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28-1:来訪

 地獄(ゲヘナ)は、天界(ヘブン)狭間(はざま)とつながる第一階層から地下へと下る四層の構造となっている。

 第一階層は下級悪魔の生息地、第二階層は中級悪魔の生息地、そして、ここ第三階層は上級悪魔の生息地であり、ルシファーのクリンタ宮殿とサタンの居城があるダマーヴァンド山があった。


 ルシファーは、サタンの居城の(ろう)内にある明り取りの窓から、黄みがかった暗い赤茶色の空を見上げる。

 地獄(ゲヘナ)はもともと、光が一切ない暗黒の世界だった。だが今は、炎でただれた赤銅色に染まっている。

 この炎の空を見る(たび)に思い出す。()()()()()が消えた『あの時』を。



 暗闇から暮れることのない白夜の世界に地獄(ゲヘナ)を変えたのは、ルシファーだった。

 側近であるベルゼブブを使い、サタンの居城から持ち出した闇の火種を、神に対する謀反ののろしとして天界(ヘブン)の大地へと放つ。火種はあっという間に大地を駆け、触れるものすべてを焼き尽くす炎の海原となった。

 ルシファーの謀反が失敗に終わった後、神の手によりその炎の海原の上には新たな天界(ヘブン)の大地が創られた。

 しかし、ルシファーが生み出した炎の海原は、今もなお衰えることを知らずに燃え続けている。

 こうして、地獄(ゲヘナ)の業火と呼ばれるその炎の灯りは、本来ならば暗闇しかないこの第三階層をただれた赤銅色で染め上げていた。



 明り取りの窓から細長く切り取られた火膨れの空を見ながら、ルシファーは胸元へと手をやる。そこにあるはずのペンダントは、ハルへ託してしまったと気がつき、彼女は何もない空間を握りしめた。


 悪魔である自分が、なぜラナの最後の望みを(かな)えてしまったのか、ルシファーはいまだに理解できないでいる。

 一つだけ確かなのは、ラナの子であるハルは、ルシファーにとって守らなければならない存在であるということだ。


 ハルに思いをはせていると、頭上から戸惑い気味の声が降ってきた。


「母上、なんだか変わったね……」


 紫色の鱗甲(りんこう)に寄りかかっていたルシファーは、明り取りの窓からさらに上へと視線を移す。


「変わった? 私が?」


「あ……気に障ったのなら、ごめんなさい……」


 声の主は()びるように、すぐさまその長い首をすくめた。

 ルシファーはわずかに微笑(ほほえ)む。


「気に障ってなんかいないわ、アジダハーカ」



 アジダハーカ――ルシファーの血を受け継ぐ、三頭三口六眼の巨大な竜。彼はもともと、ルシファーの居城であるクリンタ宮殿に住んでいた。

 ルシファーが創り出した悪魔たちの中で、アジダハーカは群を抜いて魔力が強い。その強さは、彼一人だけで人間界の三分の一が破壊できると言われているほどだ。

 それほどまでに強力な力を持つアジダハーカだが、しばしばわれを忘れてその力を暴走させてしまう。彼が制御不能に陥る度、同族である悪魔が何千何万と滅びの眠りについた。


 アジダハーカが魔力の使えないサタンの居城の牢に閉じ込められているのは、こうした理由からだった。表向きは……。


 悪魔の容姿は、夢魔サキュバスのように、魔力によっていくらでも変化させられる。

 生まれ落ちたときには竜の姿だったアジダハーカも、自らの魔力でヒト型へとその容姿を変えた。巨大な竜よりも、小さな体躯(たいく)のヒト型のほうが動きやすいと本能的に感じたからだった。


 ルシファーはアジダハーカのヒト型を見て絶句する。銀色の髪に赤い瞳――彼の容姿は幼い頃の双子の弟ミカエルにそっくりだった。

 しかも、アジダハーカは悪魔とは言い難いほどに心が優しく、ルシファーを母と慕ってきた。

 それが余計にミカエルを彷彿(ほうふつ)させ、ルシファーにとって耐え難いものとなる。


 そこでアジダハーカの魔力のリミットを、ルシファーはひそかに外した。

 膨れ上がる魔力を制御できないアジダハーカは、ヒト型を保てず竜の姿へと戻ってしまう。それどころか、われを忘れて暴走を繰り返した。


 真実を知らないアジダハーカは、己の未熟さで力の抑制ができないと思い込んでいる。そしてこの幽閉を、仕方がないことだと甘んじて受け入れているのだ。



 ルシファーは、アジダハーカのガラスのような鱗甲に寄りかかる。

 ドクンドクン――彼の拍動は心地よく、ルシファーにわずかな安らぎを与えた。


 耳障りだった拍動を心地よいと感じてしまう自分は、アジダハーカの言う通り、昔とは明らかに違う。以前よりもはるかに穏やかになった。そう認識して、ルシファーはわずかに眉をひそめる。

 なぜなら、憤りもだえるこの世界の中で、心穏やかであること自体が()()であるからだ。


 こんな風に変わってしまった原因は、はっきりしている。

 人間界で育てたヒトの子ハル。彼女の存在がルシファーを大きく変化させた。

 いや、そうではないとすぐに思い直す。

 変わったのではなく、ハルの誕生により、自分の中で眠っていたものを目覚めさせてしまったのだ。



 それはつまり……、私が私を殺す日が再び訪れるということ?



 そこまで考えて、アジダハーカがこちらをじっと見つめていることに気がつく。彼の気を()らすように、ルシファーは笑顔を作った。


「それにしても……あなたを閉じ込めた張本人が、今度はあなたと一緒にいるなんてね」


「……」


 自分に対する皮肉。

 アジダハーカはどう反応してよいか分からないようで、戸惑いの表情になる。

 それを見て、ルシファーは思わず尋ねた。


「私を恨んでいる?」


 愚かな質問だと、ルシファーはすぐに後悔する。

 牢に幽閉されているとはいえ、自分は『魔王ルシファー』なのだ。その本人を目の前にして、誰が「恨んでいる」と答えられよう。


「恨んで……なんかいないよ。だって、ここにいるのは僕が悪い子だから……。母上の血を受け継いでいるのに、力が至らないから」


 アジダハーカはすまなそうに眼を逸らした。


 予想通りの答えに、ルシファーはそっとため息をつく。

 いっそ、マモンのようにあざとく自分を利用しようとすればよいのに、と思う。

 そうなれば、こちらも()()()()()()振る舞える。アジダハーカがマモンと同じような悪魔であれば、きっとミカエルの陰に翻弄(ほんろう)されなくて済むはずだ。



 またミカエル……。



 六枚の純白の翼を広げた銀髪の天使が、自分に向かって微笑む。その残像を消すように、ルシファーは頭を左右に振った。


「あなたは悪くない……。私が弱いだけ」


 地獄(ゲヘナ)の頂点に立つ者として、口に出してはならない言葉だった。

 他者に弱さを見せない絶対的強者。それが魔王としての適切な振る舞いなのだから。

 しかし、この無機質な牢でアジダハーカと二人きりだったルシファーは、知らぬ間に自制が利かなくなっていた。


 ルシファーの言葉に、アジダハーカは目を見開く。


「母上が弱い? そんなわけないよ。だって、地獄(ゲヘナ)で一番力をもっている悪魔だもの」


 今のルシファーにとって、その言葉は空虚だった。(たが)が外れてしまったルシファーの口からは、ポロポロと心の内がこぼれてしまう。


「あなたは優しい……。その優しさにすがってしまうのが、私の弱さ」


「……」


 困惑するアジダハーカに向かって、ルシファーは続ける。


「本来のあなたは、三支配者に匹敵する力を持っている。だからこそ、その優しさを隠さなければならない。それができなければ、地獄(ゲヘナ)では搾取される側になってしまうわ」


 なぜこんなことを言うのだろう? とルシファーは思う。過去を思い出しすぎたせい? それともハルと過ごしたせいだろうか? まさか……ミカエルに会ったから?


 地獄(ゲヘナ)の魔王とは異なった振る舞いに、アジダハーカは戸惑い気味に答える。


「僕は……そんな力は持っていないよ……」


 ルシファーは即座に首を振った。


「いいえ、そんなことはないわ。あなたは私の息子なのだから」


「息子……」


 アジダハーカがボソリと言う。

 ルシファーは何かを決意するかのように(うなず)いた。


「私もあなたも、そろそろ前へ進むべきだわ」


 過去と現在を捨て、その先へ向かうときが刻一刻と近づいてきている――ルシファーはそんな予感めいたものを抱き始めていた。


 アジダハーカが何かを言おうと口を開きかける。

 そのとき、コツコツコツと足音を響かせながら、黒い影が牢へと近づいてきた。


「親子で仲睦まじく談笑ですか? 母上と兄上?」


 見ると、鉄格子の向こう側に深紫のローブを(まと)ったマモンが立っていた。


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