15-2:冥界
青白く輝く魂の世界に、俺の意識は落ちて行く。それはまるで、星の群れを突き抜ける流星のようだった。
シャボン玉のような半透明の球体が、まるで泡が浮き上がるかのように俺に向かってくる。いや、俺が落ちているのだから、向かってくる……は語弊があるか。
群れる球体の中にあるひとつが顔に当たり、俺を飲み込んでいく。その瞬間、家具職人のグレイが一心不乱に鉋で木を削る姿が俺の眼に飛び込み、そして、七色に輝く半透明の球体とともに通り過ぎて行った。
ふわふわと浮く球体の群れの間を裂くように、俺はさらに下へと落ちて行く。その間も、半透明の球体が俺に触れるたび、俺はグレイの人生の切れ端を目にした。
白が強めの青白い空間は下へ落ちるにつれ、青が強めの空間へと変わる。
濃紺の世界に変わる一歩手前の空間で、膝を抱えて丸まっている男の姿を見つけた俺は、六枚の翼を広げて体勢を立て直した。そして、羽ばたきながら、ゆっくりと男に近づく。
「グレイ……、グレイ・エヴァット」
俺の声に、茶褐色の短髪のグレイが眠そうな顔をしながら薄目を開ける。
「誰? 僕の名を……呼ぶのは……」
目を擦りながら顔を上げたグレイは、六枚の翼を羽ばたかせた天使の姿を見て、その大きな瞳がこぼれ落ちそうなほどに驚いた顔をした。
「あ……あなたは……天使様!?」
髪色こそ違うが、大きな瞳と優しい顔立ちのグレイの中にハルを見つけた俺は、なんだか嬉しくなり自然と顔が綻ぶ。
ハルは……父親似なんだな。
俺の姿を見て固まるグレイに、俺は優しく話しかけた。
「眠りについているところをすまない。尋ねたいことがあって、君に会いに来たんだ」
「お尋ねになりたいこと……ですか?」
事態が飲み込めないグレイは、眉をひそめて俺を見る。そんな彼に、微笑みながらも躊躇いがちに俺は尋ねた。
「その……君の妻、イリーナのことなんだが……覚えているか?」
グレイは俺の言葉を咀嚼するかのように、俯きながら右に左にと首を傾げた。
「イリーナ? イリーナ……イリ……イリーナ!? 彼女がどうかしたのですか!?」
ひざを抱えるように座っていたグレイは、慌てて体を起こすと俺のローブの裾を掴む。だが、その行為が礼儀に欠けると気づいた彼は、すぐさまローブから手を離した。
「すっすみません……」
「いや、気にしないでくれ。私のほうこそ、不躾にすまない」
俺は体を少し屈めて、グレイに顔を近づける。
「私は、君がいるこの冥界を管轄している天使だ。君の魂の記録を調査したところ、君の妻イリーナの名が偽りであると判明した。正しい記録に修正したいのだが、その……イリーナ本人は既に亡くなっているため、我々だけでは彼女の真実の名が分からないのだ」
「はぁ……」
状況がいまだに理解できていないグレイは、眉間にしわを寄せたまま、俺の説明に中途半端な返事をする。
「夫であった君ならば、彼女の真実の名を知っていると思ってね」
「イリーナの真実の名……ですか」
グレイは何か考え込むように、中腰の姿勢のまま視線を下へと落とす。
俺には彼の迷いが手に取るように分かった。知っているが話してよいものだろうか……と。
俺は、グレイを真っ直ぐ見据えたまま静かに尋ねる。
「知らないか?」
「あの……それが分からないと、どうなってしまう……のでしょうか?」
不安げに俺を見上げたグレイ。
そこで俺は、彼と少し距離を置くように屈めた体を起こし、わざとらしく腕を組んで困った顔をする。
「君の記録に誤りがあったということは、彼女の本当の記録にも誤りがあるということだ。ともすれば、君とイリーナ二人の生まれ変わりに悪い影響が出るかもしれない。そうならないよう、正しい記録にしたいのだ」
「悪い影響が……出るのですか?」
体を少し後ろに引いたグレイの顔は、不安の色がさらに濃くなった。
俺は彼の顔を覗き込み、駄目押しとばかりに口を開く。
「そうならないよう、今、我々が動いている。協力してくれるね?」
俺の言葉に決心がついたのか、グレイはコクリと頷いた。
「確か……、ラナ……ラナ・カーディフ……だったと思います」
下に視線を落としたグレイは、両手を握り締めながら小さな声で言う。
「ラナ・カーディフ……間違いないか?」
俺の問いに、グレイは落ち着かない様子で顔を上げた。
「あの……この話は……天使様の胸の中にだけ留めて頂きたいのですが……」
俺はグレイを見つめたまま大きく頷く。
「分かった。で、何を話したい?」
「イリーナは、その……娼館で働いていたんです……」
「娼……あぁ、なるほど」
グレイの話はこうだった。
イリーナと婚姻関係を結ぶ前、まだ娼婦として働いていた彼女が、ある日、町にやって来た貴族崩れの男と娼館の裏口で口論となっていた。たまたま通りかかったグレイがそれを目撃する。その男の口振りから、イリーナと血縁関係にあることがうかがえ、男は彼女のことを『ラナ』と呼び、話の内容から男とイリーナは『カーディフ』という家柄の者だと分かったのだそうだ。
「僕が止めに入り、男はその場から去りました。イリーナは、僕に、男との会話を聞いたかとしつこく尋ねてきました。おそらく、僕に知って欲しくなかったのだと思います。それで、僕は、聞いていないと答えたのです。それ以降、僕は彼女の過去について何ひとつ聞くことはありませんでした」
グレイは、まるで罪を告白するかのように、首を左右に振りながらうなだれた。
実直で素朴なこの男は、この小さな嘘を抜けない棘のように抱えて生きていたのか……。
俺はグレイの懺悔を聞き届けると、うなだれる彼の頭上に手をかざした。
「そうか……よく話してくれた。安心しろ、その嘘は私の胸の内にしまう。だから、お前は忘れてよい。グレイ、本当に助かった」
必要な情報を聞き出した俺は、グレイの自我を沈めるため、かざした手に意識を集中させる。すると、俯いていた彼は、はたと何かに気がつき顔を上げた。
「天使様は、イリーナに会うのですか?」
グレイの頭上に手をかざしたままの俺は、その質問に嫌な予感がし、素っ気なく答える。
「いや、記録上の問題だから、彼女には会わない」
「そう……ですか……」
俺の中で、これ以上は危険だと警鐘が鳴る。
「グレイ、そろそろ時間だ。すまないな」
グレイの頭上に手をかざした俺は、六枚の翼を広げて魔力を高めた。
俺たちの周りに広がる青の世界が、濃紺の世界へと少しずつ変わる。と同時に、グレイの意識が魂の奥の虚ろへと誘われ始める。だが、彼はそれを拒むかのように、頭を左右に振った。
「……る……は……?」
まずい……。
俺は、グレイの自我を濃紺の世界へ沈めようと、さらに魔力を高めた。
グレイの虚ろな瞳から一筋の涙がこぼれる。彼は、絞り出すように声を上げた。
「ハ……ル……は……?」
グレイの自我が深い眠りに着く直前、俺は彼の耳元で囁いた。
「大丈夫。幸せに過ごしている」
俺の声がグレイに届いたかは分からない。だが、自我が眠りにつく直前、グレイの顔が一瞬穏やかになったように、俺には見えた。
* * *
グレイの魂から意識を切り離した俺は、青白い世界から仄暗い世界へと戻ってきた。
もぞもぞと動く蒼白の魂の群衆をぼんやりと見る俺の視界に、暗黒色のフードを被ったサリエルの顔が入ってくる。
「ミカエル様、大丈夫……ですか?」
「……あ……あぁ」
俺は軽く頭を振り、意識を現実世界へと順応させる。次第に意識がはっきりしてきた俺は、目の前にいるグレイの魂を急ぎ見た。
青白く輝いていたはずの彼の魂は、その輝きが一段落ち、僅かに青みを含んだ灰色へと変わっていた。
「やはり……」
サリエルはそう言ったきり、グレイの魂を無言で見つめる。
俺は、試しに塞いでいた進路を開けるが、彼の魂は微動だにしなかった。
やはり、現世への未練を持ってしまったか……。
我が子を気にしない親はいない。死すれば、なおのことだろう。
俺は深くため息をついてグレイの魂を見た。
「だが、イリーナの真実の名は分かった。グレイのためにも、ハルを守ることに俺は最善を尽くす」
グレイに誓いを立てるように、俺は彼の魂に向かってそう言った。




