5-10 誠意の証
「えっ……と」
「物を渡しておけば良いと思われるのも腹立たしいが、何でも妻の為になると言えば私が動くと思われるのも、同じくらい腹立たしいんだがな」
「……申し訳ありません」
「今回は悪い話ではないと判断したから、これ以上は言わないでおくが」
あらかじめ娘が予想した通りに、父親の方は不愉快だと言った表情を崩さず、キャロルは素の状態で頭を下げた。
デューイも、これ以上言っても仕方がないと思ったのかため息を吐き出す。
「……それでおまえ自身は、当事者を外政室でタダ働きさせるだけで納得したのか」
「……本人、まだ女性蔑視、中央権力主義が染み付いているのか、私に頭を下げる心境にはないようなので、こうなったら外政室で限界までこき使わせて貰います。年齢から言えばもうすぐ卒業で、取るべき授業ももうほとんどない筈ですよね? 具体的な話をすれば、平民文官の指揮下に入りつつ、薬学本の編纂に関して、外政室書庫と宮殿書庫の中立ち的な立場で資料集めをして貰います。そこであれば、作業量程には機密に触れる事もほとんどないので。せいぜいパッキリ鼻っ柱が折れるくらいです」
しれっとブラック企業もビックリな発言をしているキャロルだが、誰もそれを諌めようとはしない。
皆そのくらいは仕方がないと、内心では思っているのだろう。
「あとまあ、これは本人には言って欲しくないですけど、最終的には書庫の蔵書を無意識の内に把握する事になるので、本人が将来本気で司書長を目指すなら、やって損はない筈ですけどね」
「室長殿……!」
僅かに目を見開いたサージェントに、キャロルは表情を変えずに、首を横に振った。
「誤解しないで下さいね、サージェント侯爵閣下。私はまだ、許した訳ではありませんし、本人が途中で挫折するなら、中央に残る手段はそこで潰えます。私はただ、薄氷の上に本人を置き去りにするだけですから。もちろん、代行で残って頂くストライド侯爵閣下には、絆される事のないようお願いしたいと
ころです」
本人の卒業後の進路に関しては、外政室での様子を見て、春にでもまた関係者を集めて判断すれば良いだけの話だとキャロルは思っている。
名指しされたストライドの方は、気にした風もなくむしろにこやかに微笑んだ。
「私は薬学本の編纂を進めたい人間ですよ、キャロル室長?絆されない事が、少しでも研究を進められると言うのであれば、一も二もなくそちらを優先しますよ」
「奥方様同士の友情があっても、ですか?」
「私の妻は、そう言った優先順位を間違える人間ではありませんからご安心下さい」
「それは心強いです」
微妙な牽制を掛け合った挙句に、良い笑顔で笑うキャロルとストライドに、今日2度目の光景となっているサージェント以外が、それぞれの個性に応じてギョッとした表情を二人へと向けた。
それはキャロルと言うより、ストライドに対しての驚きようであり、視線に気付いたストライドが苦笑いを見せた。
「……どうもこの方と話をすると、私も取り繕えなくなるようなんですよ。まあ、寧ろ楽しいので、コレはコレで構わないんですが」
ああ……と、同意をしたのはエーレだ。
「それが貴公の素の姿と言う事か、侯。彼女の前では確かに大叔父上も私も、仮面を強制的に剥がされがちだ。普段、宮殿の奥深くで権謀術数に塗れる我々でさえこうなのだから、さもありなん……だな」
肝心の本人は無意識だし――と、微苦笑ぎみのエーレに、キャロルがぷいとそっぽを向く。
「私一人の所為じゃありません。ストライド侯のお腹の中が真っ黒過ぎるんです。びっくりですよ。背中の猫はどうしたんですかって聞いたら、朝に弱くてまだ寝ているとか仰るんですよ? 多分この方環境さえ整えば、宰相閣下のお手伝いくらいは何なくこなせる筈ですよ」
「光栄ですね。愚か者を一族に抱える、情けない当主ですのに」
「環境が整えばと申し上げました。それまでは〝誠意の証〟と主張しながら、キリキリお働き下さい」
言葉だけを取り上げれば随分な言い様だが、ストライドは、可笑しそうに肩を震わせるだけである。
この時、部屋に居並ぶ面々のストライド侯爵評が、油断がならないと思う方向で完全に一致した。
「ええ……もちろん。我が権力――今は、貴女様の為に」
差し向かいに座っていた、キャロルの左手を取り、触れるか触れないかと言った程度の口づけを落とした瞬間、エーレの片眉が跳ね上がった。
「……ストライド侯」
「私には唯一にして最愛の妻がおりますよ、陛下。今のは陛下の逆鱗を知れと仰った宰相閣下のお言葉を確かめさせて頂いただけで、それ以上も以下もありません。陛下の逆鱗――今ので充分に理解致しました」
先代が、愛妾の我儘に引き摺られてミュールディヒ家に取り込まれていくのを、正妻と長男が既の所で引きずり戻した。
その攻防を〝黒の森〟を通して知ったエイダルが、当主交代を裏から後押しをするのと引き換えに、エーレがカーヴィアルに身を隠していた間の補佐を何気に行わせていたため、その気になれば宰相代理が務められると言うキャロルの言葉は、決して誇張ではなかった。
ただ、ヤリスの当主就任に前後して始まったカティアの「認知症」が、当主夫妻を疲弊させていき、公都に残っていた異母弟を、結果としてつけ上がらせていたのだ。
サージェント家とは異なり、誰を責める訳にもいかない事情がストライド家の方には存在していたが、異母弟側が早晩何かやらかすであろう事は見ていても明らかだった為、いったんはエイダルは様子見に回っていた。
まさかキャロルが、こんなにも早くストライドの心身を安定させて、中央政治に喰い込ませてくるとは、エイダルでさえ思ってもみなかった。
本当に、何故「茶会に出かけた筈がこうなる」――なのだ。
「ああ、あともう一つ」
エイダルの心境など知る由もないと言った態で、思い出したように、キャロルが両手を叩いた。




