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21-1:共鳴

 石造りの別棟二階の東側、そこに主寝室がある。

 薄暗い部屋の中央には、主のように主張しているキングサイズのベッドが置かれていた。その隅に、ベッドの大きさとは不釣り合いの小さなハルが横たわり、静かに寝息を立てている。

 ガブリエルとの接見でよほど疲れたのだろう。遅れて到着したラジエルも加わったディナーが終わり、リビングルームで談笑していると、いつの間にかハルは俺の横で眠っていた。そのため俺は彼女を抱きかかえて、この寝室へと運んできたのだった。


 規則的に胸を上下に動かすハルを、俺はベッドの脇に座りながら静かに見守る。

 寝ているにもかかわらず、ハルの小さな手は俺の手をぎゅっと掴んで離さなかった。


 ハルをここまで不安にさせた原因は俺にある。

 

 天界(ヘブン)での暮らしに馴染む前に、俺はハルの手を離してしまった。

 そばについていてやりたかったが、状況がそれを許してはくれなかった。というのは、大人()の勝手な言い分に過ぎない。

 ハルは母親のように慕っていたルシフェル……いや、ルファと別れたばかりだったのだ。それなのに、今度は俺とも離れたのだから、その心の負担は計り知れないものがあったはずだ。

 そんな状態でのガブリエルとの接見。しかも、同席するはずだった俺の不在を知った時のハルは、どんなに心細かっただろうか。


 ハルと繋いでいる手とは反対側の手で、俺は彼女の頭をそっと撫でた。



「断ち切らせろ」


 不意に思い出だした言葉に、俺は渋い顔になる。

 サフィルス城の一室で、そう言い放ったガブリエル。あいつの冷淡なまなざしに対して、俺は頭の中で睨み返す。

 知らない土地で知らない者に囲まれ、先も見えない不安な日々を過ごす僅か十歳の少女に、今度は、大好きな(ルファ)ともう二度と会えない、と俺は告げなければならなかった。


 無防備なハルの寝顔を見ながら、そっとため息をつく。


 ハルを天使に転生させるにしても、天界(ヘブン)の保護下で人間界へ戻すにしても、俺は、ハルとルファとの断絶にゆっくり時間をかけたかった。せめて、ハルがもう少し成長するまで……。

 だが、地獄(ゲヘナ)がかかわっているらしい人間界のきな臭い情勢が、それを許してくれそうになかった。加えて、ルファの立場も地獄(ゲヘナ)で危ういものとなっているかもしれない。

 何もかもが、事を急がせていた。


 静かに寝息を立てていたハルの体が、反対側へと寝返りを打つ。それと同時に、繋がれていた手が解放された。だが、俺はその場から動けなかった。


 ルファとの断絶のほかに、俺は、ハルの母と祖母の魂がルファに喰われたという真実をどう扱えば良いのか結論を出せてはいなかった。

 今日のガブリエルの口振りからは、この真実にあいつが辿り着いているとは思えなかった。しかし、俺がハルを天使に転生させようと動いていたことにあいつは気がついていたのだ。



 ガブリエル(あいつ)は、どこまで知っている?



 ハルの母と祖母のことは、どう考えてもあいつに知る(すべ)はないはずなのだ。

 だが、なぜだろう? 俺の心の騒めきは治まらない。根拠はないが、ガブリエルだけが知っている何かがある。そんな気がしてならなかった。



*  *  *



 翌朝、ガブリエルは別棟へ立ち寄ることなく、早々に上層へと引き上げて行った。

 その後、サフィルス城の従者からハル宛に、ガブリエルのメッセージと贈り物が届けられた。


『昨日の非礼のお詫びと、これからのあなたの幸せを願って』


 そう書かれたカードに一輪の白百合の花が添えられていた。

 贈り物の中身は、大理石で作られた白と黒のチェスセット。いかにも天使軍の軍師らしい贈り物だった。

 ガブリエルのメッセージカードと白百合を手に、ハルが俺のほうを向く。


「ガブリエル()()は、ちょっと怖かったけど、みんなが言いづらかったことをちゃんと話してくれたんだよ」


「そう……か」


 昨日の接見で、ハルはガブリエルに気を許したらしい。

 それに対し、俺はどう反応をしてよいか分からず曖昧に頷く。そんな俺に向かって、彼女はニコリと笑った。


「ねぇ、ミカエル。あとで湖へ行きたいな。昨日の夜、ミカエルがくれた道具で絵を描きたいの」


 そう言ったハルは、部屋の書棚を見た。その近くには、画板が立てかけられたイーゼルと画材道具一式が置かれてある。

 俺はハルと同じほうを向いて頷いた。


「あぁ、もちろん。そこで昼も食べようか」


「うんっ」


 俺たちのやり取りを聞いていたサキュバスが、ダイニングテーブルに置かれたチェスセットを人差し指で小突きながら言う。


「湖へは二人で行ってらっしゃい。私はラジィとコレで勝負しているからぁ」


 グレーのソファーに座っていたラジエルが、コーヒーカップを取ろうとした形のまま「はぁ?」と素っ頓狂な声を上げてサキュバスを見る。


「あれぇ? ラジィはチェス知らないのぉ?」


「知っておりますが、なぜ、あなたと勝負しなければならないのですか……」


 コーヒーをすすりながら不満げに反論するラジエル。

 サキュバスは、テーブルに片手で頬杖をつきながらニヤリと笑う。


「負けたらどうしようとかぁ?」


「なっ……そんなわけがありませんっ」



 あーあ、またこのパターンかよ……。



 俺はこめかみを人差し指でカリカリと掻き、苦笑いをしながらハルを見る。

 ハルも口元に手を当てながらクスクスと笑う。

 そんな俺たちに気がついたサキュバスがカラカラと笑い、そこにラジエルの困ったような笑顔も加わった。

 きっとこの場にいたら呆れ気味に笑うであろうルファの不在を考えないようにして、しばらくの間、俺たちは互いに笑い合った――



 サフィルス城の目の前にある湖は、城の青い屋根と白い城壁を鏡のように湖面へと映し出していた。

 時折吹く風が、逆さに映った風景を湖の表面もろとも揺らしていく。

 風が吹き上げたその先に、雲に浮かぶ山が見える。山頂付近が雪で白く覆われているその山の中腹から、遠目でも分かるほどの巨大な滝が七色の半円の中を落ちていく。だが、下から吹き上げる上昇気流のせいで、その滝は地面へと行きつくことなく途中で白く舞い散り、山を下支えしている雲と同化する。

 こうして、空に浮かぶ山は土台の雲から水分を吸い上げ、自分の頂きを白く染め、中腹から水を吐き出していた。


 イーゼルに立てかけられた画板に向かうハルは、湖畔から見える景色の一部を写し取っていく。

 十歳という年齢のわりに、しっかりした構図で描き出されていくその絵を見て、俺はハルの豊かな才能に驚かされた。

 聞けば、母のイリーナもよく絵を描いていたらしい。父のグレイからそう聞かされていたハルは、物心がついた頃からグレイが働く家具工房の片隅で絵を描いて過ごしていたのだそうだ。


 画用木炭を持つハルは、流れるように線を引きながら口を開いた。


天界(ヘブン)は、どこを見てもとても美しいけれど、不思議なの。ここの風景を見ていると、胸が苦しくなって泣きそうになるの」


「泣きそうになる?」


 ハルのそばに敷かれた麻のブランケットの上に座っていた俺は、首を傾げて彼女の背を見つめる。

 ハルは画板に向かったまま頷いた。


「そう。変だよね。初めての場所なのに。どうしてだろうって、ずっと思っていたの。だけど、昨日、ガブリエルさんの話を聞いて少し分かった気がする」


「何を?」


天界(ここ)で、たくさんの悲しいことがあったの。みんな、本当は望んで戦っていたわけじゃなかった。でも、そうしなければならなかった。ルファもね、そうだったんだよ。心はズタズタで、でも捨てなければいけなかったから」


「……?」


 俺は訝しい視線を彼女の背にぶつける。



 ハルは……一体何の話をしているんだ?



 サキュバスから聞いた話だと、ガブリエルはハルにルシフェルが謀反を起こした時のことを話したらしい。だが、あいつがこんな風に情緒的な話し方をするはずがなかった。そして、この謀反の内容をハルが知ったのは昨日だったそうだ。

 しかし、彼女の口振りは昔から知っていたことを思い出しているかのようだった。俺はそれに違和感を覚える。


 俺の困惑をよそに、画板に顔を向けたままのハルは話を続ける。


「でも、知らなかったの。『あの時』、ラジエルさんの妹さんを滅ぼしてしまっていたなんて」


「それは……手を下したのはベルゼブブだ」


 躊躇い気味に答える俺の言葉に、木炭を持つハルの手がピタリと止まった。


「だけど、そうさせたのはルファ」


 そう言って振り向いたハル。その瞬間、栗色の髪のハルが漆黒の髪色のルシフェルと重なる。

 俺はその姿に息を呑んだ……。


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