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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界カルト

作者: 黒井雛

『「宗教」という単語を耳にすると、すぐに「神」や「死生観」のような、いわゆる「スピリチュアル的な概念」と結びつける人間がいる。これは、「宗教」を狭義でしか捉えていない、あまりにも短絡的な考え方である。

 一つの信仰対象と、それにより発信され、信者によって共有されうる「何らかの概念」。この二つが存在している時点で、それがどれ程現実的な物事であったとしても、それは広義では「宗教」である。

 政治家。アイドル。ライター。ソーシャルネットワーク上で、「インフルエンサー」と言われている人間。さらにより身近な例を挙げるならば、「情報通」とされている、近所の噂好きのおばさん。

 信じるに価する情報をもたらしてくれる「教祖」となりうる人間は、社会のありとあらゆる場所に存在している。

 つまり、そこに情報を発信する「誰か」と、それを信じる「誰か」が存在した時点で、「宗教」は生まれるのだ。


 --そしてそうやって発生した現代宗教は時に、下手な「カルト宗教」なぞよりも恐ろしい、「狂気」をも生み出す。』

【日吉昊斗著『見えざる現代宗教と、その狂気』より引用】





「--それでは同志【聡明コンシリウム】。どうぞ今夜も、教祖様に与えられたその名に恥じぬ、模範的夜を」


「もちろんであります。同志【栄光グローリア】どんな時でも、教祖様は我々と共におられるのですから」


 立てた三本の指を右胸に当てる、信者独自の敬礼をしながら、同志【栄光グローリア】--坂本瑛子さかもとえいこと言う平凡な名前を持つ40代の女の背中を見送った。

 完全にその姿が見えなくなったのを確認し、アパートの自室へと続く扉を開き中に入る。着ていた服を脱いで、鞄の中を隅々まで確認し、いつものように盗聴器が無いかを確かめ終えると、俺はようやく我慢していた舌打ちを漏らすことができた。


「--何が『模範的な夜を』、だ。睡眠時間を制限することで、判断能力を低下させたいだけの癖に」


 いかにもカルト宗教らしい、唾棄すべき洗脳手法だ。実に忌々しい。


「……まあ、いいか。どうせ、今夜は眠れそうにないからな」


 何せ、ようやく告発原稿がクライマックスにさしかかってるのだ。あの糞カルト団体の指図がなくても、今日は徹夜だ。

 俺はパソコンに電源を入れると、システムの起動を待つ時間で、普段ネックレスとして身に着けているコンパクトを開く。


「もうすぐ……もうすぐだからね。梨花。……もうすぐ、お兄ちゃんが、お前を殺した糞カルト団体を崩壊させてやるからね」


 コンパクトの中で、いつもと変わらない楽しげな笑みを浮かべる梨花は、5歳。……永遠に5歳のまま。

 --糞カルト団体の【自然に治癒しない病は、神の御意志】と言う糞教えを信じた両親によって、肺炎にかかった梨花は、医者の診察も受けられないまま放置され、亡くなった。


「いや………見殺しにしたのは、俺も一緒か」


『梨花。梨花。大丈夫だからな。お前は、神さまに選ばれたんだ。少しの間、苦しいの耐えたら、楽園に行けるから。だがら、もう少しだけがんばるんだぞ』


 熱に苦しみ喘ぐ梨花に、6歳だった俺は、そう言って笑いかけた。

 当時の俺は、両親に言われるままに、糞カルトの教えを盲信していて。

 肺炎によって梨花が死ぬことは、神の意志なのだと。そうやって死んで楽園に行くことが、梨花にとって一番の幸福なのだと、そう信じていた。


 --子どもを虐待死させたとして、両親が逮捕され、養護施設に入って初めて俺は、今まで信じていた教え全てが異常なものであったことを知った。


『楽園に行けても……おにいちゃんがいないなら、やだなあ』


 そう言っていた梨花の為に、後を追おうとも考えた。

 未遂に終わったが、実際行動に移したこともある。

 ……だけど、俺には、死ぬ前にどうしても果たさなければならない使命があった。


 両親が逮捕された以降も、さらに信者を増やし拡大していった糞カルト宗教。--それを、必ず俺の手で壊滅させる。

 その内部事情と、悪辣な洗脳手段を赤裸々に綴った「告発本」を世間に公表することで。


 何年もの間、俺は耐え忍んできた。

 従順で活動熱心な信者を装い、内部事情を探りながら、その裏で徹底的に宗教の仕組みや洗脳の手法等を学んだ。他カルト宗教の告発本があれば、熱心に読み込み、俺が所属する宗教団体との共通性と差異を分析した。

 信頼ができると判断した出版社に密かに渡りをつけ、自分の本を熱心に売り込んで、出版を約束させた。

 長く苦しい日々だったが、後はもう、最後の仕上げを済ませ、原稿を出版社に届けるだけ。

 ようやくだ。……ようやく、復讐を果たせる。

 たとえ公表した結果、他の信者から殺されたとしても構わない。

 全てを果たした後なら、俺は嘲いながら逝ってやる。


「……必ずぶっ潰してやる」


 一人拳を握り締めながら、システムが起動し終わったパソコンに向き直った時、スマートフォンが鳴った。


「……絵美?」


 絵美は俺の恋人であり、同じく糞カルトにより家族を殺された被害者であり、俺の復讐に賛同してくれる同志でもある。

 今の俺の状況は絵美も分かっているはずなのに、一体何故こんな時間に電話をして来たのか。


「絵美? どうした?」


『……ごめんなさい! 今、貴方が大事な佳境にいるって分かってるけど、とにかく大変なことが起こったの! 今、部屋の前にいるから、鍵を開けてちょうだい!』


 絵美の声はひどく切羽詰まっていた。

 もしかしたら、計画が糞カルト団体にばれて追われているのかもしれない。ならば、一刻も早く彼女を安全な室内に避難させねば。


「--今、開けるっ」


 慌てて扉を開けると、そこには今にも泣き出しそうな顔の絵美が立っていた。絵美は俺の顔を見るなり、くしゃりと顔を歪めて、そのまま胸元に飛び込んで来た。


「っ」


 次の瞬間、カッと腹部が熱くなった。


「--同志【聡明コンシリウム】。貴方は教祖様に対し、恐れ多くも謀反を企てました。私は貴方の隣で、改心の余地がないか今日まで探っていましたが、残念ながら貴方は救いようがない背信者だったようです。よって私【静寂シレンティウム】が、教祖様の命のもと、貴方を粛清します」


 淡々とそう呟く絵美の手には、大ぶりのナイフが握られ、その刃先は俺の腹部に深々と食い込んでいた。


 ……そんな……嘘だろ。

 

 まさか、絵美が俺を裏切るなんて。


「……俺の、計画に賛同してくれていたんじゃ……」


「貴方の内情を探る為の、演技です。騙されてくれてよかった」


「姉が、殺されたと……!」


「ええ。神の御意志で楽園に召されました。素晴らしいことです」


 腹部から滴り落ちた真っ赤な血が、足元に溜まっていく。

 激しい痛みと苦痛に喘ぎながらも、俺はただただ唖然と、狂気に目を染めた絵美を眺めていた。

 

 ……俺の監視の為に近づいたというのは、別にいい。騙された俺が、馬鹿だった。


 だけど……それでも、誰よりも近くで、俺の言葉を聞いていたはずなのに。

 カルト宗教のやり口も、汚い内情も、全て詳細に語ったはずなのに。


「………ごめんなさい。本当は何とかして、貴方の考えを改めて『救って』あげたかったの」


 それなのに、どうして。


「だけど……私は無力で……こんな方法でしか貴方を『救えなかった』」


 どうして………こんなにも、俺の声が届いていないんだ?


 どうして、目を覚ましてくれない?


 そっと俺の頬に触れながら静かに涙を流す絵美の姿は、慈愛に満ち溢れた優しいもので。--彼女が心から「俺を救いたい」と思っているのが伝わってきた。

 ……この理不尽な「殺人」を、「魂の救済」だと、絵美は心から信じている。


「最初は、全て演技だったけど……いつの間にか、本当に貴方のことを愛していたわ」


 口づけと共に、ナイフを一層深々と刺され、喉から絶叫が漏れた。しかし、絵美はそんな俺に愛おしげに笑いかける。


「だから、私の手で、貴方を楽園に送ってあげるの……謀反は未遂に終わったのだから、楽園の永住権までは取り上げないって教祖様もおっしゃってたわ。だから、どうか妹さんと楽園で安らかに過ごしてね」


 目の前が、霞んでいく。


 ……ああ、宗教という奴はなんて。


 なんて。


「お休みなさい。⚫⚫⚫」


 --名前を呼ばれると同時に、俺の意識は深い深い暗闇へと落ちて行った。





「--おはよう! カルト! テフヤにエサをやる時間だよ」


 聞き慣れた愛らしい声で、俺は覚醒した。


「ほら、『汝は勤勉であれ』よ。夜明けと共に、ナハル神に祈りを捧げて働かなくちゃ」


「……ああ、そうだな。今、起きるよ……」


「ほらほら、お祈りはー?」


「………ああ。『ナハル神様。どうか、今日も我らに健やかな一日を与え給わんことよ』」


 金色の巻き毛を揺らしながら、腰に手を当てて俺を諭す6歳の幼なじみリッカ。

 同じく6歳の俺は彼女に微笑み返してやりながら、内心でため息を吐いた。


 多神教国家イズミラ。……この奇妙な異世界に、「カルト」という皮肉な名と共に生まれ変わったことを、前世の記憶と共に知ったはつい最近のことだ。

 宗教を憎み嫌って死んだ俺が、生まれ変わったのは、皮肉にも様々な宗教によって支配された国だった。


「さあ、テフヤー。ごはんだよ。いっぱい食べて大きくなるんだよー」


 羊に似た生き物に餌をやるリッカを横目で見ながら、俺は水の入れ替えをする。

 村共同の家畜小屋の手入れが終われば、次は共同畑の手入れに移る。「勤勉であること」が宗教の軸であるこの村では、子どもであろうと関係なく、日が上ってから日が落ちるまで一日中働いている。……と、言っても、この小さな小さな村の子どもは、俺とリッカだけなのだが。

 女王により統治されているイズミラは、村によって宗教が異なり、そしてその信者数の数に応じて村の発展具合が変化する、奇妙な国だ。

 俺とリッカの家族、教祖様の家族。後は片手に余るほどの世帯しかいないこの小さな村は、畑を耕すのも家畜の世話も、ほとんど全て手作業で、生活の何もかもが中世レベルの前時代的な状態だ。

 だがしかし、信者数が多い大きな村ほど文明レベルが上がり、王都に至っては何と、現代日本にも存在しなかったロボットすら兵士として使われていると言う。

 富める者に、貧する者。その間には、けして越えられない高い壁が存在する。

 あまりも不平等で、歪つな、狂った国。それが、イズミラだ。

 そして俺達国民は、国の外の世界を誰も知らないでいる。そもそも外に世界があることすら、思い至らないのかもしれない。……ただ一人、前世の記憶がある俺を除けば。


「……なあ。リッカ。お前は王都に行きたいとは思わないのか」


 畑の作物についた害虫を、一つ一つ取り除きながら、傍らで雑草を取るリッカに話かける。


「何でそんなことを思うの?」 


 リッカは若草色の瞳を丸くして、手を動かしたまま上目遣いに俺を見上げた。

 

「だって王都は大きくて、人もたくさんいて、便利だろ? 改宗さえすれば、お前も王都の住民になれるのに……」


「変なカルト。そんなの、全然うらやましくなんかないよ」


 土で真っ黒になった手で流れる汗を拭い、頬を汚しながらリッカは笑った。


「毎日ちゃんとごはんを食べられて、お父さんとお母さんが笑ってて、隣にはカルトもいてくれるのに、これ以上何を望むの? こんな幸せをくれるナハル神様に、私は心から感謝してるよ」


 その屈託のない笑みに、俺は言葉に詰まった。


 ……確かに村は貧しいが、ナハル神を信仰することで皆が清貧を尊び、幸福そうに暮らしているのも確かだった。

 与えられるものに満足し、家族を慈しみ、労働の汗を誇りに思う。

 現代日本の思考を受け継ぐ俺からは、自己欺瞞のようにしか思えないその信念は、確かに村の人達の生きる糧となっている。


「………それにさ。この村には、私とカルトしか同年代の子どもはいないし」


「え?」


 もじもじと照れ臭そうに頬を染めながら、リッカははにかむ。


「この国では、同じ宗教を信じる者同士じゃないと結婚できないから……大人になったら、自動的に私、カルトのお嫁さんになれるじゃない」 


「……リッカ」


「カルトのお嫁さんになれるなら……私はいくらでもナハル神様に感謝を捧げるよ!」


『……私、おおきくなったら、おにいちゃんのおよめさんになるの!』


 そう言って笑ったかつての梨花の姿と、目の前のリッカが重なって見えた。

 西洋風の顔立ちのリッカと、純日本人の梨花とでは、顔だけなら、似ても似つかない。……だがしかし、その言動は驚く程、似ていた。

 梨花と、リッカ。名前の類似も、ただの偶然なのだろうか。


 もし梨花もまた……俺と同じように、この世界に転生していたとしたら。

 前世では迎えられなかった、6歳を無事に迎え。そしてその先をも、今世こそ迎えようとしているのだとしたら。


「……それじゃあ、カルト。森に木の実を採りに行くよ?」


 照れ臭さを誤魔化すように、早口でまくし立てるリッカに、俺は込み上げる涙を堪えながら、笑いかけた。


「……ああ。そうだな。行くか」


 --それならば、この笑顔だけは、今度こそ俺が守り抜いてみせる。

 リッカが望むのならば、宗教に対する嫌悪感すら押さえ込んで、この歪つな宗教の枠組みにも甘んじてやる。

 

 だから今度こそ……今度こそどうか、幸せになってくれ。


 先に行く、リッカの背を慌てて追いかける。

 この、歪つでありながら、穏やかな幸福な日々が、いつまでも続くことを願っていた。


 願っていた、のに。




「………母さん。急に聖堂に集まるなんて、一体何があったの?」


「静かになさい。カルト。……今から、教祖様のご子息から、大事な説明があるから」


 その夜。けして広くはない村の聖堂に、村中の人間が集められた。

 大人は皆顔が強張り、悲痛な表情を浮かべていた。

 何も知らされていない、俺とリッカだけは、その今までにない大人達の異常な雰囲気に困惑していた。


「……ああ。ご子息がいらっしゃったわ」


 ナハル神教の教祖は、60を超える穏やかな初老の男で、その息子はまだ40前くらいだった。

 彼は、他の大人同様、暗い顔で皆に向き直った。


「先程……父が病で息を引き取りました」


 嘆きの声が、次々と大人達の口から漏れる。

 なる程。最近教祖の姿を見ないと思ったら、病気だったのか。

 つまり、今回の集会は彼の死を悼むと同時に、教祖の代替わりを伝える為に開かれたわけだな。

 一人納得した俺の耳に続いて飛び込んで来たのは、信じがたい言葉だった。


「ナハル神教は父が一代で築き上げたもの。父と共に滅びるのが当然ですし、女王陛下もそのように判断されました。……よって我ら信者一同、共に自決して父の後を追い、ナハル神様の御許に召されましょう。我らの教えは、そうして永遠となるのです」


 --何を、言っているんだ。この男は。


「ああ、当然です……! 我らの運命は、教祖様と共に!」


「教祖様、万歳! ナハル神様万歳!」


「ああ、愛する家族と共にナハル神の御許に行けるなんて、なんて幸せなんでしょう」


 咽び泣きなから賛同する大人達が、化け物に思えた。

 つい昨日までは、優しく穏やかな人達だったのに。

 村全体が、血の繋がりを超えた「家族」のように思っていたのに。


「--ナハル神様! 今、貴方様の御許に参ります!」


 最初に行動に移したのは--俺の、父親だった。

 父は握ったナイフを自身の首に当て、躊躇いなくそのままかっ切った。

 切った首からは噴水のように血飛沫が噴き出し、傍にいた俺の顔にも生温かいそれが降り注いだ。

 大柄な父の体がぐらりと傾き、どうっと倒れ込んだ瞬間、誰からともなく拍手が上がった。

 ただ一人、リッカだけが声をあげて泣き叫んでいた。


「ああ、流石イヤフ! 信者として恥じない、ご立派な最期でした。それでは、私達も、続きましょう。……ああ、そうそう」


 教祖の息子の目が、俺とリッカに向けられた。


「……カルトとリッカは幼過ぎて、自分で天に召されることはできないでしょう。お母様方は必ず、二人を先に神の御許に運んでから、自決して下さい」


 一瞬にして、口の中が、からからに乾いた。

 錆びついたように動かない体を必死に動かして、後ずさりをしながら母へと向き直った。

 背後では、リッカの父親が自決した声と、さらに一層高く上がったリッカの叫びが聞こえてきた。


「……かあ、さん……ねえ、まさか、従わないよね……」


 脅える俺に、母はいつもと変わらぬ慈愛に満ちた笑みを向けた。

 その笑顔は--いつか見た、絵美のそれとよく似ていた。


「……怖がらなくて、良いのよ。カルト」


「あ……あ………あ………」


「一緒に神様の所に行くだけだから……お父さんが、待ってるわ」


「あ………あああああああああああ」


 口からは、意味にならない声が漏れた。

 これがあの、優しかった母の、真実の姿だったのか。

 この人は違うと……前世の母とは違うと、信じていたのに……!

 結局、前世と何も変わらないじゃないか……!


「ほら、カルト……大人しくして頂戴。苦しいのは、一瞬だけよ」


「……嫌だっ!」


 伸びてきた母の手を必死に振り払った、その時だった。


「--嫌だ! お母さん、私、嫌! 私、まだ死にたくない!」


 背後から聞こえて来たリッカの悲痛な叫びが、俺を恐怖から呼び戻した。

 振り返った先には、母親から今にも絞め殺されようとしているリッカの姿があった。


「……リッカ!」


 俺は母の手から逃れると、リッカの首を絞めようとしていたおばさんの体を、全力で突き飛ばした。

 そして解放されたリッカの手を握り、そのまま走り出した。


「逃げるぞ、リッカ!」


「……うん!」


「待ちなさいっ、二人共!」


 背後から聞こえてくる大人達の制止を振り払い、ただ必死に足を動かして、聖堂を後にした。

 子どもの足では、そう遠くには逃げられない。

 すぐ近くにある家畜小屋に逃げ込み、積み上げた干し草の陰へと身を隠した。


「………大丈夫か? リッカ……」


「………うん。ありがとう。カルト」


 緊張の糸が切れたのか、次の瞬間リッカはぼろぼろと大粒の涙を零して泣きだした。


「……お父さん、死んじゃった……」


「……ああ」


「お母さんは、私は殺そうとした………」


「……そうだな」


「怖い……怖いよ。カルト……みんな、どうしちゃったの? 私……私……まだ、死にたくない………カルトと生きたいよ」


 しゃくりあげながら震える、その小さな体を抱き締める。


「大丈夫だ、リッカ………必ず俺が、お前を守ってみせるから……」


 そう囁いた瞬間、家畜小屋の扉が開いた。


「……カルト? リッカちゃん? いるんでしょう。出てきなさい」


 小屋の中に響く俺の母の声に、俺達は抱き合ったまま身を固くした。


「ナハル神様の御許に行くのは、幸せなことなのよ。怖くないわ」


 近づいてくる母親の気配に、俺は近くにあったスコップへと手を伸ばす。

 殺されるくらいなら、実の母親でも殺す覚悟は出来ていた。

 腕の中で震える、この小さな女の子を守る為なら、俺は何でもしてやる。


「--二人共っ! 早く出てきなさいっ! 時間がないのよ!」


 ……時間がない? 一体何のことだろう。

 先程より明らかに切迫詰まった、ヒステリックな母親の声に、俺は少しだけ身を乗り出して、干し草の陰から母を動向を探った。


「早く……早く、自らの手で天に召されないと………女王陛下の兵士が私達を粛清に来る! そうなったら、私達は背教者として、ナハル神様の御許に召されることができなく……っ!」


 --次の瞬間、母の腹から、機械の腕が生えていた。

 真っ赤な血飛沫が、家畜小屋に敷かれた干し草を、赤く染めた。


【此方328号。粛清対象捕捉。ナハル神教信者。信仰度52%。一人粛清ニ伴イ、信仰度36%マデ低下。目標値デアル70%ヲ下回ル為、粛清ヲ続行スル。現存信者数3名】


「何だ……あれ」


 腹を一突きで突き破り、母を絶命させたそれは、特撮やアニメでしか見たことがない、ロボットの兵士だった。

 血に濡れた腕を回転させて血糊を払いながら、赤外線感知カメラのような目を動かして、真っ直ぐこちらに向かってくる。


【147号ガ信者1名ヲ聖堂付近デ発見。粛清完了シタ模様。現存信者数2。信仰度11%マデ低下。粛清ヲ続行スル】


「どうしよう、カルト………あれ近づいてくるよ」


【干草ノ陰ニ、2名分ノ生態反応感知。粛清ヲ進メル】


「……私達……殺、されちゃうっ……」


 カタカタと歯を鳴らして震える、リッカの体を強く抱き締める。

 母が殺されてなお、女王のロボットが俺達の命を狙う。--まさに絶体絶命な状況だった。


 このまま俺達は、殺されてしまうのか?

 また、前世のように、糞カルト宗教のせいで、惨めに死んで行くことになるのか?

 何か……何か方法はないか。

 生き残る方法が、何か……!


 --その時、前世で読んだ論文の一節が、脳裏に過ぎった。


『一つの信仰対象と、それにより発信され、信者によって共有されうる「何らかの概念」。この二つが存在している時点で、それがどれ程現実的な物事であったとしても、それは広義では「宗教」である。』


『信じるに価する情報をもたらしてくれる「教祖」となりうる人間は、社会のありとあらゆる場所に存在している。

 つまり、そこに情報を発信する「誰か」と、それを信じる「誰か」が存在した時点で、「宗教」は生まれるのだ。』


 ……ああ、そうか。それならば。


「リッカ………俺を信じられるか?」


「え………」


「ナハル神よりも、何よりも……俺を信じると誓ってくれるか? その命を懸けて俺に着いてくると、そう言ってくれるか?」


 時間は、ない。

 ロボットは、もうすぐそこまで迫っている。

 確証も、ない。

 このまま何をしても、俺達は殺されるのかもしれない。


 だけど、もしも。もしも、俺の仮説が正しかったなら--。



「--信じるよ」


【--粛清対象捕捉】


 ロボットの目がこちらを捉えたのと、リッカの言葉は同時だった。


「私を殺すことを命じるナハル神なんかより、私を生かそうとしてくれるカルトを、私は信じる! ……それに、私は世界で一番カルトが大好きだから! カルトの為なら、命だって惜しくないよ!」


「聞いたか、ロボット--否、女王陛下!」


 きっと女王は、ロボットのカメラ越しに粛清光景を眺めている。

 ならばきっと……通じるはずだ。


「ここに新しい宗教の発足を……新生カルト教の発足を宣言する! 神と教祖は、俺。信者はリッカ。……現信者はリッカのみですが、時間をもらえれば、必ず女王陛下から与えられた目標値を達成する信者数を獲得すると誓います! だからどうか今は、俺達を生かして下さい!」


 俺の叫びに--俺達の頭をを叩き潰すべく振り上げられていたロボットの腕が、止まった。


【………信者数1。信仰度96%--新生カルト教ノ創立ヲ認メル】


 ……やった。俺の仮説は正しかった。

 俺達は、助かったんだ!


 しかし、浮かれる暇もなく、ロボットは残酷な現実を告げた。


【創立ミッション1。三カ月以内ニ5名以上ノ新タナ信者ヲ獲得シ、平均信仰度ヲ80%ニ保ツコト。達成シタ場合、教祖カルトニ、コノ村ノ支配権ヲ与エル。ナオ、信者数ノ増加ニ反比例シ、目標平均信仰度ハ低下スル】


「……他宗教への、改宗の許可は」


【教祖カルトハ、認メラレナイ。目標ガ達成デキナイ場合、粛清対象トナル。信者リッカハ、信仰度ガカルト教ノ信仰度ヲ上回ッタ場合ノミ、改宗ヲ認メル】


「改宗前に、リッカの俺に対する信仰度が80%を下回った場合は……」


「信者数1人ノ場合、信仰度90%ヲ保ツ事ガ、創立ノ条件トナル。90%未満ニ低下シタ場合ハ、ソノ時点デ、教祖、信者共ニ粛清対象トナル」


 つまり………俺を仰ぐ熱心な信者を5名以上集める前に、リッカの俺への信頼が低下した時点で、リッカは俺共々粛清対象化。

 その上リッカがよほど心酔できる新たな宗教を見つけられない限り、リッカだけでも他の村に逃がす事もできないというわけか。

 しかも、信者獲得にかけられる期間は、僅か三カ月。--なんて、厳し過ぎるミッションだ。


「ナオ、ミッションヲ達成シ、信者数ガ一定数ニ達ッスルゴトニ女王陛下カラ富ガ分配サレル。ソレヲ励ミニ、精進スルヨウニ。--ソレデハ健闘ヲ祈ル」


 それだけ言い残すと、ロボットは俺達に背を向け、王都に向かって飛び去って行った。

 あちこちに死体が転がる血生臭い村の中に、ただ俺とリッカだけが取り残される。


「……カルト。私達……助かったの?」


 不安げに尋ねるリッカに、俺はゆっくり首を横に振った。


「リッカ………カルトじゃない。カルト『様』だ」


「………え?」


「今日から、俺はお前の神だ。これからお前は、俺をナハル神のように崇めなければならない。……お前が、生きることを望むのならば」


 困惑を隠せないでいるリッカの姿は、もう梨花とは被らなかった。

 この娘は、梨花じゃない。--梨花であって堪るものか。

 もしリッカが梨花だったとしたら……何で神はこの娘にだけ、こんな残酷な試練を背負わせるんだ。

 ただ純粋なだけで、何の罪を犯したわけでもない梨花が、何で前世に引き続いて、宗教による理不尽な不幸を負わなければならない?

 そんなはずない。梨花はきっと、俺の知らないどこかの世界で今世こそ、幸せに暮らしているはずなんだ。

 ……そんな目に遭うのは、俺一人だけで十分だ。


 この娘は梨花じゃない。

 梨花じゃない。……それでも。


「リッカ……必ず俺は、お前を守るからっ………お前だけは、俺が守るから………だから俺を崇め、従ってくれ」


 それでも……俺は、お前を守るよ。

 6年間共に過ごした、愛しい幼なじみのお前だけは、必ず。

 その為なら、俺は忌み嫌っていた前世の知識だって利用してみせる。


 ……これから俺は、あれほど忌み嫌っていた前世のカルト教祖の真似をすることになるのだろう。

 宗教の運営法も洗脳手法も、全て模倣し、状況に合わせて応用を加えながら、俺を崇める信者を増やしていくのだ。


 ただリッカと二人で、この狂った国を生き抜く為に。


「……はい。カルト様」


 --リッカの目に、覚えがある「狂気」が宿るのが見えて、俺は込み上げるやるせなさに、ただ唇を噛んだ。


【新生カルト教 現信者数:1名】

 


 



 





 


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― 新着の感想 ―
[良い点] カルトに苦しめられてた主人公がカルトの手法を利用していくことになるの激アツですね! めちゃめちゃ面白かったです!
[良い点] 初めまして。  ラストの主人公の悲壮感溢れる決意と、幼馴染が狂信に染まり始める描写がなんとも苦味が深く、とても良かったです。
[良い点] すごい面白かったです! [一言] とても続きが読みたくなる終わりかたをしてて、 思わず唸ってしまいました! これからカルト君がどれだけの人を狂気に 誘い込むのか、すごく気になります! 貴…
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