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34-3:裏切り

 これは、俺自身がまいた種だ。


 ルシフェルを最も知っているからこそ、俺は『あの時』の謀反が信じられなかった。それを選ばざるを得なかった『何か』が、ルシフェルの身に起こったとしか考えられなかった。

 だから俺は、堕天した彼女に会って真実を知れば、俺が愛した()()使()ルシフェルを取り戻せると思っていたのだ。


 そんな俺に、腹心の部下である座天使ラジエルが、何度も言っていた。「彼女の犯した罪をいまだに許すことができない」と。

 四大天使であり、俺の弟でもある熾天使ウリエルが、人間界のパストラルの街で起こった襲撃のとき、俺に諭すように言っていた。「過ぎ去った時間は戻らない」と。


 それを聞いておきながら、天使たちの深い傷を知っておきながら、それでも俺は、どこかで『許される』と過信していた。



 力なく剣を落とす俺を見て、サキュバスが声を張り上げる。


「ルファ、逃げて!」


 構えていた剣を振りかざし、サキュバスがガブリエルの懐へと飛び込んでいった。

 だがガブリエルの脇から、彼の従者の座天使がスルリと現れる。そして、その従者が放つ光の鎖により、サキュバスの体はあっという間に縛りつけられた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 絶叫とともに、サキュバスは地面へと崩れ落ちる。巻き付けられた光の鎖からは煙が上がり、肉が焦げるような臭いがした。


「サキュバス!!」


 庭の芝生に座り込んでいたルシフェルが、前のめりになって悲鳴のように叫ぶ。

 しかし、サキュバスは苦痛に耐えるうなり声をあげるだけで、ルシフェルを見ようとはしなかった。


 地面で(もだ)えるサキュバスを、ガブリエルが(さげす)むような目で見る。


「夢魔ごときが、熾天使に手向かうなど愚かな」


 その言葉を聞いたルシフェルは、ガブリエルを(にら)みつけた。


「私一人で十分でしょ!? サキュバスは解放して!」


 ガブリエルがわずかに首を(かし)げる。


「はて? 要求できるような立場か?」


「くっ……」


 唇を()むルシフェルを見たガブリエルは、満足そうに笑った。


「この夢魔の命運は、おまえ次第だ」


「……」


 ルシフェルはガブリエルを刺すように見上げると、()っていた芝生を握りしめる。

 その様子を見ていたハルが、ゆっくりとした足取りでガブリエルから離れた。そして、地面に両手足を突いて、ガブリエルを睨みつけるルシフェルの前へと立つ。


「私は、自分が生まれたせいで母を死なせたと、ずっと苦しんでいたわ。あなたは、それを見てどう思っていたの? 私があなたのことを大好きだと言う(たび)に、あなたは心の中で私を笑っていたの?」


 恐ろしいほど冷淡なハルの口調。

 ルシフェルの視線は、木の葉のように左右へ揺れながら下へと落ちた。


「……」


「どうして黙っているの? ねぇ、私は、何のために生かされてきたの?」


「……」


「答えてよ!!」


 ハルの叫びは、周りを囲む能天使たちの怒りと同調するように空気を震わせる。

 俺は拳を握りしめ、それをただ見ていることしかできなかった。


 (うつむ)いていたルシフェルの肩が小刻みに震え始める。

 離れるのを拒むほど大切に思っていたハルに(なじ)られて、泣いているのだろうか? そう思った次の瞬間、顔を上げたルシフェルは高々と笑い始めた。


「アッハッハッハ!」


「ル……ファ……?」


 光の鎖に締め上げられ地面に転がっているサキュバスが、不審そうにルシフェルを見上げる。

 周囲に響き渡る甲高い笑い声は、程なくしてピタリと止む。

 あとに残ったのは、今までハルに見せたことがないであろう、卑しむようなルシフェルの視線だけだった。


「何のために生かされてきたかですって? おまえの言う通り、私が楽しむために決まっているじゃない。おまえが悩み苦しむ姿を見るのは、本当に愉快だった。おまえの祖母もおまえの母親も、泣き喚きながら私に魂を喰われた。おまえの血族が獣に食い千切られるように、悪魔にその身を引き裂かれる景色は、今思い出しても笑いが込み上げてくる。けれど、何よりも愉快だったのは、そんなことも知らずに、私を慕うおまえの滑稽な(さま)よ。いつも思っていたわ。この事実を知ったおまえが、どんな表情をするのだろうと。絶望に打ちひしがれ、悲しみに暮れるのだろうか? 母親たちのように喚き散らして、私をののしるのだろうか? 考えただけでも、毎日ゾクソクして……」


 パァァン!


 乾いた音が、ルシフェルの言葉を遮る。

 見ると、怒りの形相のハルが、ルシフェルの頬を平手で打っていた。


「最低……」


 ボソリと言うハルに、ルシフェルは赤くなった頬を片手で抑えながら睨みつける。


「最低ですって? おまえこそどうかしている。私が、本気でおまえを愛しんでいたとでも? 私は地獄(ゲヘナ)の支配者ルシファーよ? おまえごとき醜いヒトの子に心を寄せるなんて、あるわけがないわ」


 ハルも大粒の涙を瞳にためながら、ルシフェルに鋭いまなざしを向けた。


「許さない……。絶対にあなたを許さないからっ!」


 ルシフェルは、口角を上げて醜く笑う。


(もろ)いだけのヒトが何を言う。その憎しみを抱えたまま、老いて死んで行くしかできないくせに」


「……」


 ハルは握りしめた手の甲で、いまにも流れ落ちそうな涙を拭うと、スカートのポケットに手を入れた。

 そこから取り出したものを、ルシフェルに突きつける。


「これ、本当は、天界(ヘブン)の湖に捨てようかと思ったの。でもそれでは、私からは母たちを奪ったあなたと同じになってしまう。私はあなたみたいにはならない。だから、これはあなたに返すわ」


 そう言うと、ルシフェルに突きつけていた白銀のロケットペンダントを持つ手の力を緩めた。

 二人が人間界で別れる際に、ルシフェルがハルに託したロケットペンダント。それが、彼女たちの間にポトリと落ちる。ルシフェルは、それを無言で見つめた。


「さようなら、ルファ」


 ハルはつぶやくように言うと、すぐさま背を向け、助けを求めるようにガブリエルにしがみつく。

 ハルを守るように抱き留めたガブリエルは、俺たちを見回した。


「こいつらを天界(ヘブン)(ろう)へ。ミカエル、おまえも天界(ヘブン)を欺いた(とが)で拘留する」


「……」


 俺の中で、長年築き上げてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れていく気がした。

 すべての発端は俺が犯した過ち。だとすれば、俺はこの先どうすればよい?



「申し訳ございませんが、あなた様を拘束いたします」


 俯く俺の体に、カマエルが触れようとした。俺はその手を、思い切り払い除ける。

 予期せぬ俺の行動に、カマエルは驚いた顔でその場に固まった。

 俺は鋭い目つきで彼を見据える。


「私に……私に容易く触れるな……。私は『神に似たもの』最高位天使ミカエルであるぞ?」


「し……失礼いたしました……」


 突然の俺の豹変(ひょうへん)にたじろいだカマエルは、慌てて後ろへと下がった。


 俺はぐるりとその場を見回すと、暗黒色のローブを脱ぎ捨てる。そして、周りを囲む天使たちに見せつけるように、六枚の純白の翼を解放した。


 俺は爪が食い込むほどに拳を握りしめながら、前へと歩き始める。



 俺たちを取り囲む天使たちの、負の感情が満ちる空間を切り裂くように。

 サキュバスの「なぜ?」と、俺にぶつける非難の視線を振り切るように。



 このとき、俺の頭に『あの子』の顔がふと浮かぶ。


 すべての負をその身に受け、消えるためだけに人間界へ産み落とされた『神の子』。ヒトが放つ増悪の中、彼は終焉(しゅうえん)の丘へと向かう。その傍に寄り添うことしかできなかった俺が味わった感覚。それがまざまざと(よみがえ)った。



 ここは……俺がいるこの場所は、一体どこなんだ?



 (まと)わりつく闇に触発され、俺の中で深く沈めていた黒い油塊が湧き上がる。

 抑え込まなければならない感情だった。だが今の俺には、それを抑えられるほどの気力がうせていた。

 そしてたった一つの疑念だけが、俺を支配しつつある。



 神はなぜ、このような世界を創り出した?



 俺はどす黒い油塊を引きずりながら、さらに歩みを進めた。

 この場で唯一、俺を見ないルシフェルの姿を視線の端で捉える。



 どうして、いつも俺たちなんだろうな?



 俺は無言でルシフェルに訴えた。



 ほかに選択肢があったのだろうか? 俺たちは、()()それを見失っていたのだろうか?



 ルシフェルが答えるわけもなく、俺は彼女の横を通り過ぎる。

 さらに先には、顔を伏せ、ガブリエルにしがみつくハルがいた。俺は、その横で立ち止まる。


「……」


 気配に気づいたハルは、そっと俺を見上げた。

 絶望と悲しみに暮れる表情の中で、彼女は俺に何かを訴えていた。


「……」


 何かを言わねばならない。ハルの救いになる言葉を。そう思いはするものの、感情がまひした俺には、彼女にかける言葉が出てこない。

 俺は黙ったまま、ハルの傍らに立つガブリエルへと視線を上げた。


 冷ややかにこちらを見るガブリエルに向かって、俺は自分でも驚くほどに冷淡な口調で尋ねる。



「これが、天界(ヘブン)の在るべき姿だというのか? ガブリエル」



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