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33-2:虚像

 マモンが七十二柱の前で語った『計画』と、アスタロトが語るルシファーの『計画』は大きく異なっていた。

 しかし、何か証拠が示されたわけではない。アスタロトの戯言だと言い切ってしまえばよかった。にもかかわらず、マモンは呪縛に捕らわれたかのように言葉が出ない。


 この『計画』の出所を問いただしたアスタロトは、目の前で固まるマモンを見てせせら笑った。


「答える気はないか。まぁよい。アガレス、例のものをこちらへ」


 そう言うと、左の手のひらを上に向ける。

 悪魔の群れからおずおずと出てきた七十二柱序列二位のアガレスが、くるりと丸められた紙をアスタロトの手のひらへそっと乗せた。


 裏切りやがったな……。こちらを見ようともしない濃紺のフードを被ったアガレスを、マモンはギリギリと(にら)みつけた。

 アスタロトはアガレスから受け取った紙を、自分の胸の前で大事そうに両手で持ち直す。


「そなたの『計画』を聞いたあと、わらわの屋敷を(くま)なく調べた。すると、屋敷のグールの中に、主が不明のグールがおってな」


「……」


「そのグールは、どんなに痛めつけても真の主の名を口にしない。そこでムルムルを呼び寄せた」


 七十二柱序列五十四位、公爵ムルムル。この悪魔は、死者の魂を扱うことに長けているネクロマンサーだ。

 最下級の悪魔グールは、ヒトの死者に近い虚ろな存在。彼の力をもってすれば、グールから真実を吐かせることなど造作もないだろう。



 暗緑色のローブを(まと)い公爵の冠を被ったムルムルは、銀色の(よろい)に左手を当て一歩前へと進み出た。


「私がアスタロト様のお屋敷に着いた頃には、そのグールは滅びかけておりました。ですが、なんとか主の名を聞き出すことができました」


「……」


 マモンは眉をひそめる。

 ムルムルの言葉を引き取るように、アスタロトが口を開いた。


「そこでわらわは、ムルムルとさらにバアル、アガレスを連れ立って、わらわの屋敷にグールを潜り込ませた者の屋敷を調べることにした」


 アスタロトの言葉を聞き、マモンは舌打ちしそうになるのをぐっと堪える。


「その者はちょうど不在でな。存分に屋敷を調べられたぞ。そして、これを見つけたのだ」


 アスタロトは勝ち誇ったように、丸くなった紙を広げ、マモンへと突き付けた。


「これは、わらわがルシファー様から直々に頂いた書簡じゃ。そこには、先ほど話した『計画』の一部が書いてある。さて、アガレス。この書簡を見つけた場所は誰の屋敷だった?」


 突然名指しされたアガレスは体をビクリと強張らせ、躊躇(ためら)い気味に言う。


「……マモン様の……お屋敷でございます」


「うそだ! そんなはずはない!」


 マモンは思わず叫んだ。


 確かに、グールをアスタロトの屋敷に潜ませてはいた。アストロだけではない。主要な七十二柱の屋敷には、マモンのグールがひそかに潜り込んでいる。だが、これはマモンに限った行為ではない。地獄(ゲヘナ)では、そういったことは当たり前に行われていた。

 だが、アスタロトが突き付ける書簡には見覚えがない。マモンがルシファーの『計画』を知ったのは、自分の『影』を使い、クリンタ宮殿の内廷を探ったからだ。


 マモンは、アスタロトの斜め後ろにいるベルフェゴールに目をやる。

 こいつの策略か……。だがなぜ? と疑問が湧き上がった。

 マモンと同じく魔王ルシファーの血を受け継ぐ七大君主の一人ベルフェゴール。しかし、変わり者の彼には、王座を狙う野心はない。しかも、女型のアスタロトを嫌っている。それにもかかわらず、彼女に手を貸すとはどういうことか? そこまで考えて、マモンはこちらを見る強い視線に気がつく。


「すべてはおまえの差し金か、ベルゼブブ」


 ベルゼブブは無表情なまま、わずかに首を(かし)げた。


「さて、何のことでございましょう?」


「おまえ……」


「マモン様、残念ながら、あなた様を拘束しなければなりません」


 感情のこもらないベルゼブブの言葉に、マモンは怒鳴る。


「俺を誰だと思っているんだ! 魔王ルシファーの息子だぞ!!」


 そう叫ぶと、黒の翼を広げ、ベルゼブブに向かって両手を前に突き出した。


 キュイィィィン


 マモンの両手から黒い魔力の塊が作り出される。


 ベルゼブブルもマモンの前に片手を突き出した。すると、マモンの頭上に白く光る輪が生まれる。その輪は大きく広がったかと思うと、一瞬でマモンの体を締め上げた。


「くっ……」


 ギリギリと体に食い込む光の輪は、マモンの魔力が吸い取っていく。力が入らないマモンは、たまらず膝をついた。


「ベルゼブブ……てめぇ……覚えていろよ……」


 絞り出すように言うマモンを、ベルゼブブは(さげす)むような目で見る。


「連れて行け」


 彼の言葉に反応した従者が、暴れるマモンを引きずるようにしてその場を後にした。



 白銀のローブを纏うアジダハーカは、マモンが消えた方向を不安そうに見つめる。


「マモンは、どこへ連れて行かれたの?」


 アジダハーカの斜め後ろにいるベルゼブブは、左手を胸に当てて体を前へ軽く屈めた。


「あなた様がお気になされることではございません」


「だけど……」


 アジダハーカは心配そうにベルゼブブを見上げる。

 ベルゼブブは、アジダハーカの憂いを払拭(ふっしょく)するかのように微笑(ほほえ)んだ。


「ご安心ください。あなた様の弟君でございます。手荒な扱いはいたしません」


「……」


 しかし、もの思わし気な表情は晴れることなく、アジダハーカはマモンが消えた暗がりの通路を再び見つめた。



*  *  *



 光沢のある灰色の壁に囲まれ、ただ広いだけの無機質な部屋。マモンは、そこにぽつりと置かれたベッドに座っていた。親指の爪をガリガリとかじりながら、黒ずんだ鉄格子の先にある真鍮(しんちゅう)製の壁掛けランプを睨みつける。


 まさか自分がサタンの居城の(ろう)へ入るとは、マモンは思ってもみなかった。

 ルシファーを神のように崇めるベルゼブブにとって、彼女の血を引く者は特別だった。

 その特別な存在である自分を見捨てるはずがないと、マモンは信じて疑わなかった。だが、自分の考えが甘かったことに最後の最後で気がつく。


 ベルゼブブは最初から待っていたのだろう。アジダハーカが()()()になることを。

 いつもそうだ。アジダハーカだけは、生れ出たときからすべてにおいて『別格』なのだ。

 地獄(ゲヘナ)で最も強い魔王の力を色濃く受け継ぐ唯一の悪魔。それにもかかわらず、いつも何かに(おび)え弱々しい兄に、マモンは嫉妬と苛立ちを常に感じていた。そんな兄よりも、自分は優れていると信じたかった。


 こんなところでは終われない。これをどう打開しようかと、親指の爪をかじりながら考えているときだった。

 辺りが濃い紫色の重苦しい空気に包まれる。

 周囲を見渡すと、風など吹いてもいないのに、壁掛けランプの炎が激しく揺らめいていた。

 背中がゾクゾクとし、マモンは黙って座っていられず、片足を小刻みに上下に弾ませる。この感覚は、もしや……。


 ヒタヒタヒタヒタと廊下を素足で歩くような音が聞こえ、マモンは(すす)けた鉄格子の先に目をやった。


「やれやれ……。僕の城はさぁ……ごみ()めじゃないんだけどなぁ」


 声は耳元ではっきりと聞こえるのだが、その姿はいまだに見えない。

 ヒタヒタという足音が近づくにつれ、マモンは逃げ出したい衝動に駆られた。しかし体は強張り、その場から動けない。


 微動だにしないマモンの視線は、濃い紫色に染まる廊下の先に(くぎ)付けとなっていた。と、次の瞬間、漆黒の長髪の男がマモンの視界いっぱいに映りこむ。


「ひっ……」


 マモンは小さな悲鳴を上げたきり、それ以上の声が出なかった。

 男はマモンの顔を(のぞ)き込んだまま、ニコリと笑う。


「前にいた子はね、彼女に預かってほしいと頼まれていたんだ。でも、君はそうじゃない。今回は、いたずらが過ぎたね」


 男に触れられていないにもかかわらず、ベッドに座っていたマモンの体が宙に浮いた。


「あっ……あっ……」


「大丈夫。君は彼女の血を引いているからね。滅ぼすようなことはしないよ。だけど、地獄(ここ)の主が誰なのか、君には一から教える必要がありそうだ」


 男はそう言うと、色白の手でマモンの頭をわし(づか)む。


「うわぁぁぁっぁぁっぁぁぁ!!」


 マモンの絶叫が周囲に響いた。それと同時に、光沢のある灰色の壁は黒ずんだ赤茶色に変わり、いくつもの血管のような脈打つ筋が現れる。


 目をむき出しにして発狂するマモンを見た男は、満足そうに微笑んだ――

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