11-3:旅立ち
アルゲオネムスの原生林から吹き込む風で、空っぽのサイロがゴォゴォと音を立てて鳴く。
その唸り声に反応するように、光のゲートのそばにいたウリエルが振り返った。彼の視線は音のするサイロを通り過ぎ、俺の前でピタリと止まる。
ウリエルは、俺と二人きりになるのを待っていたようだった。
「彼女と会ったんだよね? 心境に変化はあった?」
予期せぬ質問ではなかった。ただ、このタイミングで聞かれるとは思っていなかった俺は、ウリエルを納得させるだけの明確な答えを持ってはいない。
「どう……かな……。まだよくわからない」
俺は不鮮明な心の内を何とか言葉に表した。
確かに、念願だったルシフェルとの再会は果たせた。だが、それだけなのだ。彼女は、ハルのことは話しても、自分のことを話したがらない。そして、俺との接触を極力避けていた。
こんな状態では俺も前に進むことはできず、かといって、ルシフェルに抱く疑問を手放すこともできなかった。
ウリエルは気まずそうに俺を見る。
「そっか……。それで……まだ続けるの?」
「続ける……というか……。ハルのこともあるし。俺の中では何の解決にも至っていないし」
言い訳じみたことを言う俺に、ウリエルは深いため息をついた。
「すべてを解決するつもり?」
「……」
分かっている……そう言いたかったが、言葉にならなかった。
ルシフェルとの過去を解決したところで、今更それが変わるわけではない。彼女が天界へ戻らないこともすでに分かっている。それなのに、過去を明確にすることに時間を費やす意味はあるのか? 俺自身、何度も自問自答を繰り返した。だが、いつも同じ答えに辿り着く。
「俺さ……すべてを理解して腹を括らないと、この先の任務を全うできないと思うんだ」
俺の任務――それは天界の軍を率いること。
地獄との有事の際、俺は必ず魔王ルシファーとなったルシフェルに剣を向けることになる。過去を理解し乗り越えなければ、俺は彼女と再び戦えないだろう。
天使軍の総司令官である俺の敗北は、そのまま天界の敗北となる。そうなれば、『無垢の子』が『悪魔の子』に転生せずとも、天界も人間界も地獄に飲み込まれ、この世界に混沌が訪れる。
俺は負けることが許されない。
その重責を担っているからこそ、ウリエルもラジエルも、俺のことを気に食わないガブリエルですら俺の身勝手を黙認している。
「……すまん」
ポツリと言う俺に、ウリエルは苦笑いをしながら頭を左右に振る。
「ほんっとうに、ミー君って自由。それに超頑固。あーあ、まーだ付き合わされるのかぁ」
両腕を空に突き上げ伸びをしながら笑うウリエルに、俺は人差し指でこめかみをかきながら「本当にすまん……」と渋い顔をして笑う。
「それじゃぁ、行こうか?」
ウリエルが光のゲートへと歩き出した。だが、俺はその場から動かなかった。
「ウリエル」
「ん?」
この石造りのサイロに来たときから、俺はずっと気掛かりなことがあった。
先ほどの柔和な雰囲気とは打って変わり、険しい表情で俺はウリエルを見る。
「パストラルは、どうなった?」
老若男女を問わず無慈悲にその命を奪われ、炎に包まれた町パストラル。その原因を作ったのは、紛れもなくこの俺だろう。
振り向いたウリエルは俺から視線を外し「あぁ……」とため息のような声を漏らした。
「山賊たちはパストラルの自警団によって壊滅したよ。町の一割が火災で焼失。死者は山賊も含めて百人近かったかな……。ちなみに、悪魔たちはすべて追い払ったよ」
「そう……か……」
拳を握りしめ俯く俺を見て、ウリエルの声のトーンが低くなる。
「何? まさか責任でも感じているの?」
「パストラルの襲撃は俺のせいだ。俺がもっと慎重に行動していれば……」
「避けられたとでも?」
「違うと言えるか?」
ウリエルの問いに、俯いていた俺は顔を上げて反論した。俺の視界に眉をひそめたウリエルの顔が映る。
「結果論だな。それを言うなら、事前に情報を掴んでいた僕にも落ち度がある。未然に防げなかったんだから」
「そんなことは……」
「ないとは言えないよ。ミー君に書簡を送るかなり前から、僕は地獄の不穏な動きを把握していた。それに、山賊たちがいたカバンティア付近で、守護天使の消息が時々途絶えることも以前から分かっていたんだ」
そうだとしても、ウリエルの持つ情報の点と点をつなげるために必要な情報を、俺は彼に伝えなかった。カバンティアの麓にあるパストラルの町の近くに『無垢の子』がいると知れば、山賊が悪魔に唆される前に、ウリエルは何らかの手を打っていたはずだ。
「それでも……やっぱり俺のせいだ」
「……頑固」
ウリエルは両手を腰に当てボソリと言う。
それきり俺たちは、互いに無言で足元を見つめていた。やりきれない思いが俺の中で膨らむ。
突然、ウリエルが口を開いた。
「ヒトをどのように生かすかの導きをするだけが、私たちの役割ではありません。どのように死へ導くのかも大切な役割のはずです」
いつもとは違う口調に、俺は驚いて顔を上げる。目が合ったウリエルは、優しく微笑んだ。
「ラファの言葉、覚えている?」
「あ……」
ウリエルが言う『ラファ』とは、俺たち四大天使の末妹、熾天使ラファエルのことだ。俺と同じ銀髪でルシフェルとよく似ている容姿――彼女を思い出し俺の顔が歪む。
「過ぎ去った時間は戻らない。どうしようもないんだ。でも、天使はパストラルの死者をきちんと導いたよ」
「……」
何も言えなくなった俺は、片手で顔を覆いながら頷く。
神から与えられた『生』は、もちろん尊い。だから、俺たち天使はヒトを全力で守ろうとする。しかし『死』もまた、神から与えられた新たな生への旅立ちであり、同じように尊いもの。それ故に、死者の導きは大切なのだとラファエルは訴えていた。
死者を冥界へと導くはずの俺が、目の前の『生』にばかり囚われて、こんな大事なことを忘れるなんて……。
ウリエルが俺の横に歩み寄り、背中をバンっと思い切り叩く。
「いてぇ……」
「ほら、帰るよ。我が家へ」
そう言うと、ウリエルは俺の背中を押しながら光のゲートへと進んだ。
天界と地獄の勢力を左右する『無垢の子』ハル。彼女との出会いにより、俺は自らの手で地獄へ堕としたルシフェルと再会を果たす。
地獄の支配者ルシファーとなったルシフェルは、人間界ではルファと名乗り、ハルと母子のような関係を築いていた。
『無垢の子』であるハルの命を悪魔が奪えば、彼女は『悪魔の子』として転生し、混沌が訪れた人間界を天使は追われることになる。しかし、悪魔であるはずのルファはそれをすることなく、ハルとの穏やかな生活を望んだ……なぜ?
そもそも、熾天使だったルシフェルが天界に反旗を翻した理由は、本当にヒトの誕生のせいなのだろうか? そして、地獄へ堕ちる瞬間の彼女の微笑みは、一体何を意味していたのだろうか?
答えを求めるかのように、俺は天界へと続く光のゲートを潜り抜けた。
誰もいなくなった古びたサイロからは、アルゲオネムスの原生林から吹く風で、相変わらずゴォゴォと泣き叫ぶような音が聞こえてくる。
それはまるで、今夜起こったパストラルでの惨劇に、声をあげて悲しみ泣く音にも聞こえた――