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20-2:水と油

 俺抜きで行われたハルとガブリエルとの接見に、俺は怒りをあらわにした。だが、ガブリエルはそんな俺に向かって唐突に「あの娘を天使にするつもりなのだろう?」と、俺が予期すらしていなかったことを口にした。

 思わず黙った俺の態度が『答え』となってしまうのだが、気づいた時にはすでに手遅れだった……。



 腕を組んでソファーに体を預けたガブリエルは、射貫くように俺を見つめる。


「最高位天使様の賢明なご判断とは思えんな」


「……」


「しかも、そのことを当の本人にもまだ知らせていないとは」


「……」


 俺は唇を噛み締めた。



 こいつ……、それを確かめるために、今日の接見で俺を外したのか? いや、それだけじゃないはずだ。



 手遅れながらも俺は怒りと動揺を内側に押し込めた。こうなれば、流れに身を任せるしかない。ガブリエルには気づかれないよう、俺は小さく深呼吸をする。


「確かに、ハルを天使へと転生させるために俺は準備を進めている。本人にはこの後に話すつもりだ」


「受け入れられると思っているのか?」


 間髪容れずにガブリエルが尋ねる。それは『天界(ヘブン)に』と『ハルに』のどちらにでも取れる問いだった。おそらく両方を指しているのだろう。


「受け入れられなければ、ハルの魂が消滅するだけだ」


 その答えに、ガブリエルの鋭い視線が目の前のミストガラスのはめ込まれたローテーブルへと木の葉のように落ちて行く。


「それが何だと言うのだ……」


「え?」


 ボソリと呟くガブリエルの言葉を、俺は反射的に聞き返す。すると、ガブリエルは俺を睨み、強い口調で言い放った。


「ヒトは死すれば自我が消滅する。たとえ、生まれ変わろうと前世の自我が戻るわけではない。その代からすれば、魂が生まれ変わろうと消滅しようと、自我が消えることに何ら変わりはないのだぞ?」


「……」


 もっともな意見だった。

 ヒトとしてハルが亡くなれば、ハルの自我は必ず消える。ハルにとって、魂が生まれ変わろうと消滅しようと、その結果が変わることはない。


「にもかかわらず、お前はあの娘を天使にしようと動いている。一体何のために?」


 ガブリエルの言葉は、俺の内側を容赦なくえぐっていく。畳みかけるように彼はなおも続けた。


「ヒトは死すことで、その現世のすべてを捨てられる。だが、未来永劫死すことを許されない我らは、そのすべてを背負い生き続ける。あの娘に、同じ重荷を背負わせる気なのか?」


「それは……」


 人間界で時折見かける不死へのあこがれ。俺は、それをなかなか理解できない。おそらくガブリエルもそうなのだろう。

 俺たちは『死』がないからこそ、忘れ去りたい過去を忘れることもできず、苦悩の中で生き続けなければならない。俺が『あの時』のことをいつまでも忘れられず、今もこの先も、その想いを抱えながら生きるように。


「消滅が救いになることもあるのではないか? お前はそれを奪い取る気か?」


 先ほどまで俺の中で渦巻いていた怒りも動揺も、ガブリエルの言葉によりすべてがえぐり取られてしまった。自分の体が小さくしぼんでいくような感覚に陥る。


 無垢の子は、その魂が特殊であるが故に、歩む人生も過酷なものとなるだろう。だからこそ、神はその最後を天使や悪魔に転生させるのではなく、ヒトとしての消滅を無垢の子に与えたのかもしれない。ガブリエルの言っていることは正論に聞こえた。だが……。


「お前の言っていることは正しいよ。だけど……、お前、忘れたわけじゃないよな? 『あの子』のこと」


「……」


 俺が言わんとしていることに察しがついたガブリエルの視線が揺れる。

 俺とガブリエルは互いを容認し合う仲とは言い難い。そんな俺たちの数少ない共通の傷。それが『あの子』だった。


「お前は『あの子』を人間界へ降ろした。俺は『あの子』の器を天界(ヘブン)へ持ち帰った。忘れたとは言わせない」


「忘れることなど……ない」


 俺と同じような苦々しい表情となったガブリエルは、視線を自分の手元へと落とした。



 天地が創造されて以来、『無垢の子』がこの世界に生まれた記録は残っていない。だが、『神の子』は一度だけ、この天界(ヘブン)から人間界へと降ろされた。


 ルシフェルが堕天した後、人間界へと降りたアダムとイブによりヒトの歴史は始まった。天界(ヘブン)の助けもあり、ヒトの数も増え文明も順調に発展の道を辿る。

 しかし『あの時』以降、暗闇の中に閉じこもっていた俺のせいもあり、人間界での地獄(ゲヘナ)の影響力が天界(ヘブン)を徐々に上回り始めた。

 人間界は次第に闇に侵食されていく。飢饉と疫病が広がり、それに伴ってヒトとヒトが争う大規模な戦争があちらこちらで勃発した。さらに、生き物の形にまで影響を及ぼし、生まれてくる動植物の奇形が、ヒトの子にまで出始めていた。


 本来、世界のすべてを享受するはずの神は、あまりの事態に『神の子』を人間界へ降ろすことを決めた。

 神から命じられたメタトロンは、ガブリエルに一つの命を託す。そして、ガブリエルは神の定めに従い、或るヒトの夫婦にその命を宿させた。

 こうして生まれたのが、人間界のあらゆる負をその身に受けるよう定められた『神の子』だった。



「闇に染まる人間界を我らの力では止められなかった。我らが不甲斐ないために『あの子』が犠牲になったのだ……」


 ガブリエルが悔しそうに言う。


 そう、俺が闇の中にいて本来の任務を果たせなかったから、ルシフェルたち元熾天使が率いる地獄(ゲヘナ)の勝手を許してしまった。

 人間界の統治者であるガブリエルもまた、『神の子』の力を使わなければその任務を果たせなかったという苦い経験をした。

 この共通の()があるからこそ、俺は誰にも話せない思いをガブリエルにだけは話せるのだ。


「俺が『あの子』の最後に立ち会った時、『あの子』の最後の声を聞いたんだ」


「最後の声?」


 俺はコクリと頷いた。



 あの光景は忘れられない。

 悪魔によりもたらされた憎悪の中を『あの子』が歩く。俺はそのそばに寄り添うだけ。神から直接言いつけられていた。「決して手を出してはならない」と。

 手が届きそうなほど低い灰色の雲が世界を覆うなか、小高い丘の()()にだけ、一筋の光が見えた。おそらく、それが見えるのはこの場にいる俺と『あの子』の二人だけ。

 その光の中に……終焉の中に入る瞬間、『あの子』の小さな小さな声が聞こえた。俺にだけ聞こえた『あの子』の声。



「魂が消える直前に、あの子は、草しか生えていない丘の地面を見てポツリと言ったんだ。『エピメディウムはないのか』と」


 初めて聞いた言葉のようで、ガブリエルが怪訝そうな顔をする。


「エピ……?」


「エピメディウム。俺も知らなかった。別名イカリソウといって、碇のような形をしている花で、春に咲く山野草だ」


「それが……何だと言うのだ?」


 俺は今でも、その言葉を言ったときの『あの子』の顔をはっきりと思い出せる。穏やかではあるが、どこか物悲し気な表情。


「エピメディウムの花言葉はな、『新たな人生』なんだ」


「新たな……」


 僅かに目を見開いたガブリエルはそう言ったきり、俺から視線を外して戸惑った表情をした。


「ガブリエル。お前の言う通り、自我が消えるという点では、生まれ変わりも魂の消滅も同じことだ。だけど、生まれ変わりは、その魂が次の代へと引き継がれる。自我は消えるが、その痕跡は魂の系譜に刻まれる。これは、魂の消滅とは決定的に違う」


「……」


「ヒトは輪廻転生を繰り返すことで、その魂が洗練されていくんだ。洗練されたその先に何が待っているのかは分からない。だが、父上がヒトの魂をそのように創造したことには意味があると思う」


「意味……か……」


 ガブリエルは何か思案するような顔つきになる。


 俺たち天使は、神のそばで神が望む世界にすべく日々の任務に従事している。だが実のところ、世界の仕組みや理など、神が何を目指して創られたのか、その真意を俺たちは分かっていない。推し量ることはできるが……。


「『あの子』は、新たな人生という選択肢を与えられなかった。だけど、父上がそのように定めたからといって、俺たちはただそれに従うだけでいいのか?」


 神に対し意見するような俺の発言に、ガブリエルが眉をひそめる。だが、何も言わないので、俺はそのまま話を続けた。


「俺はずっと後悔していた。『あの子』に対してもっと何かできたんじゃないかって。だからハルには選ばせてやりたかった。ヒトのままで過酷な人生と共に消えるのか、天使という苦悩の中で新たな人生を歩むのか」


 俺たち天使も、神の理の中で何かを選択しながら歩んでいる。その結果がたとえ悔やまれることだとしても、己で選んでいるからこそ、苦難の中でもその先に進めるのではないだろうか。


 ハルが無垢の子だと確信した時、俺の脳裏に『あの子』が(よぎ)った。

 自分の終焉を選べなかった『あの子』の分も、ハルにはヒトとしての終わりを迎える前に、誰かが示した道ではなく、自分で選べる『未来』を俺は創っておきたかった。


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