1-7 牽制には牽制を
「……そうか、お前も折込まれ済みか」
エイダルの言葉に無言で目を見開いたのはファヴィルで、キャロルの視線は、下を向いたままだ。
「私の意識が戻った事に関しては、エーレ……陛下が、即位と婚姻に関する公示の中に、さりげなく紛れ込ませておくと言っていたので……サウルとトリエルを動かせば、絶対に私は気が付くと踏んでやってます、これ……」
頭を抱えたままのキャロルに、エイダルが、何とも言えない表情を垣間見せる。
「エーレの牽制を、向こうは逆に利用したのか……」
ルフトヴェークの新皇帝は、決して暗愚ではない。少なくとも国内で、エーレよりも知略で上回るのは、エイダルくらいしかいない筈である。
そのエーレを、手玉にとった。
恐らくは、キャロルは自分のものだと、釘を刺したかったエーレの稚気を逆手に取ったのだ。
「多分、サウルを外に出したのは、私が今は幽霊である以上、当分の間、カーヴィアルに足を踏み入れられないからです。リューゲなら、まだ動ける筈だと――と言うかもう、動けって言う事です、これ、殿下的には」
今のキャロルはまだ、アデリシアの望む方向性が、朧げでも、見えてしまう立ち位置にいた。
伊達に何年も、彼の下で鍛えられた訳ではないのだ。
「しかし、いくら元上司と言えど、他国で皇妃となる女性を、帝国の外から動かすなどと――」
ファヴィルの苦言は、ごくごく常識的なものだ。
だがアデリシアが、決して不可能な事を言ってはいない事を、キャロルも、そしてエイダルも理解していた。
「そこなんですよね」
「え?」
「そうだな。お前はまだ、皇妃になった訳じゃない。あくまで「予定」だ。いくらでも動きようはあるだろうと、要はお前がカーヴィアルでやった事を、そのままとは言わないまでも、なぞれと突きつけているだけだな」
「なっ……」
目を剥くファヴィルとは対照的に、少し頭が冷えたのか、エイダルは冷静だ。
「……まあ、これはエーレも悪い。独占欲を顕にする相手を少しも考えんから、こうなる。私が殿下の立場でも、牽制には牽制を返したくなるだろうよ。相手が暗愚ではないと分かっていれば、尚更」
はははー……と、キャロルも乾いた笑い声を返す。
やっぱり、この公爵閣下が、アデリシアに(内面が)そっくりだと思ったのは、気のせいではなさそうだった。
「……それで、この、5ヶ国全てで流通の動向を確認させた〝ポンムヴェール〟とは何だ。お前がワイアード辺境伯領の動向を気にしたのは、これが原因か」
エイダルは、再度書類を読み直した訳ではない。
一読した時点で、情報として頭の中に仕舞われていただけだ。
それが、キャロルとの会話の中で、読み過ごして良い情報ではないとして、浮かび上がった。
表向き、アデリシアはエーレの稚気に、ちょっとした揶揄を返しただけだ。それもまた、事実ではあるのだ。
だが実際は、自分の人脈が、カーヴィアル、ルフトヴェーク、リューゲを動かす事が出来ると気付いて、その手段を最善として行使しようとしている。
エーレを揶揄するだけでは済まない理由が、そこにある――そう気付いた時、全ての書類の共通点として、一つの単語が浮かび上がったのだ。
情報のインプットとアウトプットの能力が、どちらも尋常ではないと言うべきだろう。
「流通品ですか……私も初耳ですが……」
皇族の護衛として、あらゆる情報にアンテナを張り巡らせているつもりのファヴィルだったが、エイダルが口にした〝ポンムヴェール〟と言う単語は、彼にとっても初耳だった。
「そうですね……どちらかと言うと地下流通、それもまだ販路を一つしか持たない〝特殊商品〟なので、緩やかに各国に拡がり始めたとしても、気付かれにくい商品ですね……」
エイダル、ファヴィル双方の疑問に、キャロルはそんな風な答えを返して、エイダルをやや苛立たせた。
「お前は……」
「ああっ、すみません!廊下にまで聞こえる声で怒鳴るのは、勘弁して下さい!これ、カーヴィアルの宮廷に出入り出来る家柄や役職者であれば、ほぼ皆知っているんですっ」
再び今にも怒鳴り声を上げそうなエイダルに、キャロルが慌てて両手を振る。
「別に、勿体ぶってもいないですよ?宮廷で起きた一つの事件と共に、暗黙の了解的に周知されていると思って頂いた方が――」
「事件だと?」
「とある夜会で、アデリシア殿下に盛られた媚薬です。その時点で、クラッシィ公爵家がどこからか、開発途中の、解毒剤がまだ存在していなかった媚薬を持ち込んだものだから、毒見役すら擦り抜けて、殿下のところまで行ってしまったんですよ。公爵家としては、様子を見て、娘を寝室に送りこむつもりだったんでしょうけど……って、それ以上は、今は必要ないですよね」
どうしてか目が泳いでいるキャロルに、エイダルもファヴィルも、それぞれが半目になっていたが、キャロルは強引に話題を変えた。
「と、とにかく結論としては、その目論みは大きく外れて、激怒した殿下が、公爵家の宮廷出入り禁止と、ご自身が少なくとも国内貴族から妃を娶る事は、死んでもしないと明言されて、今に至ってます。宮廷の大臣達にとっては、むしろ憎しみすら覚える単語かも知れないです」
「…………」
そしてやはりエイダル自身も、アデリシア・リファール・カーヴィアルと言う若き皇太子に、一定の共感を覚えるのかも知れなかった。
冷徹宰相ならざる、同情めいた表情を浮かべている。
「なるほどエーレとは違う理由があっての、独身か。当時のドタバタが目に見えるようだな」
「ええ、もう、それはホントに大変だったんです! 殿下でなくても、周囲はトラウマレベルの、もはや劇薬ですよ、アレは!」
「……キャロル様、具体的に何があったのか、伺っても?」
拳を握りしめて力説するキャロルに、無言を通せなくなったファヴィルが、つい、声をかけてしまったが、逆にキャロルはその事で、ハッと我に返ったようだった。
「……墓場まで持っていく案件、とだけ」
しん、と一瞬、部屋の中が静まり返った。
墓場に持って行く――エーレには言えない案件、だ。
何もなくても、例えば押し倒された程度であっても、今のエーレには冗談では済まないだろう事は、この場の全員に理解出来た。
「……なら、墓場まで持っていけ」
らしくもなく青い顔色でエイダルは言い、キャロルも無言で首を何度も縦に振った。
「あのっ、決してやましくはないんで、それだけは――」
「本当にやましかったら、エーレが何と言おうと、お前は今の地位を受け入れないだろうが。いいからもう、黙って墓場まで持っていけ。わざわざ、寝た子を起こすな」
長い付き合いではないが、エイダルの方でも、キャロルの性格は把握をし始めていた。
そしてそれは、決して悪意のある捉え方ではなかった。
「それより〝ポンムヴェール〟だ。クラッシィ公爵家を出所とする媚薬で、他の国に拡がりつつあると言う事なのか。こう言う言い方もおかしいが、ただ媚薬が出回るだけなら、行政側からは止めようがない。もちろん認可前だとして、表向きの流通を止める事なら容易いが、もともと表に出回っていないのだろう」
「出所は、クラッシィ公爵家ではないです。そんな、裏で流通を牛耳れるような、知恵の回る人物は、あの一族にはいません。せいぜい手に入れた媚薬を、自家のために使用する程度です」
「断言か」
「実際に、宮廷で一族の何人かに顔を会わせれば充分ですよ」
苦々しげになったキャロルの表情は、話の信憑性を感じさせ、それまでに被ってきた迷惑の数々をも感じさせる。
だが、そこにある示唆を、エイダルも聞き逃さなかった。
「ただの中継地、か」
キャロルも肯定するように頷いた。