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16-2:孤城の別棟

 湖面に映る逆さになった青の屋根と純白の城壁を持つサフィルス城。光の祝福を受けるように輝く優雅な(たたず)まいを見ても、ハルの心は暗く沈んでいく一方だった。



 コンコンコン――ハルとサキュバスがいる部屋にノックの音が響く。

 サキュバスが「はぁい」と間延びした返事をすると、扉の外から声が聞こえてきた。


「おくつろぎのところを失礼いたします。上層からラジエル様が参りました。お通ししてもよろしいでしょうか?」


 声の主は、ハルたちの身の回りを世話するアテンドの能天使だった。

 

 ハルは『ラジエル』という言葉を聞いた途端、弾かれるように室内テラスから続き部屋の扉へと走り出す。

 座天使ラジエルは常にミカエルのそばにいた側近だ。もしかしたら、ミカエルも一緒に来ているかもしれない、ハルは瞬間的にそう思った。


 扉へ向かう途中「ハルちゃん!?」とサキュバスの驚いた声が聞こえる。だが、それを無視して、ハルはマホガニー製の扉を勢いよく開けた。


「ミカエル!?」


 しかし扉の前には、驚いた顔をした能天使とラジエルの二人しかいない。


「あ……、ごめんなさい……。私、ミカエルも来ているのかと……」


 露骨に落胆するハルに向かって、紺の制服姿のラジエルが困ったように笑う。


「何か、期待させてしまったようで……申し訳ございません」


 ハルはフルフルと頭を左右に振り、ふさいでいた入口を開けてラジエルを部屋へと招き入れた。



 リビングのソファーに肩肘をついてこちらを見ていたサキュバスが、不思議そうに首を(かし)げる。


「ラジィが来るなんて、珍しいわねぇ?」


「雑務が立て込んでいたもので、かなりご無沙汰してしまいました。おや……部屋の雰囲気が……随分と変わりましたね?」


 室内を見回しながら尋ねるラジエルに、サキュバスが手で口元を隠しながらクスクスと笑う。


「ウリエルってマメなのねぇ? 毎日いろいろな種類の花束が届くのよぉ」


 ハルの寂しさが少しでも紛れるようにと、ウリエルの指示で、石造りの別棟は内も外もたくさんの花で(あふ)れかえり華やいでいた。


「あの方らしいですね」


 ラジエルが苦笑する。

 ハルは先ほどの非礼を取り繕うように、金の刺繍(ししゅう)が入ったラジエルの服の袖を軽く引いた。


「こっちにもね、ラファエルさんにいただいた本がたくさんあるの」


 そう言うとハルは、壁際にある書棚までラジエルを連れて行く。

 四大天使の末妹、熾天使ラファエルはこの別棟を時折訪ねてきては、毎回ハルに数冊の本を手渡していた。

 ラジエルは書棚から一冊抜き出しパラパラと(めく)る。


「人間界の本ですね。ん? こちらは天界(ヘブン)のものですか? ハルはこれが読めるのですか?」


 ラジエルは、書棚にそろえられた本の背表紙をなぞりながらハルに尋ねた。


「えぇっと……」


 ハルが答えるよりも先に、背後からサキュバスの声がする。


「幼い頃に、ルファからエノク文字を教えてもらったらしいわよ?」


 エノク文字とは天界(ヘブン)地獄(ゲヘナ)共通で使われている文字のことだ。

 ラジエルはサキュバスに向かって「ほぉ……」とつぶやき、再びハルを見る。

 目が合ったハルは、ラジエルにぎこちなく微笑(ほほえ)んだ。


「そうなの。困らない程度なら読めるようになったよ」


「それはすごいですね。エノク文字は、ヒトが理解するにはかなり難しい言語ですが……」


「ルファの教え方が上手なのよ。ね?」


 サキュバスが同意を求めるようにハルに微笑む。

 ハルはぎこちない笑顔のまま「うん」と(うなず)いた。


「そう……ですか」


 ラジエルはぽつりと言ったきり、書棚にある本を見つめる。

 ハルは、ラジエルが何か思案しているように思え、居心地の悪さを感じた。彼のもとからそっと離れると、ソファーに座るサキュバスの隣に逃げるように腰かけた。



 サキュバスの言う通り、ハルは幼少期にルファからエノク文字を教わった。だがそれは、簡単な単語が読める程度で、書物が読めるほどの知識ではない。

 だが天界(ヘブン)へ来て、能天使たちが手にしている書簡などを目にするうちに、そこに書かれている内容が理解できると気がついた。

 そこで、試しにエノク文字で書かれた本を手に取ってみると、まるで最初から知っているかのようにいとも簡単に読めてしまったのだ。

 ハルは、自分の身に何が起こったのかと驚いた。しかし、このことを誰にも打ち明けられず、今も隠したままだった。



 私、天界(ここ)へ来てから、本当に変……。



 ハルにとっては気まずい静寂が流れる部屋に、再びノックの音が響く。

 サキュバスが返事をすると、アテンドの能天使が三人分の紅茶とシフォンケーキを運んできた。

 それを見たラジエルは、ハルたちが座るソファーの反対側に腰を下ろす。


 テーブルに置かれた紅茶を一口飲んだラジエルは、あらためてハルとサキュバスを交互に見た。


「今日こちらへ来た理由ですが……」


「ミー君のお使い?」


 サキュバスがニヤリとしながら、いきなりラジエルの話の腰を折る。そんな彼女をハルは(あき)れ気味に見上げた。



 まったく……すぐラジエルさんを揶揄(からか)うんだから……。



 ラジエルも『お使い』という言葉が気に入らなかったのか、むっとした表情になる。


「違います……。ハルとガブリエル様との接見が決まりましたので、その詳細について説明しに来たのです」


「ガブリエル……」


 笑っていたサキュバスの顔が一転して険しくなった。ハルも、不安げにラジエルを見る。

 二人の動揺を和らげようと、ラジエルは優しく微笑んだ。


「安心してください。ハルが一人きりで会うわけではありません。ミカエル様が同席しますし、サキュバス、あなたも同席して構いません」


 その言葉を聞いたサキュバスが、安心したように軽く息を吐いた。そして、ハルのほうに顔を向けて小さく頷く。

 ラジエルは話を続けた。


「接見内容は主に、ハルの今後についてです。ハルは、いずれ人間界で生活したいと望んでいるのですよね?」


 ハルは無言で大きく頷く。ラジエルも予想通りの反応に満足そうに頷き返した。


「ガブリエル様は、ハルの気持ちを直接聞いたうえで、その希望に沿いながら、あなたの安全を確保するために、どのような策を講じたらよいのか考えたい、とのことです」



 熾天使ガブリエル――人間界の統治者であり、熾天使ミカエルの長弟。

 ルファやミカエルの彼に対する評価を思い返すと、ハルはまだ会ったことのないその天使との対面に怖気づく。



 何を聞かれるんだろう……。意地悪な質問をされたらどうしよう……。



 そのとき、不意にハルの中でミカエルの声が聞こえてきた。



『ハルには普段通りにしていて欲しいんだ』



 ハッとなったハルは、人間界でミカエルと交わした会話を思い出した。



 崩れかけた古いサイロの暗がりで、ミカエルは少し困った顔で言う。


「疑う気持ちは、大抵、本人に気づかれる。特にあいつは相手の気持ちを読み取ることに長けているから」


「そっか……普段通りにね。やってみる」


「うん。あと……さ……」


「ん?」


 言いづらそうに眉間にしわを寄せるミカエルを、ハルは首を傾げて見た。


「その……なんというか……反りが合わなくても、あいつとはやっぱり兄弟なわけで……」


 顔をほんのりと赤くしながら、ミカエルは長弟であるガブリエルをかばう素振(そぶ)りを見せた。

 このときハルは、ミカエルにとってガブリエルは()()なのだと、あらためて認識したのだ。



 そうよ。ガブリエルはミカエルの弟だもの。普段通りに。いつもと変わらず……。



 ハルは胸のざわつきを紛らわせるように、首にかけていたロケットペンダントをそっと握りしめた。

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