08-1:凍える森のサイロ
俺とサキュバスは街道から外れ、パストラルから南に広がる放牧地の道なき道を早足で歩いていた。
「町はどうだった? ラジィに会えたの?」
サキュバスは辺りを警戒しながら尋ねる。
「あぁ。どうやら高位悪魔が山賊を操って町を襲っているらしい。ラジエルには、その対処に向かってもらった」
風を切って歩くサキュバスから遅れないように、俺は急ぎ足で歩きながら答えた。
夢魔のサキュバスに向かって『悪魔の排除』という言葉を使うのは、なんだか気が引ける。
そのことに気づいたのか、サキュバスがカラリと笑った。
「対処ねぇ……。僕ら悪魔に仲間意識なんてないんだから、気を使わなくてもいいのにぃ」
「そうかもしれないけど……俺がなんか嫌だ」
俺はサキュバスと同じ方向を向いたまま、眉間にしわを寄せる。
サキュバスの言う通り、悪魔は仲間意識が低いのかもしれない。だからといって、彼の前でその同胞を「排除する」と言うほど、俺は無神経じゃない。
そんなことを考えていたら、いつの間にか横にいたはずのサキュバスがいなくなっていた。
俺は何かあったのかと慌てて辺りを見回す。すると、彼は少し後ろのほうで目を見開いたまま、その場にピタリと固まっていた。
「サキュバス?」
俺は不思議そうに首を傾げる。次の瞬間、サキュバスは声を立てて笑い出した。
「あははっ。前から思っていたけどさ、ミー君って、ほーんと天使っぽくないよねぇ」
その言葉に、今度は俺が驚く。
俺の中で、サキュバスは他の悪魔とは明らかに違っていた。敵対する者ではないが、友とも言い難い。ルファとハルに対し共通の認識を持っていて、ライバルのような仲間のような……。
サキュバスに胸の内を悟られたような気がして、俺は急に恥ずかしくなりぼそりと言う。
「だから……ミー君って呼ぶな……」
ラジエルを『ラジィ』と呼ぶサキュバスは、俺のことも当然のように『ミー君』と呼んだ。この渾名は天界でウリエルしか使わないのだが、まさか人間界で夢魔に呼ばれるとは思ってもみなかった。
サキュバスはニヤニヤしながら言う。
「もぉ、照れちゃってさぁー」
「……照れてない」
「素直じゃないとことか、ホント、ルファに……」
そこまで言うと、サキュバスは慌てたように口をつぐんだ。
「ん?」
「あーいや……何でもない。ほらっ! 急ぐよっ」
サキュバスは何かをはぐらかすように、俺を抜き去り再び大股で歩き出した。
ルファに……似ている?
ルファ……いやルシフェルとは双子なのだから似ているのは当然としても、サキュバスにそう思われるのはちょっとうれしい……かも。
ほころんだ口元を片手で隠しながら、俺は慌ててサキュバスを追った。
* * *
パストラルの南側にある放牧地を抜けると、古の言葉で『凍える森』を意味するアルゲオネムスと呼ばれる広大な原生林が広がっている。
サキュバスの先導でその原生林へと近づくと、やがて緑色のとんがり屋根と石造りの円筒状の古びたサイロが見えてきた。
すでに役目を終えている崩れかけたサイロは、屋根の中央や石の壁にあったであろう戸口がすっかり朽ち果て、黒い穴がぽっかりと開いている。その中で唯一原形を留めているのは、サイロの一番下にある木材で作られた引き戸だけだった。
俺とサキュバスが近づくと、それを見計らったようにサイロの引き戸がギギィと嫌な音を立てながら動き出す。
わずかに開いた戸の隙間からチラリと顔を覗かせたのは、ハルだった。俺の顔を確認すると、パッと花が咲いたような笑顔に変わる。
「ミカエル!」
サイロから飛び出してきたハルは、ゆるいカールのかかった栗色の髪を揺らしながら、うれしそうに俺の元へと駆け寄ってきた。
ハルの無事な姿に安堵した俺は、近づいてきた彼女を思わず抱き寄せる。
「ハル! 無事だったんだな。よかった……」
「えっ……と、う……うん、大丈夫だよっ」
それを見ていた隣にいるサキュバスが、からかうように言う。
「ミー君ったら、レディ相手に大胆だねぇ」
「え? あ……ごっごめん」
われに返った俺は年頃の女の子を抱きしめていることに気がつき、真っ赤な顔であたふたしているハルをすぐさま解放した。
ハルに遅れて、ルファがサイロからするりと出てきた。
すると、ハルは先ほどとは一転して不安げな表情になり、俺の服の裾をきゅっと握りしめる。
俺はハルを守るように彼女の肩にそっと手を回し、つぶやくように言った。
「ルファ……」
ルファは険しい顔でコクリと頷く。
「町を襲っているのは、マモンの部隊よ」
「マモン?」
俺は、天界から堕天した悪魔に関しての知識はあるが、地獄すべてを把握しているわけではない。
首を傾げる俺に、ルファではなくサキュバスが複雑そうな表情で答えた。
「七つの罪源のひとつ『貪欲』のマモン。ルシファーの子供の一人だよ」
「は? 子供? おまえの?」
俺はサキュバスの言葉をすぐには理解できなかった。思わずルファを凝視する。
天使も悪魔も、その肉体が滅びることはあっても『死』という概念はない。故に俺たちはヒトと違い、次の世代にこの血を引き渡すような生殖機能を持たない。それにもかかわらず、子供とはどういうことだ?
ルファは俺の視線から逃げるように俯いた。それを見たサキュバスがため息交じりに説明する。
「マモンは、大昔にルシファーが創った悪魔の残りカスみたいなものだよ。だけど、自分こそが、ルシファーの子供の中で最も賢いと思っているみたいでさ……。プライドが高いだけのただの勘違い野郎だよ」
「……」
俺は無言のままルファを見つめた。
悪魔を……生命を創り出す――それは創造主である神の御業。聖域ともいえるその業を、元熾天使であるルファが……ルシフェルが行ったというのか?
今ルファを問い詰めたところで、無意味なことは分かっている。分かってはいるが、俺の気持ちが追いついていかなかった。
ルファは俺の視線が耐えきれないのか、地面に視線を落としたまま、左手で自分の右腕をぎゅっと握りしめていた。
俺たちの間に重苦しい空気が流れる。
不意に服の裾が引っ張られ、俺はそちらへと顔を向けた。見ると、ハルが目に涙をためて、俺を見上げている。
「私たち、どうなっちゃうの?」
強張った表情をしていた俺は、ハルを安心させるために無理やり笑顔を作る。
「大丈夫。ラジエルが町にいる悪魔の対処をしている。天界からも守護天使たちが降りてきているはずだ。騒ぎはもうすぐ治まるよ」
俺の言葉に反応するように顔を上げたルファが、苦しそうな表情で首を振った。
「いいえ……マモンはハルの存在に気づいている。町の悪魔たちを排除しても、見つかるのは時間の問題だわ」
「そんな……」
ハルは青ざめた顔でルファを見る。
俺はルファとの視線を遮るようにハルの正面に回り込んだ。そして、彼女と目が合うように膝を突く。
「ハル、よく聞いて。俺は天界の中で戦いに最も優れた天使なんだ。だから、どんな悪魔が来ようともハルには指一本触れさせはしない。俺が絶対にハルを守るから」
「うん……」
頷いたハルは俺の首に腕を回し、もたれかかるように顔を埋めた。俺は彼女をそっと抱きしめる。
サキュバスが、誰ともなしに尋ねた。
「そうはいっても、これからどうする? マモンが簡単に諦めるとは思えないけど?」
「……」
俺は無言のままルファを見る。サキュバスも俺と同じく、ルファのほうに顔を向けた。
苦渋の色を浮かべたルファは、俺の肩に顔を埋めるハルの背中をじっと見つめていた……。