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転生するなら変身ヒーローで!  作者: 東雲藤雲
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第2話 地下水源のスライム

 俺は今、街から離れた荒野にいる。以前に気晴らしに絶掌波を連発したあの荒野だ。

「いやー、なんかもう風景が異世界ッスね!」

「そうそう」

「あそこら辺の地面の窪み方とか、もう」

「……すまん、あれは俺がやった」

「ええ……」

 以前と違うのは同伴者がいること。俺と同じ転生者だ。名前は荒木摩耶。

 確か死因は……くしゃみをしたときにテーブルに額をぶつけ、それに驚いた拍子に大きく仰け反りすぎ、家の大黒柱に後頭部を強打し、頭蓋骨陥没させたとのこと。

 コントかよ。動画配信サイトで観た、「全員集合!」という単語が脳内を埋め尽くした。

 死因はともかく、今日の目的は彼女の転生特典のお披露目式だ。彼女自身、能力を大変気に入っているようで、今か今かと待ち遠しくて堪らないらしい。

「じゃあ早速見せてよ」

「任せてください」

 得意満面な表情を浮かべ、大仰に、しかしゆっくりと右腕を前に突き出した。

 そして――

 パチンと、いわゆる指パッチンをして見せた。

 刹那。ならした指先に小さな炎が走り、数メートル先の地面に炎の柱が聳え立った。

「お、おお! あれだろ! あの漫画の!」

「大佐ッスよ」

 ふふん、と見事なドヤ顔も披露してくれた。

「これは魔法と言っても差し支えないんじゃないか」

「どうですかね、詠唱無しってだけですから、微妙ッス」

 荒木摩耶に教えてもらったが、この世界には、「魔法」と「魔術」が存在するらしい。

 魔法というのは、自然の理を無視し行使される規格外の現象を引き起こす技術。

 そして魔術というのは、行使する者、または物の魔力を基に、引き起こせる自然の理に則った現象を引き起こす技術だという。

 俺にしてみれば両方同じに感じるが、魔術に精通、あるいは携わった者からしてみると、その2つは似て非なるものらしい。摩耶は転生手続きの時にそれの説明を受けたようだ。

「ところで面倒だし、摩耶って呼んでいい?」

「はいッス」

「俺のことは適当に呼びやすいように、よろしく。あと同い年だし、敬語とかいいよ」

「いやー、これは癖なんで……」

「じゃあそのままで」

 しかしこの能力は結構強力なのではないか。

「使い放題ってわけじゃないんだよね?」

「そのはずです」

「して、倉田さんの能力はどんなのッスか?」

「……その、それがだね。そちらの能力を見せてもらってから言うのもなんだけど……」

「はい」

「本当に申し訳ないんだが、ちょっと他人に言えない能力なんだ」

「えっ」

 一瞬、摩耶の顔が引きつった。

「ちょ、ま、違う! 違う! いかがわしい能力じゃないから!」

「本当ッスか?」

「そう! ちょっとややこしい能力でさ……。他人に見られると弱くなるというか」

「ほー。縛りプレイッスか! なかなかエキセントリックな異世界ライフを送ろうとしてますね」

「縛りじゃ……いや、一種の縛りか……。チート能力に相応しいだけの恩恵は受けられるんだけど、制限を付けて、能力値の底上げしてるんだよね」

「そんな能力が有ったんですねぇ。気づかなかったッス」

 転生者同士ならばれても問題ない、なんて都合のいい話にはならないだろう。

「おかげでパーティ組もうにも組みにくくて、未だにソロプレイ敢行中だよ」

「チートだからなんでもかんでも有利に働く、そんなわけでもないんですねぇ」

「俺はともかく、摩耶の能力ならパーティ引っ張りだこじゃないか? 使える魔術はさっきのだけじゃないんだろ?」

「そッスね。特定の魔術を詠唱無しで運用できるんです。こっちも使い方次第でしょうね」

「それって指パッチンしたら、勝手に発動?」

「えーとですね、使用前にどの魔術を使うのか選ぶんですよ。で、指を鳴らします。魔術使うことを考えなければ、ただの指パッチンですね」

 摩耶は、パチン、と見事な音を立てて見せるも、魔術は発動しなかった。

「ちょっと一番強いの使ってみてもいいッスかね」

「おお、いいよいいよ。見せて」

「私も初めて使うんで、ちょっと遠くに発動させます。では――」

 パチン、と指が鳴ると、20メートルほど前方に目映い光が収束していくのが、はっきりと見えた。

 俺は本能的に危機感を抱き、

「わっぷ――!?」

 摩耶を抱えてさらに距離を離した。転生前の俺には考えられない力業!

「な、なんすか! 急に!」

「や。あれはあの距離だと近すぎる、たぶん!」

 いざというときのためにファイヤーマンズキャリーを練習しておいて良かった。どちらかというと運ばれる側にいた俺だったが、いざというとき人を助けられればという思いも持っていたのだ。

「あっ、倉田さん」

 摩耶はその姿勢上、魔術の発動が見えるだろう。

「もっと急いでください」

 俺は無責任なその一言に力が抜けかけたが、脚に力を込めて、できうる限り離れた。

 あああああああ! 健康体にしてくれてありがとうううううううう!

 そして――

「来るッスぅぅぅぅぅ!」

「いやあああああああああああ!」

 背後ですさまじい爆音がしたと思うと、強烈な爆風が背中を押す。

 幸いなことに吹き飛ばされることは無かったが、俺は魔術の恐ろしさを初めて知ることになった。

 荒野に吹きすさぶ爆風。舞い散る塵芥。

「もも、もう大丈夫か!?」

「は、はいッス。消えました……」

 変身できればもっと楽に逃げられただろうし、いっそ摩耶の前に立って壁にもなれただろう。やっぱり正体バレNGは難しい制約だ。

「うへぇ……」

 摩耶を下ろして息をつく。こっちに来てこんなに疲れたのは初めてじゃなかろうか。

「なんか、すいませんでした」

「いや……俺も……気軽に見たいって言っちゃったから平気……」

 人を担いで運ぶのがこんなに大変だとは、思いもよらなんだ。そして息が切れるまで走るなんて何年ぶりだろう。この疲労感は懐かしい。

「でも……さすがチート能力だわ」

「そッスね……私もここまでヤバい魔術が発動するとは思いませんでしたよ」

「んで、どんな魔術だったの」

「こう、光が集まって、」

 ああ。最初のあれか。

「集まった光が球状になって、一気に大きくなったんです。で、そのあとそれを包む膜みたいなのが出来て、その中で最初に出た光の球が爆発しました」

 それは対象を閉じ込めつつ、爆発の威力を最大限にぶつける方法では?

「なんか……ここで使っておいて良かったッス」

「そう……」

 巻き込まれかかった俺にとっては良くない。気軽に「見せて」なんて言うんじゃ無かった。

「おっ、と……?」

 ぺたん、と摩耶は腰を落とす。

「大丈夫か?」

 自分の放った魔術の迫力で腰が抜けたか。

「……本当申し訳ないッス。たぶんMP切れっす……」

「ぉおぅ……」

 その後、俺は摩耶を背負い、街まで歩いた。

 到着するころには日は傾き、俺は疲弊しきっていた。これも転生前には味わえなかった感覚だ。

 それに良い思いができた。それは摩耶を背負っていたときにずっと背中に感じていた柔らかい感触。


  ※


「これ、美味しいッスね」

 ギルドの食事処にて。

 とりあえず休めばMPは回復できるだろうと、ロールプレイングゲームを基準に考えた俺は、摩耶を宿屋に運ぼうと思った。しかし街についてすぐ、摩耶がひどい空腹を訴えたので、俺は食事を摂らせることにした。確かに背中で、摩耶のお腹がグゥグゥと喚いていたことには気づいていた。

「MPって食事で回復すんの?」

「どうなんでしょう」

 摩耶は食べるのに必死だった。

「しょうねーん。もう女連れ込んだのかよー」

 ヘルミーネさんがいつもの調子で話しかけてきた。

「違います。……なんていうか、生まれが同じ国なんですよ」

「へー」

「ていうかまず最初に、同じパーティって考えは無かったんですかね」

「男と女だったら……ねぇ? それにしてもよく食べるねー」

「魔術見せてもらったら使い過ぎちゃったみたいで」

「魔術師かー。そりゃ食べるわー」

 得心顔で頷くヘルミーネさん。と、別のテーブルから呼ばれて注文を取りに向かった。

「誰ッスか。彼女さんですか」

 なぜそうなる。

「いやぁ、助かりました。まさか魔術を使いすぎるとこうなるとは」

「なんかすまんね。俺が気軽に見たいなんて言っちゃったから」

「いえいえ。自分の能力がどのくらいなのかは、いつか確認しなきゃいけなかったことッス。むしろ着いてきてもらって良かったですよ。あのクラスの魔術は最後のとっておきみたいですし。1人の時に使ってたらと考えると肝が冷えます」

 あんな危険な魔術をポコスカぶっ放されたら、仲間も安心できまい。

「はあ。もうお腹いっぱいッス」

「ご苦労さん」

 ひどい空腹の割には、メニューの中で一番量のある料理一皿で事足りるとは、燃費の良いことである。

「とりあえずこのあとはどうすればいいッスか?」

 摩耶は本当に満足そうな顔になっている。

「そうだなぁ。ソロがいいならそのままでいいし、パーティ組みたいなら募集するか探すかすればいいし。とりあえず今後の方針次第じゃないかな」

「倉田さんとは組めないッスかね」

「え! うーん……その、……パーティを組むことに吝かでないのだけどね……。さっきも説明した、あれがさ」

 『変身能力』の制限と制約が、パーティを組むことを躊躇させる。制限と制約を反故にしたとき、どういった形で自分に返ってくるのかがわからない。それが最初の足かせになる。

 能力付与の時の説明を考えれば能力ダウンが考えられる。

「私としては、倉田さんの能力と組めれば怖いもの無しだと思ったッス」

 そりゃチート持ち同士で組めばそうだろう。

 パーティを組みたい気持ちはある。

 しかし弱体化が怖い。

「いやぁ、すいません。なんか悩ませちゃったみたいッスね。パーティのことは先送りってことで」

 俺の懊悩を見て取ったか、摩耶が気を利かせてくれた。

「こっちこそ、せっかく誘ってくれたのに悪いね」

「気が変わったらいつでも声をかけて欲しいッス」

「ありがとう。ここは俺が奢るよ」

「いやいやいや。そんな悪いッスよ!」

「でもお金ないでしょ」

 そう。転生のおまけである現地通貨。

「え? これだけあれば……」

 摩耶が、俺の持っているのと似た財布を取り出す。

 口を開けてひっくり返して出てきたのは、100レデット硬貨が5枚だけ。俺の時より少ないが、もしかして、渡される金額は完全にランダムなんだろうか。

「うん。足らないわ」

「ごちになりまッス……」

 そうして会計を済ませて、摩耶と別れの挨拶を交わした。そう仰々しくもないやりとり。

 なぜならお互い駆け出しの初心者。しばらくこの街を拠点に活動するだろうから。

「これとか」

「いやそれは」

 ほら見たことか。依頼掲示板の前で早速かぶった。

「いやちょっと倉田さん、試しに1回一緒に行ってみましょうよ」

「俺のチート使わないから役に立たないよ?」

「でも剣持ってるじゃないッスか」

「大きい声じゃ言えないけど、これ使ったこと無いんだわ」

「えぇ……」

「だからチートでさ」

「あ。あー」

「だからソロで行くのと変わらないと思う」

「いや、それもあるんですけどね……1人だとまだ心細いっていうか……」

 そういうことか。見知らぬ土地で1人、命の危機のある状況に立たねばならぬとあらば、普通なら尻込みするのだろうし、心細いだろう。

 俺はそこまで深く考えてなかった。健康体を取り戻し、チート能力まで手に入れて、そして異世界転生に浮かれに浮かれていたのだ。

 そうだよ。ここは命のやりとりがすぐ目の前にある世界なんだよ!

 己の浅はかさに少し怖くなった。

 考えてみればチート能力も即実践投入したし。

「そうだな。着いてくよ」

「本当ッスか!? 助かります。そうなるとどんなクエストがいいッスかね」

「俺には期待しないでくれ。摩耶の火力で無理の無いところを選ぶしかない」

 つゆ払いすらできるかどうか怪しい。

「これどうッスかね」

 <オーク退治 西の山に住み着いたオークの討伐>

「いや、これは……」

 俺が変身できれば二つ返事で請けたかもしれないが、この状況で期待できるアタッカーが、後衛の摩耶1人となるとやや危険な気がした。

「摩耶はゲームとかファンタジー小説とか、そういう知識は?」

「私はどちらかと言えばオタクです。なので安心してください」

 何がどう安心に繋がるんだ。まあ、ファンタジー風の知識はある程度持っているということとして捉えておこう。

「あ。待った、これ等級制限あるわ」

「えーと、8等級からッスね。倉田さんは今いくつですか?」

「ちょい待って。確認してみるわ」

 ギルドカードを操作して等級を確認する。

「上がってるけど、9等級」

「惜しいッスね。違うのにしましょうか……。

 こっちのはどうッスかね、オーガ討伐」

「君わざと難易度上げてない?」

 摩耶が手にした依頼書を見る。これは……等級制限はないが、オーガか。……オーガって人食い鬼じゃなかったか? しかも実に好戦的なモンスターだった気がする。ゲームでもそこそこ強めのモンスターだよな。

「いやぁ、いざとなったら倉田さんの能力、見られるかなって」

「……」

 こいつ、意外と策士だな。

「報奨金も50000だし悪くないと思うッス」

 ……そうだな。等級制限が無いということはそれほど難度の高い依頼では無いのだろうと思いたい。

「わかった。じゃあそれで行ってみようか」

「了解ッス、じゃあ申請してきますね」

 摩耶は依頼書を片手に窓口に申請に行く。

 最初窓口にいた職員は、依頼の内容と、摩耶の等級を見て、心配そうな表情を見せていたが、

「あの、俺とパーティ組んで依頼にあたります」

 そう告げると、表情を戻して依頼の申請手続きを進めてくれた。

「クラタさんが一緒なら、それほど危険ではないでしょうね。こちらの依頼、確かに承りました」

 なにやらギルド内ので俺の評価がそれなりになっているようだ。何かしただろうか。飛竜は……討伐してないし、専らワイルドボアを狩っていただけだ。

「倉田さん、結構やり手なんすか」

 ギルドの入り口へ歩きながら摩耶が言う。

「いや。心当たりはないんだけど」

「ご謙遜を」

 いつの間にか俺たちの後ろにはアイリスさんが立っていた。

「この間のワイルドボア4頭を1日で納められてから、職員の間ではクラタさんは話題の人ですよ」

 ……あの4頭をぶっ飛ばした時の。

 そういえば最初の説明でもワイルドボアは複数人で狩りに当たるという話だったっけ。これも偏に変身能力の為せる技だが、あんまり目立つと今後の活動に支障を来しそうだな。

「いやははは……」

 本当に、これからはほどほどにしといた方がいいかもしれない。

「それでは、お二人ともお気を付けて」

 そう残してアイリスさんは窓口の方へ歩いて行った。

「倉田さん、今の人エルフじゃないっすか?」

「エルフ? マジ?」

「髪に隠れてわかりづらかったッスけど、耳尖ってましたよ」

 うおおお、ファンタジー! この世界には複数の種族がいるのか!

 実を言うと俺は女性のエルフが好きだ。女性のダークエルフも好きだ。耳の尖っているところとか、存在自体が神秘に包まれているところとか、人離れした美貌とか、好きなところを挙げたらキリがない。

「なんかめっちゃ顔がニヤけてますけど大丈夫ッスかね、倉田さん」

「ごめん。俺、エルフに憧れてて……」

 俺のアイリスさんへの興味は強まった。

「まあ、いいッス」

 女性特有の、駄目な男を見る目を俺に向けて、摩耶は歩き出した。摩耶の中の俺の評価が下がったのを感じた。

 ギルドを出てすぐ。

「そうだ、摩耶。武器屋に寄っていこう」

「買い換えですか?」

 俺の剣は新品に近い。

 そうではなくて、摩耶用の護身武器の調達だ。その旨を伝えると、感心したように頷いた。

「そういえば、そうですね。ゲームでも、魔術師が装備しているのって結構ありますね」

「いざというときの近接武器はあっていいと思うんだ。ましてや摩耶はまだ女の子なんだから、そこらへん気を回した方がいいんじゃないか?」

「倉田さんもまた、『オトコノコ』ですもんね」

 言外の意味を理解した俺は反応できなかった。

 そうして武器屋に案内すると、摩耶は強い関心を示したようだった。

「いやあ、すごいッスね」

 多様な武器を前に興奮を隠し切れていない。

 武器屋の会計カウンターには、以前俺が世話になった赤毛の少女が座っていた。

「らっせー」

 興味無げにカウンターからそんな言葉が飛んでくる。

 俺はアドバイスをもらいにカウンターに向かった。

「あの、彼女、魔術師なんですけど、ちょうどいい武器って無いですかね」

 そう訊ねると、武器に夢中になっている摩耶を一瞥し、

「ちょっとこっち呼んで」

「わかりました。――摩耶、ちょっとこっち来て」

「はいッス」

「あんただね。ちょっと私の手を握ってごらん」

 握手のつもりだろうか。赤毛の店員は、

「ほい。じゃあ私の手を思いっきり握って」

「え?」

 摩耶と顔を見合わせる。

「いいからほら」

「はい……」

 渾身の力で握ったのだろう、摩耶の顔が赤くなる。

「いいよ。魔術師にしちゃもうちょっと力が強くても良さそうだけど、扱えるとしたら、これか……」

 ゴト、とカウンターに置かれた短剣と。

「これかな」

 威圧感だけは十分な、棒の先に星形に似たトゲ状の先端を持つ武器を乗せた。

 モーニングスターだっけか?

「こっちの短剣は魔力が込められているから、魔術師にはぴったりだね。で、こっちのはただの鈍器」

「魔法武器ってやつッスね。値段はいくらですか?」

「60万レデット」

 はい、無理ー。

「……こっちの鈍器は?」

「500にしといてやるよ」

 安ぅい! なんでそんな両極端な選び方!?

「じゃあこっちで」

 摩耶は鈍器を選んだ。これで摩耶の所持金は底をついた。

「はい、じゃあホルダー、サービスね」

 俺と同じホルダーだった。

「そっちの兄さんは剣の具合はどう?」

「あっ、使いやすくていいですね」

 ろくに使ってないですすいません。

「研ぐにしろ買い換えるにしろ、うちは両方できるから、なんかあったら持って来なよ」

「その時はお願いします」

「あ。あと魔術師の。その男に襲われそうになったら、躊躇わずそいつで殴ってやんな。急所を」

「……」

「……」

 どういうことだろう。2人顔を見合わせる。

「女冒険者が武器を持ち歩くのは、何も戦うときだけ使うわけじゃないよ。冒険者なんて、まともなやつだけじゃないからね。寝込みを襲われたら、こう、クッと」

 意味を理解した俺は少し内股になった。

 あの武器の一発を食らったら、もう使い物にならないだろう。

「じゃ、またのおこしをー」

 そうして店員の少女に見送られて俺たちは武器屋をあとにした。

「しかしこれすごい武器買っちゃったッスね」

「殺意がヤバい」

 命を殴りとる形をしている。

「でもまあ、金がなかったら馬小屋だしね。用心に越したことはないよ」

 摩耶は俺の話を聞かず、モーニグスターを振り回していた。

「いや、これで悪漢もイチコロですね」

 モンスター退治は頭にないのか。

「まあいいや。オーガ退治、行こうか」

「オッケーッス」

 摩耶が武器を腰に納めたのを確認して、歩き出す。

「とりあえず、目的地までどのくらいかかるかわからないから、出発は明日にしようか」

 もう日は沈み始めている。

「あ。そうッスね。まあ私たちなら夜でも余裕でしょうけど、道中が不安ですし」

 そういうことで俺たちは、ひとまず宿を取り、明日、依頼に取りかかることにした。

 摩耶の宿代は俺が立て替えた。


  ※


 翌日。俺と摩耶は宿屋の外で落ち合うと、早速出発した。

 依頼書と地図を見ながら目的地を探す。

 そうして依頼書に書かれていた場所に着くと、摩耶が早速オーガの姿を見つけた。

(あれッスかね)

(たぶん)

 さすがの存在感だが、先日飛竜とガチンコをかました俺にしてみればなんてことはない。

 そして摩耶も物怖じしていない。確か心細いという理由で俺を同伴させていたはずなのに。

 オーガは鹿か何かの四足動物を豪快に食べていた。

(やっちゃっていいッスか?)

(どうぞ)

 こちらにはまだ気づいていない。食事に没頭している。

「……」

 パチン、という小さな音が聞こえた。

 摩耶の魔術の発動音だ。

 すると、あっという間にオーガは火柱に包まれた。

 唐突すぎる。

 オーガも自分の身に何が起きているのか理解出来ず、身に纏わり付いた炎を消そうと躍起になっている。

 パチン、ともう1回音がする。

 炎の威力が増した。……こいつ容赦ないな。

 辺りに肉の焼ける匂いが漂ってくる。ここは風下だ。オーガが焼ける匂いだろう。

 あんまり良い気分じゃない。

(こんなもんすかね)

(どうだろね……)

 炎の柱に包まれているということは、身を焼かれ、さらには呼吸もまともに出来ていないであろう。

 残忍と言えば残忍だ。しかし相手はオーガ、人食い鬼。これを野放しにしておけば、人が襲われる可能性もある。

「……」

 俺はまだ命を奪うことに、割り切れていないのだろう。

 やがて数分と経たずにオーガの巨躯がくずおれた。

「やったッスね」

 完全に沈黙したオーガを確認して、摩耶は達成感を露わにしていた。

「すごいな」

「いやぁ、倉田さんが一緒にいてくれたからッスよ。私1人だったら、怖くて魔法の届く距離まで近づけなかったですもん」

「とりあえずギルドカードで、倒したか確認してみよう」

「はい。えっと、こっちか。

 ……オーガ、あります。もう死んでますね」

 摩耶は淡々としていた。

「じゃああとはギルドに報告だな」

「はいッス。いやー、初めての実戦は緊張したッス」

 こいつ将来大物になりそうだな。

 出発前に確認したところ、オーガは買い取りが無いとのこと。このまま土に返るか、他の動物やモンスターの血肉となるだろう。

「行こう、摩耶」

「了解ッス」

 依頼は無事完了。帰途についていた。

 そして途中、俺はある疑問を摩耶に尋ねてみた。

「たぶん、というかほぼなんだろうけど、冒険者って動物やモンスターを殺す仕事じゃん」

「まあそうッスよね」

「摩耶はそういうのに抵抗感無い?」

「あー、言われてみれば……。でも私の場合慣れてるってのが大きいッスね。いや、慣れてるのとは違うのかな……」

「慣れ? どういうこと?」

 実は元の世界で、殺人鬼でもやってた?

「うち、実家が軽く自給自足の生活やってまして。そんで鶏とか絞めてたんです」

 こいつすげえ。

「もちろん意味も無く殺すのは抵抗あるッスよ? でも目的があれば、それほど抵抗はないッスね」

 割り切れてるんだな。

 俺にはそれが足りない。

 そも俺は、ここに来る前は病気で、自分自身が命の危機に瀕していた。生きたいという思いがあったのかは定かでは無いが、命が簡単に消失することに恐怖を覚えていたことは確かだ。

 同じ病気で亡くなった人の中に何人か顔見知りもいた。入院生活で親交を深めた人たち。その人たちが順番問わず、病状の悪化に伴い消えていく。

 ――自分は死なないという、根拠の無い万能感を喪失したときの衝撃。

「倉田さんはやっぱり殺したりするのに、拒否感ありますか?」

「うん……少し……いや、かなり?」

「最初は私もあったッスよ。でもホント慣れッスね。あとは、慣れてもきちんと命を奪っていることを忘れちゃいけないって、うちのお爺ちゃんが言ってたッス」

「なるほど……そうだよな」

「あとッスけど、人は別ッスよ。慣れすぎて感覚が麻痺し始めると、こいつやっちゃうか、とか考えちゃいますけど、駄目ッス」

「そりゃそうだ」

「割り切って、きちんと考えることが大事ッス。あとはもうほんと、気にしすぎないのもポイントです。死んだ者は死んだんです。もう戻りません。

 だってほら、私たちだってそうじゃないッスか」

 あっけらかんと、摩耶は言った。


  ※


 2人してギルドまで帰り着くと、摩耶は依頼完了の報告をしに窓口に行った。

 俺は食事処でそれを待つ。例のリンゴジュースもどきを2つ、注文しておいた。

「行ってきましたッス」

「うん」

 報酬片手に対面に座る摩耶。それをテーブルの上に並べてみせる。

「報酬額が50000で、これが5枚ということはこれは1枚につき10000レデット、ということでいいんですかね」

「そうそう。万札だよ万札」

「半々でいいッスよね」

「いや、俺はいいよ。着いていっただけだし、何もしてないし」

「ぅえっ。さすがにそれは……」

「オーガを見つけたのも退治したのも摩耶なんだから、気にしない気にしない」

「んまぁ……倉田さんがそう言うなら、ありがたくちょうだいするッス」

 と、そこへちょうどリンゴジュースもどきが運ばれてきた。

「先に頼んでおいた」

「どもッス」

 では、と俺はジョッキを掲げる。

 摩耶もそれに倣い――。

「かんぱーい」

「かんぱーい」

 カコンとジョッキを合わせた。

 摩耶は口にすると、顔をしかめた。

「あれっ、えっ……これ、お酒では」

「この国だと16歳から飲酒オッケーだってさ」

「マジですか? 本当ッスか?」

「マジ。俺もここの店員さんに教えてもらった」

「いや、お酒なんて初めてですよ。私、ご覧の通りウェーイ系じゃないんで、清く正しく生きてきたッスから」

 鶏を絞められる女子高生が何をビビっているのか。

「アルコール分は低いって話だから、飲み過ぎさえしなければ大丈夫」

「ほー……」

 ゴクリと。改めて一口、口にする摩耶。

「あー、リンゴジュースですねこれ!」

「そうそう」

「アルコールさえ気にしなければ、美味しいッスね、これ」

「うんうん」

 満足そうに摩耶は飲み続ける。それはもう豪快に。

「ち、ちょっと?」

 こいつ一気飲みする気か!?

 喉を鳴らしてどんどん飲み続ける摩耶。

 元の世界なら、この商品のCMにでもできそうな飲みっぷりだ。

「ぷひゃー! 美味い! もう一杯いいッスか」

「……あんま無理しないようにね」

「はいッス」

 5杯目を注文し終えたとき、摩耶が不意に問うてきた。

「ところで倉田さんはどうして死んじゃったんですか?」

「俺? 俺は病死」

「……マジですか?」

「うん。高校入学してから病気が見つかってさ、致死率めっちゃ高くて。どうにかこうにか生きてたんだけど、最後はあっさり死んじゃったよ」

「うわー……重いッスよ」

 摩耶が神妙な面持ちで漏らすように言うと、やがて手で目を覆ってしまった。

「私みたいな間抜けな死因じゃないんですか」

「当事者からしてみると、そんな重くとらわれると困っちゃうなぁ」

「あれ? でも病体だったわりには、私のこと軽々担いでましたね。思いっきり走ってたし」

「ああ、それは――」

 俺は転生時にされた説明をそのまま話す。

「はー、そういうことッスか。私も死ぬ前は眼鏡でしたけど、視力良くなってますね」

「今も眼鏡かけてるじゃん」

「ああ、これッスか。レンズ外したんですよ。それはもう目が悪くて、お風呂や寝るとき以外は常にかけてたから眼鏡がないと違和感がすごくて。レンズはこれです」

 透明な2枚の板をテーブルに置いてみせる。

 たしかにこの形は眼鏡のレンズだ。試しに目に当ててみると景色がぼやけて、目の奥がズンと重くなった。

「うわっ、強いなこれ」

「めっちゃ視力悪かったッス」

「偽メガネっ娘め……」

「ちなみに乱視も入ってたのでもう、あれですよ」

 あれとは。

「倉田さんが同年代の平均の身体能力にして貰えたのなら、私は視力を平均値にして貰えたってことッスね」

 摩耶は顔にある眼鏡の、レンズのあった場所から指を出し入れする。

「眼鏡が無くても見えるのは便利ですけど、見えたら見えたでちょっと不便ッス」

「そんなもんかね。俺は健康体に戻れて嬉しかったけど」

「深刻度が違うッス……」

 ちょうどその時、摩耶の5杯目が運ばれてきた。ジョッキの大きさを考えると、結構な量を摂取してることになるが、大丈夫なんだろうか。

「あー、美味しい」

 くっ、と一飲みして平気な顔でそうこぼす。

 顔色も変わってないし呂律もおかしくない。アルコールに強い体質なのだろうか。

 気づけば日は落ち、夜の帳が降りていた。

 思いのほか話し込んでしまったようだ。

「摩耶、それ飲み終わったら宿に行こう」

 幸いなことに、お互い宿泊代は余裕で持っている。

「もうちょっと飲みたいッス」

 ジョッキをあおり、グビッと飲む姿は酒飲みのそれだが、やはり顔色は変わらず、平気な顔をしている。

「それで終わりな」

「了解ッス」

 そう告げたら告げたで、先ほどとは打って変わったペースでちびちび飲み始める。

「ペース落ちてますよ」

「これが最後と言われたので大事に飲もうかと……」

 酒飲みの資質があるのではないかと思われる。

 仕方ないので最後まで付き合った。

「お酒って美味しいものなんですね」

「そうだね」

 飲み終えた摩耶を引き連れて、俺は宿屋に向かっていた。彼女は本当に酒に強いらしい。しっかりした足取りで横に並んで進む。

「いやー、仕事終わりの一杯ってこういう感じだったんですね! 大人がお酒を好むようになる理由がよくわかりましたよ」

 俺も数日前に同じような気分になり、似たような感想を抱いていたが、摩耶ほど飲みはしなかったし、摩耶ほど幸福感は得ていない。

 摩耶の今の状態が、上機嫌によるものなのか、酔った状態によるものなのか、果たして両方なのか判断はつかない。

「そういえば宿屋って昨日も行きましたけど、マジで中世風でしたね」

「そうだね。簡易で質素だけど、ちゃんと寝られる場所って感じ」

 いわゆる元の世界のホテルと比べると、快適さは全く違うだろう。こちらの世界のものは、可も無く不可も無く、至って普通なのだ。本当に寝るだけの個人スペースと言ったら良いだろうか。冒険者や旅人にはぴったりだ。

「実を言うとッスね、外泊ってそんなに経験ないんです」

 俺たちの年齢を考えるとそうだろう。最低でも学校行事くらい。あとは友人の家でのお泊まり会とか。

 俺は何度もある。行き先は病院。

「だからちょっとわくわくしますね。お酒飲んで外泊とか、どんな陽キャだよって気がしませんか!?」

「テンション上がりすぎじゃない?」

「酔ってますね、私」

 ああ、やっぱりそうなんだ。

「いやでもお泊まりッスよ? 異世界お泊まり!」

 これからは何時何処で泊まろうが、異世界お泊まりだぞ、良かったな。

「ほら着いた」

「冒険者の憩いの場、でしょうか」

「かもねぇ」

 威容も何もない、至って普通の建物だ。

「さ、中に行こう」

 俺は扉を開くと、中に入るよう促した。摩耶の顔は輝いていた。

 昨日すでに利用したというのに、ここまで期待に満ち満ちた表情はいったい……。宿屋もこんなに喜んで貰えるなら嬉しかろう。

 摩耶に続き中に入ると、すでに女将がカウンターに立っていた。

「いらっしゃい。今日も女連れかい?」

「違います。彼女も冒険者なんです。ていうか昨日も来ました」

「一緒に旅してるうちに、なんてよくある話だよ」

「違います。それより二部屋とりたいんですけど」

「あいよ」

 この宿屋は前金なのだ。

 女将は、もはや「わかってるだろ?」とでも言わんばかりの態度で、宿賃が払われるのを待っている。 「とりあえず今夜だけで」

「いいのかい? あんた結構稼いでるんだろ?」

 どういう情報網でそういう情報を手に入れるのだろうか。そう言われるほど金なんて持ってない。

「いくらッスか?」

 女将が答える。

「一晩500ね。素泊まりだけ。腹が空いたらそっちの扉が食堂ね」

 摩耶がゴソゴソと財布を取り出して、

「細かいの無いんですけどいいですか?」

 といって10000レデット札を差し出す。

「あ。この人の分も一緒に」

「いや、ちょっ」

「あいよ、じゃあ……9000の釣りだね、確認しとくれ」

 女将さんは器用に札束を数えてから、摩耶に差し出し、また驚くことに摩耶も器用な手さばきで数えてみせると、黙って頷いて財布にお札を押し込んだ。

「私コンビニでバイトしてたんですよ」

 にへへ、とでも形容できる少し気恥ずかしそうな笑顔を摩耶は見せる。

 そしてこちらのやりとりはそっちのけで、女将さんは鍵を2つカウンターに乗せた。

「2人とも2階だけど、部屋は離れちまうよ、悪いね」

「どうも。――行こう、摩耶」

 俺は両方受け取って階段に歩き出した。

「昼間奢ってもらったんで、ここは私が持つッス」

「じゃあありがたくお受けするよ。代わりと言っちゃなんだけど部屋は好きな方を選んでよ」

 鍵を見せて部屋番号を確認させる。

「なんか違いあるんですか?」

「……すまんけど、たぶん無い」

 宿屋的にスイートとかロイヤルとか似合わない。

「じゃあこっちにします」

 摩耶は俺の手からスルリと鍵を抜き取った。

「それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 摩耶の部屋の前で別れ、摩耶との2日目が終わった。


  ※


 翌朝。日の出と共に目が覚めた。

 酔っ払い娘はどうしているだろう。

 俺は支度を整えると部屋を出た。レセプションに向かう道すがら、摩耶の部屋の前を通る。

「……」

 最初、声をかけようかとも考えたが、昨晩の飲酒量と、朝の異性、という要素を鑑み、やめておいた。

 1階に行くと女将さんはすでにカウンターに立っていた。

「おはようございます」

「おはよう。昨日は静かだったね」

 にやり、と女将さんが顔を歪めた。言外に含まれているものを理解したが、朝一番にくだらないことでやりとりするのに気が乗らなかったので、適当に手を振っておいた。

 俺は食堂への扉を開いた。

「あ。倉田さん、おはようございます」

「おはよう。……キミ、とても元気そうだね」

 すでに食事をしている摩耶がそこにいた。朝から栄養のつきそうなものを眼前に並べていた。そしてジョッキもある。

「まさかそれ……」

「いや、違いますよ? これはただのブドウジュースですって。さすがに朝からお酒は人としてまずいですからね」

「……人の食事に文句は付けないよ」

「いや本当ッスよ。飲んでみてください!」

 ぐいと押しつけられたジョッキ。まず匂いを確認すると、確かに葡萄に似ている。アルコール臭はしない。

「……」

 口にしてみると、本当に葡萄のジュースだった。

「葡萄ジュースだな、これ」

「ほら!」

 ジョッキを返して俺は摩耶の対面の席に腰掛けた。

 朝から肉料理か……。

「これは魔術を使うために必要なエネルギー摂取なんですよ」

 とは言え、がっつかず、年相応な女子高生らしい綺麗な食べ方だ。

「昨日倉田さんに付き合ってもらったじゃないッスか。やっぱり魔術を使うと、何かしらエネルギーを消費するみたいなんで、先に補充しておこうかと。

 あといざって時にへばったら何かしら非常食みたいなものが欲しいッス。どこか売っている場所しりませんか?」

 そういうものが有るとしたら、レデット雑貨店だろうか。

「とりあえず食事が終わったら、心当たりがあるから案内するよ」

「助かります」

 そう言って摩耶は食事に戻った。

 俺はと言うと、病気で朝食を摂れない時期があり、その習慣が抜けきらず、朝食を摂る気にはならなかった。

 摩耶の頼んでいたのと同じ、葡萄ジュースを一杯だけ注文して飲み、あとは、対面の少女の食事が終わるのを待った。

「ふぅ……」

 食べ過ぎたのか、少し苦しそうな摩耶は、椅子にもたれかかった。

「すぐ行くか?」

「行くッス。案内お願いします」

 ろくな荷物を持たない摩耶は、冒険者にあるまじき軽装である。しかし腰に下げている鈍器の存在感が強い。早めに装備を調えさせた方がいいだろう。

「倉田さん、ご飯食べないんですか?」

「朝って食欲湧かないんだよなぁ」

「友達にもそういう子いたッスね」

 駄弁りながら宿屋をあとにする。俺は地図を広げて説明しながら歩いた。

 やがてレデット雑貨店に到着すると、まだ開店していなかった。

 ちょっと早すぎたか……。やっぱり時計のような時刻を確認できる道具がないと不便だなぁ。

 そういえばレデット雑貨店といえば、先日アシュリーと地図のにらみ合いをした時に、極めてボールペンに酷似した筆記具があった。

 おおかた俺たちのような転生者がもたらした恩恵のようなものかもしれない。そうなると時計も期待できそうだ。

「摩耶。まだ開いてないから、ギルドで時間を潰そう」

「了解ッス。それにしてもやっぱり異世界なんですね。空気の匂いが全然違います」

 俺はまた地図を広げて、摩耶へ説明を交えて街の案内代わりとした。

 雑貨店が開いてないことを考えるとギルドもどうだろうか、という心配は杞憂だった。

 24時間営業というわけではないだろうが、人の出入りを確認できた。

 ギルド内は人がまばらにいて、いつもと比べると閑散としていた。活気はまだない。

 俺たちはまた営業開始前の食事処のテーブルに着くことにし、ついでに今後のことも話し合うことにした。

「さて、それじゃあパーティのことについて話そうか」

「倉田さんはやっぱりソロ専で活動したいッスか?」

「厳密に言うと、ソロで動かないとチート能力が使えないんだ」

「別に使えなくても、倉田さん前衛で私が後衛のペアで動くことは出来るじゃないッスか」

「だけどそれは、ほとんど摩耶が戦うようなもんで……。囮にはなれるだろうけど、期待はしないでもらいたい。

 そもそも摩耶の能力なら、ほぼノータイムで魔術を使えるんだから、囮も何もないと思うんだけど」

「そうなんですけど、さすがに敵の数が多いと対応しきれないと思うんです」

「それは2人でも同じじゃない?」

「それは1人より2人、2人より3人ッスよ」

「なるほど、わからん」

「違うんです、聞いて下さい! 私メチャクチャ人見知りなんですよ! そしてぼっちだったんです! いやもう、だったなんて言いましたけど現在進行形でぼっち街道まっしぐらで、異世界の、知らない不特定多数の人たちに混ざって旅しろ冒険しろってちょっと無理ッス!」

 まくし立てる摩耶。

「人見知りのわりに、俺とは普通に話せてた気が……」

「そりゃ1人で異世界飛ばされて来てみて、同郷っぽい人がいれば一も二も無く反射的に話しちゃいますよ……」

「あとコンビニ店員やってたって……」

「いいッスか? あれは人じゃなくて財布なんです。お金の入った財布が歩いて、買い物していくのを手伝う、そういうお仕事なんです」

「じゃあ摩耶も俺と同じにソロ活動にしたらいいじゃん」

 ソロ活動って言うと歌手みたいだな。

「いやそれだと心細いっていうかぁ……」

「自身持てって。……大きい声じゃ言えないけど、ほら、俺たちチート能力持ちなんだから、少しくらい無茶ならどうにかなっちゃうよ」

「そんな何を根拠に……」

「……他言無用だぞ」

 俺は真剣な顔で囁くような声音で告げる。

「この前ソロで飛竜と殴り合いした」

「えぇ……なんすかそれは。一体どんな能力をもらったんですか」

「なんていうか……能力強化?」

 『変身能力』と伝えてしまうと簡単に正体がばれるだろう。

「あー、そっち系の……。私の場合、身体能力が上がったわけじゃないから、いざ逃げるという場面があって、逃げ切れるかどうかが問題ッスよ……」

「そこは能力の使いようだろ? 魔術だって使い方次第でどんな状況でも作り出せるはず」

 そんなことなら俺の『変身』も意外と応用が利きそうだが、制約と制限を破るリスクは冒せない。なぜなら、能力は俺にとってこの世界で生きるための生命線であるから、迂闊に弱体化をして死ぬことになったら目も当てられない。

「摩耶なら1人でも大丈夫、なんて無責任なことは言わないけど、1人が不安ならどこかのパーティに入るしかないよ」

 俺とサシで組むより、人数の多いパーティに組み込んだ方がターゲットがばらける分、摩耶への攻撃頻度は減るだろう。まして、魔術師としての運用を想定するなら、前に出ることにはならないだろうし。万が一のフォローも期待できる。

「うーん……ここまで粘っても駄目ッスか……。こうまでされると倉田さんのチート能力がなんなのか気になってしょうがないッス」

「……それは秘密なので」

「秘密にすることが鍵になる能力ってことッスね……なるほど」

「鍵というかロマン」

「え?」

「ロマン」

 摩耶は何を言ってるのか理解出来ないようだ。

 変身ヒーローはやっぱり男の子のロマン、そして憧れなのだろうか。女子には理解出来ないのだろうか。

「何にせよ、依頼掲示板の横にパーティ募集の張り紙が張り出されてるから、いくつかのパーティの様子見てみたらいいんじゃないかな。

 募集がなかったら、自分からかけてみるのだっていいし」

「わかりました。倉田さんは諦めて、別のパーティ探します」

「それがいい。なんせ能力使えないままで摩耶と組んじゃうと頼りきりで、ヒモみたいになっちゃうし」

「うーん、私はそれでもかまわないッスよ。倉田さん、年の割には落ち着いているし、冷静に指示出ししてくれそうッスもん」

 俺の場合、落ち着いていると言うより、病気のころの非活動的な行動パターンが染み付いていると表現した方が正しい。反応が鈍いのだ。というのも、自分を含め、病人を相手にしていた期間の方が濃厚だったために、人と接するときにはどうしてもその癖が出てしまうようだ。

「指示だったら他の人だって出してくれるさ。むしろ集団行動になれてるだろうから、それこそ適切な指示をさ、たぶん」

「ぬー……」

「ほら、掲示板見てこいって。自分に合ったパーティもあるだろうさ」

「あーい……」

 諦めたようにのそっと立ち上がる。そしてとぼとぼと募集掲示板へと摩耶は向かった。その後ろ姿にやや心が痛むが仕方ない。

 転生特典の能力は、異世界人である俺たちが、この世界で生き抜く術の一つであると俺は考える。であるならそれを弱体化させることは、身の危険を増やすことになりかねない。

 能力もそれぞれ活用できる場面が違うだろう。

「……」

 摩耶もそうだが、俺も立ち回りを考えていかなければ……。ギルドカードに討伐履歴が残される以上、『変身能力』による、駆け出し冒険者にあるまじき相手を討伐すれば、見る人が見ればすぐに気づかれてしまうだろう。

 すでにワイルドボアの件がそうなっているようだし。

「……」

 一所に留まるのではなく、旅をしながら冒険者として活動すれば討伐対象を気にせずにいられるか……?

「うーん……」

 強いて言うなら、留まりたい。じっくり腰を据えて生活をしたいタイプだ。だから家と病院を行ったり来たりする闘病生活は、精神的に参った要因の1つだった。

「なんすか? 気が変わって私と組む気になりましたか?」

「いくつかの候補の1つとしてはある」

 摩耶とペアで実績を重ね――といってもメイン火力は摩耶なので、摩耶だけが実績を重ねることになるのだが。

「え、ちょっと、人が決心しかけたのにそういうこと言うんですか!?」

「あ、決心しかけたの? じゃあ今のは忘れていい」

「嫌ッス。話し合いましょう、日本人らしく」

 そういえばと不意に、俺たちは今どちらの言葉で会話しているのかと疑問に思った。まあどちらでもいいか。

「だってその紙、めぼしいパーティの募集用紙だろ? そこから決めちゃえ」

「いや、倉田さんが組んでくれれば全て丸く収まるんですが」

「いや、ヒモ生活は良くない」

「それは偏見ッスよ。うちのお兄ちゃんが、ヒモ生活は良いぞぉ~、って言いながら彼女さんを紹介してくれたッス」

「お兄さんヒモなの?」

「厳密に言うと専業主夫っすね。もう結婚してるッス。そしてなんだかんだ、自称ヒモだけど、家事はきちんとやってるようです」

「ヒモじゃないじゃん……。ところでなんでそんなにパーティに拘るわけ?」

 そう訊ねると、何言ってんのお前と言わんばかりの表情をされた。

「いや、だって魔術師のソロって聞いたことありますか? 仮にゲームやったとして、魔法使いみたいな職業だけで、ゲームクリアできるとお思いですか?」

 無くはないけど、そんな縛りプレイやらないかな……。

「でもほら、焔の大佐の火力ばりの摩耶なら」

「魔力切れを起こすのが心配ですよ……。それにこの前の最後の一発は、文字通り最終手段でしょうし」

「あれだけじゃなくても、オーガに使った魔法があるでしょ」

「魔法じゃなくて魔術ッスよ」

 ああ、そうだ。この世界は魔術と魔法は別物だったっけ。気を抜くと、つい元の世界の癖で魔法って言っちゃうな。

「魔術ね、魔術。あの巨体を数分経たずに倒せるんだから、あとは魔力の問題をクリアすればソロでも余裕でしょ」

「倉田さんにはわからんのです。いざとなったら助けてもらいたい女心ってものは」

「そんなこと言ってわざとピンチになるようなことはするなよ?」

「それは解ってますけど」

「腕試しにいくつか依頼をこなしたらいいんだよ。それにさ、使えば――魔力? MP? この世界だとなんて呼ぶのかは正確にはわからないけど、能力値って伸びるはずだから、魔力の総量も増えるんじゃないかな。そうすれば継戦能力だって上がるって感じで」

 俺も他人に言えるほどの依頼は受けてはいないけども。

「それでも……私の魔術でどこまで出来ることやら……」

「それを知るためにもさ、ある程度何かしておかないと」

 俺の能力で言うと、飛竜なら倒せるかどうかというライン。と言っても能力を使いこなせていないと言えばそれも事実なので、限界はわからない。

「うーん……じゃあ、さっき持ってきたパーティメンバー募集のやつ、一緒に検討して下さい」

「いいけど、2件くらいなら両方顔合わせしてみたらいいんじゃ」

「ちょっと癖のありそうな募集なんですよ。

 えっと――最初に、こっちが女性しかいない、女性の魔術師を募集してるパーティ。

 それでこっちは男性が2人、女性が1人在籍してる、性別不問で魔術師を募集してるパーティですね。共に経験不問・等級不問、初心者歓迎となってるッス」

「何か問題が? 変な募集じゃないよな?」

 用紙を受け取って眺めてみても、極々小さい文字で要件を誤魔化していたりはしていない。

「倉田さんは女のいる環境で働いたことありますか?」

「いや、無いけど……」

 残念なことに、年齢要綱を満たす前に病気が発覚してしまった俺は、アルバイトを経験することが出来なかった。

「女ってのはですね、それはもうトラブルの種なんですよ。それがたとえ大集団でも、1人いるだけでその集団が崩壊するほどに」

 こいつは自分が女だということを自覚していないんだろうか。

「なのに全員女。そして3人のうち1人が女。これはもう上手くいくはずがないッス」

 人が違えばとんでもない差別発言だが、こいつは自分が女だということを以下略。

「そんなこと言い始めたらキリがないぞ」

 仮に男だけのパーティに組み込まれたとする。摩耶の理論を用いれば、摩耶自身が女ということで、そのパーティは上手くいかなくなるわけだ。

「女は危険なんですよ……」

「君も女だからね、そこのところ忘れないように」

「えっ、倉田さん、そういう目で私のことを……?」

 ときめいてんじゃねえよ。

「違う、そうじゃない」

「ですよね」

 あからさまにショックを受けた顔で、ふっ、と溜息を漏らす摩耶。

 なんだこいつ面倒くさいな。酔ってるんじゃないか? やっぱり葡萄ジュースじゃなくて、葡萄酒だったんじゃ?

「いや、別に摩耶が女らしくないってことを言ってるんじゃなくて……なんか論点がずれてる」

「私もそう思います、はい」

「お前のせいだよ! 漫才やってんじゃないんだから頼むよ!」

「ツッコミはわた、あっ、すいません、倉田さん待って下さい! 行かないで!」

「……」

「とりあえず両方の面接? 行ってみますから」

 そうしろ。まず動かんことには何もならないからな。

「参考までに聞きたいんですけど、今の段階だけで見ると倉田さん的にはどっちが良いと思いますか?」

「えー……、難しいな。どっちとも女1人にはならないから大丈夫そうだけど……こっち?」

 俺は女性オンリーのパーティの募集用紙を指さした。

「了解ッス、参考にしてみます!」

 そう言って摩耶は、掲示板から取ってきたその用紙を戻しに行った。

 パーティ探しというのはこんなに面倒なものなのか?

 今日はまだ何もしてないのに、疲れた……。

 摩耶はすぐ戻ってきた。

「とりあえず用紙に時間が書いてあったんで、それまではちょっとこの街を見て回ってみるッスね」

「雑貨店はどうする?」

「私一度行った場所なら1度で覚えられるんで、1人でも行けるっす」

 いるよな。地理に強いやつ。

「じゃ、俺はクエストでもやってるよ」

「了解ッス。じゃあ私は散策がてら街を見て回るっす」

 ということで、摩耶とはそこで別れた。

 俺は依頼掲示板に足を向ける。

 黒い鎧の騎士の話は、単独で飛竜と戦ったことにより噂が立ち始めている。

 この先、『変身能力』を駆使して戦うには、俺は数多くの依頼をこなして等級を上げ、『変身能力』と生身のギャップを埋めていかなければならない。

 そりゃいざとなったら『変身能力』には頼るが、まだ多用は出来ない。

 もどかしい。

 病気とおさらばして、同年代男子の平均的な身体能力を得られてるとしても、命のやりとりとなると、心許ない。何せ相手が荒くれ者やモンスターだ。

 俺は依頼掲示板の前でしばらく、吟味して今日の仕事を決めた。

 ゴブリン討伐。

 ありがちだが、ゴブリンは集団で行動する習性を持っていた気がする。場合によってはボスクラスのゴブリンが控えているかもしれない。

 等級は不問だが、複数人での対応が推奨する旨が書かれていた。

 依頼書を窓口に提出する。

「クラタ・アキラさんですね。確かに承りました。それではお気を付けて」

 俺は早速、依頼書に書かれていた、ゴブリンの出現場所に向かうことにした。

 飛竜に比べればゴブリンなど敵ではないだろう。


  ※


 そんなわけで依頼書に書かれたゴブリンの目撃情報のあった森にやってきた。街の北の森に比べて鬱蒼としている。

 これは気を引き締めないと。

 ゴブリンだけじゃなく立地的にも油断できない。気をつけないと迷いそうだ。

「……」

 頭上で何かが動いた気がする。森の木々と違う、獣のような、しかし生理的に嫌悪感を抱く匂いが漂った気がした。

 腰の剣に手をかける。

 ザッ、という音が頭上から降ってきた。

 慣れない手つきで剣を抜き放つと、俺は頭部を守るようにして眼前に剣を置いた。

 ゴキッ、と堅いもの同士がぶつかる音が耳を打つ。

 腕に重い衝撃が残る。

「……」

 頭上からのそれは小型の醜い……魔物だろう。ゴブリンに違いない。

 俺は知らず知らずのうちに、すでに敵のテリトリーの中に入り込んでいたようだ。

 ゴブリンは敵が俺だけだと気づいたか、それはそれは耳障りな笑い声のような泣き声を響かせた。

 俺は剣を正眼に構えてゴブリンの出方を見る。

 対してゴブリンは、こちらを完全に格下と見たようで、相変わらず耳障りな鳴き声を口から漏らしていた。

「……変身」

 目前が一瞬の光に包まれ、俺の身体は黒い鎧を纏っていた。

「これは」

 右手には、鈍器かと思っていたあの柄の先から片刃の直刀が出現してた。素人の俺から見ても、この剣がそこらで手に入る安物ではないことが判る。

 恐らく、あの使ってなかった剣が、『変身能力』によって変質したのだろう。こんな機能もついていたとは驚きだ。

 ゴブリンも相対する敵の変容に気づいたのか、先ほどまでの笑い声のような声から、周囲に響かせるような低い声を上げている。

 向き合ってはいるが、お互い武器の間合いからは遠い。

 というのは変身前の話だ。

 俺は、たった一歩、強く踏み出し、その間合いを一息に詰めた。ゴブリンは反応できない。

「……ふっ!」

 逆袈裟に剣を振るう。

 手応えは十分だった。けたたましい断末魔をあげて、そのゴブリンは地に伏した。

 踏み込みが浅かった。

 決定打にはなったが、切り口は浅い。『変身能力』の能力を考えれば、ゴブリンの躯を完全に断ち切ることは出来ただろう。

 がさっ、がさっ、がさっ。

 周囲の茂みが俄に騒がしくなる。

 動物とは違った、饐えた様な臭さが辺りに立ちこめる。

「……」

 残りのゴブリンたちが集まってきたのだろう。

 全てが姿を見せているわけではないので、総数は判らない。

 俺は剣を構える。惜しいことに、小太刀を使用したことはないが、能力による力押しで乗り切れよう。

 そんなことを考えていたら、ゴブリンは続々と茂みから姿を現し始めた。俺の足下に転がった同胞の死骸を見て、威嚇するように一斉に吼え始めた。

 実に耳障りだった。飛竜のような威圧感も威容も無い。

 攻めあぐねていると、一番近くにいたゴブリンが襲いかかってくる。手には棍棒のような棒きれを携えていた。

 その一撃を左腕で受け止める。痛みは無い。ゴブリンのひるんだ隙を突いて、首に剣を突き刺した。

 まるで人間のように、血を口から溢れさせて地面に伏せる。その後はぴくりとも動かなくなった。


 ――いける。


 俺は目に見える限り、近くにいるゴブリンを次々に退治していった。武器の力もある。能力の強化もある。

 素手でも十分だったろう。

 次々と切り伏せられていく仲間の姿に、残されたゴブリンは次第に狼狽の色を見せ始めた。

 やがて俺から一番離れた一匹が逃げ出した。

 甲高い声を上げながら遠ざかっていく。

 それを皮切りにゴブリンたちの総攻撃が始まった。10匹ほど残ったゴブリンは統制もなにもない、がむしゃらな攻撃を一斉に繰り出してくる。持つ武器は様々だ。先ほどのような棍棒のようなものを持つものもいれば、ダガーだろうか、短剣を装備したものもいる。

 だが所詮ゴブリン。躱しきれない攻撃は鎧で受け、俺はそれらを一撃で屠っていく。

「ふん!」

 ……やがて辺りに静けさが広がっていた。俺の周囲にはゴブリンの死骸が、不規則に横たわっている。

 不思議なことに、ワイルドボアの命を奪ったときの後悔に似た感情は湧かなかった。

 これらは人の敵、そう確信した。

「なんだ……?」

 正面。前方から、地面と何かがぶつかるような音、そして木々の枝葉を蹂躙するような音が、向かってくる。

「GaaaaAAAAアアアア!」

 そして遠吠え。耳障りなそれは俺の身体に纏わり付く。

「……」

 先ほどの異音が、足音と、そして巨大な何かが森を駆けていることに気づく。

 強化された視力。

 目に映るのは、巨大な相撲取りを思わせるような巨躯を震わせながら迫ってくる、醜悪な化け物。

「ゴブリンの親玉か!」

 腰を低くして剣を構える。あの巨体にこの剣で致命傷を与えられるだろうか。斃しきれるだろうか。

 否。俺はこの能力を信じる。

 重厚な足音とは裏腹に、その足取りは軽い。片手で巨大な剣のようなものを振り回して、枝葉を傷つけながら向かってくる――!

「gUaaaAAAAAアアアアア!」

 それはきっとたまたまだったのだろう。自分のすぐ後ろに併走していたちびゴブリンが、親玉ゴブリンの剣の餌食となり、頭を潰されていた。しかし親ゴブは歯牙にもかけない。侵攻の足は止まらない。

 脂肪か筋肉か、天然の分厚い鎧を纏った親玉に、この剣でどこまで戦えるか。

 待つ必要は無い。

 俺も駆ける。

 間合いが一気に詰まり、親玉は、他の雑魚とは違いそれに反応し武器を振り下ろしてくる。

 飛竜に比べたら屁でもない。受け止め押し返す。

 体勢を崩した親玉に俺は斬りかかった。

「グゥウウウUUUUUUU!」

 ……浅い! その巨体を巨体たらしめている肉体に、俺の剣ではリーチが足りない。

「なら……!」

 もう一歩踏み込む。完全に懐に入り込んだ俺は空いた左手を親玉ゴブの腹においた。

「絶掌波!」

 ゼロ距離。飛竜にはそれほど効果は無かったが――

「GAAAAAAAAAAAAAAA!」

 親玉ゴブには効果は絶大だった。向こうの景色が見える。

 腹部に大穴を開けた親玉ゴブは、最後まで耳障りな叫びを残して、どう、と倒れた。

「よっし」

 動くものはもうない。

 念のため周囲を探索して、残党がいないか確かめる。鬱蒼とした深い森に広がる血臭と、その原因のゴブリンの残骸。

「そういえば……死体はこのままで良いのか?」

 ゴブリンは動物の食物連鎖に組み込まれているのだろうか。

 まあいい。特に指定されてないし……こいつらあんまり好きじゃないから、埋めてやる気にもならない。

「そうだ」

 親玉の持っていた巨大な刃物を思い出す。

 風穴の空いた巨躯が振り回していた、粗雑で荒々しい、剣と呼ぶには洗練されていない刃物。ずいぶん重そうだが、鍛冶屋に持って行けば、買い取って貰えるかもしれない。何かの材料にはなるだろうし。

 今回の戦利品だ。

「……」

 試しに振り回してみるが、変身した俺にとっては軽いものだ。果たして通常状態で持ち帰れるかどうかが問題になってくるが……。

「ま、その時になって考えよう」

 俺は早々にその場をあとにした。

 あと少しで森を抜けるかというところで、俺は変身を解除した。

「ぐっ……重いなこれ」

 さっきまで重さを感じさせなかった、刃物のような武器が肩に食い込む。これを街まで運ぶのは骨が折れそうだ……。長さは、俺の背丈くらいあるから、1.7メートル近い。重さからして材質は金属だろうか。

 これはなるべく急いで街に戻って手放さないと身体を悪くしそうだった。

 そうして物騒な品を担いで街道を歩み始めた。ときおりすれ違う人々の視線が痛いのは気にしないでおこう。

「ふう……」

 途中、ちょうどいい腰掛けになりそうな岩があったので俺は少し休憩を取ることにした。

「さてと……」

 くそ重い荷物を下ろして、ギルドカードを取り出した。

 討伐履歴を眺める。最新の履歴は「ゴブリンキング」と表示されていた。

「あれがキング……」

 やはりゴブリン、ヒエラルキーが存在するのか。

 ゴブリンは多少なりとも知性を持った魔物だったはずだったから、そう言った階級制度が成り立っていても不思議ではないけれど、人のそれとは違って、物理的に力の強いものが上に行く程度のものだろう。

「あれ。倉田さんじゃないッスか」

 ギルドカードを眺めていた俺に、聞き覚えの、というか忘れようのない声がかけられた。

「あれ? 摩耶、何してんだ」

 摩耶の周りには3人の女性がいて、俺に注目していた。

「あ、皆さん。この人は……この人は……?」

 出会って数日も経ていない俺たちの関係性を表せる単語が出てこないのか、摩耶は言いよどんでいた。

 摩耶と同道していたのは、戦士風の、俺が使っているものより長い剣をを腰に下げた女性と、重鎧を身につけた女性、そして身軽そうな格好をした女性の3人。

「照れるなって。恋人なんでしょ?」

 戦士風の女性が摩耶につっこむ。

「ええ!? 違いますよ! そんな仲が良いわけでも……でも、ないッスね。ね?」

 最後の問いかけは俺に向けられていた。

「同郷なんですよ。生まれが同じ国でたまたまギルドで会ったんです」

「ところでさ……そのデカいの何?」

 地面に置いた、ゴブリンキングの振るっていたあの刃物のようなものに興味を示したようだ。軽装の女性が問うてくる。

「さっき討伐したゴブリンキングが持ってました」

 包み隠さず言う。

「……」

 摩耶以外の3人が顔を見合わせる。

「一緒に討伐に来た人は?」

「あ、俺、一人、で」

 そこまで言って言葉に詰まる。

 ゴブリンキングがどれほどの脅威度を持っているのかは知らないが、気軽に「1人で討伐しました」と言っていいものか。

「……1人でやりました」

 街に戻れば俺が誰とも組んでいないことはすぐにばれるだろう。

 またしても摩耶以外の3人が顔を合わせる。

「やるね……1人でゴブリンキングを斃すなんて中々の腕前と見た」

 まあ『変身能力』のおかげですけどね。

 俺はこれ以上つっこまれるのを恐れて、

「ところで皆さんはこれからどちらへ?」

 あからさまな話題転換をした。

「コボルト討伐だ。それほど難度は高くない。あくまでもマヤがどこまで通用するか力試しだ」

 タンカー役っぽい真面目そうな重鎧の女性が答えた。

 と言うことは摩耶はパーティを決めたのだろう。

 チート能力持ちの魔術師だ。足を引っ張ることないことを祈っている。

「じゃあ、私らは行くから」

 戦士風の女性が歩き出す。

 他の面々もそれに倣い歩き始めた。

「じゃあ倉田さん、私行くんで」

「気をつけて」

 3人に遅れないよう、摩耶も歩き出す。4人は振り返ることなく街道を進んでいった。

 俺も行くか。

 このデカい代物をあと何キロメートルか運ぶことを考えるとちょっと気が重くなった。

「……」

 少し考えてから、俺はそれを引きずって街道を外れた茂みに身を潜める。そして――

「変身」

 便利な能力を得られたことに、本当に感謝せねばなるまい。

 この状態なら――

「なんだこれ!?」

 迂闊にもキングの武器を持ったまま変身をしてしまった俺は、変貌したあの無骨な武器のようなものを持っていたままだった。

 なのに、それは紛うことなき逸品。長大なグレートソードが右手にあった。もはやそれは武器と言うより、鈍器のような巨大さであった。重さで叩き切りでもするような巨大な刃物。

 実に重量級の一品であったが、変身したおかげにより、片手で難なく扱える。

 これは……使えそうだが、常日頃からあの重量の物体を通常状態で持ち歩くことを考えると辟易する。

「……」

 ちょっと男心をくすぐる品……でも、残念だが大人しく売り払ってしまおう。

 変身能力は、持っているもの、もしくは身につけているものにまで機能するようだ。で、あれば強い武器を手に入れれば、それだけ俺の戦闘能力は強化されていく……?

 鍛冶屋でのオーダーメイド武器、考えてみても良いかもしれない。

「……」

 俺は街道を外れた整備されてない草地を駆け抜けた。

 強化された視力で、もう街を囲む外壁が見えている。あと少しこのまま走って、適当なところで変身解除だな。

 果たしてこの品につく値段はいくらなのか!

 期待せず鍛冶屋に持ち込もう。

「そろそろか」

 変身しているなら歩く必要はない。能力値が底上げされているため、疲れはない。

 肩に担いだデカ物を下ろさず、俺は変身を解除した。 途端、ずしりと重量が身体を苛む。

 門から街中に入ると、周りの視線を集めていることに気づいた。このデカ物のおかげだろう。

 それから逃げるように、俺は鍛冶屋へと急ぐ。およそ一見して人が取り扱えそうにないその物は、人目を引きすぎた。

 街の中をゆくときも、街の住人たちは俺を、好機と、

危険なものを見るような感情を込めて遠巻きに眺めていた。

 ギルドを過ぎ、ようやく鍛冶屋に辿り着くとその扉を開け放った。

「いら、っしゃい」

 出迎えてくれたのはいつもの赤毛の少女だ。

 俺の担いだデカ物を見て、呆れたような目を向けてきた。

「なんだいそりゃ」

「いや、なんか討伐依頼受けて行ってみたら、ゴブリンキングてのがいて……」

「ほーん。ゴブリンキングの得物か。面白いもん手に入れたね。それで、うちに持ってきてどうすんの?

「買い取って貰えないかなって」

「はぁ!? ……うーん。確かにその大きさなら素材としちゃ十分だけど……いやでも待てよ……打ち直せば……」

 剣とも言えなそうな、無骨な武器を前にして鍛冶屋が頭を抱えている。

「ちょっと待ってなよ、親父を呼んでくるから」

 親父……ってことはここの店主か?

「はいよ! どうもどうも!」

 思ったより早く、そんな気さくな風に1人のおじさんが顔を見せた。

 人の良さそうなそんな男、およそ自分の抱く鍛冶屋の店主のイメージとは遠い人物だったが、体格がただのそこら辺の人々と一線を画していた。腕の太さ、肩の筋肉、それらを含めて、まるでその人それ自体が鍛冶屋の職人という看板そのもののようであった。

「キングの武器だっけ?」

「そうです」

 カウンターから出てきた店主は、俺が引きずっていたそれを、ひょいと持ち上げて見せた。

「はー、これは、重いね。何使ってんのかな……」

 両手だが、軽く上下させて見せ、俺は、そのたびに蠕動する腕の筋肉から目が離せなかった。

 すげえ……。

「キング斃したの?」

「え、ええ、まあ、はい」

「へえ」

 ギラン、と俺を見る親父の目つきが一瞬変わったのを見逃さなかった。

「……そうだなぁ。うちですぐ買い取りなら、出せても15万だけど、時間があるならそれ以上行くかもしれんよ」

 15万レデット!? 普通の高校生には手に余る額だ。しかも最低額だから、まだ伸びる余地がある!?

「こういうの集めてる人たちがいるんだよ。魔物が作って、魔物が使ってる武器を集める収集家が。そういう人たちに話がつけば倍以上の値は付くかもね」

 ばばば、倍以上!? 30万以上!?

「君は……そういうコネはないよね、うちに直接持って来ちゃうくらいだから。待てるようなら、そっちの筋に話し通して上げるよ」

「おねがいしまぁす!」

 俺は金額に目がくらんで反射的に答えていた。

「はいはい。でも期待しすぎないでね。もしかしたら人が作った武器を奪って使ってる可能性もあるから、専門家に鑑定してもらわないとね。……だから、うちの仲介料と、鑑定料は引かせてもらうよ。それで売れればよし、売れなければうちで15万で引き取ってあげようか」

「よろしくお願いします!」

「じゃあこれはちょっと預かるから、ギルドカードで君の身元確認させて貰えるかな。連絡はどうする?」

「今はまだこの街から出る予定はないので、宿屋かギルドに言伝を貰えれば」

「うん、そうだね。じゃあ預かるね。――レイラ」

「ん?」

 カウンターの、店番をしている赤毛の少女が応える。

「お前は何無関心そうにしてるんだ。彼の名前、確認しておいてくれよ」

「ああ、もう知ってる。クラタ・アキラだよ。この前うちの剣を買いに来たんだよ」

 ……そういえばこの剣を買いに来たとき、ギルドカードを見せたっけ。

「ああ、本当だ。うちで作った剣だね」

 それ、と俺の腰元に指をさす。

「それじゃあ、話がまとまったら連絡行くようにするから」

 ひょい、とキングの武器を肩に担いで、親方は裏に引っ込んだ。筋肉すげえ! そして鍛冶屋の親方らしからぬ物腰の柔らかさ!

「そういうことだから。少し時間もらうよ」

 むしろレイラと呼ばれたこの少女の方が職人気質すぎやしないだろうか。

「はい。じゃあお願いします」

 売却金額を知り、ほくほく顔であろう俺は、そのまま鍛冶屋をあとにした。

 さて。では、でかい荷物を片付けたら、次はギルドに依頼完了報告だ。麗しのアイリスさんはいるだろうか。


 ――いなかった。

 もうちょっと時間をずらせば良かったかな。

 鍛冶屋からそのままの足でギルドに向かった俺は、窓口にアイリスさんの姿を見つけることが出来なかった。

 清算中、担当してくれた職員の方にアイリスさんがどうしているのか聞いてみた。

「マスターなら書類整理に追われていますよ」

 ちょっと可笑しそうに微笑みながらそう言った。

 マスター? マスター?

 マスターって酒場か何かかな?

「マスターってどういう……」

「あ、そうですよね、クラタさんはまだギルド会員になって日が浅いからご存じなかったですか。あの人結構窓口対応してますけど、ここの支部のギルドマスターなんですよ」

 ギルドマスター。

「……と言うことは……ここのトップだと言うことでしょうか?」

「そうなんですよ、人当たりも良いし穏やかな性格ですからそうは見えないですよね」

 あんな綺麗で見目麗しい女性がギルドマスターとは……。

 でも確かに飛竜防衛戦のときには率先して陣頭指揮を執っていたし、他の冒険者もアイリスさんへの信頼度はずいぶん高かったように思う。

「お待たせしました。こちらが今回の報酬と、――おめでとうございます。等級のランクアップで、7等級に昇進です。

 すごいですね。こんな短期間で順調に等級を上げるなんて。クラタさんは期待の星ですから、これからも頑張って下さい」

「どうもありがとうございます」

 しまうものをしまって、俺はその場を立ち去った。

 しかし期待の星か……。実に異世界転生らしい展開で、悪い気分ではない。元の世界では、ただの高校生だったってのに。いや、嘘。病弱な高校生でした。

 それよりも、アイリスさんが、ギルドマスターとは驚いたな。ギルドマスターっていえば、そのギルドの総責任者? 人は見かけによらないなぁ……。アニメや漫画だと、偉丈夫のわかりやすい人がやってたりするけど。と、考えると、そういう人たちを押さえてその地位にいるわけだから……どれほどの強者なのだろうかという疑問が生まれる。

(可憐な戦士……!)

 あの華奢でスラッとしてお淑やかそうなアイリスさんが、実はメチャクチャ強いなんていう、意外性……待て。このパターンも漫画やアニメではありがちだな。

「……」

 いつかアイリスさんの実力を目にする日が来るだろうことを、楽しみに待とうじゃないか。


  ※


 とある日、ギルドの食事処で休憩していると声をかけられた

「どうもッス」

 テーブルを挟んで対面に付いたのは、摩耶だった。

「ういーっす、摩耶」

「こっちでの生活も慣れて来たッスよ」

「そりゃ良かった。パーティの方はどう?」

「他のお三方が年上なので、メチャクチャ面倒見てくれます。旅のこととかいろいろ教えてもらったり」

 なるほど。荷物がそれとなく充実しているのはそのおかげか。千日の勤学より一時の名匠と言う。ソロ活を続けている俺と違って、そっち方面のノウハウはもう摩耶の方があるのかもしれない。ところで女だけのなんちゃらはどうなったんだ。

「……あとはチート能力のおかげでウハウハですよ」

 小声で付け足す摩耶。

「それはデカいよなぁ。……俺も生身で戦ったことないかも」

「生身で戦ったことがない……?」

 しまった。口を滑らせた。

「今のは忘れてくれたまへ」

「ということはそれが倉田さんの能力のヒントってことッスね」

「あー、もう」

 ……今のは制約と制限にはひっかからないよな、多分。正体はばれてないし。

「そこまで隠されると気になるってのが人情ッス。なにも倉田さんに迷惑をかけたいわけじゃないですけどね。能力バトルものなら、相手の能力を見極められるか否かが勝敗を決しますから」

 え? 何それ俺を倒そうとしているの?

「でも味方にまで能力を隠すなんて、癖のあるキャラっぽくてポジション的に美味しいッスよ」

 能力そのものに癖はないんだけどね。むしろ能力だけで見るなら王道ではないだろうか。

 変身ヒーローって世界共通だよなぁ、多分。

「もったい付けすぎて、あっさり死なないように注意ッスよ、倉田さん」

「ちょっとその節があるから反論できない……。いや、もったい付けてるわけじゃない。そういう制限が付いてるだけってことなんだけど」

「制限付きの能力ッスか。……あのカタログにそういうの載ってたッスかね?」

 あのカタログ、というのは転生に際しての特典能力一覧チートカタログのことだろう。見た覚えが無いと言うことは、摩耶は俺と同じような能力を求めなかったと推測できる。

「私はもう、剣と魔法のファンタジー世界と聞いて、魔法のことしか頭になくなってました。厳密に言うと魔術ですけどね。けど、私たちの世界からしたら、こっちで言う魔術も十分魔法の域ですよ」

 確かに。

 摩耶が試し打ちした、曰く一番強い魔術なんて、どういう原理で発現するのかわからない。

 きっとこの世界で魔術の勉強をした人なら説明はできるのだろう。確かそういう機関があるということを、直接ではないが耳にしたことがある。

 それは……そう、確か魔術協会と呼ばれているそうだ。

 魔術を研究し修練し、やがて魔法への道筋を至る道を模索する研究集団。そして魔術を世間に普及するために活動をしている。

「そういえば摩耶は、使える魔術が増えたりしないのか?」

「えー……どうっすかね。今のところ私が使えるのは特典で使えるようになった40種類の魔術だけっすけど」

「そっか」

 例えば俺の『変身能力』は、変身する際に身に帯びているものにも影響を与える可能性があることを先日知った。

「ていうか40種類?」

「そうです。指定した40種類の魔術を、規定の工程(アクション)で発動させる、っていうのが私がもらった特典能力ッス。これ結構強力なんですよ。普通なら呪文の詠唱が必要なところをアレだけで使えるわけですから」

 あれ、とは指パッチンのことだ。

 40種類の魔法か……ゲームで考えても40種類は多いよな。それだけの数の魔術を、たった一瞬に近い間隔で行使出来るということか。

「いや、とんでもない魔術師だな」

「そうみたいッスね。パーティの皆さんも驚いてました」

 他人事みたいな物言いである。あの人たちは生きる砲台をパーティに迎えることになったというのに、砲台にはその自覚はまだ無いらしい。

「MP切れだけには気をつけようね」

「そうですね。まさか足腰立たなくなるとは思いもしませんでした。しかしその対策もばっちりですよ」

 自分の隣の椅子に置いた荷物をパンパンと叩く。

「どうやらMPが切れると、人によって現れる症状が違うらしいです。その場で意識失うくらい致命的で危険な状態になる人もいれば、私みたいに足腰立たなくなるくらいお腹空く程度で済む人もいるみたいで。だからその点は私はラッキーでしたよ。

 保存食を切らさないように持ち歩いていれば、実質MP無限ですよ」

 ふふふ、と自慢げに微笑む人間砲台。

「で、今日は他の人は?」

「今日はお休みッス。なので各自自由行動で」

「その割には荷物がしっかりしてるね」

「皆さんといくつか依頼をこなしてるうちに、バトルに慣れて来たっぽいんで、ちょっと1人で依頼でも請けてみようかと思いまして」

「本当に大丈夫かぁ?」

「まあそれを見極めるためにっていう目的もあるッスね。駄目だったら呼ぶんで助けに来て下さい」

「無茶するなよ」

「わかってますよ。さすがにこっちで死んじゃったら、もう転生できないでしょうからね。私はこっちの世界をもっと楽しみたいッス」

 グッと拳を握る摩耶。

「……なんか心配だなぁ」

「じゃあ一緒に行くッス」

「誰かと一緒の時の俺は役立たずだよ」

「平気ッスよ。離れたところから魔術でボン、ですからね。倉田さんは私の魔術に見蕩れてください」

 どうやら実戦を経て、ずいぶんと自信を付けたようだ。

「ほーん、じゃあ行くか?」

「本当ッスか!? 粘ってみるもんですね。それじゃあ早速ですけど依頼見に行きましょ!」

 荷物を取ると、摩耶はさっさと掲示板に駆けていく。

 俺もそれに続いた。

「さーて、どれがいいッスかねー」

「死なないやつ」

「そんな危ないの……あー、ゴブリン討伐をソロで行くと大抵死ぬそうですよ。ゴブリンて集団で活動しているそうですから」

「確かに数は多かった」

「あ。これ面白そうッスよ。地下水源の調査ですって」

「なんかもっとヤバいの選ぶと思ってた」

「私をなんだと思ってるんですか」

 避難めいた視線を無視して、依頼書を読み上げる。

「えーっと……水源近くに魔物の目撃情報あり。調査、場合によっては討伐すべし。水質の調査は不要。

 いいんじゃないかこれ」

「ではこちらの依頼で決定ということで」

 依頼書を剥がした摩耶は、軽い足取りで受付窓口に向かっていった。


  ※


 地下水脈への入り口は街の南側にあった。話によるとここの水源が生活用水となっているとのこと。

 入り口は鉄格子になっていて、冷えた空気が漏れている。入り口から階段になっていて、奥に行くにつれて暗くなっていくのが入らずとも確認できた。

「なんかダンジョンみたいでワクワクしますね」

 荷物をあさりながら摩耶は言う。取り出したのはランタンだった。

 俺はギルドから渡された鍵を使い、入り口を閉ざしている錠前を外していた。思いも寄らぬスムーズさで鉄格子は開いた。こまめに手入れがされているようだ。

「行きましょうか」

 ランタンを掲げて階段を降りようとした摩耶を、俺は引き留める

「待ちなされ。俺が先に行こう。君は自分が後衛火力だということを忘れてはいないか」

「言われてみれば確かにそうッスね」

「そういうわけだからランタンは持つよ」

 摩耶からランタンを受け取り階段を下る。意外と急だ。

「摩耶、足下気をつけてくれよ。落ちてきても支えきれないからな」

「どういう意味ッスか。私が重たいとでも言うんですか」

「この急な階段で後ろからぶつかられて転ばないやつがいるとでも?」

 急な上に一段一段が高いと来た。水源のある場所はかなり深いところなのでは。

「摩耶、足下暗くないか?」

「オッケーでーす!」

 進むにつれて、外からの光がどんどん小さくなっていく。入り口が白い穴のようになっていた。どことなく遊園地のお化け屋敷にいる気分になってくる。ここの場合、命の危険がある分、怖さが倍増する。

 だんだんと湿度が上がってきている。

 足音にも少し湿り気が混ざり始めた。

 これはさらに気をつけないと足を滑らせそうだ。

「摩耶。足下が滑るかもしれないから、気をつけて」

「了解しました」

 ざりざりした感触が薄れて、じゃりじゃりと音を発する、水分を含んだ土が増える。

 外の光はもう届いていない。摩耶の用意したランタンだけが光源だ。なるべく摩耶の足下を照らすように、持つ。

 この階段、直線ではなく、やや曲がりくねった構造をしている。螺旋、とまでは言わない。その証拠にもう視認できない入り口が証拠だ。ただ直線的に降りてきていたのなら、それほど潜っていない。

「倉田さん」

「ああ。行こう」

 ランタンを持ち上げて、なるべく広い範囲を照らすようにして進む。

 それにしてもこのような場所に現れる魔物とはいったいどんなものだろうか。

 水の匂いを強く感じながら、俺たちは暗闇の中を慎重に降りていく。

「なんか……水の流れる音、しません?」

「聞こえる。結構流れが強いかな……反響でそう聞こえるのか」

「ただの水音なのに、ちょっと怖いっすね」

 喋りながらも一段ずつ確実に降りていく。

「お。着いた。階段終わり」

「はーい」

 そこは人の手が入った、整備された地下水路のようだった。地面は階段と同じで、レンガで舗装されている。

 水源から街中に水を引いているのだろうか。

 ダンジョンのようなおどろおどろしい空気は漂っていない。この分では水源自体は汚染されているということはないだろう。

 摩耶の足下が暗くならないようにランタンで階段の方を照らす。

 水音はさらに近くなっていた。こもった空間に響く水音は少々不気味というか、えもいわれぬ恐怖を煽られる。

 確かにこんなところに魔物が居着いたら厄介だ。

「ほい、ッス」

 摩耶も無事に階段を降りきった。

「さて……鬼が出るか蛇が出るか」

「そんな大仰な。どうせデカいネズミかなんかですって、きっと」

 はい、フラグー。

(摩耶には悪いけど、気を抜かないようにしよう)

 先頭は俺、後ろに摩耶。ランタンを片手に進んでいく。

 水の流れる音は聞こえるが、肝心の水そのものはまだ確認できない。

 天助は低く、通路の幅は1メートルあるかどうかという通路を慎重に進んでいく。

 進むにつれて水の匂いと音が強くなる。

「お。見ろよ、水路だ」

 開けた場所に出た。先ほどより天井が高くなり、道幅も倍くらいなり、水路を挟んだ向こう側にも足場があった

「なんか思ってたのと違いますね。もっとこう下水道みたいに汚いと思ったッス」

「生活用水だから綺麗じゃなきゃ」

「あー、そっか」

 ここから水路が街中に張り巡らされていて、街中に水が供給されているとのこと。

「ダンジョン探索ってこんな感じですかね」

「どうだろうね」

 摩耶はともかく、俺は軽装過ぎる。ランタンを始め、装備が貧弱だ。持っているものと言ったら街と、その周辺の地図と剣だけ。

「基本的に水源までは1本道って言ってましたから、このまま進みましょうか」

 明かりを持っているのは俺だ。離れすぎると摩耶の視界が確保できない。つかず離れずの距離を保つように俺は歩を進めた。

「おい、あれ」

 時間にして数分ほど進んだろうか。目前に淡い光が見え始めた。

「あれ、モンスターですかね」

 俺は腰の剣に手をかける。が、しかし光には動物や魔物、生物が放つ気配が感じられない、自然光のようであった。

 その光は青白く燐光を放っている。

「モンスターが目撃されてる割には、なんだか幻想的で綺麗ッスねぇ」

 ランタンの光は、迫る青い光より強い。

「ほー! これはすごいッスね!」

 整備された通路が途切れるとそこは、地底湖が広がっていた。ここは天然のままのようで、かなりの広さがある。青白い燐光は壁や、転がっている岩、そして湖そのものから発せられていた。その光源はランタンの光が無くとも、お互いの姿を視認出来るようになるほどのものだった。

 地底湖。

 ドーム状になっているらしくその広さと、地底湖の規模は大したものだった。

 さっきまで反響していた声は、普通に会話している程度の音声では響かない。

 地底湖の湖面は周囲の青い光を反射しているのか、それともそこまで澄んだ色をしているのか判別は付かない。

「いや、本当に綺麗ッスね」

 ゆっくりと湖に近づいて行く摩耶。

「おー、冷たくて気持ちいいー」

「おいー。気をつけろよー。もしかしたら水の中に潜んでるモンスターなのかもしれないんだから」

「大丈夫ッスよ。この水メチャクチャ澄んでるから丸見えですもん。底まで丸見えッス」

 ちゃぷちゃぷと水を遊ばせながら、摩耶ははしゃいでいる。

「しかしこの街にこんな綺麗な場所があるなんて、ガボッガボボッボボ」

「どうした。バグったか?」

 奇声を発した摩耶の元に駆け寄ると、

「ガボッ、ガボボオボボ!」

 摩耶の首から上が、薄い膜のようなもので覆われていた。まるで水の入ったデカい金魚鉢をかぶっているかのようで……。

「ガボボボボッボ! ガボ」

 呼吸できていないことに気付くのが遅れた。

 俺は急いで摩耶の顔にへばりついた膜を取り除こうとする。

「なんだこれ……!?」

 膜はブヨブヨと柔らかく、掴もうとしても指の間から逃げていき、摩耶の頭から引き離せない。

 ブヨブヨは摩耶を逃がさないように、蠢いている。

 まるでクラゲのようで、それよりも弾力性を備えた物体。

「……!」

「摩耶!」

 摩耶の表情が一気に切羽詰まったものに変わる。もう息が持たない……!

 俺は剣を引き抜くと、

「動くなよ、摩耶!」

 ブヨブヨを引き裂こうと試みる。こくんこくん、と頷きながら摩耶は目をつぶって動きを止める。

 摩耶を傷つけないように慎重に、だが急いで。

「くそっ……! これ刃が入っても全然切れない!」

 何度試しても駄目だった。

「……! ……!」

 摩耶の顔色が変わる。

 しっしっ、というジェスチャー。

「何を……!?」

 変わらず続けられるジェスチャー。

 俺はそれに従いとれるだけの距離をとった。

 すると、パチン、という音が耳に残った。瞬間――摩耶の頭部が、炎に包まれていたのだ。

「うわあああああ!?」

 人の頭部が炎に包まれる瞬間をみたことがあるだろうか。

 俺は初めての衝撃的な光景を目にし、叫んでしまう。腰が抜けるかと思った。

 と、同時にジュウウウウという水分が蒸発するような音が耳に届いた。

「――っは! げっほ、げほ!」

 炎が消えたとき、膜のようなものは消え去っていた。

 表出した頭部。

 足りない酸素を補給しようと、あえぐ。

「死ぬ! 死にます! ヤバかったです! ああ! 髪の毛ちょっと焦げてる……!」

 顔の所々を少し赤くして、涙目で訴えてきた。

 自分の頭に炎の魔術を発動させるとは、恐れ入る。

「ちょっと待て待て! なんだ今のは!?」

「うぅ……ギルドカードで履歴を……」

 摩耶は手早くカードを操作すると、

「グリーンスライムってなってますよ!」

「スライム!? スライムってあのスライム?」

 某有名ゲームで、初心者向けのおなじみ敵キャラとなっているあのスライム? 殺意が尋常じゃなかったぞ。

「さっきのスライムはどこから来た?」

 冒険者としても戦士としても駆け出しの俺たちはモンスターの襲来に反応できなかった。

「わからないッス……。感覚としては頭の上から包まれる感じがして、気づいたら死にかけました」

 頭、というと天井か?

 燐光が周囲を照らしていると行っても、このドーム状の場所で、天井の様子までは目では追いきれない。

「倉田さん! 後ろ!」

 反射で振り向くと、お菓子のグミのような、クラゲのようなそんな物体がそこにいて、飛びかかってきた。

「っ!」

 剣を振るう。――が、手応えは全くない。ぷにょんとした感触が剣を伝わってくる。押し返すだけにしか至らなかった。

「おいおいおい! スライムって初心者向けじゃないのかよ!」

「この期に及んでそれは通じませんよ、倉田さぁん!」

 たたき落とされたスライムは、その弾力から、地面に落ちるとプニョプニョと身体を震わせて体勢を立て直した。

「摩耶! 頼む!」

「応っす!」

 パチン、と軽快な音が響く。

 瞬間、目の前のスライムが火柱に包まれた。青白い光に満たされた空間に、赤い光が迸る。

 スライムは声も上げず火柱にもだえている。

「スライムってどうなってるんだ?」

「わからないっす。意外と手強いッスよ!」

 また水分が蒸発するような音が聞こえ、火柱が消えると、そこには何もいなかった。地面に焦げたような黒い跡が残っている。

「まさか依頼にあった目撃された魔物って……」

 摩耶が嫌そうに呻く。

 だろうな。こいつらだろう。

 こちらの心構えが整う前に、周囲に軟性の物体が地面に叩きつけられるような、ペチャペチャ、ペタペタ、そんな音が聞こえる。

「摩耶さん……」

「倉田さん……」

 顔を見合わせた俺たちは、駆け寄って背中合わせに立つ。

「思ったんだが、スライムって物理攻撃が効かないんじゃないかと思うんだ」

「私もそう考えていたところです……」

 べた、べちょ、と、そこかしこから聞こえてくる嫌な音。

 あの音が全てスライムだとしたら気が滅入るが、きっとそうなんだろう。

 この地底湖は人の手の入っていない洞窟だ。スライムのような不定形の生物が潜むには、もってこいの場所だろう。

「摩耶、凍らせることは出来るか?」

「もちのろんッスよ。任せて下さい」

 固まれば俺の攻撃も通用するだろう。

「それじゃあ、MP切れを起こさないように、使い分けてやってくれ。凍らせたやつは俺がどうにかする!」

「了解ッス!」

 うぞうぞとこちらを目がけてやってくるスライム。

「いきます!」

 ぱちん、と軽快な音が一際大きく鳴り響く。

 スライムの1体が火に包まれる。

 続いてもう一撃。轟、という音が背後から響く。

「摩耶! 俺の方は凍らせてくれれば良い! そっちは任せる!」

「うッス!」

 ぱちん、ぱちん、ぱちん、と連続で指を鳴ると、俺の前に並んだスライムたちが氷漬けになる。

 俺はそれを片っ端から剣で叩いて砕いていく。

「倉田さん、引きましょう。一気にやるッス!」

 ぱ、ぱ、ぱ、ぱ、と指を鳴らす音は重なって響く。

「なにそれ!? 両手で発動出来るわけ!?」

「そうです。だから一気に行きます」

 スライムの数は増え続けている。

 摩耶は敵の位置を確認しながら、発動させる魔術の種類を選別しつつ対応する。

(どうする……! 変身するしかないのか……?)

 魔術で凍ったスライムを叩き割りながら逡巡する。 変身すれば生存確率は今より激増するだろう。しかし、攻撃手段は変わらない。

「摩耶、壁伝いに炎を展開させられないか?」

「壁伝いッスか? 壁伝い壁伝い……行けます!」

「よし。そしたら一旦通路に戻って、それからその魔術を頼む」

「了解ッス!」

 二人、背中を合わせながら移動を開始する。

 摩耶の魔術の発動タイミングは絶妙だった。そしてカバーリングも完璧。スライムの動きは緩慢だったが、何よりもその数が多い。倒してもキリがないとは正にこの状況そのもの。

「よし!」

 通路に辿り着く。

「摩耶、さっき言ったの頼む!」

「オッケー、行きますよ!」

 ぱちん、と小気味よい音が聞こえたかと思うと、地底湖のあったドームの天井と壁とに、這うように炎が迸る。俺は未だ迫るスライムを、展開された炎に向けて剣で弾いている。

「地面もやっちゃいますよ!」

 ぱっちん。地下の温度が俄に上昇していくのが判る。 地下水に影響は出るかわからないが、今はこちらの命が優先だ。

 プジュゥという音がそこかしこから鳴り出している。壁の亀裂に隠れていたり、這い出してきたりしているスライムが炎に焼かれている音だろう。

「ふぅ……魔術すげえ」

 青い燐光に満たされていた空間は今や、紅蓮に染まっている。

「モグモグ……そろそろ消えるッスよ」

 何かを咀嚼しながら、摩耶は言う。

 俺は油断なく剣を構える。斬撃や打撃という物理的なアプローチはまったくの無意味だ。その場からスライムをどかすことしかできない。俺は剣をゴルフクラブよろしく使って、スライムを吹っ飛ばしていたのだ。

 全く役に立っていない。

 摩耶がいなかったらと思うと寒気を覚えた。『変身能力』にも魔術的な攻撃手段は持ち合わせていない。けれども、ごり押しでも行けそうな気はした。

「……いや、本当助かったよ、摩耶」

「モグモグ……はいッス」

「それ何?」

「MP切れ対策用の保存食です。なんかサラミみたいで美味しいんですよ。食べます?」

 はい、と差し出されて、つい、反射的に受け取ってしまった。ソーセージにも見える。

「……」

 俺は消えかかっていた魔術の炎で、それを炙ってみた。

「焼く!? その発想はなかったです」

「じゃあいただきます」

 パリッとした食感がイケる!

「美味しいよ美味しい」

「ちょ、私にも下さい」

 摩耶は小気味の好い音を発した。

「あ、こっちの方が脂が落ちて美味しいかも」

 目的が変わってるけど、まあいいか。

「って、違う! スライム! スライムは!?」

「今のところもう出てきませんね。全滅できたのでは?」

「はあぁぁぁ……よかった。そしたら次が出てくる前にとっとと撤収しよう!」

「モグモグ」

 焼きサラミでMP回復を図っている摩耶は、頷いた。俺はランタンを持ち直して、通路を歩き始めた。

「ところで倉田さん」

「なにかね荒木さん」

「……これ、間接キスじゃないッスか?」

 はいはいトゥンクトゥンク。


  ※


 地下道から出、太陽の……あれって太陽なのか? 異世界だから違う可能性もある。

「摩耶。ちょっと聞きたいんだけど」

「なんですか?」

「あれって太陽なの?」

 昼の空に大きく輝く丸い天体を指さす。

「うちのパーティの人も太陽って言ってたことがあるんで、太陽で通じますよ」

「そうなんだ」

「それよりも戻って来ちゃって良かったんですか? スライム全滅させなくて大丈夫なんですかね」

「一応調査がメインになってるはずだから、問題ないんじゃないかな。討伐に関しては、摩耶はともかく、俺が戦力にならないから、諦めよう。

 ギルドにはここで何があったかを報告して、向こうに判断してもらうってことで」

 鉄格子を閉じて、錠前をかけ直す。

「そうですね……確かにスライムがあんな攻撃してくるとは思いもよらなかったッスよ」

 もし魔術がなかったら摩耶は窒息死させられていただろう。

 それを思い出したのか、摩耶は渋い表情で喉元をさすった。

「火傷とかしなかったか?」

「顔は大丈夫でしたけど、髪の毛がちょっと焦げました」

「……ごめん」

「や、倉田さんのせいじゃないッスよ。お互いに能力を過信しすぎて油断したからッス」

「確かにそうかもしれないけど」

 髪は女の命という言葉もあるくらいだ。

「気にしないでください。私も1人だったら何もできずに死んでましたよ。倉田さんがいたから乗り切れたんですし、お互い様ってことで」

「摩耶……ごめん、ありがとう」

「じゃ、気持ち切り替えてギルドに向かいましょう」

 後ろめたさを押しとどめた。そして摩耶と共に歩き出す。

「しかしスライムって可愛げのある造形だと思ってました」

「確かに。日本人が持つスライムのイメージをぶち壊してきたよな」

「剣で切ってもなんともなかったんですよね?」

「たぶん粘液状だったと思う。だから水を切ってる感じだったかなぁ」

「打撃でも駄目そうでした?」

「斬りかかった感触からすると、そっちも駄目だったろうなぁ」

 物理攻撃無効って感じだった。

 変身してたら対応できていたのだろうか。もし出来なかったとすると、考えるだに恐ろしい。

 その後、スライムの話を筆頭に、とりとめの無い話をしながらギルドまで歩いた。

「なんて言って報告したら良いですかね」

「包み隠さずありのままかな」

 ギルドの入り口前でそんな会話を交わす。

 扉を押し開けて、2人揃って窓口まで向かった。

 窓口にはアイリスさんがいた。

「依頼完了の報告です」

 依頼書を出しながら摩耶が言う。

「はい。……水源の調査ですか。どうでしたか?」

 俺たちは起こったありのままを、そのまま報告した。

「なるほど……スライムが棲み着きましたか……数はどのくらいですか?」

「えーっと……討伐できたのが……」

「討伐できたのならギルドカードをセットして下さい。こちらで確認します」

 まず摩耶からカードを置く。

「……はい。クラタさんはどうですか?」

「ああ、はい、俺も何匹かを」

 摩耶がカードを持ち上げると、続いて俺がセットする。

「なるほど……。わかりました。今回の依頼は完了と言うことで手続きさせていただきます」

「おお。よかったですね倉田さん」

「そうだな」

「では、報酬はこちらです」

 差し出された報酬はとりあえず俺が受け取っておく。あとで配分しよう。

 俺はギルドカードを引き取るとケースにしまった。

「アラキさんは今回のスライム討伐数で、等級値が規定に達しましたので8等級に昇格ですね。おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「では、以上です。これからのご活躍も期待しています」

 軽く会釈して受付を離れる。

「いやぁ、最後の倉田さんの作戦のおかげで等級値稼げましたね」

「あの範囲をカバーする魔術を使えるとは思わなかったよ」

「いろんな魔術があるってことですよ」

 食事処を過ぎようとしたところだった。

「おーい、マヤ!」

 快活な声で摩耶が呼ばれた。

 声の主は食事処にいて、どこかで見た覚えのある女性だった。

「あれ? ナタリーさんだ」

「知り合い?」

「同じパーティの人ですよ。倉田さんも1度会ったことがあるはずッスよ」

 あー、摩耶のパーティの……。確か遭遇したのはゴブリンキング討伐の帰りか。

「こっちおいでよー!」

 騒がしいギルド内で、よく通る声の持ち主だ。

「ちょっと行ってきますね」

「オッケ」

 小走り気味に駆け寄っていく摩耶。様子を見ていると二言三言交わしたと思ったら戻ってきた。

「倉田さん、連れてこいって言われました。行きましょう。奢ってくれるみたいです」

「マジ?」

 金には困ってないが、ソロ活冒険者の俺にしてみれば貴重な情報収集のチャンスだ。ご一緒させてもらおう。

「よし、行く行く」

「はーい」

 摩耶を先導に俺は女子会に足を踏み入れた。

「よろしく。私はナタリー。そっちがラウラ。本当はもう一人いるんだけど、今日は別のパーティで仕事してるんだ」

「そうなんですか。よろしくおねがいします。俺は倉田彬です」

「確かにマヤと名前の響きが似ているな」

「そうすると……アキラって呼べば良いのかな?」

「呼びやすい方で良いですよ」

「じゃあアキラ、アキラはラウラの隣で」

「なっ、ちょっ」

 何故か狼狽えるラウラと呼ばれた女性。俺は気にせず言われたとおり、ラウラさんの隣に座った。

「マヤは私の隣ね」

「はいッス」

「2人とも飲み物はどうする?」

「私はいつものでいいッス」

「俺はこれで」

 メニューの、リンゴジュースもどきを指さす。

「2人とも一緒じゃん。――ヘルー!」

 少し離れた位置にいたヘルミーネさんがおり、片手を上げた。そうしてトコトコと、早くも遅くもない絶妙な速度で注文を取りに来た。

「少年、ハーレムできてんじゃーん」

「そうですね。意図せずハーレムですね」

 適当にあしらう。

「いつもの2つお願いね」

「はいよー」

 いつもので通じるくらいここに通ってるのか。

「ナタリーさんとラウラさんは、冒険者やって長いんですか?」

「私は13のころから。ラウラも13から始めて今年で10年目だっけ?」

「そうだ。というかちょっと待て。どうして私の年齢だけわかるような言い方をした!」

「アキラが知りたがってたから」

「えっ」

 どこか嬉しそうなラウラさんに、

「えっ?」

 身に覚えのない俺。ラウラさんは顔が赤い。

「いや、その、アッ、アキラは年上の女は嫌いか?」

 なんだその唐突な質問は。

「うーん、年齢を意識したことないですね」

 俺くらいの年で付き合うとかどうとか、ってなると大体同い年か、プラスマイナス2~3歳差くらいだもんなぁ。俺の場合、成人してる人との接点があっても恋愛感情を抱かれたり、抱いたりという経験は今のところない。そもそも余命宣告されていた身としては、恋愛どころではなかった。

「そ、そうか!」

「そうですね」

 ラウラさんが13歳から冒険者を始めて、で、今年で10年目ということは23歳。俺から見たら十分大人の女性だ。

「アキラ。ついでではないが、教えておいてやろう。ナタリーは今年で21だぞ」

「あっ、人のデリケートな部分をこの女!」

 女性の年齢を気にする精神状況を、俺は理解出来ない。それは俺がまだ子供だからなのか、あるいは性差なのか。

「自分の年齢だけ隠しておこうなんて卑怯な真似するからだ!」

 大人メンバーのやりとりを何事もないかのように扱う摩耶。この場の女性の中では最年少ということで気を遣っているのだろうか。……その割には2人の料理をつまみ食いしている。

 いつものやりとりなのだろう。

「この筋肉女め」

「なんだと! 筋肉は崇高なんだ! お前の剣だって筋肉あってこそだぞ!」

 ラウラさんが食い気味に食ってかかる。筋肉がスイッチだったようだ。

「アキラ、この女のお腹、さわってごらん。すごいよ」

「え、俺ですか?」

「倉田さん、触っといた方がいいですよ。マジですごいッスから」

 2人の言葉に、それはそれは嬉しそうに、ラウラさん。

「いいぞ! さあ! 場所が場所だけに服の上からになってしまうのが惜しいが、存分に触るがいい!」

 あー。この人たち酔ってるんだな、と気づいた。それにしても場が場なら素肌を直で触らせてくれたのだろうか。すこし残念だった。

 さあ、さあ、さあ、とお腹をアピールしてくるラウラさん。本人が良いと言うし、摩耶も勧めてくるし、ついでにナタリーさんも推してくるわけだし、触ってみるか。

「じゃあ失礼して……」

「そんな指先でわかるわけないだろう! 手のひらを使って筋肉を感じるんだ!」

「え、えぇ……?」

 女性の身体を触るという、デリケートな問題に直面しているが、こっちの世界ってセクハラとか無いのかな? 仮にそうだとしても、双方合意の上で触るわけだから問題にはならないよな?

 ていうか「触らない」という選択肢がないという状況がもうおかしい。

「じゃあ、改めて……」

 隣でお腹を自慢げに突き出している年上の綺麗なお姉さん。

 こうして腹筋を見て気づいたのだが、胸もボリューミーである。これも筋肉なのだろうか。普通に見る分にはゴリゴリのマッチョというわけでは無さそうだが。

「ん!? んんん!?」

 俺が手のひらに感じたのは、カチカチの肉だった。

 最初、服の下に何か防具のようなものを着用しているのかと思ったが、堅さだけではないしなやかさと、筋肉の割れ目が確認できた。

「ふふふ……」

 俺の反応にラウラさんが不敵な笑みを浮かべる。

「す、すごい。すごいですよラウラさん!」

 病弱で貧弱だった俺は、実を言うと筋肉に憧れを抱いていたこともあった。あの頃の思いが鮮明によみがえる――。

「こ、これが筋肉……!」

 気付けば、知らぬうちに両手で腹部を撫で回して、筋肉の感触を堪能していた。

「ふふふ。鍛えるとはこういうことだ」

「す、すいません、肩も触っていいですか!?」

「こいつぅ、実は筋肉好きだな! いいぞいいぞ!」

 ラウラさんのそれは、お気に入りのおもちゃを目の前にした子犬のような興奮の仕方だった。

「おお、おお! ラウラさんすごいですね!」

 肩に手を置くと確かな堅さを感じた。少し膨らみもある。鍛えられた三角筋が俺を魅了する。

「あっ、ふひゃひゃ……お、おい、アキラ、くすぐったいぞ」

 むにむにと肩の筋肉も堪能する。

「あっ、すいません……いやぁ、見事な筋肉ですね」

「うむ」

 服の上からだと、女性らしいボディラインをしていることが窺えるのに、触ったら筋肉。しかもラウラさんは冒険者。ただ鍛えただけでなく、実戦で使える、実用的な筋肉を備えている。

「……」

 言葉に出来なかった。

「私は嬉しいぞ、アキラ。こんな形で筋肉を語れるやつが見つかるなんて思わなかった!」

 見た目綺麗なお姉さんなのに、その服の下に筋肉が隠れているなんて、異世界ってすごいな。

 そして筋肉信者ときた。

「お待たせ」

 注文していた飲み物がやってきた。

「筋肉に乾杯だぁ!」

 俺は摩耶に小声で訊ねた。

「この人いつもこうなの?」

「今日はちょっと変ですね。ちょっとやっぱりお酒入ってるんで」

 それは良かった。常日頃からこんなだったら、次に会ったときどう反応しようか迷ってしまうからな。

 半分筋肉、半分冒険者としての話で場は盛り上がった。さすがベテラン冒険者の2人は場数を踏んでいるだけあって、為になる情報を仕入れることが出来た。

 主に俺が知りたいのは今日遭遇したスライムのことだった。

「スライムねー、あいつは物理的な攻撃がほとんど通じないから、マヤみたいに魔術師がいれば楽に対処出来るよ」

「やっぱりそうだったんですか。斬っても叩いてもなんともないから大変でしたよ。摩耶がいなかったらどうなっていたことやら」

「そんなことよりアキラ……」

 お酒が入ってほんのり赤くなった顔が実に艶っぽい。年頃の男児にはちょっとばかり刺激が……。

「アキラは年上の女ってどう思う?」

 なんか少し前にも同じ質問をされた気がするが。

「あー、また始まった……」

 ナタリーがうんざりしたように吐き捨てる。

 仲間相手に結構ドライだな。これも信頼感の為せるものなのだろうか。

「私は……その、アキラのことを……」

 お、おお!? この雰囲気はあれか? あれなのか?

「ラウラは年下の男に目がないんだ」

 なるほど。ただでさえストライクゾーンで、かつ筋肉を褒めてしまったが故に、ラウラさんの心を掴んでしまったわけか。

「……」

「嫌か、アキラ」

 病歴は長いが恋愛経験値の少ない俺はどうしていいかわからない。

 そしてこの状況に陥ってから、摩耶が俺たちのやりとりで大笑いしていることに腹が立つ。こいつも酔ってるな。

 正直嫌かどうかで選ぶならこんな綺麗な人の申し出を断れる男気はない。しかし俺はもうしばらくソロ活に勤しみたいのだ。というか重ねて言うが、ソロ活じゃないと俺は役立たずだ。

「ラウラさん」

「うん」

 少女のような可憐な、答えが分かりきったようなそんな表情。

「俺たちは筋肉仲間。それ以外に必要なことがありますか!」

「きん、にく……」

 ハッとしたような表情は彼女に大きな衝撃を与えたようだった。

「そうだな! 私たちは筋肉で繋がっている! 恋がなんだ! 愛がなんだ! 筋肉が世界だ!!」

 この人の恋心は筋肉に負けるのか。

「安心して。これだけ酔っていれば、明日には忘れてるから」

 声を潜めてナタリーさんが言う。

 それは助かった。

「ラウラってさ、下手な男の騎士より腕がいいから、付き合うことになっても長続きしないんだよね」

 ナタリーさんは気の毒そうにこぼす。

「俺は強い人って嫌いじゃないですけど」

「ああ、倉田さんはヒモ体質なんでしたっけ?」

 すかさず摩耶。

「それは君の兄上だろ」

 根拠の薄い誹謗中傷はやめて欲しい。

「その気が無いならラウラの前で気を持たせることを言うもんじゃないよ、こいつは腕っ節が強い割に、乙女気質だから」

 女性にもいろいろあるんだな、と感心しながらリンゴジュースもどきを口に運ぶ。

「恋多き乙女だけど、まだ男を知らないんだよ」

「……へー」

「……処女ってことですよ、倉田さん」

「あ、ああ! そういう……」

「お、お前ら! 人のことだからって好き放題言い過ぎだぞ! 別にそんなの人それぞれなんだから関係ないだろ! 酒の席だからって言っていいことと悪いことがあるんだからな!」

 顔を真っ赤にして反駁するラウラさん。ちょっと可愛かった。このパーティはいつもこの調子なのだろうか。

 ちょっと羨ましい。

「ところでさ」

 少し真面目な顔でナタリーさんが切り出した。

「今日君らが請けた、スライムのやつだけど、どのくらいスライム出てきた?」

「どのくらいだっけ、摩耶」

「私と倉田さんの討伐数で50は超えていませんでしたっけ?」

「50!? あんたたちよく凌いだよ」

「言っても摩耶の魔術のおかげですけどね。俺なんかほとんど何もしてないですよ」

「いやぁ……しかし50か……近々でかい依頼がギルドから出されるかも」

「深刻なんですか?」

「問題はどこからその数のスライムが出てきたってことよ。その数のスライムが纏まって表れたのなら、ギガントスライムが棲み着いてる可能性があるかもね」

 また面倒そうな名前のモンスターだ。名前からして巨大なモンスターなのだろう。

 さっきまでの寄った雰囲気はなりを潜め、ナタリーさんは熟練の冒険者の顔になっていた。

「スライムの親玉みたいな魔物でさ、そのデカい体を生かして分裂して、普通のスライムをどんどん増やして増殖していくんだ」

「あれ……? でも無限に増殖出来るわけじゃないですよね?」

「スライムってさ、動物や人を捕食して栄養を補うんだけど、タチの悪いことに水分だけでもしばらく長らえるんだ。だから、どこから入り込んだか知らないけど、地下水脈なんて、あいつらが根城にするには持って来いの場所なの」

 おそらく分裂すればそれだけ自分の身体が削られていくのだろう。そうでなくては質量保存の法則が成り立たない。

「近いうちにギガントスライム討伐依頼が出るね」

 ラウラさんは会話には参加せず、頷いているだけだった。

「そうなったらマヤは参加してもらわないとね」

「いぃ……。スライム一匹で四苦八苦したのに、その親玉退治なんて……気が滅入りますよ」

「しょうがないよ、この街じゃ指折りの魔術師だから、嫌って言っても招集されるさ」

 確かに。

 詠唱もいらない、ただの指パッチンだけで多くの魔術を行使出来る摩耶は、魔法が弱点の敵を相手にするに、これほど適任はおるまい。

「それにギガントスライムクラスの相手なら、アイリス殿も参加するだろう。心配はいらないさ」

 筋肉美女、もといラウラさんが言う。

 ここでもアイリスさんの名前が挙がる。実力は知らないがさすがだ。

「もちろん私たちみたいな前衛職も、参加出来るよ。魔術たちのフォローに回らなきゃいけないからね」

「スライムは私も苦手だな……。剣が通じにくいとなると対処しきれないし、迂闊に肉弾戦を挑めば纏わり付かれてやられてしまう」

 さすが筋肉のラウラさん。徒手空拳でも戦えるのか。尊敬してしまう。

 俺が求める戦闘スタイルは、ラウラさんのそれに近いのかもしれない。

「魔術加工してある剣でも買えば?」

「簡単に言ってくれるが、いくらすると思っている」

 魔術加工の剣か……。そういえば摩耶と一緒に鍛冶屋に出向いたとき、60万レデットのダガーを勧められたが、あれがいわゆる魔術加工された逸品なのだろうか。

「それか魔力を帯びた素材で作られた武器を使うとかどう?」

「それでは剣を2本持ち歩かなければなるまい。それに私はあくまでも騎士だ。武器が多い方が有利なのはナタリーの方だろう」

 剣を2本。それはそれで格好いいのではなかろうか。相手が人間であれば普通の武器、モンスターであれば魔力を帯びた武器を使い分ける。確かそういう戦闘スタイルの登場人物のいる小説があった気がする。

 しかしラウラさんはともかく。俺はそういう武器の導入を検討した方が賢明かもしれない。あくまでソロでないと力を発揮できないのだから、万全の体制を整えておきたい。

 だが、今のままでは到底手が出ないだろうことは予想できた。こつこつ依頼をこなして、お金を増やそう。

「んー、あー、そうか。前に立って戦うのは私がメインだもんね。だけど美味く持ち替えられるかなぁ?」

「頑張って慣れてくれ」

 いいね。女子会なのに血なまぐさい会話。冒険者らしくて実にいい。

 化粧品とか女の子しかわからないネタで話されると、居たたまれなくなるからな。

「でもうちにはマヤがいるから」

「頑張りまッス」

 抱きついてキスをしようとするナタリーさんを本気で押しとどめる摩耶。しかし力の差は歴然で、ナタリーさんの唇が摩耶の頬に触れた。

「うー……これだから酔っ払いはぁ……」

 触れた場所を手の甲で拭いながら呻いた。


  ※


 翌日のことだった。

 街にいる冒険者をギルドが招集した。しかも重点的に魔術師を。

 昨日ナタリーさん達が話していた事態になったらしい。それにしても対応が早い。

 俺がギルドに到着したころには、もう複数のパーティが来ていて、いくつかの集団が出来上がっていた。

 先日の飛竜の襲来からそれほど時間も経っておらず、すでに来ていた冒険者たちは、なにがどうしたのかとそれぞれで話し合っているようだ。俺はその様子を遠巻きに眺める。

 残念ながら顔見知りがおらず、気軽に情報交換の出来る相手がいないのだ。……急がずとも時間になればギルドから説明が入るだろう。

 俺はそれぞれの集団から離れた絶妙な位置でその時が来るのを待つことにした。

「……」

 これがぼっちというやつか……。

「よっ、アキラ」

 そう思ったのも束の間。背後から声をかけられた。

「おはようございます、倉田さん」

「や、やあ、アキラ……」

 昨日酒盛りをした面々がやってきたのだ。

 ナタリーさんに摩耶に、ラウラさん。ラウラさんは何故か頬を染めている。

「どうも、おはようございます。皆さん」

「どうやら昨日の今日でギガントスライム討伐になりそうだね」

「やっぱりそうなんですかね」

「あ、あそこの地底湖は、この街の水源だからなっ。早急に対応しないと不便極まりないんだ」

 ラウラさんは緊張しているのだろうか。どうも様子がおかしい。

(どうやらさ)

 ナタリーさんが俺の脇腹を突っつく。

(ラウラのやつ、アキラのこと本気で意識してるみたいだよ)

 意識している……。そういう対象として見られている?

(でもあれよ。あれだけ身体を触って、褒めそやしてれば、うぶなあいつならイチコロだよね)

(い、いや、そういうつもりはなかったんですけど)

「なんだこいつぅ! 生粋のすけこましかぁ!」

「人聞きの悪いことを言わんでくださいよ!」

 バッシンと背中を叩かれる。

(私が言うのもなんだけど、人のいいやつだから、大事にしてくれ)

(まだそういう関係になると決まったわけじゃないです)

 俺が褒めたのは筋肉であって、ラウラさん自身じゃない。――なんてことは通用しまい。相手のガードが下がっていたからと言って、少々攻撃の手数が多すぎたようだ。

 距離を置こう。そうしよう。

 自分で言うのも何だが俺は人付き合いに関して、やや無頓着な部分がある。それが今回の件を招いてしまった。これからは気をつけなければ。

 そんなこんなで、気付けば周囲が俄に活気づいていた。

 やがてギルド職員が拡声器のようなものを使って、集まった冒険者たちに声をかけ始めた。

(倉田さん、あれって)

(ああ。拡声器だよな)

 きっと俺たちと同じ転生者が、こっちの世界で作り出したかしたのだろう。この拡声器に限らず、そう言った物品は何かと目にすることがあるなぁ。

「皆さん、お集まりいただいてありがとうございます。今回集まっていただいたのは、この街の水源のある地底湖付近に、ギガントスライムが棲み着いたためです」

 集まった面々の反応は一様だった。どこかげんなりしたようなうんざりしたような。

「今回は、討伐隊を結成してのギガントスライムの討伐となります。水源の汚染もそうですが、放っておけば街中までスライムの侵攻を許しかねません。そのためにも早急な対応が必要になります。

 先遣隊が居場所を特定していますので、速やかに退治・討伐にあたります」

 そうか。親玉がどこにいるかまでは俺たちはわからなかったが、確かにスライムは呼んでもいないのに湧いてきていた。

 それを考えると街中にまでスライムが出没する危険性は十分あるのか。

「そして対象はスライムとなりますので、魔術を使える方を中心に編隊を組みます。また魔術加工済みの武器も有効なので、そう言った装備を備えてる方は活用してください。

 それでは受付を開始します。受付窓口でギルドカードの提示をしてください」

 そう告げ終えると、ギルド職員は拡声器を下ろした。「アキラは、ど、どうするんだ?」

 声を上擦らせてラウラさん。恋する少女、もとい、恋する乙女というのはこういう状態を言うのだろうか。こちらとしては毎度毎度これだと調子が狂う。

「そうですね。報酬は出るでしょうから参加します。いい経験にもなるでしょうし」

「真面目だな、アキラは」

 今度は普通に、感心した風にラウラさんが頷いた。

「じゃあうちのパーティに組み込んじゃうか。今日もマルタは別のパーティで出払ってるし。噂の新進気鋭の冒険者がどこまで出来るか見てやる」

「プレッシャーですね、倉田さん」

「あんまり期待しないで下さい、今までは運が良かっただけですから……」

 集団討伐となるともう、変身出来るチャンスなど無い。

「へぇ。運だけでゴブリンキングを討伐できるとは、強運通り越して豪運だね」

 ナタリーさんは薄々、俺が何か裏の手を持っているのではないかと気づいていそうだ。

「なに、運も実力のうちとも言うじゃないか。その運が今回発揮されるのを期待しよう」

 そう言ってラウラさんが俺の肩に手を置く。……これは期待なのだろうか。いや、試されているのでは、と無意味に疑心暗鬼に陥る。

「大変ッスね、倉田さん」

「他人事だと思って、こいつ……」

 摩耶は半笑いだった。

「さあ、早く手続きに行こう」

 ラウラさんが音頭を取って、俺たちのパーティは動き始めた。

 手続きは簡単で、受付カウンターのリーダーにギルドカードを乗せるだけで済んだ。たしか前回の飛竜の時は手書きだった気がするけど、システムが更新されたのだろうか。

 そうして手続きの済んだ冒険者から、地下水路への入り口に向かい始めていた。

 昨日俺と摩耶が依頼で訪れたあの場所だ。すでにギルド職員が待機しているとのこと。

 俺たちも手続きを終わらせて、水路へと足を向けた。

 まだ日が昇りそれほど時間も経たぬころ、次々と冒険者たちが街を行く姿は大変目立つことだろう。見かけた街の人々が何事かとこちらを意識している視線を感じた。

 事が事だけに公に何が起きているのかを明かしていないのかもしれない。混乱を防ぐためだと予想できるが、それがいいことなのか悪いことなのか俺には判断が付かない。

「今日はマヤが主役だね」

 道すがらナタリーさんが言う。

「そうだな。私もナタリーも魔術武器は無いからな」

「じゃあ俺たち3人は摩耶のフォローに回る感じですね」

「えっ、あっ、うん……」

 こんなことだけで赤くならないでください、お姉さん。今ちょっと軽く相づち入れただけですよ。ともすればぶりっ子と言われてしまいそうだが、この人は天然美女なので普通に可愛く見えてしまう。

「任せて下さい。スライムはもうこれでもかってくらいぶっ潰してやりますよ。私を殺そうとした報いを受けさせます」

 そういえば自分の頭に魔術をぶっ放すという豪快な手品みたいな離れ業をやってのけたんだった。

 あれが相当怖かったに違いない。摩耶のやる気は本物だった。

「それなんだよ。スライムって隙間や亀裂に潜んで、そこを通りがかった生き物を襲う魔物で、とりわけ人相手だと、しっかり頭を狙ってくるんだよね」

 ナタリーさんも経験があるのだろうか、実に忌々しげに吐き捨てるように言う。

「幸い私はそういう目に遭ったことはないな」

 2人の憤怒が伝わったのか、ラウラさんは苦々しく言う。俺もあんなデロデロの生き物に顔なんて覆われたくない。

「胸にデカいスライム付けてる癖に」

 ナタリーさんがそんなことを言うと、摩耶が吹き出した。

 俺は生理的かつ本能的にラウラさんの胸元を見てしまった。これは男という生物が背負ったサガなのだ仕方ない。実際確かに――今日は鎧を身につけていてわかりにくいが――昨晩の事を思い返すと、しっかりした女性的な身体だったことを鮮明に思い出せる。

「でもスライムみたいに垂れてないかぁ」

「お、おい! 今日はアキラだっているんだぞ! そういうデリケートな話はだな……!」

「あ。ごめん、アキラがあまりにも馴染んでるもんだから気付かなかった。ごめんごめん」

 ナタリーさんは適当に返し、摩耶は口を押さえてあさっての方を向いてやり過ごそうとしていた。

「……」

 垂れていないのはやはり筋肉のおかげなのか。

「しかしアキラさぁ、どう思う? このパーティで一番筋肉があるのに、一番女らしい身体をしてるってちょっとバランス悪いよね?」

「……いや、ボクにはちょっと答えづらい、大変デリケートな内容ですね」

 バシン、と背中を叩かれた。

「しっかり見ながら何言ってんだよ、男の子!」

 目は口ほどにものを言う。

 ラウラさんはナタリーさんの言葉で、俺の視線から逃れるように身体を翻した。

「っぶーー! あひゃひゃ!」

 そして我慢の限界なのか、摩耶が本気で吹き出していた。……俺はもうこのパーティに必要以上関わらないことを心に決めた。

 そしてそんな馬鹿話をしているうちに、地下水路への入り口に到着してしまった。

 入り口の側にはギルドの職員が立っていて、そこから少し離れたところに、冒険者たちが集まり始めていた。

「おー。どうしたの。鍵番?」

 ナタリーさんは入り口に待機しているギルド職員に話しかけに行った。

 残った俺たちは、他の冒険者たちからつかず離れずの場所へ陣取った。しかしこうも冒険者が集まれば、何かあったのは歴然だ。付近に住む住民は不安だろうな。

 やがて参加者全てが集まり、鉄格子が開かれた。飛竜の時に比べると集まった人数は少ない。

 脅威度的にさすがに飛竜には劣るのだろう。そういえばアイリスさんはいないな。

 しかし昨日の摩耶が襲われた瞬間を思い返すに、スライムだからといって、気は抜けないことは理解している。ゲームと現実はやはり違うということだ。現実のスライムは致死的な物理攻撃を仕掛けてくる。しかも搦め手で。

「つまりだな、そうやって呼吸を阻害することで敵を仕留め、捕食するんだ」

 摩耶はラウラさんから、スライムの基本的な行動パターンを聞いている。

「だがギガントスライムの場合、そもそも通常のスライムと質量が大きく違う。だからそのまま自重で押しつぶそうとしてくる」

「ひー……スライムって手強い相手なんですね」

「そうだな。対策を知らなければ実にやりづらい魔物だ」

「ちなみにギガントスライムとの戦い方はどんな風になるんですか?」

「さっきも言ったとおり、自分の身体が武器だ。だから積極的に距離を詰めてくる。こちらはそうされないよう一定の距離を保ち続けるか、あるいは魔術でスライムの身体をどんどん削り落とす。今回は……場所も場所だ。それに動員された魔術師の数を考えると、ギルドは削り落とす戦法を考えているのかもしれない」

 そうか……場所は地下洞窟の内部。一定の距離を常に保つのには厄介な場所になると想定できる。

 地下水路への侵入が開始された。順番は等級値の高い冒険者を先頭に順番に入っていく。

 俺たちのパーティは真ん中辺りで突入した。

 相変わらず急な階段で、全体の進軍具合はそれほど早くない。薄暗い中、足下に気をつけて前に進む。まさか昨日の今日でまたここに来るとは思いも寄らなかった。相変わらずランタンは用意していなかったので、他の冒険者のランタンの明かりを頼りに階段を下る。

 どうやら先頭は水路に辿り着いたようだ。声が地下にこだまして、何か話しているのが聞こえた。

 俺たちも水路に降り立つ。

 先頭からラウラさん、摩耶、俺、ナタリーさんの並びで歩を進める。

「まだ水の汚染はされてないみたいだね」

 ナタリーさんが流れる水を見て言う。

「ええ。昨日来たときもそうでした」

 水路に出ると、相変わらず湿気が気になった。生活用水が流れているだけあって、清潔な水の匂いだったので嫌な気分はしないが、水路の閉塞感がどうも好きになれない。

 順当に進路を進み、昨日俺と摩耶がスライムに遭遇した場所――地底湖についた。淡い燐光によって少なからず視界が確保される。

 摩耶が上を気にしているのは、昨日の事を思い出してのことなのか、前にいるラウラさんの背中に手を当てて天井にだけ気をやっていた。

「アキラ、水の中の青い光わかる?」

 後ろにいるナタリーさんだ。

「なんですかね、鉱石か何かですか?」

「いや。あれは水草なのよ。こうやって淡く光る性質も持ってて、なにより水を浄化してくれる。この地底湖は湧き水が溜まって出来たものだから、ここの水は他の場所と比べるとずいぶん綺麗なんだよ」

「ここの水がそんなにですか」

「そ。で、その水草をスライムが食べに来る、ということなの」

「ということはここには定期的にスライムが?」

「今回みたいにギガントスライムが出たことはないけどね。スライムはたまに出て、討伐依頼が出されるよ」

 ところでこの世界の人たちはパーソナルスペースが狭いのだろうか。ナタリーさんの解説は耳打ちで行われているとはいえ、俺が少し顔を動かせば唇に触れてしまいそうな距離感だ。

「もう1個教えておくとね。スライムは音に敏感だよ。だからほら、これだけの人数なのにほとんど誰も喋ってないだろ」

 そういうことか。

 俺は得心を得て、サムズアップをした。ナタリーさんも笑みをこぼしてサムズアップを返してきた。

 ……驚いた。まさか通じるとは。

 さて、地底湖に着いたにもかかわらず行軍の足は止まらない。湖の横を過ぎて、さらに進んでいく。

 昨日は途中でスライムに襲われて気付かなかったが、奥に通じる道があったようだ。


<皆さん、ギガントスライムは地底湖の奥の大空洞に確認されました。これから向かいます。接敵する可能性がありますので各自気をつけて下さい>


 俺の知らない声が耳――? いや、脳内に直接届く。内容は理解出来たのだが、起こったことに理解が追いつかなかった。

(念話だよ)

(念話ですか)

 ナタリーさんがフォローしてくれる。さっきより小声なのは目標に近づいている証拠なのかもしれない。 俺は音を立てないよう、気をつけながら歩いた。

 そして――。

 地下、大空洞と呼ばれた場所。そこに巨大なスライムが鎮座していた。その身体は青い燐光を放ち、さながら地底湖の水をそのまま持ってきて、逆さまに置いたかのような姿形をとっていた。

(確かああいう和菓子があったよな……)

 ギガント、という名前に相応しい大きさは、大空洞と呼ばれるその場所の広さを錯覚させて、狭く感じさせるほどだった。

「正直、帰りたいッス」

「俺も……」

 チート能力者の戦意を削ぐとは、ギガントスライムのギガントは伊達ではない。

「では皆さん、討伐を開始して下さい!」

 ギルド職員の掛け声が響く。ここまで来てしまえば襲撃も何もないのだろう。

 それぞれのパーティが隊列を組み、魔術師が呪文の詠唱を始める。

 俺たちも摩耶を守るように展開する。

「マヤ、火炎系の魔術はなるべく使うな。酸素をすくなくしてしまう」

 我らがリーダー、ラウラさんが摩耶に言う。

「了解ッス!」

 そうか……燃やすと言うことは酸素を消費する。こんな閉鎖空間でそんな状況になったらあっという間に酸欠で全滅だ。

 他の魔術師も攻撃を開始し始めた。

 うちの魔術師も景気よく指を鳴らしている。

「……これじゃ焼け石に水ッスね」

「質量が大きすぎるから、ちょっとやそっとじゃ攻撃が通らないんだ」

「ちょっと大きいの使いますので、後は任せます!」

 そう宣言して、指を鳴らす摩耶。

 変化は劇的ではなかったが、徐々に浸食を始めた。ギガントスライムを中心に、周囲の空気の温度が急激に下がり始め、そして中心に向かって収束を始める。 ギガントスライムは抵抗するために、自分の身体からスライムを生み出していたが、そのスライム達が凍り付いていく。

 ドサッと、背後から音がする。多分MP切れを起こした摩耶が座り込んだのだ。

 ギガントスライムに起こり始めた変化を、俺以外の冒険者たちは、その圧倒的な魔術に十人十色の反応を示していた。

「さすがうちの魔術師!」

「よし。完全に凍ったら砕いていくぞ」

 通常状態ならその体質上、剣も鈍器もほとんど効果を得られないが、凍って堅くなってしまえば別だ。あとはもう鉱石でも掘るかのように、打ち崩していけばいい。

 その、青白い燐光を放っていた躯の半分を白く凍り付かせ、ギガントスライムはもだえるように躯を震わせる。しかし接地した場所から凍り付いていくことで、動きは封じられている。

 大福の皮で包んだら、あの氷菓子になるだろうか。それはもうおおきな大福になろう。

 徐々に徐々に凍っていく己が躯に何を思う。

 あるいはスライムにそこまでの知能は無いのかもしれないが。

 スライムが凍るにつれて、青白い燐光は弱くなり、暗闇が深くなっていく。冒険者たちはランタンを掲げ始めた。

 スライムの命は風前の灯火。

 躯のほとんどが凍り、生命活動もままならぬ躯を捩ることも許されない状態。

 これほどの質量の物体を凍らせる魔術。少しずつ凍っていくギガントスライムからも冷気が放たれ、大空洞に冷たい空気が漂い始める。

 そして氷はギガントスライムの躯を覆い尽くした。

 大空洞には困惑の空気が広がった。

「よっし、あとは砕くだけだね」

「腕が鳴るな」

「モグモグモグモグ……」

 状況を理解しているのは俺たちのパーティだけだろう。

「み、みなさーん! それでは砕いちゃってくださーい!」

 ギルド職員の一言でみんな再起動したようだ。

「……」

 これなら変身しても大丈夫じゃないだろうか。ランタンの光は弱く数も少ない。

 そして何より皆の注目はギガントスライムに集中している。

 俺は張り切ってる風を装って、まだ誰も来て無さそうな場所まで走った。ラウラさんに引き留められた気もするが、気にしない。

 ランタンの光もなく、人の気配も絶えた場所で。

「変身」

 おや……、この暗闇の中、壁の凹凸までしっかりと視認できる。能力値アップには視覚にまで補正がつくのか!

 こうなればギガントスライムも丸見えである。

「せー……っの!」

 絶掌波だと他にも影響が出ると考え、俺はただのグーパンをギガントスライムだった氷塊に、渾身の力でぶち込んだ。

 バガン、という巨大な音と共に、ギガントスライムの塊は真っ二つに割れた。

「やり過ぎたかな……」

 変身を解除してみんなのところに戻った。


  ※


 結局今日一日はギガントスライム討伐に費やされてしまった。討伐はともかく、固まったあとの対応に実に時間がかかってしまったのだ。

 もともとの体積が大きかったため、それを凍らせたので、出来上がった氷の量が尋常ではなかった。あれが普通の水を凍らせたものであれば、何かしらに転用可能だったかもしれない。

 しかしあれはモンスターの氷漬けなのだ。モンスターを食おうという好事家もいるかもしれないけれど、あとのことを考えれば処理しなければいけない。

「いやぁー。今日はもう普通に肉体労働だったわー」

 ギルドの食事処。ジョッキに口を付けながらナタリーさんがしみじみと言った。

 ちなみに、ナタリーさんの、隣に摩耶が、正面にラウラさん、ラウラさんの隣に俺、という配置。昨夜と全く同じ配置である。

 ラウラさんは俺と微妙な距離を保って、ちらちらこっちを見ている。恋する女子中学生か。

「しっかし氷が真っ二つになったのには驚いたわ」

 それに関しては、

「魔術が効き過ぎたッスかね」

 そういうことになっている。ついでに、俺は氷が割れて驚いて、みんなのところに戻った、ということに。

 摩耶の使った魔術は強力で、威力だけでいえば、あのとき見せてもらった爆発する魔術に匹敵するという。その証拠に、参加した冒険者総出で砕き続けた氷は、それが終わるまで溶けることはなかったし、スライムの躯の芯までしっかり凍り付いていた。

 残骸はギルドで回収したあとで、焼却処分されるようだ。

「マヤのあの魔術があれば暑い時期にも、いい感じになりそうじゃない?」

「いやぁ、コストがですねぇ。使うたびにあんだけお腹空いてたら死ぬッス。代わりと言っちゃなんですけど、ちょっと涼しくなる程度の魔術もありますよ」

 そんな摩耶の提案にナタリーさんは食いついて、手のひらの上に氷を乗せられていた。

「アキラ、その……」

 隣に座るラウラさんが、ちらちらと、頬を染めながら言う。

「今日は順調に終わって良かったな」

 こんな純情な乙女は俺の世界では出会ったことがない。しかもこれで年上のお姉さんとなると、どう対応するのが正解なのか。

「そうですね。とは言ってもほとんど摩耶の魔術のおかげでしたけどね」

「うむ。マヤの魔術の腕には感服するしかない。確か……アキラと同い年だったか?」

「そうですね」

 答えるとなおさらに感服したように頷いてみせる。

「その齢であれだけの魔術を修めるとは、大したものだ」

 それは純粋な尊敬の念が込められた感想だった。

 俺への態度といい、すれたところのない、素直で実直な性格がにじみ出ている。……いい人なんだな、この人は。

 俺は現世での、死ぬ直前の思い出が思い起こされた。幼くして俺と同じ病に冒された、あの少女は今はどうしているだろう。

「アキラも一部では話題になっているがな」

「その話本当なんですか?」

「本当さ。ワイルドボアの討伐にゴブリンキングの単独討伐。ギルド職員の間では期待の新人が来たと話題は持ちきりだ」

 それもこれもチート能力のおかげであるから、ノーリスクで戦えるわけじゃない状況で、そう簡単に名を上げてしまうのも考え物だ。

「しかし力があると言っても油断は禁物だぞ」

 わかった。ラウラさんは、癒やし・エロ要員だ。少しアルコールの入った俺は、ラウラさんの女性的なしなやかな肢体から目が離せなかった。不躾に眺めてしまった。

「そ、その、アキラ……」

「えっ、はい」

「あんまりその、見られると照れるというか……」

「あ! すいません!」

 慌てて視線をそらした。

「おいそこのやつら」

 ドスのきいた声音でナタリーさんが参戦する。

「イチャイチャしてんじゃねぇ」

「してませんよ!」

「どう思うマヤ」

「いやもう目の毒ですよ」

 ニヒルな視線でこちらを睨めつける。しかし俺とラウラさんをからかっているのは明白だ。

「今日はぁもぉぉ、お二人で宿を取った方がいいんじゃないですかぁ」

「お前結構酔ってるな」

「そんなのはお酒を飲んでるんでぇ、当たり前じゃないッスかぁ」

 ふひひ、と笑みをこぼす。

「ちょ、ふ、ふた、2人で宿なんてそんなっ」

「ラウラさんも、酔っ払いの戯言を本気にしちゃ駄目ですよ」

「あ、冗談なのか!? そうだにょな……。まったく! 飲み過ぎだぞ!」

 テーブルの向こう側の2人に、ラウラさんらしく説教を始めてしまった。

 やっぱりこのパーティとは距離を置こうと思った。

 でも……パーティというのも悪くないなと思い始めた俺もいた。

―了―

 

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