ」

 先導していたナタリーさんが指さした建物はそれなりの規模を有していた。やはり冒険者同士のシェアハウスということでこの大きさなのだろう。

 ところでナタリーさんのバックパックからは何か威圧感のある、先端の尖ったものが顔を覗かせていた。「ナタリーさん、その荷物なんですか?」

「ああ、これ? グレーターデーモンの角だよ」

 俺がブチ折ったやつか。

「このまま売ろうか、武器に加工してもらおうか考えてるんだよね。悪魔の角なら何かしら魔力を帯びているだろうし、役立つと思うんだ」

 魔道具みたいなものが出来上がりそうだ。

「さあ、入って」

 鍵を開けて開いた扉の向こうには、広いエントランスが、そして共有スペースのような、衝立にカバーされている場所があった。

「いい家ですねぇ」

「まあそれだけ高かったんだけどね。まだまだ冒険者は辞められないよ」

 住宅ローンというやつか。

「じゃ、私は部屋に戻って寝る。疲れた」

 一番後ろに着いてきていたマルタさん。スタスタと階段を上って、一室にあっというまに引っ込んでしまった。

「それじゃ、私ももう休むから。ラウラは頼むよ」

 え?

「部屋はそこだから」

 ペッ、と適当に指さす先に、「ラウラ」と書かれたドアプレートがかけられた扉があった。

「え、ちょっ……」

 こちらの発言を聞こうともせず、ナタリーさんは自室とおぼしき部屋に入っていってしまったのだった。

「えー……。えぇえぇ……」

 女性を負ぶうでもなく、抱き上げるでもなく、肩に乗せて担ぎ上げてるという、どうてみも犯罪チックなこの状況。

 いやいやいや、勝手に部屋入っていいの? うちの姉貴だったらそんなことしたらボコボコにされますよ、本当に。

 いや、でもナタリーさんから命令されたし? 何よりそこら辺の椅子に放置しておくには身体に良くないだろうし? 躊躇ってもしょうがないし?

「ラウラさん、部屋入りますよ」

「んー……」

 本人からも許可得たし。面倒だしもう入るからな!

 何よりもう重くてしんどいんだよ!

「失礼しまーす……」

 あっ。いい匂い……ラウラさんの匂いがする……。

 とりあえず、どうすればいいんだろう。

 ベッドに下ろして……。

「ラウラさん、ラウラさん」

 鎧を着けたまま寝たら身体に悪そうだ。

「……どうした、アキラぁ」

「お家着きましたから、寝る準備しましょう。ほら、鎧を脱いで」

「んー、このままでいい……」

 目も開けず、上体をフラフラさせて、手を離したらすぐに横になってしまいそうだ。

「いや良くないです。そのまま寝たら絶対痛いですよ、ほら」

 しょうがないので身体を支えるようにして促す。

「……ぅん」

 するとラウラさんはまず、上半身を覆った鎧の留め具を外し始めた。数カ所かを外し終えると、鎧が身体から離れ、酔い潰れているのに、それを落とすことなく慣れた手つきで取り扱う。

「……」

 鎧の下には黒いぴっちりとした、アンダーウェアを身につけていた。

「これは……むこうに……」

 鎧を俺に手渡してくる。ずしりと重みが両腕にかかる。これを着て動き回ってるのだから、そりゃもう筋肉は付くだろうな……。ダンベル代わりになりそうだ。

「……」

 ……これ内側の匂いを嗅いだら犯罪かな。

 犯罪だな。落ち着け俺。

 これは向こうって言ってたっけ……えーっと……あの首のない、木で出来たマネキンみたいなやつかな。

 運んで鎧を取り付ける。初めて扱うので、取り付けるのに少々手間取る。その間、後ろ、ラウラさんの方からは何かを取り外す様な音や、衣擦れの音がしていた。

 助かった。どうやら頭がはっきりしていないながらも鎧を脱ぐということは理解したようだ。

 俺もようやく鎧を着け終えて振り向くと、そこには下着姿のラウラさんがいた。

「……」

 危うく声が出るところだった。

 俺は息をのみ。ラウラさんに静かに近づいた。

「は、はーい、ラウラさん。そしたら寝ましょうね~」

「わかった……」

 ラウラさんの肌に触れないように横になるように促す。そして布団を掛けて、目の毒といっても過言ではないその肢体を俺の視線から隠した。

 ……流線型とでも言おうか。褒め言葉になるかはわからない。けれど、ラウラさんの身体はそこまで鍛えられ、洗練されているように思えた。女性としても戦士としても美しい肢体。

「……」

 あのまま見続けていたら俺は間違いなく過ちを犯していただろう。

 脱ぎ捨てられていた残りの部分もマネキンに取り付けて、俺は安堵の息と共に静かに部屋を後にした。

「……」

 この家には俺を含めて4人も人がいるというのに、静かだ。

 それはさておき。鍵はどうすればいいのだろうか。

 ナタリーさんに声をかけてみようか。彼女がさっき入っていった扉をノックする。

「……」

 反応がない。扉に耳をあててみる。

 うん、この扉ちゃんとしてるな。それなりの防音効果はある。気配、というか物音はしてるので、中にいるようではあるが……。

 もう一度ノック。

 駄目だ。もう寝てしまったようだ。

 そうなると残るはマルタさんだ。声をかけてみよう。

 確か階段を上っていったから、部屋は2階にあるはず。

 階段を上がって見回すと、無記名のドアプレートが駆けてある扉を見つけた。たぶんあそこだ。無記名という辺りが実にマルタさんらしく思えたのだ。

「……」

 ノックをしたが、やっぱり反応はない。

 この家の住人、寝付きいいなおい!

 俺ももう正直眠くてしょうがないから、とっとと宿に行きたい。

 しかし誰かしら住人が起きていなければ、俺が帰った後、玄関の鍵をかける人物が……いない。

 この際、3人の腕前を信じて、帰ってしまおうか。いやでも何かあったら胸くそ悪くなるだろうことは必定である。

 悩んだ末に、俺は共有スペースとおぼしき、ソファが置かれた場所に向かった。

 床に荷物を置く。

 次に玄関に向かい、施錠されていることを確認して戻る。

 そして一番大きいソファに寝転んで、目を閉じた。



「おい」

 鋭い痛みで目が覚めた。

 右頬が痛い。

 目の前にはナタリーさんがいて、目を据わらせて俺の顔を覗き込んでいた。

「はい」

「なにやってんだ、こんなところで」

「いえ、鍵とかどうしたらいいのかと思って」

「そうじゃない。そうじゃないんだよ……」

 やれやれ、という顔で俺の腹の上に座ってしまった。「お、おm」

「それ以上言ったら殺す」

「オムライスって知ってますか?」

 とりあえず今は何時なんだろう。夜は明けたのか?「朝ですか?」

「朝だよ。で? ラウラはどうした?」

「へ? あのあと部屋まで運んで寝かしつけましたよ」

「はあ……ヘタレ」

 そんな可哀想なものを見るような目で見つめないで欲しい。

 ナタリーさんは、普段見ることの無いラフな格好で俺の腹に座り込んでいる。こういう仕打ちはよく、元の世界であったから、どこか既視感を覚えるのであった。

 と、そこへ……

「おはよう、ナタリー」

 件の、恐らく俺とナタリーさんの会話の主軸と思われるラウラさんが、昨日の寝かしつけたままの姿で現れた。

「お前、あれを目の前にして何もしなかったのか」

「ボ、ボクは紳士ですからね!」

「何を言って……」

 バジッとラウラさんと視線が重なった。そして、首、肩、胸、腹部、腰、太もも、下へ下へと順番に視線が動いてしまった。

 もうほんと。

 朝からありがとうございます。

「ななななななんでアキラがここにぃ!?」

 俺の視線から逃れるように彼女は身を翻した。

 あー、可愛い。

「昨日酔い潰れたあんたを介抱、だ・け、してくれたんだよ」

 その「だけ」にアクセント強めなのはなんなんですか。

「へ……えええいいいあああ!?」

 もらい泣きしそうな、悲鳴に近い声を上げて、ラウラさんは駆け出した。そしてバタンという扉が勢いよく閉まる音が聞こえた。

「アキラ、お前がちゃんとしないからだぞ?」

「その理屈はおかしい」

 ナタリーさんはようやく退いてくれた。

「でも本当に何でこんなところで寝てるんだよ」

「玄関の鍵、どうしたらいいのかわからなくて。俺が出たあとにかけてもらおうと思って、ナタリーさんとマルタさんに声かけたんですけど、もう2人とも寝てたみたいで、帰るに帰れなかったんです」

「鍵? そういうことね。ここ、オートロックよ」

「……そういうの先に教えて下さい」

「いや、だってラウラのところに泊まると思ったから言わなくていいかなって」

 そう言うとナタリーさんは俺の腹の上から退いた。

「あなたはご友人をどうしたいんですか」

「友人の恋の手助けをしたいんだよ」

 ……ああ、女というのはどの世界でも同じなのだろうか。どうして他人の恋路に口を出したがる。

 俺は身体を起こした。

「さてと、じゃあ俺は帰ります、お邪魔しました」

「んー。ちゃんとラウラに声をかけてから帰れよー」

 背中を向けたナタリーさんはそのまま声をかけてくる。その背中を見てなぜか、タバコが似合いそうだなとか思った。

 俺は荷物を引き上げると肩にかけ、

「ラウラさん、俺、帰ります」

 扉をノックして声をかけた。

「あ、ああ! またあとでな!」

 声裏返えってますよ、ラウラさん。あと……さっきの光景はしばらく忘れません、ありがとうございます。


 ありがとうございます。


「大丈夫か? アキラ……」

 ラウラさんの部屋に向かって合掌する姿を見られた。





 ナタリーさん達の家をあとにした俺は、ギルドの食事処で一息ついていた。

 なにせソファで寝たとあって、ちょっと身体が強ばっている。

 そのため朝一から褒められたものでもないが、世界観柄そういうところは咎めるものもないので、シセラを一杯注文した。アルコールで身体がほぐれるかはわからないが、朝から刺激的な場面を目に出来たこの高揚感を持続させたい思いもあった。

 あの人をモデルにして絵画の一枚や二枚はわけもなさそうだ。肉体美。……ありがとうございます。年頃の男児としてはとても眼福で素晴らしいものでした。

 とそんなことを本人に伝えたら、顔を真っ赤にする光景が目に浮かぶ。それはそれで可愛らしいのが、あの人のずるいところだ。

 大人の包容力、そして少女のような純粋さ。

 騎士職なのに守って上げたくなるような人なのだ。 ただし本当にそんな場面に出くわしたら、変身していない俺なぞ、ただ守られるだけだろう。それがもどかしい。騎士職をやっている相手に庇護欲をかき立てられるのは何故だろう。

 ナタリーさんにからかわれて、本当に恋心が芽生えたのだろうか……。

「あー、倉田さん。おはようございます」

「摩耶、おはよう」

「昨日あの後どうでした?」

「みんなに着いていって、ラウラさんを寝かしつけた」

「……なんかエロい言い回しですね」

「どこが」

 ちょうどその時、俺のシセラがやってきた。一人なので気兼ねなく飲める。

「倉田さんまさか」

「こういう日もあるさ。朝から一杯引っかけたくなる日もな……」

 ハードボイルドを気取ってみる。

「私にはあんなことを言っておいて、自分は何食わぬ顔で朝から酒ですか!」

「だからいろいろあったんだって! ちょっと気分転換だよ!」

「死ねばいいのに……」

「そんなに!?」

 あと、声を張れ! 怖いわ!

「そんなに言うなら摩耶も飲めばいい」

「え? いいんですか?」

「このあと何があっても自己責任だから、それだけは忘れるなよ」

「って、飲むわけないッス。酔ってると魔術を命中させるのに影響が出ますし」

 魔術というのは繊細な技術なようだ。

「私はエイムには自信がありますからね……。対人戦で鍛えたこの腕、見せてやりますよ」

 右手を構えてみせる摩耶。

「大丈夫大丈夫。摩耶の魔術の腕はスライムのときに見せてもらった。信用してるよ」

 パチン、と音がした。

 するとジョッキの中身が泡立ち、蒸発し始めていた。

「な……!?」

「やっぱり朝からはノーですよ」

 ジョッキが一気に軽くなった。一体どんな魔術なんだ。

「はぁ、もうわかったよ……」

「私らの年でアルコールに頼るなんて、ちょっと荒みすぎッスからね」

「いや、どっちかというと、いいことがあったからというか」

「良かろうが悪かろうが、いかんのですよ、朝からなんて」

「わーったよ」

 俺は諦めてジョッキを置いた。

 すると摩耶はまた指を鳴らし、

「朝は清涼な水がいいですよ」

 ジョッキを水で満たしてくれた。

「……魔術で出した水って飲んで平気なの?」

「私は大丈夫でしたけど……」

「ほーん……」

 一口飲んでみた。

「あ! 軟水! しかもちゃんと冷えてる!」

「ふふふふ。温度調節もお手の物ッス」

「しかしこんな無駄撃ちしちゃって大丈夫か? MPとか」

「それなんですけどね、最近は……転生した直後に比べて、長持ちするようになったんですよ。まあ使える魔術が増えないのは残念ですけど」

 今使える分で十分だと思う。

「ステータスがちゃんと成長してるってことだな」

「そういうことなんですかねぇ」

「そうだよ。俺だってちょっと腕に筋肉ついた気がするし。これってステータスアップだろ? 伊達に剣を使ってるわけじゃないんだぞ」

「倉田さんもいつかあの黒騎士さんみたいになれればいいッスね」

「そうだなぁ」

 飛竜を昏倒させたり、グレーターデーモンをぶっ飛ばしたり出来るのは人間を辞めてないと無理だ。というかその手段が転生特典の能力だろう。

 いや、でもこの世界には生身でそれが出来る人もいそうだしなぁ。こっちの世界と元の世界とで、人の造りが違う気がする。無論、こっちの世界の人の方がたくましく感じる。やはり命の危機が身近にあると、それに対する気概が違うんだろう。

 まだこのスクンサスという街においては、平和といえる治安を維持しているだろう。ときおり勘違いしたチンピラが出現する程度だと思う。あと、飛竜も時々。

 ……飛竜がたまに来るんじゃ平和とは言えねえ。

 思い返せば宿屋から出たら飛竜いたことあったし、殺されかけたの忘れてた。

「マヤ、おはよ」

 とりとめのない話をしていると、快活な声が響いた。「あ。おはようございます、ナタリーさん」

「おは」

「マルタさんもおはようございます」

「あれ? ラウラさんはどうしたんですか?」

「ああ。あそこ」

 ナタリーさんが、ピッと切れよく指さすとえらく離れた場所に腰掛けているラウラさんがいた。

「いやぁ、それがさ、今朝の話なんだけど。家に不審者が出たんだよね」

「ちょっとぉ!? それもしかして俺のことじゃないでしょうね!」

「おや。そこに見えるは今朝の変質者。ラウラの裸はどうだった?」

「裸じゃないでしょ! 下着ですよ!」

 俺は必死に、反射的に反駁してしまった。

「倉田さん、マジですか」

 そんな汚物を見るような目で!

「ちっがうわ! あれは事故だってば! ね! ラウラさん、そうですよね!」

 そのラウラさんは顔を隠して、まるで子供がいやいやをするように、首をがむしゃらに横にふる。

「はい、倉田さんギルティ」

「ラウラさーん!? ラウラさーん!」

 指ばっちんの構えで白い目を向ける同国の友。……しかしあれは友に向ける目ではない!

「ナタリーさん早く! 早くほら訂正を!」

「あー、そういえば、裸は裸でも半裸だったかな?」

「トドメ!?」

「倉田さん、短い付き合いでしたけど、忘れませんよ」

「指を鳴らせるな――ッ!」

「いいや! 限界だ! 今だっ!」

 パチーン――……!

「あっつ! あっつい! 本当にやるやつがあるか!」

 小さい火が俺の右手の甲を焼く。

「私の仲間であるラウラさんの裸を見た報いを受けるべし」

 それまで頭を抱えていたラウラさんが吼えた。

「お、お前らああああ! 私が露出狂みたいな会話はやめろぉぉぉお!」

 まるでイノシシのように猛進してきたラウラさんは俺たちの会話に割って入る。

「何言ってんの。あのくらい、普段と変わらないじゃん」

「確かに。あれを見てもアキラは同じ反応をしたと思う」

 シェアメンバーからの怒濤の責め。

「ぅおおおおおい! あれは、店の者が勧めてきてだな!」

「スケスケじゃんか」

 スケスケ!? 何それすごい気になる……!

「デザインが可愛かったからぁ……!」

 あー。可愛い。泣きそうなくらい顔を真っ赤にしてるラウラさんめっちゃ可愛い。

「今度見学しに行ってもいいですか?」

「はいギルティ」

「あっつ!?」

「魔術使うときはなんか言って! 前もって言ってくれないとすごいびっくりするから!」

「もう冷静でいられないラウラさんに代わって、私が成敗しますよ、倉田さん」

 ひどい話だよ! ほとんどが不可抗力なのに!

 それに冷静でいられなくしたのはあんたたちだよ!「摩耶後ろを見ろ! 元凶が腹を抱えて笑ってるぞ!」

 他人事も他人事、もはや己は全く無関係かのように状況を楽しむナタリーさん。

 何故、朝からこんなに疲れないといけないんですか?

 パチン!

「あっつい!?」

 なんで!?


  ※


 一騒ぎが収まったころ、俺は依頼掲示板の前にいた。

 ラウラさん達のパーティの捜索クエストは剥がされて、いつもの穏やかな掲示板に戻っていた。

 しかしダンジョンの中と外とで時間の流れが違うという現象、どう考えてもチート能力っぽいよなぁ。

 魔法の中には時間を操作する効果のあるものもあるらしいが、だが魔法の実現度を考えると実に効率の悪いことだという。ましてや対象を指定して時間の流れをいじくるなどと……というのがエレーヌさんから説明された。しかし中には若返りの効果を求めて、生涯を研究に費やす魔術師は少なくないという。

 魔法と魔術、複雑な世界だ。

 さて、依頼掲示板の隅に気になる依頼を見つけた。


『古代遺跡の内部調査』


 おお……なんだかロマンを燻られる。しかしなんでこんな隅っこに追いやられてるんだろ?

 依頼書をしっかり見てみると……拘束期間が長い。そしてその割に報酬は普通だった。期間で割ると安いくらいだ。だが期間中は3食食事付きの、寝る場所まで用意されると書かれている。

(期間が長くて、日割りにすると報酬が安い……こりゃたしかにこんな隅っこに追いやられるわ)

 この依頼の拘束期間中にこなせる依頼を考えたら、何かもっと美味しい条件がないと、受理はされないだろう。

「……」

 受理されない場合、やはり専門家達だけで現場に赴くことになるのだろうか。それは危険では?

 現場がどんな場所かわからないが、荒事を引き受ける誰かがいないのに、危険な状況になったら……。

 いや、理屈じゃないんだ。ロマンが待ってる。古代遺跡というロマンがな!

 俺は依頼書を剥がすと舐めるように目を通した。

「なぁに、それ請けるの?」

 にゅっ、と顔を覗かせたのはナタリーさんだった。「いやなんか面白そうだなって」

「この辺はエルフがいるから、遺跡調査ってあんまり意味ないんだよねぇ」

 そうか。長命種のエルフがいれば、遺跡などの来歴を調べるのはそう難しくないはず。極論、自分で調べるより、知っているエルフを探す方が楽だろう。残された手がかりから己で推測するより、さもあらん信憑性も信頼性も高くあろう。何せ歴史を目にしてきた生き字引そのものなのだから。

「あと、それ。最低5人からって書いてあるよ」

 ナタリーさんが注意書きを人差し指でなぞってみせる。

「あー……」

「残念だったね」

「あ、でも、ナタリーさん達が参加してくれれば」

「その報酬、一人当たりの額じゃないのはわかってるよね」

「やっぱり安いですか」

「遺跡にお宝でもあって、それをこっちに回してくれるってんなら、まだ希望はあるけど。そんなことしたら発掘する意味ないね。こういうのは学者が依頼を出すわけだから、ね?」

「ぬーん。そうかぁ」

「助けてやりたいって気持ちもわからなく無いけど。でも安心しな。この街にはこういう依頼を率先して請けてくれる奴らがいるから」

「え? そうなんですか? それならそれで……いいかな」

 俺は依頼書を元の場所に戻した。

「歴史オタクみたいな奴らだけでパーティを作っててさ、もうお前らが学者にでもなれよって連中」

 残念だが人を集めなければならないとなれば、すぐには難しい。ナタリーさんの言い方では、彼女たちのパーティに協力を仰ぐのも難しそうだ。

 この世界の遺跡というものにいささかの興味があった。そして白状すると、半分は観光気分で請け負おうと考えていた。俺は半ば諦めて、別の依頼を請けることにした。

 そして翌日、遺跡探索の依頼はまだ貼り出されていた。位置は変わっていない。

 そしてさらに翌日、まだある。依頼書の場所は変わっていない。例の専門冒険者はどうしたのだろうか。 そして翌々日のこと。依頼書が掲示板の中央に移されていた。

 手に取ってみると、募集要項の人数の欄が訂正されており「1名からでも可、5名以上なら尚可」と、書き直されていた。

「……」

 これは……受理されないから条件が甘くなったということなのか? しかし5人以上を募集していたにもかかわらず、1名でも、というのは逆に不安になってしまう。それだけ切羽詰まっているのか、果たして……条件の緩和と考えてまうのは、俺がソロ活を専門にしているからだと思う。

 遺跡には興味がある。

 こうしていざとなったら尻込みしてしまうのが俺の悪い癖だ。良い言い方をすれば、危機察知能力が高いとも。

 よし、請けよう。好奇心には勝てない。

 俺は募集用紙を剥がすと、受付へ持って行った。

 受付は滞りなく進み、俺は依頼書に書かれた地図を頼りに現場へと向かった。近づくにつれ、それらしい建造物やオブジェみたいなものが散見され、雰囲気が漂ってくる。

 これはもう遺跡に足を踏み入れているのだろうか。

 地図によればこの辺り。

 素人目には街か、人が集まるような場所の遺跡に見える。元の世界で見たことだけはあるポンペイ遺跡のような様相。壁のようなものが残っていて、それが四角形にこしらえてある。

 壁のようなものと言ったのは、この世界の人の体格から考えると、その建造物らしきものはずいぶんと低かったからだ。大体のところで言えば、俺がこれまで出会ってきた人たちの、平均的な腰の位置より低く見える。

 既にもう観光気分でいたのだが、少し行くと、テントのようなものが数張り建てられていた。そこでは幾人かの人が、忙しそうに出入りしている。

 俺はちょうど出てきた、

「スクンサスのギルドから依頼を請けて来たんですが」 と適当な人に声をかけてみた。

 するとその人は、これまた人が集まっている遺跡のような場所へ向けて、「先生ー! 先生!」と大声で叫んだ。

 その後少しして、初老の男性が顔を出して、驚いた表情でこちらへやってきた。

「いやぁ、意外だなぁ。いつもの人たちが別件で動けないっていうから、今回はもしかしたらって思ってたんだけど、まさかこんな若い子が来てくれるなんて」

 考古学者、となるのだろうか。まるで映画に出てくるようなその格好と装備の男性は、帽子をとりながらそう言った。この発掘現場の責任者とのこと。

 それから一番大きなテントに案内されて、仕事の内容を説明された。

 何より一番は、脅威の排除。

 こういった住居跡のような遺跡には、よくモンスターが棲み着いてしまうらしいということで、そういったものを退治すること。

 次に罠の解除とのことだが、これはものによっては、それそのものが歴史的価値を持つ可能性があるので考古学者のチームがほぼ受け持つという。俺が解除することになる場面は、自身が罠に遭遇したときだけでいいそうな。けれども俺はそういう技能は持っていないので、罠がないことを祈るばかりである。

 とはいえ、既に発掘作業が開始されて数日が経過しており、モンスターの気配も今のところ無く、順調に事を進めているという。

 今回発掘が進められている現場は、どうやら神殿のような、儀式を執り行う建造物らしく、聞いたところによると珍しいことだが、地下へ向かって作られているという。途中、棺桶のようなものが発見され、墓地としての役割も持っている可能性も出てきているらしい。「棺桶のようなもの」と言ったのは、それは人の入る棺桶と比べると小さく、だが、装飾や材質、遺跡の歴史から見ると極めて棺桶に近い存在であるらしい。そして、なぜはっきりと棺桶と断定されていないのは、まだ開けられていないからである。何も処理しないまま蓋を開け外気に曝してしまうと、中のものが急激に痛んでしまう。これは元の世界でも耳にしたことがある気がした。

 何はともあれ、俺の出番はしばらく来そうにないので待機が命ぜられた。

「どうだい。見学してみるかい?」

 そうして嬉しい提案も。

 俺は二つ返事でそれを受け入れた。

 出された条件は簡単なことで、発掘物に勝手に手を触れないこと。

「それでは案内しようか」

「よろしくお願いします」

 男性は特に何の準備もなくテントを出る。俺はその後に続いた。

 この責任者の男性の言うところには、今回のような遺構は珍しくもないが、他の場所と比べると規模が大きいという。

「もうすぐ最下層まで到達しそうなんだ」

「こういう場所って宝物とかありそうですけど、そういうものは出土しないんですか?」

「ははは。君は本が好きなのかな? 物語であればそういうものも見つかるかもしれないけれど、今回のお宝と呼べるのは、さっき説明したとおり、今のところは例の棺桶のような箱がそうさ」

 物語のようにはいかないようだ。地下に続くとあらば正にダンジョンといえるものだが、各階にお宝が配置されたり、とはいかないみたいだ。

「不思議なことにね、日の出と日の入りの時間になると、入り口から風が吹いてくるんだ」

 つまりどこかと繋がっている、かもしれないと。

 案内された遺跡はやはり周囲の遺構と同じく、天井が低くなるような設計らしい。這うようにして内部に侵入した。

「ここはね、竜人族の遺跡と考えてるんだ。この低い天井は竜人族の遺構の特徴の一つで――」

 その竜人族は這うようにして歩いていたという。

「竜人族はもう絶滅してしまったけれどね、とても珍しい種族だったんだ。あのエルフですら竜人族と遭遇したことがないくらいに。まあ今と違って、昔のエルフはとても排他的だったから、他の種族になんか興味も無かったろうがね」

 時は人を変える。代を重ねたエルフは、排他的な面を弱めていったのだろう。

 匍匐前進とまでは言わないが、四つん這いで進みながら男性は説明してくれる。

 こうしてると案内付きの遺跡観光のような気分である。しかも案内は専門家中の専門家だ。

 この遺跡の構造から察するに竜人族というのは四足歩行の種族だったのではと推測できる。もし二足歩行だとすると、二頭身くらいの可愛らしい種族ということになるが……それはないだろう。

 そこかしこに意匠の違う明かりが灯っているのは、発掘隊が設置したものだろう。そのおかげで俺たちは、ほぼ手ぶらで遺跡の中を進んで行けている。ときおり隊員を見つけることが出来た。

 壁や柱の彫刻はとても細かく、目を見張るものがある。惜しいことに、設置された明かりでは微細なところまで見きれない。あくまでも発掘作業の助けになれば、と言う程度の明かり。

 不都合だったのは階段で、妙に傾斜が着いて、天井は低いままだったので降りづらいったらなかった。

 やがて似たような階層をいくつか降りていくと、空気が冷めていくような感覚を覚えた。そうして辿り着いたのが、例の棺桶の並んだ階層だった。

 ここには発掘隊の隊員はいないようで、ただ薄暗い明かりの中に並ぶ似たような箱の列に対して、やや薄気味悪い心持ちになった。この箱が棺桶なら、同じ数だけ死体が並べられていることになる。薄暗さの中で目をこらしてみると確かに箱にも、壁や柱のものに似た彫り物がされているが、一目見て、箱のそれは他の彫刻と違う意味を持つものだと感覚的にわかる気がした。

 トラブル無く順調に案内は続く。

「さあ、ここが最後だよ」

 辿り着いたのはこれまでで一番明かりの強い場所だった。

 この天井の低い中に、話し声の中にノミの音が響いたりして、10名ほどの隊員を確認できた。

 説明によると、ここが最下層になるらしく、これまでの階層で下り階段のあった場所は、扉のようなもので塞がれていた。

「ここで終わりですか?」

「ああ。発掘が進んでるのはここまでさ」

「あの扉の向こうは?」

「ああ、あれは何か仕掛けがあるみたいでね。まだ開け方がわからないんだよ」

 もしくは扉ではないのかもしれない、と続けた。

 しかしそうなると、日の出と日の入りの時に入り口から拭きだしてくる風の出所はどこだというのか。

 そもそも地下から風が吹いてくるものなのか?

「さあ、それじゃそろそろ戻ろうか」

 良かった。ちょっと腰が痛くなってきたところだった。

「ところで空気はどこから入ってきてるんですか?」

「ああ、それは……」

 男性は何故か言いよどむ。

「空気孔がどうなってるのかわからないんだ」

 俺は言葉が出なかった。

 恐ろしいことに、この地下という場所において、酸素の供給源がわからないという。そんな場所で作業することにこの人達は、危機感はないのだろうか。

 俺は来たときとは違う重い気分で男の後に続いたのだった。

 そうして1日目は過ぎていき、似たようにその後も結局何もないまま依頼期間は終了した。

 残念なことに、俺がいる間に発掘作業が終わることはなく、あの扉が開くところは見られなかった。残念でもあり、ホッとしたところもある。神殿であり墓地でもある地下迷宮の最奥、そこに何が隠されているのか。

 そしてあの、背筋のゾッとする、日の出と日の入りの時に吹く、入り口からの風。不思議な現象だからと軽い気持ちで観察しに行くんじゃなかった。

「それじゃあ君、来てくれてありがとう。さあ、依頼書にサインしよう」

 俺はバックパックに入れておいた依頼書を取り出して手渡した。

 男性は慣れた手つきで依頼書を扱うと、サラサラとサインを書いて、すぐに返してくれた。

「ありがとうございます、それでは俺はこれで失礼します」

 男性は手を振って、俺はそれに軽い会釈を返してテントをあとにした。

 遠くにあの遺跡が見える。

 あの扉の前ではまだ発掘作業が続いているのだろう。

 果たして、扉の向こうにあるのは一体何なのか。

 果たして、扉は開かれて良いものなのか。

 俺にはわからない。


  ※


 これだけの期間、街を離れるのは初めてだった。

 人のいる匂い。生活の気配。

 死んでしまった街とは違う空気を、俺は久しぶりに感じた。

 遺跡の荒涼とした匂いも悪くない。それは病院にも似た香り。俺がこの世界に来る間際、最後に嗅いだ香りと似ていたからだ。

「……」

 深呼吸一つで思考を切り替える。

 俺はギルドへと足を向けた。

 なんとなく構えてしまったけど、おいしい依頼だったじゃないか。ほとんど遺跡の見学で、食事は用意されるし、命の危険も無い。

 墓地とか棺桶とか、不穏なワードに心を引っ張られていただけに決まっている。この街に戻ればまたいつもの賑やかな日々だ。

 ギルドの扉を開けると、いつもの賑わいがあった。発掘現場という特殊な環境にしばらくいたせいか、うるさくも感じるが、いっそ懐かしさすら感じる。

「おー、少年。ひさしぶりー」

 食事処からわざわざヘルミーネさんが声をかけてくれる。

 俺は挨拶を返して、まずはギルドの窓口に向かった。依頼終了の手続きをしなければいけない。

 用紙を取り出して、受付に渡す。

 完了手続きは滞りなく進み、俺は報酬を受け取り、食事処へと向かった。

 空いてる席を見つけて腰掛ける。

「久しぶりに一杯やっとくかー、少年」

「そうですね。いつものお願いします!」

「オッケー。あ、それとー。あそこのお姉さん達が心配してたよー」

 ヘルミーネさんが指さした先には、ラウラさん達のパーティが揃っていた。

 ナタリーさんがジェスチャーで「こっちに来い」と呼んでいる。俺は大人しく従って、彼女たちのテーブルに移動した。

「ちょ、待て! なんで……!」

 変な気を遣わなくていいのに、ラウラさんの隣の席が自動的に空席になった。

 俺は黙ってそこに腰掛ける。

 酔ったラウラさんは乙女チックで大変可愛いのだ。「アキラ、ここしばらく見なかったけど、どんな大仕事やってたんだよ」

「あれですよ。ナタリーさんが教えてくれた、遺跡調査のやつで」

「え? あれ行けたの? なんで?」

「途中で人数変更かかってて、それで行ってきました」

「へぇ。お宝なにか出た?」

「いえ、何も。まだ発掘の途中でしたよ、たしか竜人族の遺跡かもしれないって」

「あー」

 ナタリーさん、ラウラさん、マルタさんが頷く。摩耶だけが、その聞き慣れない単語に首をかしげていた。「なんかめっちゃ強そうな種族ッスね」

「でもなんか絶滅しちゃったみたいだよ」

「マジですか。かっこいい名前なのにもったいないッスね」

「俺も名前が仰々しいからどんな種族かと思ったら、なんか爬虫類っぽいね。四足歩行だったみたいよ」

「はー……いろんな種族がいるんですねぇ」

 感心したように摩耶が頷いた。

「ちなみに今残ってる種族は、人間、エルフ、ダークエルフ、ドワーフ、ハーフエルフかな?」

 ナタリーさんが指折り数える。

「ちなみに私はダークエルフ」

 横髪を持ち上げながら、尖った耳を見せるマルタさん。もしやと思っていたけど、やっぱりそうだったのか。体付きもこう、なんていうかその……エッチだ。

 性格なのか種族特性なのか、露出が多めなのはどういう理由なのだろう、か。

 もしかしてエロ要員はラウラさんじゃなくて、マルタさんだったのか? 俺はとんでもない思い違いをして……。

 いや、やっぱりラウラさんだな。こうして服の上からでもわかるナイスバディ!

「あれ? そういえば皆さん今日は私服ですね」

「うん? 私らは今日は休みだよ」

「ああ、そうなんですか。てっきり仕事あがりかと思ってました。そう考えると仲いいですね、このパーティ」

「まあ、命を預けるわけだからね。自然とそうなってくよ。

 それよりラウラ。アキラが来てから一言も喋ってないけど」

「へぁ!? そそそそんなことはないぞ!」

「ラウラさん、顔が真っ赤ですよ」

「よっ、酔ったのだ! 決してアキラがいるからでは……」

「私らはアキラのことなんて言ってないけどね」

「なぁ……!?」

 あーーーー可愛い。そう思っても口には出さない。迂闊な発言は身を滅ぼすのはわかっている。だって目の前で繰り広げられているから。

「べ、べべべべつに、アキラのことを好いてるわけでは……」

 ちらちらとこちらの様子を窺いながら、喋るラウラさん。

「そっかぁ。残念だったな、アキラ。ラウラは別に気になる男がいるってさ」

「ちちちちちちがっ!」

 全く悪い人たちだ。年長者をからかって面白がっているんだから。

「お待たー。少年のやつだよー」

 コトン、と目の前にシセラがなみなみと注がれたジョッキが置かれる。

「お。じゃあアキラの仕事が無事に終わったことにカンパーイ!」

 ガコン、とジョッキが奏でる音も久しぶりだ。ちょっと零れた。

 一口飲んで、久しぶりのシセラを味わう。

 発掘現場で飲ませてもらったお酒と比べると、やっぱりシセラの飲みやすさは段違いだ。リンゴジュースもどきと呼称できるだけのことはある。

「アキラ、いいか!? 他に好きな男なんていないからな!?」

「……今のはもう実質告白してるのでは」

 摩耶の呟きは俺の耳にだけ届いたようだ。……聞こえないふりをしておいた。

「それでアキラ、遺跡観光の感想は?」

「ほとんどテントで時間を過ごしてましたけど、遺跡っていうのを初めて目にしたんで、ちょっと感動しましたね」

「そりゃラッキーだったね。私の時なんて、思い返すと今生きてるのが信じられないくらいのヒドさだったよ」

「ああ、あの時の……」

 隣のラウラさんが遠い目をしている。

「あの頃はまだ駆け出しだったから何も知らなくて、私とラウラと、他の駆け出し連中と即席のパーティを作って依頼を請けたんだ」

「それは私が入る前?」

「そう。マルタに会う何年か前。

 その遺跡ってのが、どうやら偉い人の宝物だったみたいで、そりゃもう罠だらけなわけよ」

「そこも竜人族関係ですか?」

「いいや、ドワーフの遺跡。あいつら手先が器用だろ? だから罠の精度が高いのなんのって……」

「駆け出しの頃のナタリーさんって……想像できませんね」

 ナタリーさんは今も昔もこのままナタリーさんというイメージがある。

「あのとき一緒だった奴らはもう……」

 えっ、ここから重くなるんですか?

「所帯持って引退しちゃってるからなぁ」

 なんだよもう!

「アキラもまた遺跡調査だの発掘だのって依頼を請けるなら、ドワーフの遺跡だけは気をつけなよ。あいつら殺意はないけど技術があるから、それを見せつけるように罠を仕掛けてくるからね」

「いや、まったくその通りだ……」

 ラウラさんも忌々しげに呟く。こんな表情もするのか。なんだか新鮮だった。

 こうしてラウラさんの隣で会話して酒を飲み、みんなの話で一喜一憂する、これも久しぶりのことだ。

「アキラがラウラに見蕩れてる」

 マルタさんの指摘で、俺も初めて気付いた。不躾に、眺めるように、いやもう、舐めるようにラウラさんの横顔に目が吸い付いていた。

 ラウラさんはそれに気付いていたようで、こちらをチラチラ窺っていて変だなぁなんて考えていたが、俺が原因か。あまりにもチラチラ見られるものだから、ちょっとドギマギしていた。俺が原因か……。

「いいんだよ、マルタ。ラウラはそれで幸せなんだ」

「ナタリー、変な言い方はやめろ……それではまるで私は見られることが好きみたいな言い方じゃないか」

 染まった頬の紅は、酒酔いによるものか、照れによるものか。あー可愛い。

 シセラを呷る。

 爽やかなリンゴの風味と炭酸が口の中に広がる心地よさ。

 俺はそのまま一気に一杯目を飲み干すと、続いて二杯目を注文した。

「倉田さん、今一気しましたけど大丈夫ッスか」

「いや、なんかこうして騒ぎながら飲むの、何日かぶりだから楽しくなっちゃって」

「気をつけてくださいよ」

 人にはそういうくせに摩耶の飲むペースもなかなかのものだ。ただし前提として、俺は恐らくそれほどアルコールに強い体質ではなく、対して摩耶は強いと思われる。

 案の定俺は酔ってしまった。

「あの……アキラ……すこし近い気がするんだ」

「そんなことないですよ」

 そんな俺たちの様子に、ナタリーさんが腹を抱えて笑っている。

「いや、ラウラ。これはチャンスだぞ。今度はアキラを酔わせて着替えさせてやれ」

「おま、それは犯罪ではないのか!?」

「それが成立するなら、アキラは以前ラウラを脱がせたから犯罪者だな」

「……すると、なんら問題は無いと?」

「そうさ」

「あのすいません。本人目の前にして怖い話するの止めて貰えますかね」

「アキラー、おまえが酔ってラウラにちょっかいかけてるのが原因だろ」

「失礼ですね。ちょっかいなんてかけてませんよ。ちょっとこう、触れない程度に近づいているだけです」

 身体の距離は、手の指で2本分の隙間。

「ラウラさんどうして逃げるんですか」

「にっ、逃げてなんてないっ!」

「じゃあなんでそんな椅子の端っこに座ってるんですか」

 これ以上近づくとラウラさんは、椅子から転げ落ちるか、逃げ出すかするだろう。俺はその微妙なラインを見極めながら、ラウラさんにちょっかいをかける。「倉田さんもう完全に酔っ払いじゃないッスか」

 摩耶はなんだか懐かしいものでも見るような目を向けてくる。

「いや、酔ってないよ。そうですよね、ラウラさん」

 指2本分はもう、触れあってると言っても過言ではない。そんな距離で視線を合わせれば必然と至近距離になるわけで。

「おいアキラ。ラウラばっかり褒めてないで、私たちも褒めてみて」

 ナタリーさんはそういうことを言って俺を困らせる気ですね。

「ナタリーさんは頼れる姉貴分って感じですね。いざというときの決断力が素晴らしい」

「お、おお……普通に褒めるなよ」

 ちょっと真面目すぎたか。ナタリーさんはどう反応していいか迷ってる様子だ。

「マルタさんは……なんていうか冷静でクールビューティー感が格好いいですね」

「アキラ、わかってる。もっと褒めていいよ」

 表情は変わらないけれど、マルタさんは気分を悪くしてはいないようだ。

「摩耶はね、なんていうか妹っぽい。保護欲をそそられる。守ってあげたくなる。さすが本物の妹なだけある」

「あれ? 今の褒められました? 私」

 喋りすぎて口が渇いたので、シセラを呷る。

「それでラウラさんは、さすがパーティのリーダーを務めているだけあって、頼りがいのある、優しいお姉さんですね。いざとなったらみんなを守れる力……いや筋肉が素敵です」

「……! ……!」

 ラウラさんは両手で顔を隠したので、どんな表情なのかわからないが、耳まで赤く染まってるのがわかる。

「こいつ普通に褒めてるぞ。もっと余計なこと言って口を滑らせると思ったのに」

 なんてあくどいことを考えているんだナタリーさんは。俺をなんだと思ってるんだ。

 シセラを一口。

「ア、アキラ! お前もう飲み過ぎだぞ……!」

 恥ずかしさに打ち勝ち、冷静さを少し取り戻したラウラさんに、俺のジョッキを取り上げられてしまう。

「も、もうだめだ! 飲んでばかりで何も食べないと身体にも悪いぞ!」

 グサッと肉料理をフォークで刺して突き出してくる。

 俺は受け取らないでそのまま口にした。

「こらぁ! 自分で持たないか!」

「いや、今のタイミングはッスね、あーんですって、ラウラさん」

「そうだね」

「そうやろうとしてるとしか思えなかった」

 俺もそうだと思った。肉美味い。

「ラウラさん、次お願いします」

「次とかない! 自分で食べるんだ!」

「はい。じゃあフォーク借ります」

「ああ!」

 なんだか今日は味を鮮明に感じるぞ。肉汁とか肉の旨味を強く感じる。不思議だ。

 あとこのフォーク、ラウラさんが使っていたやつだよな。

 間接キスじゃん! やったぜ!

 気付いてないようだから余計なことは言わないでおこう。なんか変態っぽいけど、今はそういう気分が強いのでしょうがない。

 あ、そうだ。

「ほらラウラさんも食べて下さい。あーん」

「おい! いい加減にしろアキラぁ!」

 そろそろキャパオーバーだろうか。信じられないくらい顔を赤くして、ラウラさんは叫ぶ。

「いや、ラウラ。あーんだろ」

「ラウラさん、あーんしてください」

「ラウラ、あーん」

 正に四面楚歌。突き出された肉料理に、ラウラさんの目は泳いでいる。どうしていいのか葛藤しているのだろう。

「ラウラさん……俺じゃダメですか?」

「はぁう!? だだだ、」

 だだだ?

「だめじゃなぁぁぁぁい!」

 パクリと、ラウラさんは肉を口にした。

―了―

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