表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生するなら変身ヒーローで!  作者: 東雲藤雲
1/9

第1話 ラララ、おいでませ異世界

 死というものに抱くイメージは、黒や暗いというものだったが、俺の場合は違った。

 目が眩むような光、視界が白で埋め尽くされるほど。

 手術台。


 俺は病に蝕まれていた。

 その日は比較的調子が良く、久しぶりに登校していたのだ。だが異変は帰宅後に起こった。

 病状の急激な悪化。俺は苦しさをこらえながら病院に運ばれた。医者や看護師が忙しく俺の周りを駆け回る。遠くなる意識の中、励ます声も聞こえた。

 この発作はいつもと違う。緊急オペという単語が聞こえる。俺の他に誰か手術でも受けるのかなどと、他人事のように考えていた。

 受けるのは俺だ。


 手術台

 まぶしかった。


  ※


 光に包まれ、そのままの白さに視界は埋め尽くされ、徐々に目が慣れて来たころ、俺は役所のような場所にいた。役所と言っても他の利用者はおらず、そして他のブースもないような場所だった。

 広い空間にあるのは目の前にいる美女あるいは美少女のような年齢が見分けられない人物と、自分と、我々を隔てているどこの役所にでもあるような見慣れたテーブルだけだった。

 ここはどこだろうか。違うことと言えば、役所にしては空気が張り詰めているようで、凜とした雰囲気を放っていることだった。

「享年17歳。死因、病死。――何か質問はありますか?」

 あるとすればこの状況である。病死というからには俺は死んだのだろうが、だとすればここは死後の世界と見てよろしいのか。

「えー……、その今、自分がどういう状況なのか……」

 俺は素直にそのままの疑問を投げかけた。

「はい。ただいまの倉田さんは、私たちの世界への転生への手続き中です」

 私たちの世界……。

 転生……。

「マジか」

 俺の脳裏には、最近よく耳にする、異世界転生という単語が浮かび上がった。

「……異世界転生的なやつですか?」

「はい。倉田さんの世界――厳密に言えば倉田さんの国でごく一部の方々の間で流行っている、アレです」

「マジかよ……」

 あんなのどう考えてもフィクション中のフィクションだろうに、それがこの身に降りかかろうとは。

 いや、待て。

 夢だなこれは。

 思い返せば、最近、異世界転生もののアニメを観たり、ライトノベルを読んだりしてたじゃないか。それで俺は今のような夢を見ているんだろう。

 そう考えれば納得がいく。

 この受付も地元の深谷市役所にそっくりだし、対面した担当者も俺好みの見目麗しい女性だし、もう夢も夢、夢以外にありえない。

「こちら、案内用のパンフレットです。どうぞご覧下さい。転生に際しての注意点や要点が、簡略ですが記してあります」

「あ、はぁ……」

 夢の割にどこまでも事務的な展開である。

 そういえば、夢の中で夢だということを自覚できると明晰夢になるというが……。

「……! …………! ………………!」

 駄目だ。そう簡単にはいかない。現状を変えられないなら、今のまま何かを為すしかないではないか。

 俺は目の前の受付美人の胸にゆっくりと手を伸ばした。

「痛っ」

 20センチメートル手前くらいで、ピシャリと手を払われた。

「痛い……だと」

 夢なのに痛いとはどういうことなのか。俺は夢の中でまで痛みを求めるほどのマゾ気質ではなかったはずだ。

「もしかして……夢じゃ、ない?」

「はい。これは現在進行形で、現実に起きている、確実なリアルです」

 俺の小さな呟きに、目前の女性は応えた。

 夢じゃない。

「えっ、じゃあ本当に死んで……」

「このような状況を速やかに受け入れられない方もいらっしゃいます。ご要望であれば死亡時の一部始終をご覧いただくことも可能ですが、いかがなさいますか」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 思考が追いつかない。あまりにも事務的な対応で、自分の置かれている状況が完全に判らなくなっている。いや、というか理解出来る範疇の出来事なのか?

 思い出せ。今日、ここに来るまでに何が――いや違う。どうやってここに来たのか。

 隣の窓口がどうなっているのか、俺は頭を起こして覗いてみると、何もなかった。

 右も左も。最初に見たのと同じままだ。

 この空間にあるのは、今俺がいる窓口だけだった。

「マジ……?」

「全て現実です」

「じゃじゃじゃ、じゃあさっき言ってた死んだときの一部始終ってやつを見せてください!」

「かしこまりました。――こちらをご覧ください」

 そういって差し出されたのはタブレットのようなものだった。

 画面の真ん中に再生ボタンが表示されている。

「どうぞ」

「……はい」

 俺は素直に再生ボタンに指を置いた。

 そうして流れ始めた映像には、見慣れない風景と多くの人物――俺を含める――が映し出された。

 白。緑。緑。緑。緑。緑。

 手術室だ。そして手術されているのは俺だ。

 映像と言うより、またしても夢に近い感覚でそれを観る。俺の視点ではない、俯瞰の風景。

 忙しく動き回る人や、俺の側に突っ立ったまま手先だけを丁寧に動かしている人。

 死の瞬間がいつ来るのか、なんともいえない心持ちで待っていると、画面の中の人々が慌ただしく動き始めた。

(これか……)

「安心してください。麻酔が効いていたので、死の直前の苦しみはありませんでした」

 じゃあ良いか。

 死んだのに? 死んだのに良いのか?

 自問自答するが、いつかこの日が来ることは解っていたことだ。自分は病気を抱え、騙し騙し生きてきたのだ。

 それがとうとう出来なくなっただけのこと。

「どうでしょう。現在の状況にご理解いただけましたか?」

 ……死んだのは判った。

 けれど自分の死はそう簡単に受け入れられるものでもない。ちょっとしたショックに襲われて俺は項垂れていた。

「今はどういう状況でしたっけ……」

「はい。私どもの管理する世界への転生までのご案内中です」

 夢か、幻か。現実か。

「すいませんが、もう一回手を引っ叩いてもらえませんかね」

 状況を掴みかねてる俺は、再度痛みを求めて手を差し出した。

「痛っ」

 受付の人は全く躊躇することなく俺の手を叩いた。

「これは夢ではありません。今、進行形で起こっている現実です」

「し、死んだって言うなら、俺はどうしてこうしてしゃべったり動いたりできるんですか!」

「現在の倉田さんの身体は、死ぬ前の状態の複製品です」

「クローンってことで……?」

「そちらの世界の言葉で表すならそうなりますが、技術的には高度な魔術が使用されているため、全く同一の個体と言えます。

 そしてあなたを蝕んでいた病魔はありません」

「じ、じゃあこの身体で元の世界に戻してもらえば……」

「残念ですが、あなたの世界に存在している倉田彬という個体は完全に死亡しています。それよりも、元の世界に戻りたいですか?」

「異世界生活を送りたいです」

 即答してしまった。

「あの、ちなみにどんな世界なんですか?」

「端的に言えば、中世ファンタジー風です」

 テンプレ通りだな。よくあるパターンだ。無双できる可能性も十分ありうる。

 いいじゃないか。

「そうするとあれですか、やっぱり魔王討伐的な」

「いいえ。魔王と呼ばれるものも存在していますが、討伐は目的としていません。もとより、私どもから明確な目的は指示いたしません。転生後は倉田さんの判断で死ぬまで生きてください」

 なんだかふわっとした転生だなあという印象である。ざっくり言えば、好きにして良いということだしな。

「あ、あとさっき言ってましたけど、病気は? 健康な状態で転生できるんですよね!?」

「はい、そうです」

 やった!

 中世ファンタジー風の世界観ならまともに生きることのほうが大変そうだけど、元の世界だって病気を抱えて、いつ死ぬか怯えながら生きていたんだ。

 病気の心配無しに生きられるほうが、数倍マシだ!

「ちなみに」

 受付のお姉さんは小さく咳払いをして一言。

「転生せずに、死を受け入れることも可能です」

 ノーだ。

 中世ファンタジー風なら、やっぱり冒険者みたいな暮らしもできるだろうし、刺激的な日々を送ることは難しくないだろう。むしろ望ましいことだ。

「いえいえいえ。転生します! こんなチャンス滅多にないでしょうからね!」

 とりあえず、死んだ実感は得られなかったが、死亡云々はともかくとして、異世界転生できることに間違いなさそうだ。

「ではご納得いただけたということで進めさせていただきます。まず転生にあたって、先に述べましたとおりに転生後は明確な目的は指定いたしません。新天地でご自由にお過ごしいただけますが、転生先にも法や秩序というものがありますので、行動によっては罰せられる可能性もあり得ます」

 そうだよな。自由と言ってやりたい放題だったらとんでもない世界だ。転生した瞬間に殺されでもしたらお話にならんからな。

 そう考えると転生先は、ある程度の法律が制定されている、国家のようなシステムが生きているわけだ。

「では次に転生特典についてですが――」

 はい、来た。来たよこれだよこれですよ。

 ステータスマックスとか、チート装備とかそういうのだろぉぉぉう!

「一覧がこちらになりますので、この中から選んでいただけます。ちなみに言葉や文字は転生時にインプットされますから、心配はありません」

 のしっ、という音でも出しそうな、分厚い辞書のようなものを差し出される。

 こういうのはあれよ、多すぎても決められんのよ。「……すぐ決めないと駄目なんですかね」

「ご安心ください。この空間には時間という概念はありませんから、心ゆくまでお悩みください」

 こんな、六法全書みたいなもん渡されて、すぐ決めろなんて鬼畜過ぎるわけだが、考えれば六法全書の中から欲しいものを見つけ出すのも一苦労だろうな。

 融通の利く場所で良かった!

 俺は早速、特典カタログに手に取った。

「あれっ。意外と軽いですね、これ」

「紙やインクを使わない特殊な素材で構成されていますから、重くならないんですよ」

 お姉さんが微笑む。

「便利ですねぇ……」

 見た目と手触りどれをとっても、普通の紙製の本と変わらないあたりに職人魂を感じた。

「……」

 さらっと目を通したところ、前半にステータス、つまり身体的な強化、後半にチートっぽい装備が載せられているようだ。

 不思議なのはこのカタログ、いつまでめくっても背表紙まで辿り着かない。

「すいません、この本終わらないんですけど……」

「能力一覧は随時更新され続けています」

 天気予報か?

 更新され続けてる割には本の厚みは変わらない。もはやこれこそチートアイテムじゃねえか。

「すいません。この『能力最大』と『能力無限』って何が違うんですか?」

「最大は文字通りに転生直後から能力が最大値に設定されます。無限は、転生後は現在の能力値から開始され、その後ご自分で強化していただきますが、際限なく強化されていきます」

 無制限に強化できるとかやりこみの世界じゃないか。最初から最強モードも楽しいのは楽しいが、レベルアップの楽しみが無くなるんだよな。

「あの、普通にステータスとかって行ってますけど、ゲームみたいにレベルの概念とかあるんですか?」

「いわゆるコンピューターゲームにある、レベル制度はありません。可能なのは能力値の強化です」

 ぬぅ。悩む。レベルアップがないなら別にステータスマックスのほうが苦労も少ないだろう。大抵能力値によって装備できるものが変わってくるだろうから、最初から規定の能力値を満たせるならどんな装備も可能だろう。ついでに職業も好き放題だろうし。

 このカタログの最初のページに書かれてるくらいだし、オーソドックスなチート項目なのだろう。

 あとめぼしいものなら……『所持アイテム無限』に『所持金最大』。これらがあれば物量で押し通ることも不可能ではあるまい。まして所持金に最大の概念がないならば実質無限に等しいのではないだろうか。

「この所持金最大は日本円に換算するとどのくらいの額になるんですか」

「円換算にすれば1京です。転生先の世界でも、国によって使用できる通貨は違います。そのためこの項目を選んだ場合、最初の転生先の国の通貨での所持となります」

 1京って。さすが転生特典チートカタログ。桁が違うぜ。

 あとは、『人気度最大』に『好感度最大』、装備類なら魔剣、聖剣……。おいおい、呪いの装備とかいうのもあるが。

 おっ? 『変身能力』とかあるぞ。えーっと、どんな能力かな……。

『憧れのヒーロー、ヒロインに大変身! 変身すればステータスアップ! 必殺技も設定可能!』

 なんだこれは! メチャクチャ楽しそうな能力じゃないか!?

『さらに、状況や状態等に制約を付けることによって、さらなる特殊能力やステータスアップも可能』

 きたああああああああああ! 正体バラしたらいけないマンにもなれる!

『なお、見た目は初期設定で決められます』

 ヤバいくらいテンション上がる能力だ。これは当たり能力なのではないか。変身しなければチート能力は出ないはずだから、バランス崩壊も起きにくいだろうし……。これは候補の一つとして上げておこう。

 あと気になるのは『同伴者』の項目だな。

『好きな関係性を選べる同伴者。未知の異世界の孤独を取り去ってくれます。大事な恋人、あなたを守る騎士……いろんなシチュエーションがあなたの異世界ライフを彩る! なお同伴者はあなたの世界の情報もインプットされているので、懐かしい故郷の思い出話も可能』

 あー。なるほど。これもいいな。俺だったら「相棒」設定にして世界を旅したい。背中を預けて戦う俺たち……ロマンだな。

 でも待てよ……同伴者の能力が高かったとしても俺が低けりゃ、結局後衛で戦いを見守ることになるわけだから……これはある程度戦える人に向けた項目なのかもしれない。同伴者に戦わせて後ろで指示出すのはちょっと味気ない気がする。

 カタログのページを行ったり来たりして悩んでる様子の俺を見かねて、お姉さんは声をかけてくる。

「異世界でのこれからを決める選択ですから、じっくり考えてください。平等性を欠かないために、能力の体験はできませんが、どれも異世界生活には有用なものが揃っているはずです」

 確かにその通りだ。どういうライフスタイルにも対応できるようなチート能力・装備が揃っている。

 変身ヒーローは実に捨てがたいが、ステータスマックスによる職業選び放題の魔法剣士とか憧れるんだよなぁ。

「あのすいません。転生先の異世界ってどういう環境なんですか? 中性ファンタジー風っていう話でしたけど、もうちょっと具体的な情報が欲しいです」

「そうですね。MMORPGをプレイしたことはありますか?」

「オンラインゲームですよね? お使いイベントや転職クエストなんかあってお金が貯まりにくいやつ」

「概ね合っています。転生先の世界もそのような雰囲気の世界です。定職に就かないのであれば、ギルドがありますから仕事を斡旋してもらい、経験を積んでランクを上げていったり、名声を得たりします」

 なるほど。これもよくある設定だ。異世界からの転生者なんて、身元がはっきりしない人間が多数を占めるだろうから、冒険者ギルドのある世界は助かる。ギルドでなくても職業斡旋所さえあればどうにかできそうなものだが、「冒険者ギルド」というところが中性ファンタジー風の一役を担っている。

 というよりファンタジーならそうでなくては。討伐依頼でモンスターや賞金首と切った張ったの大騒ぎ。楽しみだ。

 そんな世界を十分楽しむために、能力選びは慎重にしなくてはいけない。

 と言ってもここまでで目に付いた能力で行こうかと思ってるが……。

 『家事能力最大』……? 主夫にでもなれば役立つだろうが、こんな能力で転生する人がいるのか? 嫌待つんだ。一概に決めつけるのは尚早というものだ。例えばハウスキーパーになるとか。能力値が高ければそれだけ重用されるだろうから、貴族の屋敷で働いて、貴族社会のあれやこれやを覗き見ることができそうだ。……しかしちょっと地味というか、派手さに欠ける使い道しか思い付かないから止めておこう。

「……」

 ここまで見た能力で少し考えてみよう。

 

『能力最大』――これはもう王道的王道特典。よっぽどのことではない限りデメリットは少ないだろう。


『能力無限』――これも面白い能力だろう。鍛えれば鍛えた分、能力が強化されるということだ。ただし鍛え方が確立されてなければちょっと面倒で、実用的な能力値になるまでどのくらいかかるか判らない。


『アイテム無限』――これはもうチートの代表格のような特典だろう。攻撃に使えるアイテムがあれば、はめ殺しも不可能でないうえ、回復アイテムというものが存在していれば無限に回復が可能になる。バランスブレイカー能力と見る。


『所持金最大』――何をするにも先立つものは必要である。支給される1京円が異世界でどのくらいの価値を持つかは判らない。しかし特典能力というからにはそれなりに役立つ特典だろう。


『人気度最大』――住人勢からの人気度だろう。どう影響するかは判らないが敵対する人物が少なくなるというのは大変なメリットになるだろう。


『好感度最大』――人気度と何が違うかといえば、恐らく恋愛感情やそういうステータスの違いだろう。


『変身能力』――ロマン。その一言に尽きる。


『同伴者』――どこまでの能力を付与されるかは判らないが、自分の代わりに戦ってもらえる存在か、生活面をサポートしてもらえる存在なのかは選べると言うが。仲間なら転生先で作ることもできるから、『同伴者』を選ぶならある程度の能力を所持している存在を選ぶべきだろう。


『家事能力最大』――これは俺の中でネタ特典として扱う。なぜならば貧相な発想力しか持ち合わせてない俺は、これを活用するすべが思い浮かばないからだ。


「気になる転生特典がいくつかあるようですね。ページを切り取って比べてみても大丈夫ですよ」

「いいんですか? 次の人が使うんじゃ」

「普通の本とは違いますから、ページはすぐに復元されます」

 やっぱりこれもチートアイテムだな。

 俺は気になった能力のページを切り取って、並べて眺めてみた。

 カタログに掲載されている能力の数と比べると、選べた数は圧倒的に少ないが、基本、実用的なものを選べている気がする。

 ちなみに特典アイテムを選んでないのは、失くしたり壊れたりする可能性を考えたからだ。前者は簡単なことで、アイテムの価値を見破られ盗まれる、或いは単純に置き忘れる。後者は経年劣化は酷使による破損。とはいえ曲がりなりにも特典アイテムであるから、そのあたりのことには、何か救済措置が施されるだろう。そもそも壊れるなど論外。壊れてしまっては特典として不公平だ。盗まれても本人しか使えないような制限がかけられるだろうから、再び見つけ出せば良いだろう。心配は杞憂だ。

 ではなぜスキル系の能力を重点的に選んでいるかというと、身一つでどうにか状況を打開できるはずだからだ。

 チンピラに絡まれたとき、モンスターに襲われたとき、己の強化された肉体があれば、くぐり抜けられるだろう。

「うーん……」

 やはりシンプルだが即効性のある『能力最大』がベストなのだろうか。抜群の安定感があるだろう。それに生前には味わえなかった、無双感も得られそうだし。 しかし『変身能力』も捨てがたい。正体不明の謎のヒーロー、しかしてその正体は……! とか。何よりもここぞという場面で「変身ッ!!」と叫んで、戦闘開始してみたいし、人を助けてみたい。

 そうすると最終的な候補は――ちょっと待てよ。

「あの。この『同伴者』特典で、お姉さんのこと選べますか?」

「いいえ、できません。私たちはあくまでも転生への案内役であり、転生後のサポート能力は著しく低く設定されています」

「そうですか……」

 この人のような、案内役の女神を連れて行くライトノベルがあったけど、そうはいかないか。

 そうだ。

 変身があるならロボット系の能力もあってもいいよな……。「来い!」とか、ロボットの名前を叫んで、呼び寄せたりするやつ。

 俺はカタログをめくり、それらしい能力を探した。ロマンで言うなら巨大ロボットも男の子の夢の一つだろう。コクピットに乗るもよし。肩に乗るもよし。異世界的にはゴーレムみたいな扱いになるかもしれんが。リモートコントロール方式も鉄板だな。

 しかしロボットの難しさはやっぱり、市街戦をやると建物への被害が他の事象に比べて大きくなることか。

 とかワクワク考えながらページをめくっても、ロボ系能力は見つけ出せなかった。

「すいません……」

 無限にも等しくなるであろう数に近い項目を有するカタログから、たった一つのお目当てを探すのは至難の業か。俺は目の前の案内役のお姉さんに声をかけ、状況を説明した。

「なるほど。そういうことですと、恐らくそういった特典は採用されていないのだと考えられます」

 それは意外な答えだった。ロボット召喚能力なんてそれなりに人気がありそうなのに。

「著作権の問題もありますし……」

 異世界なのに!? 異世界なのに著作権か……。

 でも確かに、ガンのダムや、マジンのガーとか、憧れるロボットは皆、似通ってしまいそうだ。かくいう俺も、最初に思い浮かべたのはガ○ダムだった。他人との能力のかぶりではなく、著作権が関わってくるとは夢にも思わなかった。

 いや、でも『変身能力』も似たようなものでは……?

 「そちらの特典一覧は、閲覧者の思考を読み取って望んだ項目、もしくはそれに近い項目を表示させます。ですのでその項目に辿り着けないということは、能力が存在しない可能性が非常に高いと思われます」

 うーん、このチートアイテム。ハイテクというかなんというか。

 俺は試しに一回カタログを閉じ、『能力最大』を思い浮かべながら表紙をめくってみると、なるほど、確かに『能力最大』のページが表れた。

 待てよ……。となると、『家事能力最大』も俺が無意識のうちに考えていたから出てきたのか。そうだよな。これから一人で異世界生活をするわけだから、己の身の回りの世話は自分でやらなければいけない。考える前にそう思ってしまったのだろう。

 異世界ライフだからといって冒険者稼業だけやってればいいわけじゃないか。

 試しに考えながらカタログに目を通してみるか。

 ……よし。

 ――『ワンヒットキル』

 うおっ。マジであるのかよ。

『戦闘相手を一撃で戦闘不可能の状態にします』

 一撃で殺せるわけではなさそうだな。対人戦で発動させたら一発で殺人罪だもんなぁ。ちゃんとバランスとれるように調整がきいてるようだ。

「申し訳ございません、お伝えするのを忘れていましたが、特典装備は一点物ですので、別の転生者の方が先に選んでしまいますと、選択不可能になります」

「わかりました」

 同じ世界に同じ魔剣が2本、3本とあったら世界観メチャクチャだもんな。あと本人同士でばったり顔を合わせたら気まずそうだ。電車で何の気なしに座ったら、隣にいる人と同じ服だったときの感覚。

 俺は装備系にはあんまり興味ないから、やっぱり能力系の特典を選びたい。

 やっぱり変身……変身かな。変身願望もあるし。……それはちょっと違うか。

「決めました。『変身能力』にします」

「かしこまりました。では『変身能力』は初期設定がありますので、こちらの端末をご利用ください」

 お姉さんはテーブルの下からノートパソコンのようなものを取り出した。

「これはノートパソコンですか」

「はい、専用のノートパソコンです。モニタはタッチパネルになっています」

 これもきっとチートアイテムに違いない。CPUとかメモリ、HDDかSSDがモリモリに違いない。こいつでゲームをやってみたいもんだ。

「……」

 チートっぽそうな雰囲気とは裏腹に、表示されてる画面はいたく現代的で機能的でシンプルなものだった。

「魔術AIが組み込んでありますから能力設定などは直感的に行えると思います」

 魔術AIってなんだ。

 まあいい。それよりも設定だ設定!


『基本能力値は、死亡直前の倉田彬さんの数値です』

 なるほど。低いだろうなこれ。

「すいません」

「はい」

「基本能力値なんですけど」

「ご安心ください。倉田さんの場合、病気で身体が弱っていましたが、基本能力値は同じ年齢の男子高校生の全国平均値が適用されます」

「本当ですか!? じゃあちょっと高くなるんじゃ」

「誤差の範囲内です」

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 健康な身体、ゲットだぜ!

 それじゃあ続きを設定しよう。

『変身後の能力値は制約や制限で加算されます。能力値を高くするには、この、制約と制限をうまく組み合わせて設定してください』

 チェックボックスがエグい数並んでるけど、ここから選べばいいのか? 「自分の正体を知る者がいると戦闘力ダウン」「正体を知られてはならない」ここら辺は譲れないな。

 それから俺は受付のお姉さんのことなど完全に眼中から無くなって、ひたすらチェックボックスと、上がったり下がったりする能力値と格闘し、やっとの思いで制約・制限の項目を抜けた。

 次は特殊能力……っと。こっちは一覧表から、3つ選べるようだ。どうやらこちらも制約と制限の組み合わせで付与できる能力数が上下するみたいだが、能力値との兼ね合いもあるので、これ以上悩みたくない

 現在の状態としては、基本能力値が全体的に高めになるように設定でき、特殊能力付与が3つ。上々だろう。これは「状態異常耐性・高」「必殺技使用時、技名を叫ぶことで威力強化」「特定条件下における2段階変身」この3つ。

 次は変身するときの掛け声。これはもうシンプルに「変身」にしよう。変に呪文のように設定してしまうと、いざというとき咄嗟の対応ができないのと、シームレスで行動できない。残念だが、同じ理由で変身ポーズも無し。ポーズ有りなら能力値にボーナス入るみたいだけどな……。

 次は見た目か……これは難航しそうだ。

「すいません。まだ時間かかりそうなんですけど大丈夫ですか?」

「はい、問題ありません」

 俺はお姉さんに確認をすると、一度身体を伸ばしてから、またチートパソコンに向き直って作業を再開した。


  ※


 どれくらい没頭していただろうか、見た目が終わって、必殺技名の決定までずいぶんと集中していた気がする。

 顔を上げて辺りを見回しても、やっぱり何の変化もない。時計なんて設置されてないし、受付のお姉さんも変化はない。

 ともあれ、特典能力の設定はこれで終わった。美術の課題が終了したときの達成感に近いそれを覚えた。

 チートパソコンをお姉さんの方に差し出す。

「終わりました」

「お疲れ様でした。では確認をさせていただいて、問題無ければ、こちらの世界への転生の手続きをさせていただきます」

 あー、そうか。そういえば俺、死んでたんだ。変身ヒーローを作るのに夢中になりすぎてて忘れてた。

「お待たせしました。こちら、問題はありませんでしたので、倉田彬さんの能力はこの内容で登録いたします。今ならまだ変更可能ですがいかがなさいますか?」

「いえ。それでお願いします」

「かしこまりました。ではもう少々お待ちください」

 いやあ、楽しみだ。憧れのヒーローで異世界生活かぁ。やっぱりゴブリンとかオークとかいるんだろうか。

 美少女のピンチにこう駆けつけて、ビシッとやってバシッと倒して、夢があるじゃないか。

「お待たせしました。これをもって転生の手続きの全てが終了しました」

「はい!」

「――ゲートを開きました。後ろをご覧下さい」

 振り向くと、何もなかった床に、人一人分くらいの大きさの魔法陣のようなものが浮かび上がっていた。

「そちらがゲートとなり、入った時点で転送が開始されます。開始された時点で、この場所に戻ることは不可能になり、倉田さんは私どもの管理下から離れ、転生が完了いたします」

 音も無く、白い線で描かれた魔法陣はそこにある。

「……」

 俺は静かに立ち上がると、足下を確かめるようにゆっくりと歩を重ね、魔法陣に足を踏み入れた。

「おお……」

 全身が魔法陣に収まると、同じ文様が足下からゆっくりと迫り上がって来て、ベールのようなものに覆われていく。

 やがて文様が頭頂部を過ぎ、俺の身体が円筒形の光に包まれると、身体が指先から光の粒子に、まるで砂がこぼれるように解けていく。

 痛みはない。

 受付のお姉さんのほうに振り返ると、優しそうな笑みをたたえていた。

 粒子が多くなるにつれて、俺の身体は解けていく。転送先に俺の身体の一部が組み上がってたりするのだろうか。だとしたら軽いホラーだ。

 身体の感覚は失っていない。

 ――とうとう顔の半分まで粒子に変わり、残すところ頭頂部というところで、俺の意識はプツリと、まるでテレビの電源が落ちたように、切れた。


  ※


 気づいたときには馴染みのない風景の中に立っていた。

 牧歌的な風情のある、中世風の町並み。たまに前を通る人たちもそんな服装だった。

 空気の感触も、空の色も、今まで日本で体感したものと違った。

 あまりに長閑すぎて、しばらく立ち尽くしてしま

った。

「……」

 とりあえずは冒険者ギルドに行こう。そのあと自分が何をどれくらいできるのか確認だ。

 で、問題のギルドはどこにあるんだ?

「すいませーん」

 ちょうど前を通りがかった人の良さそうなおばさんに声をかけてみた。

「なんだい?」

「冒険者ギルド? を探してるんですけど、どこにあるかわかりますか?」

「冒険者ギルドなら街の真ん中だよ。この道を向こうにまっすぐ道なりに進みな。そうすると見えてくるよ」

 俺は礼を言って、教えてもらった道を歩き始めた。

 ここはどのくらいの規模の街なのだろうか。異世界もののセオリーとしたら、初心者向けの街に最初に送られるものだが。

 街を見る限りだと、穏やかな空気が漂っている。魔王とか戦争とか諸々の諍いとは無縁に見えた。

 たまに小道から子供が飛び出してきたりして、なんとも平和な場所だ。

「あれか……?」

 周囲の建物より一段と大きく、雰囲気の違う建造物が目に入る。大きな、何かの紋章のようなものが描かれた看板がぶら下げられている。

 せめて文字があれば、はっきり判ったものの……。遠巻きに眺めて観察してみると、不特定多数の人々の出入りが確認できた。

 確信は無いが少なくとも人家ではないようなので、入って確かめることにした。

「……」

 恐る恐る扉を開けると、街の雰囲気とはまた違った空気感のある場所であった。受付のような窓口のあるスペースと、待合所のようなスペースがあり、待合所のようなところの奥にはバーカウンターが設置されていた。

「いらっしゃいませー。お仕事案内ですか? お食事ですか?」

 ウェイトレス風の女の人に急に声をかけられた。

「えっ、あの、ここって冒険者ギルドですかっ?」

「はい、そうですよー。お仕事案内なら向こうの窓口に行ってねー」

「あっどうもすいません」

 年上の美人だったので、つい声が上擦ってしまった。

 どうやら無事に冒険者ギルドに到着したようだ。落ち着いてみてみると、待合所には冒険者とおぼしき人たちが見て取れた。とりあえずさっきのウェイトレスのお姉さんが指さした窓口に行くことにした。

 どうやら食事処とギルドが併設しているらしい。待合所は食事処のテーブルのようだ。

 食事をしつつ仕事の状況を見つつ、と言ったところか。

「すいません」

 いくつかある窓口のうち、ちょうど人のいるところに声をかけてみる。

「はい、こんにちは。今日はどういったご用件でしょうか?」

「あの、ギルドに加入というか登録をお願いしたいんですけど」

「冒険者登録ですね、ありがとうございます。ただいま準備いたしますので、少々お待ちくださいね」

 そう言って、美人のお姉さんは引っ込んだ。美人が多いのか、この街は。

 お姉さんは地球儀のようなものを持って出てきた。「すぐ準備できますからね」

 お姉さんは地球儀もどきを受付カウンターに置き、そのもどきの台座の部分に、表面がツルツルしたクレジットカードのようなものをセットする。金属板だろうか。

「はい、じゃあここに指を当ててください」

 球体を支えているであろうフレームの上端に、右手の人差し指をあてがう。

「ちょっとチクッとしますよー」

 その言葉に反応する前に指先に痛みが走った。

「はい。指はもう外してもらって大丈夫です」

 お姉さんの指示通り指をどかすと、球体が淡く光り出し、その光はだんだん増していき、球体の中央へと収束していく。そして筋状になると一瞬強く発光したあと、光は消えた。

「はい、登録完了です。こちらが会員証になります」

 地球儀もどきの下に置いた金属板を渡される。ツルツルだった表面には、俺の基本情報が刻印されていた。 もちろんこっちの世界の文字だ。裏面はつるつるのままだった。

「まずギルドカードの使い方を説明しますね」

 お姉さんが横に並んでカードを指さす。

「登録者の名前が刻まれているほうが、表になります。こちらには必要最低限の情報だけが表示されています。それで、次に裏面ですが、こちらは詳細表示や討伐した魔物が記録されています」

「討伐した記録ってのは自分でするんですか?」

「いえ、魔術によって自動で書き込まれるようになっています」

 魔術って便利だな。

「確認の仕方は、裏面を見てください。――そのあと、カードの真ん中当たりを素早く2回、トントンと触れると」

「おお」

「このように画面が詳細表示状態に移ります。最初に表示されるのは登録者の詳細情報になりますから、これはこうやって、表示部分を指で触れながらなぞると動きます」

「おお」

 まるで超薄型で小型のスマートフォンのようだ。画面は黒い背景に緑色で文字が表記されている。文字はぼやけもギザギザ感もほとんどなく、とても綺麗な表示だ。

「文字が小さく感じた場合は、こうして2本指で……」

 お姉さんが実践したそれは完全にピンチイン・アウトの動き。

「続いて討伐情報の確認は、最初の表示をこうして、右に滑らせる様に表面をなぞってください」

 スワイプですね、わかります。

「ちなみに討伐情報の改ざんは厳罰対象ですので、くれぐれもお考えにならないように」

 ピシャリと厳しくお姉さんは述べた。

「使い方は以上です。これがあれば世界各地の冒険者ギルドで仕事を請け負えるようになります。またこのカードは偽造不可能なので、身分証にもなります」

 へえ。金属製だからちょっと高級感あって良いな。スマートフォンみたいな使い心地だったのは助かる。

「ただし再発行は、少々お高くかかりますので紛失はお気を付け下さい」

 でしょうね。どういう仕組みか解らないけれど、無料にするには多機能だ。

「わかりました。さっそく仕事にかかりたいんですけど、初心者向けのものって、今ありますか?」

「はい、こちらへどうぞ」

 お姉さんが促す先へ歩き出す。

 そこにはいろんな紙の貼られた掲示板があった。

「ここに依頼が貼られますから、この中から自分の力量、等級に見合ったものを選んで、窓口に申請してください。ちなみに等級は、依頼を解決すると等級値が蓄積されて、一定数溜まるとランクアップします。等級が高いほど、高難度、高報酬の依頼が増えてきますから、まずは等級を上げることを目標にやっていくと良いと思います。――それで、クラタ・アキラさんは最下級で初心者ですから……このあたりの依頼から手を付けてはどうでしょうか」

 そう言って渡されたのは薬草の採取だった。報酬は1000レデット。高いのか安いのか、まだ相場を知らないから判断つかないな……。

 他のは10000とかあるけど、これは討伐クエストだしな。やっぱり危険度と報酬額は比例するのか。

「じゃあこれ請けます。薬草はどこのを採取すればいいんですか?」

「街の北側に小さな森があって、そこに湖があるんですけどそこに薬草の群生地が」

「わかりました。そこから採ってくればいいんですね」

「恐らく何もないとは思いますけど、気を抜かないように気をつけてください」

 俺は見送られてギルドをあとにした。力試しにはちょうどいい内容じゃなかろうか。とりあえず教えられた森に向かってみよう。

 道中ついでに森に向かう前に街の中を見て回ろうじゃないか。

 俺は早速ギルドをあとにすると、方角が分からなくなり途方に暮れた。

 まずは地図でも買いに行くか……と、考えたが俺は金があるのか? 転生の際に何も言われなかったし、渡されなかったけどそこら辺どうなってる?

 体中まさぐっていると、右ポケットに膨らみがあった。

 質素な、手のひらに収まるような小袋。感触は硬質なものがいくつも詰まってるように思える。この感触は硬貨か!?

 慌てて中身を覗いてみると、やはり硬貨らしき丸い金属が入っていた。これがいくら入っているのか判らないが、転生のサポート体制はバッチリだ。

 俺は早速道具屋を探そうとしたが、ここの土地勘はゼロだ。探そうにも、むやみに街中をうろつくだけの未来が見える。

 出てきたばかりだけど、ギルドの窓口のお姉さんに訊ねてみることにした俺は、早速踵を返した。

 えーと……あのお姉さんは……いた。窓口で仕事中だ。他の利用者はいないから、ささっと聞いてテンポ良く行こう。

「あのー……」

「はい? あら、あなたは先ほどの……」

「すいません。地図が欲しくて売ってる店を教えてもらえると助かるんですが……。なにぶんさっき初めてこの街に来たばかりで右も左も判らず……」

「ああ、そうですよね。ちょっと待ってください」

 そういうとお姉さんは近くにあった紙に、さらさらと地図を書いてくれた。

「ありがとうございます。助かりました」

「いいえ。それじゃあ改めて、いってらっしゃいませ」

 今度こそ、と俺は扉を開いて外に出た。

 受け取った地図は細かすぎず粗すぎず、地図としての機能をしっかりと果たすように書かれていた。この街の地理はさっぱりだが、これがあれば迷うことはないだろう。

 地図を片手に道を行くと、『レデット雑貨店』という看板を掲げている建物を見つけた。

 ここだな。

 相変わらず恐る恐る扉を開く俺。異世界に来たというより、他所様の家にお邪魔してる感覚に包まれている。

「いらっしゃい」

 扉を開けて真正面、カウンターがあった。店内を見回すと、扉を背にして左手奥の方には武器らしきものも置いてある。

「……」

 よくよく考えれば手ぶらじゃ危ないよなぁ。いくらチート能力を得たといっても、万が一を考えて護身用の武器はあってもいいだろう。

 まずは地図を探そう。

 他人の家で冷蔵庫を物色してるような気分だ。

 品揃えは……どうなのだろうか。この世界に来てまだ数十分の俺には判断が付かない。

 売られているものが、どういう用途で利用されるのかも思い浮かばない。

「あった」

 地図、50レデット。持ち金で足りるよな……?

 カウンターに持って行くと、男の店員からジロジロと、見定めるかのようなあからさまな視線を向けられた。

「兄さん、冒険者かい?」

「そうです」

「クニは何処だい?」

 くに? 国? どこから来たかということか?

「東の方の小国です」

 日本といっても通じないだろうし説明も面倒なのでざっくり答えておいた。

「ほーん。遠いところからよくおいでなすった。地図だけでいいかい? うちは街一番の品揃えだから大抵のものは揃えられるよ」

「奥の武器も売り物ですか?」

「欲しいなら売るけど、冒険者が使うもんなら武器屋で買ったほうが安上がりだよ。うちのは刃が潰してある訓練用だから、鍛冶屋で研いでもらわねーと使えないのさ」

 そうか……武器も消耗品だ。ゲームみたいに同じ武器を延々と使い続けることなんてできない。この点はチート武器なら無用の心配だったのだろう。

 しかし俺には『変身能力』がある。本当の武器はこの能力だ。

「武器屋はどこにあります?」

「店から出たらずっと右」

「ありがとうございます。じゃあとりあえず地図だけ下さい」

 俺は財布から適当に一枚、銀白色の硬貨をカウンターに置いた。

「地図は50だよ。細かいのあと4枚あるかい?」

 なるほど。これが10レデット硬貨か。

 俺は財布を探って残りの4枚を渡した。

「はい、ありがとさん。冒険者ならこれからよろしく頼むよ」

「こちらこそ。それじゃまた」

 俺は雑貨店をあとにして、次の目的地の武器屋へ足を向けた。

 武器屋か。俺みたいな駆け出しでも効果的に扱える武器ってなんだろう。とりあえず中学生のころは部活で剣道やってたし、それを加味して決めてみようか。

 武器を手に入れることを意外と楽しみにしている自分がいる。

 雑貨店で言われたとおり、武器屋は15分くらいで見えてきた。

 看板は、わかりやすく、剣と槌が交差している紋章を掲げていた。鍛冶屋も兼ねているのだろう。

 さっきの雑貨店とは違う趣の、初めての武器屋。俺はゆっくりと入り口を開いた。

「いらっしゃいませー」

 壁に棚にズラリと並んだ凶器の数々。これ一つ一つに殺傷能力が込められていると考えると圧迫感がすごい。

 ちょうど他の客はいないようだ。

「好きに見ていいよ。商品や店に傷つけなきゃ、素振りくらいならいいから」

 店番をしているのは俺と同い年くらいの赤毛の、いかにも職人の娘然とした勝ち気そうな少女だった。

「……」

 同い年くらいとなると、ちょっと格好付けたくなるところだが、命を左右するものを選ぶのに見栄なんぞ張っていられない。

「おすすめの武器はありますか」

「おすすめねぇ……。あんた冒険者? 職業は」

 職業……。

「いや、特にまだ決めてないっす」

「はぁ? ちょっとギルドカード見せてごらん」

 俺は尻ポケットに入れておいたカードを取り出して渡した。

「カード、そんな風に持ち歩いてんの? 下手すりゃすぐ失くしちゃうよ」

 店番の少女は、慣れた手つきでカードをいじっている。やっぱり端から見たらスマートフォンを操作しているようにしか見えない。

「はい、返す。今まで剣とか扱ったこともないの?」

「模造刀とかで剣術……みたいなのを少々……」

「剣術ね。じゃあ剣にしておこうか。駆け出しなら金もないだろ。そこの棚が既製品だからそこから選びなよ」

「了解」

 できれば刀みたいなのがあれば、木刀で振り慣れてるから助かるなぁ。もしくは完全に片手でも問題ないやつ……。

 棚にあったのは、長さも大きさも様々な、直刀の西洋剣が立てかけてあった。武器に対して、ゲームで養った程度の知識しか持ち合わせてない俺には、どれがどういう種類の武器なのか見当も付かない。

 特殊なものは無さそうだが……。

「……」

 とりあえず、片手で扱えそうなのを振ってみよう。

 ちょうど取りやすく目に付きやすい場所に並べてある、剣闘士が使っていたような剣を手に取ってみる。

 重さは、片手でも問題なし。

「――ふっ」

 剣自体の重心のバランスも問題ない。振ったときに風切り音も出たし、ある程度の殺傷力は発揮できそうだ。両手だとどうだろうか。

 正眼に構えて剣を振る。……ちょっと軽い。両手で振るには軽め、片手ならジャスト。それでも柄の長さは両手で握っても問題ない。

 これでいいか。他のだとちょっと重そうだし、あからさまに大きかったりするしで、手軽に扱えそうなのは今手にしたタイプの剣くらいだ。あとは短いダガーのようなもの。

 俺は最初に手に取った商品をそのまま持って、カウンターに向かった。

「変わった剣術やってんだね」

「判るんですか? 俺の国だと一般的に普及してる……かどうかはわかりませんけど、剣術習うってなると一番とっかかりやすいんですよ」

「剣術はそれほど初心者って程じゃないだろ。ある程度習熟してるようにみえたけど」

「え、そうですか?」

 金がかかるから初段までしか取らなかったけど、練習を続けた甲斐はあったようだ。

「ちょっと高くなるけど、うちはオーダーメイドもやってるけどどうする?」

「いやぁ、持ち合わせが」

 多分足りない。恐らく最初に支給された金は、冒険の最低限の身支度を調えるのに必要な最低額だろう。

「そう。じゃあ余裕ができたら考えてくれよ」

「そうします」

 俺は財布を取り出した。

「そしたら1500レデットね。鞘とホルダーはサービスしとくから。っても安物だからすぐにホルダーはまともなのに買い換えな」

「ありがとうございます」

 俺は財布をカウンターに置くと、

「すいません。まだこっちの通貨の種類が判らなくて……どれがいくらなんですか?」

「一体どこから来たんだよお前……。いいか、こっちのが10レデット」

 さっき雑貨店で確認済みだ。

「で、こっちのが500レデット。だから今回はこいつを3枚」

 500レデットは金貨のような見た目の硬貨。10レデット効果に比べると、高級感がある。

 よし覚えた。

 会計を終えた俺は、店番の娘に見送られて店をあとにした。

 ともかくこれで街の外に出る準備は整ったはずだ。あとは地図を頼りにクエスト完遂を目指すぞ。


  ※


 地図通りに歩いてきたが、街を出てすぐに森はあった。初心者に勧めるだけあって本当にお手軽クエストなんだな。

 あとは森の中の湖の薬草の群生地で規定の薬草を採取して持ち帰れば完了だ。

 俺は腰にぶら下げた買ったばかりの剣の位置を確かめて、森に足を踏み入れた。

 そこは実に長閑だった。木々は静かにざわめき、小鳥は囀り、暖かい日差しが木々の間から覗いている。しかも道も整備されているし、これはどう考えても町の人もしょっちゅうここに来ているだろ!

 軽いピクニック気分で俺は歩を進める。

 安全そのものだ。大抵の異世界ものなら、もっと前にチート能力を発現させているだろう。

 それが今の俺は、買い物をして装備を調えピクニック。やっぱりチート装備系にしておけば良かったか?

「!」

 少し先、茂みが揺れるのが判った。何かいる。

 エンカウントか!? エンカウントなのか!?

 がさがさ音を立てながら出てきたのは、イノシシみたいな動物(魔物?)だった。

 目が合う。

 野生動物と対峙する場合、先に目を離したら負けだ。そんな話を聞いたことがある。

 俺は腰に下げた剣にいつでも抜けるよう手をかけ、重心を低くして身構えた。

 これは怖いな……。イノシシは完全にこちらに気づいている。

 普通の片手剣で制圧できる相手か? 日本の猪だってトドメを刺すのに安全を確保する。

「……」

 初めての相手にしては少々物足りないが、俺は『変身能力』を行使することにした。

 掛け声はそう――

「変身」

 呟いた瞬間俺の身体が光に包まれ、それと同時に体中に力がみなぎっていくのを感じた。変身は一瞬で終わる。それは正体を悟られないため、かつ現実に変身バンクは必要ないと感じたためだ。初期設定の際に変身バンク無しにすると何故か能力値に上昇補正がかかったので選択しておいた。

 今、自分の姿がどうなっているか、確認できるのは腕と、脚だけだ。

 設定通り黒を基調とし、差し色に赤をあしらった細身の鎧姿になっていると願いたい。

 俺が好きなのはダークヒーローっぽいものだ。

「さあ来い!」

 俺は見よう見まねで適当なファイティングポーズを決めると、相対したイノシシの出方を窺った。

 あちらも俺の雰囲気の変化に気づいたのだろう。さっきまでこちらに敵意をむき出しにしていたのが、なりを潜めて、こちらの様子を窺っているようだ。

 変身の効果はあるようだ。恐怖心は少し薄らいだ。さすがチート能力。ただでさえ、身体能力を病気以前のものより強化されているのだ。無双時代の到来と言えよう。

「……」

 ジリジリとこちらから迫っていくと、イノシシがこちらに突進してきた――!

 押さえ込むか、攻撃を繰り出すべきか、悩む暇など無い。

「うおらあああああ!」

 俺は腰をさらに落としてイノシシを受け止めていた。その危険とされている牙を両手で掴んで押しとどめる。

 イノシシの力は強い。変身していなかったらあっという間にぶっ飛ばされて大けが、最悪は死んでいただろう。それが今ではイノシシを押し返すまでになっている。

 しかし両手が塞がって、両足は踏ん張っているこの状態で出来ることと言ったら……。

「っしゃあああああああ!」

 身体を少し沈ませて踏ん張りをきかせると、俺はイノシシの身体をそのまま放り投げた。

 ぶもっ、という息を吐いて、イノシシは漫画のように森の木々より高く空に舞い上がり吹っ飛んでいった。

 初勝利である。大して疲れてはないが、緊張感による精神的疲労によって呼吸が乱れていた。

「……また出たら怖いからこのままいくか」

 俺は変身を解かずに件の湖を目指すことにした。


  ※


 森が開けるとそこには綺麗な湖があった。

 俺は薬草を探す前に何よりもまず、湖をのぞき込んだ。

「うひょー!」

 初期設定通り。水面に映し出されていたのは、子供のころ絵本で読んだ正義の味方である黒い騎士に似た姿が。

 どうみても正義側ではなさそうなのに、黒い光をたなびかせ民衆を助けていく俺の憧れのヒーロー。

「あとは中身と実力が伴えば完璧なんだ……」

 そう考え、俺は変身を解いた。

 さあ、クエストに戻ろう。薬草の群生地は……あの緑がモサッとしているところだろうか。

「湧き水だ」

 群生地らしき場所は、湖の他の場所に比べて水質が良いようだ。

 俺は指定された量の薬草を採ると……。

 ほぼ身一つで訪れていたことに気づいた。

 ゲームならともかく、現実ではアイテムを運ぶには道具袋やら何やら、そういった装備が必要だろうな……。

 俺は薬草をそのまま持って帰途についた……。


  ※


 帰り道は幸いなことに動物やモンスターに遭遇せず、安全に帰ることができた。もともと初心者向けなんだろうからそれが普通なのだろう。

 あのイノシシに出会ってしまったのは運が悪いとしか言い様がない。

 俺は街の門をくぐるとまっすぐ冒険者ギルドに向かった。

 到着して早速窓口に直行する。今日、俺の登録手続きをしてくれたお姉さんだった。

「お疲れ様でした。薬草はこちらでお預かりします。それではギルドカードを、カードリーダーにセットしてください」

 最初に来たときには変なへこみがあるなと思ったが、こういう使い方だったのか。

「置きました」

「はい、では依頼完了の手続きを行いますので、お待ちください」

 はあ。とりあえずイノシシの件を除けば、つつがなく終えることが出来ただろうか。

「あ! ワイルドボアを退治してますね。依頼解決料の他に討伐報奨金が出ますよ」

 ワイルドボア? あのイノシシか。でもあれは確かぶん投げただけで倒したとは言えないのでは。

 ああ、でも漫画みたいなぶっ飛びかたしてたから、着地したときに死んだんだろうな。落下地点に誰もいなかったことを祈ろう。

「はい、ではこちらが依頼の分の1000レデット、それでこちらが指定モンスター討伐報酬の5000レデットです」

 5000か。意外と悪くないな。そう考えると討伐クエストってのは効率が良さそうだ。

「ちなみにワイルドボアは食材にもなるし、毛皮もとれますから、死体も買い取ることも出来ますよ」

 こちらの世界でもジビエが堪能できるのか。

「あ、それとこちらをご覧下さい」

 お姉さんが手を伸ばして俺のギルドカードを取る。そうしてスマートフォン側の、まず最初の画面の下の方までスクロールさせると、等級値の項目の数字が目に入った。

「ここの等級値が一定まで達すると等級があがります。今回は依頼達成分と指定モンスター撃破分の等級値が加算されました」

 これがいわゆるレベルということになるのか。

「ついでに討伐リストにはこうして記録されていきますよ」

 確かにワイルドボアの名前があった。

「でも一人でワイルドボアを退治しちゃうなんて、結構やりますね。あれは気性が荒くてすぐに暴れ回るから、複数人で狩るのが常套手段なんですよ」

 チート能力万歳だな。

「あとは罠とか使うんです」

 イノシシだもんなぁ。大きさからいって成体だろう。チートがなければ対応できなかったよな。

「ところでクラタさんは、今日の宿はお決まりですか?」

「いえ、まだですけど」

「そうすると……夜は、宿屋を使うか馬小屋を借りるかですね。もちろん宿屋はお金が必要ですけど、馬小屋なら無料で宿泊できます。……あんまりおすすめはしませんけどね。さっきの報酬があれば、食事付きで2、3泊出来るはずですから」

 出た、馬小屋。MPは回復すれどHPは回復しない、寝るだけの場所。所持金で足りるなら今日は宿を取ろう。

「ちなみに宿屋はどの辺に?」

 俺は地図を広げる。

「ここです」

 お姉さんが指さした場所を記憶した。……ギルドからそんなに遠くない。

「ありがとうございます。それじゃあ、また出来そうな依頼が無いか見てきます」

 現状のままなら宿の心配はいらないとはいえ、冒険者としての必需品が足らなすぎる。手に入れたアイテム、持って行くアイテムをそのまま手に持って活動、というのはかなり不便だ。武器屋でも指摘されたとおり、ギルドカードの持ち歩きが適当すぎる。

 何か道具袋のようなものを用意しておきたい。

 ゲームの世界と違って何でもかんでも持ち運べるわけがないのだから、そういうところも考えないといけない。

 依頼掲示板の前に立つ。こうして見てみるといろんな依頼がギルドには集まっている。

 さっきのような、何かを採取してくる依頼、何かを討伐する依頼。

「あっ」

 俺は張り出されている依頼の中に、「複数人での対応推奨」と書かれたものを見つけて、困ってしまった。

 複数人ということはパーティ推奨……。

 俺は『変身能力』の制限・制約に、正体を知られると能力が下がってしまうものを選んでしまったが、ここまで考えてなかった……。

 万が一、パーティで攻略中に、ピンチに陥って変身してしまう。すると俺は『変身能力』を制限付きで行動しなければならなくなる。

 それにギルドカード……! 変身状態で誰かに見られようものなら一発で正体バレしてしまうし、討伐情報からも少し考えれば簡単に割り出せてしまうだろう。

 迂闊だった……。ソロ専に徹するか、パーティ組む時は最初から最後まで変身しっぱなしにするしかないじゃないか……。変身時間に制限をかけなかったのは幸いだったかもしれない。

 変身することに完全に浮かれてた。

「……とりあえずこれやろう」

 等級不問の、ワイルドボア駆除の依頼を引き受けることにした。依頼書を剥がして窓口に持って行く。

 登録手続きをしてくれたお姉さんがいた。

「これお願いします」

 依頼書を渡す。

「はい、これですね。さっきの薬草と違って期限があるので気をつけてください」

「そうなんですか。いつまでですか?」

「4日後ですね」

 お姉さんはカレンダーのようなものを指さした。

「わかりました。すいません、まだこの国の暦になれなくて」

「そうなんですか。依頼には期限とか日時指定はつきものですから、すぐに覚えられますよ。ああ、それとさっきもいいましたけど、駆除したワイルドボアは買い取りできますから、荷車を使ったほうがいいですよ。ギルドで貸し出ししてますから、言ってもらえばすぐに用意できますから」

「じゃあ借りていきます」

「4日分でいいですか?」

「はい」

「料金が80レデットですね」

 財布を取り出し支払う。

「これが荷車の番号です」

 4、と書かれた木札を渡される。

「同じ番号が車体に付いてますからそれを使ってください。車庫はギルドの建物の隣にあります。ではお気を付けて」

 さて、それじゃあ次の依頼に取りかかろう。

 期日までに5頭のワイルドボアの駆除。本当ならもっと力試し出来そうな依頼のほうが良さそうだが、あまり目立ちすぎると、変身しづらくなりそうなので地味にコツコツと対応していこう。

 そして荷車の前に、雑貨店で荷物入れを買ってこよう。依頼の報酬とワイルドボアを退治した報酬で、手持ちに余裕が出来ているはずだ。

 あとは何が必要だろうか……。

 武器、有る。防具、無い。防具かぁ。

 出来れば動きの阻害されないものがあればいいな。剣道の防具なんかだと着慣れているから、違和感なく動けそうだけど、異世界の武術の防具がある可能性は低い。

 とりあえず荷物入れを最優先事項にして行動していこう。今はまだポケットに入れておけるものだけしか持っていないが、この先、道具持ち込みで行動しなければならない場面も出てくるだろう。

「……」

 本日2度目の雑貨店。

「いらっしゃいませ」

 さっき来たときと違う店員がいた。武器屋のカウンターにいた女の子と同じくらいの年頃だろうか。ここの娘さんなのかもしれない。大人しそうな雰囲気だ。

 さて、目的のものはどこにあろうか。

 街一番の品揃えの力とやら、見せてもらおう。

 棚の間を見回しながら、店の手前から順番に探す。

「何かお探しですか?」

 そんな風にフラフラしてたら声をかけられた。万引きされるとでも思ったのだろうか。

 俺は毅然とした態度で対応することにした。

「いえ。私、冒険者なんですけどね。荷物の持ち運びに何かいいものはないかなと思いまして、ええ」

 キリッ。

「道具袋ですか? それならここに並んでる分で全部です」

「どうもありがとうございます」

 俺は教えられた棚に向かった。

 品揃えはまあまあだった。種類としては2つ。肩掛け式か、背負い式か。俺はいくつか目に付いたものを見て回った。

 やはり品質が高かったり、使いやすそうなものは値段がいい。

 そんな中で俺の興味を一番そそったのが、考えてもいなかった、ギルドカード入れだった。いわゆるパスケースというやつに近い形状で、首にかけられるよう、ストラップも付いていた。これは……800レデットか。買おう。これだけでも満足感が高い。

 全て色も材質も同じ、1種類の商品しかなかったので迷わず棚からとる。試しにカードを出し入れしてみたが、これは良い……。

 さて本命に戻ろう。

 武器を腰に下げていること、剣であることで、道具袋は背負い式のものに決めた。動きを阻害されるのを避けるためだ。

 俺はほどよい大きさで丈夫そうな商品を手に取ってみる。革製品だろう。細かいところもしっかり作り込んであって、いい値段しそうだ。

(4000かぁ)

 全部で4800レデット。足りることは足りるのだが、所持金のほとんどを使い切ることになってしまう。

 宿代は足りるだろうか。……いざとなったらまたワイルドボアを1頭やっつければいいか。

 俺は皮算用をして精算に向かった。

「お願いします」

「はい。えっと……4800レデットです」

 さっきの報酬で紙幣を手に入れた俺は、さっそく使うことにした。ワイルドボア1頭分の5000で支払う。

「はい。……おつりが200レデットです。ありがとうございます」

 素朴な感じのかわいい女の子だ。改めて見ると、鍛冶屋の店員と比べて年下に見えた。

「あの、なにか……」

「ああ、いえ。なんでもないです。ありがとうございました!」

 不躾に顔をじっくり眺めてしまった。慌てるようにして、俺は店をあとにした。

 女の子の顔立ちをみて、やっぱり異世界だと再確認した。この世界にもきっといろんな人種や民族が存在するに違いない。中には俺のような――日本人のような顔立ちの人たちもいるのかもしれない。

 そんなことを考えながら。俺は買ったばかりの道具袋を背負い、そしてギルドカードをケースに入れて首にぶら下げた。

 これからどうしようか。

 このまま依頼遂行を目指すか、先に宿屋に行くか。

 とりあえず地図で宿の場所を確認しよう。

 道具袋のサイドポケットから地図を取り出す。

「……あれ、どこだったっけ」

 ギルドで教えてもらったのにすっかり忘れてしまった。

 それに必要最低限の情報しかないこの地図は、建物の場所がわかっても、その建物がどういった施設なのかまではフォローされていない。

 俺は出てきたばかりの雑貨店内に舞い戻った。

「いらっしゃ、い、ませ」

 そりゃ今しがた出て行ったばかりの男がすぐに戻ってきたら面食らうだろう。

 俺は地図を広げて、

「ごめんなさい。宿屋の場所を教えてもらえませんか?」

 他意は無いことをアピールし、ゆっくりと店番の女の子に近づいていった。

「あ、ああ、はい」

 カウンターに地図を広げて置いた。

「ここがうちの店です。――あ、書きますか?」

 カウンター台の下から女の子が細長いものを取り出す。ペンだろうか。というかボールペンにしか見えないが。他の転生者がこっちの世界で広めたのだろうか。

 どうぞ、と渡してくる。

「今がここです」

 俺は地図に雑貨店と書き込む。書き心地はやっぱりボールペンのそれだった。

「……見たことない文字。どこの国から来たんですか?」

 俺はうっかり漢字を使っていた。転生時にこちらの世界の文字や数字をインプットされていても、慣れでうっかり書いてしまった。

「あー、これ。これはですね、母国で使われてた昔の文字なんですよ」

 適当な嘘でごまかした。

「複雑だけど形は整っていて不思議な文字ですね」

「これ一つ一つが意味を持ってて、違う意味や似た意味の文字を組み合わせて使うんですよ」

「へー、面白い。……あっ、すいません宿屋ですよね。私、本が好きで文字とか興味持ってて……」

「素敵ですね」

 そのあとも少し雑談を交えながら、地図にいろいろな書き込みをしてもらい、地図が使いやすくなった。 あとついでに彼女の名前がアシュリーだということ、17歳で俺と同い年だということを教えてもらった。

「それじゃ、ありがとう。また来るよ」

「こちらこそ。珍しいもの見せてくれてありがとうございました」

 アシュリーに挨拶をして俺は雑貨店をあとにした。

 地図に書き込みをし、これで少しは一人歩きがはかどるだろう。

 ここからならギルドより宿屋のほうが近かったので、先に宿屋に行き、まず部屋を取ってから駆除に向かうことにした。果たして金は足りるだろうか。

 この街ではまだ来たことのない場所に辿り着く。地図だとこの辺にあるはずなので、見回すと、それらしい看板を掲げている建物を見つけた。

 扉を開けるとドアベルが音を立てた。入ってすぐにレセプションらしきカウンターが設置されている。

「いらっしゃい」

 いかにも宿屋の女将さんといった感じの人が出迎えてくれる。

「宿を取りたいんですけど、一泊いくらですか?」

「うちは素泊まりだけなんだよ。500レデット。食事は、ほら、そっちの扉開けると食堂があるからさ」

 500か。

「じゃあ今夜一泊お願いします」

「はいよ。うちは料金先払いね」

 500レデット、カウンターに置く。

「はい、これ部屋の鍵。鍵は持ち歩き禁止だから、出かけるときは、ここに預けてちょうだいね」

「わかりました」

 差し出された鍵を受け取って、さっそく部屋へ向かう。とにかく今日の寝床は確保できた。あとは時間が許す限りワイルドボアの退治にあたろう。

「……」

 部屋は当たり障りのない普通の部屋だった。置いていく荷物もないし、俺は中を軽く見回したあと、すぐに部屋を出て鍵をかけた。

 さっきの受付のおばちゃんに、出かけることを伝えて鍵を預ける。

 次はギルドまで荷車を取りに行こう。

 地図を見て道を確認する。街のほぼ中心に位置しているから、自分の現在の居場所さえ判れば辿り着ける。

 ワイルドボアか……。自信は無いが、次は試しに変身しないで戦ってみるか? あからさまなモンスターってわけでもないから――いや、待った。ギルドのお姉さんが、本来なら複数人でって言ってたっけ。やめとこ。

 ここは異世界であり、現実でもある。死ぬ可能性だって十分あるのだから、迂闊な判断や行動は気をつけないと。

 そうこう考えてるうちにギルドに到着する。車庫はギルドの隣って言ってたはずなので、それらしき建物を覗くと荷車が並んであった。

 これか。中に入って4番の荷車を探し出して、車庫から出す。

「クラタさん。これから出発ですか?」

 荷車を引いてたところ、ギルドのお姉さんが裏口みたいなところから現れた。

「ああ、はい」

「お気を付けて」

 そう残してお姉さんは引っ込んだ。

 俺は荷車に意識を戻し、また引き始めた。

 行き先は、薬草採取で訪れた、街の北の森だ。たまたまとは言え、1頭遭遇出来たのだからまだ他にもいるだろう。

「これちょっと重いな……」

 軽い筋トレだ。さっさと終わらせてしまおう。

 俺は北の森への道を歩いた。


  ※


 先の薬草の件で通った道の中頃。その辺りで俺はワイルドボアを探すことにした。

 道の端に荷車は寄せておいて、俺は茂みの中を歩く。

 今更だが、俺の服装は、上は半袖のTシャツに下はジーンズというものだ。ついでに靴はスニーカーという、これは元の世界で散歩に出た格好のまま。そのまま転生したわけだ。どう考えても冒険とは真逆の装備だ。

 俺の世界でだってこんなラフな格好で山に行く人はいないだろうよ。

 それなのに俺は、そのラフな格好でイノシシ狩りをしようってんだから考えなしにも程があった。なんか毒があったり漆みたいにかぶれたりするものがある植生ではないことを祈る。

 なるべく音を立てないよう、気配は消してるつもりで静かに茂みを行く。あいにく狩りの経験は無いので動物の探し方はわからない。いや、本当に考えなしだな。

「おっ」

 1頭見つけた。あの大きさは大人のボアだろう。餌でも食べてるのか、地面に鼻を付けてフゴフゴ鳴いている。野生の動物は背中を見せて逃げ出すと、本能的に追いかけてくるという話を聞いたことがある。

「わっ!!」

 俺は茂みから飛び出して大声を上げると、さっと踵を返して走り出す。

 茂みを走りながら振り向くと、しっかり追ってきていた。

「変身!」

 俺は止まって振り返る。その時には黒いアーマーを纏っていた。

 迫るワイルドボアを迎え撃つ!

 と、息巻くものの、仕留める方法を思い付かなかったので、またしても受け止める形になってしまった。

 ワイルドボアは怒り猛って地面を蹴りつける。

 が、変身して能力値が強化されている俺にはなんともない。

「おりゃっ」

 悩んだ末に思い付いたのは、薬草採取の途中で出会ったワイルドボアのことだった。

 投げて地面に叩きつける。

 俺は腕に力を込めて、ボアを放り投げた。

 まるで紙風船のように宙に舞ったワイルドボア、気持ち強めに投げているので滞空時間が長かった。

 自分に何が起きているのかも判ってないだろう。四つ足をばたつかせていた。

 ほぼそのまま真上に投げ上げたので少し後退して、落ちてくるのを待った。

「危ねっ」

 目測を誤って、目の前に落ちてきたボアは地面に叩きつけられた。14、15メートルくらい上がったから、建物でいうと5階か6階くらいの高さか?

 墜落の瞬間、ぷぎっ、という鳴き声のようなものが聞こえた。南無。

 動かなくなったボアを担いで茂みの中を行く。

 チート特典はやはりすごい。ワイルドボアの重みはほとんど感じない。能力値の強化がかなり効いている。

「転生特典様々ってね」

 そして。

「健康体って素晴らすぃーーーーーーーー!」

 仕留めたボアを荷車に移す。荷車がボアの重さに軋んだ。

 これであと4頭で依頼完了だ。


  ※


「見つからねえ……」

 さっき仕留めた1頭を最後に、その後ぱったりとワイルドボアは姿を現さなかった。

 木々の合間からは夕日が差し込み、周囲は少し暗くなり始めていた。

 今日の活動はここまでにしよう。いくら街から近い森とはいえ、俺はまだまだ半人前の身、夜の森での捜索は困難だろう。

 俺は帰ることに決め、荷車を停めてある場所に歩き始めた。

 そして荷車まで来て、周囲を確認してから変身を解いた。最初の1頭を仕留めてからずっと、変身状態だった。能力値が強化されているため、肉体的な疲れは軽いのだが、捜し物が見つからないという状況に、精神的に疲れていた。

「結局こいつだけか……」

 はあ、と一息ついてから荷車を引き始めた。

 依頼はともかく、こいつが5000で買い取りしてもらえるから、明日以降の生活費の足しにはなる。

 ボアを乗せた荷車は、重みを増している。かなり腕に来る。

 一瞬、変身して運ぼうかとも思ったが、正体バレの懸念があったので我慢した。基礎能力も鍛えておいて損はないだろう。

 幸いこの道まで来てしまえば、街まで一直線。

 ほら、そうこう考えてるうちに街の入り口が見えてきた。

 街に着いたらまっすぐギルドに向かった。

 扉を開け中に入り、窓口に声をかける。

「はい」

 あのお姉さんではなかったが、別のお姉さんだ。

「ワイルドボアの引き取りをお願いします。外に荷車に乗せてるんですけど」

「かしこまりました。担当者が確認に行きますから外で待っていてもらえますか」

 そう告げられたので俺は荷車の横で待つことにした。

 数分も経ずやってきたのは、男の担当員だった。

「はい。ワイルドボア1頭ね。確かに」

 男は持っていたクリップボードに乗せた紙にサラサラと何かを書くと、下半分を切り取って俺に差し出した。

「これ、証明書ね。いつもの窓口で見せれば報酬金とか貰えるから。はい」

「ありがとうございます」

「それじゃあボアのほうは、もうこっちで預かっちゃうね。荷車はまだ使う?」

「いえ、今日はもう使わないです」

「じゃあこっちも戻しちゃうね」

 男は荷車の持ち手をヒョイと取ると、重さを感じさせない、慣れた様子であっという間に車庫に消えていった。

「……」

 俺は渡された紙片を窓口に提出した。さっきのお姉さんがそれを受け取り、

「ギルドカードの提示をお願いします」

 受付台のカード置きにセットする。

「はい。……討伐依頼も受けてますね。依頼のほうはあと3頭で達成になります」

「あれ、全部で5頭ですよね」

「依頼をお引き受けの前に1頭退治されてますよね? これが規定時間内なので依頼の必要数に加算されます」

 ラッキー。

「ではこちらが今回の報酬です。ワイルドボアの引き取り額が10000レデット、それと指定討伐対象になってますからこちらの報償で5000レデット、合計で15000レデットです」

 15000!?

「ご確認ください」

 なんかラッキー! 思ってたより金額がいった。

 俺は差し出された紙幣を手にした。2種類の紙幣が、1枚と5枚、10000と1000が五枚。

 これでまた冒険に必要な道具を買い揃えよう。とりあえず今欲しいのは時計だ。この世界に存在しているのか判らないが、あれば行動計画が立てやすくなる。

 今日はもう飯食って風呂入って寝よう。

 俺はギルドに併設された食堂で、夕食にすることに決めた。

 考えるとこの世界に来て初めての食事だ。この世界の料理レベルはどのくらいだろうか。

 俺は適当に場所を決めて椅子に腰掛けた。

 メニューは文字だけで構成されており、実にシンプルだった。「飲み物」「お食事」大きく分けてこの二つ。文字だけだとどんなメニューなのか想像も付かない。

「いらっしゃいませー。お。昼間の少年」

「どうも」

 確か初めてギルドに入ったときに声をかけてくれたお姉さんだ。

「初めての仕事はどうだったかね」

「いやー、慣れないんで疲れました」

「じゃあいっぱい食べてってねー。どれにする」

「おすすめってありますか?」

「嫌いなものある?」

「無いです」

「じゃあこれとかこれかな」

 お姉さんはメニューの品名を指さしてくれる。

「じゃあこっちで」

「お酒はどうするー?」

「一応未成年だもんで……」

「え? いくつ?」

「17です」

「なんだ平気じゃーん。どこの国から来たか知らないけど、この国なら16から大丈夫だよ」

 マジかよ。じゃあ飲んでみようかな。

「強くないのください」

「そだねー。初めてで強いのはねー。じゃあこれにしてみよっか」

「お願いしゃっす」

「はーい。じゃあちょっと待っててね-」

 手を振り振り、お姉さんは下がっていった。

「……」

 俺は今日1日を振り返る。

 異世界初日、一言で言うなら、地味。それに尽きよう。

 それもこれも俺の性格のせいなのだからしょうがない。石橋をたたいて渡り続ける人生でした。

 転生できたことを考えると、悪くはないよな。むしろ良いほうか?

「おまたせー」

 デカいジョッキがやってきた。

「……」

 とりあえず飲んでみた。

「炭酸のリンゴジュースだこれ」

 イケるイケる。

 はー、やっぱり異世界ってことで緊張してたんだろうなぁ。喉が渇いていたことにすら気づかないなんて。染みるぜ、リンゴジュースもどき。

 気が抜けたら、腹も空いてきた。

 リンゴジュースを考えると料理も期待できそうだ。

 お姉さんまだかなー。

「……」

「待たせたなー、少年」

 そうして食事を堪能した俺は、その後大衆浴場へ行き汗を流し、宿に向かった。

 その頃にはもう日は暮れ、夜になっていた。

 さすがに電灯のようなものはないため、夜道は心許ない。

「……ランタンみたいな灯りもそのうち買わないとかなー」

 いつかはダンジョン攻略もあるだろう。そして野営しなければいけない状況にもなるだろう。火をおこす道具は持っておこう。

 なんだかんだと考え事をしているうちに、宿屋に着いた。レセプションに預けておいた部屋の鍵を受け取る。

 部屋に入り、ほぼ空に近い道具袋をおろす。腰の剣も外してホルダーも取って、荷物はまとめて床に置いた。

 リンゴジュースのおかげでほろ酔い気分の俺はベッドに倒れ込んだ。

 ようやく1日が終わりそうだ。

 まず死んで、転生して、薬草を採取して……変身楽しかった。

 1日の始まりが「死」というのもセンセーショナルではなかろうか。

 今頃あの空間にはまた、別の人が、どんな能力を得ようか頭を悩ませてるに違いない。


 これまでの人生と、これからの人生。どちらが良くなるか、そんなことを考えていたらいつの間にか眠りについていた。


  ※


 2日目。

 窓から差し込む日差しで目が覚めた。なんと健康的な……と思ったが日の位置は結構高めだ。ところでこの世界にも太陽や月と言った天体が存在するのだろうか。その辺りのこともおいおい勉強していこう。

 今日の仕事は先日請けた依頼の続き、ワイルドボアの駆除。残り日数は3日。もう一度北の森に出向いてみよう。今日は少し奥まったほうに足を向けることにする。最低ペースでも1日1頭ずつ退治できれば期限には間に合うが、相手は野生の動物だ。思惑通りにいかないと考えておいたほうがいい。

 まずは、ギルドまで荷車を取りに行こう。

 俺は荷物をまとめて部屋をあとにする。階段を降りて、部屋の鍵を返却すると、

「どうする。また泊まるなら部屋はとっておくよ」

 そう声をかけられたので、反射的にまた今夜も世話になる旨を伝えていた。

 女将さんが手を出す。

 そうか。前金だった。支払いを済ませた。

 宿からギルドまでの道すがら、それはもう平和な光景が広がっていた。

「のどかって言うのはきっとこういうのを言うんだろうな……」

 歩きながら呟く。

 と、そんな数瞬前の言葉を真っ向から打ち消すような光景と鉢合わせてしまった。

「なぁ、ほらいいだろ」

「こ、困ります。やめてください」

「なにも、取って食おうってわけじゃないんだ。ただちょーっと一緒に遊んでくれるだけでいいんだよ」

 ガラの悪い男二人が女の子にちょっかいを出していた。昼間からよくやるぜ、まったく。

 男たちは帯刀している。この世界の法律は知らないが、民間人ではないだろう。同じ冒険者か、はたまた犯罪者か。

「や、やめて……」

 壁際に追い詰められた少女は今にも泣きそうな顔をしていて、その少女に見覚えがあることに気づいた。 レデット雑貨店の娘のアシュリー。

 不幸なことに人通りは少ない。あったとしても、武器を持つゴロつき二人を相手にしようなどという、命知らずはいないだろう。

「……」

 俺は静かに横道にそれて、身を隠した。

 前方ヨシ、後方ヨシ、上ヨシ。誰もいないことを確認してから、

「変身」

 俺は能力を解放した。……解放したって表現は格好いいな。また使おう。

 黒い騎士に変身した俺は、確かな足取りで渦中へと臨む。

 焦れた悪漢の1人がアシュリーの腕を掴もうとしているのを見て、俺は飛び出した。

「……」

 たった一瞬のうちに、5メートル近くあった距離がゼロになる。俺の右手は、アシュリーに伸びた男の手首を掴んでいた。

 俺を含めて全員が、何が起きたのか理解に時間がかかった。

「なんだテメエは!」

 最初に口を開いたのは、手首を掴まれた男。当たり前だろう。俺もいきなり手首を捕まれたらちょっと引く。

 本当なら俺が先に一言発さなければならないだろうが、一つ忘れていたことがある。この『変身能力』は声まで変わらない。アシュリーに声を聞かれたら、正体がばれてしまう可能性があった。

 故に男の放った言葉にすぐに対応できず、俺は沈黙で返すしかなかった。

「……やめろ」

 たしかコウモリを模したヒーローは、声を低くして声から正体が着かないようにしていたはず。

「ああん!? 聞こえねーんですけどぉ!?」

 意識して低い声を出すのって難しいんだな。なんかボソボソした、形容しがたい音が漏れた。

 返してきたのはもう一人の男のほうだった。

 手首を掴んだ男は、自らの腕を全く動かせないことに困惑しているようだった。

「……逃げろ」

 俺はさっきよりはマシな発声でアシュリーに言う。「は、は……はい」

 アシュリーは声を震わせながら、慌てて駆け出していった。――そりゃそうだ。変質者が1人ふえたんだからな……そう考えるとちょっと悲しい。

「テメエ勝手なことしてんじゃねえよ! お前もいつまでそうしてるつもりだ!」

「い、いや、違う。腕、腕が動かねえ……」

 変身時の能力値強化は、やや過剰気味だったかもしれない。この程度の大の大人の男二人なら軽く制圧できる。

 最初に掴んだ男の手首、通常よりやや力を込めて掴んでるつもりだが、手首にはそれ以上の力がかかっているらしい。

 少し力を入れてみる。

「痛だだだだだだだ!」

 えっ、そんなに!? 俺は力を弱める。

「ちょ、まっ、まっ!」

 手首の圧迫が弱まっても、まだピクリともしない自分の腕に、何か得体の知れない恐怖でも覚えたのか、掴んだ男のほうが情けない声を上げた。

 状況が判らないのは何もされてない男のほうだろう。相棒らしき男が急に藻掻きだしたのだ。

「やばい、やばいよ! こいつやばい!」

「はあ!? なに言ってんだお前。……こいついい気になるなよ!」

 判らないなら判らないなりに理解しようとするのが賢い。

 何を血迷ったか、男は抜刀してしまった。それで俺への牽制になるとでも思ったのか。

「やめておけ。こいつの手をへし折るぞ」

 俺は何も傷つけたくてこうしてるわけじゃない。第一の目的としてアシュリーを無事に帰すこと、それが達成された今、こうしてこの二人と対峙する理由はもう無いのだ。

「まっ!? 待って! 待てっ! 待ってください! おあ、お前、剣をしまえ! しまえ!」

「馬鹿言ってるんじゃねえ。こんなやつ鎧着込んでるだけじゃねえか!」

 剣を構えたつもりだろうか。まったくなっちゃいない。これなら、中学時代の部活顧問の鬼河原先生のほうがよっぽどおっかないぞ。

「冒険者か?」

 俺は問うた。

「だったらなんだ!? 今更謝ってもただじゃおかねえからな!」

 俺と同じ駆け出しかもしらん。

「ばっ、お前、本当に止めろって!」

 なんだかカオスな状態になってしまった。

 徐々に、遠巻きではあるが見物人がちらほら出現し始めた。出来るなら目立ちたくない。

「受け取れ」

「あひゃっ!?」

 掴んだ手首を引っ張って、俺は剣を構えた男に投げつけてやった。

 さすがにこうくると思ってなかったのだろう。仲間を受け止めきれずに、2人揃って地面に倒れてしまった。

 俺はその隙に人のいない方に駆け出した。

 変身するのも、変身を解くのも、人気の無いところを選ばねばならぬのだ。

 俺は現場から一目散に立ち去って、人のいなそうな場所を求めて駆ける。

 そしてよさそうな裏路地を見つけると滑り込み、周囲を確認してから変身を解いた。

「……ふう、良かった」

 そこそこの距離を駆け抜けたのにもかかわらず、疲労感は全くなかった。ワイルドボアをぶん投げられるだけの能力値を持つだけのことはある。変身能力万歳。

 さて、ゴタゴタしてしまったが、当初の目的であるギルドに向かおう。荷車を借りて、ワイルドボア狩りだ。


  ※


 遠回りになってしまったが、冒険者ギルドに到着すると建物の中が騒がしかった。

 何事かと、扉を開けてみると、

「おらあああああ! うちの娘にちょっかいかけた野郎どもだせやああああああああああ!」

 見覚えのある男が窓口で吼えていた。

 あれは……

「お父さん、落ち着いて!」

「落ち着いていられるか! おら、出てきやがれ木っ端冒険者があああ!」

 吼える男はレデット雑貨店の店主、そしてそれを宥めるアシュリーだった。

 なんだあれ。

 入り口の扉の影からのぞき込んでいると、食事処のあのお姉さんが教えてくれた。

「なんか娘さんにちょっかい出したやつがいるんだってー」

 ……ああ、さっきの。そういえば最後のほうは、遠巻きに見てる人いたもんなぁ。

「馬鹿だよねー。この街であの店に喧嘩売って、冒険者なんかやっていけないのに-」

 この街一番の品揃えは伊達ではなかった。

 ギルドの受付から男が何人かと、俺が登録するときに手続きをしてくれたお姉さんが出てきて、アシュリーと共に宥め始めていた。

 主に声をかけていたのはお姉さんで、上手く誘導して食事処の一席に腰掛けさせていた。

「うちでやるのかー」

「まあ、落ち着いて話すってなるとそうなりますよね」

 ギルドに入る。

 受付のお姉さんが出てきたことで少し落ち着きを取り戻したのか、先ほどまでの喧噪はなりを潜めた。

「少年さー、実はここのギルド仕切ってるの、あの女だから」

「あの女って……雑貨店のご主人と話してる?」

「名前知らない?」

「……そういえば知らないですね」

「アイリスって言って、大昔は名の知れた冒険者だったんだよ。ちなみに腕は落ちてないから気をつけなー」

 名うての冒険者か。さぞかし強かったのだろう。

「ちなみに私はヘルミーネねー」

「あ。俺は倉田彬って言います」

 俺たちは遅めの自己紹介を済ませた。

「さー。じゃあ私は仕事に戻るかー。客いないけどー。少年も仕事に励めよー」

「うーっす」

 去り際がクールなヘルミーネさんは、手を振って去ると、入り口から見えにくい席に腰掛けた。

 仕事しねーじゃん。

 俺はちゃんとしよう。アイリスさんと雑貨店のご主人が話し合ってるのを横目に、俺はギルドの窓口を目指す。

「すいません」

「はい」

「荷車借りていきますね」

 先日渡された木札を取り出す。

「4番ですね。どうぞ車庫から運んでください」

 食事処を横切ったとき、まだ話し合いは続いていた。……俺も当事者と言えば当事者だが、変身状態での介入だったので、冒険者・倉田彬が関与していたとばれることはないだろう。

 俺は素知らぬ顔でその場を乗り切った。

 入り口の扉を開けるようとノブにてをかけたとき、ちょうど扉が開いた。

 そこにいたのは……

「お。悪いな」

 さっきの奴らだった。何という間の悪さか。まさに今、お前らのことについて話し合っている面々がいるぞ。

「……」

 俺は動向が気になり、素知らぬ顔で食事処の、話し合いの内容がどうにか聞こえそうな場所に陣取った。 ちらちらとアイリスさんたちの様子を窺う。

 どうやらまだあいつらが入ってきたことに気づいてないらしい。

「お父さん、もう……」

 アイリスさんと一緒に宥めに入っていた娘のアシュリーは、ちょうど自分達の後方を歩いている連中に目が行ってしまった。

 アシュリーがあの連中に気づいたことは、こちらから見て判った。見るからに恐怖心を表に出していたのだ。

「どうしたアシュリー」

 さすが父親。最初にアシュリーの異変に気づいた。アシュリーの目線の先の二人組に目が行った。

「貴様らかあああああああああああ!」

 突如再びの怒号に包まれたギルド内。

 入ってきたばかりの、二人組は何事か理解が追いつかず、怒号の主を見た。そしてその隣に立つのが、先頃自分達がちょっかいを仕掛けた人物だと気づく。

 怒号と共に席を立ち、まさしく猪突猛進しかけた店主は走る格好のまま、動きを止めた。実に器用な芸当であった。

 しかし実に不自然だ。

「落ち着いてください」

 また一騒ぎ起こりそうなギルド内に響く、凜とした声と他を寄せ付けまいという立ち振る舞い。アイリスさんはゆっくり立ち上がると、アシュリーに近づいた。

「あの2人で間違い有りませんか?」

「は、はい」

 店主の横を通過する際、アイリスさんは店主の身体に一瞬だけ触れる。すると店主の身体は、走っている途中という不自然な姿勢から、直立姿勢になっていた。本人も何が起きたのか解っていない様子だった。

「お二人に少々訊きたいことがあります」

 もはやいつもの受付のお姉さんはいない。

 そこにいるのは百戦錬磨もかくやと言うほど、迫力に満ちた人物だった。

 その気迫は二人組にも伝わったのだろう。何も言うことなく頷いて……。

 勝負は付いていた。

 この後、二人組は冒険者としての資格の3ヶ月間の停止が決まった。また、次も同じことを繰り返した場合、問答無用の資格永久剥奪が約束された。

 ついでにレデット雑貨店の出入りも禁止された。

 天網恢々疎にして漏らさず。

「ところでアシュリー。お前を助けてくれた鎧野郎はどうしたんだ?」

 げっ……。

「わからない。鎧の人が真っ先に私を逃がしてくれたから」

「そうか。いつか会うこともあるだろうな。そんときはサービスしてやらんとな」

 俺は目立たないように、怪しまれないように――そもそも悪いことはしてないのだから気にすることはないのに――静かに静かにその場から離脱する。

 そして車庫の荷車4号機を拝借すると、さっさと森へ向かった。


 昨日の反省を生かして、昨日より森に踏み入ってみる。購入してからまだ一度も抜かれていない剣が、カタカタとたまに音を立てる。

「……」

 気配の消し方などわからない。俺は抜き足差し足で森を進む。

 異世界の動物が元の世界の動物と同じ習性を持っているかはわからないが、俺はいわゆる獣道を探しながら森を彷徨う。

 確かそう、小説だったか、漫画だったか……どちらから得た知識かは曖昧だが、大型の哺乳類は、行動するときのコースを決めるという。

 また、ベテランの猟師は糞や足跡から獲物を追跡できるという描写があった。

 残念ながら俺には何もない。ただ本から得た知識だけで森を行く。

 普通ならばこんな森に入るのも躊躇していただろうが、今は変身能力を心のよりどころとし、後押しとなって恐怖心が薄らぎ、平然と散策できていた。

 何も見つからないままやがて、先日の薬草採取で訪れた湖に到着してしまった。

 本道から外れたつもりでいたが……。

「ん?」

 湖の畔に、ずんぐりむっくりとした塊の集団があった。

 ワイルドボア!

 しかも集団!

 俺は前回と同じ手段で奴らの気を引くことにした。

「へいへいへーーーい!」

 大声を上げながら湖まで走り、ワイルドボアがこちらを認識したと同時に、背を向けて走り出す。

 熊もそうだが、イノシシも、背中を向けて走り出した物体を追いかけてしまう習性をもつらしい。

「へんしーん!」

 俺は手遅れになる前に能力を発動――じゃなかった。解放した。

 身体が光に包まれると、一気に身軽になる。走るスピードもグッとあがる。ボアを引き離さないように、俺は速度を調整する。

 振り返らずともドタバタとした足音で複数のボアが追いかけてきていることがわかる。

 今回も力任せだ。

 トッ、と一歩強く踏み出し身体を浮かせ、身を翻す。

 4頭のボアがこちらに向かっていた。試しに必殺技を――。

「絶掌波!」

 説明しよう。絶掌波ぜっしょうはとは、半身を捻り戻す勢いを乗せ、手のひらを突き出すことで発する衝撃波を、広範囲に叩きつける必殺技なのだ!

「飛んだ……」

 豚だけに、トンだ。

 ぷぎぃ、と鳴き声を残して後方へ吹っ飛ばされていったボアたち。影響は彼らたちだけでなく、周囲の木々にまで及んでいた。強風に煽られているかのようにざわめき、俺の付近の木が何本か折れていた。

「……」

 お試し感覚で軽く使ってこれだ。手加減抜きで使ったら、消し飛ばせそうだ。

 俺は吹っ飛ばしたワイルドボアの回収に向かった。散り散りに吹っ飛んだそれを全て回収するには、それは骨の折れることだった。

 というのも4頭吹き飛ばしたうちの2頭が存命――ただしほぼ瀕死状態――で、トドメを刺さねばならない状況だったからだ。

 最初の1頭目でずいぶん覚悟を強いられた。

 命を奪ったことが無いとは言わないが、能動的に奪うことはこれが初めて出会った。血を吸いに来た蚊を何気なく潰すのとは違う、命を奪うという行為。間接的ではなく、直接的行為。

「……」

 俺は腰に下げた剣を抜いた。

「ん?」

 右手が掴んだそれは、有るはずのないものだった。 俺が転生の際に与えられた『変身能力』には武器を設定していない。

「あ。だから柄だけなのか」

 ちょうど右手に収まるくらいの大きさのそれ。鈍器にはなるだろうか。

 俺はこれを使ってトドメを刺すことにした。変身の能力値があれば、瀕死のイノシシの1頭くらいどうということはない……。

 ちょうどいい重さの棒。それを振りかぶって、ボアの頭部に振り下ろす。

「……」

 俺は生まれて初めて明確な殺意を持って、他者の命を奪った。右手に残る、肉を潰す鈍い感覚が鮮烈だった。

 それを2頭分。

 その後、俺は黙々とボアの死骸を回収し、ある決意をし、街へと戻った。

 ギルドへの報告を済ませ、ボアの引き渡しの際、

「すいません。ボアの急所っていうか……トドメってどうすればいいんですか?」

 引き取りの専門なのか、確認に来た係員にそう尋ねた。同じ命を奪う行為でも、苦しませる必要なんてこれっぽっちも無い。

「え? ……そういえば君の持ってくるワイルドボアは傷が少ないね。今までどうやってたんだい?」

「……なんていうか……剣で叩いて……」

 変身してぶっ飛ばしてました、とは言えない。

「そうか、君は確か最近冒険者に登録したんだよな。1人でワイルドボアをこれだけ仕留められるなら、腕は悪くないみたいだけど、狩りは初めてか」

「はい」

 腕も何も、能力に任せたごり押しだが。

「剣を貸してごらん」

 俺は買ってから初めて鞘から剣を取り出した。柄を逆手に持って、渡す。

「ワイルドボアはね、ここ、ここが急所。心臓がここにあるから。トドメを刺すならここをブスッとね」

 そんな軽い感じでギルドの職員は教えてくれた。

「俺は趣味で狩猟とかするんだけど、最初はやっぱり抵抗有ったよ。でも躊躇してると、相手も自分もどんどん辛くなっちゃうから。特にさ、君みたいに剣を使ってると感触、残っちゃうでしょ?」

「はい……」

 トドメを刺した瞬間がフラッシュバックする。

「なんなら弓矢とか使ってみたらどうだい。あとは魔術だけど、魔術は使える?」

「いえ、両方やったことないです」

「そうか。まあ弓も魔術も使い慣れなきゃ、自分が振り回されることになるから、そこまでの使い手になる前に、剣で仕留める感覚に慣れちゃうよ。それにね、冒険者は、動物だけじゃなくて、モンスターだって相手にしなきゃいけない。躊躇ったら死ぬよ」

「……そう、ですよね」

「それじゃあ、これ」

 話はここまで、という風に、職員の人は例の紙みたいなものを渡してくれた。

「どうも……」

 俺は頭を下げてからその場をあとにした。

 窓口で手続きを終えた俺は、さっさと報酬を受け取って宿に向かった。

 鶏肉、牛肉、豚肉。それらを食すと言うことは、どこかで命が散っているのだ。

「はぁ……」

 浮かない気分で脚が重い。目線も下に行きがちだ。

「クラタさん?」

 そんな時声をかけられた。

 顔を上げるとそこにいたのは、

「どうしました? 顔色悪いですよ?」

 雑貨店の娘であり、昼間いざこざに巻き込まれていた、あのアシュリーであった。

「アシュリー……」

「どこか怪我でも?」

「いや、大丈夫。怪我なんてないよ、ほら」

 手をぶん回し、健康アピール。

「ふふ、なんですかそれ」

 荒んだ心にアシュリーの穏やかさが染みた。

「いや。本当に何でもないんだ。ただちょっと昼間張り切りすぎて疲れただけでさ」

 それはアシュリーに言ったのか、それとも自分にそう言い聞かせて気分を切り替えようとしたのか、どちらかは俺には判断できなかった。

「アシュリーはどこか行くの?」

「いいえ、ちょっと気分転換に散歩です」

「昼間みたいにならないように気をつけて」

「えっ、知ってるんですか?」

 そういえば変身して助けてたんだった。

「あっ、いや、ほら、昼間ギルドで」

 しどろもどろになる俺の

「あのときいたんですか……お父さんが、もう……恥ずかしいな」

 顔を赤らめて視線を泳がせるアシュリー。その仕草がとてもかわいく見えた。

「すごい剣幕だったね」

「お父さん、昔は冒険者やってたんですよ。だからギルドのアイリスさんとも顔見知りで……」

 なるほど。それであの激しさだったのか。

「膝を悪くして引退して、今のお店を開いたんですけど、たまに昔を思い出しちゃうみたいです」

 やれやれ、と言葉にはしないが呆れたような口調でアシュリーは言う。

 確かに。冒険者という鮮烈な経験を持つ人物からしてみると、雑貨店の店主という職業は、刺激が足りないかもしれない。

「クラタさんは、どちらへ? 宿に戻るんですか?」

「うん、そう。とりあえず、請けてた依頼も終えられたし、今日はゆっくりしようと思ってさ」

「そうだったんですか。それじゃあゆっくり休んでください」

「ありがとう。アシュリーも気をつけて。暗くなる前に帰りなよ」

「もう、クラタさん。子供じゃないんですから!」

 そういえば同い年だっけか。素直そうで純朴をそのまま形にしたアシュリーは、どこか妹っぽい印象を受けてしまう。

「それじゃ。またお店に行くよ」

「はい。待ってます」

 お互い手を振ってわかれた。お互い違う道を行くようで、俺はアシュリーの姿が見えなくなるまでそこにいた。

 他人と話すことで少し気が紛れた。さっきまで腹の底に居座っていたやりきれない気持ちは薄れている。しかし疲れはとれない。食欲もない。

「……はぁ」

 溜息をついて宿に向かう。

 確か宿屋の隣が食堂だって言ってたな。あそこにもリンゴジュースもどきがあればいい。

 そう。酒に酔うことを覚えた俺だった。社会人ってこういう気持ちで毎日を生きていたんだろうか、とか考えてみる。

 残念ながら『変身能力』に気分の切り替え機能は搭載されていない。フィジカル面でのサポートなら十全だろうが、メンタル面は使用者自身でケアしなければならない。これは変身ヒーローにとってはお約束だろう。挫折と苦悩はつきものだ。それを経て、成長していく。

「よっしゃー!」

 これは己への試練だと思い、自分を鼓舞しようと気合いを入れた。

「おかあさん、あのひとなにいってるの?」

「しっ! 見ちゃいけません! 行くわよ!」

 場所が悪かった。

 俺は人目を気にしながら宿屋へ急いだ。


  ※


 翌日のこと。

「うらあああああああああああああ!!」

 目の前の地面がどんどん削れていく。

 俺は荒涼たる荒野に1人、気分転換のために訪れていた。

 変身して全速力で走って街から数十分、そこは草木も生えない荒野だった。どうやらこうなった理由も歴史的な何かが起こったらしいが、それはどうでもよい。

 鬱屈気味の今の俺にはうってつけの場所だった。

 一心不乱に、右手と左手を使ってただただ絶掌波を打ち続けている。

 手のひらを向けた先に衝撃波を発生させるという技は、実に爽快感溢れる技だった。自分の中の滞った澱を衝撃波に乗せて解放させていくようなイメージ。

 実際にそんな機能というか、効果は無いが。

 衝撃波が発生した際に震える空気、手のひらから返る衝撃波の振動は、さながらマッサージチェアの様に身体をほぐしていった。

 果たして何発の衝撃波が地面を穿ったのかわからないが、地面の抉れ方は見事なものだった。胸がすく思いだった。

 本来ならば褒められた行為ではなかろう。

「……」

 俺は最後にありったけの力を込めて右手を突き出した。

「絶掌波!」

 どうっ、と今までに無い衝撃が地形と影響を及ぼす。元々更地だった場所は、さらに抉れた地形へと変貌した。フルパワーの、かつ付与能力「技名を叫ぶと威力強化」が合わさりその威力は自分でも驚くほどだった。

「……」

 さて、人里離れたついでに、俺は腰の棒を取り出した。サイズは大きめのナイフの柄くらいで手のひらにしっくりくる大きさ。

 先述したとおり、この能力に武器は含まれていない。あくまでも徒手空拳で戦うスタイルだ。

 だのにこいつはなんだろうか。

 持ち替えたり振り回したりしても何も変化はない。「本当にただの鈍器なのか……?」

 それにしては長さ、サイズが中途半端だ。

「なんなんだろうなぁ、これ」

 とりあえずこの棒のことは先送りにしておこう。有ったところに戻して、俺は走り出した。

 今朝まであったモヤモヤは幾分かすっきりした。

 あとは俺自身がこの世界のあり方と折り合いを付けていくだけだ。

 あるいは冒険者を辞めるか。

 だがそれだけは考えられなかった。元はただの高校生だった俺には、この世界で生きられるだけの術がない。変身能力はどちらかと言えば戦闘特化型に思えるし。

 このままいっそ魔王退治を目標に生きてみようか。魔王という存在がどういった性質を持っているのが俺は知らない。また、本当に実在するのかもわからない。ただ、転生するときこの世界の説明を軽くされた際に、そういったものがいると、示唆された。

 街が見えてきた。視力も強化されているため、実測ではまだまだ距離はあるだろう。だが正体判明を防ぐために、念のためここで変身を解くことにした。

 こうして街の外を歩くのは初めてのことだ。

 荒野から抜け、舗装された道の端には植物が溢れている。疲れていた心が癒やされるようだった。

 待ちに近づいて行くにつれ、様子が少しおかしいことに気づいた。街全体が慌ただしいというか……。耳障りなサイレンと、カンカンという鐘を叩いているような音が聞こえた。

「事件か……?」

 俺は足早に、街への帰路を急ぐことにした。


 街に到着してまず住人の慌てぶりが目に付いた。泡を食ったように誰もが走って移動している。

 そして――

<至急、至急。冒険者各位は等級を問わず、冒険者ギルドに集合されたし。繰り返す――>

 そんな放送が街に流れていた。

 一体何が起こっているのか、起ころうとしているのか判断も付けられない俺は、放送に従って冒険者ギルドへと向かった。

 そしてその途中――。

<飛竜警報発令。飛竜警報発令。住民は直ちに屋内に避難してください>

 なんだその恐ろしい警報は!

 大雨警報とか津波警報ではなく、飛竜!?

 襲いに来るのか!?

 俺は全速力でギルドへと駆ける。

 まだ転生して1週間も経ってないのに、もうそんなイベントが発生するのかよ! 竜って! ドラゴンって!

 幸い俺にはチート能力が備わっている。飛竜とやらがどんなやっかいな相手にせよ、まかり間違ってもやられてしまうことはないと信じたい。

 俺は一目散に走りギルドに飛び込んだ。

 そこはすでにすし詰め状態で、この街に冒険者がこれだけいたのかと少し感心してしまうくらいだった。

 食事処にまで人が詰まっている。

「繰り返します。先ほど観測隊より伝令がありました。飛竜の群れがこちらを通過するようです」

 冒険者たちのザワつきに凜々とした声が通る。

 その声の主は、窓口のお姉さんこと、アイリスさんだった。普段の様子と違うアイリスさんは、張り詰めた声で続ける。

「幸いなことに、飛竜は狩りの時期ではありません。そのため今回は、極力やり過ごす方法をとりますが、万が一の時は退治してください。まず防壁魔術を使える者総出で、街全体を覆う防御結界を構築します。他の者は街の各区画ごとに分かれて、飛竜迎撃を想定して配備します」

 飛竜迎撃。……なんだか大事になってきたぞ。

「よう。お前、見ない顔だな」

 アイリスさんの声が聞こえるよう、人混みを避けるように背伸びしたり身体を動かしたりしてると、すぐ前にいた人が声をかけてきた。

「はい。2、3日前に登録を済ませたばっかりなんです」

「そうか。まだ駆け出しなのに、いきなり飛竜とはラッキーだな」

 ラッキー? 飛竜相手に?

「ここには、ほれ。アイリスさんがいるから、よっぽどのことがない限り、飛竜の被害は出ないんだ。あの人は一線を退いちゃいるが、その腕はまだまだ一流。今ここにいる全員でかかっても勝ち目はないぜ」

「はい?」

 あのお姉さんが? アイリスさんが?

「王都の近衛騎士隊から声までかけられた人だ。安心しな」

 俺が言葉を発しないことを、どうやら飛竜に尻込みしてると見たらしいその男の冒険者は、俺を安心させるかのように肩を叩いてきた。

 飛竜。俺の世界では架空の生物、あるいは怪物と呼ばれる存在。それが本当にいるのか。

「……」

 非常事態なのだろうが俺は少しワクワクしていた。

 その後、アイリスさんの説明通りに全員が区画に振り分けられた。幸いというかなんというか、俺はアイリスさんの班に配属された。

 あの冒険者がべた褒めしていたアイリスさんの実力を間近で見ることが出来る。

 いよいよファンタジーっぽくなってきたじゃないか!

 その後、グループごとに別れて作戦が説明された。 飛竜の通過予想時刻は、およそ2時間後。それまで各自の区画で待機が命じられた。

 俺は街の北門付近。あの森に続く道がある場所だ。ある意味慣れていると言っても過言ではない。何せ転生してからこっち、俺が訪れた場所と言えばこの街自体とその北部にある森くらい。

「……」

 俺はアイリスさんを観察していた。

 あの冒険者の言ったことが、まだ俄にはまだ信じられない。いや、でもヘルミーネさんも、そんなようなことを行っていた気が……。

 あんな穏やかそうで優しそうな人が、一線を退いてもなお現役冒険者が束になっても勝てないという。そのアイリスさんはいま、俺たち他の冒険者から少し離れた位置で、コンパクトのようなものを開いて、話していた。どうやらこの世界の電話に当たるものらしいが……。

「皆さん、観測隊からの報告によると、通過時間が早まるようです。予定時刻は30分後。各々戦闘準備を整えてください」

 いよいよか……。

「魔術師の皆さん。まずは――」

 アイリスさんが虚空に話し始める。

「見ろよ、あれ。念話だろ? 何人相手か知らないけどとんでもないよな。すげえすげえ」

 戦闘準備と言われても剣を抜くこと以外にすることがない俺は、右手に剣をとった。そうして近くにいた名も知らぬ冒険者たちの会話に耳をそばだてる。

 普段ならそんなことはしないが、話の主役はアイリスさんらしく、気になってしょうがなかった。

「では幻影の陣を発生させます。完了後、防壁魔術を展開してください」

 アイリスさんがそう言うと、一瞬だけ周囲の空気が少し重くなったように感じた。

「成功です。では皆さん、防壁を展開してください」

 おお、という感嘆の声が聞こえた。

 今回の作戦は、この、防壁の魔術と幻影の魔術を使った立てこもり作戦だ。幻影により飛竜の目を欺いて、やり過ごしてしまおうということらしい。

 そんな、他人事のような思考を巡らせているうちに防壁魔術が街を包み始めた。

 複雑な魔法陣が中空に隙間なく浮かび上がる。それはまるで鱗のよう。

 俺が配属された区画の魔術担当はアイリスさんだった。一際大きな魔法陣を展開させていた。

 そうやって済ませると、先ほどのコンパクトのような、電話似た道具でまたどこかと話していた。

 そして顔を上げると、

「皆さん、防壁は問題なく設置されました。あとは飛竜をやり過ごせるように祈りましょう」

 俺たちに向かってそう言った。周りからそれに対する返事が飛ぶ。

「……」

 うーん? いまいち緊張感がないな。

 飛竜ってそれほど脅威ではないのか?

 いまいち気の入ってない俺に、アイリスさんが声をかけてくる。

「クラタさん、安心してください。この時期の飛竜はこれでやり過ごせます。繁殖期や餌目的だと、1体か2体、勘がいい個体がいる可能性があるので、その時は退治しなければいけないんですけど」

 アイリスさんはいつもの様子で、俺を安心させるかのように言ったが……。

 フラグかな? 

「クラタさんには期待しているんですよ。1人でワイルドボアを簡単に退治する腕前なんですから。……さすがに飛竜相手に同じわけにはいかないですけど、これだけの人数がいればどうにかできますよ」

「いやぁ、たまたまですよ。運が良かったんです」

「その謙虚なところも素晴らしいです」

 なんて話していたら、重苦しい風切り音が聞こえてきた。

「来ましたね」

 アイリスさんが視線を向けた方角。複数の巨大な飛来体が近づいてきた。

 大きい。そしてあのフォルム……飛竜という呼び名に相応しい。

 距離が離れていて気づきづらかったが、飛竜は恐ろしい速度で街の上空を通過していく。そのたびに空気を振動させ、その巨体で存在感のある風切り音を残していった。

 俺は恐怖を感じる前に感動していた。

 今ここで起きていることは、実にファンタジックで、現実感など存在しないかのようだ。異世界の大自然の驚異にさらされて、俺は恍惚としていた。

 他の冒険者たちの間に走る緊張感は、俺には伝播しなかった。

 それは確かに、神話やおとぎ話で語られ、後世に残されておかしくない威容。そういう存在だった。

 最後の1体が街を過ぎたころには、俺は興奮を抑えるのに必死だった。他の冒険者の手前、手放しで眼前の光景を喜ぶわけにはいくまい。

 昨日の気分の落ち込みはすっかりなくなっていた。

 ファンタジー世界、万歳。

 しばらくして、アイリスさんがあのコンパクトを取り出して話し始めた。

「――わかりました。皆さん、飛竜の群れは去ったと観測隊から報告がありました。どうもお疲れ様でした。このあと報酬の支払いがありますから、ギルドで手続きしてください」

 時間にして10分あったかなかったか。

 その言葉を聞き、周りの冒険者たちは緊張が解けたようで、お互いに声を掛け合っていた。

 俺はちょっとしたイベントが終わった気分で晴れ晴れしていた。

(そういえばフラグは立たなかったみたいだな……)

 飛竜との戦闘は無かった。しかし幻想の獣を見ることが出来て満足だ。

「結界は念のため、あと1日保持し続けます。防壁魔術は解除して問題ありません。みなさん、お願いします」

 展開していた魔法陣が次々と消えていった。

「……」

 その時、俺は逆に緊張していた。お約束というのはこういうときに発動するのだ。

 はい、何も起こりませんでしたー。

 他の冒険者たちは帰り支度を始めて、すでにギルドに向かって歩き始めている者も。

 てっきり飛竜と討伐にでもなると思ってたから、肩透かしを食らった気分だった。

 でもこんな街中で飛竜なんかと戦ったら、一般の人たちに被害が及ぶかもしれない。そうならなかったのならそれが一番いいことだ。

 俺もギルドに向かおう。

「クラタさん、お疲れ様でした」

「アイリスさん」

「年に何回かこういうことがあるので、街にいるときは、またご協力ください」

「はい、もちろんです」

 にこやかに微笑んだアイリスさんの腰には細身の剣が下がっていた。装飾が鮮やかな、一目見て、自分の持つ既製品とは一線を画す品だということが解る。

 そうしてアイリスさんも歩き出す。俺も後に続いて歩き出す。

 飛竜相手に生身の俺はどのくらい太刀打ちできるのだろうか。正直、とても戦力にはならないだろう。こういう複数人で行動させられるイベントの時にどう立ち回るかを考えておかないといけない。俺の能力といったら、変身してなんぼだ。

 やがてギルドに到着し中に入ると、作戦開始前のように人で溢れていた。

 冒険者の多くが俺の前に中に入ったアイリスさんを見つけると労いの言葉を、各々の思う形で贈っていた。

 俺はついて行かず入り口の辺り、目立たない場所を陣取った。

 そのあとも戻ってきたいくつかのグループが、続々と建物内を埋めていく。過ぎ去った脅威への開放感か、ギルド内は熱を帯びているようだった。

 やがてしばらくすると、アイリスさんが話し始めた。

「皆さん、ご苦労様でした。幸いなことに、被害無く乗り切ることができました。これも皆さんのご協力のおかげです」

 おお! と男臭い雄叫びが上がる。

「ではこのあと報酬の支払いを開始します。期限は3日間となりますので、それまでに受け取りを済ませてください。それでは皆さん、今日は本当にお疲れ様でした。解散してください」

 寸前の一体感を引きずりながら、不完全燃焼気味の者も、飛竜と交戦せず済んだことで安堵しきっている者も、徐々にギルド内の緊張感が緩和していく。

 受付もフル動員で報酬の引き渡しに応じ始めた。

 俺は後日受け取ることに決めた。窓口の混み具合を見ると待ち時間がもったいない。



 そして騒ぎはその日の深夜に起こった。



<緊急、緊急。街内部に飛竜の侵入を確認。総員対応に当たるべし>

 相変わらず耳障りなサイレンがけたたましく鳴り響き、半分寝たような状態で、俺はギルドの緊急警報を聞いた。

「……」

 宿屋内部が俄に騒がしくなっているのに気づき、俺はようやく覚醒した。

 <緊急、緊急。街内部に飛竜の侵入を確認。総員対応に当たるべし>

 2回目――いや、実際何回警報が出されたかは解らないが、俺は剣を片手に部屋から飛び出た。

「お客さん!」

 顔を真っ青にした宿屋の女将を横目に、俺は宿屋正面のエントランスから飛び出した。

「ぉ……」

<飛竜の現在地は――

 ゴオオオオオオオオオオオオオオオオ――!

 俺の目の前に鎮座ましましたるその巨体は、緊急警報を掻き消して、吼えた。

「へんし――っん゛!?」

 これは駄目だと。どうにもならないと頭が判断した瞬間に変身したのだが果たして間に合ったのか。

 飛竜の腕による横薙ぎの一撃を食らっていた。

 どう形容していいのかわからないが、トラックにぶつかられたくらい? この身に受けた衝撃は、ただの動物の繰り出せる一撃ではない。

 吹っ飛ばされた俺は民家の壁に叩きつけられ、めり込んでいた。

「おっふ……」

 間に合った。身体は動く。変身が間に合わなければ一撃で死んでいた自信がある。

 めり込んだ身体を引き剥がし、俺は飛竜に目をやる。「……」

 ガオオオオオオオオともグオオオオオオオオともつかない、その威容を最大に発する咆哮は完全に俺に向けられていた。

 タイミングが悪い。

 なんで宿屋の前にいるんだよこいつは!

「チート能力なめんなよ……」

 いや、果たしてそのチート能力で立ち向かえる相手なのか正直自信を失い始めていた。

 飛竜と俺は完全に対峙する形になった。

「絶掌波!」

 周りの被害など考えずに、負けじと右手を突き出す。

 だが飛竜は吼えて耐えた。

「うっそだろ、おい」

 咆哮一撃、飛竜は地を這うようにして、素早く俺をめがけてやってくる。なんたる圧迫感か。

 その顎を目一杯開き、吼えながら地を這う飛竜。

「何が飛竜だ馬鹿ふざけんなあああ!」

 あまりの恐ろしさに逃げ出した。おっかねえ。どうすりゃいいんだ、あんな生き物。

 しかしどこにどう逃げればいい? 振り返ると距離は開いたが飛竜は追ってくる。

「うう……! 信じるぜチート能力!」

 逃げるのはやめて、迎撃態勢を取る。

「ああ怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖いいいい!」

 ドスンドスンと地響きと咆哮をまき散らしながら、飛竜が迫ってくる。そしてガブリと俺を捕食しようと口を閉じる。

「うらぁっ!」

 閉じられた瞬間スウェーで躱す。そして――空いた横っ面に、ただの右フックを食らわす。

 浮いた。

 この『変身能力』のパワーは飛竜をも圧倒するッ! 勝機は十分……!

 浮いた体躯を器用に捩ると、飛竜はあっという間に体制を立て直してしまう。 

 今度はこちらから攻める。

 石畳を砕いて俺は一足飛びで距離を詰める。飛竜の噛みつき攻撃は間に合わない。低い姿勢で飛竜の顎の下に入り込む。

 膝を曲げ身体を屈めて、

「絶掌波!」

 今度は通った! 絶掌波は衝撃波を飛ばす攻撃。最初の一発目が通らなかったのは、飛竜の吼えで攻撃が相殺されてたに違いない。

 クンッ、と首が上空からの見えない糸に引っ張られたように飛竜の首が跳ね頭が打ち上げられる。上がれば落ちる。その法則は飛竜であろうと例外ではないだろう。

 飛竜の頭は入り込んでいた俺の真上に落ちてくる。

「ただの右アッパー!!!!」

 これがトドメと言わんばかりに俺は右腕を突き上げていた。

 手加減はしてない。それにもかかわらず飛竜の身体は見た目には傷ついていない。その堅い鱗が打撃の威力を殺しているのだろう。

 だが俺の攻撃は内部に衝撃を与えていたはず。人は顎を打たれると梃子の原理で脳に衝撃がいく。全く違う生き物のはずだが、頭部をこれだけぶん殴ればノーダメージというわけにも行くまい。

「……っ」

 俺は気を抜かず距離を取る。端から見れば飛竜は身体に力が入っていない。

 仕留めたと言わないが足止め程度にはなっただろう。

 意識がおぼつかないのか、飛竜はよろめいている。果たしてこのままトドメを刺していいものか。ワイルドボアのことが脳裏をよぎる。

 そう逡巡しているうちに、各方面から緊急警報を聞きつけた冒険者たちが駆けつけてくる。

 宿屋にも冒険者はいたのだろうが、店の真ん前に陣取られて出るに出られなかったのだろう。そんななか俺は何も考えずに飛び出したと……。

 冒険者としての危機管理能力が低いな、俺……。

 と、そうだ。

 危機管理能力をどうこう言っているが、今は飛竜と戦ってる最中だった。

「よっしゃ!」

 俺は大きく跳躍し、飛竜の首に飛び乗った。突然の異物に荒れる飛竜。身体を振り回して、振り落とそうと必死だが、最初の遭遇に比べてその力は弱まっていた。

 変身の能力値強化があればこのくらいはなんともない。

 しかし振り落とされないように、飛竜の頭部に近づく。

 下から食らわせてやったから今度は上から直接だ。 しがみつきながら俺はがむしゃらに飛竜の後頭部を力任せに叩き続けた。

 1発、2発、3発。もはや設定された必殺技など無視したごり押し戦法。

 だがそれも寂しいので――

「くらえ!」

 ゼロ距離で、

「絶掌波!」

 トドメと言わんばかりに必殺技を使っておいた。

 クォオオオという、今までと違う弱々しい咆哮が辺りに響くと飛竜の身体が傾いて、その場に伏した。

「……」

 終わったのか……?

 呆然としているとやがて、警報を聞きつけた冒険者たちが集まり始めていた。

 中には俺と飛竜の戦いを見物していた者もいたようだ。

 動かなくなった飛竜を見て、感嘆の声を漏らす者もいた。

「1人でやったのか……?」

「あの黒い鎧は誰だ? この街にあんなやついたか?」

 おっと、正体がばれる前にとんずらしよう。

 俺は強化された能力値を存分に発揮して、その場から飛び去った。強化された脚力で宙を舞い、周囲の民家の屋根から屋根へ飛び移り、現場から遠ざかっていく。

 喧噪が聞こえなくなったところで、地面に降り立ち、周囲を確認して変身を解いた。

「……うぅ」

 すると途端に恐怖が押し寄せてくる。

 アドレナリンのせいなのか、それとも恐怖のせいか。両手が小刻みに震えている。

「はあああああ……」

 助かった。ありがとうチート能力。これがなければ最初の一撃で死んでいたことだろう。

 そう。この世界は常に危険と隣り合わせなのだ。その中でも冒険者はその先頭にある。

 俺はそのことに気づいてなかった。チート能力という授かり物のおかげで、なおさら気づけずにいたのだろう。

 一旦、宿に戻ろう。置いてきた飛竜がどうなったか知りたかった。それに……早く横になりたい。

 そうして宿屋付近まで来ると、騒がしいのに気づいた。明かりがポツポツと灯されている。

 他の冒険者のようだ。

 飛竜は沈静化できたようで、遠巻きに冒険者たちのやりとりを見学している民間人もいる。

 俺は人垣を分けて飛竜に近づいていく。だんだんと冒険者の集団が話している内容が耳に届くようになった。

 その中にアイリスさんを見つけた。彼女は飛竜の近くに佇んでいた。

「なんでも黒い鎧の男が1人で相手してたってさ。誰だかわかるか?」

「いや、知らないな。飛竜を1人で相手できるやつなんて、この街じゃアイリスさんくらいじゃないのか」

 アイリスさん、そんな強いの?

 俺はアイリスさんに近づいた。動いてないとは言え、あの飛竜にここまで寄るのはかなり怖い。

「アイリスさん」

「クラタさん、災難でしたね。怪我はありませんか?」

「はい……えっと、出くわしてすぐ逃げたもんですから……」

「賢明でした。幼体とはいえ、飛竜相手に気は抜けませんからね」

 幼体って言ったか? それじゃあ成体の、大人の飛竜ってどんな化け物なんだよ……。背筋が震えた。

「……この飛竜、どうするんですか?」

「気を失っているだけですから、このあと魔術で拘束して、生命活動に何も問題なければ、解放します」

「に、逃がしちゃうんですか?」

「竜種そのものをご神体とする宗教とかもありますからね」

 困り顔を見せて、続けた

「……社会的にいろいろ面倒なんですよ。でもいざとなったら討伐しちゃっても大丈夫ですから」

 討伐できる気がしないんですが。

 いや、それはともかく。

 ほとんどがむしゃらだったが、良くも悪くも俺の健闘は飛竜を死に至らしめるまでには届かなかったようだ。

「皆さん、離れてください。飛竜を拘束します」

 夜中という時間帯にそぐわない、冴えた声を響かせ、アイリスさんが、飛竜の周りにたむろしていた冒険者たちに声をかける。

 最後の確認をして、アイリスさんはボソボソと聞いたことのない言葉をつぶやき始める。

 呪文、だろうか。

 昼間見たときは詠唱らしいことはしていなかったと思う。

 俺はどんな魔術が見られるのかと、アイリスさんと飛竜に注目する。

 そして、アイリスさんが両手をかざすと、飛竜は水晶玉のようなものの中に封じられた。魔術の発動はあっという間だった。

「巻き込まれた方はいませんよね?」

 アイリスさんが冗談めかして、周囲に声をかけると、笑い声があがった。

「それではあとはギルドで対応します。他の皆さんは解散してください」

 各自が散っていく。俺も他に倣い、宿へと戻った。「あんた、よく無事だったね!」

「へっ?」

 宿屋へ入って一番、そんな声をかけられた。

「店の前に飛竜がいるのに、飛び出してっちゃって……もう駄目かと思ったよ」

 俺も駄目かと思った。

「逃げられて良かったね」

「いやー。そうですね! 本当についてましたよ」

 黒い騎士の正体は不明でなければならない。

「ああでも、あの黒い鎧の人に助けられたのかね」

「え、ああ、はい。そうですそうです」

 そういうことにしておこう。あの能力に助けられたのは確かだし、嘘は言ってない。

「それじゃあ部屋に戻りますんで……」

「あいよ、今度こそごゆっくり!」

 薄暗い部屋に入り思い返す。

 俺は戦い方を知らない。仮にチート能力があっても、圧倒的な力があったとしても、それを有効に使えていないのだ。

 異世界転生のお約束は、転生してTUEEEEEEを連発するのがセオリーではないか。そして人々の賞賛を浴び、気づいたらハーレムを構築している。

 俺は気づいた。

 正体をばれさせない制約は、著しく人々の賞賛を浴びるのが難しい。

 仮に自発的に正体を明かしたとしても、俺の能力は下がるばかりだ。それだけは避けなくては、俺はただの一般人に成り下がる。

 能力値は強化される。必要なのは戦う技術だ。

 問題はそれをどう身につけるか。まさかチート能力を手に入れて、修行みたいなことをすることになるとは想像もしていなかった。

 変身して力任せにぶっ倒す?

 スマートじゃない。それに今回のように、飛竜――竜種は気軽に殺していいものではないと知らされた。 他にもそういう対象はいるのだろうか。

 厄介な世情だ。

「はあぁ……異世界転生もいろいろ大変なんだなぁ」

 ベッドに倒れ込み、独りごちる。

 その後もいろいろと考えながら、暗闇の中天井を眺めているうちに俺は眠りについていた。


  ※


 ギルドにて。

 めぼしい依頼がないか、俺は掲示板を眺めていた。

 先日のワイルドボア退治の報酬で、少しの間の生活は心配ないため、無理をして新しい依頼に挑むことは無いのだが、冒険心を押さえられない俺は新しい依頼を求めていた。

 あ、そうだ。その前に昨日の飛竜防衛戦の報酬を受け取っておこう。

 窓口に向かう。

 そこにはアイリスさんがいた。昨晩のピンと張り詰めた空気はどこへやら、穏やかな物腰で冒険者たちとやりとりをしていた。

 俺は空いている窓口に向かい、事情を説明した。

「わかりました。今確認しますね」

 窓口から引っ込むと、奥の方でリストに目を通していた。

 そういえば昨日の作戦前、班分けする前に参加者のリストを作っていたな。

「クラタさんですね。確かに。それではこちらが報酬となりますので確認してください」

 10000レデットが2枚。

 俺の財布が俄に潤う。なにか仕事に必要な道具でも買い足しておこうか。必要と言っても、変身能力があれば大抵のことはカバーできる。

 そういえば。食事処がいつもより賑やかで、ヘルミーネさん含め、店員全員が忙しそうに動き回っている。昨日の飛竜の対応で臨時収入が入ったおかげだろう。冒険者たちが集まって騒いでいるようだった。

 この光景、実にファンタジー風だ。

 すこししみじみとしていたら、

「そんなとこで何してるの」

 ヘルミーネさんに見つかった。ファンタジーな世界観を堪能してました、とは言えない。

「えっ。いや、今日は仕事はどうしようかなって」

「飛竜で儲かったんでしょー? とりあえず寄っていきなって」

 そう言われてもなぁ。飯の時間としちゃ中途半端だし、まだ昼間だってのに酒を飲むのも……。

「いや、ちょっと剣の稽古でもしようかと」

「頑張るねー。あんまり気張りすぎるなよ-」

「おーっす」

 俺は適当にごまかしてギルドから出ることになった。

 剣の稽古か……。生身の状態より、変身時の時に剣が使えたら、もう少し上手く立ち回れそうな気がする。

 徒手空拳で戦う術を俺は知らない。

 ワイルドボアにしろ、飛竜にしろ、『変身能力』に任せてのごり押し戦法だったからなぁ……。

 腰に下げている剣の重さを意識する。これを変身時に使えればいいのに。どうにかそれを実現できないかと考えながら、ギルドの入り口に足を向けたとき。

「っと」

「あ、すいませんッス」

 ギルドに入ってきた人物と接触してしまった。

「いや、こちらこ、そ……?」

 黒い髪に高くない身長、そして……

「……」

 黒い瞳。

「……」

 約5秒、見つめ合ってしまった。

「もしかして……」

「えっと、日本の方ッスか!?」

 こんな偶然があるだろうか。それともよくあることなのか。

 同じ転生者同士、現地で顔を合わせる。

「そう、そうなんですよ」

「いやマジッスか! 私この世界に来たばかりでどうしていいのやら路頭に迷っていたところなんスよ! こういうもののお約束として、酒場とかギルドとか探してて……」

 ほっとしたようにその少女――言っても俺と同じくらいの年齢のようだが――は安堵の表情を浮かばせた。

「あ、私は荒木摩耶ッス」

「俺は倉田彬。よろしく」

 その少女は律儀に頭を下げてくれた。

「やっぱり冒険者に?」

「そッス。まあお約束かなって」

「だよね」

「倉田さんはもう?」

「俺がこっちに来たのは……確か2、3日前だったから登録は済んでるよ」

「そんじゃ私も登録してきますね」

 俺はギルドの窓口の場所を教えて、その背中を見送った。

「……転生者か」

 思いがけない出会い。同じ世界の同じ国の同胞。

 これからまた何か波乱が起きそうな気配に、少しワクワクしていた

 

―了―

初めて利用させていただきました。

読みづらさ、改善点などアドバイスをいただけると幸いです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ