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09-1:別離

 過去の記憶に不鮮明な部分があると気づいた俺は、考えを巡らせようと視線を上へ向ける。しかし視界に飛び込んできた景色により、俺の関心はあっという間にそちらへと奪われた。

 深い闇に塗りつぶされた原生林アルゲオネムスの頭上には、その世界を分かつように巨大な満月が出現していた。


 俺は思わずつぶやく。


「すごいな……」


 俺につられて「え?」と、ほかの三人も空を見上げた。


「わぁ……」


「すご……」


「……」


 凹凸がはっきりと分かるほどの大きな満月は、夜の空を青白く染め上げている。

 その光は、夜空をともに彩るはずの星を消し、ランプの灯りがなくとも周囲が分かるほどの強い明るさだった。

 暗黒に(さら)され続けた俺たちは、その月光にいとも簡単に魅了される。



 そうか。だから、今夜なのか……。



 満月の夜は魔力を高める。そして月の魔性により、心が闇に()かれやすくなるのだ。

 頭上に浮かぶこの巨大な満月ならば、その効果は絶大だろう。だからこそマモンは、ヒトの心を籠絡しやすい今夜、パストラルの襲撃を決行したのか。

 俺は(こう)々と輝く満月を見ながら、眉間にしわを寄せた。


 同じように夜空を見上げていたルファが、ポツリと言う。


「そろそろ限界ね……」


 その一言で、俺たちは再び張りつめた空気へと引き戻された。

 そうだ……こうしている間にもルシファーの子供であるマモンが、ハルを『悪魔の子』にしようと探し回っているはずだ。


「ハル、これを渡しておくわ」


 そう言いながらルファは、首にかけていた透かし模様のしずく型のペンダントをハルに手渡した。


「これ、ルファがいつも身に着けているペンダント……」


 ハルは渡された白銀のペンダントに視線を落とす。二人のそばにいた俺も同じように、ハルの手の中にあるペンダントを見つめた。



 天界(ヘブン)にいたときは、あんなものを身に着けてはいなかったな……。



「大事なものなの。ハルが預かっていて」


「分かったわ。大切に預かるね」


 ニコリと笑うハルに、ルファも微笑(ほほえ)みを返しながら、ハルの(くり)色の髪を優しく()でた。

 そしてくるりと向きを変えると、ルファはサキュバスのもとへと歩み寄る。


「サキュバス……」


 まるで吸い込まれるように、ルファはサキュバスの胸元に顔を埋めた。それに応えるように、サキュバスも彼女を包み込む。


「ルファ、忘れないで。僕は……」


 サキュバスの言葉を遮るように、ルファは自分の指に口づけをして、それをサキュバスの唇に優しく押し当てた。


「私の夢魔。分かっているわ」


「ん……」


 サキュバスはもう一度、ルファを力いっぱい抱きしめた。俺は、それを複雑な気持ちで見つめる。

 サキュバスとのしばしの抱擁のあと、ルファは俺の前までやって来た。


「ミカエル、あとはお願いね」


「あぁ……」


 念を押すルファに俺は漫然と(うなず)く。この時、俺はまったく違うことを考えていた。



「闇であなたたちを隠すわ。私が去ってから動いてちょうだい」


 俺の心の内など知る由もないルファは、俺の横を通り過ぎようとする。

 その瞬間、俺はルファの腕をガシリと(つか)み、自分のほうへと引き寄せた。体勢を崩す彼女を俺は体ごと受け止め、そのまま抱きしめる。


「!?」


 ルファは一瞬体をビクリとさせたが、俺の腕を振り払おうとはしなかった。


 俺はルファの耳元に顔を寄せる。ルファの漆黒の髪からほのかに香る金木犀(キンモクセイ)の匂いが、俺の鼻をくすぐった。

 天界(ヘブン)の全天使を束ねた元首領であり地獄(ゲヘナ)の現支配者……力を込めると折れてしまいそうなくらい華奢(きゃしゃ)な体の一体どこに、そんな力があるというのだろう。


 ルファを抱きしめながら、俺は彼女に触れた最後の日を思い出していた。



 『あの時』の前夜、俺の寝所を前触れもなしに訪れたルシフェル。部屋に招き入れた瞬間に、潤んだ瞳が俺を捉え、唇を重ねるとそのままベッドへとなだれ込んだ。

 ルシフェルから求められることが珍しかった俺は一瞬困惑したが、結局最後まで何も聞かなかった。そして、目覚めた翌朝には俺の腕から彼女の姿は消えていた――



 彼女の異変に気がつきながら、あの夜、俺はなぜ話をしなかったのかと今でも後悔している。無理にでも話をすれば、『今』が少しは変わっていたのかもしれない……。

 過去を思い返し、ルファを抱きしめる俺の腕に自然と力が入る。



 この温もりに触れる機会は、また訪れるのか?



 離したくない。この場から連れ去りたい。そんな衝動を必死で抑えながら、ルファにしか聞こえないほどの小さな声で、今の俺が口に出せる精一杯をささやいた。


「無事でいてくれ……愛している……」


「……」


 ルファは何も答えなかった。俺を抱きしめ返しもしなかった。


 ただ黙って俺に抱きしめられているルファの顔を、俺はまともに見られない。

 堕天に追いやった張本人が、今も自分に心を寄せているなんて、(あき)れているかもしれない。それとも哀れに思っただろうか? それでも俺は……。


 感覚がまひしていた俺には、どのくらいの時間ルファを抱きしめていたのか分からない。だが、俺にとってはつかの間だった。


 俺は自分の気持ちを切り離すように、抱きしめていたルファの体を前へと押し出す。そして、すぐさま彼女に背を向けると、サイロの前にいるハルとサキュバスのほうへ逃げるように歩き去った。


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