勇者じゃなくともできること
「街の防衛は任せる、守り切れ! 逃げたモンスターは俺が追って必ず仕留める!」
ブレーメンの広場から転移魔法陣を通り、城塞都市カイルの城門前へ飛んだ俺は、城塞の高台から海上のモンスターと髑髏の兵士たちに魔法と矢を放つ兵士たちに向かって叫んだ。
「おおっ、サイトー殿! 感謝いたします! 街は死んでも守り切ります! 一匹たりとも街には入れませんぞ!」
「頼んだ!」
「監視網を突破して地中から現れたのは大蛇のようなモンスター! どうやら海底を掘り進み侵入したようです! どうかお気をつけて!」
既に走り出した俺は振り返らず、拳を掲げることでそれに応えた。
防衛は問題ない。内部から攻撃されない限り、海の軍勢は撃退出来るだろう。
しかし海を泳ぐんじゃなく掘って来るとは、今までの奴とは違う。大蛇というとシーサーペントの亜種か何かか? 元の奴も強力だが、今の俺でも勝てない相手じゃないはずだ。
近距離探索魔法を発動。走り回りながら、逃げたモンスターの気配を探る。
当然のように、俺が向かっているのと同じ方向に気配を見つけた。今朝出発したばかりの、歓楽異人街ガーディウムの方角だ。
「身体強化、速度上昇……ッ!」
城門からは歩いてもニ十分と掛からない、身体強化の魔法を施して駆ければ、数分で辿り着く! だけど今はその数分があまりに遠く、もどかしい。頼む、間に合ってくれよ……!
◇◆◇◆
突如として地中から街の中心に出現した巨大な蛇型モンスターにガーディウムは混乱に陥っていた。
幸いなのは今日も今日とて客が一人も来ていなかった事か、と住人たちに避難したことを確認したタマモは内心でひとりごちる。
城塞都市カイルが敷いた監視網の内側とはいえ、この街一帯は防衛対象に入っているわけではない。いつかこんな日が来るかもしれないとは分かっていた。この歓楽異人街が薄氷の上に立つ街だとは分かっていた。
だから下働きのユキが拾ったのが勇者だと知り、同情を引くようにこの街の事を教えた。
娼婦ではなくオーナーであり、この街のリーダーであったタマモにそういう下心があったのは確かだ。
だが勇者でなくなった彼に掛けた言葉に嘘はない。
今、この街を訪れるのはろくでもない、犯罪者まがいのあらくれどもばかり。
それでも生きていくためにはそんな奴らを相手にするしかなかった。いつモンスターが出るとも分からない海で魚を取り、畑を耕してもそれだけでは生きていけない。
金が必要だった。カイルの住人は娼婦が相手だと知ると物を売ってくれないか、相場の何倍もの金額を要求する。
この街の住人たちは全員、追放者の烙印が刻まれている。人族とエルフ族は消えない傷を肌に焼き付けられ、鬼族は角を折られ、獣人族は尾を切られ、天使は翼をもがれ、魔族たちもそれぞれの部族の証を奪われている。そんな住人たちにはこの街以外に生きる場所はなく、娼婦以外に生きていく方法はなかった。
娼婦を見下し、道具として扱い、好き放題する連中を相手に、媚びて金を稼ぐ日々。
しかしあの元勇者は違った。客としてもてなされ、それでも娼婦に対する思いやりがあった。磨かれた女としての技、その努力に対する敬意があった。
たとえそれが経験のなさから来るものであったとしても、その初心さが、その純粋さが、あの場にいたどれだけの娼婦の心を救っただろうか。物ではなく、道具ではなく、ただの女として扱われることがどれだけ嬉しかったことか。娼婦を辞したとはいえ、タマモには痛いほどに分かっていた。
だから彼に久しく口にしていない、再会を望む言葉を告げたのだ。
(だというのに、その矢先にこれか)
娼婦たちが避難した屋敷を背に、街の中心で暴れまわるモンスターを見下ろす。
その巨体が動く度、看板は吹き飛び、建物は崩れ、街が終わっていく。築いてきた歴史を、過去の栄華の名残を、崩しながらこちらへと迫っている。
このままではたとえ商品である娼婦たちが無事でも、街を再建する体力も金も残らない。それでも大切な商品を、大切な家族だけでも守らんとタマモは体内に眠っていた魔力を起こす。
長年の眠りのせいか、なまりきった魔力だが、ただのモンスター一匹から家族を守ることぐらいはできる。奴が破壊に満足し、血肉を喰らうを諦めて去るまで、此処は死守すると決意を固めた。
「タマモさま」
そんなタマモに並ぶ影。まだ幼いからと真っ先に屋敷に避難させたユキだった。
「危ないから下がってろと言ったはずだよ」
ユキがこの街にやってきたのはほんの一年前だ。
親が重罪を犯し、罪人の娘となったユキは罰せられこそしなかったものの、角を折られて生まれ故郷を追い出された。
表向きは六種族間の和平が成り、法が整備されたとしても、閉鎖的で古からの慣習を残す部族は数多く存在する。ユキもそんな部族の生まれだった。
ぼろぼろの薄汚い身なりで街を訪れたユキを、娼婦として働けない未熟な体、幼い故に力仕事も出来ないユキを、それでもタマモは下働きとして受け入れた。昔の自分を重ねたからだ。
「拾っていただいた恩を、今こそお返しいたします」
「ふざけたこと言ってないで引っ込んでな。今あんたに出来ることなんて何にもないよ」
防御魔法を発動する為に意識を集中させるタマモはユキの言葉に取り合わず、冷たく言い捨てた。
家族を守るだけなら自分一人の力で十分。幼いユキが出る幕はない、と。魔法の為に翳した両手は使えず、言葉で止めることしか出来なかった。
「タマモさまが家族を守るのなら、ユキは街を。ユキが暮らした、新しい故郷を守ります」
魔法を発動させようとしたタマモの隣から、ユキが飛び出した。
張られた結界の向こう側。決して届かないあちら側にユキは取り残されていた。
「ユキッ! 戻りな! これは命令だよ!」
「今までお世話になりました」
振り向いたユキは礼儀正しく頭を下げ、そんな彼女の背後にはモンスターが大口を開いて迫っていた。
「ユキッ!」
彼女を容易く丸呑み出来るほどに開かれた口は、しかし彼女を捕らえる事はなかった。
その小柄な体格を生かし、大口から逃れて大蛇の口を潜り抜けてユキは走り出す。
獲物を逃した大蛇はその勢いのまま結界へと突撃したが、タマモが張った結界を破るには至らない。
タマモと大蛇の視線が一瞬交差し、大蛇は逃げる獲物を追うことを選んだ。
大蛇がその巨大な体躯を反転させる頃にはユキは屋敷が立つ高台から、店が立ち並ぶ通りへ。大蛇を引き付けて向かう先は街の外だった。
たとえ小柄ですばしっこかろうと、ユキと大蛇では体格が違い過ぎる。速度が違い過ぎる。追いつかれるのは時間の問題だ。
けれど結界を解き、ユキを追いかけて守れたとして、大蛇がまた狙いを変えたらどうする? 大蛇を追い越し、再び結界を張るには時間が足りなすぎる。
たった一人の下働きか、数十人の娼婦か、どちらを選ぶべきか、悩むまでもない二択。
「っ、うっ、ううううううううううッ!」
唇を噛み、嘆きを漏らしながら、タマモは自らが張った結界を殴りつけ、ずるずると膝をついた。
娼婦たちが虐げられる様子を見た時、娼婦たちに残った乱暴の痕を見た時、その度に感じていた己の無力さ。タマモはそれ以上のものとして襲い掛かってきた無力感に打ちひしがれるしかない。
その間にも、大蛇とユキの距離は縮まっていた。街の入口にもたどり着けるか分からない速度。
タマモの目がまだ届くそんな場所で、ユキは足をもつれさせ、地面へ転がった。
「ああ、ああっ……逃げろ、逃げておくれ……」
ユキには届かないその言葉を、それでも呟かずにはいられなかった。
このままではユキの犠牲は何の意味もない。無駄死になってしまう。あの娘が振り絞っただろう勇気が無情にも踏みにじられてしまう。
「待って、待っておくれ……」
次に出たのは届いたとて聞き入られることのない願いの言葉。
大蛇は二度は狙いを誤ることはないようにとゆっくりと鎌首をもたげた。
「──けて……」
最後に漏れたのは絶対に口にしないと、追放されたあの日に誓った言葉だった。
「誰か……あの娘を助けておくれ……」
追放されたはみ出し者を手を差し伸べる者などいなかった。
だから自分の力で生きていく。どんなことをしても、どんな真似をしても。
この街はそんな者たちが集まって出来た場所だ。
だからその言葉を口にする者はこの街には誰一人としていない。
誰にも届かないとこの街の誰もが知っていた。
その言葉に応えてくれる者など誰もいない──今、この時までは。
「待ちやがれぇぇええええええ! クソ蛇がァああああああッ!」
それは夕焼けに染まる街に落ちた一筋の流星だった。
涙に濡れる視界でタマモが見たのは届かないはずの救いを求める声へと手を伸ばし、咆哮する青年の横顔だった。
無為の死を覚悟した絶望の中でユキが見たのは剣を煌めかせ、強大な力へ挑まんとする勇ましき者の背中だった。
◇◆◇◆
あっぶねえ! 危機一髪の間一髪!
遠目からでも結構頑丈そうな結界が張られたのが見えたから安心かと思ったのに、なんでユキだけが外に居るんだよ! 速度を緩めずに走って跳んでして良かったわ……。
「サイ、トー、さま……?」
「おう。遅くなって悪かったな。怖かっただろ」
ユキを食おうとしてやがったクソ蛇の口を剣で串刺しにして、地面に着地する。
同時にクソ蛇を馬鹿でかい音を立ててぶっ倒れた。監視を抜けただけで、力自体は大したことのない相手で助かったぜ。
さて、すっころんだユキの治療をしなくちゃなんだが……
「もうちょっとだけ辛抱してくれ」
一撃では仕留めきれなかった大蛇がシャアアアと威嚇音を鳴らしながら再びその体を起こしていた。
本当は頭を落とそうとしたんだが、一般兵士の持ってる剣じゃ強度が心配だったし、<勇者の加護>がなくなってステータスが低下してる俺じゃ出来るか不安だったから串刺しにしてみたが、一撃じゃ倒せなかったか。
だがな、おうこらクソ蛇。俺のLvは99だけどお前いくつだよコラ。俺に喧嘩売れるぐらいあんのか、おい?
「い、いけませんサイトーさまっ、不意打ち以外でこんな化け物、勇者ではない今のあなたでは……っ!」
「心配するなって。勇者じゃなくともこれぐらいの相手、どうってことはないさ」
むしろ勇者云々より蛇の牙相手に鎧がないのが心配だったが、その牙も口を縫われて使えない。
だったらもう何の心配もない。
「身体強化、筋力上昇……!」
牙を封じられたクソ蛇はその巨体で俺たちを押し潰そうと圧し掛かってきたが、それを筋力を強化して受け止める。
うーん、勇者時代にこれぐらいのサイズを相手にした時と比べると確かにちょっと重くて踏ん張らないとキツいな。まあ気合でどうにかなるレベルだ。
「どっせえええええええい!」
これ以上、その巨体で街を破壊されちゃ困るので気合を入れてクソ蛇を持ち上げ、上空に投げ飛ばす。
そしてまた落ちてくる前に、今度こそ息の根を止めてやる。
「轟け雷鳴ッ、我が敵を討ち滅ぼせ! 雷電滅却!」
以前なら天候を変え、暗雲を呼ぶほどだった雷系の魔法も今では天気はそのままに雷を一つ落とすのが精一杯。本当に<勇者の加護>がなくなったんだと実感しちまうな。
「っと、危ねえ危ねえ」
威力もチリ一つ残さず焼き払うほどではなく、焼け焦げた蛇が落下してきたので風の魔法でそれを受け止め、ゆっくりと地面に下ろす。
今の自分の実力をしっかり把握しないと駄目だな、これは。
とはいえこれで一安心だ。目の当たりにしたステータスの低下が心配事としてあるが、それを口にしたら情けないので余裕そうな表情を作って、と。
「な、心配いらなかっただろ? って……」
勇者時代に会得したみんなを安心させて不安を解消する為の会心の笑みだったんだが、胸に飛び込んできたユキには見えていない。
転んで怪我もしてるだろうに、無理はいかんぞ無理は。
「ありがとうございます、サイトーさま……っ。あなたが来てくれなかったら、ユキは、街は……!」
「あー……うん、どういたしまして」
Tシャツが濡れていくのを肌で感じ、勇者時代でも女の子の慰め方は会得出来なかった俺は頬を掻きながら、とりあえず頭を撫でてやるぐらいしか出来なかった。