2-11 逆鱗の在処
「えっと、拉致と言うよりは……出稼ぎでマルメラーデのベスビオレ鉱山で働いていたところ、薬の調剤の腕を買われて、高額な給与を提示され、カーヴィアルのベルトラン侯爵領へ引き抜かれての――その先は、ひたすら薬の精製や解毒薬の開発を強要されていたみたいです。家族を、言わば人質に取られて」
「強制労働か……黒幕は?」
「んー……それはまだ、なんとも。ベスビオレ鉱山が、イエッタ公爵家が管轄する領内にあって、ベルトラン侯爵領当主が、クラッシィ公爵家当主の腰巾着だって事は、分かってますから。一枚噛んでるのは間違いないと思うんですけど」
ベスビオレ鉱山、の言葉に、キャロルの予想通りにエイダルが反応した。
「……待て。あの鉱山、盗掘横流し以外に人身売買までやっていたと?」
ベスビオレ鉱山に関しては、約2ヶ月前にカラーダイヤモンドの盗掘横流しが発覚して、鉱山を保有するマルメラーデ国や周辺諸国にも、エイダルの名前で盗品リストを送ったばかりだ。
「盗品の流通の話だけなら、警察案件だと思って、それ以上は気に留めないところだったんですけど。人、それも薬に詳しい人間が、他国に送られたとなると、話が変わりますよね。その鉱山、管理監督者はイエッタ公爵家当主なんですから」
「イエッタ公爵家と言うと……」
ここで、ようやく声を発したストライドに、キャロルは軽く頷いた。
「私は詳しく存じ上げませんが、公国のミュールディヒ侯爵家から、嫁がれた方がいらっしゃるそうですよ、ストライド侯爵」
「……っ」
息を呑むストライドを横目に、それを知っていたエイダルとデューイは、理解したとばかりに、頷いていた。
「エーレが、イエッタとクラッシィ、両公爵家の裏取引を、アデリシア殿下にリークして、ミュールディヒの資金源を絶ったのが、当事者連中にとっても、思ったより効いたんだろうな。それまでは、外部から目が届かん範囲で細々とやっていたんだろうが、資金源の主力を、そこに持ってこざるを得なくなった」
「なるほどな。いきなり取引の規模を広げたりすれば、機密保持に齟齬が出て当然だ。それがこの前の宝石の盗品流通騒動であり、今、目の前にいるこの男――と言う訳か」
エイダルとデューイの視線を受けたユーベルが、ビクリと身体を強張らせている。
だがストライドの方は、まだ今回の騒動以前の事は聞かされていなかったのだろう。
唖然としたように、目の前のデューイを見ていた。
「レアール侯……貴方はずっと、西方の侯爵領にいらっしゃったのではなかったのですか……?」
引きこもりの田舎侯爵、は言い過ぎにしろ、これまで公式行事以外、デューイが公都に姿を見せる事がなかったのも確かである。
もしやエイダル公爵の指示で、ずっと裏で諜報活動のような事をしていたのか。
あまりに状況を把握しているデューイに、ストライドがそんな目を向けるのも道理ではあったが、それを横から否定してのけたのは、当人ではなくエイダルだった。
「その男が西に引きこもっていたのは間違いないぞ、ストライド。娘に引っ張り出されなければ、今だって引きこもったままだったろうよ」
「わざとらしく引きこもりを連呼するな――いえ、しないで頂けますか」
デューイ自身は、仏頂面で明後日の方向を向いている。
「何か間違っていたか」
「…………」
舌打ちが聞こえたのは、決してストライドの気のせいではないだろう。
「あの……それはそれで私の所為みたいに聞こえます、公爵……」
キャロルの小さな反論も、エイダルは一刀両断する。
「誰がエーレとアデリシア殿下との間を繋いだ? 誰がエーレのその書類の写しを、父親経由で私の所に届けさせた? 途中で、ミュールディヒ侯爵家が放った刺客に殺されかけて、エーレを半狂乱に陥れたのは誰だ」
「……半狂乱……」
「そこじゃない。だがあの時は、お前の目が醒めるまでだと言い放って、首席監察官権限と、レアール侯爵家の金璽を楯に、約1ヶ月、侯爵邸での立てこもりだぞ⁉︎ あれが半狂乱でなくて何だ。おかげで、レアールが私に届けに来た書類の半分も、検証を手伝わせる事が出来ずにいったん帰領させる羽目になった。その後、いったい何日私が徹夜をしたと思ってる」
「…………」
今度は娘の方が、視線を逸らしている。
「ストライド」
「は……」
「新皇帝が執着するのは、この娘だけだ。仮に私が諸外国の姫を見繕おうと、レアールが一族から、二番手三番手を送りこもうとしたとしても、見向きもすまいよ。お前自身に娘がいない事は承知しているが、エーレの逆鱗がどこにあるかだけは、今のうちから知っておくんだな」
「送り込むか、そんなもの!」
お父様、敬語……と、やや赤い顔で、小声で父親を窘めているキャロルとデューイを、唖然とした面持ちのまま、ストライドは見比べる。
「……あの夜会の言葉は、真実その通りと言う訳ですか。自分はキャロル・レアール侯爵令嬢以外、必要としていない。余計な真似をした家は即刻取り潰す――と言うのは……」
「忠告はした。実際に取り潰しの憂き目にあっても、私は手は貸さん。それだけだ」
「…………」
ただ、カーヴィアルに留学していた訳ではなく、新皇帝の為に、命がけで大陸中を移動していたと言うのなら。
社交界と無縁だったのが、病弱だった訳ではなく、新皇帝の為に、裏でずっと動いていたと言うのなら。
(他家の姫君など、太刀打ち出来る訳がない)
父娘で各国の中枢の事情に詳しくなるのも、当たり前だ。
「……ああ、ちなみにですね、ストライド侯爵閣下」
そこでにこやかに、宰相書記官ファヴィル・ソユーズが、キャロルにとっては顔から火が出そうな爆弾を投下してのけた。
「侯の一族の方々がこぞって仰っていた、陛下の閨事情に関しては、心配ご無用ですよ。侯も、彼女にお会いになる都度、気が付かれるようになるとは思いますが……むしろ国が傾く心配をしたくなってきますから」
トントンと、己の首筋を指差すファヴィルに、キャロルが「ソユーズ書記官〜っ!」と呻きながら、ソファのアームに撃沈した。
「それ、言う必要あります⁉︎ 話を戻して下さいっ‼︎」
ポニーテールの頸から垣間見える、複数の赤い痕に、今更ながら気付いたストライドとユーベルは、自分達の年齢も忘れて、初心な少年よろしく赤面したのだった。




