3-11 公務ですか
「キャロル。公務だよ、これは。こ・う・む」
「ななな、何が…っ、あんな、生地の薄い……っ」
縞模様的にレースが散りばめられているが、肌に触れる部分の生地は薄く、首に近い胸元部分にリボンは見えるが――要はすぐに脱がせる事が出来るであろう、前開きだ。
あの煽情性から言っても、狙いの用途は、初夜。ウエディング向け高級商品。
持ち込んで来たリーアムの言いたい事は、分かった。
分かったが、しかし。
ジタバタと無駄な抵抗を試みるキャロルの耳元で、口の端に笑みを乗せたまま、エーレが囁く。
「元々公国の絹産業は、それほど隆盛を誇っている訳じゃないんだよ。父の代での飢饉の時に、一度断絶しかかったみたいでね。今は片手の数の養蚕家と、一部の商会が紡績業も兼ねる形で、何とか先人の技法を残そうと頑張ってくれているところなんだ。メイフェス商会も、何とかそれで絹産業の斜陽を止めようとしてくれている。手広い商売をしているからね。数年元が取れない程度なら、先行投資としてやれる体力があるんだよ」
「そ、それは、分かるんだけど……っ」
「縫製も質も大した事ない状態で〝皇帝御用達〟とか言われても困るからね。メイフェス会頭は流石に良く分かってる。だとすれば、ここは商品をより良くする為にも試用に協力しないとね?」
「いや、でも……っ」
「こ・う・む」
もう一度、耳元をくすぐるような声で、エーレが囁けば、キャロルが膝から崩れ落ちた。
実際はエーレが支えているが、完全に、力が抜けている。
「は、反則……っ」
「嘘は言ってないよ。あの、レースと生地の薄い部分の配置やバランスが絶妙だなぁ……と言うのも俺の意見だし、恥ずかしいから、例えばレースを増やして欲しい――とか? も、君の意見としてあるかも知れない。とりあえず全部、伝えておけば良いんだよ」
言いたい事は見透かされているようだが、どうやっても「着ない」と言う選択肢はないらしい。
黙礼したリーアムが、浴室にそれを置きに行っている間に、エーレはキャロルを応接用のソファに座らせた。
「メイフェス侍女長。悪いがそれを置いたら戻って来てくれないか。湯浴みの前に、聞きたい事がある」
あっという間に、声色を戻しているエーレは流石だ。
承知致しました……と、背中越しに答えたリーアムの声はやや硬い。
エーレはキャロルの隣に腰を下ろし、向かいにリーアムを座らせようとしたが、当人はこれを固辞した。
「使用人にそのような気遣いは無用です。どうぞこのままで」
ソファの背もたれの後ろで、立ったままの姿勢を見せたリーアムに僅かに嘆息しつつも、エーレは単刀直入に話を切り出す事にした。
「話は単純明快だ、メイフェス侍女長。今日午前中に、エイダル宰相に聞かれて答えた事を、そのまま私にも答えて貰いたい」
「……っ」
エーレがわざと口調を改めて、リーアムが「大した話ではない」と、煙に巻こうとしないよう圧をかけている。
「エイダル宰相が、宮殿勤めの長い者達から色々と事情聴取をした事は聞いている。そして、それを叩き台にして午後、私のところに報告を上げて来ている。私は、そこに齟齬がないか確認したいだけだ。もちろん、今の衣装の試用とは、話を分けているつもりだ。あくまで自主的に――話して貰えれば有難い」
「陛下……」
メイフェス商会が商品を売り込みたかったのは事実だろう。ただ、その先を有耶無耶にしたかった側面もあったに違いない。
一瞬だけ、エーレとリーアムの視線が交錯し、リーアムはそのまま、その場に跪いた。
「陛下は――私の弟が、リヒャルト様……エイダル公爵閣下の、公都邸宅の執事長である事はご存じでいらっしゃいますね」
「公爵邸執事長……って、グレイブ?」
記憶を辿るように小首を傾げるキャロルに、エーレは無言で肯定する。
もちろんキャロルも、それ以上、話を脱線させるような事はしない。
高位貴族の使用人ともなれば、貴族ではなくとも、それなりの品位、家格は求められ、同じ家から複数の貴族邸宅に雇われると言う事も、珍しくはないのだろう。
「あの日記をグレイブに預けたのは、お前ではないのか――私は今日、閣下からそのように問われました」
「一番始めは、日記は侍女の娘から公爵邸に届けられたと聞いた――そうか、そう言いながらも、公爵本人が、途中で違和感を覚えたんだろうな」
侍女の娘となれば、貴族でない可能性が高い。そんな娘がいきなり、公都公爵邸の門前に日記を持ち込んだところで、どう考えてもエイダルの手元までは届かない。
箱に入って、施錠すらされていたと言うその日記を、中身も見ずにグレイブが受け取るとなれば、相手は限られるのだ。
「ですから……私も、答えました。その日記は、亡くなられたメイフェス商会の大奥様から、実のお嬢様が託された物で、私は伝手もなく途方に暮れられたお嬢様から相談を受けて、弟に預けたに過ぎません――と」
メイフェス商会の――と、エーレが僅かに目を瞠る。
「大奥様は、ご結婚前に行儀見習いとして、宮殿で侍女として働かれた事があったそうなんです。ただご存命中は頑なに、侍女時代のお話しはされなかったとか。私などは、余程公爵閣下の近くにいらっしゃって、守秘義務を遵守なさっておられるのだと、むしろ大奥様をご尊敬申し上げておりました」
「なら、内容に関しては……」
「侍女としての誇りにかけて、詮索は致しておりません。もちろん弟も、仕えるべき家の事など話したりはしません。ただ、今朝……少々、閣下からご説明はいただきました」
日記は、元は別の侍女の持ち物との事で、亡くなる際に遺品として同僚に贈られ、以降、亡くなっては次の関係者に継ぐと言う事を繰り返し――持ち主が変わる都度、持ち主とナタリー妃とのエピソードが書き足されていったのだとか。
ナタリー妃が、確かにルフトヴェークで過ごした証を残す為に、それは密やかに、何十年も、続けられた。
そして。




