爆振破斧 鬼のラース
来客が敵ではなかったことを確かめて、それでも気が抜けない空気が漂っていた。
斧を向けられたことは別にいい、ラースにとってはただの挨拶代わりでしかない。けれど斧を下ろしてなお、ラースの表情から険しさは消えないことが問題だ。
「え、と……どうして此処に?」
「そっちに座るんだね、あんたは」
とりあえずタマちゃんの隣に腰掛け、何処で俺の居場所と無事を知ったのかを尋ねると、返ってきたのは冷たい指摘だった。
来客側に並んで腰かけるのも変な話だろうと返答に窮していると、「まあいいさ」とラースは気を使って席を外そうとしたタマちゃんを止めた後、この街に来るまでの経緯を話してくれた。
「あんたにベルカ大陸から強制転移させられて治療を受けた後、あたしは別の勇者パーティーに合流した。治療中にブレーメンに立ち寄った勇者から誘いがあってね」
「あ、ああ。リラから聞いてるよ。その、心配かけて悪かった。俺は見ての通り大丈夫だ。旧き王には負けちまったけど……」
「悔しいがあれはあの時のあたしたちでどうにか出来る相手じゃなかったし、あんたの判断は間違っていなかった。こうして生きててくれただけで十分だよ」
拳の一つは覚悟していたんだが、意外にもラースは俺の独断を冷静に受け止めてくれたようだった。
やっぱ俺だけじゃなく、生粋の戦士であるラースにもあの敗北は堪えたか。
「で、約一ヵ月その勇者たち四人と一緒に行動してたんだが、ちょっと前に置いて行かれたんだよ」
「はあ? なんでまたそんなことに。まさかラースが戦力外ってわけじゃないだろ?」
「当たり前だ。あのパーティーじゃ勇者にだって負けないよ。……まあちょいと口うるさくしすぎちまったんだ。まだ実力もないのにベルカ大陸に乗り込もうとする度にボコボコにして、そんなんじゃ勝てないって止めてたからね」
そう言ってラースはバツが悪そうに頬を掻く。その新パーティーの実力は分からないが、ラースが止めるってことは俺たちが奴に挑んだ時よりも弱かったのは間違いない。確かにラースは口調も正確も荒っぽくてキツい所はあるが、旧き王と直接対峙した奴の貴重な意見だってのに……。
「なんつーか災難だったな」
「ま、あの実力じゃあの城にもたどり着けない。おおかた途中のモンスターにやられて逃げ帰ってきただろうさ。で、しょうがないからまた新しい勇者を探して、いくつか街に寄りつつ、報告と確認がてらブレーメンに戻ったのが昨日だ」
「昨日……じゃあ俺と入れ違いで?」
頷くラースに、そんな狙ったみたいなタイミングもあるものだと少し驚く。それならリラも教えてくれれば……って、そういえば伝えたいことがあるって言ってたな。王国騎士団の事だけかと思ってたが、きっとラースのことも含まれてたんだろう。
「あたしが神殿に着いた頃にはカイルの襲撃が解決した後だったけどね。リラと待っててもあんたが昨日の内に帰って来なかったから、こうして直接出向いたってわけさ」
「悪い。色々あって」
「ああ。あたしらを転移させた後に何があったのか、リラに話した事は聞いてる。それにあんたがこの街で働き始めたってことも、そいつから聞いてるよ」
顎でタマちゃんを指すラースの目はやはり厳しいものだった。
人族に限らず、やはりこの街のみんなに対する偏見は避けられない、か。
「今日はその報告でリラの所に行って帰ってきたんだ。待たせちまって悪いな」
「そんなくだらない事を始めてどういうつもりだ?」
「……くだらなくなんてねえよ」
ラースから出たのはにべもない否定の言葉。
勇者時代、パーティーの中で一番衝突が多かったのは俺とラースだ。大抵は小さな事だったが、喧嘩はしょっちゅうだった。だから俺もつい、口調が荒くなる。
「くだらねえよ。勇者じゃなくなった途端に売女どもの世話なんて焼き始めやがって。傷ついた所を甲斐甲斐しくお世話されて情が移ったか? 女には滅法弱いあんただ、そいつらにとっちゃさぞ良いカモだったろうよ」
「……黙れよ」
「黙らねえよ。勇者じゃなくなった? それがどうした! あんたじゃなかったらさっきので首が落ちてる! 勇者じゃなくともあんたに出来る事はまだいくらでも残ってる! こんな街の娼婦どもなんかよりもっとデカい、世界の為に出来ることがいくらでもあるだろうが!」
「世界の為に戦ってる奴らは大勢いる! けどこの街の為に動けるのは俺しかいねえんだよ! どうにかしてやりてえんだよ! 情が移る? 助けられたんだ当然だろうが! 何よりタマちゃんたちみたいな良い女が虐げられて燻ってるのを知って黙っていられるか!」
「ここでわしに飛び火するのかっ!?」
耐えきれず、大声で言い返せば静観していたタマちゃんが目を見開いて耳を跳ねさせたが、今は構ってる暇はない。
ラースの言ったことを取り消させなきゃ気が納まらない。
「凝り固まった認識のせいでこのままじゃこの街のみんなはなかったことにされちまう! それを変えられるのはこの世界の常識に染まってない奴だけだ! 俺と同じ世界から来て、俺と同じように考えられるかもしれない勇者たちは使命を背負って戦ってる! 俺だけなんだよ! 勇者じゃなくなった俺だけが出来ることなんだ!」
俺が勇者のままだったなら、この街のみんなを助ける為に旧き王をどんな手を使ってでも倒す気でリベンジしただろう。
けど俺はもう勇者じゃない。成長も止まった俺じゃ、命を懸けても旧き王に勝てはしない。だったら残りの人生を懸けてこの街の為に戦いたい。
「腰抜けが! こんな街守って何になる!? 世界から見放されるような罪人だって混じってんだぞ!?」
「それはお前らの理屈だろうが! 俺はみんなと同じような人たちが認められてる世界を知ってる! それに罪人だって言うなら追放された時点でもう罰は受けてる! だってのにその後の人生まで邪魔するんじゃねえよ! 俺は世界を救う為じゃなく、そんな世界を変える為にこの街のみんなと生きていくッ、そう決めた!」
気付けば俺たちは胸ぐらをつかみ合い、主張を叫びあっていた。
旅の道中でした喧嘩は大抵俺が折れてた。今回ばかりは折れるわけにはいかない。
「……ふん」
互いに肩で息をしながらの無言で睨み合い。それを止めたのはラースが先だった。
乱暴に押しのけながら胸ぐらを放され、俺は尻もちをつくようにソファに座り込む羽目になる。
「それがあんたの決めた未来か」
「げほっ……ああ、世界はお前らに託すよ」
掴まれ、結果締め付けられていた喉を押さえて咽る俺と違ってラースはまるで堪えていないようだ。力も随分と差をつけられちまった。
「まさかあんたがあたしに掴みかかって来るとはね。前までは顔を背けて逃げてたくせに」
「それはお前……そんな格好してる奴の胸ぐら掴んだら危ないだろ、色々と」
ラースの格好は俺と旅をしていた頃と変わらない、臍丸出しの短い、ほぼその豊満な胸を隠すだけのチューブトップ。下もローライズデニムと、とにかく惜しげもなく褐色で起伏に富んだ肉体をさらけ出すスタイルだ。上下左右どこからポロリするか分かったもんじゃない奴の服を掴んだりできるか。
現に今も大分上にずれて、し、下乳が見えてるし……。
「あん? あたしの部族は故郷じゃみんな裸で過ごしてるんだから気にする必要なんかねえのに」
「なにその村行ってみたい──んぐふっ!?」
衝撃の告白についつい本音が漏れ出たらタマちゃんに横から脇腹を煙管で突かれ、痛みに悶える。
い、今のは俺が悪かった、空気を読めてなかった……。
「悪かったな、あんたの大切な人たちを侮辱して」
「俺よりもタマちゃんに謝ってくれ」
「ああ、悪かった。打ち合わせ通りとはいえつい熱くなっちまった」
「そうだ、打ち合わせ通りとはいえ言って良い事と悪い事が……なんて?」
なんか妙な単語が聞こえたぞ?
「構わないよ。サイトーが本気でこの街の事を想ってくれてるのも分かったしね」
「あの、タマちゃん? 打ち合わせって何のこと……?」
さっきまでの険悪な空気が消え、何もなかったように煙管を味わっているタマちゃんに尋ねる。
いやもうなんか想像できるけどさ。
「わしらだってなにもお前さんが戻ってくるまでずっと無言でいたわけじゃない。お前さんがこの街に身を置くことになった経緯ぐらい話してるよ」
「あたしに凄まれて折れる程度の覚悟で決めたことなら、この街を認めさせるなんて出来っこないからね。タマモの姉御と話してあんたを試させてもらったのさ」
ニヤリと示し合わせたように笑う二人に、俺はどっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。心臓に悪いわ……!
「あんたもリラと話して分かっただろう。この街がどう見られてるのか」
「……ああ」
あのリラでさえ、隠しきれない嫌悪感を滲ませていた。
声を掛けたカイルの兵士たちだって俺を恩人と見てくれているが、それでもこの街で働くと聞いて顔を顰める者も多かった。
「あたしにはこの街が世界に受け入れられる光景なんざ想像もつかない。はっきり言えば無理だと思う。……それでもあんたが、勇者じゃなくなった今のあんたがやるって決めたんなら、応援するさ」
「ラース……」
「それにあたしは他の連中ほど、この街の事を嫌ってるわけじゃないしな」
「そう、なのか?」
「あんたにも教えたろう? どんな手を使ってでも生き残れ。生きてりゃそれだけで勝ちだって。それはこの街そのものじゃないか。どんな形であろうと、なんと言われようと、それは認められるべき強さだ」
……そうだった。タマちゃんたちにも伝えたそれを、俺はラースから教わったんだった。
そんなラースがタマちゃんたちを否定するような事、本気で言うはずなかったんだな。
「あんたともう一度パーティーを組みたかったってのは本心だけどね。あんたと一緒に今度こそ旧き王をぶっ倒してやりたかった」
「<勇者の加護>がなくなって、レベルも99の俺じゃ今のラースとは一緒に戦えないよ」
勇者たちの多くに共通することだが、勇者の称号を持つものは成長速度がこの世界の人と比べて段違いに早い。
俺もレベル1から始まって、一ヵ月足らずでカンストしたが、ラースは出会った当初のレベルが30程度で旧き王に挑んだ時でも60には届いていなかったが、ステータスは<勇者の加護>のバフを抜けば俺に比肩していた。
潜在能力は圧倒的にこちらの世界の住人の方が高いのだ。俺ではどう足掻いても以前の俺は超えられない。レベル1時点のステータスは他の勇者と比べても低かったから、俺よりも潜在能力の高い他の勇者でないと旧き王には勝てないだろう。
「数字が全てじゃない。戦いの中で得た経験と培われた戦術眼、まだまだそこいらの勇者じゃ追いつけないぐらいのものをあんたは持ってるよ。自信を持ちな」
「ははっ、ありがとよ」
今欲しいのは経営眼なんだけどな。
だけど初めて今の俺の背中を押してくれる奴と会えてよかった。ラース以外にも同じように考えてくれる人がこの世界にもまだいるはずだ。そういった人たちを味方につけて、そこから世界を変えていかないと。
そうして身構えていた緊張も解れ、和やかなムードとなった所で俺は気になっていたことをラースに尋ねることにした。
「他の二人はどうしてるか知らないか? リラから簡単には聞いたんだが、今何処にいるかまでは知らなくて」
「あたしも詳しくは知らないんだ。エリシアとルティも今のパーティーに誘ったんだが、二人には断られてな。エリシアはあたしが立ち寄ったいくつかの街で噂は聞いたけど、本人とはブレーメンの神殿で別れた切りだ」
「治癒魔法使いとして街を巡ってるとは聞いてるけど、そうか。……もし見かけることがあったら俺の無事を伝えてくれないか? 今は何処に居るかも分からない相手を探しにはいけないからさ」
ベルカ大陸に渡らず、四大陸を巡っているのならラースが出会う機会もあるかもしれない。
俺は覚える事もやる事も山ほどある。今、この街を離れて会いに行くわけにもいかない。
「ああ。あんたを一番心配してたのはあの娘だ。あたしも早く無事を知らせてやりたい。ま、平手の一発や二発は覚悟してな」
「ははは……分かってるよ、心配掛けた罰は受けないとな。それで、ルティの方は?」
四大陸であっても一人旅は危険が伴うが、エリシアなら心配はない。時間は掛かるかもしれないが、いつかまた会えるだろう。
それ以上に気になるのは行方知れずのルティのことだ。故郷に帰ったとは聞いたが、それからどうしているのか、もっと詳しく知りたい。
しかし、ラースは申し訳なさそうに首を左右に振った。
「まるで分からん。朝起きたらベッドの上から消えてたんだ。薄情な奴だぜ。それに一緒に旅をしてた頃も自分の事はほとんど話さなかったからな。何処で生まれたのか、どうして一人で旅をしてたのかも。あいつのことだから心配はないとは思うんだが……」
「無事でいてくれてるならいいんだけどな。少なくとも後遺症とかは残ってないんだろ?」
「それは心配ない。ま、あたしも旅のついでに探してはみるよ」
リラから聞いた以上の情報はなし、か。
ルティはヴァンパイアの魔族だが、ヴァンパイアの暮らす村はたくさんあるし、何処の大陸で生まれたのかなんて絞り込めるはずもない。
一度故郷に戻っただけで、また俺たちと出会った時のように旅に出たなら、きっとブレーメンにも立ち寄ることがあるはずだ。その時、リラの口から俺の事を伝えてくれたらいいな。
だけどもし、故郷に戻ってそのまま生まれた場所で残りの人生を過ごす気でいるのなら、もしかしたらもう二度と会えないかもしれない。この世界では出会いは元の世界以上に一期一会だ。せめてルティのこれからに幸福を祈ろう。
「ラースはこれからどうするんだ?」
「一人で大陸を回るよ。新しい仲間を探しながらね。生きてりゃ勝ちとは言ったが、戦いで負けっぱなしは性に合わないんだ」
「そっか。またこの街にも立ち寄ってくれよ。客として精一杯持て成させてもらう」
「おいおい、あたしは女だぜ? そういう趣味はないよ。それともあんたが相手をしてくれるのかい?」
「げふっ!? そ、そういうんじゃなくて! 女でも楽しめるような店も考えてるんだよ! なあタマちゃん!」
揶揄われてると分かっていても、童貞の俺には刺激が強い。
旅の途中も戦闘以外ではガードの緩いラースにどれだけドキマギさせられたことか。
「勿論。けれど望むなら男と同じようにサービスしてあげるよ。同じ女だ、悦ばせ方は心得ている」
「そ、それってラースとタマちゃんが……」
二人とも熟れた肉体を持つ絶世の美女。そんな二人がベッドの上でくんずほぐれつあはんうふんなことに……? ふひ、ふひひ……。
「なにを想像してなにだらしない顔してるんだよ」
「やれやれ。娼館の主人なんだからこれぐらいのことで顔を赤くしてちゃ務まらないよ」
「んんっ! こ、これから慣れていくから心配すんな!」
俺は童貞だぞ。元々開放的な奴とその道の長年のプロと一緒にしないでくれ。
けど仕事と決めたからには邪心を捨てて掛からないとならねえ。タマちゃんの言う通り、これぐらいで動揺してちゃ先が思いやられる。
「さて、あんたの気持ちも確かめられたし、あたしは行くよ。長居しちゃ悪いしね」
「久しぶりに会えたんだ、そんな気を使わなくても」
「あんたは忙しい身だろう? 他にも召喚されてる勇者と違ってこの街にはあんた一人だけなんだから」
「ん……そうだな。ありがとう」
懐かしんで別れを惜しんでる場合じゃないか。互いの無事は確かめられたんだ。ラースが頑張ってるように、俺も此処で頑張らないとな。
「見送りはいいよ。達者でな、サイトー。姉御、見た目はこんなだが、こいつはこれで根性もあるし頼りになる奴だ。なにせ世界を背負って戦ってたんだ、街の一つも守れない男じゃない。あたしにゃ何にも出来ないけど、精々こき使ってやってくれよ」
「ああ。頼りがいのある男だってのは知ってる。足りない分はわしが徹底的に仕込んであげるさ。あんたも気をつけてね」
俺を待つ間、どんな話をしていたのか。すっかり打ち解け合った二人を余所に、俺も改めてこの街でやっていく決意を固めた。
昔の仲間に知られちまったんだ。中途半端な真似は出来ない。宣言通り、世界一のフーゾク街にしてみせる。だから、
「またな、ラース。この街は俺に任せてくれ。その代わり、世界はお前らに託すよ」
「任せておきな」
斧を担いで笑うその姿は以前と何も変わっていない。
もうその背中を守れないのは悔しいけど、ラースが俺にしてくれたように、俺もその背中を精一杯未来に向かって押してやるのだった。
今日此処が、俺とラースの再出発点だ。