4-13 父と婚約者の牽制（後）
エーレもデューイも、軽率なのはキャロルだと暗に言っており、当人も今となってはそれを自覚している。
イオやベオークが会話に加わる隙は、既にどこにもない。
言い方は悪いが、今はもう誰もベオークの謝罪は必要としていないのだ。
「……が？」
実際エーレも、面白そうにデューイを見ているだけだ。
「ただそれを、朝まで寝台で諭す必要は、どこにもない――そう思う私は、どこか間違っていますか、陛下？」
デューイの方も、自分が充分に娘を諭したのだから、それで良いだろう？ と、視線でエーレを威圧せんとしている。
約20年、皇族であるエイダル公爵に正面から喧嘩を売ってきたデューイが、今更当代皇帝を相手に媚び諂う事はない。
だからこそ、皇妃の父となる立場ながらに、大臣となる事も出来る。
『アレは、使う側にも器量が求められる男だ』
エイダルが、ルフトヴェーク公国内において、書記官たるファヴィル・ソユーズと、ただ二人、認める人物。
「……なるほど」
エーレの口元から、笑みは消えない。
不敬だ、などと騒ぎ立てるつもりは微塵もないようだった。
「確かにこれまでなら、貴公の言う事にも一理あったのかもしれない」
エーレの含みのある返しに、ピクリとデューイのこめかみが痙攣った。
まるでその先を察したかのような表情に、ますますエーレの笑みが深くなる。
「だが今回、意外と洒落になっていない事を十二分に理解して貰うのに、貴公だけでは足りないと、私が思うのを……貴公は否定されるだろうか。貴公が不十分だとは、もちろん言っていない。ただ、言葉だけでは足りないのでは？ と――そう言う話なだけなんだが」
「……っ」
婚姻の儀がまだだろうと、明日ワイアード辺境伯領に出発だろうと、どうあってもキャロルを抱く。それも、自分の立場を自覚するまで抱き潰すと、エーレは言っているのだ。本人と、その父親を目の前にしながら。
「……おまえ本当に、彼で後悔しないか、キャロル？」
自分で言ってはいたが、想像以上の独占欲を隠しもしないエーレに、デューイは器用に、真顔のまま、呆れていた。
陛下ではなく「彼」呼ばわりになっているのが、その証左だ。
「……えっと。その、基本的には……はい」
「「うん？」」
基本的、のところに、エーレもデューイも、それぞれが反応を見せた。
慌てたキャロルが両手を振る。
「ああっ、ごめんなさい、何でもないです！ せめて夜、普通に眠れたら言う事ないのにな……とか、今言う事じゃないのは分かってますからっ！」
「…………」
キャロル以外の視線を受けるエーレの微笑に、凄みが増したようだった。
「……レアール侯」
「……何です」
「やはり彼女には、色々と自覚が足りない。私は間違っているだろうか？」
デューイの表情が、苦虫を噛み潰した表情に変わる。
明後日の方向を向いて、僅かに嘆息した。
「……いえ」
「お父様っ⁉︎」
悲鳴まじりの声をあげたキャロルを含め、ロータスらも、それまでの嫌味を止め
たデューイを驚いたように見やったが、エーレは満足げに頷いただけだった。
「……夫人をこよなく愛しておいでの貴公になら、理解して貰えると思っていたが、それも正しかったようだ」
「過ぎる執着の先にいるのが娘でなければ、いちいち私も言いませんが。今回に限っては、娘の自覚が足りなかった事もまた確かだ。私よりも、貴方の言葉の方が恐らくは当人にも響くのでしょう」
――この瞬間、キャロルにとっての『穏やかな夜』は、手の届かない所に行ってしまった。
左の掌を開いて、差し出すエーレに、キャロルは、おずおずと自分の右手を乗せた。
「きゃっ……」
「レアール侯、では失礼する」
あっという間にキャロルの右手の指を絡め取ったエーレは、身を翻すと、どこにも寄り道をする事なく〝迎賓館〟から〝綵雲別邸〟へと戻った。
「あああ、あの、エーレ」
「言いたい事は色々あるけどね、キャロル。先にストライド家別邸の話を聞くよ。夕食もまだだしね」
最近〝綵雲別邸〟の夕食は、標準仕様で二人分用意されている。
まだ、婚約段階では……？ と言う戸惑いは、使用人達の間でも薄れている気がしてならない。
公都に邸宅を持っておけば、こんな、なし崩しで同棲しているような状況にはならなかったと、デューイは後悔していたらしいが、こればかりは結果論だ。
夕食の場で話すには給仕の使用人も多く、差し障りが多いと判断したキャロルは、エーレに私用の応接間で話したいと言い、一瞬の躊躇の後、エーレもそれを了承した。
そこなら侍女長や一部の使用人しか、足を踏み入れられない。
「陛下。明日からの旅支度ですが、陛下の分に関しましては全て整っております。ですが、キャロル様の分はまだ……」
もはや〝綵雲別邸〟内の皇帝居住区に入り浸り状態のキャロルだが、本来は後宮と見做なされている、妃用の居住区も敷地内には存在していて、皇妃立后されるキャロルには当然、その中の皇妃用の部屋があてがわれて、輿入れに関わる道具が、徐々に運び込まれる筈だった。
ところが、そもそもエーレが、キャロル以外を迎え入れるつもりもないのだからと、即位とほぼ同時に、少なくとも、自分の代における、妃用居住区の閉鎖を決めてしまった。
そして、エーレ自身が社交生活に重きを置いていない為、礼装用の衣装部屋や、宝石用の部屋にはかなりの空き空間があり、その空いている場所にキャロルの分を併せて保管すれば良いとして、デューイにも、代々受け継がれているような、衣装や宝石類があればともかく、基本的には、身一つで、自分の所に来てくれれば良いと申し渡して、事実上の同棲空間を、皇帝用居住区内に作り上げていた。
下手をすれば吝嗇家か、娘に恥をかかせたいのかと生家の側が激怒しかねない話で、エイダルを始め、周囲の大臣達やファヴィルなどが、さすがに顔色を失くして慌てていたのだが、キャロルを自分の側から離したくないエーレの執着の成れの果てと、ただ一人察したデューイはただ溜息をついただけで、何も言わなかった。
