勇者、卒業しました
結局、少し居心地の悪さを感じながらも俺はユキに背中を流され──「前も洗いましょうか?」という提案は断固拒否した──だだっ広い湯舟を一人で満喫していた。
ちなみに脱ぐまで気が付かなかったが、俺の服も甚兵衛のような服に変わっており、気を失っている俺をタマちゃんが着替えさせてくれたということ、毎日体を拭いてくれていたことをユキから教えてもらった。……とてつもなく恥ずかしかったが、濡れて薄汚れたまま放置しておくわけにもいかなかっただろうし、不可抗力だろう。
「しっかし歓楽異人街、ねえ……」
こうして落ち着いてタマちゃんから聞いた話について考えると、色々と合点がいくこともある。
この世界はゲームのようにそれぞれ一人一人にステータスというものがあり、能力に応じたレベル、筋力や魔力などのパラメーターが数値として表され、それ以外にも使える魔法や習得しているスキル、称号や職業、種族なども念じる事で自分の意思で可視化、確認出来るのだ。
俺の勇者というのは称号であり職業でもあるが、勇者以外の普通の人は称号≒職業で、たとえば俺のパーティーにいた鬼族のラースの職業は巨大なバトルアックスを振り回す重戦士、称号は爆振破斧というもの。名乗りを上げる時は爆振破斧の重戦士、と名乗ったりしていた。
何でも称号は功績や能力に応じていつの間にか得るものらしく、称号持ちというのはそれだけで一目置かれる存在で、称号に応じた固有スキルを持つ者もいるのだとか。勇者にも<勇者の加護>っていうスキルがあるな。
称号は戦いに関するものだけでなく、あらゆる存在が獲得出来る可能性があるそうだ。旧き王との戦いで折れてしまったが、俺の剣を作ってくれた鍛冶屋も称号持ちでこのラヴェル大陸で一番の鍛冶屋だと聞いている。
思考が脱線したが、そういった点から、向こうの世界の現代人である俺にはまさにゲームの世界に飛び込んだような感覚でいたのだ。
だから今まで立ち寄った街の何処にも、そういう生々しく如何わしい店がないことに疑問を抱かなかった。そりゃ女の子とお話できる酒場なんかはあったが、全年齢対象のゲームにも登場させられる程度のもの。
だけど当然、この世界にも性欲はある。俺だって旅の途中で仲間に隠れてごにょごにょしたりしていたんだ。それなら歓楽異人街のような場所が他にあっても不思議はないのに、ゲームみたいな世界だからと疑問に思わなかった。
けどまさか最初の勇者によって禁止されて、俺たち後発の勇者に隠されていたとは想像も出来なかった。
最初の勇者ってのはよっぽど潔癖な男か、それとも女勇者かだったんだろうな。
フーゾク店ってのは元の世界でも昔からあったし、それ以前にも女が体で稼ぐ、というのは行われていた。それは娯楽の一種に変わるずっと以前の話だが。
タマちゃんはこの歓楽異人街は生きる為に始まったと言っていた。
まだ一部では奴隷制も残っているこの世界だ。それぞれ事情はあるだろうが生まれた種族を追放された彼女たちが奴隷として以外に生きていくために必要なことだったんだ。
……それを気に入らないとか、そんな理由で禁止して何のフォローもないまま仕事を奪うなんて、それはちょっと無責任すぎるだろう。
「はぁ……」
初代勇者の功績は偉大だ。
旧き王に負けた俺が声を上げたところで聞き入れてもらえるとは思えないし、タマちゃんの言う通り、今を生きている人々がこの街を疎み、恥ずべきものとして俺たちに隠しているのは事実なのだと思う。
それをどうにかしようと思ったらやはり旧き王を倒し、初代勇者を超えるしかない、のだが……
「獲得経験値アップスキルのおかげで俺のレベルはもうマックスなんだよな……」
これ以上の力を得るには装備をより強力にするか、ステータスに反映されない技術面を伸ばすしかない。
念じて目の前に表示したステータス画面には旧き王の城の中で到達したLv99という文字と、歴代勇者の中でも上位の各パラメーター、召喚された時から変わらない勇者の称号が──ん?
「称号、元勇者ァ!?」
え? え? 元ってなんだそれ!? 俺いつの間に勇者廃業してたんだ!?
旧き王に負けたからか!? いやだとしても俺以外で旧き王にもたどり着けずに負けて逃げ帰ってきた奴らもいるはずだぞ!? なのになんで俺だけ勇者の称号を剥奪されなきゃならないんだ!?
バシャバシャとお湯をまき散らしながら、慌ててステータス画面を確認する。職業欄は空欄に変わり、称号以外にも勇者だけが持っている転移魔法やステータスに永続バフが掛かる<勇者の加護>スキルは……消えてやがる!
「嘘だろ……?」
<勇者の加護>が消えた俺は、旧き王と戦った時と比べてステータスはがた落ちしている。一般人やそんじょそこらの戦士には負けやしないが、こんなステータスじゃ旧き王に適うはずがない。
「なんでだ、どうして俺だけが……!」
何か手掛かりはないかステータス画面をスクロールして原因を探す。
ひょっとしたら何かの呪いかもしれないと確認しても何処にもそんな記載はない。
クソ、絶対に原因があるはずだ……! 諦めず隅から隅まで確認していると、一つ身に覚えのないスキルを見つけた。
「永続スキル、<生還の報酬>……?」
スキル説明欄で詳細を確認すると、そこには俺が元勇者となった理由が書かれていた。
<生還の報酬>
自爆魔法を使用し、勇者としての全てを燃やし尽くした者に与えられるスキル。
勇者の称号、能力全てを失う代わり、その使命から解放される。
「なんだよ、それ……あの魔法に、そんな効果が……」
自爆魔法を使って生き残った者はいなかった。このスキルが知られていなくて当然だ。
このスキルを持ってるのは世界で俺だけしかいないだろう。
勇者として決死の覚悟で自爆魔法を使った報酬ってことか? 死ぬ気で戦ったからもう勇者として戦う必要はないってか?
「ちくしょう……今度こそ上手くやってみせるって、今度こそあいつをぶっ倒してやるって意気込んだそばからこれかよ……」
一回負けてそこからリベンジして勝利するってのはゲームでもお約束だろう……?
生き延びて、偶然ユキやタマちゃんに助けられて、この街の事を知って、戦う理由がまた一つ増えたってのに……!
「こんなんじゃ、あいつに勝てっこねえじゃねえか……!」
俺の頬を伝う涙は、風呂の湯よりも熱かった。
◇◆◇◆
浴室を出ると、更衣室でユキが着替えを用意して待っていた。
目覚めた時に着ていたものよりもしっかりとした生地の和装で、元の世界で着たことはないのになんだか懐かしくて、しっくりと来る着心地だった。
一緒に「こちらも用意してありますが」とワイングラス片手に猫を膝に乗せた金持ちが来てそうなバスローブも渡されたが、謹んで辞退した。
「何やら大声を出していたようですが、どうかいたしましたか?」
「え、ああ、いや。ちょっと気持ちよくなってテンション上がって、つい歌を歌っちゃってさ」
「そうですか。それは是非聴きたいです」
「はは、勘弁してくれ。音痴だからさ」
内容まで聞こえていなくて良かった。
旧き王を倒して待遇を改善してやるってタマちゃんと約束したのに、勇者じゃなくなってたなんて知られたくない。
平静を装ってユキに案内されながら、食事が用意してあるという大広間に向かう。
和風の豪邸といった感じの、街の高台にあるこの建物はかつては歓楽異人街でも最もランクの高い高級娼館だったが、現在はこの街の娼婦や下働きのほとんどが暮らす寮のようになっているそうだ。
俺が勇者──今は元勇者だが──であることは明かさず、しかし上客として最大限の歓待をせよというタマちゃんの指示で大広間を使わせてもらえるそうだ。
この待遇も俺がタマちゃんと交わした約束を果たせるかもしれない勇者だからなんだよな。今の俺にはそんな歓待を受ける資格なんて……。
「さあ、サイトーさま。こちらです」
「あ、ああ……」
ユキに促され、案内された部屋の襖の前に進む。
うっ、足が重いし気も重い。本当の事は話せないにしても、もっとこぢんまりとした部屋で質素な食事に変更は……出来ないよな。
両膝を着いた起坐の姿勢となったユキの手で襖が開けられていく。日も落ち、ムーディーな光源しかなく少し薄暗かった廊下と違い、開いた襖の向こうから差す眩い光に瞑ってしまった目をゆっくりと開くと──
「さあさ、ようこそいらっしゃいませ、旦那様ー!」
「こらまた、えらい男前なお人が来はりましたなあ」
「ふふっ、ちょっとタイプかもー!」
「わあっ、人族なのに浴衣が似合ってますねえ」
右から左からと押し寄せた女性たちに囲まれ、あれよあれよと手を取られ、部屋の中へと引きずり込まれる。
その種族も多様で、俺の手を取っている人だけでも獣人族、魔族、鬼族、ポート大陸以外ではあまり見ないはずの天使族まで。
「うおっ、わっととっ」
体勢を崩し、手を取られたせいで受け身も取れない俺の頭をぽにょんとした柔らかい感覚が包み込む。
いや頭だけじゃない、掴まれていた手も、いや全身が余すことなく柔らかくて良い匂いに包まれている。
「きゃあっ、もう旦那さんったら気が早いですよぉ」
「おわっ、すっ、すみませんっ」
なんだこの極上の感覚は、と頭を預けて酔いしれていたのは、鬼族の女性の胸だった。
謝って急いで離れようとするが、俺を囲む大勢の女性がそれを許してはくれない。
「あっ、ずるーい。おにーさん、こっちのお胸も柔らかいよー?」
起こそうとした頭を今度は別の魔族の女性に抱きしめられ、鬼族の女性とはまた違う、しかし同等の素晴らしい胸に埋もれる。
お、おおっ、これが夢にまで見たおっぱいの感触なのか……!?
用意されていた席に辿り着くまでに俺を囲む人は増え、鬼族から魔族、獣人族、天使族、人族、エルフ族と六種族のおっぱい全てを制覇してしまった……!
「ほらほら座って座ってぇ」
「お酒はお好きですかえ?」
「ままっ、まずは一杯どうぞどうぞー」
「あ、ああ。ありがとう……」
酒を飲む前からもう既に全身で感じたあの感触と部屋中に漂う甘い香りのせいで夢見心地だ。
さっきの逡巡は何処へいったのか、意思が弱すぎる……!
今更逃げ出すことも出来ず、開き直ってこの場を楽しむことに決めた俺は御猪口に注がれた酒を一息に飲み干すのだった。
……或いは、一時であっても全てを忘れて、酒に逃げたかったのかもしれない。