22-1:黒い謎
「は……?」
ラジエルの呆れた声に男の姿のサキュバスも同調する。
「ミー君は……馬鹿なの?」
サキュバスの言葉に反応し、ラジエルが彼を睨みつけた。
「なっ、サキュバス! ミカエル様に向かって馬鹿とは失礼な! 確かに常軌を逸してはおりますが……」
最後のほうは俺の顔をチラリと見るラジエル。言葉が違うだけで、言っていることは似たようなものだろうと、俺は内心突っ込みを入れる。
サキュバスがラジエルを見てさらに反論した。
「じゃあ、気が狂った、だよ。地獄へ行くって。ルファを助けに行くって。頭がおかしくなったとしか思えないもん」
お前も望んでいたことじゃないのかよ……。サキュバスに向かって思わずそう言いたくなる。だが俺は、そこをグッと堪えて諭すように口を開いた。
「おかしくなってはいない。これはガブリエルの提案でもあるんだ」
ここは上層の俺の自室――ではあるが、サキュバスの能力を使い、今俺たちは夢の中にいた。
ラジエルが夢にいるのは、なにもサキュバスといかがわしいことをしたわけではない。サキュバスが夢の中に侵入できる対象者、つまり俺が近くにいれば、ラジエルを夢に引き込めるらしい。
先日、俺はハルと交わした会話の中で、地獄で監禁されているルファ……いや、ルシフェルを助けると決めた。そして、今夜、閉鎖されたこの空間で、そのことについて一部始終をラジエルとサキュバスにも伝えたというわけだ。
「そもそも、ガブリエル様のご提案というのも驚きですが……」
眉をひそめて言うラジエルに俺も同意する。
「確かに、俺も驚いた」
ガブリエルによれば、人間界で地獄が介入している不穏な動きがあるらしい。それが、ルシフェルに取って代わった新たな地獄の支配者の暴走ではないかと、あいつは睨んでいるようだった。
だからこそ、天界が保護しているハルという弱みにつけ込み、地獄の暴走をルシフェルに止めさせようとガブリエルは考えたのだ。
サキュバスが心配そうに首を傾げる。
「でもガブリエルって、ルファのこと嫌いなんじゃないの? 大丈夫かなぁ……」
おそらくガブリエルに裏切られないかの心配なのだろう。俺はそれを否定するように頭を左右に振った。
「ハルのことがあるから、ルファが地獄の暴走を止めると確約するのは間違いないだろう。そうなれば、ガブリエルがルファを裏切る理由はない」
「うーん……」
それでもまだ不安そうな表情を崩さないサキュバス。そんな彼をよそに、ラジエルが話題を切り替える。
「ですが、どのように向かわれるおつもりですか? 翼の力を解放したまま地獄へ向かえば、たちまち悪魔たちに感知されてしまいます。そうかといって力を使わなければ、地獄の瘴気に当てられ、まともに動けません」
ラジエルの言う通りだった。
地獄の瘴気から身を守るには、翼の力を解放する必要がある。だが、天使の力を使えば、闇の力しか存在しない地獄で、すぐに悪魔たちに居場所を知られてしまうだろう。
しかし、俺はその対応策を考えていた。それは、冥界へ入る際に使用する、天使の光を遮断する『暗黒色のローブ』の改良。あれを光だけではなく、天使の力そのものを遮るように改良できれば何とかなるのではないかと思っていた。
俺が答えるよりも先に、ラジエルは「それに……」と続ける。
「それに、ルファが投獄されているダマーヴァンド山に、誰を向かわせるのですか? いえ、あなたのほかに……という意味ですが。まさか単身で向かわれるおつもりではないですよね?」
「俺が行くって、よくわかったな」
俺がニヤリと笑ってラジエルを見ると、彼は半ば諦めたように肩をすくませた。
「こんなことをほかに任せるようなあなたではありませんからね」
「まぁな。で、俺は、状況が分かっているこの三人で行くのが一番よいとは思っているんだが」
「それは……どうかなぁ?」
異を唱えたのは意外にもサキュバスだった。驚いた俺は首を傾げて彼を見る。
「なぜだ? 俺は一番信頼できる者を連れて行きたい」
俺の『信頼』という言葉に反応したのか、サキュバスは僅かに目を見開いた。妙な間があってから、コホンと咳払いをしたサキュバスがあらためて言う。
「だって、ハルちゃんが一人になっちゃうでしょ?」
「あー……」
そうだ。ルシフェルとの約束を忘れていた……。
「確かに。ルファとの約束がありましたね……」
俺の思いを代弁するようにラジエルが言う。サキュバスはコクリと頷いた。
ルシフェルからは、ハルを天界の奥へ連れて行くなと、きつく言われていた。
目付け役のサキュバスが不在となれば、ガブリエルがハルをどこかへ隠してしまう可能性も出てくる。だが、こちらもサキュバスがいなければ、地獄での案内役が不在となってしまう。さて、どうしたものか……。
ほかによい案はないかと考えるように、三人がともに無言となる。だが、すぐさまその静寂を破るように、ラジエルが口を開いた。
「ところで……地獄にはどのように侵入するつもりですか?」
当たり前だが、天界から地獄へ直接行く方法は、堕天するか、狭間を通り抜けるかしかない。だが、こちらには夢魔のサキュバスがいる。
「サキュバスに地獄へのゲートを開いてもらう。ただ、天界ではその力は使えないから、いったん人間界を経由して……になるかな」
天界と地獄の間を行き来する直接のゲートは作れない。互いの世界に干渉しないよう結界が張られているからだ。だが人間界からならば、転移ゲートを使って双方の世界への行き来が可能だった。
ラジエルがサキュバスを見てさらに尋ねる。
「では、そのゲートは地獄のどこと繋がっているのです?」
俺もラジエルと同じようにサキュバスを見る。二人の視線を受けて、サキュバスが思い出すように天井を仰ぎ見た。
「えぇっと……僕が作れるゲートの行き先は第一層にある自分の住処と、第三層にあるルファの宮殿、クリンタ宮殿……かな」
「クリンタ……、地獄の中枢……ですね」
ラジエルがポツリと呟く。サキュバスは頷くと俺のほうをまじまじと見た。
「そう。だから、ミー君はお馬鹿だって言ったんだよ」
「……」
「サキュバス! ミカエル様にっ」
「あぁもう、わかったってぇ」
再び睨んでくるラジエルを、うんざりした顔で見るサキュバス。そして、話をさらに続ける。
「仮に、クリンタ宮殿に侵入したとしても、同じ第三層にあるサタンの居城へ忍び込むのは、さらに難しいよ? 前にも言ったけど、あそこは魔力が一切使えない。つまり、転移ゲートでは侵入できないし、君たち天使の翼の力も使えない。そうなると、どうなるかは分かるよね?」
サキュバスの言葉に俺は眉根をひそめて腕を組んだ。
「だが、ベルゼブブはそこへ行って、天界へ戻って来たんだ。闇の火種を持って」
サキュバスも考え込むように首を傾げる。
「どうやって行ったのかな?」
「お前は知らないのか?」
「僕がベルゼブブと仲がいいと思う?」
そう言われた俺は、熾天使だった頃のベルゼブブを思い出し、サキュバスを隣に置いてみた。ベルゼブブのイメージは無口で不愛想なガブリエルといったところだ。そんな彼と、口の先から生まれてきたようなサキュバスが仲良くしている図は想像もつかなかった。
「……話くらいはしないのか?」
「しないよぉー。僕、嫌いだもん。ベルゼブブ」
「……」
そのやり取りを聞いていたラジエルがため息交じりで言う。
「そうなると、ベルゼブブが天界と地獄を行き来できた方法を、自力で見つけ出さないと先には進めませんね」
その言葉に、俺とサキュバスは眉間にしわを寄せて見つめ合った。




