幼女はマズイ
「今でこそ六種族は友好関係にあるが、かつては全てではないにせよ反目し、敵対関係にあったことは聞いているだろう? この街はその時代に生まれたのさ」
驚きを隠せない俺を他所に、煙管を吹かしながら淡々とした口調で語るタマちゃん。
成り立ちについても気になるところではあるけど、それにしたってフ、フーゾク街って……その、あれだろ?
男が女を買ってあんな事とかこんな事とかをする場所、だよな……? い、いやその逆もあるんだろうけど、つまり仕事着としてやけに露出した着物を着こなすタマちゃんも、そういう仕事をしてるってことで……。
「人族と違って他種族が身体的、魔力的に優れているといっても全員がそれだけで生きていけるわけじゃない。力がない者、魔法が使えない者、他にも事情はあるが、そういった理由で自分たちの種族から追放された女たちが集まってこの街を作り、異種族を相手に商いを始めた。とはいえ秀でた力はない、売れるものは限られてた。今と違って娯楽も少ない時代さ。その昔は大層繁盛していたよ」
「そ、そう、なのか……そんな場所があったなんて知らなかったよ」
意識してしまい、タマちゃんから目を逸らしてどもりながら相槌を打つ。
お、お、おおお落ち着け。別にフーゾク街なんて元居た世界にもあっただろう! ……行ったことはないけど。
「旧き王が現れて、散発的に起こっていた種族間の争いの比ではないくらいの戦いが起きるようになってからは昂った体を持て余した奴らが大勢押し寄せていたもんだよ。だけど最初の勇者が召喚されて、全てが変わった。たった一人で戦況を覆し、戦線を押し戻し始めた頃になってこの街の存在が勇者の耳に入ってね。お得意様だった兵士たちが立ち入るのを禁じちまった」
見てきたように語るタマちゃんは一体いくつなんだろうか……? 人族以外は差はあれど総じて長命種族で見た目が若い時期も長いとは聞くが、獣人族は比較的人族と近い寿命のはず。何事にも例外は付き物だが、タマちゃんもそうなのだろうか?
「それからお前さんも知るカイルの城塞都市が建設され、わしらは仕事を奪われ、住処からも追いやられて、こうして城塞都市のそばでひっそりと兵士以外の少ない客を相手にしながらどうにか生きているのさ」
「その勇者は随分潔癖だったんだな……なんというか、すまない。同じ勇者として謝罪させてくれ」
勇者を歓迎する人ばかりに囲まれていたけど、その影で勇者のせいで不幸になっていた人がいたなんて、想像もしていなかった。
フーゾク街と聞いてドキリとしてしまったが、事情を聴いてそんな自分が恥ずかしくなる。
「よしなよ。別にお前さんのせいじゃない。勇者のおかげで旧き王をベルカにまで押し込めたんだ。その点は感謝しているのさ。それにもう最初の勇者が没してから随分と時間が経った。わしらを今も押し込めてるのは今を生きている奴らの意思さ。ま、確かにこの街で働いている奴らの中には勇者を毛嫌いする娘もそれなりにいるがね」
「けど……」
「そんなつもりで話したわけじゃない。ただまあ、お前さんが旧き王を倒して、戦いが終わった後で多少の便宜は図ってほしいとは思っているけどね」
「っ……ああ! こうして拾った命だ、もう一度死ぬ気であの野郎にリベンジしてやるぜ!」
……今度こそ、絶対に。最初は偶然召喚されただけだったが、今の俺にとっては旧き王討伐は果たすべき使命だ。
元の世界で何の取り柄もなかった俺だけど、この世界の人たちには勇者だからととても良くしてもらったし、このガーディウムの事も知ってしまった以上、その思いは一層強くなった。
「期待しておくよ、勇者殿」
「任せてくれ」
タマちゃんと互いに笑みを交わし合う。
此処がフーゾク街だろうと何だろうと、俺が勇者として助けるべき人たちには変わりない。また一つ、旧き王を倒す理由が増えたな。
「さて、傷は癒えたとはいえ今晩ぐらいはゆっくりしていきな」
「え、いやでも俺の無事を仲間たちに知らせたいし、召喚された街に報告に戻ろうと思ったんだが」
「どうせ一ヵ月音信不通だったんだ。一日延びた所で大差ないだろう?」
それはそうかもしれないが、俺としてもみんなの顔を早く見たい気持ちもあるんだが……。
「ユキ! ユキはいるかい!」
「──お呼びですか、タマモさま」
タマちゃんが誰かの名前を呼んだかと思うと、音もなく一人の少女がタマちゃんの前に現れた。……今、天井裏から降りてこなかったか?
一瞬だけちらりと俺を見た時に覗けた幼い横顔と小柄な体型に白い髪、着崩していない和服。まるで雪女のような女の子だった。
頭には髪の間から覗く小さな二つの角。鬼族か魔族の子供だろう。一本は欠けているようだが……。
「サイトー、この娘がお前さんを拾った娘だよ」
「おおっ、ありがとう! 俺はサイトー、君のおかげで本当に助かったよ!」
「いえ。いつも通りに浜辺を歩いていて見つけただけですからお気になさらず」
それじゃあ彼女が俺の命の恩人というわけだ。感謝してもしきれないが、誠意が伝わるように深々と頭を下げた。
ユキと呼ばれた彼女は無表情で、気持ちが伝わったのかは分からないけど。
「ユキ。この人は店のお客として扱う。連れてきたのはあんたなんだ。寝ている間の面倒はわしがみてやったが、起きたんだからあんたが相手をしな」
「承知しました」
「それと話は聞いていたようだから言っておくが、この人が勇者だって事は話しちゃいけないよ。それでお客に失礼があっちゃいけないからね」
「心得ております」
ああ、勇者を快く思っていない人も結構いるって言ってたもんな、って……、
「客!? それに相手って!?」
「まずは湯浴みから。参りましょう、サイトーさま」
俺はユキに手を引かれるままに立ち上がらされ、そのままタマちゃんの横を通り抜けて廊下へと引っ張られていく。
華奢なユキの手を無理に振りほどけば怪我をさせてしまいそうで抵抗もできない。でも待ってくれ、この店の客ってつまりそういう……!?
「その間に夕餉の準備を整えておく。特別に上客として歓待してやるからありがたく受け取ると良いよ」
助けを求めて見つめたタマちゃんはひらひらと手を振って俺たちを見送るだけだった。
いや待て、待ってくれ! 俺はこの歓楽異人街を衰退させた奴と同じ勇者で、それに何より──
「俺、童貞だからぁぁあああああああ!」
◇◆◇◆
心臓の音がうるさい。湯舟に浸かったわけでもないのに頭が湯立つ。
俺はタオル一枚を腰に巻いて、銭湯を思わせる広い浴室の椅子に座り込んでいた。しかもこの椅子、真ん中がへっこみ、凹の形になった椅子である。
街中に響き渡ったのではないかという俺の童貞宣言を聞いてもユキは顔色一つ変えず、無言のまま更衣室に連れ込まれ、俺の服に手を掛けたところで自分で脱げるからと断り、浴室に逃げ込んだがその直前の「すぐにユキも参ります」という言葉は聞き逃さなかった。つまり何も解決していない。
嘘だろ、おい……俺は今日、此処で童貞卒業しちゃうのか……? しかもあんなちっちゃな女の子を相手に? 二十年以上留年し続けた童貞を卒業する時が来たというのか?
俺は童貞だが、勇者として召喚されてから正直イケるんじゃね? って関係や雰囲気になったことは何度かあった。それはパーティーメンバーたちだったり、世界を見て回るために街に設置された転移の魔法陣を使わずに出た、旧き王討伐の旅の途中に立ち寄った街の女の子だったりと、チャンスはあったのだ。
だけど俺はそのチャンスを自分の意思で不意にしてきた。勇者の使命も果たさずにそんな良い思いをするのは気が引けたからだ。……ヘタレて童貞を拗らせていたとも言うが。
旅の途中で出会った他の勇者たちの中にはベルカ大陸に向かわず、防衛だけに専念して街に留まり、ハーレムを形成していた奴もいた。羨ましかったが、同時にああはなりたくないと思ったのも事実だ。
勇者はモテる。この俺でさえモテていた。けどそれは俺が勇者だからだ。そんな俺が女の子とえっちな事が出来たとしても、どうしても後ろめたさがある。
俺は勇者だからという理由じゃなく、俺が俺だから好きになってくれた相手と清い交際を経て、ロマンチックに結ばれたいんだよ……!
だけどこの世界で俺と勇者という称号は切り離せない。だからせめて旧き王をぶっ倒した後なら、俺が俺自身を本当の勇者と認められる気がして、そうすればずっと感じていた後ろめたさがなくなるような気がしてたんだ。
俺はまだ、それを成し遂げてない。そんな俺が此処で童貞を捨てていいのか? そんな俺で、俺は良いのか……?
「サイトーさま、失礼いたします」
「だっほい!?」
ガララと扉が開く音と共に浴室に反響する、淡々としたユキの声。俺は悶々としていますが。
思わず飛び上がって、はらりと落ちかけたタオルを慌てて押さえる。ふ、振り向くな。振り向かず、冷静に行動するんだ。
「あ、え、あ、えーと、ユキ、さん?」
「敬称はいりません。ユキ、とお呼びください」
ユキの気配と声がどんどん背後から近づき、ぺたぺたとした裸足の足音が彼女の今の格好を想像させて、唾と汗が溢れてくる。
「そ、そそそそう? じゃ、じゃあユキ、お、おおおお俺は一人で大丈夫だからっていうか一人にしてほしいっていうか──」
「そんないけずなこと、仰らないでくださいませ」
足音が止まる。ユキの声がすぐ背後から聞こえてくる。吐息が肌に当たる。吐息が首筋に上ってくる。吐息がくすぐるように耳元まで迫ってくる!
「どうかこのユキにお任せください」
「ひゃふぅ!?」
両肩にひんやりとした手が置かれ、左耳に囁かれるユキの言葉。
ゾクゾクとした感覚が背筋を走り、体が跳ねた。
右肩に触れていたユキの指先が腕を伝っていく。なぞる指が人差し指から中指、薬指と変わりながら、触れるか触れないかの絶妙なタッチで俺の握りしめられた右の手の平へとたどり着く。
指の動きと並行して左耳にかかる吐息が首筋を通り、右の耳元へと動いていくのが分かった。俺の体はモンスターたちと戦う時の何倍も感覚が研ぎ澄まされ、ユキの動きを敏感に感じ取っていた。
「ふふ、サイトーさまのお体、逞しいです。筋肉でゴツゴツとしていて、これが勇者様の鍛え抜かれた肉体なのですね」
「あ、ああああ、ありがとうございまひゅ……」
「そんな緊張なさらずに。気を楽にしてください。全てこのユキにお任せを」
肩に置かれたままになっていた左手が背中をなぞり、脇腹へと進んでいく。さらにその先にあるのは俺の身を守る唯一の防具の結び目。
俺だけが意識して、ユキの動きには一切の緊張はない、慣れた手つき。これがプロの技なのか。
タマちゃんは俺を店の客として扱うと言った。だったらそれに甘えてもいいんじゃないか? 勇者だとか恋人だとか、関係のない店と客の関係なら、これがユキの仕事だというのなら、このまま身を委ねてしまっても──
「いいわけあるかぁ!」
俺は立ち上がり、ユキの指から逃れていた。
いくら生きる為に必要な彼女の仕事とはいえ、こんな少女、いや幼女相手にそんなことさせられるか!
勇者は関係ないのかもしれない。このまま身を任せても咎める者はいないのかもしれない。だが! 大人としてこのまま流されていいはずがない! たとえこの世界の法が許したとしても、俺が元居た世界じゃ完全にアウト!
「きゃっ」
だが立ち上がった勢いに驚き、ユキは尻もちをついてしまったのか、悲鳴が上がった。
「あ、すまない、大丈夫、か……?」
勇者という職業柄、人の悲鳴には敏感な俺は反射的に手を差し伸べようと俺は振り向いてしまう。
まずい! と思って手で顔を覆おうとして気付く。生まれたままの姿かと思われたユキは作務衣のようなものを着ており、着物と違って二の腕と太ももこそ露出しているものの、見た目は銭湯で見るような作業着然としたもので、タマちゃんのような如何わしさは感じられない。
「あら、バレてしまいました」
「その格好は……?」
「お背中を流す為に水を弾く清掃用の格好に着替えて参りました」
「えーと、背中を流すだけ?」
「はい」
特殊な性癖を持っていない俺は幼女に背中を流されるのは微笑ましさこそあれ、下心など持ちようがないので後ろめたくは思わない。姪っ子にやってもらったこともあるし。
「ユキはまだ雑用係ですので、お客様の夜のお相手をすることは許されていません。ですがせっかくなので姉さまたちに教わったやり方でサービスしてみました」
「あ、そう……」
……俺、からかわれてただけなのね。いや残念とか思ってないけど!