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4/12

昨夜はお楽しみでしたね

 勇者として街に立ち寄った時には良い酒、良い食事にありつけていた俺だが、今晩のはどちらもそれらに勝るとも劣らない味わいだった。

 酒はタマちゃんの計らいで秘蔵していたものを開けてくれたのだという。

 料理も海が近いため、新鮮な海の幸が揃っていたが、カイルから仕入れた物なのだろうか? 彼女たちの生活は決して裕福なものではない。むしろ困窮している。まさか男手のいないこの街で、彼女たちが自分で……?

 舌鼓を打ちながら、時折そんな背景を想像して表情が曇ると、そんな思考を奪うように女性たちが俺を楽しませようと話しかけたり、座敷遊びに誘ってくれた。結局、俺はそれに甘えてしまっていた。

 どれだけの時間が経ってからだろうか? 酔ったから夜風を浴びてくると言って、付き添いを申し出る彼女らを半ば強引に引き剥がし、大広間を出た。

 廊下から眺める屋敷の外は、夕方見た時と違って目に悪そうなネオンで輝いてはいない。店を閉めて、みんながこの屋敷に集まっているからだ。

 外に見える明かりは月光だけ。聞こえてくるのは離れた大広間からの喧騒と、潮の音。廊下に座り込んで、その音に耳を傾けた。

 ああ、まさに夢のような時間だった。

 だけど勇者でなくなったという現実が、俺を逃がしてくれない。

 それでも、ほんのひと時でも全てを忘れて楽しめた。流石はその道のプロたちだ。

 彼女たち全員が俺を歓待しようと力を尽くしてくれた。あの大広間で味わった至福の時が、かつてはこの街の何処でも味わえたのだろう。

 旧き王打倒の為、六つの種族が表面上は協力しあっている。だけどもしかしたらこの街では五十年以上前から、みんなが種族関係なく協力して生きてきたのかもしれない。

 世界では旧き王を倒し、明日を生きる為。この街では客を取り、今日を生きる為。どちらも共通の目的の為に種族を超えて団結していることに変わりはない。

 最初の勇者にはきっとあの光景が見えなかった、いや見ようともしなかったんだろうな。

 あの光景を見た後では、どんな仕事をしていようと彼女たちを軽蔑出来るはずがない。彼女たちもまた俺たち勇者が守るべき人々の理想の姿なのだから。


「俺はもう勇者じゃないけどな……」


 その現実を言葉にすると、酔いが一気に冷めていった。あーあ、結構飲んだんだけどな。こんなにすぐ酔いから、楽しい気分から冷めるなんて、勿体ない。


「なんだ、浮かない顔をしていると思ったらそういう事だったのかい」

「ッ!?」


 薄暗い廊下の向こうから聞こえてきた声。そちらを向けばゆっくりとこちらに漂ってくる紫煙と煙管の明かりが見えた。

 酔っていたとはいえ、人に聞かれないようにと気を配っていたはずなのに。


「タマちゃん……」


 よりにもよって、勇者として約束を交わした本人に聞かれちまうなんて……。いや、むしろタマちゃんで良かったのかもしれない。

 どうせ約束が果たせない嘘つきになった事実は変えられない。それなら彼女に謗られ、罵られ、あらゆる罵詈雑言を受け入れて謝ることがせめてもの誠意だ。


「ごめん。俺、もう勇者じゃなかったみたいなんだ」


 月明りにタマちゃんの姿が照らされる。目覚めた時に見たのと同じ、肩からずり落ちそうなくらいに着崩して、胸がはだけたあの格好。絵に描いたような、俺が想像する花魁そのものみたいだ。

 見惚れて、だけど気恥ずかしさと申し訳なさから目を逸らす。


「なんかさ、自爆魔法を発動して生き残った代わりに、その代償として勇者の称号も職もスキルも、全部なくなっちまった」

「そいつは災難だねえ」


 構わず俺の隣に腰掛けたタマちゃんは俺の告白を聞いても、そんな興味なさそうな相槌を返しただけだった。


「勇者じゃなくなった俺じゃあ、一度負けた旧き王には逆立ちしたって勝てやしない。タマちゃんとの約束、守れないんだ」

「そうかい。まあそういうこともあるさ」

「……それだけ?」

「気の利いた言葉でも期待したかい? 生憎とババアになって娼婦は引退したからね。それに元から男を慰めるのは苦手なんだよ。わしはただ聴いてやるだけさ」

「そうじゃない、そうじゃなくて……怒らないのか?」


 勇者は希望の星。みんなの期待を裏切ることは許されない。

 どんな小さな約束でも、勇者が交わした約束を違えればみんなが失望する。

 勇者の称号というのは無条件の信頼を結ぶものだったから。俺はその重圧をずっと背負って戦ってきたのに。


「なんだ、叱ってほしかったのかい?」

「いでッ」


 タマちゃんは懐、胸の谷間の間に手を入れて扇子を取り出すと、それで俺の額を打った。


「しゃんとおし。男の子だろう」


 打たれた額を押さえた手の隙間から見えるタマちゃんの表情は優しく、まるで母を思わせる眼差しをしていた。

 ……言い合いになって、喧嘩をしたことはあった。間に合わず、怒りの声を上げられたことはあった。だけど、叱られるのなんてどれだけぶりだろう。

 煙管を吸って、タマちゃんから吐き出された紫煙が夜空に溶けていく。


「娼館で交わした約束なんて信じるもんじゃない、男も女もね。此処を訪れるのは何者でもない、ただの男だけ。この街はひと時の夢を見せる場所なんだ。その場限り、一夜限りの関係。屋根の外へは何も持ち出せないし、何も持ち込めない」


 それは元娼婦の彼女の重い言葉であり、許しの言葉だった。


「お前さんもそうさ。客として迎えた以上、此処ではお前さんは元から勇者でも何でもない。ま、外で何を為したか語って聞かせるのは自由だが、そういう男は大抵つまらないもんさ」


 元の世界で期待されないことには慣れていた。

 この世界で期待されることにも慣れたつもりだった。

 だけどその言葉を聞いた途端、俺の胸の内に圧し掛かっていた何かがすっと軽くなる。

 そうか、分かっていたつもりで、分からなくなっていたんだな。期待じゃなく、ただ俺自身を肯定されることを。


「タマちゃん……あんたって良い女だな」


 鼻声で絞り出した称賛と感謝の言葉。

 タマちゃんは月だけを眺めていた。


「これでも昔はこの娼館の一番人気だったんだよ? 当然じゃないか」





 ◇◆◇◆




 翌日、最初の部屋で何事もなく一人で一夜を明かした俺は、召喚された街に一度戻ることに決め、特にお世話になった二人に玄関先まで見送られていた。

 本当なら他のみんなにもお礼を言いたいが、此処は夜の街。一部の下働きやオーナーであるタマちゃん以外は眠っている。


「うちは楽しめたかい?」

「ああ。あんな楽しい酒の席はベルカに渡る前以来……いや、今までで一番だったよ」

「今度は来てくれた時にはもっと楽しませてあげるよ。勇者だけでなく()()()の方も卒業させてやるさ」

「はははっ……うん、考えとくよ」


 勇者でなくなった今の俺じゃ、理想の卒業プランは難しそうだしな。……それでもまだ、かつての仲間たちならもしかして、と期待してしまう俺もいるんだが。

 だって俺、勇者時代は結構頑張ってたんだぜ? そりゃラスボスともいえる旧き王は倒せなかったけど、海を渡ってやってくるモンスターたちからいくつもの街や村を守ったりしたし……勇者じゃなくなってもフラグが折れずに残っている娘もいるかもだし……一人残らず折れていたらお世話になることも考えよう。


「ユキも色々とありがとな。ユキが見つけてくれなかったらそのまま死んでたよ」

「ですからお気になさらないでください。たまたま見つけただけですので」

「それでもだよ。それにこの服も。ユキが縫ってくれたって聞いたよ」


 流れ着いた俺は、元身に着けていた防具は自爆魔法か、海を流れているうちに外れてしまったようだが、ボロボロながらもその下にインナーとして着ていたシャツは着たままだったそうだ。

 俺が召喚された時に着ていたもので、郷愁の念からか捨てられず魔法で清潔に保ちながらずっと鎧の下に着ていたTシャツが朝起きると枕元に修繕されて置かれていた。昨日の酒の席でエルフ族の娘がユキが仕事の合間に縫っていたと教えてくれた。

 生地の違いはあるけど、遠目からじゃ分からないくらい見事に元通りだ。本当、ユキには頭が上がらない。


「……それでしたらサイトーさま、一つお願いが」

「ん、今の俺に出来ることならなんでも言ってくれ」

「もしまたいらっしゃることがあれば、その時はユキをご指名ください」

「うぇっ!?」

「ほう」


 指名って、つまりその、そういうことの相手にってことだよな?

 ユキの言葉に俺だけでなく、タマちゃんも驚いているようだった。


「ユキ、そんなにサイトーが気に入ったのかい?」

「いえ。はじめて同士であれば多少の粗相も誤魔化せると思いまして。練習相手に最適かと」

「あっ、そういう……っていやいや! だいたいユキはまだ下働きで雑用しかしちゃいけないんだろっ!?」


 いつの間にそんなに俺に好意を……と思ったが勘違いだったぜ! けどやることは変わらないし、こんなちっちゃな女の子相手に駄目だろ!


「はっはっはっ、上げるにはまだ早いと思っていたが、そういうことなら特別に許してあげるよ。サイトー、次来た時はよろしく頼むよ?」

「タマちゃんまで!? ち、ちくしょう……次来る時までには絶対に童貞卒業してきてやるからな!」

「そいつはいい。フラれた男を慰めるのも娼婦の仕事さ」


 くぅっ、言葉じゃ勝てそうにねえ!

 ユキも袖で口元を隠しながらもくすくすと笑ってやがる。それに俺も、気付けば三人で笑い声を上げていた。

 客の送り出しも笑顔で、か。まったく、プロには敵わない。


「タマちゃん、ユキ。本当に世話になった。この恩は忘れないよ」


 後ろ髪を引かれる思いとはこういうことを言うんだろうな。でも、行かなくちゃならない。


「真っすぐ進めばすぐにカイルの街に着く。迷う事はないだろうさ」

「今度は波に流されぬよう、お気をつけくださいね」


 二人に頷き返す。さよならの時間だ。

 カイルの街からは設置されている転移魔法陣を使えば元の街までひとっ飛び。そこで俺は勇者ではなくなったことを報告して、そこからは……。


「サイトー」


 カイルの街に向け、踵を返した俺をタマちゃんが呼ぶ。

 振り向くと二人は姿勢を正し、深々と頭を下げた。


「いってらっしゃいませ。またのご来店、心よりお待ちしております」

「……いってきます!」


 揃った二人の声に送り出され、俺は俺の勇者としての始まり(終わり)の街へと向かって足を向けた。




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