5-9 父を説き伏せろ
キャロルが宰相室に足を踏み入れた瞬間を見計らったように、宰相書記官であるファヴィル・ソユーズに無言で手招きをされた。
「え、私ですか?」
何も考えず素直に歩み寄ったところ、両肩にポンと手を置かれて、クルリと身体を執務机のエイダルの方に向けさせられた。
「え?何ですか?……って、いったあっ⁉︎」
スパーン!と、丸められた書類がキャロルの頭を叩く、小気味良すぎるくらいの音が、響き渡った。
「おまえは斜め45度上から物事を進めるのが標準仕様なのか⁉︎」
「⁉︎」
宰相室にはデューイもエーレもまだ来ておらず、キャロルに続いて足を踏み入れていたストライドとサージェント父子が、ギョッとしたように目を見開いて足を急停止させていた。
「陛下には昨夜ちゃんと報告しましたよ⁉︎」
「ああ、確かに今朝一番で『レアール侯爵夫人のために伝手を拡げる茶会に行った筈が、+αで話が大きくなっている』と言う、陛下も説明しきれないと言った報告は聞いたな! 時系列上、おまえ自身からの報告は打ち合わせの席でも仕方があるまいと思ってはいたが! 何故この、朝の僅かな時間でサージェントまで更に巻き込んでいる⁉︎ おまえがやらかした事をそれらしく纏めて、各部署に周知させるのは誰の仕事だと思っている! 何ならワイアードにもリューゲにも行かずに残るか⁉︎」
冷徹宰相らしからぬ言動に面食らってはいたが、先に我に返ったストライドが慌ててエイダルを止めに入った。
「エ、エイダル宰相閣下!今回の事は、どれも全て我がストライド家の不始末に端を発している事! むしろこの方は最も穏便に事を収めて下さろうと――」
「そんな事は分かっている! 問題なのは私が処理する事を前提としたやり方を採っていると言う事だ! 宰相位にいるのが私でなければ、ここまで極端な動きはとっていない筈だから腹を立てているんだ! 次代の事をまるで考えていない。ずっとこのやり方を通していたら、次代が潰れるわ‼︎」
やった事ではなく、やり方の問題だと言うエイダルに、ストライドが言葉を続け損なった。
キャロルのやり方は、関連部署への施策報告でも取引相手への営業活動でもなく、決定権を持つ上司をいきなり説き伏せると言う、組織の有り様をまるっと無視した究極に変則的なやり方なのだ。
下手をすれば独善的に過ぎると非難されるところが、やっている事が最終的には公国に還元される事であるだけに質が悪い。
エイダルならば内容を全て理解した上で、先鋭的なところがあれば修正をかけるだろうと、確信犯でやっているのだから尚更。
実はキャロルの思考回路は、多分にカーヴィアルの皇太子兼宰相である、アデリシアに毒されているがために、どうしてもまず実行力のある「上」を説き伏せる為に先回りしがちなのだが、当人は無意識である。
エイダルとアデリシアが似た立場にあると思っているが故に、余計に同じようなやり方になってしまうのだ。
「察するに、サージェント家にもストライド家の馬鹿どもに引き摺られた輩がいたんだろう。だが私がレアールに何かを言ったところで、むしろ逆効果だ。どうしたいのかは知らんが、自分達で何とかしろ」
苛立たしげにエイダルが話を打ち切るこの流れは、もはや定番と化しつつある。
キャロルとストライドが入口の扉に視線を投げると、ちょうど、国軍の訓練場から引き上げて来たエーレと、執務をいったん切り上げたデューイとが、部屋に入ってくるところだった。
「……何の話だ」
エイダルの声が少し聞こえたのか、デューイが入るなり眉を顰めたが、エイダルはそれには答えずに、人口密度の高くなった部屋を嫌うように片手を振った。
「ああ、もう、何にせよ全員そこに立ちっぱなしはやめろ。サージェントと、隣りにいるのは息子か? 先触れなしの二人を除いて、とりあえず座れ」
「えっ、いや、私は――」
「エイダル宰相の仰る通りだ、キャロル室長殿。頭を下げなくてはならない趣旨から言っても、貴女はどうぞ陛下の隣に」
「……今はおいで、キャロル。そもそも室長職を請け負っている時点で、一歩退がる必要もないけどね」
サージェントとエーレのダメ押しで、キャロルは渋々、エーレの隣りに腰を下ろす。
17歳のジェラルドにはピンとこなかったようだが、父親の方は、視界が変わって目に飛び込んできたキャロルの首回りの赤い痕が何なのかに気が付いたのか、瞬時に複雑そうな表情にとって変わっていた。
「……ジェラルド。おまえは、護衛の方々と共に控えの間に」
「父上⁉︎」
「事は政務上の、守秘義務のある話題も含まれてくる。今のおまえではとてもではないが同席させられん。陛下、宰相、レアール侯の御判断を仰ぐまでは控えていろ」
悔しさを隠しきれないジェラルドに、呆れた視線をキャロルが向けた。
「……何か、私が陛下に貴方の罪が重くなるような告げ口をしそうとか、何で女の私が場に残って、自分は控えさせられるんだ……とか、感情ダダ漏れ。国政がそんな個人の感情で動いているとでも思っているのかな」
「くっ……」
「ジェラルド!」
もうそこまでだと言わんばかりに、サージェントはジェラルドの頭を掴むと、背後に控えていたイオにぐい、と押し付けた。
キャロルの無言の頷きを受けて、イオがジェラルドの左腕を掴むようにしながら、隣室に姿を消す。
「……私が早朝よりご宸襟を騒がせしてしまいましたのは、今、ご覧頂きました通りにございます。後々、処分は如何様にもお受けする所存にはございますが、まずはサージェント家を束ねる者として、レアール侯に対し謝罪の機会を頂ければと、卑しくもこの場に参上しました次第です」
この場での最上位は、皇帝陛下だ。
頭を垂れるサージェントに、エーレは鷹揚に頷いて見せる。
「主旨は了解した。余程話が拗れない限りは、私は口は挟まないつもりだ。ストライド侯爵の時も、結論だけを私は聞いた。今回も、まずはそうして貰いたい」
レアール侯、とエーレが視線を向ければ、デューイは忌々しそうに顔を顰めている。
相手が皇帝でなければ、舌打ちでもしそうな雰囲気だった。
「謝罪と簡単に仰るが、それは何に対しての謝罪か、サージェント侯。言っておくが、ストライド侯の二番煎じで〝誠意の証〟とやらを持って来られても、私は受け取らない。もはや大した主張にもならないし、これ以降にも湧いて出るかも知れん馬鹿共に、揃いも揃って、物を渡しておけば良いと思われるのも業腹でしかない」
デューイの口調は厳しい上に、言っている事も至極真っ当だ。
サージェントは、先程ストライドが、お詫びの品は品として追加のインパクトが必要だと言った事に、内心で一人納得していた。
「此度愚息が、侯のご息女に対して、複数の無礼を働いた事に、父親としても、当主としても、まずは頭を下げさせて貰いたい。もちろん日を改めて、妻と共に謝罪に赴かせて頂く。その上でもし今後、侯のご息女や奥方殿が、社交界でお困りになられるような事があれば、妻が全面的な支援をお約束する……と言うのは、誠意の一助にはなり得ないだろうか」
「――――」
「もちろん、愚息当人には、充分に反省させた上で、無償で社会奉仕――外政室で、少しでもご息女の不在中の負担が減るよう、こ
き使って貰って構わない」
ストライドからの『提案』を、サージェントなりに、噛み砕いてデューイに告げれば、明らかに前半部分にデューイが揺さぶられていた。
僅かに口元を緩めたストライドが、ダメ押しのように畳みかける。
「それとレアール侯、これは私とサージェント侯、共同の追加提案でもあるのですが、奥方殿が領地よりお越しの際は、私とサージェント侯の一族の者も、弾徐けに、手をお貸しすると言うのは如何でしょう……?」
「弾除け?」
「ええ。公都邸宅の完成までは〝迎賓館〟に、おいでのご予定でしょう?面倒な訪問客は、可能な限り我々で門前払いに致しますよ」
ほう……と、僅かに片眉を動かしたのは、エイダルだった。
確かに今の話は、絶妙にデューイの弱点を突いていると言える。
降嫁したとは言え、先代皇帝の妹と親しくなる事は、特にカレルが社交界で孤立する事を防ぐ最適な手段だ。
デューイ個人に対する〝誠意の証〟として、これ以上のモノはないくらいだ。
「……おまえも共犯か」
一瞬だけ視線が天井をさまよったものの、デューイはすぐさま、不機嫌な表情のままキャロルを睨んだ。




