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エールデ・クロニクル2――剣姫、雪景に想う――  作者: 渡邊香梨
第4章 二つの箱庭
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4-7 ストライド侯爵邸別邸(5)

「これがもう少し進むと、今いる場所や自分が誰なのか、目の前で今話していた相手が誰なのかも分からなくなって……重篤な患者になると、歩き方や話し方さえも忘れたりするそうです」


「そんな……っ! ではカティア様は……」


「皆が皆、同じ発症の仕方ではないので、そこは何とも言えないんですよ。根本的な治療法もまだ見つかってはいませんし……若い頃の思い出を振り返ったり、歌を口ずさんだりする事で穏やかな気持ちになって進行が止まったとか、気持ちを落ち着かせるような薬が効くらしいとか諸説あるんですけど、どれも民間のおまじないレベルでアテになりません。あの……余計なお世話かも知れませんが、今後そんな風に近寄って来る人達がもしいれば、十二分に注意して下さい。それは百パーセント詐欺と断言出来ますから」


「……よく胸に刻み込んでおきますわ」


「あと『憶えていないんですか?』は禁句です。症状が悪化します。責められた記憶だけが変に残って、ただ、何かを思い出さなきゃ、探さなきゃ……って言う強迫観念に囚われた末に、昼夜お構いなしに、屋敷の中やら外やらを徘徊し始めて、振り回された家族が倒れてしまった例もあります」


「……っ」


「現状、記憶の欠落は不可逆性とされているので、カティア様のご結婚後に関する記憶は、多分今、虫食い状態だと思います。環境次第で、今のままで(とど)まれるか更に忘れてしまうか……と言う事になると思うんです。見通しの明るい事が言えず、本当に申し訳ないのですが……」


「いったい何故、カティア様がそんな……」


「それも、強いストレスを感じるような事が複数回あった所為(せい)だとか、食生活が原因だとか、生き甲斐を失くして自分の存在意義を見失ったとか、社会的孤立状態が長く続いて、記憶中枢を刺激するような出来事に関わらないからだとか……まあ、練習しなければ、剣の腕が(にぶ)るようなもので、記憶に関しても、何

(おぼ)えようとしなければ、憶えていた事さえ失われてしまうと――そんな風に、漠然とご想像頂ければ。とにかく原因の方に関しても、諸説紛々(ふんぷん)なんですよ、実は」


 言いながらキャロルは、旦那と愛人が邸宅で我が物顔で暮らし、自分は別邸で一人で過ごしていれば、あるいは――と、とても正面からストライド家関係者に言えないような事を内心考えていた。


 恐らくジーンも、心当たりはあるだろうと、表情を見ながら推測する。


「目に見えて効果のある治療法が、まだこの世の中に存在していませんので、当面はこの館付(やかたづき)の使用人の方々も含めて、毎日積極的に話しかけて頂いて、記憶中枢を刺激して差し上げて下さい。先程のように、温室のお手入れをされるのも良い事だと私は考えます。もちろんリューゲから戻って来たところで、私も今度は、母を連れて参りますから」


「え、ええ」


「それと……くれぐれも怪しげな祈祷や薬には手を出さないよう、使用人の方々にも方針を徹底させて下さい。ご家族の病気による不安につけこんで、多額の金品を巻き上げる――と言った(ケース)を複数耳にしているので、ぜひそんな卑劣な犯罪には屈しないと、領民ひいては公国(くに)の民の手本となって頂けませんか」


「キャロル嬢……」


「今、そう言った怪しい祈祷や薬の犠牲者を無くしていこうと、大陸全土の薬の効能を(まと)めて知識の共有化を図りたいと、外政室で動き始めたところなんです。私に認知機能障害の事を教えてくれた医師はもういらっしゃいませんが、もしかしたら他にも、ひっそりと研究されていた方がいらっしゃるかも知れない。意外と他の病気の治療薬が、効くかも知れない。私達が生きている間に成果が出るのかさえも断言出来ない話です。でも、何もしないままではいたくない――と、思ってまして」


 一気にそう言い募ったキャロルは、唖然としたままのジーンに、バツが悪そうな表情を浮かべて見せた。


「……すみません。実を言いますと、元々他の薬や怪我の研究のために立ち上げた計画に、カティア様の事も上乗せして、話をさせて頂きました。目に見える利益がないかも知れない事は承知の上で、ぜひ症状改善の研究を進める為、出資者の一人に、なって頂けないでしょうか」


「……出資者……」


「外政室書庫や宮殿書庫にある医学書、薬学書の翻訳だけなら、元手はタダですが……そこに書かれた治療法や調合率は、果たして正しいのか。もし各国毎に違いがあるのなら、どれが正しいのか、どれも正しくないのか。そう言った事を並行して確かめてもおきたくて。ただそうすると、薬の入手やら素材に係る費用が必要になる。典薬部は『今、起きている病』に対処する為の重要な部署ですし、そこから材料を融通して貰う訳にはいきません。自分たちの手で、あるいは商業ギルドや商会を頼って、素材を揃える必要がある。侯爵家として、あるいはリューゲ自治領との販路を持つ家として、ご協力頂けないかと……そう言う意味での出資者(スポンサー)ですね」


「……仰りたい事は理解致しましたわ。ですが我が侯爵家の事情を考えましたら――迂闊には、頷けません」


「中立が信条。それが〝皇帝の箱庭〟――と、言う事ですよね」


 静かに頷くジーンに、やはりこの女性は、当主夫人としての器量はあると、キャロルは判断した。

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