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15-1:冥界

 俺、熾天使ミカエルが天界(ヘブン)で任された重要な任務はふたつある。ひとつは天使軍を率いること。そしてもうひとつは、死者を冥界へ導くこと……だ。



 ヒトは死後、その座位が天界(ヘブン)地獄(ゲヘナ)どちらの所有であるのかを、俺に判断される。この座位の確定は、天界(ヘブン)地獄(ゲヘナ)の力の配分にもかかわるが、ヒトの輪廻転生にも大きくかかわる問題であった。

 そして、座位が確定したヒトの魂は、サリエルの手で冥界へと連れて行かれる。


 冥界は、螺旋の階段を主軸とし、そこから枝分かれした空間がいくつも広がる闇の世界だ。

 ただ、闇といっても地獄(ゲヘナ)のそれとは大きく異なる。人間界で例えるなら『満月の夜の世界』とでも言おうか。

 その仄暗い世界で、ヒトの魂は新たな命へと生まれ変わるべく、魂についた記憶や(ごう)など現世のすべてを削ぎ落しながら、果てしなく長い年月をかけて冥界の頂上を目指し螺旋の階段を上る。

 この螺旋階段の始まりは、先に俺が確定したヒトの魂それぞれが持つ座位によって異なってくる。座位が天界(ヘブン)であれば頂上に近い位置から、地獄(ゲヘナ)であれば遠い位置から始まるのだ。




「本当に……会いに行かれる……のですか?」


 白の大理石の壁とは対照的に黒光りする扉を前にした俺とサリエルは、暗黒色のローブを(まと)い佇んでいた。

 ここは上層の大神殿で最も地下深い場所。そこに冥界へ繋がる扉があった。


 躊躇いがちに俺を見るサリエルに、黒の扉を見上げながら俺は頷いた。


「イリーナが偽名である以上、彼女の過去を知るのは夫のグレイしかいないだろ?」


「そう……ですが……」


 死者となったハルの父親グレイと会うことに、サリエルが二の足を踏むのには理由があった。



 冥界へと送られた死者の自我は、そこに満ちる魔力により魂の奥深くへと沈められる。そうすることで、現世への未練を持つことなく無心で輪廻転生を目指せるからだ。

 しかし、自我を沈める魔力は不安定で、何かのきっかけでその自我が浮上することがある。大抵のきっかけは、愛しい者の泣き声だったり、死者に祈願したりと、俗世に生きる者の声が死者へ届いてしまった場合だ。

 俗世の声に惹かれて自我が浮上した死者は、現世への未練を少なからず抱いてしまう。そうなると、ヒトの魂はその場に足止めされ、冥界の螺旋階段を上れなくなってしまうのだ。


 つまり、俺たちが死者であるグレイの自我を浮上させ、過去の話を聞きだす行為は、彼に現世への未練を持たせてしまうことと同義なのだ。

 そして、一度止まった魂の歩みが、いつ再び動き出すのか誰にも分からない。すぐなのか、何年後か、それとも何千年後か……。歩みが止まれば止まった分だけ輪廻転生は遅れてしまう。それは結果として、地獄(ゲヘナ)に座位があるヒトの魂と同じ扱いになることを意味していた。



「本来ならば……いたずらに自我を浮上……させたくはありません……が……」


「分かっている。だが、致し方ない」


 なおも逡巡するサリエルを尻目に、俺は扉に手をかざす。

 すると、手をかざしたその場所から、青白い光の波紋がポッと広がった。その光は線となり、継ぎ目など見えない黒い扉の中を、まるで迷路を辿るように縦横無尽に走り出した。

 青白い光跡が流れ星の尾のように先細りながら扉全体へ広がると、扉は何ごともなかったかのように、再び黒く艶のある佇まいへと戻る。と、次の瞬間、カチリと音がし、両開きの扉の片方が僅かばかりに奥へと動いた。


「よし、行こう」


 そう言った俺は、暗黒色のローブに垂れ下がっていたフードを頭からすっぽりと被り、奥へと少し開いた扉をさらに押し広げ、中へと入った。



*  *  *



 冥界へ続く扉を潜り抜けた俺とサリエルは、壁も天井も見えないただ仄暗いだけの空間を、扉を背にしてまっすぐに進む。

 ある程度行くと後方でギギィと音がし、俺たちは思わず振り返った。先ほど潜った黒の扉が自動的に閉まり、隙間から漏れていた天界(ヘブン)の光がゆっくりと消える。それと同時に、周囲の仄暗さがもう一段落ち、闇がより一層深まるのを感じた。


「サリエル、フードはきちんと被っているよな?」


 暗黒色のローブについているフードを頭から被っているサリエルは、俺の問いに対し、フードの裾を掴んでコクリと頷いた。



 どこまでいっても闇が続く広大な冥界は、黒の濃淡でしか周囲を把握できない。

 この世界を照らす唯一の明かりは、夜空を彩る満月のように、煌々と輝く螺旋の頂上に見える光だけであった。

 その光は、ヒトの魂が目指すべき印としての重要な役割があるため、強く輝くほかの光は却って邪魔な存在となる。

 だが、俺たち天使の力は、冥界では恒星のように光を放ってしまうため、俺たちがここへ入る際は、ヒトの魂を混乱させないよう、必ず、この暗黒色のローブを頭から被り、自分の光を遮断する必要があった。



 足音すら反響しない仄暗い空間を俺は迷うことなく進む。

 その俺の横を歩くサリエルは、黒一色の周囲をなぜかキョロキョロと見回していた。それを見た俺は不思議そうに彼女に尋ねる。


「あれ? サリエルは、扉から冥界へ入るのは初めてだったか?」


「あ……はい……」


 サリエルは気恥ずかしくなったのか、俯きながら小さな声で返事をした。


 普段、サリエルがヒトの魂を導くときに使う冥界の門は、螺旋階段に直結している、いわば正門。

 俺たちが入ってきた冥界の扉は、冥界(ここ)の管理者である俺にしか開けられない裏戸のようなものなので、物珍しいといえば、そうなのだろう。


「まぁ、こう暗いと、どこも同じような景色だけどな。ほら、螺旋が見えてきた」


 どこか緊張気味に歩くサリエルに俺は笑顔を向けながら、目の前に見えてきたアーチ状の入口を指さした。



 黒く縁取られたアーチ状の入口が近づくにつれ、その奥が青白くおぼろげに光り、波打っているのが見て取れた。

 それを見た俺は、自分のフードの裾を再度確かめるように触れる。俺の横を歩くサリエルも、ローブの胸元をぎゅっと掴んでいた。


 アーチ状の入口を潜り抜けると、頭上から降り注ぐ淡い光が俺たちをぼんやりと照らす。

 遠くからは波のように見えていた青白い光は、近くで見ると数珠つなぎにうごめくヒトの魂であった。そして、それらが進む軌跡により、この場所が円筒状の螺旋の空間であると分かる。


「それにしても、凄い数だな」


 周囲を埋め尽くす蒼白の魂を見て、俺はため息交じりに言う。


「さてと……。サリエル、グレイの魂を見つけ出してくれ」


「かしこまり……ました」


 俺の横にいるサリエルは頷き、藍色の瞳を閉じて意識を集中させた。フードから僅かにはみ出ていた彼女の薄墨色の髪がふわりと浮く。次に開いたサリエルの瞳は、藍色から金色へと変化していた。



 サリエルの特殊能力『邪視』は、見つめた者に厄災をもたらす、といわれている。だが、実際は不正や邪悪なものを見分ける能力であり、その結果、見つめた対象者に厄災がもたらされたと表面上()()()()()に過ぎない。

 彼女の邪視は、そこからさらに能力を昇華させ、目的のものを探し出せる能力を備えていた。



 冥界の螺旋階段を上る数多の魂を金色の瞳で見つめるサリエルは、ほどなくして一つの方向を指さした。


「見つけ……ました。あそこ……です」


 そう言ったサリエルが先立って、青白い魂の流れに分け入る。

 もぞもぞとうごめく高さ一メートルほどのヒトの魂は、俺たちを異物と認識するように、皆、スルリと避けていく。

 そんな青白い魂の河を三百メートルほど上ると、金色の瞳をしたサリエルは一つの魂を指し示した。


「あの魂が……グレイ・エヴァット……です」


「わかった」


 頷いた俺はサリエルが示す魂の前へ出て、その行く手を遮る。そして、すでにヒトの形を留めていないその魂の頭上に手をかざし、俺は自分の意識を()の中に潜り込ませた。


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