流されてフーゾク街
異世界プラネタリア。
人、エルフ、獣、天使、鬼、魔。六種族が暮らすこの世界は今、異種族同士が手を取り合い、蘇った旧き王を倒す為に戦っている。
かつて世界を支配しようとし、当時の勇者たちに封印されたという旧き王。伝説に語られるのみでその正体は誰も知らない。だが奴はある日突如として復活し、世界に対して宣戦布告した。十日ののち、服従の意を示すのならば我の配下となることを許そう。そんな馬鹿げた提案を世界に発したのだ。
当初は誰もが取り合わなかった。何処かの種族の誰かが暴走しているだけ。すぐにその種族が始末をつけるだろうと楽観視していた。
十日後、エルフの村が焼き払われるまでは。
エルフの村だけではない。それから全ての種族のコミュニティに対して旧き王による攻撃があった。意思を持たぬ骸骨の軍勢による物量作戦にそれぞれの種族たちの支配圏が徐々に削られ、瞬く間に世界は旧き王の軍勢に埋め尽くされていった──。
それがおよそ五十年前の話。
その後、各種族がそれぞれ反撃に出たが戦果は振るわず。事態を重く見た各種族の長は過去の諍いは忘れ、協力して旧き王を討伐することを選んだ。
全種族一丸となり立ち向かったことで戦況は好転。徐々に旧き王の軍勢を押し返し、今では海の中に孤立して存在するベルカ大陸にまでその勢力圏を縮小させた。
その攻勢の裏には全種族の協力ともう一つ、異世界から召喚された勇者による助力があったという。
「──えーと、つまり俺はその召喚された勇者ってことになるんですか?」
「はい。あなた様は記録された勇者の中で三百番目の召喚勇者様となります」
いつものように会社での業務を終え、終電で家に帰って泥のように眠りについた俺は目が覚めると見知らぬ場所に寝間着姿で転がっており、漫画やゲームで見たような神殿らしき場所に混乱している俺にこの世界の人族である彼女、リラが事情を説明してくれた。
異世界転移、つまりそういうことらしい。
現実は小説より奇なりとは言うが、まさか本当にこんなことがあるとは。しかも三百って割と召喚されてるじゃねえか……。
「五十年前に旧き王への対抗策として開発された召喚魔法によって呼び出された者は、この世界の者と比べて優れた能力、スキルを持っています。どうかそのお力を旧き王の討伐にお貸しいただけないでしょうか?」
「えーと、元の世界に帰れたりとかは……」
俺の質問にリラは目を伏せ、首を横に振った。マジか……。
元の世界に未練があるかと言えば、微妙な所ではある。就職氷河期に新卒で入社したブラックで限界を感じてはいたが、だとしてもそれ以外の面では楽しみだってあったのだ。
録り貯めしていた連続ドラマはまだ見終えてないし、追っていた漫画の新刊の発売日だってもうすぐだった。ハマってたソーシャルゲームだって結構な額を課金していた。それらにもう二度と触れることが出来ないというのは結構、クるものがある。
「ですが旧き王と戦ってくださるのなら、その危険に見合うだけの報酬をお約束します。資金面は全て六種族の共有財産から捻出いたしますし、共に戦う仲間として各種族から優れた人員をお付けいたします」
……どのみち、他に選択肢はないんだ。
俺だって昔はいくつもの世界を救ってきた勇者、いっちょやってやるか!
──そんな風に気楽に考えていたのが間違いだったんだ。
もっと慎重に考えるべきだった。もっと事態を把握するべきだった。
元の世界の仕事でもそうだった。俺はいつも軽率すぎる、もっと深く考えてから行動しろって怒られてたじゃないか。俺がそれを聞き流すだけじゃなく、ちゃんと受け止めて考えていればこんな事にはならなかったはずなのに。
「あぐっ、うっ、くっ、あぁ……っ」
倒れ伏し、痛みに喘ぐ仲間たち。
優秀だと紹介されたからって、女の子を連れてくるんじゃなかった。俺のせいでラースもエリシアもルティもこんな目に会わせて……何が勇者だ、ちくしょう……!
「久方ぶりに我が居城の最奥まで乗り込んでくるからどれほどのものかと思えば、話にならんな」
失望を隠そうともしない旧き王の声。
触れることすら出来なかった。確かに城中の兵士やモンスターどもも強力だった。だけどそれを乗り越えて誰一人欠けることなく此処までたどり着いたのに、あいつらとは実力が違い過ぎる。
「だが我が手駒とするには丁度良い。その肉を剥ぎ、血を抜き、我が兵として使ってやろう。貴様らが倒したかつての勇者どもと同じようにな」
行方不明になった他の勇者たちもこいつが……ちくしょう。社畜から解放されたと思ったら、今度は死んで、こんな奴の言いなりにならなきゃいけないのか。
……もう、俺は助からないだろう。だけど他の三人はまだ間に合う。ラースたちだけでも、此処から助け出す……!
情けなく速攻でやられたんだ、まだ力は残ってるだろう、俺!
「精霊の光よ、彼の者たちを安息の地へと導け……!」
「む……?」
「転移魔法、発動!」
すっかり慣れたと思ってた体内から魔力が抜けていく感覚。けど今は魔力と一緒に生命力まで持っていかれてるみたいに体がダルい。
まだだ、もう少し、あと少しだけ頑張ってくれよ、俺の体……!
「ほう、まだ仲間を逃がすだけの力が残っていたか」
「それだけじゃないぜ……お前に一泡吹かせるぐらいの力も、まだ残ってる!」
手足の先の感覚が薄れていく。目も霞んで、憎いあんちくしょうの顔もろくに見えやしない。
だけどもういい。動かないものは放っておいて、見えないものは放っておいて、自分の中にある魔力だけに集中すればいい。
「我に眠りし全魔力、破壊の嵐となって吹き荒れる……! 万象万物、この身も呑み込み光と爆ぜよ!」
勇者と極一部の優れた魔法使いだけが至れる最強の威力を誇る魔法。
直前のレベルアップで覚えたけど、使う事はないと思っていた魔法。だけど後がない今なら遠慮なくぶっ放せる……!
「食らいやがれ、これが俺の全力を懸けたッ、正真正銘の最期の魔法だァ!」
「──!」
果たしてその一撃が旧き王に届いたのかは分からない。
俺の視界は光で埋め尽くされ、意識も二度と目覚める事のない暗闇へと落ちていったのだから。
◇◆◇◆
二度と目覚めないはずの意識はゆるやかに、当たり前のことのように再び浮上した。
ぱちぱちという馴染みは薄いはずの、しかしどこか懐かしい火の音。
心が安らぐ、そんな優しい音が聞こえて、俺は目を覚ました。
「おや、気がついたかい」
体は感覚はほどんどなく、動かない。瞼はぴくぴくと痙攣するばかりで開かない。全身がくまなくずっしりと重く、鉛のようだった。
けれど体内を循環する魔力に淀みはない。これなら……
「ぃ、生命の息吹、我が肉体を包み、癒せ……」
少しつかえながらも呪文を詠唱し、治癒魔法を発動させると染み渡るように体の中心から四肢へと力が流れ込み、感覚がはっきりとしていく。
以前、大怪我した時は急激に治っていく体にぞくぞくとした違和感を覚えたが、今回はそれ以上だ。副作用はないとは言うが、絶対体に悪そうな感覚だよな。
でもおかげで体の感覚は戻った。俺は一体どうなったんだ?
「ぅ……?」
体を起こすと額から何かが腹に落ちた。まだ少し揺れる視界にふらつきながらそれを手に取れば、濡れたタオルのようだった。
そういやさっき声が聞こえたよな。誰かに介抱されていたのか……?
「ふむ……ほれ、これを飲みな。目も覚めるよ」
「あ、あ……? んぐっ!? ぶっはぁ!?」
また聞こえた声の主を探して首を動かすと、顎を掴まれて何かを口の中に押し込まれ、そこから液体を流し込まれる。反射的に手を振り払ったが少し飲んじまった。
「げほっ、ごほっ、ぅえっ! 酒じゃねえか!」
「気付けにはちょうど良いだろう?」
喉が濡れた箇所からかっと熱くなり、一気に目が覚める。酔いこそしないがほんの少量だってのに、なんて度数の酒を飲ませやがるんだ!?
だが確かに意識ははっきりとして、焦点も定まった。腹立たしいが効果的だったのは認めざるを得ない。
そうして明瞭とした視界でとんでもない気付けをしてくれた輩を捉えて、思わず言葉を失ってしまった。
「む? どうしたい、やはり酒が足りなかったか?」
床に転がった瓢箪を手に取り、口を向ける彼女は、勇者として行く先々でそれなりの歓待を受け、目も肥えたはずの俺から見ても見惚れてしまうほどの美女だったのだから。
っていかんいかん。色惚けしてる場合じゃない。まずは状況把握だ慎重に行動しろ。
目の前に座る彼女は長い金髪をしていて、その頭頂部には狐に似た獣の耳、獣人族の特徴だ。
それに彼女の服装、俺の知る和服に似た造りだし──めちゃくちゃ胸元がはだけて肩からずり落ちそうなくらいには着崩してはいるが──部屋の中も囲炉裏があり、俺が寝ていたのも布団の上。障子扉から夕日の光が透過して部屋を橙色に照らしていた。
獣人族には一部だが俺の居た世界の日本の文化と似通っている部分があると、俺のパーティーに居たルティから聞いたことがある。他種族との交流が始まってもその文化は外には普及しておらず、獣人族の故郷ぐらいでしか見ることはないと言っていた……ということは此処は獣人族の支配圏なのか?
断定は出来ないが、少なくとも旧き王が支配するあの大陸ではない。そうでなければ俺を介抱などしてくれるはずもない。
とりあえず獣人族が相手なら話は通じる。まずは対話をして情報を得るべきだろう。
「なあ、あんたが俺を助けてくれたのか? だとしたらどうやって? 俺の仲間は、旧き王はどうなったんだ?」
「なんだ起きた途端にやかましい。わしは寝床を貸してやっただけ。浜に流れ着いておったお前さんを見つけたのはうちの従業員さ」
「流れ着いて……」
俺があの時、最期と覚悟して使ったのは自分の命と魔力を燃やして放つ自爆魔法だ。
その代償から実際に使われたという記録はほとんどなかったが、間違いなく俺は発動させたはずだ。だというのに瀕死とはいえ俺は生き残ったのか? 或いは戦闘ダメージが残っていたせいで不完全な形でしか発動せず、九死に一生を得たのか……恐らくその自爆魔法で海まで吹き飛び、奇跡的に浜まで溺れることなく漂流してきたんだろう。
「一ヵ月も眠りこけているからそろそろ放り出そうと思っていたところで目が覚めるとは、運が良かったね」
「一ヵ月!? そんなに……」
いや、むしろそれだけで済んで良かったと思うべきか。奇跡のような確率で命拾いしたんだな、俺は。
「お前さんの仲間は知らないよ。流れ着いたのはお前さんだけだ」
「ああ、いや無事だとは思うんだ。俺が召喚された街に転移させたから」
初めて使った自爆魔法はともかく、転移魔法は今まで何度も使ったことがある。あの時発動させた転移魔法は間違いなく完璧に発動した。みんなあの旧き王の一撃でダメージは負っていたけど、大事には至っていなかった。安否に関しては心配ない。
「なんだ、お前さん召喚勇者だったのかい」
「ああ。三百番目のな」
大きな街には転移の為の道具が設置されているが、転移魔法を特別な道具なしに使えるのは召喚勇者だけだ。各大陸で旧き王との争いが激しかった頃には、転移魔法を使える勇者が軍勢の背後からの奇襲することで勝利を収めた戦いも多かったらしい。
まあそれでも元の世界には転移出来ず、この世界の中でも一度行ったことがある場所でないと転移は出来ないんだが。
「三百……噂は聞いたことがあるよ。破竹の勢いでモンスターどもを蹴散らして旧き王の居城の攻略に乗り出した勇者がいるって。お前さんのことだったのか」
俺がこのプラネタリアに召喚されたのは約一年前。
召喚されて一ヵ月ぐらいは魔法とかスキルの習得、この世界についての基礎知識の勉強とかに費やしたが、そこからすぐに仲間たちとあのベルカ大陸に乗り込んだ。
俺の勇者としての能力は歴代でも高い方だったらしく、スキル構成も優秀で、魔法もすぐに扱えるようになった。それで調子に乗って、自分が物語の主人公になった気になって、他の勇者たちを追い越して俺が旧き王を倒してやるって息巻いて……結果はこのザマだ。
「その口ぶりだと旧き王はまだ健在なんだな……?」
「倒されたって話は聞かないねえ」
やっぱりか。実力差は嫌ってほど思い知った。俺の自爆程度じゃ、あいつは倒せないだろうってことも分かっちゃいた。せめて最後の一撃であいつに一泡吹かせられてたら良いんだけどな。
「しかし、するとお前さんはベルカ大陸から此処まで流れ着いたってわけか。それはよく生きていたもんだ」
「あの大陸と他の大陸は何処も大分離れてるからな……此処は何処なんだ? 見たところあなたは獣人族だし、サザン大陸か?」
俺が教わった知識ではこの世界の大陸はベルカ大陸の他に四つ。
人族とエルフ族が住むラヴェル大陸。
獣人族と鬼族が住むサザン大陸。
魔族が住むソレイユ大陸。
天使族が住むポート大陸。
といっても今は大陸は橋で結ばれ、交流も盛んになったことでどの大陸にもそれぞれの種族が多く暮らしているが、首都とも呼ぶべき、各種族の王が治める土地はその大陸に存在している。
民族衣装を着ているから、首都があるサザン大陸だと当たりをつける。……って、そういえば名前を聞いていなかったな。
「悪い。まだ名乗ってなかった。俺は召喚勇者のサイトーだ」
ちなみに本名は西藤厳一郎。その名前があまり好きではなく、この世界だと王族や貴族といった一部にしか姓は持っていないことと、姓と名、どちらも浮くことには変わりはないので苦肉の策ではあるが勇者サイトーと名乗っていた。
「わしはタマモじゃ。気さくにタマちゃんで良い」
妖艶な見た目に反して随分と軽いノリだな……その方がありがたいが。
「あ、ああ。改めて礼を言わせてくれ。ありがとう、タマちゃん。世話を掛けてしまってすまない」
「なに気にすることはない。召喚勇者は全種族希望の星。異世界から呼び出されて我らの為に戦ってもらっているのだ、当然のことだ」
「そう言ってもらえると助かるよ。それから俺を見つけてくれたって人にも礼を言わせてもらいたい」
「あいわかった。ただの人族なら向こう三年は奉公してもらうかほっぽりだす所だが、勇者となれば話は別さ」
「はは……勇者でよかったよ」
最初にリラが教えてくれた通り、勇者というだけで結構な無茶がまかり通る世界だ。
勇者ではない普通の人、数こそ多いものの種族として特別秀でた能力を持つわけではない人族を見下す他種族もいる。
もっともタマちゃんの場合はそういった偏見を持っているというよりは金にがめつい、もといしっかりしているだけなような気もするが。
「それと此処はサザンじゃない」
「え、そうなのか? けどタマちゃんのその格好、獣人族の民族衣装じゃ……?」
「確かに参考にはしているがね。こいつは仕事着さ。此処はラヴェル大陸の先端だよ」
「ラヴェル大陸!? 元居た大陸まで流されてきてたのか……」
地理的にベルカ大陸から最も離れているのがラヴェル大陸だ。一ヵ月眠っていたとは言うが、その前に海を何日漂流してたことやら。本当に運が良かったんだな……。
「大陸の先端って事はカイルの街だよな? 俺もそこから船を出してベルカに渡ったんだ」
一度は喧嘩別れしてパーティーを離脱したエリシアとこの街で再会して、もう一度パーティーに加えて海を渡ったんだよな……。
良い思い出であると同時に、再会しなければ、俺が受け入れなければ彼女を巻き込むことがなかったのにと、そんなもしもを考えてしまう。そんなこと今更考えても意味なんてないのにな。
「いいや。此処はカイルの隣街だよ」
「え? 近くに他の街なんてあったか?」
カイルは人族の首都を除けば人が治める街で最も大きい城塞都市だ。
時折、海を渡って現れる旧き王の軍勢を押し留める為に建設された街で、近隣の街は内陸の離れた場所にしかなかったはずだが……。
「勇者殿なら知らなくて当然さ。旧き王が現れる以前は有名だったが、城塞都市を作る為にわしらは追いやられて勇者たちの目に入らないように地図からも名前を消されてしまった」
「地図から消された……? 一体どうして?」
タマちゃんは袖の下から取り出した煙管に火をつけ、一息吐いて立ち上がった。
その時見えた横顔は何処か遠くを見つめていて、懐かしんでいるようにも、悲しんでいるようにも見えた。
「最初の勇者殿がこの街の存在を許容できなかったのさ。当時は劣勢で、戦況を覆す為にも強大な力を持つ勇者の機嫌を損ねるわけにはいかなかったからねえ」
「そんな街が……一体どうして?」
勇者がこれだけ優遇されているのも、その最初の勇者が功績がそれだけ凄いものだったからだ。
だけどどんな理由か知らないが、地図を書き換えてなかったことにするなんて職権乱用にも程がある。何がそんなに気に入らなかったってんだ?
「まあ昔の話さ。お前さんには関わりのないことだし、今となっちゃここに住む奴らもそれが当たり前だと受け入れている」
そう言ってタマちゃんは障子扉に手をかけ、開け放つ。
開いた扉から出発した時と同じ潮風が部屋の中に吹き込むと同時、差す夕日の光に目を覆ってしまう。
手で庇いながら、扉の向こうに目を向けると其処には夕日に負けないほどの、ネオンの輝きが至る所に散らばっていた。
「此処は歓楽異人街 ガーディウム──ま、一言でいえばフーゾク街さ」
ふ、ふ、ふ……、
「フーゾク街ぃいいいい!?」
序章、七話分の書き溜めは完了してますので今週は毎日更新を行います。
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